池澤夏樹「氷山の南」への試論 感想とレビュー 人間の外向性と内向性について考える

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-はじめに-
あまりに分厚すぎて、たぶん多くの人が平積みになっていても手を伸ばさないのではないでしょうか。私も読み終えるのに少し時間がかかりました。しかし、かなり読みやすい本です。そこには、池澤夏樹の美しい文体があるからなのです。
私も小さな作家としていくらか文章を書きますが、まあ自分で読んでみても読みにくい。たぶん今書いているこの文章も非常にわかりにくいものでしょう。身に染み付いてしまっているものなのでなかなか直せないのですがね。
文体で言えば、大江健三郎は大変読みにくい文章を書きますよね。私はどちらかというとこちらの部類みたいです。
対して、池澤夏樹は元々詩から始めたということもあって、非常にわかりやすく、美しい文章を書きます。読んでいて綺麗な文章だなとずっと思っていました。
さて、この作品ですが、大長編です。話はそう遠くない未来、2016年が舞台。設定はスケールが大きい。水不足に困る人間の為に、南極の氷山をオーストラリアに持ってきて、そこで溶かすことによって発生した水を供給しようというもの。この話はジンカイザワという青年が、そのプロジェクトを行う船に乗り込み、その終末までを描いた作品です。

-宗教観-
この作品を語るに置いて絶対にはずせないことに宗教観があります。このプロジェクトを行っているシンディバードという船ですが、そこで働く人々は実に多国籍。主人公、語り手ともなるジンカイザワですが、漢字で表記すると、貝沢仁。日本人ですが、アイヌ人です。彼は日本人としてのアイデンティティーを獲得するのか、アイヌ人としてのアイデンティティーを獲得するのかと悩み続けている青年なのです。結論は私たちには教えられませんが、彼は確かに冒険の最後の神秘的な体験によって何かを見つけ、確信するのです。

アイシストと呼ばれる集団が出てきます。この集団は小説を読んでいく上で重要になってくるのですが、この思想に共感する人間は結構多いみたいですね。アイシストというのは池澤夏樹が考え出したものですから、実在するわけではありません。ネットで検索してみると、多くこのアイシストたちの考え方に賛同している人がいることがわかります。
このアイシスト、自身でも宗教じゃないといっているように、どちらかというと仏教に近いものです。神がいるわけでもなく、ただ自分の精神を見つめて改善していこうとする哲学的な思想の実行とでもいうのでしょうか。
彼等は陰陽でいったならば陰を好み、静動で言えば、静を好むのです。氷のように物体が静止した状態がすばらしいものと考えるとても消極的な思想の持ち主なのです。彼らの主張は、自然を苦しめてまで人間が生き残るのは傲慢ではないかというもの。自然を壊してきたのは人間で、その結果水が不足したのに、さらに南極の氷までをもひっぱってくるというようなことまでしていいのか。経済があまりにも熱し過ぎられていて、流動的すぎる。そのけっかがこういう状態を引き起こしたのではないか。別に経済活動を止めろというのではない。ただ、加熱しすぎているからそれを冷まして冷静になろう。自然を壊さないように生きようという考えなのです。
なるほど、いっていることもわかりますし、この小説でほアイシストが何人か出てきますし、ジンの恋人となるアイリーンという女性もまたこの考えに似ている思考を持っています。確かに、その通りだと感じるひともいるでしょう。この小説はしかし、それがいいからそうしようということにはならないところがすばらしいのです。もし最終的にジンがそのように判断したならば、この小説は大変つまらない道徳的な教義を教えるだけのものになってしまいました。ところが、この小説はとにかく多くの考え方を出す、出すだけ出してさあ君はどうするということを問うているのです。そこがすばらしい。

このプロジェクトの企画者でもあり、資本家でもある族長と呼ばれるアラブ人は、もちろんムスリム。何でもアブダビやドバイを拠点としているようで、私はアブダビに四年間住んでいたことがありますから、妙な親近感を持ってしまいました。
この船の名前もシンドバットからとったシンディバードですし、働いている人間にもムスリムは多いのです。アッラーの神をたたえるムスリムは、この小説では一神教としての敬虔な人間たちを描き出しています。

ジンの友人となるオーストラリアのアボリジニのジムも彼等の特別な世界を持っています。この小説を書くにあたって池澤夏樹は、参考文献としてアボリジニについての本をいくつか読んでいるようですが、よく勉強されていて、上手く小説に取り込めています。彼らの神や、彼らがいかにして成人になるのか、彼等のカントリーという独特の世界観、空間、これらが、小説が進むごとに上手くまとまってくるのです。このジムもアボリジニとしてのアイデンティティーと都会化してしまった町で住む少年としてのアイデンティティーとの間で揺れ動くのです。

とにもかくにも、多くの宗教観、思想が詰め込まれている作品です。ただ、新聞社によるこの本の書評では子どもに読ませたいというようなことが書かれていましたが、私はそうは思いません。こんなに複雑な思考をする18歳の少年はいません。しかも相当能動的。今現在どこかの船に密航するティーエイジャーがいますかね。やはり、ここには無理が生じると思います。『15少年漂流記』『宝島』がかつての青少年たちの冒険譚としての古典であれば、現代ではもう通用しなくなってきているのです。その流れにこの『氷山の南』もあります。だから現代の青少年が読んでもわからないのです。どうしてこんなに能動的に動かなくてはいけないのか当惑するのだと思います。


-宇宙観-
まあ、現代の青少年が読んでも仕方がないというのが私の考えですが、今能動的になれって大人が言ったってどうしようもないわけでですよ。実際能動的に動ける余地がないのですから。経済は停滞しっぱなし、親は働けど働けど暮らし豊かにならず。暗いですよね。子どもの数も少なくなってきています。今、一人の青年が冒険しようものならば、すぐに警察に捕まって家に送り返されるのがおち。つまらない世の中になりました。冒険はもう世界から消えてしまったのです。全てが機械によって管理されているため、まったく人間が遊ぶ余地がない。国を越えるためだけに一体どれだけの手続きが必要なのですか、そんなめんどくさい世の中で冒険なんて出来るはずがないし、しようとも思いません。

現実がどうこういってもしょうがないので作品に戻ります。私が驚いたのはなんといってもやはり冒険も終末に近づいた宇宙の場面。ジムとジンは出来るだけアボリジニの因習に従って成人しようとします。彼らはこのたびを通じて、自分たちはもう一段階大きくならなければならないと感じたのでしょう。これは文化人類学の分野になると思いますが、私は日本の成人式というものはとてもよいものだと思います。年齢が18と20という二つバラバラになってしまっている部分が日本にはあるので、そこをなんとか統一しなければならないとは思うのですが、それは置いといて。成人式は20になった人間が大人になったというアイデンティティーを確立するために重要な間なのです。儀式は間です。子どもから大人への間。
このジムとジンもそうした儀式が殆どなくなってしまった世界にいたから子どもともおとなともなりきれないでいたのではないでしょうか。アボリジニの生活はイギリスが植民地化したことによって崩壊しました。アボリジニの因習はすべて取り払われました。だから、アボリジニはいつから大人になったかわからない。それまでの神、大地、自然との交わりが絶たれてしまったのです。
ジンも恋人アイリーンを前にするとどうしても自分が子どもであると感じざるを得ない。確かに7つも違うのですから当然といえば当然ですが、それでもしっくりこない。彼はそもそも、自分の殻を破るために密航したのです。今のままではいけない。何か新しいものに生まれ変わらなければ。そういう感覚が残っていたひとりなのです。

少年たちは断食をします。水もほとんどなし。しかも氷山の上で。そこで彼らは肉体を離れ、一種の精神的なものとして宇宙をさまようのです。ここの描写にはともかく驚かされました。とても映像的なのです。まるでSF映画の世界ですが、それでも美しすぎる世界。これはこれまでの積み重ねがあったからこそ感じられた世界なのです。つまり、ジムやジンとともに、読者も成長してきたからやっとここで宇宙に旅立つことが出来るのです。
この場面はこの上なく感動しました。

-終わりに-
冒険譚として描かれていますが、どうしてもワクワクできないというのがこの作品の現状です。私たちが感情移入できないのです。それは単に多くの思想的なものを詰め込みすぎてしまったということも一つあるでしょう。
また、現在の状況とあまりにもかけ離れた世界であるということ。実感、体感ができないのです。その点で言えばこの作品は、青少年には向かない本だといえます。
ただ、描かれていることはかなり普遍的な問題が多く、そのぶん重い内容が詰まっています。これは私はすごいことだと考えられます。最近のライトノベルのような内容のないものとは売ってかわって、噛めば噛むほど味が出てくるような本です。先ほども述べましたが、多くの価値観があり、それの提示が繰り返されています。
我々は考えなくてはいけません。自分で考えなければいけないのです。冒頭でジンが氷山をみて解釈できないといっています。これはこの作品に相対したときに私たちが言えることでもあり、これだけ多くの多用な価値観が現れて、一体何をどうしたらいいのか解釈など出来ないのです。してもいけないのです。これがいいとかあれがいいとかそうしたものは一切排除されるべきなのです。
無から考える。そうして作り出す。この冒険はそれをジンと共に行うものでもあります。
もう少しひきつけるものがあるとより面白みが増すでしょう。

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