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綿矢りさ『夢を与える』試論 感想とレビュー 綿矢文学の特異点としての側面から綿矢文学を読み解く

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-初めに-
 『インストール』『蹴りたい背中』に続いた綿矢りさ三作目となった『夢を与える』は、今までの一人称小説の形式から変わり、三人称で描かれています。作品形態が大きく変化しているということもあり、綿矢文学を語るうえでは決して外すことのできない重要な作品です。今回はこの作品から綿矢文学を読み解いていこうと思います。

-綿矢文学の三角関係は幹子が負う-
 作者初の三人称小説ということもあり、その形態に慣れるのにかなり苦労したであろうことが察せられます。綿矢文学を読み解く指標としては三角関係があります。この小説にも三角関係が登場しますが、それは最初の夕子の母幹子の物語です。
 フランスと日本のハーフで、主人公夕子の父親である冬馬。この冬馬をどうやって獲得するのかという幹子の戦いからこの小説は始まります。綿矢りさのそのほかの作品を観ると、この三角関係こそ彼女が書きたがっているものだというのがわかりますから、『夢を与える』時点においてもやはりこちらの方が活き活きと描写されています。途中で主人公が幹子から夕子に変わる部分に違和感があるのは、書き手がこちらの幹子の方を描くのに入り込みすぎたからだと考えられます。ここは作家の未熟な部分と考えてもいいと私は思います。
 幹子がフランス人のハーフである冬馬を、フランス人で日本語の講師をしている女性と取り合うというのは、その後の『かわいそうだね?』に引き継がれる構図となっています。この小説のあとに『かわいそうだね?』を執筆していることからも、やはり綿矢文学においてはこの三角関係がテーマだということがわかります。
 
 やむなく主人公が夕子に引き継がれます。夕子は今までの綿矢文学には登場しない少女として存在します。綿矢文学の女性像はどこか攻撃性を持っていて、困窮した際にはちょっと常人では理解しがたい行動をとる、いわゆるいたい人として登場します。しかし、この夕子は、自分の母幹子がそのような性質を請け負っているためか、とても素直な少女として登場します。『インストール』の少女から、攻撃性を取り除いたような感じの少女です。この少女が成長していく様を、作中のチーズのCMのように、私たち読者は見ていくのです。衆人環視の中で成長する人間がどのような感覚であるのか、これが活き活きと描かれるのは、やはり作家である綿矢りさ自信が、17歳のデビューと同時にそうした生活を送ってきたからでしょう。
 また『夢を与える』というこちらから一方的に向かう方向性も、綿矢文学における攻撃性を考えるうえで重要なものだと私は思います。夢というのは本来貰ったと感じたとしても、与える側からしたらそんな意識はありません。アイドルやタレントから私たちが夢をもらったと感じることはあっても、本人たちは自分が誰かに与えたとは思っていないでしょう。ある意味では傲慢になるかもしれませんが、この夕子は夢を与えるという立場に立った数少ない人間として描かれます。幹子によって綿矢文学の攻撃性を奪われた夕子は、夢を与えるという攻撃にもにた方向性を有しています。
 ただ、夕子がそのような方向性を持っていても、受け取る側は今回それを拒否することになります。『蹴りたい背中』にしろ『ひらいて』にしろ、攻撃性の対象となるのは常に男でした。今回の作品でも、幹子は冬馬に対してかなり強くあたっています。これが綿矢文学の本質だと私は感じていますが、夕子にはその攻撃性を向ける相手がいないのです。物語後半から登場し、夕子をスキャンダルで貶める原因となったダンサーの正晃は、今までちやほやされて育てられてきた牙のない夕子からの攻撃を拒否するのです。ですから、夕子の攻撃性は今回正晃に拒否されるという初めての構図が浮かび上がります。これは象徴的に、夕子が与える夢を作中では登場もしない多くのファンが、現実レベルでは私たち読者が拒否するという構図を現していると私は思います。

-相互補完する幹子と夕子-
 この作品は今までの綿矢文学に登場する女性と共通する幹子の方が活き活きと描かれます。夕子が主人公となってからも幹子の存在感は偉大です。しかし、その幹子の生き方の限界を作者が悟ったためか、幹子を登場させることによって、今までの綿矢文学の攻撃性を幹子に負わせることによって、他の生き方を模索しているとも考えられます。夕子はまさしく、幹子の他の生き方と考えられることが出来るのです。それは、作家レベルで話をすれば、綿矢りさ自身の二面性ともいえるでしょう。
 ですから、この作品は幹子だけでも、夕子だけでも成立しないのです。二人がお互いに補完しあって成立しているという状況です。幹子一人では、冬馬をどうやって奪うかという話だけで終わってしましますし、夕子だけではまず芸能界には入れないでしょう。幹子と夕子は正反対の人間ですが、お互いの存在によって成り立っています。これは綿矢りさの内面にあるジレンマや葛藤とも考えることが出来ると私は思います。
 
 たった一つの恋によって、失墜していく様は多少強引とも感じられますが、ここでは丁度夕子が幹子からの脱却を図ろうとしている時期と重なります。二人で一人であった片方の人間からの脱却を図ろうとしているのですから、それはすなわち死を意味します。最後に病室で二人の親子がいる場面は、再びこの二人が一人になるということを象徴的にあらわしていると私は思いますが、そうすると、少女夕子の自我同一性はどこにあるのかという問題になります。おそらく母幹子からの脱却は、作家の二面性ということを考えてもできないでしょう。夕子は母から脱却できない存在として登場しているのです。一人になろうとして、失敗し死にそうになった彼女ですが、母と再び一つになることによって、死にながら生きるといった壮絶な状況になります。それが最後のやせ細って眼光だけがするどくなった夕子の姿です。
 夕子にとっての自我同一性は母と再び芸能界に殴り込みに行くということになりますから、ここで同一性が画一されます。だからここで物語が終わり、それまで夕子視点で書いていた語り手が突然夕子を離れて記者について行ってしまうのです。夕子の物語はここでおしまいということになります。

-終わりに-
 綿矢文学の指標の一つにラストの描き方があります。『ひらいて』ではオープンエンディングと言われるように、作品がひらいていくような感覚を与えました。この作品では、語り手が自己同一化を確立した少女から離れて行ってしまうという構図になります。この親子二人はこれからきっと芸能界に必死に抵抗なり、攻撃なりをしていくことでしょうが、その成果はおそらくないでしょう。しかし、それでも攻撃せざるを得ないというあまり良い未来は予想できません。記者たちがあの子はもう終わりだというのはまさしくその通りなのです。しかし、そのラストを描かずに、記者が離れると同時に逃げて行ってしまう語り手は、使うだけ使っておいて用が済んだら捨ててしまうという、芸能界そのものをも象徴的にあらわした視点になっている点が、この作品全体を通して今の芸能界に対する強い批判となっていると私は思います。
 この小説のテーマである、チャイルドモデルもまた、現代のアイドルへ対する批判と読み解くこともできます。この作品は綿矢りさ自身が経験したであろう苦労や悲運などを彷彿させる彼女の自伝的小説としての側面もあるのではないでしょうか。

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はじめまして。

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トップページ
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よろしくお願い致します。

Re: はじめまして。

私のブログを発見してくださってありがとうございます。
「読書ログ」を拝見させていただきました。レビューを書かせていただけるとのこと、喜んで引き受けさせていただきたいと思います。
具体的に私が何をしたらよいのか、連絡をお願いします。

Re: はじめまして。

石野幽玄さま

ご返信ありがとうございます。
当サイトを見ていただいたのですね、ありがとうございます。
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読書ログの使い方は以下のページにありますので、ご参照ください。
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石野幽玄さんのレビュー楽しみにしております。
今後ともよろしくお願い致します。
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