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綿矢りさ『インストール』への試論 感想とレビュー 母体回帰小説として

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-はじめに-
平成の文学を研究する上で、最も若い純文学の女性作家、綿矢りさは決してはずせない存在であると私は思います。作家という稀有な存在のなかでも、最も若い人間が、一体今何を見て、考え、それを書いているのかという問題があると思うのです。『インストール』を17歳で執筆し、一躍有名となった綿矢りさの、処女作品から作品順に綿矢文学を読み解いてみたいと思います。

-インストールされる少女・おしいれから新たな関係性の構築-
2001年に『インストール』でデビューした綿矢りさ。2001年といえば、もう10年以上も経過してしまいました。2001年では、まだコンピュータがそこまで普及している時代ではなかったと記憶しています。学校には、もうPCルームが作られていたとは思いますが、今のような携帯型のタブレットはなく、専ら今で言うガラケーが主流の時代でした。そうした時代に、時代の最先端を行くかのように表れた『インストール』。ここで問題となっているのは、やはり「わかさ」だと私は思います。
「若さ」を持て余した主人公の朝子は、そのエネルギーをどこに向けるのか、これがこの作品の主題となっているのです。若さというのは、最先端というイメージをも連想させます。しかし、この作品で登場するパソコンは最初ポンコツとして描かれるのです。それは丁度朝子と同じ。最先端であるはずの、朝子。つまりこれは高校生であることの若さのイメージ。しかし、変にいじくったためにポンコツになってしまったパソコンと、若さを持て余した朝子が見事に一致する造形となっていると私は思います。

この若さを持て余してしまった存在、ポンコツをどうしたらよいのか。この作品で、この少女を更新するのはさらに若い小学生の少年かずよしです。かずよしは、非常に不思議な存在として登場します。家族、特に母親の描写はありますが、ほとんど生活感の感じられない描写になっていると私は思います。ですから、ある意味外界から来た来訪者としての位置づけがされているとも言えるのではないでしょうか。
かずよしは、ただでさえ若いけれども、その若さを持て余してしまった少女を更新、インストールする役割を負うのです。この少女が若さを持て余してしまった原因は、大学受験という存在。自分の力を外界からの欲求に合わせることが、ふと正しいことなのか疑問に思ったことによって、この少女は力をそこに使うことをやめてしまったのだろうと思います。だから、外界からの自分を切り離して孤独になってしまった存在なのです。
この少女は、その社会との関係をどうするのかという問題に、かずよしの力を得て、母体回帰をしているのだと私は考えます。母体回帰は全ての存在が望んでいる一つの願望だといわれますが、時間と空間を超え、母親の胎内に戻ることがこの上なく幸せな世界であるのは納得のいく話です。
この小説では、朝子の母親の造形が実に母親らしくなく描かれています。ですから、ここには根本的に母親の不在が横たわっているのです。それが母胎回帰にも繋がっていると思われるのですが、ここでは直接自分の母親に向かうよりか、かずよしという外界からの来訪者の力を得て、おしいれの中に入り込みます。
これは村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の井戸に篭る、引きこもり文学との共通性も感じられます。ここでは擬似化された胎内、おしいれに篭ることによって、一旦彼女は原点回帰するわけです。そうして、その母胎のなかで、彼女はパソコンというコミュニケーションツールを使用して、新たな関係性の構築を目指します。今までの関係性を破壊して、それから胎内に戻り、再び別の関係性を構築しなおすという作業をするのです。しかし、その胎内で構築した関係は、とても高校生や小学生が手を出すようなものではなく、大人の世界なのです。

暗闇のもつイメージが、エロティシズムと関連していると感じられます。胎内というのも、ある意味ではエロティックです。生命というのは、そもそもエロスそのものです。ですから、そうした意味でもおしいれの中で築き上げる関係性が非常にエロティックなものであるということは、理解できます。
しかし、彼女がこの小説の最後で選ぶ関係性は、この大人の関係でもありません。今までの関係でもなく、大人の関係でもない。大人の関係を構築してみたことによって、今まで一元的だった彼女の関係性が多様的になったと私は考えます。ですから、一元的で自意識のどん詰まりから抜け出せなかったのが、新しい世界、価値観に触れることによって脱却することが出来たという構図がこのテクストの構造だと思います。

-終りに-
綿矢りさの最初の作品から、その根底には関係性の問題が横たわっていると私は思います。それは、新潮文庫版で塀録されている『You can keep it.』にも見られます。綿矢りさの短編は非常に読みにくいと私は感じます。それは、おそらく主語が不明確になっているのと、綿矢文学の独自性でもある、言葉の使い方の問題だと思います。
この短編も非常に読みにくいと私は感じますが、これを関係性で読み解くことが出来ると思います。他人との関係をどうむすぶのか、これは社会的動物である人間にとって最も根源的な問いであります。この短編では、城島という男が、他者との関係を結ぶのに、何かものをプレゼントして、あげるものともらうものという簡単でわかりやすい構図を作ることを多様している部分から物語が展開します。ここでも、結局はそんな安易な「モノ」による関係性の構築の否定と、「イツワリ」への厳しい指摘がなされていると感じます。物語最後で、好きな女の子綾香に話のきっかけを作るためについた嘘がばれて、今までの関係性の構築がすべて否定されます。今までの関係が「モノ」による関係から、「モノ=イツワリ」という意味を持ち出します。それが、結局は彼の破滅を導き、そうして本音をこぼすというところから、新たな関係性が生まれるかもしれないという場面で物語りは終わります。
他者との関係という、もっとも根源的で、それでいてあまり普段意識されない問題に綿矢文学は試論をしているのだと私は思います。

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