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L,T,ディキンソン・上野直蔵訳「文学の学び方」への試論 感想とレビュー 文学入門書として

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-初めに-
自分の文章力向上のためということで、暗中模索でやってきましたが、やはりネット上に公開するからには、きちんとした訓練が必要だと感じていました。近代文学研究をやる上で、もちろん講義でもある程度の基礎的なことはやるのですが、それぞれの教授のくせもあれば、アプローチの仕方も違う。そうした部分をどうやって考えたらよいのだろうかということで、今更ですが入門書を読みました。
それによって、今まで行ってきたことが正しかったのだと裏づけされることもあれば、新しい発見もあり、根幹となる基礎的な考え方などを学ぶことが出来ました。
今回は、L,T,ディキンソン・上野直蔵訳「文学の学び方」を論じます。

-基本として、文学への向き合い方-
この本は、1959年にアメリカで出版されたものです。ですから、当然アメリカの文学生徒、英語でかかれているものが対象として書かれた入門書です。日本語訳されているとはいえ、例に挙げられる作品は全て外国のもの。しかし、本書の役者上野さんは、卓越した翻訳者で、まるで初めから日本語で書かれている文章を読んでいるような、すばらしい訳文を載せてくれています。
ですから、例を除けばあとは全て日本の文学にも応用が出来ます。1959年ということで、現在では主流となったテクスト論がまだ、それほど認知されていない時期ですが、本書にもあるとおり「まずテクストからはじめよ」ですから、先見性をもっていたことが窺えます。それが確かに根幹になるものですし、以前から基本中の基本だとも言えます。それを少し忘れていただけなのでしょう。

文学へのアプローチには、人それぞれのやり方があります。それは教授のくせにもなるものですし、どこからとっかかっていくのかという突破口にもなります。別にどれが良いとか、悪いとかいうのではありません。ただ、根幹となるのは、テクストからはじめるということ。その後のアプローチの仕方は、我々読者、或いは評論家たちの自由であり、創造的な活動なのです。
一、背景の面から文学作品を見る
二、作家の面から文学作品を見る
三、読者の面から文学作品を見る
四、他の文学作品との関係から作品を見る
五、それ自身実在(一つの世界)としての文学作品

さて、文学を評論するということはどういうことなのでしょうか。私たちは仕事をするのに、なぜ仕事をするのか、仕事をするとはどういうことなのかという、前提となる部分を考えるという機会があるでしょうか。もちろんそのようなことを考えてから行動するという哲学的な人もあるでしょうが、殆どの人はその前提を考えてはいません。私自身、大変お恥ずかしいことですが、どうして文学を学ぶの、どうして評論をするのかということについて、あまり考えたことがありませんでした。研究することばかりに目をとられ、どうして研究するのという大切なものを見失っていたのです。それを今回気づかされました。
「批評は単なるアラ探しではない。そうではなくて、ある文学作品を説明し、分析し、または評価する議論である。その目的は他の読者のために作品を照しだしてみせることなので、これは大切な目的である。」
この本は、読者は皆優れた批評家ではないため、他人の批評を聞かなくてもよいとは言い切れないということも書いています。さて、日本ではあまり堅い話というのは喜ばれませんね。熱心になって、自分の考え、意見を他人とぶつけるということが、なんだか恥ずかしいというようなイメージがあります。確かに何でもかんでも、自分の意見を言って、他人の意見を聞かないというようなことはよくありません。ですが、自分の意見をしっかりいい、他人の意見もしっかりきく、こうした姿勢はもっと日本人がもつべきことなのではないかと、私は思うのです。
私はこんなブログをやっている人間ですから、かなり周りの人間にはうるさい人だと思われています。恐らく、文学にしろ何にしろ、私の周囲に己の意見をしっかり持って、議論を戦わせてくるような人間があれば、私はこのブログをやってはいないと思うのです。
結局は、自分の意見を言うことの大切さもさることながら、他人の批評を聞くことも重要ということです。皆がよい批評家ではないのですから、他人の批評をまずは聞いて、そうして自分の意見を出すということが必要ではないでしょうか。

-文学の学び方-
文学と対峙したときに、どのようにその作品を分解するのか。当然初心者にはわからないわけです。本書が言うところでは、「何を表しているのか、からどのようにあらわしているのか」を言えるようにしなさいと指導しています。
ただ、私はまず「何」が描かれているのかということをとる必要があると思います。現代小説は別にいいのです。難解なものでなければ、誰が読んでも大体こんなことが書いてあるのだなということが分ります。しかし、近代くらいになってくると、文学作品と普段から接していない人にはちょっとわかりにくいものが出てきます。それを分るようにするのが、批評の役割でもあるのです。だから、まずは「何」が描かれているのかを分って、その上で「どのように表されているのか」を学ぶのです。
では実際にどのようにして小説を分析していくのか、それをヒントとして書きます。
人物
一、他の人物の反応による性格描写
二、外見による性格づけ
三、会話
四、行動による性格づけ
五、作者の陳述による性格づけ
六、人物の思考を述べて性格づけする方法
人物の理解
プロット
葛藤としてのプロット
一、葛藤の種類
二、葛藤の過程
筋の運びの蓋然性
一、時の扱い方
二、動機付け
三、伏線(ホアシヤドーイング)
背景
背景とプロット
背景と雰囲気
背景と思想
視点(ポイント・オブ・ビュー)
本書では、これらが細かく、分りやすく解説されているのです。是非、文学作品をあまりよまないという人にも読んで欲しいです。それくらい平易な文章であり、分りやすい内容になっています。そうして私のように、国文科の生徒でも新しい発見、基礎の再認識と、実りの多い本になっています。

本書の内容は、今まで述べた小説の解説が三分の一で、ほかに、劇に関しての学び方と、詩歌に関しての学び方とが書かれています。日本ではあまり隣接しているという感じはありませんが、アメリカでは密接した分野としてともに学ぶそうです。
確かに日本でも、詩歌、演劇も、国文で学ぶことになります。ただ、メディア関係も入ってきているため、あんまりそちらに時間が割かれていないという感覚があります。アニメや漫画、映画などが多く入ってきたせいもあるでしょう。特に、漫画、アニメは日本が最も進んでいる国ですから、そこは確かにそちらの研究も大切になってくるのです。

-終わりに-
本書でも言及されていうるのですが、J、ミルトンの名著アレオパジティカ(言論の自由)には「すべての自由にもまして、良心に従って思う通りに知り、発言し、論ずる自由を我に与えよ」が何かしらのものを批判する上で必要なのだと言います。
この言葉、じっくり何度も読んでもらいたいのですが、何よりもまして論ずることは自由なのです。それが人間としての尊厳でもあると私は感じます。
この本を読んで、私の文学への一つの道が出来ましたので、ここに記しておきたいと思います。
「読まなければならない作品はいくつもあるが、読まなくてよい作品は一つもない。なぜなら作品は全てユニーク(世界に一つだけしかないもの)だから」石野幽玄

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