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宮崎駿監督の引退について これからのアニメーション映画界の展望

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 さる9月6日に突如として引退を表明した宮崎駿監督。テレビでも連日のように宮崎監督の引退会見時の映像や、スタジオジブリが制作したアニメーションが引用され、テレビのコメンテーターたちが皆さまざまに引退を惜しんでいます。ネット上でもかなり話題になり、東京オリンピック招致のニュースで一色となった現在でも、根強く宮崎駿の存在は残っています。オリンピックの開会式には、宮崎駿監督がふさわしいのではないかといった意見まで出てきています。もし、これで宮崎監督が(まずありえないとは思いますが)本当にオリンピック開会式の演出を手掛けでもしたら、どれだけ出来レースだったのかと、いくらなんでも思わずにはいられません。

 しかし、宮崎監督の引退する発言は今に始まった話ではありません。実は、86年『ラピュタ』92年『紅の豚』 97年『もののけ姫』 04年『ハウル』でもここまではっきりと引退するとは表明しませんでしたが、引退を匂わせる「にわか引退」を連発してきたのです。ある意味それは逃げを創っていたのかもしれません。創作活動というものはいったいいつできなくなるのかわかりませんから、これだけの大きな存在となってしまったら、そのような逃げ道を作っておかなければとても人間としてやっていけません。
 日本人はとかく自分で判断することをしない人間で、他人に評価を任せるのでいけません。宮崎監督にしたって、これだけ大きな存在として祭り上げられて大変やりづらかったろうと思います。ただ、流石に今回の引退に関しては本当のことなのだろうと思います。年齢的にも限界でしょう。私は以前まで60になったら人間はもう体力的にだめになるものだとばかり勝手に思い込んでいたのですが、大学にいるようになって人間は70までは元気だと考え直しました。ですが、どんなに元気でいても流石に体力的に自信がなくなってくる。宮崎監督はちょうど引退するにふさわしい作品を創れたので、ここぞとばかりに引退を表明したのだろうと思います。

 ただ、私は宮崎監督の引退に対して左程驚きを抱きませんでした。それは、ああこれはもう引退するなということが半ば判っていたからです。私の『風立ちぬ』論でも書きましたが、今回、宮崎監督は登場人物である堀越二郎に自分を重ね合わせていました。これは私の勝手な意見ですが。(ちなみに、今回の映画の堀越二郎を勘違いして現実の堀越二郎と考えてはいけません。堀越二郎という名前にした映画がいけないのですが、これは明らかに想像上の人物として考えた方がいいでしょう。)
 中でも映画の最終場面でのあまりにも唐突で意味不明な会話は、引退を思わせるに十分なものでした。カプローニが「創造的人生は十年だ」というような意味不明な言葉を発します。映画を見た当初、え、そんなふざけたセリフを云わせてしまっていいの宮崎監督と思ったものです。ただ引退を表明した後になってこれを考えてみれば、宮崎監督は自分の創造的人生が『ナウシカ』『ラピュタ』で終わっており、堀越二郎にしゃべらせたように「最後はさんざんだった」と自分で語っているようにも意味が取れます。
 宮崎駿自身が監督をした『もののけ』『千尋』も大分怪しいものがありました。海外からは、日本独自の、日本にしか出来ないアニメーションだとしてとても高い評価を受けましたが、国内に限ってはあまりぱっとしません。実際に『もののけ姫』なんて説教臭いメッセージ性だけが露見してしまって、映画として嫌味のある、臭みのあるものに仕上がっています。『千と千尋の神隠し』は素晴らしかったと思います。
 ですが、『ハウル』『ポニョ』は映画としてかなりむちゃくちゃです。第一もうストーリーが追えない。これは今回の『風立ちぬ』にも言えますが、スタジオジブリ作品の映画は、『ナウシカ』や『ラピュタ』以降、ストーリーをまともに追うことができない物凄い不思議な展開をしている作品の連発になっています。(個人的にポニョは好きですが、しかし作品として成功しているとは言いがたいものがあります。)
 宮崎監督の創造的人生は、彼が自分でカプローニに言わせたように、やはり最初の十年くらいで終わっていたと考える方が自然だと思います。でなければ、カプローニのこのセリフを解釈できません。言わせない選択だってできたのにもかかわらず、敢えてこれを言わせたのですから、そこに注目すべきだと私は思います。

 さて、スタジオジブリは映画を毎年のように出していますし、スタジオジブリイコール宮崎駿監督のイメージがありますから、なんとなく全部宮崎監督が作ったものだろうという気になります。ですが、実は違います。意外と知られていないことですが、スタジオジブリは何人かの監督を抱えています。宮崎駿が有名すぎて他の人間が消えてしまっているのです。
 『アリエッティ』の米林宏昌、『ゲド』『コクリコ』の宮崎吾朗、『ほたる』『ぽんぽこ』『かぐや姫』の高畑勲。いずれも素晴らしいですが、しかし宮崎監督ほどのカリスマ性は持ち合わせていません。唯一宮崎監督が自身の後継者と思っていたらしい、『耳をすませば』の近藤喜文は、47歳という若さで亡くなってしまっています。近藤監督と宮崎監督は『耳をすませば』制作中に何度も激しくやり合ったとかで、映画完成後にまるですべての荷から解放されたかのように近藤監督はなくなっています。このことに関して、宮崎監督は自分が近藤を殺したも同じだと思っていると考えられています。
 このようにスタジオジブリは確かに素晴らしい監督を数人有しています。ですが、どれも大きくなりすぎた宮崎監督の後を引き継ぐには役不足。高畑監督はこの中では最も宮崎監督に近く、アニメーション映画業界においても大きい存在ですが、宮崎監督よりも年上ですから、引き継ぎというわけにはいきません。そこで、宮崎監督が誰に引き継ぎをするのかということが問題になります。私はこの映画に声優として起用した庵野監督なのではないかと考えました。庵野秀明は、『新世紀エヴァンゲリヲン』で有名な日本のアニメーション監督です。ただし、年齢的には53ですので、あまりそう長くはない。監督としても、これから『エヴァンゲリヲン』の四作目をフィナーレとして、その後果たして制作できるかどうかも謎です。私はこの点に関して、彼が次作、即ち人生すべてをかけて制作してきた『エヴァンゲリヲン』を完成させると同時に、もう監督としてはいい作品を創れなくなってしまうのではないかと考えています。
 おそらく一時的に庵野監督がアニメーション映画業界をけん引していくことになるでしょうが、彼も人間的にちょっと難しい部分がありますから、宮崎監督のように世界の顔になるわけにはいかないでしょう。
 他のアニメーション映画の監督を考えると、押井守は、もう終わった感があります。もともと最初から万人受けする作品を創ってこなかったので、どのみち難しい。細田守、新海誠も映像がとても美しいですし、素晴らしいには素晴らしいのですが、どこかまだ垢抜けない感がある。良い作品を創ってはいるし、私も好きなのですが、如何せんアニメーション映画をあまり見ない人にまで関心の及ぶスター性といったものがありません。新海誠監督は、『秒速5センチメートル』以降の作品が悉くダメで、今回の『言の葉の庭』もあまりにひどいものでした。細田守監督が実質的には今後アニメーション映画業界を引っ張っていくことになるだろうと思われます。ただ、彼の作品も少し説教くさい部分がありますから、そこを何とかできればいいのだろうと私は思います。

 アニメーションは日本の文化だ、みたいな知ったことを言う人間がテレビには沢山いますが、しかし、そういう人間に限って全然アニメーションにお金を払っていない。これから、私の専門分野である文学も、アニメーションも、それから美術の業界も、もう本当にダメになっていきます。なぜなら皆がお金を払わないからです。私の友人なんか本を買うのも高いからとか言って金を支払わない。これでは当然業界がやっていけなくなります。兎に角これから、アニメーション映画業界は、その最も大きな稼ぎ口であった宮崎監督が引退することによって大変大きな打撃を受けます。このまま放っておけば素晴らしいアニメーション映画は生まれないでしょう。それどころか、廃頽、衰退の一途をたどるだけです。次の宮崎監督に変わるアニメーション映画の監督が生まれるまでの間、何とかお金をきちんと支払って、このあまりにも弱い文化というものを守っていく必要があります。

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