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佐野菜見『坂本ですが?』試論 スクールカーストからの逸脱が生み出す痛快感

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-初めに-
 佐野菜見による『坂本ですが?』は、2013年1月25日に発行された日本の漫画作品である。漫画誌「Fellows!」(エンターブレイン)で連載中のころから注目され、次第にツイッターなどのSNSを介して話題が高まった。作品の概要は、「とあるクール、いや、クーレストな高校生・坂本の学園生活を綴ったものであ」(株式会社エンターブレインhttp://www.enterbrain.co.jp/product/comic/beam_comic/12432401.html)り、全5章からなる単行本では、各章で坂本という主人公のスタイリッシュな学生生活を描写していくというのがメーンになっている。
 第二号からは、「Fellows!」から「ハルタ」で連載されているが、この「ハルタ」は新漫画誌であり、これだけの話題を呼んでいながら、『坂本ですが?』の二巻目が発売される見通しがついていないのが現状である。ツイッターでは内容のごく一部が取り上げられて拡散されてしまったために、購入した人々の期待に添わなかったという否定的な意見も多く見受けられる。
 たった一巻だけの作品でここまで話題性が高まった作品は珍しく、この作品が一発で終わらないことを願う限りであるが、2013年最も早くに人気を博した作品であり、今後の動向が注目される。

-『坂本ですが?』概略-
 漫画『坂本ですが?』があまりにも急速に話題性が高まったのには二つの要因があるように思われる。一つは、ツイッターというSNSメディアである。より拡散性が高いという点では、同じくSNSの主要なメディアたるFacebookやLINEと比べて圧倒的に優っている。簡単に画像を掲載することが出来、それを見たフォロワーがリツイートすることによって急速に話題になった。ツイッター上では、その性質上、笑いを取るためのネタと考えられる画像が多々あげられているが、本作の切り取られた一部の画像もまた、漫画『坂本ですが?』が話題となる以前にはネタとして考えられリツイートされていたのだろうと思われる。ちなみに、SNS上に漫画の画像の一部を無断転載することは法律上禁止されていて、違法ということになるが、今回はその功罪を鑑みて、話題となったことで出版社側は寛容な態度をとっているように思われる。
 もう一つの話題性が高まった要因としては、現在の教育現場における様々な問題が影響していると考えられる。私はこの作品が2013年序盤に登場したことにも意味があると感じる。2011年から2012年は、特にメディアの介入によって教育現場でのいじめ問題、自殺問題、体罰問題が次々と露呈され話題となった。いじめによって自殺した生徒をマスメディアが捉えたことによって、芋づる式にいじめ問題が発覚。今までいじめられていた生徒が次々といじめている生徒を訴えるということが起こり、教育現場に鋭いメスが介入した形となった。いじめ問題と並行して、マスメディアが介入したことにより、体罰問題もまた明るみになった。生徒が録画機器を持ち込み、いじめや体罰をしている映像を公開したことがよりこの問題を大きくした。
 しばらくの間、こうした問題で持ち切りだったマスメディアであるが、次第にその原因は何かと考えるようになり、同名の本が出版されるなどで一気に認知度が高まった「教室内(スクール)カースト」が背景にあるだろうということが言われるようになった。文学の世界では、若者の間で人気の高い朝井リョウが『桐島、部活やめるってよ』で教室内の上位のグループと下位のグループという区別を提示して、話題となった。
 知らず知らずの間に教育現場にはびこっていた様々な問題が一気に露呈したということもあり、閉鎖された教育現場に関する国民の興味関心が高まっている時期である。ちょうどその時期にこの作品が登場していることもまた、意味があると私は感じる。

-笑いに隠されたカタルシス-
 この作品がこれだけ話題となったのは、スクールカーストという背景のもと、その秩序社会からの逸脱が描かれているということが原因だろう。スクールカーストという秩序社会が教室内にも不文律の如く存在しているということは、大人の誰もが感じることだろう。そのカーストがより強まっているということが今回のマスメディアの報道で確認された。
 この作品にも、いじめやたかりという概念が如実に表れている。4ページ目には黒板消しを落とすという古典的ないたずらが描かれるが、それをスタイリッシュに回避してしまった坂本は、女子生徒たちの注目を集め、弱者をいじめることによって得ようとしていた優越感を得られなかった悪童たちはさらにエスカレートした行為に出る。6ページではトイレに入っている坂本に対してバケツの水を被せる。しかし、坂本は個室内で傘をさしていて、無傷である。ここから浮かんでくるのは、通常であれば「いじめる側」と「いじめられる側」という対比関係であるが、この作品に限っては坂本が「いじめられ」ないため、関係が成立していない。つまり、この作品には「いじめ」が不在なのである。
 「いじめ」の問題が話題となった際には、いじめの定義をどこに求めるのかという議論が盛んにおこなわれたが、「いじめられた側」が「いじめられた」と感じられたら「いじめ」が成立するということが強く主張された。その前提が読者にはあるぶん、「いじめ」を「いじめ」と感じていない坂本は、いじめの構造の破壊者である。現実問題としていじめられている人間がこのようにいじめを回避するのは不可能であるが、この作品ではいじめを受け流すという今までになかった連鎖の断ち切り方が描かれており、それが読者の求めるところと合致したのである。スタイリッシュないじめの回避の仕方は、確かにそれ自体がコメディとして成立していると考えられる。多くの読者はここで「笑い」、面白い作品であると感じていると勘違いしているが、実はここで多くの読者は「いじめ」の構造を破壊している坂本を見ることによって、カタルシスを享受しているのではないだろうか。いじめを知っていて黙っていたという、観客型のいじめに参加したということを含めれば、ほとんどの人間はいじめを経験したと言うことができるのではないだろうか。過去の記憶のなかで、回避できなかったいじめというものを、坂本が破壊し、笑いに転化してくれることによって、読者は単に笑いだけでなく、カタルシスをも享受していると考えられる。

-終わりに-
 「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ということわざがあり、また「出る杭は打たれる」ともいわれる。昨今は「KY(空気よめない)」や「DQN(あらゆる点で常軌とは逸した人間をまとめて指す蔑称)」という言葉が横行していることからも、非常に閉塞された空間において平平凡凡として、波を立てないように振る舞うことが求められているようなきらいがある。何事も安定や安全を第一とし、決して冒険的なことはしないというのが、現在の日本の全体の雰囲気である。ただでさえ閉塞された教室という空間のなかで、何事も人目に立つようなことをするなという強迫的な不文律の押し付けがあるとどうなるのか、それは今回のいじめや体罰の問題が嫌と言うほど知らしめているように私には思われる。あまりにも真面目すぎて、周囲を気にする日本人的な性質が全体的に押し出されている時期に、人々は窒息して、その圧迫されたものは弱者へのはけ口に集まる。そうした中で、何事も自らの信念に従い、教室内や学生の常識というものに囚われない坂本という人物は、まさしく我々が求めていた自由を実践している人物であり、我々がなりたかった自分である。
 この作品が今注目される意味を求めるとすると、もう少し教室の中で、さらに広げて考えれば社会の中で、人の目を気にすることなく、自分を持って生きるということがではないだろうか。スタイリッシュというのは、坂本が凝り固まった秩序社会に対してそんなものは意にも解さないとした反抗のスタイルである。我々もまた、坂本を見習ってどのようなスタイルで社会に向かっていくのかを考え、それを実践していかなければならないだろう。

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No title

行って来ま~~~~~す

No title

本当に多分野に渡り批評を繰り広げられていてすばらしいですね。
また遊びに来ます。

Re: No title

hajimeさん、御久し振りです。コメントありがとうございます。
何か一つにこだわことも大切だとは思いますが、狭い視野に囚われるよりは、大局を見て、幅広い視野を持った方が良いだろうと思っています。また遊びに来てください。

Re: No title

奏者ヨシヒコさん、はじめまして。以前からちょくちょくは窺わさせて頂いてはいたのですが、初めまして。コメントありがとうございます。
とてもこころあたたまるコメントでした。本当にうれしいです。私のブログは無償ですし、時間もかかりますし、極端に言えばほとんど意味のないことです。しかし、こうして稀にヨシヒコさんのような心の豊かな方からの、とてもありがたいコメントを戴けるから、続けていける力にもなり、また書くという原動力にもなります。
私は自分では頭は良くないと思っています。兎に角暗記がだめで、英単語を覚えたり、日本史の単語を覚えたりするのが、まるっきりだめです。そんな中で、唯一できることが、本を読むことや考えることだったので、そちらで頑張っているだけなのです。
ヨシヒコさんのお言葉の節々から察せられることは、私のような若者がおこがましいですが、きっと相当苦労なされた、また今もなされているのだなということです。私も大学へ入ってから、回りの人間のモチベーションというのか、向上心のなさというのか、そうした気の持ち方に失望しました。ヨシヒコさんの「心を感じない」という言葉には、痛く共感いたします。ヨシヒコさんは、ただ文章化するのが慣れていないだけのことですから、そんなご自分を卑下することはありません。私はヨシヒコさんのコメントで救われていますし、本当に心の豊かな方なのだなと思いました。そうした数少ない人が居たと知ることができただけで、幸せです。
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