夏目漱石 「三四郎」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その十

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前回から、三四郎の視点に限る美禰子と野々宮の情報を見てきました。
大学運動会の日
野々宮のフロックコート姿について、「大分得意の様じや在りませんか」と言う三四郎を「あなたも随分ね」と批判
P176ℓ4「計測掛が黒板に二十五秒七四と書いた。~野々宮さんであった。野々宮さんは何時になく真黒なフロックを着て」
P183ℓ1「ええ、珍しくフロックコートを御着になって―随分御迷惑でしょう。朝から晩までですから」「だって大分得意の様じゃありませんか」「誰が、野々宮さんが。―あなたも随分ね」「何故ですか」「だって、まさか運動会の計測掛になって得意になる様な方でもないでしょう」
「あなたも随分ね」という言葉のあとには通常マイナスの言葉が来ます。どうやらひどいことを言うわねというニュアンスで使用されているようです。
P173ℓ15「三四郎は元来あまり運動好きではない。国に居るとき兎狩を二三度した事がある。それから高等学校の端艇競漕(ボートきょうそう)のときに~」
三四郎は運動がもともとあまり好きではないので、この運動会には参加していません。運動会は強制ではありませんから、好きなひとだけ参加すればよかったのです。このころは、奇妙な思想が存在していて、スポーツに熱心になる人の正反対で、インテリゲンチュアといって、身体を動かすことを低俗なものと見る考え方もありました。ちなみに漱石自身は運動が好きでした。漱石はここで出てきている端艇競漕が大変好きで、一年このために留年もしています。
運動が好きではない三四郎がどうして運動会に顔を出しているのかというと、P174ℓ4「与次郎の云う所によると競技より女の方が見に行く価値があるのだそうだ。女のうちには野々宮さんの妹がいるだろう。野々宮さんの妹と一所に美禰子もいるだろう。其処へ行って、今日はとか何とか挨拶をしてみたい。」というのが理由。
三四郎は美禰子のことが好きですから、女性が目当てだったのです。東大は当時男子しか入学できません。教員も全て男性。男女が共学なのは小学校までで、それ以降は男女別学でした。女性は普段東大には入れません。公然と這入れるのはこの日だけなのです。
ですから、ここでは共学ではないこと、時代背景を頭に入れて考えなければなりません。
三四郎の目的は、P175ℓ1「三四郎が失望したのは婦人席が別になっていて、普通の人間には近寄れない事であった」という部分からも窺えます。

P186ℓ5「宗八さん様な方は、我々の考えじゃ分かりませんよ。ずっと高い所に居て、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんを誉め出した。~学問をする人が煩瑣(うるさ)い俗用を避けて、なるべく単純な生活に我慢するのは、みんな研究の為已むをを得ないんだから仕方がない。野々宮の様な外国にまで聞こえる程度の仕事をする人が、普通の学生同様な下宿に這入っているのも必竟野々宮が偉いからの事で、下宿が汚なければ汚ない程尊敬しなくってはならない。―美禰子の野々宮に対する讃辞のつづきは、ざっとこうである。
三四郎とよし子の前で、野々宮のことを美禰子が大いにほめます。
P282ℓ13「三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使った事がない。大抵の応対は一句か二句で済ましている。しかも甚だ簡単なものに過ぎない」こうした性格を持つ美禰子が、唯一長く喋ったのが、この三四郎の前で語った野々宮の讃辞なのです。普段短い言葉しか発しないために、謎めく言説になる美禰子が、ここでは実に饒舌に例外として語っています。
一方この運動会の日に美禰子は三四郎と二人きりで池を見下ろす場面で
P181ℓ12「あの木を知っていらしって」という。「あれは椎」「能く覚えていらっしゃる事」
で三四郎との出会いにも少なくない意味がおかれています。ですから上の野々宮讃辞のセリフは、野々宮が全く天空の人で、私たちの分かるところにいないという反論のニュアンスと解釈できるラインものこされています。

丹青会展示会場
2枚の招待券で三四郎を誘う
P225ℓ13「丹青会の展覧会を御覧になって」と聞いた。「まだ覧ません」「招待券(しょうだいけん)を二枚貰ったんですけれども、つい閑がなかったものだから、まだ行かずにいたんですが行ってみましょうか」
ここで、美禰子が三四郎をデートに誘います。通常であれば、野々宮と行きそうなものですが、三四郎を誘います。もちろん二枚貰ったというのが嘘かも知れないという可能性はあります。美禰子は画家原口にチケットをもらえる権利がありますから、二枚とは限らないかも知れないのです。
野々宮と原口が現れる
P229ℓ11「里見さん」~美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間ばかり離れて原口さんが立っている。原口さんを後に、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るや否や、二三歩後戻りをして三四郎の傍へ来た。人に目立たぬ位に、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。そうして何か私語(ささや)いた。三四郎には何を云ったのか、少しも分からない。~野々宮は三四郎に向かって「妙な連と来ましたね」と云った。~美禰子が、「似合うでしょう」と云った。
さて、しつこいようですが一間は、畳の長いほう、6尺と同じですから、2メートル弱。その距離から離しかけられたのです。
この美禰子と三四郎のデートは、野々宮から見れば、自分が見られた直後に二三歩下がって三四郎に何かを言っているように見えます。
P233ℓ8「さっき何を云ったんですか」女は「さっき?」と聞き返した。「さっき、僕が立って、彼方のヴェニスを見ている時です」「用でなければ聞かなくっても可いです」「用じゃないのよ」
P234ℓ1「野々宮さん。ね、ね」「野々宮さん・・・」「解ったでしょう」美禰子の意味は、大濤(おおなみ)の崩れる如く一度に三四郎の胸を浸した。「野々宮さんを愚弄したのですか」「何んで?」~「あなたを愚弄したんじゃ無いのよ」
P235ℓ12「悪くって?先刻のこと」「可いです」「だって」と云いながら、寄ってきた。「私、何故だか、ああ為たかったんですもの。野々宮さんに失礼する積りじゃないんですけれども」女は瞳を定めて、三四郎を見た。三四郎はその瞳の中に言葉よりも深き訴えを認めた。―必竟あなたの為にした事じゃありませんかと、二重瞼の奥で訴えている。
ここで三四郎の解釈は、美禰子が自分と二人で仲のよい様子を見せたかったのだとしました。愚弄したのかという質問に対して、美禰子の答えは答えになっていません。ただ、野々宮を愚弄したことを否定はしていません。
あくまで三四郎の主観による判断ですから、美禰子の内側を正確に捉えられているとはかぎりません。

野々宮宗八の下宿における野々宮兄弟の会話
P255ℓ14「ああ、私忘れていた。美禰子さんの御言伝がってよ」「そうか」「嬉しいでしょう。嬉しくなくって?」野々宮さんは痒い様な顔をした。そうして、三四郎を見た。~「美禰子さんがね、兄さんに文芸協会の演芸会に連れて行って頂戴って」「里見(恭助のこと)さんと一所に行ったら宜かろう」「御用が有るんですって」「御前も行くのか」「無論だわ」
ここから、①よし子が、兄宗八に対して、美禰子からの御言伝があるといってからかっていることと、②美禰子が宗八に文芸協会に誘って欲しいというお願いをしていることがわかります。

三四郎が原口を訪ねた日
いつもと違う美禰子の様子
P281ℓ15その時原口さんが、とうとう筆を擱いて、「もう廃そう。今日はどうしても駄目だ」と云い出した。~「今日は疲れていますね」~「いや実は僕も疲れた。また明日元気の好い時に遣りましょう。まあ御茶でも飲んで緩(ゆっくり)なさい」
三四郎が美禰子に会いに行った日です。恐らく美禰子の調子が悪いのは、めずらしいことでしょう。原口にとってもめずらしいことであろうと思われます。そうしてこの日は金縁眼鏡の男が登場する日でもあるのです。
「迎えに来た。早く行こう。兄さんも待っている」
先ず喋り方から注目しますと、特別珍しいのは敬語ではないということです。美禰子に対しては野々宮や三四郎はですます、など丁寧語を使用していました。ですからこの男が敬語ではないという点に、大きな特色を見出すことができるのです。ここから考えると、すでに眼鏡の男と美禰子が心理的に夫婦関係になっている、ほとんど結婚が決まっているのではないかということが考えられます。事実上の妻としての扱いをしているのです。何を言ったかを見ることはどの読者もしますが、研究はどう言ったかにも着目しなければいけません。
「兄さんも」待っているのですから、待っている人間は里見恭助以外にもいることがわかります。恐らく眼鏡の男の家族だと思われます。里見家にはもう恭助と美禰子しかいません。それ以外のものが待っているとすれば、眼鏡の男の家族だと考えるのが妥当です。ですから、両家の結婚を取り計らうためのミーティングだと考えられるのです。だから美禰子の様子がいつもと違ったのではないかという予想が出来ます。美禰子は今日家族間の会議があることを知っていながら絵に望んでいたので、いつもと様子が違ったのだと考えられるのです。

文芸協会演芸会
P289ℓ14与次郎は広田先生と原口さんに招待券を送ったと云っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと云っている。
P317ℓ2野々宮さん
P319ℓ10幕が又下りた。美禰子とよし子が席を立った。三四郎もつづいて立った。廊下まで来て見ると、二人は廊下の中程で、男と話をしている。~男の横顔を見た時、三四郎は後へ引き返した。席へ返らずに下足を取って表へ出た。
ここで、一体だれが美禰子と話しているのか明示されていはいませんが、恐らく金縁眼鏡の男であろうと考えられます。野々宮さんは、すでに317ページで確認済みです。そうしてそれを見た結果、三四郎はお芝居を途中で抜け出し、そうして翌日にはそのショックのためか、身体を壊してしまいます。
結婚披露宴招待状と出席
野々宮は出席していますから、以前述べたように野々宮の美禰子に対する感情の全く二つの解釈ができるのです。

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三四郎池

「女性は普段東大には入れません。公然と這入れるのはこの日だけなのです。
ですから、ここでは共学ではないこと、時代背景を頭に入れて考えなければなりません。」

 これは違うんじゃないでしょうか。
 冒頭で、三四郎池のほとりで美禰子と会うでしょう。三四郎池は当時も東大の敷地ですよ。
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