夏目漱石 「それから」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その十四

sorekara (1)

代助なら満点の夫候補 (財産家の次男、三千代の財産を必要としない)
しかし「平衡を失った」=喜びではなく不安定
代助は平岡から三千代を奪われたのではありません。これは以前にも見ましたが、反対に尽力したのです。これは『こころ』とは反対の構図です。「恋愛よりも友情の優先」をしたと一見すると読めますが、実はこれは再現の昔で、違うということを認識しておく必要があります。
三千代は結婚を急がれていました。そうして、当時は水商売でない堅気の世界で女性が独りで生きていくことが難しい時代だったということを考慮しなければいけません。代助は、そんななか候補としては満点でした。次男ということは嫁姑の問題も少ないです。しかし、代助は結婚に重きを置いていて、渝わらぬ愛を誓えないと考えた時に、恐ろしくなって逃げ出したのです。

P80ℓ15「学校を出た時少々芸者買いをし過ぎて」
芸者買いは平岡と三千代の結婚の周旋を開始する前
本心を抑えた周旋の反動として芸者買いをしたのではない
漱石小説では珍しい芸者買いをする人物として代助は登場します。漱石は明治の人間としては珍しく、芸者などの世界とは関係の無い人間だったようです。ここで、注意して見たいのは、代助が急に芸者遊びに夢中になった時期です。恐らく無計画に兄にお金の工面をしてもらわなければならない程に芸者遊びをしたということは、誰の目からみても公然としていたのでしょう。当然それは三千代に目にも映るはずです。そうしてそれを行った時期が、学校を出た時、三千代との結婚が急がれていた時です。しかし、ここで注意しなければいけないのは、平岡のために周旋している際に本心を抑えたための反動ではないということです。
代助は三千代との結婚を考えた際に、恐ろしくなってびびってしまったと考えられます。ですから、その恐怖から逃げ出すための芸者買いであって、恐らく平岡が三千代のことを欲しいと言ったときには、奪われたというより寧ろ安心したと考えられます。
不変の(渝わらぬ)愛を誓えなければ結婚してはならない
自分には三千代に不変の愛を誓えない
結婚からの逃走としての芸者買
代助の行動を見て三千代は、代助三千代を「棄ててしまった」
自分には三千代に対して永遠の愛を誓えないと考えた代助は、露骨に公然と芸者買をし始めるのです。そうして、当時、身寄りがいなくなって今すぐにでも結婚しなければいけないという状況下ので、三千代が代助の行動を目にすれば、代助が自分のことを捨ててしまったと考えれるのは当然のことです。
P279ℓ3「あの時兄さんが亡くならないで、未だ達者でいたら、今頃私はどうしているでしょう」~「僕は、あの時も今も、少しも違っていやしないのです」「だって、あの時から、もう違っていらしったんですもの」
あの時というのは、代助がこれ見よがしといわんばかりに芸者遊びをしている時だと考えられます。

三千代と平岡の結婚に尽力したことがなぜ「今日でも」「鮮やかな名誉」なのか
不変の愛を誓えないままでは結婚しないという「道念」を守った
友情のためと今では考えている代助ですが、現在は偽善を否定するようにもなっています。ではどうして平岡と三千代の結婚への尽力が偽善ではなくて、メッキではなくて、鮮やかな名誉なのでしょうか。それは恐らく代助の、自分は不変の愛が誓えないままでは結婚しないという「道念」が守られたからだと考えられます。ある意味では、これは代助のエゴイズムです。

平岡から三千代との結婚希望を告白された代助の尽力
a 死んだ親友の妹の危機を救う努力をする自分に満足
b 平岡との友情に厚い自分に対する満足
平岡への友情を三千代への愛よりも優先させた美談ではない
三年前の心象の解釈はこの二つが出来ると考えられます。代助の尽力が鮮やかな名誉であるのは、代助内でのこのような満足があったからなのです。ですから、代助が言うような友情のための尽力ではなくて、つきつめて言えば彼のエゴイズムの問題になります。平岡の告白は、ですから三千代との結婚におびえていた代助にとっては、さらに彼を苦しめたというよりは、むしろ喜ばしいことであったはずです。平岡に代助は救われているのです。

8 三千代の涙の謝罪
三千代の最後の代助訪問
P311ℓ5「―この間から私は、もしもの事があれば、死ぬ積りで覚悟を極めているんですもの」「平岡君は全く気が付いていない様ですか」「気が付いているかも知れません。けれども私もう度胸を据えているから大丈夫よ。だって何時殺されたって好いんですもの」
ここで、三千代は読者もびっくりするくらいの、覚悟を持っていることが述べられます。平岡が気が付いていないというのは、一つには指環が、紙の指環を通して、三千代と代助の秘密の指環になったことと、もう一つは愛の告白がなされたことについてです。ここで、三千代は気が付いているかも知れませんといっているので、恐らくこの文脈からすると、平岡は気が付いていて、そのことに三千代も気が付いていると考えられます。平岡もすでに、三千代と代助の間になにかがあるなと感じているはずです。
P312ℓ7「僕が自分で平岡君に逢って解決を付けても宜う御座んすか」と聞いた。「そんな事が出来て」と三千代は驚いた様であった。「出来る積りです」と確り答えた。
ちなみに、御座んすかという語尾は、当時は男性も使用したようです。三千代が驚いたと表記されているのは、代助の目からみても驚いた様に見えたということです。三千代の驚きは二つの解釈が出来ます。代助の台詞が予想していなかったことに対する驚きと、演技することによって代助をそそのかすということです。どちらにしても、代助には驚いたように見えたのは事実です。

P37ℓ5代助は無論臆病である。臆病で恥ずかしいという気は心(しん)から起こらない。
P291ℓ13「あらゆる場合に於て、彼の決して仕損じまいと誓ったのは、凡てを平岡に打ち明けると云う事であった。」
平岡に話すということは姦通罪(姦通ではなく)への道
代助は臆病で、彼自身それを認めていますし、男だからといって強くなければならないという考えはありません。臆病で結構という心持の人間として描かれます。これは、ジェンダーの問題で、代助は比較的ジェンダーからは解放されていると考えることができます。
しかし、その臆病な代助が、何があっても決してやり遂げると決めていることは平岡への打ち明けなのです。これは臆病な代助からしたら、相当勇気が必要なことです。そうして、たとえ三千代と代助の間に、性的な関係がなかったとしても、つまり姦通していなかったとしても、姦通罪へ進む道なのです。姦通罪は刑事犯罪ですから、自ら犯罪を作りにいくことになります。
三千代は代助をその方向に進ませている
代助は三千代に対して、平岡に告白すると宣言しています。しかし、まだここでは代助の心の中の決心です。ですから、それを実行へと移させるためにも、三千代は驚いて見せたと考えることもできますし、これだけ意思の強かった三千代がその翌日に、泣いて平岡に謝っていることにも繋がってきます。

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