スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映画『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』への試論 感想とレビュー ヒーロー性について

51G61sCZJbL.jpg

-はじめに-
ある作品には超人的な人物、ヒーローが登場するという話形が多々あります。これらに登場してくるヒーローは大抵孤高な戦士であります。いわば、絶対的な存在・揺るがない存在であるのです。他に比較するものがないから一元的な世界が構築できていたことになります。それに悪役の登場により、より際立ってそのヒーロー性が誇張、強調されるのです。
善悪の対決となっても二元的な世界でしかありません。さて、果たしてそれらのヒーローは本当にヒーローなのかという疑問が生まれてきます。
テクスト論的に考えれば、筆者の絶対性を疑って掛かるという構造であります。ヒーローを他のヒーローと比較することによって、本当にヒーローなのかという疑問から、ヒーローとは何かという定義までを考察できるようになるのです。こうした観点からみても、相対化・比較をして研究するという意義も生まれてきます。
ですから、この作品自体が、すでにヒーローを研究するための解釈媒体でもあるわけなのです。私たちはそれをさらに解釈できるのですから、これは嬉しいことだと思います。

-ヒーロー性-
しかし、実際この映画を見てみると、ヒーローなのかこいつという感情がすぐに芽生えてくることでしょう。そもそも原作をしっていたならば、大抵ヒーローとは思えないようなキャラクターが登場しています。
アラン・クォーターメイン/H.R.ハガード作『ソロモン王の洞窟』などの主人公
ミナ・ハーカー/ブラム・ストーカー作『吸血鬼ドラキュラ』のヒロイン
ドリアン・グレイ/オスカー・ワイルド作『ドリアン・グレイの肖像』の主人公
トム・ソーヤー/マーク・トゥエイン作『トム・ソーヤーの冒険』の主人公
ヘンリー・ジキル博士&エドワード・ハイド氏/スティーブンソン作『ジキル博士とハイド氏』の主人公
ロドニー・スキナー/H.G.ウエルズ作『透明人間』からの翻案キャラクター
ネモ船長/ジュール・ヴェルヌ作『海底二万里』、『神秘の島』の主人公
確かに、タイトルもヒーローという文字はなく、伝説を築いた怪人の物語であることは間違いありません。ですから、ヒーローかどうかといわれるとヒーローではないのです。ヒーローに近い、善なる力を持つものとしてはクォーターメインやトム・ソーヤくらいでしょうが、これらの人物もある作品の主人公であるというだけで、ヒーロー性は薄いように思われます。
ただ、ここに怪人たちが集まることによって、相乗効果が生まれることは確かです。一人の人間には出来ることの限界があります。ですからいくら怪人と呼ばれるようなある作品の主人公であっても、出来ることは限られるのです。
ただし、この怪人たちが集まったらとなると話は少し違ってきます。怪人同士が戦うことになってしまえば別ですが、協力という選択をしたならば、相乗的にその力は強まるのです。
作品の中では、雑魚と化した一般人たちがこれらのヒーローによって簡単になぎ払われていくのを見て、観客は一種の爽快感を覚えるでしょう。圧倒的な力をみて、それに押しはねられていく雑魚を見たとき、私たち人間は、自分が出来ないことであっても、感情移入をすることによって、その痛快感を享受するのです。
ただ、いくらなんでもスーパーマンのようなのが何人も出てきてしまったらお話になりませんから、一応人間からそうはなれていない程度の怪人が集結したというところでしょう。

-内容の欠如-
話の内容も相当幼稚といえば幼稚で、大してエキサイティングな展開とはいえません。ストーリー性は全くないといっても良いでしょう。ですからどこが見せ場かというと、やはりヒーローが集まって、戦うということになります。
トムソーヤのことをクォーターメインが師となって、成長を促すような話をなんとか組み込もうとした感がありますが、私から言わせてもらえば、単なる茶番に過ぎません。かつて伝説と呼ばれた怪人の時代は終わり、新しい伝説の誕生が始まるめいたことを言いたかったのでしょうが、それはなかったほうがよかったのではないでしょうか。そんな小手先の道徳的観念を入れてもらわないほうが、チープにならなくてよかったのだと私は思います。
話形としてはマクロコスモスを描いた作品です。外へ外へと向かっていく。外に敵を作り、偉人たちが集結する。しかしやはりそうした作品に多く見られる、中身が伴わない、スカスカの状態になってしまっているという感じが否めません。
内容をもっと充実させるべきでした。それぞれの作品から怪人を引っ張り出してきたのなら、その作品の背景となる部分にも言及したり、それぞれの作品と関連のある敵を出したり、協力者を出したりするべきでした。
よく、日本では戦隊物のヒーローが大集結したり、プリキュアの戦士が全員集合したりといったことがありますが、あまりに拡散的になってしまうのです。全体としての収集が着かない。ましてや集まっているメンバーはもともとヒーローですから、誰かと協力する必要も今までなかった人物ですし、チーム性というものは悉くかけているのです。
だからヒーローだったのです。ですから、そのそもヒーローが集まって集団になっしまうということ自体がヒーロー性を殺すことに他ならないのです。

-おわりに-
単に面白いのですが、些か内容がない。B級映画を抜け出せていない感じがあります。ですから、これから目指す方向としては、いかにこうした作品の内容を深めて、重厚な作品にするかということだと思います。
外へ向かう作品はどうしてもそのスケールから中身をつめることが難しいのです。そこには絶え間ない努力と、緻密な設定などが必要になることでしょう。
作品としては一応完結していて、爽快感がありますから、まあ成功しているといって良いでしょう。疲れていてどうもすかっとしたいといった時に見るのはオススメできます。ネモ船長すげえなと感心できることでしょう。あのインド風の格好といい、ストイックな性格、口ひげ、船長としての腕前もさることながら、かなり強い武芸者でもあります。こういうのにはまってしまう人は多いのではないでしょうか。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

幽玄

Author:幽玄

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

アクセスランキング
[ジャンルランキング]
小説・文学
156位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
13位
アクセスランキングを見る>>
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。