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映画『NINE』試論 感想とレビュー 破滅型ヒーローを巡る女性と胎内回帰の物語

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-初めに-
 『レ・ミゼラブル』が大ヒットして注目を浴びている「ミュージカル映画」というジャンル。この映画のジャンルが今後どうなるのか、注目しておく必要があると思います。
 『RENT/レント』『ドリームガールズ』『ヘアスプレー』『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』『マンマ・ミーア!』『ロック・オブ・エイジズ』『ドリームガールズ』『ヘアスプレー』例を挙げればいくらでもあります。ミュージカル映画が突然登場人物が歌い出すという点で不自然さを解消できていないという欠点はいまだ残りますが、それでも今回の『レ・ミゼラブル』によって多くのひとびとがミュージカル映画の新たな側面を見つけたことでしょう。それはなにより見ていて楽しいということです。中には悲しいという感情も勿論ありますが、歌が入るとやっぱりどこか違います。思えば音楽がこれだけ発達し、残っているのは、やはり音に対して人間が感情移入しやすくなるからなのでしょう。音を楽しめる動物というのはそういません。高度な音階の認識力によって、言葉では言い表せない感情や思いが音には込められるのです。
 そうして、また映画というメディアの可能性も広がりました。映画は総合芸術と呼ばれるオペラにも勝るとも劣らないメディアです。ミュージカルの要素も取り込んだ今、映画の可能性を考える必要があります。

-7人の女性を巡る物語-
 『NINE』は大ヒット作『シカゴ』を撮ったロブ・マーシャルによる三作目の作品です。この映画はなによりも映画の魅力の一つである鮮やかさというものを全面に出したものではないでしょうか。豪華さ、絢爛さ、艶やかさ、鮮やかさ、このような要素がたっぷりと詰まったエンターテイメントです。しかし、描かれている内容も以外と深いと私は思います。
 公式映画サイトでは、こんなに流していいのと思われるくらい、映画で使用された楽曲を垂れ流しています。http://nine-9.jp/home.html

 一体何が「ナイン/9」なのか、よくわからないのですが、一応説明としてはこの映画の主人公であるグイド・コンティニというスランプに陥った名監督の9つめの作品を撮るということだと書かれていますが、そこだけがよくわかりません。この表題の9という意味が何か意味性を持つのか私にはわかりませんでした。9人の女性をめぐる物語であれば一目瞭然でしたが女性は7人しか出てこないので、やはり何が9なのかよくわかりません。

 話は簡単です。スランプに陥ったマエストロと呼ばれるほどの大巨匠が7人の女性を巡るドタバタの恋愛映画と言ったところでしょうか。マリオン・コティヤール演じるグイドの妻にして女優のルイザ。ペネロペ・クルス演じるグイドの愛人にして夫を持っているというW不倫をしているカルラ。肉体関係はないものの、母のような存在でもあり、今までの仕事のパートナーであり、最大の理解者のリリー。これはジュディ・デンチが演じています。ファッション記者としてインタビューした先でちょっとした恋に陥るケイト・ハドソン演じるステファニー。グイドの映画の花形女優であるニコール・キッドマン演じるクラウディア。グイドの母にして、一人の女を愛することを息子に教えたソフィア・ローレン演じるマンマ。グイドが子供のころの男心で恋をしたステイシー・ファーガソン演じる娼婦のサラギーナ。この7人の女性が、スランプに陥った監督グイドの前に、現実レベルでも、回想や追想レベルでも次々に姿を現していく映画です。
 どうしてこれだけ仕事で成功してきた名だたる女優として設定されている女性たちが、一様にこのグイドにひかれてしまうのか謎ですが、スランプに陥る前は非凡な才能の天才映画監督だったグイドは確かにかっこいいのかもしれません。しかし、その才能に魅せられて彼を愛した女性たちですが、グイド自信が真摯に向き合わなかったために、全部がだめになってしまいます。
 行き当たりばったりで女性と恋をしていたグイドは、ある意味では恋愛の根無し草なのです。そんな中突然映画が書けなくなってしまったために、グイドは逃亡先のホテルで妻ルイザを呼び寄せて慰めてもらおうとするものの、妻ルイザが来る前にプロデューサーがスタジオごと彼を追いかけてやってきてしまったというハチャメチャな展開。
 愛人や今まで映画を一緒に作り上げて来た女優達、リリーという最高の仕事のパートナー、今の自分を形成したかつての記憶にあるサラギーナや自分の母の記憶を集めてもどうしても映画が書けない。あっちにもこっちにも手を出して結局はすべてだめにするという最悪のパターンを演じます。

-胎内回帰の物語-
 結局この映画では、7人の女性がそれぞれ登場してグイドに何等かの気持ちを伝えるためにそれぞれのミュージカルがあるのですが、グイドは映画を完成させられません。二年の空白を経た後に、やっと一つの大事なことに気が付いて映画を再開するという部分で終わるのです。
 どうしてこのように女性に対して手が出てしまうのでしょうか。ある意味では太宰治の書いた『人間失格』と同じようにも感じられます。これだけ女性に手を出し続けるということは、誰か一人の女性が必要なのではなくて女性性というものに対して何かを求めていると考えた方がいいでしょう。つまりグイドは自分の亡き母に対してずっと何か思うところがある。胎内回帰願望があるのだと私は思います。しかし、自分の才能に魅せられて関係を結んだ女性は、グイドの母たる存在になることが出来ませんでした。だから、リリーが最後に彼のところに訪れたことによって、自分が必要だったのはリリーの母性性で、胎内回帰願望が満たされるわけです。そうして一度満たされたことによって次なる自分の目標ができ、それは自分の妻との関係の修復になるのです。だから、最後に妻との関係をやり直すという映画を作ることになります。一人の男として一人の妻を愛するという関係性の構築に戻っていくのです。
 グイドの母マンマは、自分の夫に愛人がいることによってグイドへの母なる愛情よりも、妻としての女性性の方が強かったのかもしれません。ですから、荘厳とも呼べるほどのすごい登場を最後にもしますし、グイドの母としての役割をあまり果たせなかったのかもしれません。母に甘えたいという欲求を満たされないために、グイドは砂丘の娼婦のサラギーナの元に行くのです。そこで母性に満たされないまま男性として目覚めてしまう。だからいつまでたっても女性に母親像を求めるものの、才能に魅せられてよってきた女性とはそのような関係性を構築できないため、結果として多くの女性と関係してしまうのです。
 リリーも、仕事仲間として働いていた時には、グイドに対して母としての役割ではなく、あくまでパートナーとしてしか接していません。ですから、グイドは結局破れかぶれになって2年休むのです。

-終わりに-
 完全なる破滅型ヒーローとしてグイドは描かれます。最初からマンマの言う通り一人の女性、すなわち妻ルイザを愛せばいいと思われるかもしれませんが、上で述べたように胎内回帰をしてからでないとだめだったので結果としてあのような形になってしまいました。
 モテていたはずの男が才能と女を一気になくしていくという喪失を描く映画のために、私たちは引き込まれます。これが反対でどんどんモテていったり、成功していったりする映画だと嫉妬して感情移入できないでしょう。無くしていくヒーローとそれを取り巻く華やかな女性との対比が鮮やかです。最後は人間性の回復とでも呼べるような、人間として自立した大人になることによって自己同一性が確立されています。
 ミュージカル映画の中でも『シカゴ』と並び、特に派手な部分を集めたものです。これからのミュージカル映画を考える一つの指標となるでしょう。

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