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映画「バオー来訪者」への試論 感想とレビュー 荒木作品に受け継がれる来訪者の存在

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-大アニメ映画解釈祭-
私にとって、今年の夏はアニメ映画の夏であった。アニメ映画というのは、アニメの持つ利点と、映画のもつ利点とを兼ね備えた、映像メディアとして極めて高度な媒体である。アニメーションの表現技法を駆使しながら、映画のような物語の流れ、時間の制約を受けつつも金銭的にも通常のアニメより余裕がある。そこに人々は思いのたけを注ぎ込むだろう。その注ぎ込まれたものを再び抽出するのが、我々観客に与えられた自由でもあり、義務でもあるのだ。この一見相反する自由と義務。私たちはアニメ映画を見ることによって、それを自分の中で新しい生命として生み出すことが出来る。今このとき、アニメ映画を観、そこに描かれたものを抽出し、現代において活かすべきである。これからいくつかの作品を、出来るだけ時系列順で論じていく。

-初めに-
荒木飛呂彦による日本の少年向け漫画、およびそれを原作とするOVA作品。『週刊少年ジャンプ』に1984年45号から1985年11号まで17話が連載された。OVAは1989年に製作。
今回はOVAを論じます。最近荒木さんの作品を考察しています。このバオー来訪者は、荒木さんが、ジョジョの奇妙な冒険の連載を始める丁度前の作品になっています。デビューしてから、ジョジョに這入る前の大成した時期の作品になります。そうした点でも、この作品は荒木飛呂彦論においても重要な作品といえます。ジョジョにはいってからも、少しずつ試行錯誤を重ねて作品が変容していきますが、このバオー来訪者の作風は、パート1パート2に色濃く影響が出ているといえます。

-来訪者-
作品タイトルが先ず不思議です。バオーというのは何か固有名詞かなにかとわかりますが、来訪者という言葉がタイトルに入るのは珍しいです。この作品は、バオー来訪者というタイトルが表すように、何者かが外界からやってくるのです。外界からの来訪者という設定は、『ジョジョの奇妙な冒険』のパート1、2に踏襲されています。そのことはまたジョジョ論をやる際に詳しく述べますが、何かしら力を持った存在が外界から来訪してきて、そうして自分を巻き込んで話が展開するというスタイルなのです。
来訪者ということは、この作品の主人公、視点人物となる存在はこちらにいる人物です。この作品の主人公は橋沢育朗でもありますが、来訪されるがわ、スミレが一応主体なのです。
ジョジョに入る以前の作風がここで多少窺えます。それは超能力ということです。登場人物は何かしらの超能力を有しています。スミレは将来を描くことが出来る能力を持っています。そのスミレは、冒頭超能力を開発するために、秘密組織ドレスに捕まり輸送されている途中です。
このバオーということば。橋沢育朗も主人公の一人と考えられますが、育郎自身を示す言葉ではありません。バオーというのは、生物兵器、ドレスが開発した寄生する兵器なのです。この寄生虫を人間なり、いぬなりに寄生させると、その寄生された存在が危険にさらされると目覚めます。危害を加えられると覚醒して、その寄生された存在をのっとり、極めて凶暴な存在になって外敵の排除をしようとするのです。
この寄生虫も、何かしら脳に影響を及ぼしているということが判ります。これはジョジョの仮面とおなじ発想であると考えることが出来ます。生き物を急激に変容させるにはどうしたらよいのか。脳にないかしらの影響を与えればよいのではという考えが伺えます。人間の脳というのは、一般論ですが、普段その数パーセントしか使用していないといわれています。その脳を極限まで使用することができれば、何かしら現在の人類を越えた存在になれるのではないかという考えです。
このバオーという生物兵器。これに寄生された人物である育郎が、スミレのもとに訪問してくるということから、「バオー来訪者」というタイトルがついたのでしょう。ただ、この来訪者の意味のなかには、人類に対しての来訪であるとも考えられます。ドレスはこのバオーを開発しておいてそのコントロールを出来ていないのです。そのバオーがドレスのもとから解き放たれてしまった。バオーの開発者である霞の目博士によれば、このバオーはコントロールできれば核爆弾と同じくらいの驚異になるといっています。
バオーという言葉は、作者によれば「バイオテクノロジー」の「バイオ」からとったといわれています。ですからこの「バオー来訪者」というのは、生物科学技術の発展が人類にどのような危険をもたらすか知れたものではないぞという、警鐘として考えることもできると私は思っています。

-作品性、ジョジョとの類似点-
人間に対しての深い言及をしていると考えると、この育郎という主人公の一人である青年は、人類代表として考えることもできます。
スミレによって、ドレスのもとから逃げ出した育郎。当然ドレス側としても核弾頭レベルの兵器が逃げ出したとなれば、総力を挙げて育郎を取り戻しにかかります。しかし、とてもいうことを聞いて実験体に再びなるわけもなく、仕方なしに殺してしまえということになります。
育郎の運命はあるいみでは非情です。家族旅行中に車で事故をおこして、そのままでは死んでしまっていた存在なのです。それを良い実験体としてドレスが回収。バオーを寄生させることで生き延びるということになります。見方を変えれば、ねじれてはいますが、ドレスは育郎の命の恩人でもあるわけです。
ただ、育郎としてみれば、生かしてくれたのはありがたいが、生物兵器にされるのはごめんだというところ。当然殺しにかかる追っ手を殺していくほかありません。そうしてスミレとともに行動するなかで、ついに逃げ切れなくなります。しかもスミレはドレスがわに奪われてしまいます。育郎を呼び寄せるためのえさとするのです。
呼び寄せるはずのドレスは、しかし育郎の訪問を受けることになります。バオーとして覚醒した育郎は、まさしくドレスが自分でつくっておきながら、そのバオーの来訪を招かなければならなくなるのです。ドレスにはそれぞれ個性溢れる最強の殺しの達人がいます。
ドルドはサイボーグ人間。先行研究から『ジョジョの奇妙な冒険』第二部に登場するシュトロハイムとの類似性が指摘されています。
ウォーケンは架空のアメリカインディアンの部族・スクークム族の末裔。史上最強の戦士であり、超能力はバオーとして覚醒した育郎と互角に戦うほどの能力があります。この人物との戦いがラストのメーンとなります。またこの人物がはじめて育郎に「きたな来訪者め」と喋っていることからも、この人物の重要度が窺えます。またこのセリフにより、バオー来訪者が最後にドレスへの来訪者であったということがわかります。
このウォーケンはバンダナをしていて、それが超能力を抑制しているという言及がなされています。ですから、やはり後の『ジョジョの奇妙な冒険』にみられるように、超能力を使える点と、その超能力がどこに影響されるのかという点の共通が見られます。

この作品は他の多くの同時代の作品同様、技名に重きが置かれています。OVAでもわざわざ一旦画像を停止して、技名の紹介がなされるなど、いかにも80年代をおもわせる作風がのこっています。バオー・メルテッディン・パルム・フェノメノン/バオー・リスキニハーデン・セイバー・フェノメノンなど、仮面ライダーのような技名がいちいち説明されますから、その点今の人々が見ると不自然にうつると思います。
私などは、人間が真剣に戦うときに、いちいち技に名前なんて付けないでただ単純に殺しあうだけなのではないかと思いますが、確かにプロレスなどでも技名がついていますから、こうした技名というのもある程度わからないでもないです。ただ、不自然さはあります。

-終りに-
ある悲運な男の運命の、ほんの数日におよぶ戦いを描いた作品ですが、壮大な設定、緊張した戦いなどが展開されるすばらしい作品です。ウォーケンとの戦いに力つきた育郎は、海中で眠りにつきます。このまま上がってこないのかと心配になりますが、そこはスミレの予言がその後を明らかにしてくれます。スミレが育郎と同じ17才になったときに、再び自分の前に姿を現してくれるという希望を感じさせるエンディングとなっている点が、この作品の成功している点であると私は感じています。
どうしたってこうした戦いのあったあとに、育郎が無傷で帰ってきたらご都合主義になってしまいます。だからといって殺してしまっても可哀想。しばらく時間が経った後に再開できるという予言は、そうした陳腐なラストではなく、この作品に相応しいものにしています。

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