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綿矢りさ『蹴りたい背中』試論 感想とレビュー 弱者の文学から攻撃性と攻撃誘発性

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-はじめに-
2001年の華々しい文学界デビューから3年。2004年に発表した今作『蹴りたい背中』で綿矢りさは芥川賞を史上最年少で受賞します。同時受賞となった金原ひとみの『蛇とピアス』とともに、日本の純文学会が若手の力で最ももりあがった時代といえるでしょう。
私はこの作品が綿矢文学の最高傑作であると思っています。それ以降の作品が、残念なことに作家レベルで質が落ちてきていると思われるからです。しかし、このように批判するのも、綿矢りさがまだ若く、作家としての力をさらに伸ばすことができると信じてのことです。

-綿矢文学の記号性-
「さびしさは鳴る」から始まるこの作品は、特に冒頭の数ページがすばらしいとの賞賛を受けています。私はそこまで感銘をうけはしませんでした。ですから私はマジョリティーの意見とは異なる感想を持ちました。さびしさは鳴るとは、あまりに文学的であるとも言えます。これは記号性の問題になると私は思います。
さびしさという言葉が、私たちが通常用いる用法とは異なった使われ方をしている。それは純文学でしか出来ない芸当です。これを翻訳することは出来ないでしょう。おそらく翻訳したとして外人が理解できるはずもありません。
綿矢文学の一つの大きな特色は、このように、記号が持っている意味を、ぶちこわしていくことにあるのです。そのぶちこわしかたは、宮沢賢治に似ていると私は思います。最も日本文学者のなかでオノマトペの使用に長けていたのは、間違いなく宮沢賢治だったでしょう。詳しくは宮沢賢治のオノマトペを研究した本がありますからそれを読んでいただきたいのですが、彼は人には想像できなかったオノマトペを使用しました。しかし、これは実はオノマトペを最初から作り出したのではなくて、今まで用いられていたものを再構築しただけだったのです。
太宰治も最もパロディのうまかった作家として位置づけられます。彼は、殆ど今で言ったら盗用、盗作、コピペといわれても仕方のないようなものを書いています。しかし、ほんのちょっと太宰がいじるだけで、立派な文学性を持つことになるのです。
太宰の文学性を否定する研究者もいます。やはりそのまま写しているだけだから創作性を認められないということです。しかし、現在では一般に、作家が独自の記号そのものを創作することはできないのだから、再構築した太宰は、そこに創作性があるとして認められています。
綿矢りさは、このような再構築に長けた作家であると私は思います。この通常とは異なった言葉の用い方が、当時の人々の感性を刺激したのでしょう。ただ、記号性を重んじている私としては、読みづらいというのはあります。さびしさが鳴ると聴いて、意味が理解できるかと言われたら、なんとなくはわからないでもないですが、咄嗟には理解できない。私はこの冒頭は特に何が書いてあるのかわかりませんでした。
しかし、言葉の芸術として考えた際には、やはりこれほど美しく言葉を紡ぎだすことは誰にもできないとも感じられます。綿矢文学の文学性を求めるとしたら、この記号性の問題があると私は思います。

-弱者の文学-
綿矢文学の全てに反映されているエッセンスがこの作品には濃縮してあります。ですから、このエッセンスを読み解くことが綿矢文学を読み解くことにもなると私は思います。
先ずは、「いたい子」としての文学。綿矢文学は、なぜか主人公や登場人物が「いたい」。この「いたい」というのは、俗な表現のようなもので、物理的に痛いのではなくて、説明がとても難しいのですが、精神的に見ていてこちらが辛くなるというような感じのことを言います。この作品の主人公長谷川初実とにな川は、クラスから除外されてしまった人物です。この作品は、そうした面で見ると、朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』のように、教室のヒエラルキーの敗北者たちに視点を当てた文学であるとも読み解くことができると思います。
強者の論理はもう終わったのです。作家が特に描いてきたのは常に発言することを抑圧されてきた弱者のことです。弱者の言葉を代弁することが作家の一つの大きな役割でした。00年代に入ってから、特にその弱者が若者のなかに存在していたことに、多くの作家が気が付いたということだと私は思います。
これが、綿矢文学で描かれる登場人物が、一般社会ではマイノリティーとされている弱者の言になっているのです。これは私の論ですが、綿矢文学を論じるうえでもう一つ考えたいのは、ルネ・ジラールの提唱した『欲望の三角関係』です。
ルネ・ジラールは今まで三角関係を扱った作品を新たな枠組みで捉えなおすという偉業を成し遂げました。ジラールは「欲望する主体と欲望される対象の間に、主体にそれを指し示して欲望させる、媒体となる第三者の存在」を発見しました。これがメディエーター(媒介者)です。つまり、主体と対象の間に、媒介者があるという指摘です。夏目漱石の『こころ』もKがメディエーターであったと読めることが出来ますが、今までの作品同様、「私」と「あの人」の関係のライバルとしてのメディエーターが登場しているだけでした。綿矢文学は弱者の言の代弁であると言ったように、ここでも、メディエーターとして片付けられてしまう、通常は恋が成就しない人間が主人公になっているということができないでしょうか。だから、綿矢文学で三角関係を描いた作品は、ことごとく主人公が破局するということになるのです。

-攻撃性と攻撃誘発性-
弱者を描いた作品ですが、その弱者たる主人公初実とにな川の間にも上下関係があります。自分がクラスののけ者であることを認識している二人ですが、そのなかでも初実は自分のさらに下ににな川を位置づけようとしているのが、この少女のモチベートであると私は感じます。これが不思議なタイトルである『蹴りたい背中』に繋がってくるのです。
この少女もまた、綿矢文学に登場するほかの多くの少女と同様、エネルギーの有り余った少女です。突発的な情動が起こるのがこれらの少女の共通した特徴です。
この初実に関しては、そのエネルギーの発散される対象はにな川に向けられます。にな川は、悪く言えば確かにアイドルオタクで引きこもっていて一般人が見ても気持ち悪がるような男ですが、もちろん彼に罪はありません。しかし、初実は、彼の部屋まで入れてもらって、突然彼に暴力行為をしたくなる衝動に駆られるのです。
ここから、先ずひとつ少女の突発的な情動の攻撃性が窺えます。これは先ほども述べました。しかし、それと同時に、少年の側から見ると、少年にはヴァルネラヴィリティー(攻撃誘導性)という珍しい性質が備わっているとも考えられます。これが綿矢文学の男性の持つ性質なのです。これは『ひらいて』で特に顕著になり、私は綿矢文学がその出発点に帰ってきたのだと考えています。
突然接吻したりというのは、最も少女の攻撃性と、少年の攻撃誘発性が引き起こした行為の大きなものでしょう。しかし、綿矢文学を読み解くもう一つの視点、関係性から見ると、この少女はにな川を自分の方へ振り向かせたかったのだとも考えられます。にな川は、宗教的な崇拝に近い感覚でオリちゃんというアイドルの熱狂的なファンでした。そんなオリちゃんに思いを寄せるにな川を見て、初実はどうしても暴力の衝動が出てくるのです。それはつまり、最終的な行為であり、また根源的な行為でもある暴力によって、にな川をオリちゃんから引き離して自分に振り向かせようという行為なのだろうと私は思います。
この物語は、最後ベランダで二人の会話の場面で終わります。特にとりとめのない終わり方なので、多少このエンディングがハッピーなのかどうか不明な点がのこりますが、関係性から読み解くと、オリちゃんへの気持ちが遠のいて、初実に向けられ始めたと考えることができます。そうすると、これは関係性が新しく変動したということになりますから、一応初実の願望は叶えられつつあるというエンディングになっているのです。

-終りに-
この作品は、夏という限定された季節、さらに主人公たちが場所を移動しているとは言え、どうしても閉塞感を感じます。それは、おそらく描かれる場所が、教室、にな川の部屋、ライブ会場と、どれも閉塞された空間だからです。暑い夏に、このような場所にいたらどのように感じるか、暑苦しくてかなり辛い状態だと思います。この作品は、こうした意味でも全体的に引きこもる文学であると言うことができるのではないでしょうか。
この「引きこもる」意味について、綿矢文学は、これから社会に出たOLとして「引きこもる」ことをやめてしまいます。しかし、それはやはり綿矢文学から離れてしまったことなので、読者には受け入れられないことがあるでしょう。ただ、だからといってまた引きこもればいいのかということにもなりません。新たな空間を、作家が見つける必要があるのかも知れません。

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