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アニメ映画「エリア88」への試論 感想とレビュー 細緻に描かれた多層的世界・プロット主義への流れ

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-大アニメ映画解釈祭-
私にとって、今年の夏はアニメ映画の夏であった。アニメ映画というのは、アニメの持つ利点と、映画のもつ利点とを兼ね備えた、映像メディアとして極めて高度な媒体である。アニメーションの表現技法を駆使しながら、映画のような物語の流れ、時間の制約を受けつつも金銭的にも通常のアニメより余裕がある。そこに人々は思いのたけを注ぎ込むだろう。その注ぎ込まれたものを再び抽出するのが、我々観客に与えられた自由でもあり、義務でもあるのだ。この一見相反する自由と義務。私たちはアニメ映画を見ることによって、それを自分の中で新しい生命として生み出すことが出来る。今このとき、アニメ映画を観、そこに描かれたものを抽出し、現代において活かすべきである。これからいくつかの作品を、出来るだけ時系列順で論じていく。

-初めに-
「エリア88」(はちじゅうはち・エイティーエイトどちらも)は新谷かおるによる傭兵戦記漫画、およびそれを原作としたアニメ・ゲーム作品。1979年から1986年までの8年間にわたり連載。作者によると『巌窟王』がベースであり、友に裏切られ、恋人を奪われ、エルバ島に流されたモンテ・クリスト伯がモデル。『巌窟王』-アレクサンドル・デュマ・ペールによる小説。
ミリタリー好きには、ミリタリーアニメを語るにおいてこれを無視できないような作品なのではないかと推察します。私にはよくわからないのですが、この作品では、登場する武器、戦闘機などの詳細な研究が熱心にされています。翻って言えば、ミリタリー好きの人々をも満足させるような、詳細な軍事的な事柄が描かれているということもできます。
一般論ではありますが、こうした言わばマクロの世界を描くには、細かな部分が描かれていなければなりません。大きな世界を描くには小さな部分を詰めておかないといけないのです。この作品はそうした軍事オタクの人にも納得できるほど、緻密に描かれた軍事的部分があるために、成功したといっても良いでしょう。

-アニメーションの歴史的流れ-
私が観たのは、1985年から1986年にかけて、全3話のオリジナルビデオアニメシリーズとしてスタジオぴえろにて製作された映画版。これも複雑な経緯を辿っているらしく、放送業界についてあかるくない私にはよくわからないのですが、一部と二部は、製作当時のままで見ることは出来ず、二つを合体した映画版としてしか観ることが出来ないそう。
上でも述べましたが、この作品のベースとなっているのは、『巌窟王』。あまりに有名ですが、この時代にはこうした古典的名作のストーリーを踏襲して、そこから新しい作品を作り上げようという意思がかなり強くあったように私には感じられます。後で記事にするつもりですが、「ファイブスター物語」にもそうした影響、当時ヒットしていた「スターウォーズ」から発想を受けたということを作者自身が公言しています。
物語論を展開しようという私にとって、こうした作者の感情はよくわかるのですが、残念なことに時代がさらにすすむにつれて、こうしたストーリー性が重要視されなくなったことから、物語の廃頽が起こります。80年代付近の作品が今でも、現在の手本となっていることは、誰もが感じているところだろうと思いますが、翻って考えれば、当時の作品もこうした名ストーリーを踏襲しているのです。そのがあまりにも露骨だったために、パクリではないかという批判が起こり、よく知れたストーリーがチープなものとなり、ストーリーを軽視する方向へと向かっていったというのが、ここのところの作品の物語の流れなのではないでしょうか。
よくも悪くも、この時代がそうした名作の踏襲をしているということは確かです。
まだCGが出来ていなく、技術的にかなり煮詰まっていた時代です。これ以上の表現がアニメーションでは出来ないのかと、誰もが苦しんでいた時代。しかしまだコンピュータによる技術が確立されていなかったため、製作者たちは悔しいながらも奮闘し、作者はストーリーへ力を注ぎ、製作者たちは手書きに極限まで力を入れたのです。
現在での評価としては、緻密な軍事的設定と相まって、その描写力が高く評価されています。リアリティーの追及とでも呼べる事象です。この点、80年代付近の作品は、非現実へ突っ走るもの(前の記事で紹介した綿の国星が好例)と、現実を徹底的に描くもの(この作品など)に二分化されているということが出来るでしょう。
ですから、80年代付近というのは、アニメーションの最も発達した時期であり、研究が極限までされたということになるのです。
流れとしては、その後CGによる技術が確立し、良くも悪くも皆そちらへ興味を全てもっていかれてしまいました。ですから、ストーリー性が軽視され、映像技術・CG技術のみが追及されたのです。ストーリー性が重視されなくなったということもあり、その後の作品は、中途半端、どっちつかず、というような内容になってしまったのは仕方のないことです。マクロの世界を描くとしても、ミクロが描かれていない。世界はほとんどミクロの世界、小さなコミュニティーの世界のなかでの、外的なものというよりかは、内的な、人間同士のやりとりによる変化に着眼されました。

-さまざまな視点で物語りを切り開く-
さて、少し歴史的な部分が長くなりすぎましたが、この作品はそういう流れのなかにおいて、転換期に位置しているのです。
どこかはわかりませんが、架空の国にクーデターが起こります。ここからしてかなり説得力のある設定があるのです。それを語るとそれだけで終わってしまうので言及しません。主人公風間真は、航空機のパイロット。しかし、親友でありライバルであった神崎に裏切られ、一人厳しい軍隊のパイロットに転属されてしまいます。悲しい運命を恨みながら、それを忘れてしまったかのように戦闘に明け暮れ、人を殺すことに快感を覚えつつある自分と激しくぶつかり、悩みます。
この神埼という男は、会社の転覆を図り、社長令嬢でもあり、風間の恋人でもあった津雲涼子を奪おうとします。最後になって神崎は無理な転覆を図っていたために、その弊害のために逮捕されます。軍事的な部分を描かなかったとしても、成立するほどしっかりと構成されたストーリーがあるのです。

舞台の分け方も明瞭で、分りやすい。風間が所属する軍でのこと。当然これには戦闘シーンを含め、男と男の世界が構成されます。この風間の世界のなかでも静・動があるので、そうした面においても、流れがあり、観客を飽きさせない要素があります。
一つには戦闘時の世界。当然銃弾が飛び交いあい、ついさっきまで話し合っていた仲間が死んでいく世界。命が散っていく世界です。それともう一つが、戦闘時以外の世界。男たちは戦いの中を生きつつ、この時間の大切さをかみ締めているのです。それぞれ個性的なパイロット。世界各国の腕だけが自慢のパイロットたちですから、当然個性豊か。声優も豪華な顔ぶれ。主役級の声優がふんだんに使用されています。声優ファンとしても必見です。
この風間の男の世界が一つ。男のハードボイルドな世界が多くの人々を魅了するのです。
それともう一つが神埼、涼子の世界。神崎の視点では、友を戦地に送り込み、その恋人を自分のものとし、会社の転覆を図り自分が社長となるという、非暴力的でありながら、極めて人間的に暴力的である行為が描かれます。実に静かななかに、人間の思い、情念の深い部分が描かれるのです。こちらも、命と命が直接ぶつかりあうような緊張とは別の緊張があり、静かな場面であっても油断できないというメリハリがあります。一方涼子の世界では、神崎におびえつつも、世界の平和な部分がここに全て託されています。この世界のなかで言えば、もっとも我々現実に近い場所といってもよいかもしれません。

ただ、主人公である風間とは最終的に会うことが出来ません。このヒロインの視点で考えると、恋人をその友人に欺かれたことによって戦地へ送られ、その恋人を救うために友人であった神崎に頼るも、関係を迫られる。一貫して悲劇のヒロインなのですが、風間はすでに人が変わってしまい、一旦はこちらの、涼子の世界にもどるものの、最後の最後に戦地へ戻ってしまうのです。
自分で変わった風間とは違い、涼子はもしかすると、この作品で最も悲劇的な人物かも知れません。最後には結局恋人に捨てられてしまうのですから。
さて、風間ですがこの男は、数多くの戦闘のなかで、ずっと悩み続けます。腕が立つだけに、人を殺してしまう。三部で、人殺しが楽しくて病み付きになってしまった熟練のパイロットとの出会いがあって、それを否定しますが、最後は自分もそれを否定できないということに気がつくのです。上手い口車に乗せられて、間違って戦争が始まろうとする国の軍隊に入ってしまった日本人のある男との出会いも彼に大きく影響します。死にたくない死にたくないと思って、軍を脱走しようとするもつかまり、戦時中のため死刑が既にきまったようなもの。同郷である日本人の男は、自分の情けなさを語りながらも、風間を激しく罵倒します。死が怖くないのか、人を殺すことがどういうことなのか。
そこで何とか一旦平和な世界へ戻る風間ですが、やはりその現実は彼にとっての現実とはかけ離れた世界。あまりに刺激の多い世界にいたためか、酷く現実味のない感情を抱き、そうして最終的には何かに取り付かれたように、戦地へと戻ってしまうのです。映画の最後で、戦地へ駆けるかれの戦闘機が映されて終わりですから、その後どうなったのかという余韻が残ります。
風間は果たして死んでしまったのでしょうか、あるいは生き延びることができたのでしょうか。作品にそうした余韻を残すということは、逆に言えば、残せるだけ観客になにかを感じさせることが出来たという証拠でもあります。現在の作品では、あまり余韻を残すということは少なく、どちらかというと、全部描ききってしまう。そのその余韻を残すほど壮大なことを描いていないということもあるかも知れません。

-最後に-
ともかく、軍事オタクでもない私が、ここまで興奮し、感激したほど、この作品は優れていると言えるのです。どうして優れていると感じるのかを、今論じましたが、まとめると、ストーリー、緻密な設定・絵、余韻ということになります。
風間は塩沢さんがやっていますから、やはり深みがあるのです。戦地で生きる自分、恋人の待っている世界、この狭間で迷いながらも、最終的に自己の欲求に従うほかなかった男の悲しい人生。悩みつかれてしまった男という、暗い人間を演じられた塩沢さんの技量には大変感激します。私は塩沢さんのファンですから。
この作品は、壮大なスケールで描かれていますが、一面一人の男の悲しい人生の選択を描くためだけに、作られた世界といっても過言ではありません。そうした多重的な面で作品を論じることが出来るということが既に、作品のすばらしさを物語っているのです。

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