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現代を読み解く女性文学 原田マハ『カフーを待ちわびて』試論 感想とレビュー 突然やってくる外界からの来訪者、主人公はいかにして自分の殻から出ていくのか

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-初めに-
 現代文学を読み解くうえでは女性の文学を無視することは決してできることではなくなりました。明治時代の男性主権的な文壇の状況は、かつては文豪と呼ばれた知識人たちがその座を占有していた時代から、戦後文学へと移行し、平成に入ってからは、女性作家が文学の中心を担うようになりました。今しばらく、女性文学を中心に論じて来ました。有川浩、桜庭一樹、三浦しをん、柳美里、小野不由美、宮部みゆき、辻村深月、綿矢りさ、などなど数を挙げればきりがありません。そのなかでも、特筆すべきは今現代最も売れに売れている作家としてのキャリアはもちろん、その華々しい経歴も魅力的な作家、原田マハでしょう。
 2012年に発表された『楽園のカンヴァス』は新潮社からの出版ということもあり、同社が主催している第25回山本周五郎賞を受賞。文學畑の人間は略して山周賞というのですが、この時に争ったのが同じく勢いのある辻村深月の『オーダーメイド殺人クラブ』でした。この戦いは原田マハが勝利しましたが、同年行われた第147回直木三十五賞、芥川賞と直木賞と略される直木賞のことですが、ここでは、原田マハの『楽園のカンヴァス』は同じく辻村深月の『鍵のない夢を見る』と拮抗。最後にこの二つの作品が残ったのですが、惜しくも『楽園のカンヴァス』が敗れました。昨年は特にこの二人が熱烈な勝負をしているのを興奮しながら見守った記憶があります。どうも山周賞をとってしまうと、直木賞をとりにくくなるというような側面もあるようですが、それは大人の事情というものでしょうか、私にはわかりません。とにかく、こうした戦いを魅せてくれた作家原田マハとはどういう作家なのか、今回はそのデビュー作となった『カフーを待ちわびて』を論じます。

-作品構造分析-
 『カフーを待ちわびて』。『楽園のカンヴァス』を読んでから挑んだ作品でしたので、カフーという言葉は誰か外国人の名前かなにかと思っていました。しかし、最初のページにも記されているように、カフーとは【果報】与那喜島の方言。いい報せ。幸せ。という意味です。
 三人称主人公視点で描かれる作品です。主人公は友寄明青。35歳にもなって、まだ一人寂しく暮らしている男性が主人公です。この友寄は、生まれたときから指がくっついて、右手は四本しか指がありません。彼はその手を不細工な手だと考え、そのこともあって女性に対して奥手になってしまっています。この手が女性を怖がらせないか、女性をこの手で触ったら嫌がられないか、というように苦心しています。ある意味これは、この手によって女性から怖がられたり嫌がられたりして傷つくのを防ぐために自分からは女性に近寄れないということにもなっていると私は思います。
 そんな明青は、一匹の黒いラブラドール犬のカフーと隣に住むユタであるおばあと三人で静かに暮らしていました。このおばあとは血縁関係はないのですが、血縁関係以上に深い関係があるのがこの作品からは伝わってきます。それは一つの島という閉塞された空間のなかで、さらに隣同士ということがあり、小さいころから面倒を見てもらっていたために生まれた関係です。明青の祖母は7年前に亡くなっています。明青の父は出稼ぎで漁に行って事故死、弟の死産のあと、母親もふいにいなくなってしまいます。その後祖母もなくなって、明青の血縁関係者は誰もいません。明青はそうした大切なものを失い続ける人生でした。島からはほとんど出たことがなく、本島に行ったことが初の遠出になるくらいの非常に小さな活動範囲の中で過ごしてきた人物です。
家族が無くなる度にそれを予言してきたおばあ。おばあは何の悪気もなく、ただ事実を伝えるだけですから、それを理解している明青も、そうした一般的に考えれば不幸しか予言してこなかったおばあに対しては寛容です。そのおばあが突然いい報せ、果報(カフー)がつげられたという部分から物語は始まります。
そうして突然送られてきた一通の青白い封筒。明青には手紙をもらうような人間は一人もいませんでした。その内容は、遠久島の飛泡神社という場所に行った際に絵馬に「嫁に来ないか」とウケ狙いで書いたものに対する手紙でした。まったく見ず知らずの女性、手紙には幸と書かれていた人間から突然、絵馬を見ました。お嫁さんにしてくださいという内容のものが送られてくるのです。冗談だと思って一喜一憂した後に、間をあけずしてその幸という女性は明青の前に現れます。

こうした「ある日少女が(この作品に限っては少女ではありませんが)」という物語の話型を、私は「かぐや姫型物語」と勝手に命名しています。こうした傾向の作品には、例えば『天空の城ラピュタ』や『とある魔術の禁書目録』のような作品にも見られます。文学用語を用いれば異界訪問譚としても考えることができます。外界、異質な世界からの来訪者が主人公と出会う。そこから物語が始まるわけです。
こうした突然やってくる少女は、大抵謎を秘めているのですが、反対から考えれば、あるコミュニティーを追放ないし、それに近い形で出て行かざるを得なくなったという過去を持っているわけですから、秘密があるのはある意味では当然です。逆にやってきた少女が全然謎を持っていなかったらそっちのほうが謎になります。どうして来たのということになりかねませんから。
この小説に登場する幸という女性も、謎が多い人物として描かれます。しかし、大切なものを失いつづける人生で、初めて手に入った幸福に対して、明青はその幸福を失いたくないという思いから謎解きはしません。大抵こうした物語は、謎を解明した時点で、鶴の恩返しと同じくその場にも居ることが許されなくなることになりますが。しかし、その幸という謎の女性がやってくるのと前後して、リゾート開発を手掛ける俊一という男が島に戻ってきます。この俊一という男は、明青の同級生で、クラスでは常にもてた人間です。その俊一が島を生き返らせて見せると息巻いて戻ってきます。俊一の口車に乗せられて、島民のほとんどは俊一がいう事を信じますが、唯一おばあと、明青だけは、自分の場所から離れたくないと拒み続けます。次第に島民さえもがおばあと明青のことを疎ましく思うようになってくる部分は、閉塞された空間においていじめの対象が次第に明確になっていくプロセスにもにて、この島全体が一つのクラスというようにも考えることが可能だと思いました。もちろん俊一はクラスでは常に皆の脚光を浴びている中心人物です。


-殻からいかにして外界へと出ていくのか-
 原田マハの作品を分類するのは非常に難しいのですが、エンターテイメントでありながら、恋愛を描いた純文学作品に近い感じもします。大衆性があるというのが原田文学の強みです。『カフーを待ちわびて』は彼女のデビュー作となりましたが、代表作となった昨年の『楽園のカンヴァス』にも色濃く出ているミステリの要素が途中から強まってきます。
 俊一は明青が立ち退きを拒否して自分のプロジェクトの邪魔になることを予測していたために、とても同じ幼少期をともに過ごした人間とは思えないほどの卑劣な行為に及びます。明青は、もしかしたら自分を籠絡するために女性を差し向けた可能性に気づき、どうしても謎であった幸が自分のところへ来たことへの理由づけとして、俊一の策略と幸とを結びつけます。俊一の女として自分をだますためにやってきたのだと思い込んだ明青は、厳しく幸にあたり、彼女を追いだしてしまいます。しかし、すべてのことが終わった後で、俊一が差し向けたことは確かですが、実はその女性は金を持って逃亡しており、明青にやってきてはいなかったということが判明します。では幸はなんだったのかというと、本島に絵馬を頼ってやってきた女性だったということになるのですが、そこは物語として少し出来すぎな感じもします。ただ、その欠点を見事に凌駕するほど、この小説は年をとっても青春さを失わないさわやかなあどけなさや、人が人を信じるということの重要性などが表出していますので、小説としては決して失敗しているわけではありません。
 私が指摘したいのは、この小説が一人の人間がいかにして殻から出るかという問題だと思います。そうした点では、デビュー作ということもあり、綿矢りさの『インストール』との類似点が挙げられると思います。『インストール』は目に見える形で押入れという暗所、閉所に閉じこもり、そこから世界との関係の結び方を変更することに成功した物語です。このテクストは、一つの島、とても閉塞された空間、関係のなかですべてを失った人間が、そこから出ていくという物語です。やはり殻にこもっていた状態から、外へ働きかけるという方向性に変化したという一人の人間の成長が描かれていると私は感じます。
 
 タイトルにもある「待ちわびる」という言葉ですが、この小説では、しばしば犬のカフーが待ちわび顔をしているという描写があります。カフーはいつも主人を待っているのです。そのカフーの待ちわびるという姿勢は、主人である明青のことを象徴的にあらわしていると思います。明青は家族を全員なくしていますが、唯一母だけは生きている可能性があります。出て行って帰ってこない母がいつ帰ってくるか、母の帰宅を待ちわびているのです。母の欠如という意味では、自分の島、自分の家に閉じこもっているという引きこもる性質は、胎内回帰願望としても考えることが出来ます。自分の帰るべき場所、母親の胎内という場所へもどりたいという欲求が、母不在のため満たされず、自分の場所にひきこもりつづけることで疑似的に自分を胎内にいると感じさせている構造になると思います。『インストール』が外界とのかかわりを見直すツールとしてインターネットを登場させたのに対して、このテクストでは幸が外界との関係の結びつきの手掛かりになります。
 幸が外界からやってきた謎の存在です。その存在が「待ちわびていた」明青のもとへやってきたわけです。明青の世界にやってきた外界という意味が幸にはあります。明青の世界でその外界の象徴である幸と交流することによって、ただ自分の殻に籠ってひたすら待ち続けるという消極的な姿勢から、外界に働きかけていくという積極性に変質したことが、このテクストの最も重要な部分であると私は思います。

-終わりに-
 通常人間は年を取ればとるほど外界に働きかけていく力というものは弱まっていくのではないでしょうか。作家レベルで話をすれば、原田マハは非常に精力的な、時には多少力溢れすぎるほどのバイタリティーにあふれた人間です。少なくとも彼女の経歴を見る限りでは、どんどん押していくような人物に見えます。この小説を読んで思うことは、人間はいくつになっても、たとえそれまで自分の世界に自閉していた人間でも外へ働きかけてもいいのだということを教えてくれているような気がします。
 また、待つということですが、待つということは待たれる人間がいるから成立することです。一人の人間では成り立たない関係性です。この小説では幸を追い出してしまってから、幸は二度と登場しません。そこには一抹の悲しさを感じますが、これから探しに行くというところで小説は終わっています。もしかしたら、消えてしまいそうな存在だったので、これから見つからないかもしれないという可能性も捨てきれません。ハッピーともバッドとも言い難い結末ですが、きっと幸は明青のことを待ちわびているのだろうと考え、読者としては明青が幸を探し出すことを願ってやみません。
 この小説はそうした、誰かを待っている、あるいは待たれているという関係、自分のことを待っていてくれるひとがいるという関係性を重視した作品です。現在、コミュニケーションツールが横行し、ありとあらゆる関係性がちらばっている時代ですが、そのなかで最も根源的なもの、自分を待っている人がいることの大切さを感じさせられる作品です。

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