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アニメ映画『AKIRA』アキラへの試論 感想とレビュー 80年代が到達した世界

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-はじめに-
『AKIRA』(アキラ)は大友克洋による漫画。映画化は1988年。
アキラは誰もが知っている国民的な漫画として、今なお多くの人に知られています。漫画研究をするときには、この『アキラ』は語るにはずせない重要な意味をもっています。スピード線が多用された80年代前半の風潮とは一変して、殆ど静止画のような絵しか描きません。しかし、それにも拘わらずとても写実的で、より動きに躍動感があるように見えるのです。
また、その画法もさることながら、描かれた内容が稀有なもので、映画化もかなりはやい時期に行われています。今回はこのアニメ映画を論じます。
何かと伝説の多い、このアニメ映画です。実際に、当時でも、また現在でも考えられないように、制作費に10億円かかっているとか、総セル画枚数約15万枚とか、です。また、制作手法としてアフレコではなくプレスコを採用し、人物の口の動きを通常3種類を5種類まで描きこんでいます。

-描かれた精神世界-
原作をまだ読んでいないので、どのような相違点があるか詳細にはわかりませんが、映画化に際して内容を圧縮、変更したようです。描かれるのは、超人的なパワーを持った人間たちです。しかし、アメリカのヒーローもののように、それを他人のためや、社会のために使用するという簡単なものではないのです。
ここに出てくる人間はその殆どが、自我というものを露骨に表す非常に人間くさい人物たちです。そのため、観客としての私たちは、極端に理解、共感できると同時に、今までそのような作品が少なかったことに驚かされます。しかし、また同時に露骨なまでの人間くささに嫌気を感じることもあります。自己嫌悪感にも似た、人間のエゴをきちんと向き合ったとき、そこにはやはり醜いものがあるのです。
この作品は、当時の若者の心境、社会のあり方を見つめ、それを仮想の世界ですが、全くリアルに描いたのです。それが共感されたのです。80年代は、経済があまりにも過熱的に発展して、生活は確かに豊かになりました。しかし、それと同時に、物質的に満たされていても、精神的に満たされることのないことに気がつき、そのコントラストがより際立って見えてしまったのです。現在でもまだ、精神的に満たされることはありません。ただ、加熱して燃えたものが今冷え始めていて、社会は停滞。お先真っ暗な状態なのです。そうすると、この作品の製作当時と全く反対のことが起きているということになります。しかし、今みてもその内容が切に伝わる部分を考慮すると、やはりそこには真実が描かれていたと考えざるを得ないのです。
その真実は、精神的に満たされないことへの欲求、欲望なのです。なので、この作品は一見外界のことを描いているように見えて、内面の世界を描いているのです。物質的にはあまりにあまってしまった世界。第三次世界大戦の荒廃から復興したのにもかかわらず、どこかで人間はまた道を誤ったのです。その弊害がこの世界には多く描かれています。
発展しつづける一方、巨大化した組織は内部腐敗がすすみ、まともな危機管理が出来ていない状態になっています。また、スラムと化した汚い世界、バイオレンス、や恐怖が支配する世界があるのです。宗教活動も活発になっています。

-現代への警鐘-
この作品の反対に位置するものは、『デスノート』ではないでしょうか。キラは自分が世界を救えるのだという一種のメシアコンプレックスによって、人を裁き始めます。根底ではどちらも超人的な力を持ったことから始まるのです。しかし、その使用方法が全く反対になるのです。腐敗しきった世の中を、これから破壊するのか、救済するのかということになるのです。
この作品では、超能力は全く良い方面には使用されません。突然の能力の開花によって、鉄雄は世界でもっとも強い男となったのです。ですが、薬物投与の影響もあり、精神的に非常に不安定。これは当時の日本をあらわしているのではないでしょうか。力をもったけれども、全くコントロールできずに不安定なもの。その結果がバブル崩壊です。
そうすると、この作品はその後すぐ起こってしまったバブル経済の破綻を予兆していたことにもなる、先見性のあった作品とも見て取れます。

確かに人間は力を求めます。しかし、求めたところでコントロールが出来ないということが多々あるのです。その結果が現在でいうならば原子力になるわけです。人中を越えた力。魅力的ですが、あまりに危険すぎます。この作品では、アキラという絶対的な力がすでに封印されているところから始まります。これはいわば日本がかつておこした戦争のようなものです。かつての危機をなんとか封じ込めたものの、しばらく経つと皆忘れてしまう。そうして再び力を求めた結果、また同じことが繰り返されてしまうのです。
映画では、敷島大佐のみがその恐ろしさをきちんと理解している存在で、口にこぼしています。結局博士もその力に目がくらんだ人物でした。作中では最も年長者となるドクターでさえ、力の誘惑に屈したのです。
そうして結末は、また崩壊が起きる。宇宙が精製されているような莫大なエネレギーとともに、再び破滅。人類はその力へ対する欲望をどこかで捨てなければいけないのです。そうでなければ、この作品と全く同じ運命を辿ります。
もし、原発が東京にあり、あの事故がおこったとしたら、この作品と同じようなことが起きていたのではないかと考えられます。この作品では超能力という、現実味のないものが世界を危機に陥れますが、しかし、その超能力は人がコントロールできない巨大な力という意味においては、原発然り、科学技術一般を指すのです。

-最後に-
このアニメ映画は80年代の最高、最終形態だと言い切っても良いと私は思います。アニメ映画に10億円を投入するというすさまじさは、類を見ません。その結果、全てが極限まで高められた作品が完成したのです。これだけ完成度の高い作品は他にはありません。音声を先に録音し、それに合わせて実際の人間と同じ口の動き方を描いてあわせる。そこまでして現実的に、写実的に描く理由はなんだったのか。それは先ほどから述べているように、現実を描いているということを私たちに教えるためだったのではないでしょうか。
この映画ではCGが全く使用されません。全て動きを持たせるために写実的に描きまくるのです。
社会的な精神病が絶妙に描きこまれているため、全体的に暗いですが、その分メッセージ性も強く、傑作といわざるを得ません。人類はまだこの映画から何も学ばないのでしょうか。

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