小説と映像というメディア媒体の差を考える 「まほろ駅前多田便利軒」を題材として

 ここしばらくは、女性作家が書いた作品をメーンに取り上げて論じてきました。その多くは、ドラマ化されたり、映画化されてりしていて、現在の広い意味での文藝というものは、小説や映画、ドラマと多岐のメディアに渡っての考察が必要になってきていると感じられます。
 昔から小説の映像化というものはあります。時には映像のために作成した脚本が小説化して逆に出版されるというパターンもありますが、ほとんどは前者の形態でしょう。最近取り上げた作品では、たとえば、越谷オサムの『陽だまりの彼女』は今年10月に映画化が決定しています。原田マハの『カフーを待ちわびて』は2009年に既に映画化されています。今最も旬な作家、三浦しをんは『まほろ駅前多田便利軒』が映画化の後、ドラマ化。ちょうど今週の金曜日に最終話が放送らしいので、時間がある方はチェックしてみてください。三浦しをんは、さらに『船を編む』が近日公開されます。有川浩の『阪急電車』も映画化されていますし、有川浩といえば代表作である『図書館戦争』シリーズがアニメで映像化されています。
『陽だまりの彼女』のレビューhttp://hennkutubunnkazinn.blog.fc2.com/blog-entry-437.html
『カフーを待ちわびて』のレビューhttp://hennkutubunnkazinn.blog.fc2.com/blog-entry-434.html
『阪急電車』のレビューhttp://hennkutubunnkazinn.blog.fc2.com/blog-entry-432.html

 このように、映像と小説が切り離せない時代のなかで、媒体の差をどう考えて行くのかということが、今求められます。それは私たちのような文学を専門にしている学生だけに限った話ではありません。80年代あたりから、テクスト的な思考が学問のなかで広まり、様々な作品は、作者や作家の所有物という考えから、作品は独立した記号的な物体であるというように変化し、読者や読み手が積極的にテクストをどう分析し、解釈し、新たに創造するのかということになりました。私たち読者は、ひとりひとりが自分の「読み」や「見方」を持っていて、それをぶつけ合う事によって、作品を読者による創造物にすることができるのです。
 小説という文字の記号の配列を、一体どのように解釈するのか、これは永遠の謎であります。しかし、これを映像化するということは、何らかの解釈がそこに介入するはずです。ですから、例えば映像化された作品が、自分のイメージと異なるという場合は、読者の解釈と、映画を作った監督の解釈が異なっていたということになります。だから、この作品は小説の方がよかったという感想は至極最もなことなのです。自分はこういうように作品を読んだということを、それぞれの読者が積極的に発表する必要があります。その行為のために、非常に便利なのがこのブログの存在です。ネットという媒体は、私のようにとても簡単に個人の意見を発表することができます。ただ、私の情報もたかだか小さな人間の頭脳一つ分を駆使しているだけなので、非常にあやふやな部分もあれば、打ち間違えをはじめ、情報のソースも確かでない場合がかなりあります。出来るだけ気を付けているつもりですが、私が言ったことをすべて信じられてもちょっと困ったことになるかもしれません。ですので、そこは難しい部分でもあります。ただ、作品をどう読んでいくのかということは、そこらのブログにごまんと転がっています。ブログを開設していない、ブロガーでない方も、別々のブログの論を見比べて自分はどう考えるかということを自由に創造することができるのです。
 
 さて、閑話休題、前置きがずいぶん長くなりましたが、今回は三浦しをんの『まほろ駅前多田便利件』について、私はかつて映画版と、小説それぞれのレビューを書いたのですが、ドラマを良く見られているブロガーの方で、燃える朝やけさんという方からコメントを戴きました。この方が、私の小説のレビューを読んでくださった上、ドラマの分析をしてコメントしてくださったので、是非それを一つの記事としてみなさんに紹介したくてここに掲載します。もはやコメントを越えて、すばらしい分析になっていたので、それをコメントのままでみなさんの目に触れないのはどうも忍びなく、記事にさせていただきました。本文はコメントをそのまま引用させていただきます。
こちらが、コメントを投稿していただいた。燃える朝やけさんのブログ『Heart of the Sunrise エンタメ系なんでも見聞録』http://northernim.blog.fc2.com/です。
これは私が書いた小説版『まほろ駅前多田便利軒』のレビューhttp://hennkutubunnkazinn.blog.fc2.com/blog-entry-433.html#comment73
映画版『まほろ』のレビューhttp://hennkutubunnkazinn.blog.fc2.com/blog-entry-275.html

コメント本文

ドラマの「まほろ」と小説の「まほろ」
こんばんは。ドラマの最終回を待って投稿しようとしていたのですが先週になっても終わらず(今週金曜深夜が最終回らしいです)、こんなタイミングで投稿します。
しかしまほろといい、阪急列車といい、カフーといい、小説が本当に次から次へとドラマ化、映画化されるようになりましたね。
最近全然本を読めていないのですが、この企画に取りあげられた多くの作品を映画として観たことがあり、ちょっと愕然としました。いいやら悪いやら・・・

「まほろ」のドラマは深夜の放送+「モテキ」の監督。
雰囲気重視で、多田と行天の同級生設定や行天の親指事件が出てきません。バツイチや、互いの心の痛みの描写もなしです。
謎めいたやるせない男二人がやるせなく便利屋を営んでいて、変な依頼者の変な依頼を受け、ちょっとホロリとする皮肉な結末にまたやるせなくなって終わる、という日常の繰り返しです。
但し最終回前の先日、多田が意中の女性に「バツイチ」を打ち明けていたりするので、最終回で今までの流れが大きく変わる可能性も出てきましたが、それをやるには恐らく尺が足りないでしょうね(実質30分程度しかない)。
映画は・・・眠くなっちゃって・・・余計な空間が多すぎて退屈になっちゃいました。ホント、記事でご指摘の通りです。

夜中に放映しているドラマを録画して、翌朝になってぼんやりと観ているので、全然深く考えずにこの物語と向き合っていました。
改めて思い起こしてみると、多田や行天はもちろん、周りの顔見知りや依頼者なども皆少しずつ傷ついていたり冴えなかったりして「負けて」いる人間ばかりです。小説と同じかもしれませんが。
こちらで指摘されている小説の後半のテーマは放棄したかたちですが、前半のテーマは淡~く登場人物全員に託され、「それでもそうやってやるせなく皆生きていくんだよ、それでいいよ」といった曖昧でルーズな答えが、ムードとしてドラマ全体で提示されているように解釈することができそうです。
主題歌やOP映像なんかもそういう雰囲気があります。「夢の匂いなら少し覚えてる」(OP主題歌のフレーズ)、「まともがわからない」(ED主題歌のタイトルとフレーズ)って言ってるぐらいですから。
また、小説ほどテーマを明確に取りあげず、テンポよく進むように、わざと「雰囲気ドラマ」にしてあるような印象も受けました。

もうすぐ最終回、彼らに「希望」はあるのか?前回+予告を観ていると、下手すると死にオチさえありそうな展開なんですが・・・どうなるんでしょうね。
特に頼まれてもいないのにこんな報告を長々としてしまいましたが、「まほろ」ワールドを楽しんだり、考えたりする際に少しでもお役に立てば・・・と思い、あえて投稿させていただきました。

以上が頂いたコメントになります。
特に「まほろ」は小説、映画、ドラマと多岐メディアに渡ってメディア展開をしています。こうした同じ作品を異なるメディアでも作品化することを、広告業界用語で「メディアミックス」と呼びます。小説というメディアを考えた場合、とても省略して説明すれば、小説は読者に力がないと読まれないという、完全に読者まかせの媒体です。作品はありますが、まず読者が読んでくれなければいけない。そうして読者がそれなりの小説体験があり、文章からイメージが出来なければ作品は読まれません。それに対して、映画とドラマというのは、映像化されており、読書しない人でも作品が楽しめます。映画とドラマの違いは何かと考えた際に、映画は莫大なお金を投入して、濃密な2時間を作ることができる。それに対して、ドラマは長い時間を割くことができるので、細部や小説にはなかった部分を付け足すことができたりします。その反面、映画では小説の内容を大幅に削らなければならなかったり、ドラマでは原作になり場面を勝手に付け足したりすることによって、原作との差異が生じます。その差異は、それぞれの監督の作品解釈にゆだねられるわけです。
 現在最も注目されている作家三浦しをん。皆さんも、ご自分の目で三浦文学を愉しんでみてください。最後に4月13日から公開される、『舟を編む』映画版の公式ホームページを紹介して終わりたいと思います。
http://fune-amu.com/#toppage

 

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今回は本当に色々な意味でお世話になりました

こんばんは。
こちらのblogに以前石野さんからいただいたコメントの「ドラマのまほろは観ていないので・・・」というフレーズがきっかけで、「そうか。ドラマのまほろはいつも観てるぞ。ならばこんな話はどうかな?」と何気なく投稿したコメントでした。
投稿した当初はまさか記事にまでしていただけるとは思っておらず、×阪急列車 ○阪急電車 みたいな初歩的なミスはしているし、「自分のblogでやれ!」っていう量だし、恥ずかしいやら申し訳ないやらありがたいやら、です。
酔っぱらって書いている訳でもなく、文章を書き出して熱くなるとすぐこうで・・・
でもやっぱり、石野さんのいつものレビューにはてんでかなわないですよ。大学生の頃、もし同級生に石野さんがいたら、ゼミのたびに心折れまくりだったに違いありません。
幸い(?)自分の当時の専攻は社会学で、同じゼミにはならないはずですが。「文学部に何やらスゲェ奴がいるらしい」と、羨望や嫉妬でそーっと様子見しているかもしれないけど。


・・・あ、こんなタイミングですみませんが、よろしければウチのblogにリンク張らせていただいても宜しいでしょうか?
「FC2blog文学部に何やらスゲェ奴がいるようだ」と、またそろりとあそびに伺いますので・・・

Re: 今回は本当に色々な意味でお世話になりました

こちらこそありがとうございました。近頃は、私一人の分析ではどうも一辺倒ですし、新しい風を入れようと友人にレポートを掲載させてくれるよう頼んでみてはいるのですが、あまり乗り気ではないようで、こちらとしても、とても刺激になりました。
私も文章を書こうという熱のようなものがあります。ですから、時にはなかなか書こうという気にならないときもあるのですが、そうした点燃え朝さんと同じようなタイプかもしれません。ゼミの話ですね・・・燃え朝さんの想像しているイメージは、私が客観的に自分を見てもそう変わらないでしょうね。どうしても興奮して「じゃあここは?」「こういう考え方もできない?」と一人でゼミやっているような状態に近い場合が時にあります。ただ、私のついている教授がかなりの凄腕で、私がどんなに頑張っても届かないレベルの論理力の持ち主なので、ゼミではとにかく楽しませてもらっているという感じがします。他の生徒にとっては迷惑極まりないでしょうけれども。
ただ、私は専門が文学なので、どうしてもそれ以外の知識が決定的に不足しています。人生もまだ20年ぽっちしか生きていませんし、そうした面でも、社会学を専攻なされていた燃え朝さんの意見からは大変多くのことを学ばせていただきました。やはりいろいろ活動していても、視野が狭くなるということを常々感じていますから、常に新しい見方、知識を手に入れなければなりません。それは個人では限界がありますから、別の知識経験をもった方と対話する、これが人間ができる素晴らしい行為なのだろうと私は思っています。ですから、こちらこそ、新鮮なコメントを戴きありがとうございました。

ブログのリンクですが、私のブログはどうぞご自由にリンクしてください。とても嬉しいです。燃え朝さんのブログもリンクさせていただきました。これからもよろしくお願いします。しかし「FC2blog文学部」っていうのは面白いですね。FC2で学校が出来そうです。
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