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映画『まほろ駅前多田便利軒』への試論 感想とレビュー 現代日本映画の一辺を見る

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-初めに-
この『まほろ駅前多田便利軒』は三浦しをんによる日本の小説が原作です。それが様々なメディア展開をして、漫画化、映画化されています。今回はその映画作品についてのみ論じたいと思います。原作を読んでいないので、本当は比較研究の視点からこの映像化作品を批評したいのですが、時間の都合上この映画作品のみで、日本の現在の映画についても論じてみようと思います。

-内容の空虚-
2011年キネマ旬報日本映画ベストテン第4位ということもあり、私は大変関心と興味をもってこの作品を見ました。三浦しをんの小説は面白いものが多くあります。そのような期待もありました。
ところがこの映画を見ていて極めて不愉快になりました。何故これがそんなに多くの人々に評価されたのか理解が全くできません。ここに私は現在の日本の映画事情を読み取りました。
先ず、なにがいけないといって、感情論では論理性がありませんから正確に分析しますと、一言で言えば長上であるということです。とにかく長い。長いだけであれば全くなんの問題もありませんが、内容がない上に長いのですから、通常よりも数倍の長さ、つまらなさのよって観客の失望を招きます。
つまらないという言葉には、「詰まらない」という字が当てられますが、その言葉通りで、全く中身が詰まっていないスカスカの映画なのです。
というのも私はここに文章作品と映像作品の越えられない壁があるためだと感じています。ですから結論を言えば、元々成立しようのないことをやったためにどうしようもないものが出来てしまったということなのです。読んでいませんからわかりませんが、恐らく三浦しをんが書いたこの小説は、心象表現がかなり豊かなのだろうと予想します。主人公となる多田啓介の内心が鮮やかに描かれる。行天春彦との男同士の濃密さと淡白さが合矛盾しつつ成立している関係性にも文章では上手く表現できていたのだろうと思います。
その心象によってでしか表現できないものを、無理に映像化したということにこの作品の不幸はあるのです。漫画媒体ならまだ心の声を描写することはできますから、読者は主人公たちの内面の声を聞くことができ、そこに共感することが出来るのです。ところが映像化すると、本人たちがいまこんな気持ちだということを言葉によって表現することは不可能ですから、大変内容が薄くなる。
全ては役者に懸かっていますが、恐らく大物俳優でも不可能なレベルの内容ではないでしょうか。それを本当の苦難をしらない俳優として成功している人間が演じたところでなんの共感も得られないどころか、不快感を覚えるのです。
何故この作品がヒットしたのか私はわかりませんが、恐らくキャッチコピーと宣伝の手法がたくみだったのと、男性俳優が女性に受けたためだろうと考えられます。

-描こうとしているものの不在-
どこか浮きよばられした感じが二人の俳優の演技力の高さによって表現されていましたが、どうにも二人の内心というものは伝わってはきません。行天春彦という人物はとにかく不明。やっていることおこなっていることが全く理解不可能となってしまっています。そんな不可解な行動をとっている男性二人を見ても、感動も何もあったものではないのです。
そうして理解不可能な作品であったとしても成功する例としては、ある重大なものを実によく描けているということです。例えば非常に美しいものが描かれているとか、極めて残酷なものが描かれているとかです。
ところがこの物語が描こうとしているのは、社会の底辺のあたりに存在する人間たちの性(さが)といったもの。それを薄汚い男性二人が演じるのですから、女性にとっては男性俳優の違った一面を見られて良いかも知れませんが、作品としてこれを冷静に見つめたとき、そこに感じるものはただの薄汚さだけです。
そうしてどこか二人とも飄々(ひょうひょう)として生きているのですから、薄汚さから不快感、果しては苛立ちへと変化します。その程度に人間の交わりを描いてなにを言いたいのかがわからない。
最後の最後にカタルシスがあればまだ作品として成立しますが、そのようなカタルシスもない。描こうとしているのかなと思われる部分はいくつかありましたが、どれも成功しているとはいえません。
とにかく見終わった後に残る不快感と、空虚感は筆舌に尽くし難いものがあります。

-終わりに-
現代の日本映画は、内容がないことをとても上手く隠す手法を身に付けたようで、他の作品にも見られることですが、とにかく何の意味もない場面をやたらと流して、詩的な余韻を含ませようとしています。だから余計に時間的にも長くなる。しかも静寂ですから、写真をいくつか挿入しているような感覚があります。
もちろん元からそういうスタイルを決めて詩的な美しい作品をつくるのであれば何の問題もないのですが、こうした人間性を描こうとしいる作品をむやみやたらに伸ばしてしまうのはよろしくない。
大変残念な作品であります。どうしてこれが売れたのか、やはり実感として理解することが出来ません。

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