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アニメ映画『TIGER&BUNNY The Beginning』への試論 感想とレビュー ヒーロー性への問いと再構築

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-初めに-
『TIGER & BUNNY』(タイガー・アンド・バニー)は、サンライズ制作による日本のテレビアニメ作品。2011年4月から9月までMBSほかで放送された。全25話。略称は「T&B」「タイバニ」など。今回は、映画版のみを論じます。
映画版は93分。テレビシリーズの第1話と第2話をベースに、新作カットや第2話と第3話の間に起こった新規エピソードを盛り込んでいます。あくまでも第1話・第2話を置き換える作品なので、登場人物の人間関係などは第3話へ繋がるように描かれています。

-ヒーロー性の崩壊-
5週連続企画の入場者特典として、“HEROカード”を週代わりで2種ずつ、5週に渡り全10種を配布する、映画の最後には公式サイトでの人気投票ベスト5のヒーローが順番に登場する映像が週代わりで上映されるなど、映画だけで終わるのではない、ファンと一体になった作品作りがなされています。
テレビシリーズでも、作中におけるヒーロー達は、全てスポンサーの援助を受けてヒーローとして活躍しているという設定に基づき、放送以前から実際に各企業向けにヒーロー達のスポンサーを募集するという商業展開が行われています。映画でも、実在するスポンサーが登場し、その商品をヒーローたちが宣伝もする場面もあります。
2011年アニメは、特に今までのアニメとは異なって、すばらしい作品が多く排出された年でもありました。大抵の作品は、2011年に起きた大震災の影響を受けており、放送に支障が生じたり、或いは作品自体にその影響を受けているものもあります。今回は映画版『TIGER&BUNNY』を論じますが、しばらくは2011年代アニメも論じていきます。

この作品に見られるのは、今まで前提としてあったヒーロー性の問題です。この作品では、今まで誰もが当たり前に思っていたヒーローは描かれません。ヒーロー性の欠如だと私は考えています。
今までヒーローとはどのようなものでしょうか。アメコミと呼ばれるアメリカのマンガにおけるヒーローはまさしくアメリカ人が好む、正義のヒーローです。悪と正義が完全に二分化され、ヒーローは常に強く、悪に勝つ。最も有名なヒーローはやはりスーパーマンでしょうか。彼は完全に無敵で、非の打ち所がないヒーローとして描かれています。バット・マンあたりになると、多少ヒーローのかげりのような側面を持つようになります。
正義なのかよくわからない。そのミステリアスな雰囲気や夜をモチーフにした暗さが新たなヒーローとして向かいいれられました。しかし、また、バット・マンにしろ、今までのヒーローは全て単体です。ヒーローが大勢そろう作品というのは、あまり描かれませんでした。中にはヒーローたちが集まるアニメや映画があることはありますが、それらは別の作品で登場していたヒーローの寄せ集めが主です。
この作品では、完全にこの作品のなかで生まれたヒーローたちが、しかし全く別の作品からとってきたかのように、自由に描かれています。この作品を見て思ったのは、たとえば本当にヒーローがいるとして、そうしたヒーローたちは現実の世界の中でどのように生きていくのかという問題です。
今までのアメリカンヒーローはリアリズムは一切排除されていました。ただ一方的に相手を倒してそれで終り。しかし、現実には、ヒーローは固体です。集団ではありませんから、そのあまりに大きすぎる力を使用したあとを誰が尻拭いするのかという問題になります。
この作品では、ヒーローはそれぞれ企業が買収しており、スポンサーの商品が銘打ってある衣装を纏い、機会があればその商品の紹介まで行うという、ヒーローらしからぬヒーローなのです。そうして、このヒーローたちは、決して今までのように、正義のために戦うのではないのです。そこには資本が絡み、複雑な人間関係が存在するのです。

この作品に出てくるヒーローたちは、いわば見世物になっています。古代のローマで円形の闘技場で強者が獣と戦ったように、この作品のヒーローはTVを通じて、犯罪を直接断罪するヒーローとして競争させられているのです。そこには個人の意思はありません。ヒーローは個人の主義主張を剥奪され、企業にいいように使用されながら、全体としては視聴率を上げるためにおあつらえ向きのヒーローを演じているのです。
ヒーローはテレビで視聴率が上がるように、タイミングを合わせて攻撃を行わなければいけないとか、他のヒーローが出ているときには自分が派手に登場できるタイミングを狙うとか、ここに登場するヒーローたちは今までのヒーロー性というものを剥奪されているのです。そうして企業にカスタマイズされた人形としての、おあつらえヒーローとして登場します。例えば虎徹が冒頭で行った破壊は、後にスポンサーがその修理費を出しているなど妙に設定がリアルなのです。
映画版ではそのことに気がついて嫌気がさしてきたのは主人公の虎徹だけです。他のヒーローはどこか人間的に欠陥があるようで、人間味がありません。人形のようになって、いい偶像として消極的にヒーローをしているのです。
これでいいのかということを考え始めた虎徹に、バーナビーというパートナーが現れます。
この二人の関係性については、こちらのブログで詳しく検証されていますので、参考にするとより理解が深まります。
詭弁家ども、ことばへの愛を誇れhttp://akariichinose.blog.fc2.com/blog-entry-23.html

-ヒーローの公私問題・人間性の崩壊-
面白いのは、人間味溢れる登場人物が虎徹だけということ。映画冒頭では、虎徹がチャーハンを作る場面から始まります。生活感あふれる汚い部屋で、部屋中に空き瓶が転がっています。人間味が溢れるといった虎徹も、妻を亡くすという大きな喪失を抱えているのです。それがアルコール依存にも繋がっていると読み取ることが出来ます。自分の思いがあるのですが、それがうまく発揮されずにいつも下手な方への向いていく。社会不適合な側面はこの喪失を乗り越えられない彼の葛藤から生まれてくるものなのです。恐らくこれは、私は映画版だけで論じようとしていますから、次回作でのパートナーたるバーナビーとの関係性において乗り越えることができ、新たな段階に突入できるのではないかと考えることができます。
バーナビーはというと、かつて両親を殺されるという過去をもち、彼の信念でもある本名を掲げてヒーローを行うという点に帰着します。ヒーローというものは、公私で考えれば公に入るものです。ですから、スーパーマンは普段の記者とは別の人格になるし、バットマンは仮面を被るのです。公私を混合にしたヒーローは、バーナビーが初めてではないでしょうか。当然ヒーローをよく思わない人間からの報復を怖れて、その悪の力が自分の周囲に及ばないように本名を隠すのが第一の原因だろうと思いますが、亡くすものがない状態のバーナビーは自分の本名を晒し、公私混合してまでヒーローを行うのです。
ブルーローズも、高校生ということで、第二次成長期の最後の部分でまだ心理的に弱い面があります。彼女の冷たさというのは、心理的な冷たさをも彷彿させます。どこか人と溶け合うことのできない部分、彼女のハートに凍った部分があることが見て取れるのではないでしょうか。ロックバイソンも、ただの岩です。どじでドン臭いという性格に表されているように、柔軟性に欠けた人物です。柔軟性に欠けるといえば、スカイハイもまた、愚直ということばを具現かしたような人物です。彼には人間のコミュニケーションの機微が分からないような、無神経な部分もあります。ドラゴンキッドは、その名の通り、まだ子どもです。ファイヤーエンブレムはオカマ。オカマが人間的に欠落しているとは言いませんし、それは失礼なことですが、しかし、一般的な人間とは異なった立場にいることは確かです。折紙サイクロンに関しては、およそヒーローなど務まるかと思うくらいの性格の持ち主。
このようにして、どの人物も何かしら人間としての欠陥を持っているのです。この人間としての欠陥がヒーローの力に繋がってくるとも考えることが出来ます。これもまた、ヒーローの時代性の問題になるでしょう。公私ともに完璧なヒーローは幻想に過ぎなくなったのです。公ではヒーローであっても、私の部分に問題を抱えているヒーローが描かれています。これもまたリアリズムなのです。ヒーローになれるだけの力を有しているということはどういうことか。今までのヒーローは自分の力を根源的に疑うことはあまりありませんでした。しかし、今作は主人公虎徹を始め、こんなちからを持ってしまったがために、という思いが誰にもあるのです。
今までのヒーロー性に対するアンチテーゼ、ヒーロー性を根幹から揺さぶるテクストとして、この作品は存在するということが出来ないでしょうか。

-終りに-
これらのヒーローが共に協力して戦わないというのもまた新しいヒーロー性の関係の構築の仕方です。ただ、反対に足の引っ張り合いもしない。お互いに不干渉なのです。やはりそこには、ここに登場しているヒーローの何か欠落した部分、他の同業者ともあまり干渉しようとしない心理的な面があります。
今までのヒーローが幻想であり、アメコミ風のアニメーションではありますが、そうしたアメコミのヒーロー性を踏襲しつつ、それを根源から揺るがしていくという、大変力のあるテクストです。この作品は、新しいヒーロー、決してヒローらしくないヒーローが描かれます。私たちよりも力があるぶん悩んでいる、かげりのある人物たちを見ることによって、私たちもまた感情を移入できるのです。今までの神にも等しい完璧な人物は闇に葬り去られました。
ヒーローはヒーローでなくなり、見世物として登場し、私たちを愉しませるというエンターテイメントの一つになったのです。確かにこれは現実の世界でもそういえます。私たちはヒーローアニメや漫画をみて愉しんできました。それをヒーロー側が気づいたかのような設定なのです。
ですから、これからのヒーローの像がどのようになるのか、一旦過去の概念を崩壊させるという点について、この作品は大きく成功したのです。

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まとめ【アニメ映画『TIGER&B】

−初めに−『TIGER & BUNNY』(タイガー・アンド・バニー)は、サンライズ制作による日本のテレビアニメ作

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No title

僕は映画版は見ていないのですが、確かにタイバニに出てくるヒーロー達は、かなり消極的であり、商業目的に動いている面が1話2話あたりで描かれていて見ていてとてもリアルだなと思いました。
アニメ版では番組中のCMでヒーロー達が宣伝をしているものもあって、特に僕の中で一番印象に残っているのはブルーローズがペプシNEXのCMをしているものですね。あのCMを見た時、タイバニのヒーローがとても近くに感じられました。
アニメ版では殺伐としていたヒーロー達が徐々に虎鉄と接していくことで欠落していた部分を克服して、本物のヒーローになっていく場面が僕はとても好きなのですが、映画版ではタイトル通り序盤だけということでしょうか。
ですが、オリジナルのエピソードが含まれているとなるとぜひ映画版も見てみたいです。
次は来年の秋にThe Risingが公開予定ですね。
これはアニメ版のその後のお話らしいので絶対見にいきたいです!

Re: No title

私はアニメ版見ていないんですよ。ですから、調べただけなんですけど、どうやら今回の映画版はうゆさんの指摘している1話と2話、3話あたりの話しを映画としてうまくつなげたらしいです。
本当に超人的な力をもった人々がいたらどうするのか、そうしたリアリズムの徹底した作品ですね。
アメコミ風のヒーローという大きな枠組みを借りていながら、その枠組み自体にそれが本当に正しいのか、問いかけ、そうして揺さぶりをかけるすばらしいアニメですね。2011年は震災があり、全ての価値観が根本的に見直された時期です。このアニメもそうした影響を受けているのではないかなと私は感じています。
映画版よかったですよ。私もこんどアニメをチェックしておきますから、うゆさんも映画版をチェックしてみてください。
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