アニメ映画「11人いる!」への試論 感想とレビュー 80年代のジェンダーとしての女性性

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-はじめに-
「11人いる!」は萩尾望都による日本の中篇SF漫画。初出は漫画『別冊少女コミック』1975年です。今回はそれをアニメ映画化した作品を取り扱います。この作品の公開は1986年です。また、80年代の作品ということになります。
さて、この作品は初出が少女マンガということもあって当時かなりの話題を集めました。本格的なSFを少女マンガで行うということは珍しいことだったのです。現在でも珍しいとは思いますが。しかも、主人公は男性。映画のなかには腫瘍メンバーに確固たる女性は一人も登場しません。唯一女性の容貌を兼ね備えたフロルというヴェネ人。しかし、この種族は雌雄未分化という特殊な性の状態をもっていて、成長とともにどちらになるかを決定するというものなのです。稀に魚の種族にもこのようなものがありますね。それと同じようなものだと思ってもらえればよいのではないでしょうか。
2011年の連続ドラマ『11人もいる!』とは異なりますから気をつけてくださいね。ですが、このタイトル、11人いる!というのはなかなか洗練されたタイトルですね。人を惹き付ける魅力があります。一体何が11人なんだ?と感じるわけです。全体を貫いたすばらしいタイトルです。ドラマは知りません。

-80年代ジェンダーとしての女性-
この作品はそうすると、主人公こそタダという少年ですが、少女マンガとして考えると、フロルへの感情移入が行われるのではないかとかんじます。女性性の獲得なのです。このフロルの所属するヴェネでは、人口の問題から、男子は長子しかなれないと決定されています。ただ、例外的に大学に合格するというような名誉の場合には、親の意志に反して自分でどちらになるかを決定することが出来るということなのです。すると、このフロルは当時の抑圧された女性性からの解放が先ず一つ目の大きな課題となることに気がつかされます。
女性はすでに生まれたときからその人生が定まってしまっているのです。同じく作中ではヴィドメニール・ヌームという雌雄同体の種族が出てきますが、この人物が口にする言葉は常に「定め」であります。この言葉の中には運命であるという概念も多かれ少なかれ含まれていることでしょう。このフロルはしかし、その定めからもがく、自己を画一しようとあがく人物として描かれるのです。
フロルは自分の星では一夫多妻制で、女性は確かに美人で、大切にされますが、しかしそれで終わりだといいます。兄の成人式を見て衝撃を受けたフロルは、生まれてきたからにはあのように皆からもてはやされたいと願うのです。ですから、80年代にはこのように、社会的に女性はこうであるべきだという観念があったのでしょう。そこからどのようにして、その社会の女性性、ジェンダーとしての女性と戦っていくのかという問題を突き詰めた非常にするどい眼差しがここにあるわけです。
様々な困難を越えていくわけですが、そのなかで、フロルはタダと惹かれて行きます。タダがフロルに惹かれたといったほうが良いかも知れません。結局はタダに告白されることによって、自分でも気がつかなかった女性としての自己を悟るのです。この状態ではまだ性は未分化でありますから、我々でいうところの思春期にも達していないものだと考えられます。すると、生殖というものもないわけですから好きになるということもあまりないのだろうと考えられます。しかし、フロルはそのタダの思いに答えてあげようと思い、決心するのです。

-密閉された空間・古典的話形-
この作品はそのようなジェンダーとしての女性像からの脱却と、新しい自己としての女性性の構築を描いた作品であると同時に、またSFの古典的な話形も使用しています。密閉された空間の中で集団がどのようにして生活していくのかという問題です。集団心理学の専門分野になるのだろうと思います。
このような考えが出てくるのは、先ず船による航海が始めでしょう。その長い航海の中でどのような心情変化が生じるのか。それが、宇宙へと目を向けられたとき、より圧迫感のある宇宙船の内部での生活はどのようなものになるのかと誰もが考え始めたわけです。この作風は先ず手塚治虫の「火の鳥 宇宙編」に見られる構図ではないかと思います。恐らくそれ以前からもアメリカのSFでは取り上げられるような話形だったのでしょうが、日本の漫画はこれが割りと早かったのではないでしょうか。漫画を専門で研究しているわけではないので、情報の正確さに欠けますからそこは了承してください。
ある密閉された空間で、実際起こってはいけないことが起こる。自分たちの中に犯人がいる、紛れ込んでいる。疑心暗鬼と自己との戦いですね。味方がいない、誰も信じられなくなると、信じられるのは自分だけということになります。しかし、実際人間は自分ひとりで何でもできるわけでもない。精神的にも一人ではいられない弱い存在なのです。だから、どこかでその疑心暗鬼から脱却して、他人を信頼するということになります。しかし、信頼するということは同時に自分の命を預けるということになるのです。もしも預けた相手がこの作品でいうならば、11人目ならば、それはつまり死と同義になるかも知れないのです。
この話形は少し異なりますが、小野不由美の「くらのかみ」にも似ています。いてはいけない人間が存在する。
この作品はしかし、実際かなりやさしい話です。嫌な終わり方をしない。きちんと終わりをつけて、しかもハッピーエンドにする。後味が非常に爽やかなものになるようになっています。80年代の風潮ですかね。わざわざエンドロールでは、その後の11人がどうなったのかまで詳しく解説してくれているのですから、細やかな気が配られています。

-おわりに-
テラ思想というものがあるのではないかとこの作品を見て感じてきました。この作品は他の種族とのコンタクトの後、戦乱が続いたけれども和解をしたあとの話です。その多種族とのコンタクト戦いを描いた作品は多くありますね。前回見た「地球へ・・・」もそうですし、「幻魔大戦」もそれに類するでしょう。「宇宙戦艦ヤマト」「マクロスシリーズ」はまさしくこの異種族との激しい戦いを描いたものです。そうしたものが描かれる一方、この作品はその後の世界を描いているのです。和解できたと仮定するのです。だからそこには多種多様な種族が存在して、個性的であり、それらの人々が同時に生活するとどのようなことが起こるかということを精緻に書き上げられた作品のため、評価が高かったのです。
アニメ映画では声優の当てられ方に不満を持つファンが多くいたらしいですが、性別がない種族の声なんてそもそも人間では当てられませんよね。

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