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夏目漱石 「三四郎」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その四

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こうした長編小説を読み解くために、二つ行わなければいけない作業があります。一つは人物設定。作品から人物設定を読み取ることが、作品を解釈する上で非常に重要な作業となります。何度も言いますが、小説は書いてあるところを全て読んだ上で、一行も見落とさずに頭に入れて、書かれていない部分を想像するのです。
三四郎を取り巻く人物の整理
広田萇(ちょう)
P89ℓ13「『名は萇』と指で書いてみせて、『艸冠が余計だ。字引にあるかしらん 。妙な名を付けたものだね』」から、広田先生の名前は大変珍しい名前であることが分ります。普段では殆ど使用されることのない「萇」という字。この文字に着目して、漢字の意味から三四郎論の論文を書く人もありましたが、あまり上手くは行っていないように思えます。
一高の教師
p90ℓ1「昔から今日に至るまで高等学校の先生。えらいものだ。十年一日の如しと云うが、もう十二三年になるだろう」
担当科目
P91ℓ7「いや学校じゃ英語だけしか受け持っていないがね、あの人間が、自から哲学に出来上がっているから面白い」
旧制の高等学校はとにかく語学が重視されました。授業の三分の一が外国語で、少なくとも二ヶ国語ができるようにという目標を元にプログラムが組まれていました。
独身、この小説は独身者ばかりの小説としても読み解けます。
年齢は?
P16ℓ16「男はもう四十だろう」とありますが、これは三四郎がまだ広田先生のことを広田先生だと知らないころの話ですし、しかも三四郎の観察力は小説全体を通して考えたときに、あまり鋭くはないということが考えられますから他にも根拠が必要になります。
P307ℓ10「憲法発布は明治二十二年だったね。~僕は高等学校の生徒であった。」から広田先生が、明治22年に高等学生であり、小説の時間が明治40年ですから、18年前に学生だったということになります。おおむね20年前後と考えると、かぞえで大体40くらいになり、三四郎の予想はおおむね合っていたということになります。

佐々木与次郎
選科生(高校ではなく専門学校の卒業生)
*三四郎は正科生
P47ℓ3「この男は佐々木与次郎と云って、専門学校を卒業して、ことし又選科へ這入ったのだそうだ。」
大学へ入れるのは本来高等学校を卒業したものだけです。ですから正規の入学ではありません。現在ではない制度のはなしですからあまりイメージが沸きませんが、今の制度に無理に合わせれば、大学の聴講生みたいな存在です。ただし学士への道も開けていました。
彼は書生としてしばしば作品に描かれていますが、書生とはまずどういう意味のことばでしょうか。1、学生を指す言葉。2、居候、学生は雑用をし、他の諸事はまかなってもらう存在。与次郎は広田先生の書生として、彼の家で居候の待遇を受けていました。ちなみにこの居候を受け取る側の話ですが、多くは田舎から東京へ出て、成功した人々が同郷の若い学生を好んでおいたとのことです。一つには、居候をおくことが社会的なステータスになっていたという側面もあります。

野々宮宗八
理科大学教師、現在の理学部です。
教授ではないらしい、月給は?
P61ℓ16「月にたったの五十五円しか、大学から貰っていないそうだ。」
余談ですが、漱石の小説には月給がしばしば出てきます。漱石本人も月給にはこだわっていた人物であることが、研究からわかっています。国際的な学者で、勤めて数年の実績がある野々宮宗八。一般論ですが、収入は相対的なものです。三四郎が貧しければ彼の収入が多く見えるでしょうし、この場合は三四郎は裕福な家庭の人間なので、たったという表現が使われたのです。ちなみに『坊ちゃん』の初任給が40円。
P37ℓ10「御殿~左手の建物を指して見せる。『教授会を遣る所です。うむなに、僕なんか出ないで好いのです。』」というところから、教授ではないとも読み取れます。ただ、教授だけれども、俺は出なくてもよいのだと読むことも可能ではあります。年齢から見てもどちらとも付きませんが、恐らく教授ではないという素直な意味でここでは捉えておきます。
国際的な学者。独身。
三四郎との年齢差
P38ℓ6「時に君は幾歳ですか』と聞いた。三四郎は宿帳へ書いた通りを答えた。すると、『それじゃ僕より七つばかり若い。七年もあると、人間は大抵の事が出来る。』」三四郎が23歳ですから、プラス7をして、ほぼ数えで30だろうと考えられます。ちなみにこれは『こころ』の「若い私」と鎌倉でであった「先生」と同じくらいの年齢です。
広田先生と宗八の関係
P55ℓ8「三四郎は又、野々宮君の先生で、昔正門内で馬に苦しめられた人の話を思い出して]
P67ℓ9「実は偶然高等学校で教わった、もとの先生の広田という人が』~P68ℓ4「それで水蜜桃も必ず同先生に違いないと極めた。」
広田先生は文系で、宗八は理系ですが、その二つが重なる部分が英語という科目です。だから、昔宗八は広田先生に英語を教わったという関係があるのです。

野々宮よし子
宗八の妹
P68~69ここで三四郎は病院にいるよし子と初めて出会います。
広い額(おでこ)と大きな眼
P69ℓ8「眼の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思う位に、額が広くって顎が削けた女であった。」
P28ℓ6「額の広い大きな眼」兄も同じ。兄と妹の共通点がここで書かれています。漱石の小説の中ではこうしたことが描かれるのは珍しいことです。さて、もう一人この小説にはおでこの広い女性が出てきます。それはお光さんです。P6ℓ3「額がお光さんの様にだだっ広くない」これは三四郎が汽車にのって東京へ向かう際に、向かいに坐った女性の顔を見て感じたことです。お光さんと三四郎の関係ははっきり書かれていないのと、実際にお光さんが小説に登場(名前のみの登場)しないので、詳細はわかりませんが、田舎の母が二人を結婚させようとしていると考えられます。小説の最後で三四郎は田舎に一遍帰っていますが、この国に帰っている間に結婚している可能性を示唆した論文もあります。
学校に通っている

里見美禰子
通学も就職もしていない独身
兄・恭助と二人暮らし
この小説のヒロインと言ってもよい人物です。今で言うところのニートのような生活をしていますが、当時は珍しいことではありません。働く女性がスタンダードとなってしまった現代ではとても考えられませんが、当時の女性で働いている人間は非常に数が限られています。設定から考えると、どうもこの里見家には経済力があります。
時々広田先生の家で英語の個人レッスン
ストレイシープと言った際の発音がよかったことからも、このことが分ります。ではどうして広田先生と個人のレッスンをつけてもられる関係にあるのでしょうか
広田先生と美禰子の関係
野々宮宗八と美禰子とのつながり
P126ℓ15~「広田先生は野々宮さんの元の先生だそうですね」~「美禰子さんの兄さんがあるんですか」「ええ。宅の兄と同年の卒業なんです」「やっぱり理学士ですか」「いいえ科は違います。法学士です。その又上の兄さんが広田先生の御友達だったのですけれども、早く御亡くなりになって、今では恭助さんだけなんです」「御父さんや御母さんは」~「ないわ」~「そう云う関係で美禰子さんは広田先生のうちへ出入りをなさるんですね」「ええ。死んだ兄さんが広田先生とは大変仲善だったそうです。それに美禰子さんは英語がすきだから、時々英語を習いにいらっしゃるんでしょう」
里見家は既に父と母が亡くなっています。また、恭助と二人兄弟かと思ったら、そうではありません。長兄が広田先生と友人でしたが、死没。その縁で英語を習っているということがわかります。二番目の兄の恭助は、野々宮宗八と同学年であると同時に、広田先生の教え子でもあります。
兄恭助と同学年である宗八とは、美禰子からすれば兄の友人、宗八からすれば友人の妹ということになります。当時の結婚のスタイルで、友人の姉妹と結ばれるパターンはスタンダードなものです。
ちなみにP127の「御兄いさん」ですが、読み方は「おあにいさん」。現代ではなんだかよくわかりませんが、これが正式な読み方。こちらのほうが省略形よりも上品で、丁寧、正式でオーソドックスという感じがありました。同じく「御姉さん」は「おあねえさん」。それぞれ「あ」を省略した形が現在に残ったのです。
年齢
女学校は卒業しているだろう
P322ℓ15「第一、君と同年位じゃないか」
これは情報通の与次郎のセリフですから、言っていることの信憑性は高いです。美禰子は三四郎と殆ど年齢の差がないということがわかります。
二重瞼と顔色と歯・眼付と歯並
美禰子の眼は大きいか・グルーズの描く女性(図参照)
この小説を読み解いていく上で、登場する女性の顔、特に眼と歯が着眼されます。
P100ℓ8「グルーズの画を見せてもらった。~画いた女の肖像は悉くヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。~池の女(美禰子のこと)のこの時の眼付を形容するにはこれより外に言葉がない。~しかもこの女にグルーズの画と似た所は一つもない。眼はグルーズのより半分も小さい。」
ここから三四郎がグルーズの絵というものを知っていることがわかり、その画の女性の眼より半分小さいということがわかります。ですから、資料の女性の眼の半分の大きさなのです。P280でも原口が美禰子の眼についての説明をしますが、要約すると、大きくも小さくもない、ちょうどよいくらいだということがわかります。この眼の大きさは、これだけ説明がなされていますから小さくない意味を持っているのではないでしょうか。
P5ℓ8「女の色が次第に白くなるので何時の間にか故郷を遠退く様な憐れを感じていた。」
P40ℓ2「その色は薄く餅を焦がした様な狐色であった。~どうしてもあれでなくっては駄目だと断定した。」この二箇所から、三四郎は汽車であった女性の肌の白さを不安の要素ととらえ、美禰子の肌が狐色であるのに大変共感を持ったということが分ります。美禰子は狐色の肌なのです。そうして三四郎はそういう色がすきなのです。

原口
独身の洋画家
フランス留学体験
宗八より二、三歳年上らしい

東大がらみの独身の男たちと、東大出身の兄を持つ妹たち
この小説は東大が物語りの空間の中心となっているといっても良いでしょう。

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