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夏目漱石 「それから」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その九

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④代助、三千代を訪ねる
昔し代助の遣った指環がちゃんと這入っていた。
夫には言いそびれている。
四度目の訪問の時には、三千代が質に入れた代助の指環がちゃんと取り戻されたということが描写されています。紙の指環が、もとの指環に戻ったのです。しかし、用箪笥にしまっているのは、夫に隠しているからです。夫に隠さなければいけない理由は、代助にお金をもらったことを隠しているからです。ここから新たな問題が生まれてきます。

「紙の指環」は「真珠の指環」に戻ったが、新しい意味
(以前)平岡と一緒に代助が三千代に買った贈り物
(いま)平岡に内緒で代助と三千代が共有する秘密
P232ℓ15「この間の事を平岡君に話したんですか」「いいえ」。ここで、三千代が平岡に代助からお金を借りたことを言っていないということが分かります。そうして、
代助は三千代との差向で、より長く座っている事の危険に、始めて気が付いた
ここで、先に述べた、姦通のイメージが代助にも認識されるのです。頭と心が矛盾していて、これ以上頭で会話をしていても、こころが、姦通の方向へ向かって行っているのです。これは公然たる指環が、夫に隠していることによって、秘密の意味を持つ指環になったことを代助が気づいたからです。
P237ℓ6「淋しくって不可ないから、又来て頂戴」
この台詞は、夫以外で親族でもない男性に使う言葉ではありません。親族は兄弟や親です。ここから、三千代が代助を兄弟のようにしたっていたと考えることもできなくはありませんが、やはり不自然です。

「思い出す」の連続表現
P237ℓ10~「必竟は同じ事であったと思い出した。~既に発展していたのだと思い出した。~と思い出した。」
ここでの「思い出す」という表現は、記憶が蘇ってきた、過去の記憶を思い起こしているということではありません。
これは、石原千秋氏が指摘しているように、思うことのスタートなのです。この思い出したの出したという表現は、走り出す、笑い出す、食べだすといったように、物事のスタートという意味です。ですから、思い始めたというのは、記憶が蘇ったということではなくて、思うことを始めたということです。そうでなければ、日本語の文脈としてここは成立しません。

⑤三千代、三度目の訪問
代助 愛の告白
三千代はこの日、指環を穿めてきたか?
百合という実際に香りが強い花を部屋においている状態ですから、相当香りの立つ部屋で、代助は三千代に愛の告白をします。この小説を愛のドラマとして読めば、ここがクライマックスとなる場所です。
三千代の指環は、生活費のために質に入れられていましたが、それは「紙の指環」によって戻ってきました。それではこの日に、三千代が戻ってきた指環をしていたかどうかに注目してみましょう。「紙の指環」によって、物理的には同じ指環が、そのもつ意味が変わってしまったということを前回述べました。平岡と一緒に買った指輪ですから、公然とした指環だったものが、二人の秘密を共有することを意味するアイテムへと変化したのです。
P285ℓ15「しばらくして、三千代は手帛(ハンケチ)を取って、涙を奇麗に拭いた」
ここには、指環の記述がありません。ですから、指環をしているかしていないかの確立は5050ということだと思ってはいけません。ここは、三千代が二度目に訪問してきた際のP168ℓ16「繊い指を反して穿めている指環を見た。それから、手帛(ハンケチ)を丸めて、又袂へ入れた」と対比してみた際に、その書確立が変わってきます。
この小説は三人称ですが、代助の視点をもとに書かれていますから、当然代助は三千代の手をよく見ているのです。二度目の訪問の際に指環の描写があり、同じハンケチを見ているここで指環の描写がないということは、書かれてはいませんが、恐らく指環を穿めてはいないだろうと考えることができます。家の箪笥においてきたのでしょう。

5 白い百合と銀杏返し
二度目の訪問の時の三千代
白い百合(手土産)と銀杏返し(髪型)
P165ℓ1「大きな白い百合の花を三本ばかり提げていた。~結ったばかりの銀杏返しを」
P169~P170で例の百合を巡る二人のやり取りがあった後、P171ℓ1「昔し三千代の兄がまだ生きていた時分、ある日何かのはずみに、長い百合を買って、代助が谷中の家を訪ねた事があった。その時彼は三千代に危しげな花瓶(はないけ)の掃除をさして、自分で、大事そうに買って来た花を活けて、三千代にも、三千代の兄にも、床へ向直って眺めさした事があった。三千代はそれを覚えていたのである。」
「代助はそんな事があった様にも思って」(「思い出した」のではない)
ここで、代助は百合と銀杏返しを見ても、当時の記憶が戻ってきているわけではありません。

三千代の三度目の訪問(代助の愛の告白) 百合で部屋を飾る
P276ℓ3「兄さんと貴方と清水町にいた時分の事を思い出そうと思って、なるべく沢山買って来ました」(まだ思い出していない)
三千代への告白の際に、代助は百合の花を沢山買ってきています。しかし、その理由は思い出そうと思っているのであって、思い出したわけではないのです。P171で三千代が話した過去の記憶は、まだ戻っていないのです。

P276ℓ10「貴方は派手な半襟をかけて、銀杏返しに結っていましたね」
ℓ12「この間百合の花を持って来て下さった時も、銀杏返しじゃなかったですか」「あら気が付いて。あれは、あの時ぎりなのよ」
ℓ16「僕はあの髷を見て、昔を思い出した」
ここで、代助は三千代の格好についての記憶が戻ってきたことを述べています。ここでの思い出したは、思い始めたのではなくて、実際に記憶が蘇ってきたということです。ちなみに、この半襟というものは、襟カバーのようなものだと考えてください。着物の襟が垢で汚れないように、カラフルな襟カバーをつけていたのです。当時は女性への贈り物として、現在でいうところの男性のネクタイのような感覚の手ごろさがあったようです。

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