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夏目漱石 「それから」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その二

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『三四郎』は東大生と東大卒業生とその妹たち
『それから』は東大卒業生とその家族
『三四郎』が原口を例外として野々宮宗八や金縁など、東大生とその卒業生たちの物語でした。それに対して、『それから』は東大卒業生が中心の物語となります。またそのほかに、独身者が目立った『三四郎』ですが、『それから』は代助を例外として、殆どが既婚者です。
代助
P5ℓ1「代助の」ここで、主人公の名前が代助であるということが分かります。代助の名字は、P32ℓ6で長井であることがわかります。父親が長井得。その息子であるため長井の姓を引き継いでいるのです。しかし、代助という名からもわかるように、家制度における長男と次男の関係がそこにあらわれています。もし長男になにかあったときに、スペアとしての存在が強いのです。
代助が大学卒業生であるというのは、友人の寺尾との関係からわかります。P128ℓ13「森川町にいる寺尾という同窓の友達を尋ねる事にした。~教師は厭だから文学を職業とすると云い出して、他のものの留めるにも拘らず、危険な商売をやり始めた。』P129ℓ12「寺尾は~帝国大学の原稿を書いていた。」
この寺尾が書いている帝国大学の原稿というものは、東京帝国大学文科大学の卒業生であるということをあらわしています。ちなみにここの原稿を書けたのは、東大生と東大卒業生と、東大の教員になります。
平岡
P16ℓ4「平岡常次郎」この常次郎の次郎に注目するならば、弟と読むこともできます。当然他の情報が提示されていませんから、断定することはできません。事実次郎と名前がついていても次男でないこともあります。しかし、フィクションでありますから、弟としての位置づけをされていたと考えることはできます。
平岡は始め銀行に就職しますが、後に退社。P240ℓ5では「僕は経済方面の係りだが」と言っています。新聞社に勤めて経済方面の記事を書いているということは、おそらく法科大学の卒業生であろうと思われます。当時経済学部というものは独立してありませんでした。法科のなかに経済が含まれていたのです。
代助の兄
P32ℓ9で「誠吾と云う兄がある」ことがわかります。この誠吾は梅子という妻がいて、その間に誠太郎と縫がいます。父親の長井得ですが、P50によれば、若い頃は誠之進という幼名であったことがわかります。誠之進の兄直記は殺されていますから、長井家の家督を引き継いだのは弟の誠之進となります。それ以後、長井家では、誠之進、誠吾、誠太郎と「誠」の文字が続いています。そうして代助は「誠」の文字を与えられていません。
三千代の兄
P111ℓ4「代助の学友に菅沼と云うのがあって、代助とも平岡とも、親しく附合っていた。三千代はその妹である。」
菅沼の兄の名前はわかりません。
『三四郎』じゃ独身者の世界
『それから』は既婚者が多い
独身の主要登場人物は代助だけ
『三四郎』は「兄妹」が目立ったが『それから』は「弟」が目立つ
代助が弟ですし、代助の父得も弟です。
親切な嫂(あによめ)の登場
梅子のことですが、この梅子は実に生き生きと描かれています。

美禰子と三千代の外見的特長
(共通点)二重瞼
(相違点)美禰子にはない三千代の外見的特長
 *肌の色 美禰子は狐色 三千代は?
 *金歯
漱石の多くの作品から窺えるように、どうやら漱石は二重瞼の美人が好きだったようです。
美禰子は狐色をした肌の持ち主でしたが、三千代は反対に色白です。病気のせいもあって、その白さが際立っています。
P65ℓ12には「昔の金歯を一寸見せた」とあり、今の常識から言えば、三千代は歯が悪いのかなと思われますが、どうやら当時の金歯はお洒落の一つだったようです。アクセサリーとしての金歯で、口元からきらっと金色の歯が見えるのがお洒落だったようです。お洒落は理屈ではありません。その時その時に流行ったものですから、金歯がお洒落だということを理解しておかなければいけません。そうしてまた、ちらっと見えるのですから、奥歯でないことはわかります。比較的前歯のほうに金があったというわけです。
眼鏡の男
漱石は眼鏡とあまり縁のない作家です。ですから漱石文学と眼鏡というのはあまり関わりがありません。そのなかで唯一の例外として「こころ」の先生が眼鏡を掛けた人物でした。漱石作品のなかで眼鏡を掛けた主要人物というのは大変珍しいことです。若い私が先生と話すきっかけになったのは眼鏡が原因でした。海水浴場にまで眼鏡をかけてきたということは、「先生」がかなり目が悪いことを意味しています。そうしてその当時の「先生」が読者の予想より若いということは既に明らかですあから、当然老眼によるものではありません。
この作品では、P18ℓ12「平岡は突然眼鏡を外して、脊広の胸から皺だらけの手帛(ハンケチ)を出して、眼をぱちぱちさせながら拭き始めた。学校時代からの近眼である。代助は凝とその様子を眺めていた。」
P195ℓ11「一軒置いて隣りの金縁の眼鏡を掛けた男の所へ這入って、」この二人が眼鏡を掛けた人物として登場します。

『それから』の空間
トライアングル 電車 人力車 現在の山手線の内側
長井本家 住所
P189ℓ16「青山の家へ着く時分」現在の港区になります。東京に住んでいる人で青山を知らない人はいないでしょう。誰もが知っている高級住宅地です。
代助の住居 住所 P126ℓ1「神楽坂へかかると」現在の新宿区になります。
平岡夫妻の住居 住所 P133ℓ4「伝通院」 でんづういんと濁ります。もともとお寺の名前ですが、現在ではそのお寺の周辺一体をも指します。お寺は現在でもあります。文京区、近くに後楽園や東京ドームがあります。
『それから』という長い小説は、実はこの三箇所をぐるぐるいったりきたりしていることがその殆どの流れになっています。長井家と代助の自宅は距離があります。徒歩では厳しい距離です。ですから人力車や電車を使って移動します。平岡の家と代助の家は近くです。事実代助は平岡の家に徒歩で何度か向かっています。ただ、病気中の三千代にとっては徒歩は厳しく、人力車などを使用しています。

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