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映画『卒業』への試論 感想とレビュー 青春の傑作・話形の抽出



-はじめに-
卒業(原題:The Graduate)は、1967年にアメリカ合衆国で制作された青春映画、恋愛映画。原作はチャールズ・ウェッブによる同名小説です。言わずと知れた名作ですから、今更私が解説する必要性もないように思われます。しかし、今この時代にもう一度解釈を試みることによって、何らかの生産的な行為が為されるのではないかと思い、今回はこれを論じます。
ただ、名作中の名作、古典となってしまった今、この映画がもはや省みられなくなっているのではないかという恐れもあります。この映画とオンタイムで生きていた人々は、もう還暦の付近にいるわけです。そうすると、この映画が、現在の10代20代に見られていることは恐らくないでしょう。
確かに現在見てみると、そんなことがあってたまるかといった内容があります。不自然さがあるとしても、しかし、現在でも通用する内容が含まれているのではと私は思います。

-現在で見る不自然さと通じるもの-
不自然なものというのは、公開当時は不自然ではなかったのかどうか気になるところです。先ず初めに、主人公ベンジャミンとミセス・ロビンソンとの関係です。大学卒業後、帰ってきてすぐにお隣さんの奥さんとそういう関係になりますか、ということですよね。ましてや、自分と同い年の幼馴染の親ですからね。年齢的に考えても自分の親とそう変わらないわけです。確かに昨今の歳の差カップルとか歳の差婚といったものはあります。しかし、それはあくまで独身と独身の間で行われる健全な関係です。ただでさえ不倫というのは道徳的にも倫理的にもよろしくない。しかも年もかなり離れている。
いくら無気力感に襲われているからといって、それを受動的に受け入れてしまうベンジャミンはやはりどこかおかしいようです。
二つ目は、けちつけるようで悪いですが、最後の名シーン。教会に押しかけて、花嫁をかっさらっていくという場面です。とっても感動的で、ドラマティックで良いのですが、現在若者が見たときに、そんなことあるかいと一蹴されてしまう可能性があります。通常であれば、カップルの間で三角関係になるとか、取り合いになるとかそういうことなんだろうと思います。結婚式でどうこうというのは、実に象徴的な行為です。アメリカでは確かに日本と違って、婚姻届を出すという行為よりも、結婚式で神父に認められるということのほうが重要性はかなり高いです。ですから当時のアメリカ人がみたら、そこまで違和感を感じなかったのかも知れません。

現在でも通用するものとしては、先ずベンジャミンの不安感です。これは芥川の「ぼんやりとした不安」によく似ているのではないでしょうか。大学では相当優秀だったベンジャミン。大学ではスター扱いされてきたのだろうと思います。しかし、そんな彼がどうしていきなり不安に襲われて、消極的、受動的になってしまうのでしょう。今までの積極的、能動的な部分(映画では描かれていませんが)、は一体どこに消えたというのか。これは大きな謎であります。
私は尾崎豊の作品、特に「17才」のような作品のなかに、この不安の答えが潜んでいるような心持がしています。大学はモラトリアムだということはよく言われますが、このベンジャミンはそのモラトリアムの中で、一生懸命目下のことばかりをしすぎてしまったのでしょう。そのため、長い目で先を見つめてこなかったので、突然不安に襲われる。ちょうど、子どもと大人の間なのです。そこで、新しいアイデンティティーを発見しなければいけない。もし失敗したら、でもまだ見つからないという強迫観念があるように思われます。
これは現在でも通じることであります。二つ目としては、話形としての結婚式からの彼女奪還です。これは不自然、ありえないことだとしても、物語としてはやはり人気があるのではないでしょうか。この作品は多くのそのような作品において、おそらく原点に近いものだと思います。つまり、結婚式、しかも誓いのキスの直前、土壇場で逆転するという話形です。
土壇場逆転劇は多くありますが、婚姻を取り扱って、ここまで鮮やかに描ききったのはこの作品が最初ではないかと私は思います。

-音楽性-
アメリカ映画は全体を通して見てみると、内容として・物語としてはあまり成熟していないように思われます。それは風土的な問題もあるかと思いますが、しかし重厚な物語というものはあまり存在しないし、好まれない傾向にあるように感じます。
ただ、そのためもあってか、たびたびアメリカ映画には、映像メディアの最大の利点を活かした、音楽との融合というすばらしい技を極めた作品がちらほら出てきます。戦闘ものとのコラボの原点は「トップガン」でしょう。
青春物の原点はこの「卒業」です。サイモン&ガーファンクルの名曲の数々が、完璧といっていいように、映像とマッチングするのです。この爽快感はそう味わえるものではありません。
事実、この映画の公開の後に、サイモン&ガーファンクルは全世界的に一躍有名になりました。このことが、映画全体を見たことがない人でも、結婚式で花嫁を連れ出すラストや、サイモン&ガーファンクルの名曲のみを知るということに繋がったのです。音楽性がこの上なく極まると、その影響だけで、映画の印象が全て決まるといっても良いのです。
これは日本の映画界もこれからもっと極めていく部分だと思います。もちろんそうねらったからといって簡単に体得できることではありませんし、音楽と映像をマッチさせるという土壌がもともとありませんでしたから、実際には大変難しいことです。

-終わりに-
この映画には、二つの解釈が存在します。一つはハッピーエンドだという説と、バッドとまではいかなくとも、これからの二人の未来は明るくないという説です。どうやら、監督は後者のほうを描きたかったらしく、バスにのってからなかなかカットを言わないで、二人を不安にさせて、それを撮ろうとしていたことを打ち明けています。
バスの中は老人ばかりだという指摘もあるように、二人の表情もまた、完全に晴れやかなものではありません。下地に不安を塗った笑いのような感じがいたします。
もうこの二人がその後どうなったのかを教えてもいい年代になったと私は思います。この二人が生きているとしたら、二人とも還暦近くなのです。バスのなかの人間全員が二人をいぶかしげに見ている場面は特に印象的。おそらくこの後の二人の人生は、他人に絶えず監視される目が付きまとう人生だったのだろうと思います。
幸せとはなにかを問うている作品なのです。しかも、それが非常に多重的に解釈できる終わり方で終わっている。だから、この作品を見た後で、ベンジャミンの不安が感じられる人もいれば、愛の力の勝利だと感じるひともいるわけです。
作品として、ここまで多重的で深いのですから、やはり今の若者にも見て欲しい作品の一つです。

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No title

最近観賞したのですが、世間で言われている解釈とは別にもう一つ相関図のラインがあるのではないかと思いました。

それは、ベンジャミンとエーレンが異母兄妹という事です。

そうすると、二人が唐突とも取れる強く惹かれあう現象も理解できますし、二人の仲を執拗に妨害するロビンソンの行動も納得できます。

ロビンソン夫人がベンジャミンにアプローチするのも若かりしベンジャミンパパを想っての行動なのではと推測できます。

ロビンソン夫人の望まぬ妊娠による大学中退と結婚 というエピソードも恋人の共同経営者である浮気相手(本気かも)との子であれば頷けます。

結婚後 アルコール依存症になったという事も夫に対する罪の意識からなのかもしれません(その後もっとひどいことをするのでこれは違うかもしれません)

髪の色、瞳の色などの条件は分かりませんがベンジャミンとエーレンが異母兄妹と想定して観なおすとしっくりいく設定 演技 が多々見られます。

僕の中では確信に近い感想です。

ただ、作品発表から長い年月が経っているのにそのことを指摘したレビューが見当たりません。
監督や演者からの実は・・・と言うエピソードもでていません。

不倫よりも近親相姦の方がよりタブーなのかしら?

確信的な演出をしているので少なくとも監督は自覚しているはずなのですが・・・・不思議です。

僕がやっぱり間違っているのかなぁ~(^_^;)

ご検証よろしくお願いします。

Re: No title

大変面白く、斬新な解釈です。私では気が付けませんでした。
解釈に間違っているということはありませんし、この解釈が有名になればより多義的な見方の視点が生まれます。
せっかくですから、作品のどこにどういう表現があるのか、異母兄妹論を展開するための論拠をもう少し正確におさえて、論理的な文章にしてみてください。それを是非ネツト上でもよいので発表してください。
発表する場がないのであれば、私のブログに掲載することもしますから、どうか異母兄妹論を書いてみてください。
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