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越谷オサム『陽だまりの彼女』試論 感想とレビュー 真緒は本当に猫なのか、擬人化とリアリズム

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-初めに-
 2008年に発売されてのち、帯にある「女子が男子に読んでほしい恋愛小説NO、1」というキャッチフレーズとともに未だ話題をよびつづける越谷オサムの『陽だまりの彼女』。2013年、すなわち今年の10月には映画化もされます。真緒役は上野樹里が演じるとあって、個人的に彼女のファンであるのと、猫という動物を印象付けられた主人公のキャラクターにマッチしているのとで、今年の秋は映画館に足を延ばさなければいけません。
 今回はこの小説がなぜ話題を呼んだのかということを考えてみたいと思います。今さら言う必要もないかと思われますが、私の評論はネタバレを含みますのでお気を付けください。

-人間と猫が交流する物語-
 この小説は、恋愛小説でありながら、ミステリ要素のある、いわゆるライトノベル的な小説であるという事ができるでしょう。描かれている内容は、ごくごく普通の読んでいる側がはずかしくなるような甘酸っぱい恋愛。しかし、彼女である真緒は、小さい頃の記憶を失っているという非日常が途中から色濃くなります。彼女の謎の出生が次第に存在感を増してくるさまは、この小説がハッピーエンドで終わるのか、バッドエンドになるのかと読者をはらはらさせます。
 この小説は、実は彼女が猫だったというオチがついているわけですが、こうした人間と人間ならざるものの種を超えた恋愛というのは、もともと昔話の話型から来ています。有名な雪女などは当然妖怪の類ですし、小泉八雲が集めた日本の昔話のなかには、様々な妖怪が人間と恋愛をする話があります。しかし、ここで傾向として気づける点は、大抵女性側が人間でないもので、男性は人間であることが多い点です。この点はなぜそうなのかという明確な答えを私は持っていませんのでなんとも言えないのですが、男性である私からすると、女性の方がどこか神秘的な力を有しているように感じられるということはあります。また、それまでの物語を紡いできた人間が、ホモソーシャルの社会だったこともあり、ほぼ男性であったという点にも、女性が人間ならざる力を有していると感じた男性が物語ったということも原因の一つではないかと考えられます。人間ならざる力とは、率直に言えば生命を生み出す偉大な力に他なりません。男にはそれができませんから、全く謎ですし、また神秘的であると感じるのかもしれません。そうしたことから、大抵の異種同士の恋愛には女性が人間でないもの、男性が人間という構図が多くあります。この小説も、帯には「女性が男性に読んでほしい恋愛小説」と銘打ってありますが、書いているのも男性ですし、男性が主人公ですし、なぜそれが女性が読んでほしいということになるのか少し謎ですが、男性向けに書かれていることは確かです。
 ちなみに、私が知っているなかで唯一男性側が人間でないパターンの物語は、女性作家である江國香織が書いた『デューク』です。女性が書けば男性側が犬になって登場するのかもしれません。

 この小説は彼女が実は猫だったというあまりにも非現実的な内容が最後まで隠されているために、二度目に読むといたるところに彼女が猫と印象付けられている伏線があることに気が付きます。タイトルである陽だまりという言葉も、猫が陽だまりの中で寝転がる状況をイメージしています。
 この小説は、彼女の正体が実は猫であるということが大前提として描かれていますが、何故彼女は猫だったのか、あるいは猫がなぜ人間になれたのかということをもう少し踏み込んで考えてみると、この小説もまた広い意味での「擬人化」なのではないかと私は思います。
 どうやら猫の寿命と同じく、人間のすがたをしていても12年ほどしか生きられないという設定がありようですが、真緒が人間としての姿を保てなくなると同時に、彼女は今までの自分の記憶を主人公である奥田以外から消してしまいます。真緒がそもそもどうして人間になる力を有しているのか、またおそらく真緒と思われる猫が最後に発見されるのですが、この猫も12年のインターバルを経たら再び人間として12年間過ごせそうなことが示されているのはなぜかということが問題になります。おそらく最初に奥田が小さいころに拾って、すぐに消えてしまったネコが真緒だったろうと解釈できますが、猫の姿としてこれ以上生きられないということを悟っていた真緒は、12歳くらいの少女になり、自分の最後に優しくしてくれた奥田に恩返ししようとしたのだろうと思われます。しかし、そうだとしても人間に姿を変えて恩返ししようと思うには若干説得力に欠ける動機です。猫は九生を持つという言葉が最後に紹介されますが、9つの命がある真緒。真緒は二つ目だったということが最後に描かれていますが、おそらく、それ以前から、9つのいのち以前からずっと輪廻転生のなかで何度も何度も真緒と奥田の魂はくっついたり離れたりを繰り返していたのではないかということも考えられると私は思います。

-擬人化とリアリズム-
http://hennkutubunnkazinn.blog.fc2.com/blog-entry-307.html
以前アニメ映画で紹介した大島弓子が書いた『綿の国星』では、猫は猫のままという設定ですが擬人化されて登場するという作品がありました。ここでも記したのですが、擬人化をするという行為は、他の種族を我々人間の理解できる範疇に多少強引に入れるということなのだろうと私は思います。
 妖怪類の話は、妖怪や幽霊などの人間の力をはるかに超えたものをコントロールするために人間として登場させたのだろうと思われます。犬や猫が人間となって登場するのは、ペットとして普段から家族同然の付き合いをしていたとしても、やはりどうしても猫や犬とは会話ができませんから本質的な理解が生まれません。その種族の壁を物語のなかだけでも越えたいという願望の表れなのだろうと私は思います。
『陽だまりの彼女』のなかで繰り返し流れる印象的な音楽はザ・ビーチ・ボーイズの『素敵じゃないか』です。

 越谷オサムの日本語訳がテクストには載せられています。その歌詞には、二人でいることの幸せが表現されています。猫などのペットを飼うと我々と比べて命が短いですから、どうしても彼らの死を私たちは見なければならないことになります。ではその別離をどうにかして克服しようとしたらどうなるのか、それがこの小説に描かれていると私は思います。

 石神井公園が出てきたり、善福寺公園が出てきたりと、武蔵野に近い地域のご当地小説になるのですが、そうしたリアリティーのなかに非現実を巧みに組み込んでいるのがこの作品の素晴らしい点です。日常の中に非日常をそれがわからないようにうまく隠しこむというのは、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』などに見られる文学用語ではマジックレアリスムという手法です。ただ、かなり強烈な見解ですが、このリアリティーに着眼するならば、すべて奥田の妄想であったということもできると私は思います。少なくとも、真緒に関する記憶は奥田以外ありません。最後に猫になって登場する真緒と思われる存在も、客観的には人間の言葉を話しているとは思えません。全て本当だと信じることも可能であれば、すべて奥田の妄想だったと読者が考える可能性の余地は残されていると私は感じます。捨てられていた猫を拾ったものの、すぐに消えてしまったことを今でも悲しく思っていた奥田は、猫が九つの命を持つということを知り、自然と自分がなっとくできるように自分の前に猫だった真緒が現れて自分との思いを共有することができたのだということを妄想していたという可能性です。
 
-終わりに-
 真緒が猫であったということを念頭に置けば、この小説から考えることができるのは、人間とペットなどの命の長さの異なる存在の交流の問題でしょう。猫や犬を飼っている人ならわかりますが、私たちはどうしても彼らとは本質的には理解することができません。なんとなくわかっても、彼らの脳は人間でいえば永遠の二歳児ですから、ご飯とか寝るとかそうしたことしかわかりません。こちらがどんなにペットのことを家族だ、親友だ、恋人だと思っていても、向こうはそうおもっているかどうかわかりません。そうした人間とペットとの壁を乗り越えた物語をつくることによって、それを読んだ人間は人間と他の生き物もわかり合うことができるのだということを疑似体験することができるのです。ただ、真緒=猫のラインはそれ自体が実は主人公の妄想ではないかという可能性も捨てきれないと私は言いました。この構図をいったん頭の外に置くと、わずかな時間しか一緒にいることができなかった恋人との短い恋愛の物語として読み解くこともできます。
 ペットもまた短い期間しか一緒にいることができなかった恋人のような存在であることのは間違いありませんが、たとえ相手が人間であっても、死別とまではいかなくても、何らかの形で一緒にいることができなかった恋人はたくさんいます。
 愛し合っていた相手との別れは辛いものです。それが大嫌いになって別れたというような失恋程度ならまだ立ち直ることはできますが、世の中には愛しているのに別れなければならないこともあるのです。そうした大切な人との短い想いでは、別離があったからといって失われるものでもなく、むしろ大切にすべきものであるとこの小説は象徴的にあらわしているように私は思います。『素敵じゃないか』という音楽は、どんなに短い期間でも、別れがあったとしても、二人でいた時間は素敵じゃないかと言っているように思えます。
 

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異類婚姻譚 

>しかし、ここで傾向として気づける点は、大抵女性側が人間でないもので、男性は人間であることが多い点です。
と書かれていますが、異類婿も多いですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%B0%E9%A1%9E%E5%A9%9A%E5%A7%BB%E8%AD%9A

ギリシャ神話でも、牡牛と王女の異類婚から生まれたミノタウロス、白鳥(ゼウス)とレダなど。
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