夏目漱石 「それから」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その一

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夏目漱石の国民的に人気の高い三冊を取り上げて、そこからバイアスの解放をしようという講義を続けてきました。最もよく知られている「こころ」。しかし、それがためにバイアスも強くなります。読みやすいけれど、何が書かれているのか、実は難しい「三四郎」そうして今度は「それから」になります。
この記事は高田教授の講義ノートをもとに構成されています。

『三四郎』連載完結から半年後に『東京朝日』『大阪朝日』同時連載
 明治42(1909)、6、27―10、13
『三四郎』執筆当時から既に社員になっていた夏目漱石。小説は朝日新聞社に書かなければいけないことになります。随筆等は自由にどこに出してもよいことになっていました。小説の連載は、だいたい半年のインターバルで3ヶ月連載するというのが、漱石のスタイルのようです。
テレビ・ラジオもない時代。庶民の娯楽は連載小説にありました。各新聞は、載せる連載小説の如何によって、大きく発行部数が変わりました。今現在で考えれば、ドラマのような感じかも知れません。
物語の時間
学校騒動 高等商業学校のストライキ闘争 明治42、5
P6ℓ11「其所には学校騒動が大きな活字で出ている。」P345注には、「明治四十二年四月前後」とあります。現在ではとても考えられないことになってしまいましたが、当時は不当だと思えば学生が抗議しました。現在の学生は抗議というものを殆どしなくなりましたが、戦後まで学生の抗議は続いています。5月1日にはストライキをしています。学生が全員授業に出ないのです。サボりではありません。申し合わせてボイコットしているのです。この部分が書かれている小説が6月には連載されていますから、読者はつい先日起こった事件を、小説内でもまた触れることになります。つまり、今現在の物語として小説が連載されていたのです。
連載小説『煤烟』 明治42、1、1―5、16
P85ℓ16「どうも『煤烟』は大変な事になりましたな」P347注、森田草平(1881-1949)が明治四十二年一月一日より、五月十六日まで東京朝日新聞に連載した長編小説。平塚雷鳥との心中未遂事件が社会問題化したのに対して、漱石のすすめにより、事件の経緯を描いた作品。
漱石の弟子であった森田は、平塚雷鳥との心中未遂事件を起こします。平塚雷鳥は、どちらかというと作家というよりは、当時の女性解放をする人間というイメージが強いようです。高級官僚の御嬢さんであった平塚と心中未遂を起こしたのですから、大変な話題になりました。ちなみに、漱石も森田も同じく雑司が谷の墓地にあります。宜しければ足を運んでください。
『煤烟』は、心中未遂をした当事者が語るという小説ですから、普通の小説とは異なります。内容はすさまじいものです。ちなみにこれは読みの遊びですが、『煤烟』は朝日新聞に連載されていたので、この小説の主人公になる代助は朝日新聞を取っているということになります。そうしてその朝日新聞に今漱石が連載しているのですから、一種のジョークのようになっています。
大隈伯
P89ℓ5「大隈伯が高等商業の紛擾に関して、大いに騒動しつつある生徒側の味方をしている。~代助はこう云う記事を読むと、これは大隈伯が早稲田へ生徒を呼び寄せる為の方便だと解釈する。」
大隈重信、自由民権運動でも有名ですが、早稲田大学の創始者です。この知識がないと、ここを読んでも意味がわかりません。早稲田大学の創始者である大隈伯が生徒の味方をするという意味を、代助はこのように解釈したのです。ちなみに慶應義塾大学は福沢諭吉です。当時も、早稲田や慶応義塾は大学と名乗っていましたが、法律上では専門学校になっています。「大学」という一言があらわすのは、現在のような制度としての大学ではなく、東京帝国大学ただ一つだったのです。漱石が死んだ後、私立も大学令で大学ということになりました。
日糖事件 明治42、4
P126ℓ15「日糖事件なるものがあらわれた。」大日本精糖株式会社の汚職事件が起こります。自分たちの都合のよい法律を通すために、役員などが会社ぐるみで国会議員を買収していたという事件です。社長はピストル自殺しています。当時の読者からは生生しい事件で、その事件を小説の中に書くことによって、まさに今が書かれている小説であるという印象が強くなります。
幸徳秋水の見張りの記事 明治42、6
『それから』の翌年「大逆事件」 幸徳等12名処刑
P241ℓ8「幸徳秋水という社会主事の人」
調度『それから』の幸徳秋水が連載される20日くらいまえに、朝日新聞は、幸徳の独占インタビューの記事を掲載しています。
「大逆事件」は多くの文人に影響を与えました。挑戦併合と同じ年に、あっという間に判決が出て、あっという間に死刑が執行されるという衝撃的な事件でした。影響を受けた代表格が、漱石、鴎外、石川啄木です。
P72ℓ10「朝鮮の統監府に居る友人宛」朝鮮併合が1910年ですから、その前年のことになります。しかし、すでに日本は統監府をソウルにおいて、事実上の支配をしています。韓国ではこの併合から、日本が第二次世界大戦で負けるまでの期間を、日帝36年と表しています。この背景をしっかりおさえないと、現在の領土問題等々が見えてきません。
相撲の常設館(国技館)
ドーム型常設館の完成は明治42年五月末
P34ℓ5「もし相撲の常設館が出来たら、一番先へ這入ってみたいと云っている。叔父さん誰か相撲を知りませんかと代助に聞いたことがある。」P91ℓ12「相撲が始まったら、回向院へ連れて行って、正面の最上等の所で見物させろというものであった。代助は快く引き受けた。」P204ℓ9「新聞に出ている相撲の勝負が、二人の題目の重なるものであった。」
相撲は奇数の月に場所があると決まっています。そうして当時の相撲は現在のように、いくつも場所があるわけではありませんでした。当時は一年に二回。一月五月をそれぞれ十日で行っていました。そこから「一年を二十日で暮らすいい男」という言葉もあります。
P204では、すでに物語内時間は梅雨に入っています。ですからどうしても6月に相撲が行われたということになり不自然になりますが、この年だけ例外で6月に相撲が行われました。
現在のように相撲はある特定の相撲をする施設があったわけではありません。ですから、小屋掛けといって、広場に幕をはって、その中にお金を払ったお客を入れるというシステムをとっていました。しかし当然屋根がありませんから、晴天のみになります。晴天10日間ですが、雨天の場合は中止になったり、あまり厳密さはありませんでした。それが国技館という、場所中でなくても相撲をとる場所が常にある施設が作られました。6月2日に完成した国技館、五月場所が一月遅れで6月に開催されました。この小説は国技館を小説の中に取り入れた最も早い小説のひとつといえるでしょう。それだけ国民の間では相撲の人気があったということにもなります。
『それから』は連載開始直前の出来事が積極的に取り入れられている
三四郎は、小説が連載されていたのは明治41年。物語内時間は明治40年でした。それに対して『それから』は今、まさにこの時に起こっている小説という印象が強く演出されています。当然今私たちが読んでもちっともそんなことは思いませんが、当時の人々は対この間話題になったことがすぐに書かれているというオンタイム小説として読んでいたのです。それを踏まえる必要があります。

『それから』連載予告
◎新小説連載予告
それから 漱石
色々な意味に於てそれからである。「三四郎」には大学生の事を描たが、此小説にはそれから先の事を書いたからそれからである。「三四郎」の主人公はあの通り単純であるが、此主人公はあそれから後の男であるから此點(てん)に於ても、それからである。此主人公は最後に、妙な運命に陥る。それからさき何うなるかは書いてない。此意味に於ても亦それからである。
新聞の連載予告の欄にはこのように一週間の告知がなされます。ここでわかることは、①、三四郎の後であるから大学を卒業した後の話かなと推測できること。②続編ではないが、何かしらそれから後の男の話なのだなと推測できること。③、結末は完結しないのだろうかと推測できることです。

『三四郎』の世界との比較
三四郎の年齢 『それから』の代助の年齢
三四郎が数えで23でした。満22歳です。現在でいえば大学の4年になります。当時の学校制度は小8、中5、高3でしたから、現役で三四郎の年齢になります。学校制度を頭にいれておかないと、勘違いしますので気をつけなければいけません。三四郎は文科の学生ですから、大学は3年で終わります。22で入ると25の卒業になります。
P40ℓ1「もう三十だろう」~「三十になって遊民として、のらくらしているのは、如何にも不体裁だな」数えの30ですから、満29歳になります。そうすると四年前に卒業したことになります。三四郎が順調に卒業したとすると、同じ年になります。

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