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連載、旅行記「神津島にて」 石野幽玄 

見る見るうちに来観者が減ってきてびっくりしました。帰ってきましたよ。写真は私のトイカメラで撮影したものです。
IMG_0019.jpg


神津島にて
石野幽玄


これから旅行記を書くに当たって、私は先ず己の感じた、一種の感傷にも似た心持から書きたいと思う。
神津島へは船で行く。21世紀の現代において、私は船という移動手段を用いたことが殆どなかった。東京は浜松、サラリーマンの街として知られるオフィス街から、私は夜、舟に乗る。
舟にのる前に、私は新幹線を電車のまどから見た。浜松も近くなっていた山手線の途中である。その悠々として細長く、夜の暗闇の中で、ヘッドライト、テールライトのぼんやりと浮かび上がっている様は、一つの景色であった。9月5日、本日曇り、そのためライトの光がぼんやりと映ったのである。
光はテールライトが美しい。横長の目が、真っ赤に光っている。しかし、それは伝説に出てくるような恐怖を与える赤ではなかった。新幹線にも性格があるだろう。私は新幹線の、余裕をもった、自信がにじみ出てくるような、偉大さを感じた。なるほど人間のつくったものも大したものである。
客船ターミナルでは、これから舟にのって、旅に出る人々が集まっている。皆、それぞれ行き先も目的も違うだろう。しかし、天井のライトがオレンジ色でほのやかに照らし、静まったターミナルで、時間を待ち続けている人々は、どこか似た雰囲気を持っている。初老の紳士は読書をし、これからキャンプでもできそうなほどの荷物を積んでいる若者は一人眠っている。観光を目的としたおばさまたちは、小さく喋っている。
浜松の客船ターミナルは、入り口にマストのオブジェがある。私が着いたのは、既に日が沈んでからであった。マストはオレンジ色の電球でライトアップされ、美しかった。よるだというのに、社会人は忙しいのだろうか、オフィスビルの明かりはこの時間でも高校と眩しかった。幸い、マストのある広場では、周りの木々がそれらのひかりをさえぎり、場はマストの光だけによって照らされている。うす暗がりが包む中、旅を目前とした男女たちが、これからの時間を楽しみに嬉々としてひしめきあっている。
森鴎外が書いた『舞姫』では、かの太田豊太郎が客室にて、ドイツ国で起こったことを記述している。彼は失意のうちに日本に帰る汽船のなかで、一人過去を振り返っているのだ。それに対して、私はこれからの旅を楽しみにしている。この旅行記が終わったときに、一体どのような心情の変化があるのだろうか、今回のこの書記は、そうした自己を客観的に後で眺むることも出来るものとなるだろう。
夜の海はウンディーネの女神が我々航海者を蠱惑する。海が人を引き込む力、これは一体何の作用によるものだろうか。古来より、航海者の間では、夜の海に取り込まれてしまう人間がいる。そうした人々の言い伝えが、人魚伝説になったり、ウンディーネになったりする。海の性格を考えてみると、海は女性であり受動的である。全ての生命は海から生まれた。我々は元来の故郷に帰ろうというのだろうか。人として、生命をして生まれた場所に戻りたいという不可抗力的な欲望があるのだろうか。
私も豊太郎然り、二等客室にて、雑魚寝を強いられながら今これを書いている。東京湾の光線の中を抜け、走り出した舟の名は、「さるびあ」という。花の名を冠した可憐な船であるが、丸という余計なものが付いている。
舟は性格で捉えると、古来より人は船を彼女といっていることからも分るとおり、助成である。さるびあ、あでじゃ米国的な女性の印象があるが、丸は如何にも日本男子的である。そんなことを少しくおかしいと思う。
東京湾、夜の舟から望むのははじめてのことである。人工的な美しさ、私は以前からこれを肯定するべきか否か迷っていたが、確かに青色に染まった橋の容貌は美しくあった。
橋は性格で考えれば男性であろう。出航するとオフィス街からすぐに工場地帯に入る。さまざまな工業的な用品が集まっている。それらのライトは大概オレンジである。黄色といってもよい。そのなかに、一つ真っ青に光る橋が架かっている。青は美しいと思ったが、しかし、全てが青になれば美しくはないだろう。一つだからよい。
大きな船に乗ること自体初めてと言ってよいことであったが、その多重的な構造は、一種の男性的興味をさそう。はじめ迷ってしまったが、よく地図を見てみると、6、7階層になっていることが分った。それぞれデッキがあり、そこから見える景色の違いがまた面白い。船は私が思っていたのとは裏腹に、全体がとても安定している。立つと地上に居ないことが感覚として分る程度である。
昔読んだ何某かの本に、生まれてからずっと海上、船の中で生活した子どもが、地上に上がったとき、しばらく陸地のために酔ったという。人間のそうした均衡をとるような器官を調べることもまた面白そうなことである。
東京湾から外へ出るまでは、私はデッキの上に出て友と酒を酌み交わした。豊太郎は誰と話すのも億劫だったようだ。私はまだ旅の始まりと言う事もあって、気分は良い。私は普段から体が弱い。気分が悪くなることを極度に恐れている節がある。だから、本当はこの旅もあまり気がすすまなかったのである。現地で具合が悪くなっても嫌だったのと、なによりも、半日ほど乗っている船の中でよってしまったら、というのが念頭にあった。だから、客船が私の思ったより安定していて、飛行機よりもよいくらいであるから、実に安心して、一つの不安が解消されたのである。そのため心持が晴れやかになった。
今、日の変わったところである。
少しく眠りが私を誘っている。外洋に出て、あたりに何もなくなってから、私は客室に戻った。和室という名の冠されている、言わば雑魚寝をする部屋で、若い人間しか使用しないようなところである。赤いカーペットはかたく、申し訳程度にまくらがそれぞれ配置されている。となりの人との境が、ガムテープであるというのも、どこか滑稽の趣がある。一人の神経が過敏な人間にはあまりに厳しい状況でもあった。幸いとなりに寝る予定の人物は、私たちの仲間であり、まだ甲板で誰かと話している。これが全く知らない人であれば、ということは全く嫌になってしまう。
周りには、旅の仲間がいて、雑談をしている。女性たちは、ストレッチなどをして楽しんでいる。頻りに私に話しかけてくるのでなかなか筆がすすまない。だが、私もそれを面白がって聞いている。
瞼が重い。デッキではまだ煌々と蛍光灯が光り、人々は話をしているのだろうか。何をはなしているのだろう。夜の海を眺めて、人は感傷的になる。日のある頃は熱さの続く夏の終わりであるが、夜の海上は少しく涼しい。風の強さが一寸うっとうしいが、海の湿気を感じずに済む。昔は石炭を燃やす、ごうごうとした音があっただろうが、今スクリューを動かす動力は電気であるから、静かである。この低い音は、一種の安心を与える。しっかりと、力強く舟が生きている証拠、我々を運んでいっている証拠。眠くなってきた。身を任すことにしよう。

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