夏目漱石 「それから」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その八

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ダンヌチオの「赤と青」
代助の赤と緑
P69でダンヌチオの赤と青の話しが登場します。これは後で詳しく述べますが、この赤と青は小説において重要な役割を担ってきます。そうしてこの小説の一面では、植物をめぐる物語として読むとくことが出来ます。青と緑は日本では区別されません。ですから、代助にとっては、ダンヌチオの青を緑と解することが出来ます。
君子蘭の緑の葉 情調
代助はP137で君子蘭の緑にある感情を抱いています。ℓ12「只不思議な緑色の液体に支配されて、比較的世間に関係の無い情調の下に動いていた。」ここで、代助は緑の液体の香りを嗅ごうとしています。そうして、その香りによって代助は一時的に安心しているのです。ですから、緑と白い(赤を内包している)百合は正反対になります。代助にとって緑は嗅いでいいものであって、白い百合は明らかに赤い百合という側面も持つために、代助は三千代を止めたのです。

③代助、三千代を訪ねる
平岡の就職
「貴方には、そう見えて」 三千代の意味
指環を嵌めていない指
代助は平岡家の経済的な問題がどのようになっているか気にしています。そうしてP207ℓ15で、平岡が就職したこともあり「この頃は生活費には不自由あるまい」と尋ねています。しかし、その後の三千代の行為、指環が嵌められていない手を見ることによって、経済的事情がわかります。P208ℓ3「湯から出たての奇麗な繊い指を、代助の前に広げて見せた。その指には代助の贈った指輪も、他の指環も穿めてなかった。自分の記念を何時でも胸に描いていた代助には、三千代の意味がよく分かった。」
ここで先ずわかることは、お金が無くて生活が苦しいという意味です。ですが、更に一番お金に変えたくなかった指環も、お金にしてしまったというメッセージ性も付加されます。ここには代助からもらった指輪をお金にしたくなかったというメッセージがあるのです。

「紙の指環」
紙幣(旅行費用)を渡す場面のエロティシズム
P208から209で代助は自分の旅行費用のための紙幣を、紙の指環として受け取れと言います。この場面が、物理的には何の接触もなくて、ただお金を渡したというだけなのにもかかわらず、非常にエロチックなイメージが連想させられるのは、ここにイメージとしての姦通があるからです。
ここで確認しておきたいのが、P201の渝らざる愛の問題です。代助は、永遠の愛を信じていません。そうしてP202ℓ1
「彼の頭は正にこれを承認した。然し彼の心は、慥にそうだと感ずる勇気がなかった」と考えています。ここで、代助は頭と心の矛盾に気が付いています。ですから、その次の「代助は嫂の肉薄を恐れた。又三千代の引力を恐れ」るのです。なぜなら、嫂の肉薄や、三千代の引力は姦通罪に結びつくからです。ここでは、平岡の前で買った公然とした三千代へのプレゼントの指環が、紙の指環を通して、別の意味に変わってしまったのです。三千代と代助の秘密を共有するアイテムになってしまいます。ですから、紙の指環は、秘密の共有として平岡への姦通のイメージが付加されるのです。
P210ℓ2「明日も御止めだ」 旅行中止
紙幣を紙の指環に替えてしまった代助は旅行の中止をします。

この翌日、青山で佐川の娘と見合い
「大して異存もないだろう」に同意しない代助
当時は異存がなければOKするというのが一般的な考えだったようです。

「馬鈴薯が金剛石より大切になったら、人間はもう駄目である」
質素と贅沢という比喩ではない
P226ℓ12「もし馬鈴薯(ポテトー)が金剛石(ダイヤモンド)より大切になったら、人間はもう駄目であると、代助は平生から考えていた。向後父の怒に触れて、万一金銭上の関係が絶えるとすれば、彼は厭でも金剛石を放り出して、馬鈴薯に齧り付かなけれならない。そうしてその償には自然の愛が残るだけである。その愛の対象は他人の細君であった。」
ここから、馬鈴薯(ポテトー)と金剛石(ダイヤモンド)の対比が質素と贅沢という意味ではないことがわかります。
金剛石  精神的な高尚さ
馬鈴薯  生活上の必要
金剛石は決して上流社会の象徴ではありません。これは文化的な、例えば演劇を見に行くことなどを意味しています。そうして馬鈴薯も、下流の象徴ではなく、生きるために食うものという意味です。ですから、代助にとってはどちらも必要なことです。そうして、金剛石を放り出して馬鈴薯に齧り付いたのが、指環を質に入れてお金に変えた三千代になります。
代助自身も、縁談の話を断れば、父子絶縁になります。P226ℓ9「彼は隔離の極端として、父子絶縁の状態を想像してみた。そうして其所には一種の苦痛を認めた。けれども、その苦痛は堪え得られない程度のものではなかった。寧ろそれから生じる財源の杜絶の方が恐ろしかった」。こう代助が述べているように、代助にとって恐ろしいのは、金剛石を放り出して馬鈴薯に齧り付くことです。そうせざるを得なかった三千代との対比がなされています。

代助の職業観
あらゆる神聖な職業な労力は、みんな麺麭(パン)を離れている
食う為の職業は、誠実にゃ出来悪(にく)い
代助は食うために働くのは良くないことだと考えています。P107ℓ11「衣食に不自由のない人が、云わば、物数奇にやる働らきでなくっちゃ、真面目な仕事は出来るものじゃないんだよ」という有名な台詞があります。食うための仕事は、食うことが目的のため、楽をしようという方向に働きます。だから駄目だと代助は考えています。そうして、代助の知人の寺尾も、そのように考えています。
代助は働かないことに対してコンプレックスを持っていません。そうして父親に依存していても構わないと考えているのです。

寺尾「何しろ食うんだからね。どうせ真面目な商売じゃないさ」

佐川の娘との縁談を拒否したら「金剛石を放り出して、馬鈴薯に齧り付かなければならない」
その償い 自然の愛 愛の対象は他人の細君
代助の考えは、食う目的なしに生活するということです。「ダイヤモンドの生活」を送るためには、父親に依存しても構わないと考えています。

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