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映画『千年女優』への試論 感想とレビュー 女優の人生を巡る解釈の多義性

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-大アニメ映画解釈祭-
秋の夜長に楽しむのはアニメ映画に限る。アニメ映画は、アニメ表現を制約された時間のなかで、普段のアニメ製作時とはかけ離れた時間と金をしようすることによって作られる極めて高度な芸術作品である。00年代になり、CGの技術が導入され、物語自体もそのテーマとする内容が変容してきた。また、アニメはいままでごく一部の人間が見るものとされてきたが、秋葉文化が世界中でも見直され、評価されるようになり、アニメは広く開かれたものとなった。アニメの影響は強く他のメディアにも影響し、メディアミックス展開とよばれる言葉まで出来るようになる。アニメ映画を読み解くことは、まさしく現在を読み解くことと他ならない。00年代のアニメ映画を時代順に解釈していく。

-初めに-
『千年女優』(せんねんじょゆう)は、日本のアニメ映画。2002年9月14日日本公開。作品世界が、現在・過去・未来、と時空を越えた“入れ子構造”となっており、絢爛たる輪廻転生譚となっている。キャッチコピーは「その愛は狂気にも似ている」。
理論整然とした世界を破壊したようなその作風は、あまりに異色ですが、映画界のシュールレアリスムでもあると私は感じています。『千年女優』は今敏(こんさとし)監督の『PERFECT BLUE』の次の作品。二作目となります。00年代に入って初等の、すばらしい出発となるにふさわしい映画です。今監督がファンであった平沢進とのコンビを組んだ初めての作品でもあります。今監督と平沢進との関係はその後の『パプリカ』であまりに見事な完成を迎えますが、その後数年と経たずして今監督はこの世から去ってしまいました。
まだ今監督がなくなってから2年と経っていませんが、もう今監督の世界と、平沢さんの楽曲が組み合わさったパラレルワールドを見ることができないとなると、悲しくて仕方がありません。今回はそういうわけで、『千年女優』について論じます。

-めくるめく輪廻世界-
今監督の世界観と、平沢進の世界観はどこか共通するものがあると感じられます。この作品では二人の間にロータスをモチーフにして連携がなされたと私は考えています。テーマソングになるロタティオン・ロータス2。ロータスは蓮の花。仏教の世界においては輪廻、転生などに縁があるモチーフです。最初と最後に主人公である藤原千代子が宇宙へ飛び立つ場面。月の宇宙基地のロケット台は蓮の花の形をしていました。その蓮の花が開くさまは、この映画の根底になる美しい場面。
どちらかというと、この作品は今までの理論整然とした世界からの脱却を試みていると私は感じます。西洋流の物事を論理的に考えて、分解して分析してというような思考。それに対して、この作品は東洋的思想というか、糸がゆるやかに絡まっているような世界が展開されます。そこには一つの明確な論理は通用せず、切り離したり分裂させたりすることはできないのです。西洋流の思想できりはなされていた世界たちが、それぞれにつながってしまったという感じなのですが、それをさらに破壊して、変な部分で連結させているのです。ですから、あっちへいったりこっちへいったりと、今までの観客には少し分かりづらいぶぶんもあるかも知れません。
東洋の思想は一般にいって、物事をつなげていく考え方。究極的に何につなげるかというと、自然との調和を目指します。タイトルにある『千年女優』などは、まさしくそうした輪廻観からきたもの。当然一人の人間が千年生きるという意味ではないのです。輪廻を続けながら同じ魂のようなものが千年間繰り返しこの世に現れてはその人生を繰り返す。そうした意味なのです。
またこの世界観は平沢進の世界観とも共通するものがあります。平沢さんの楽曲は、多分に暗喩の歌詞が続きますが、それらは究極的に世の中の真理を表しているように私には感じられます。一千年という壮大な時間の流れを、何度も何度も生まれ変わっては繰り返す。その中で一体なにを見つけるのか、それがこの作品のテーマになってくるのだと思います。

また、この東洋的な世界観ですが、それは映画の細部にまで存在しています。例えば突然別の作中映画に変化する場面などは誰がみてもわかりやすいものです。他にも、立花源也やカメラマンの井田恭二が映画の中に出てきているというのも、非常に分かりやすい世界の混合、連結です。多少気がつきにくいのですが、この作品全体も、世界観の癒着が現れています。取材をしている世界が現実の世界だとすると、過去の映画の世界が流入してきて、二つの世界が混同されてきているのです。それが最後には完全な一致となって、女優藤原千代子は旅立ちます。
こうした言わば心象世界を描けるのは今監督の力です。今まで見てきたアニメーション映画の系譜のなかで、90年代にはすでにアニメーション映画の世界でも映画のシュールレアリスムが存在しています。今まで外の世界を写していたカメラが、心象世界を描くようになったのです。しかし、それらは絵画的なシュールレアリスムから離れられてはいません。この作品は、細かく見て考えると、論理が通っているのです。細切れの論理が通った世界が、それぞれ不思議に結びついている。その結び付け方が、巧みなのです。
例えば、はっと後ろを向くともう既にそこは別の世界であったりなどする場面は、見事だなと思います。こうした突然世界が急変する映画は、やはりアニメーションが向きます。どうしても実写だと、不自然さが強調されるからです。アニメーションは、もともと線と光の記号の世界ですから、そうした部分の変容が極めて柔軟にこなせるのです。

-女優の人生を巡る解釈の多義性-
この作品の評価を巡り、賛否両論が出ています。この作品のオチがよくわからない、あるいはあまりよくないということで、低評価をする人々と、この作品に共感し高評価する人々です。私は後者です。良作だと思います。
作品には三つのタイプがあります。一つはだれが見ても殆どがよくないと思うもの。二つ目が誰がみても殆どがよいと思うもの。当然一つ目の作品はあまりよろしいものではありません。何かしらの欠陥があるのでしょう。二つ目は作品として大いに成功しているものです。そうして三つ目が、この作品のように賛否両論に分かれる作品です。一般に、何か製品を扱う場合市場では、お客様が賛否両論に分かれる商品が売れるのだそうです。買わない人は買わないが、一度買ってよいと思った人はずっと買い続けるからだそうです。皆がいいと思う作品は、それほど買う人にリピーターが増えないのだそう。
そうしたことも鑑みて、この賛否両論にわかれる作品は、評価においても多義的に解釈できるために、良い作品だといえることができます。全員が全員よい作品だと言う作品は、まあよいことはよいのですが、解釈に余地がありません。しかし、この作品は否定する人々にもそれなりの論理を用意するだけの余地があり、多義的に解釈できるすばらしい作品でるということが出来るのです。

問題となっているのはオチの部分ですが、これは冒頭で既に出ています。ですから、初めにオチがあって、そうしてそれまでの過程を描いて、またオチに戻るというサンドイッチ構造になっているのです。ですから言いようによっては、はじめから終わっているとも言えます。
女優藤原千代子は、人生において、もののけの恨みを買います。この恨みが一体何の恨みであるのかが、もう少し明確になるとよりわかりやすい作品になったと思います。一体あの老婆が何の象徴であるのか私にもわかりませんが、敢えて言うのならば、人生そのもののようにも思われます。女優としての人生あるいは、女優として生きるがために妬まれたための恨みなどではないでしょうか。
この老婆の呪いによって、千年間生き続けなければならないことになります。それは現実に千年生きるということではなくて、最愛の人鍵の人を追掛ける人生をただひたすらに繰り返すという呪い。藤原千代子が今までに出演したであろう、作中作でもあるさまざまな映画が繰り広げられます。しかし、そのどの映画においても、彼女は同じ役柄で、同じ男を追い、その男を追っている悪役や、彼女を邪魔する存在との戦いが繰り返し描かれるのです。
映画界から引退した彼女は、三十年という時間を経て、ひとつの区切りを迎えます。ただ前だけを見て鍵の男を追っていた自分に、彼女は気づいてしまうのです。自分が既に老いていること、そうしてそれを彼に見せることができないということを。そうして大切な鍵をもなくしてしまった彼女は別の人生を歩み始めますが、この物語では、その無くなった鍵を彼女のファンでもあった立花が見つけてもっていくというはなし。何度も話が輪廻しているので何とも説明しづらいのですが、作品の内部においても輪廻が繰り返されているのです。
そうして、再び鍵を手に入れた彼女は、彼を追いかけることに新しい意義を見つけ出すのです。それが「彼を追掛けている自分が好き」ということ。
今まで彼のための人生だったのが、やっと女優という職業から解放されて、一人の女性として、人間として自分の人生をおくることができるようになったのです。だから彼女は女優の運命から解放されて、輪廻世界からの解脱を果たしたという、とてもすばらしい物語なのです。

-終りに-
この鍵が一体なにを開ける鍵であったのかが、最後まで明かされませんでした。一体一番大切なものとは何だったのか、そうして彼女は最後に何を見つけることによって、その鍵とともに旅立つことが出来たのか、ここの最も重要となる部分が、彼女の明確な意思とは裏腹に多義的な解釈の余地のある空間を生んでいます。そのために、はっきりしないという否定的な見方も可能になりますが、固定された観念を押し付けられることによって共感できる観客よりも、自分の解釈がフィットする観客に共感が得られるようなつくりになっています。
また、この作品の成功している点は、声優の演技力。映画のなかに映画がいくつも存在するわけですから、それぞれに応じて演技を変えなければいけない。そうしたことが出来るのはプロの声優しかいません。また、一人の女性の人生を巡る作品でもありますから、その深みが出ていなければなりません。それを今監督は、たった一人の女性に三人の声優をあてるということをして、見事に幅のある一人の女優像を作り上げているのです。荘司美代子(70代)、小山茉美(20~40代)、折笠富美子(10~20代)と、その以降のしかたもとても美しい。世界が移行する際、声優が移行する場面、そうした流れがアニメーション映画史上においても類を見ないほどの、美しさを有しています。
あなたは、一人の女性の人生に何を見るのか、是非その眼で確かめてください。

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