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筒井康隆作 『時をかける少女』 試論 ―2― テクストの謎~ケン・ソゴル父親説~

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-初めに-
 今まで国文学の世界では、真剣に筒井康隆の『時をかける少女』を分析した作品論はありませんでした。それは、ひとつには、現在のライトノベル的な要素が含まれるからなのかもしれません。つまり、研究者たちはこの作品は、文学史上においてそれほど重要ではなく、論じるに値しないと思っている節があると私は感じます。
 しかし、この作品がこれだけメディアミックス的な展開をし、刊行されてから50年ほど経過した現在においてもその新鮮さを失わず、若者を中心に語り継がれているということは、厳然たる事実です。そこには、なにか物語内容だけでなく、テクストに力があるのだと考えた方が自然でしょう。メディアから見た少女像のような論文はいくつかありました。私は今回、テクストのみに視点をおいて、このテクストがどのようなテクストであるのか、どのような謎、空白があるのかを明らかにしていきたいと思います。

-開かれたエンディング-
 さて、基本的な内容の確認からしていきますが、先ず主人公の芳山和子がいくつなのか、確認しておきましょう。(引用は角川文庫、平成18年改版以降の文庫本を底本としています。)
 7頁では、「三年の芳山和子」とあります。大人びた行動から、高校生かとも思われますが、41頁では「高校受験用の参考書」を読んでいることからも、中学三年生であることが判明します。
 家族構成はどうでしょうか。約100頁という短い作品では、数多くの空白が残されますが、この家族構成においても謎がひとつ残ります。同じく41頁には、地震が起きた場面で「母や妹たち」という描写があります。妹たちという表現から、少なくとも和子が三人姉妹以上であることが判明するでしょう。たちという複数形を使うからには、二人以上はいなければなりません。また、この「妹たち」という表現から、映像化された作品では、姪が登場可能になったことも指摘できるでしょう。ところが、この作品では、なぜか父という言葉が使われません。和子の家庭には、なぜか父が欠損しているのです。

 さて、この小説を読んでいくと、最後に残るのがなんとも言えない虚しさや悲しさ、しかしそのなかに多少の希望が含まれているような感じがします。115頁では「―いつか、だれかすばらしい人物が、わたしの前にあらわれるような気がする。その人は、わたしを知っている。そしてわたしも、その人を知っているのだ……。どんな人なのか、いつあらわれるのか、それは知らない。でも、きっと会えるのだ。そのすばらしい人に……いつか……どこかで……。」とあります。テクストはここで終わりますから、和子がこの後どうなったのかは、読者が想像するだけになります。果たして和子は再びケン・ソゴルに会う事ができたのか?できたとしたらいつできたのか?という問題が残ると私は思います。
 問題の箇所を見てみましょう。
110頁「ねえ、ひとつだけ教えて。あなたはもう、時代へは、こないの?二度と、わたしの前に姿を見せることはないの?」
「おそらく、くるだろうね。いつか……」
111頁「きっと、会いにくるよ。でも、その時はもう、深町一夫としてじゃなく、きみにとっては、新しい、まったくの別の人間として……」
「いいえ、わたしにはわかるわ……きっと。それが、あなただということが……」
 文学作品を大別すると、大きく二つの作品にわけられると考えられています。一つには開かれたエンディング、もう一つは閉じられたエンディングです。この作品は、どこかラベンダーの香りを残して未来への希望を仮託した開かれたエンディングのように感じられます。ケン・ソゴルとの再会ができたのかどうかという問いへの答えは少し置いておいて、別の視点から見てみます。

-ラベンダーのかおり-
 さて、この作品には、ラベンダーの香りというとても印象的なモチーフがたびたび登場します。そのラベンダーの香りを追ってみましょう。
 12頁「それは、すばらしいかおりだった。和子はそのにおいがなんなのか、ぼんやりと記憶しているように思った。-なんだったかしら?このにおいをわたしは知っている。-甘く、なつかしいかおり……。いつか、どこかで、わたしはこのにおいを……。」
 ここでは、彼女がまだ何も知る以前の話です。その時点で彼女がラベンダーの香りを記憶しているということが描かれています。
 17頁「そうです。わたし、小学生のときだったかしら?いちど母にラベンダーのにおいのする香水をかがしてもらったことがあるんです。(省略)―それだけではない……。ラベンダーのにおいには、何か、もっとほかに思い出がある……。もっとだいじな思い出が……。」
一度ラベンダーの香りを嗅いで倒れた和子は、福島先生への説明で、以上のようなことを語っています。ここでは、母の香水を例にあげ、この香りの記憶はその香水にあるのだと自分で思おうとしている節が伺えると思います。しかし、そのように自分を納得させようとしても、できない何か重要な思い出があるのだと彼女が心のどこかで気が付いているのです。
 33頁「一夫の家は、しゃれた西洋ふうの二階建ての家である。玄関をはいると、右手の庭には温室があり、いつも珍しい花が咲いている。和子はふと、甘いにおいがあたりに立ちこめているのに気づいた。ラベンダーのかおりである(省略)なにか思い出があるとあのとき思ったのは、ここの家のことだったのかしら―。」
 三回目に登場するのは、一夫の家に赴いた時。ここでは、彼女は確かに本物のラベンダーを前にして、ここのラベンダーが今までの記憶にひっかかっていたものかと一つの納得をしていますが、しかし、最後まで読んだ読者はわかるように、一夫ことケン・ソゴルがこちらにきたのは、101頁で語られているように、「たった一ヵ月だけ」だということがわかります。そうすると、彼女にひっかかっていたラベンダーの記憶というものが、本当に一夫宅のものであるのかが非常に怪しいものであるということになるでしょう。もし、この一ヵ月の間に一夫の家にたびたび訪問していたとすれば、ラベンダーの香りは思い出せなくなるほどの記憶ではなく、ぱっと一夫の家の匂いだと思い起こせるレベルの比較的新鮮な記憶になるはずです。それが、なかなか思い出せないということは、やはりもっと昔の記憶だと考えるほうが妥当でしょう。
 確かに、101頁で「ぼくと関係のあるすべての人に、ぼくに関する架空の記憶をあたえた」ということが語られており、ラベンダーの香りは実は単なる架空の記憶だったのだ、だからなかなか思い出せなかったのだという解釈も可能でしょう。しかし、それが彼女をして、だいじな記憶であるとかなり切羽詰まった感情を呼び起こすものなのかというと、その解釈には限界があるように私には感じられます。
私は、このラベンダーの香りというのは、テクストの語りがはじまる以前に、彼女がもっと別のベクトルで記憶していた香りだと考えます。香りの記憶というのは、一般的にかなり記憶としては強力なものがあります。その香りが重要だと思わせるくらいのものですから、テクストの語り以前に何か重要なことが起こっていたのではと考えることができると思います。

-帰還するケン・ソゴル-
 さて、次なる問題として一体ケン・ソゴルはどこから戻ってきたのかという問題があります。
 一夫は何故一人だけ記憶を有していたのかという謎も問題ですが、これはSFの論理に集約されるため、文学評論では答えが出ない問題です。ひとつの指標を提示するとすれば、ケン・ソゴルが未来人であり、架空の記憶を集団に対して与えることができるなど、記憶に関して相当専門的な能力、技能を有していたために、一人だけ和子がタイムリープしても、それによって記憶がなくなるということが防げたのだということができるでしょう。
一夫はどの時点から土曜日の実験室へ戻ったかという点にしぼって考えて行きたいと思います、
 84頁では「自分の苦しみをずっとそばで見ていたくせに、今まで知らん顔をしつづけていた一夫が急に憎らしくなり、和子は恨みをこめた目つきで彼を見た。(省略)『うん、そうだ。でも、もともときみを困らせるためにやったことじゃないんだよ。きみがあんな超能力を持つようになったのは、ほんの偶然なんだ。悪意があったんじゃない。今まで黙っていたことだってこれから説明するけれど、ほんとに、きみのためを思ってやったことなんだ。信じておくれよ』」と言っており、和子が能力を得て、タイムリープしていることも全て知っていたという、小説における全能者的な役割を負っているという事ができると思います。
 105頁「きみがあの薬のにおいをかいで気を失った時、ぼくはきみに何も説明せず、きみからあの能力が消えてなくなるまで、そっとしておこうと思ったんだ。こんなにややこしい説明で、おとなしいきみを混乱させたくなかったからね。だけどきみは、思いがけずあんな交通事故に出会い、タイム・リープ(時間跳躍)とテレポーテーション(身体移動)をやってしまった。そのうえ自分から進んで過去へと跳躍しはじめた。このぼくに会うためにね―。だからぼくも、これ以上きみを悩ませたくなかったもんだから、時間をさかのぼって、ここまでやってきたんだ。すべてのことを、きみに話すために……」
 ここから、ケン・ソゴルはすべてを知っていたうえで、それ以上彼女を困らせないように指導するつもりだったのが、彼女の行動によって真実を話さなければならなくなったというような旨を語ります。ですが、よく考えてみると、ケン・ソゴルはすべてを知って、見ていたうえで、和子には自分が未来人であるということがバレないように演技していた相当肝の据わった人物であったということも言えるのです。
 ここで、大きく分けるとケン・ソゴル悪人説と善人説が浮上してきます。善人説は、一夫の言葉を信じればいいのです。本当にミスしてしまったことから、この時代に来てしまい、またミスしてしまったので、和子にもタイムリープの能力を与えてしまい、彼女を困惑のなかに陥れてしまった、おっちょこちょいな人物です。反対に悪人説は、実はすべてがケン・ソゴルの計画通りだったというものです。これだけの能力と技術を持っていながら、そんなところでミスするはずがあるのかということはいかにも怪しい点です。集団催眠をかけて架空の記憶を植え付けたうえで飄々と生活し、和子が能力を有してしまい苦悩しているのを知りながら、平然とした態度をしているというのは、よく考えればずいぶん冷徹な男のようにも思えます。
109頁では、和子へ恋をしてしまったのだと言っておきながら、「この時代のほうが好きだ」と言っておきながら、しかし「この時代と、ぼくの研究のどちらをとるかといわれれば、仕事のほうをとる。薬の研究は、僕の生きがいなんだ」と述べており、仕事を最優先にする人間であるということがわかります。恋よりも仕事が優先なのです。
 このようにいくつかの部分を総合して考えると、悪人というのは少しオーバーな表現かも知れませんが、冷徹な側面を持つ人間だということは言えるでしょう。悪人にするとすれば、これらの一連のことは、自分の薬をわざと現代の人間に投与してどのような反応が得られるのかという実験者という可能性もありますが、それは流石に言い過ぎなのかなと私は考えています。

-ケン・ソゴル父親説-
 さてしかし、このように深く考察してみるとケン・ソゴルが必ずしも良い人物とは限らないという状況のなかで、和子はそれでもケン・ソゴルに対して好意的な印象を持ち続けています。115頁で、記憶を失ってしまった彼女は、しかし「だれかすばらしい人物」がやってくるのだと感じています。すると、一見そんなにすばらしくないように感じられるケン・ソゴルがどうして感覚上すばらしい人物に置き換わるのかというのが謎になります。
このテクストにおいては、二重存在の矛盾というものがあります。タイムリープものには、必ずクリアしなければならない点がいくつかありますが、これもその一つです。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』などでは、過去に戻っても、その当時の自分は同時に存在することになります。しかし、この作品においては、作者の筒井康隆は二重存在は同時に一人の人間しか存在しないことによって解消されています。77頁「つまり帰ってきた和子がこの時間に現れると同時に、もうひとりの和子の姿を消すことによって、解決されるのだ」ということです。
 このテクストにおいては、二重存在の矛盾はこのように解決されるものとしておきましょう。さて、そうすると、ラベンダーの香りが、テクスト以前において記憶されるようなことが起こったであろうこと、父親が何故か不在であること、同じ時間に同一人物が二人以上存在できないこと、ケン・ソゴルがもう一度この時代に別人として姿を現すことを約束している点などを考慮すると、次のようなことが言えるのではないかと私は思います。すなわち、ケン・ソゴルは和子の父ではないかということです。
 薬の研究を人生の最大の目的としていたケン・ソゴル。しかし、彼はこのテクストの最終部分で未来に帰った後、何かしらの改心をしたのではないでしょうか。自分が恋をした女性に対して、あまりにも自分がとった行動が独善的すぎたと考えなおしたのではないでしょうか。さらに、ケン・ソゴルは和子に対してふたたびこの時代に戻ってくるということを約束しています。しかし、この約束において重要なのは、和子の前に姿を現すとは約束しても、この時代という条件付きですし、和子との関係性はテクストでの関係性、つまり恋人のような関係であるとは指定していません。すると、一度未来にもどったケン・ソゴルはさらに薬の開発をすすめ、そのあとで、このテクストが語られる以前にまで舞い戻って、和子の母と結婚し、和子を産んだのではないかと考えることができると私は思います。
 二重存在の矛盾では、同じ人物は同じ時間にいられないということになります。その際、消えてしまった自分のほうはどうなったのかはわかりませんが、過去の自分がいつくるのかを知っているケン・ソゴルは、若い頃のケン・ソゴルが来るタイミングに合わせてさらにどこか別の時間軸に一時的に避難していればいいだけの話です。ですから、この作品において父親が不在なのは、ケン・ソゴルが父親であり、同時に二人が存在することができないからとは考えられないでしょうか。

 ラベンダーの香りを何故か和子がずっと前から知っていたというのは、父であったケン・ソゴルが薬のためか、何かしらラベンダーの香りを放っていた可能性があり、それを記憶していたということではないでしょうか。その父親の香りはすばらしいはずですし、また忘れるわけもありません。ですが、和子にはケン・ソゴルが父であり、それがさらに未来からやってくる青年と同じ人物であるということは判明してはこまるので、何かしら和子の記憶をあやつったという可能性があり、それでなかなか思い起こせないような状況になっているのではないかと考えることができると思います。

―終わりに―
 また、福島先生の謎もあります。福島先生は、突然相談に行った三人の話をいとも簡単に信じ、それどころか、なんの引用もなしにいきなりものすごく詳細なタイムリープに関する情報を述べ始めます。しかも、和子の状況を聞いただけで、彼女の能力が開花されるように、鉄骨が落ちてくると叫んでみたりするかなりの演技派です。福島先生は、また自分のノートに何かをメモしている癖がありますから、このテクストは、全知的な未来人が語り手である可能性があり、それがメモをする行為に特徴づけられる福島先生なのではないかと考えることができるのです。福島先生は、未来人ではないかと私は思っています。それもさらにケン・ソゴルよりも先の未来人です。薬を開発したケン・ソゴルが、何か問題を起こさないかを、チェックしているタイム・パトロールのような人物ではないかと思われるのです。ですから、和子が能力を手に入れても、必要最小限の問題におさまるように、的確なアドバイスをしたりしていた全能的な存在ではないかと考えられるのです。
 『時をかける少女』は、ただ単純に善い人だけの話ではありません。そこには何か謎めいた行動をする人物が多く、いずれにしても何かしらの思考を持って動いているように思われます。

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No title

筒井康隆のファンである僕はもちろんこのお話も読んでおり

年代的にも ドラマも映画もほぼ見ているのですが

それぞれに 表現されているものは違い

別なもの として とらえております^^
プロフィール

幽玄

Author:幽玄

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