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映画「25年目のキス」への試論 感想とレビュー もういちど高校生活を送りなおす

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原題はNever Been Kissed。1999年のアメリカ映画。
-初めに-
久しぶりに面白くて、楽しい映画を見ました。日本語版のタイトルは「25年目のキス」原題は「Never Been Kissed」。まずはこのタイトル表記の問題から論じます。この作品を知らない人が見たら、一体どうしたらこのような訳になるのか当惑するでしょう。あまりにニュアンスがかけ離れすぎてもやはなんのこっちゃわかりません。種明かしをすると、この映画の主人公ジョジー・ゲラーはブサイクだと呼ばれ続けた高校生活を送り、25歳になった現在でも一度もキスをしたことがないということなのです。だから今まで一度もないということでNever Been Kissed。日本語では主人公の年齢から考えて「25年目のキス」。
でもこれはいくらなんでもと私は考えます。私は文学者ですから翻訳は門外漢ですが、しかしこれじゃ意訳しすぎて意味が通じません。ちょっとやりすぎだと考えます。私なら「はじめてのキス」とかにしますね。ただ、これだとあまりに平凡すぎて他の作品に埋もれてしまうという欠点もあります。様々な試行錯誤の後にこのタイトルに決まったということはわかります。

-もう一度高校生活を-
さて、皆さんんはどのような高校生生活を送ってこられたことでしょうか。私は何年も付き合った彼女を親友と思っていた人間に奪われ、友人たちはぐるになって私をはめ、大変な目に合いました。その結果一方で芸術的な方面に力を全て注いだこともあって高校生のコンテストでは、絵画や写真で入賞するなど、それなりに名はありました。やり直せたらな、今ならあんなへまをしないのに。そんなことは誰だって感じることであります。特に高校生のときに何かしら失敗をした人ならばなおさらであります。また花の高校生生活を送っていた人でも、楽しい記憶にもう一度浸りたいということはあるでしょう。ですから、高校生のときの過ごし方がどちらにころんでも結局もう一度高校生の生活を送ってみたくなるというのが一般的な心情ではないでしょうかね。

この作品の主人公ジョジー・ゲラーは自分の送った高校生生活に非常なコンプレックスを抱えた一人でした。彼女はしかし、聡明すぎることもあり、現在では敏腕編集者として新聞会社に勤めています。ある日、社長の勝手な思い付きから、現代の高校生生活の現状はどうなっているかこれを記事にしたいといわれ、覆面記者をするように任命されます。彼女は編集者ですから記者ではありません。しかし、同僚たちの反対を押し切ってまでも彼女はもう一度高校生生活をやり直したかったのです。
しばしばフラッシュバックされる彼女の高校生時、彼女は現代で言えば大変極悪ないじめを受けていました。ですが、彼女自身それを真剣に受け止めるという性格でもなかったのでなんとかやってこれたのでしょう。ですが、キャリアウーマンとなった今でも過去の恐怖は忘れられずたびたび戻してしまいます。
しかし、それでもなお彼女はもう一度高校生にもどるのです。彼女は彼女自身の過去と立ち向かい、やり直したいと切に願っているのです。

-今も変わらない高校生の人間関係-
高校生のなかには必ずイケているグループがあります。女子であればファッションの最先端を知り、モデルや化粧などのガールズトークに花を咲かせ、男子からはモテ、他の女子からは羨望の眼差しで見られる。男子にはクラス、学校のヒーローのような存在があります。どこか神秘的なものを秘め、それでいて力強く、その人がなすことは全て美しく見え、周りには自然と人が集まってくる。
これは何処の国、何処の学校でも同じことです。そうしてイケていない人間はクラスで一人ぽっちになるような人もいれば、イケていないグループを作って周りから自分を守るかのどちらかです。
ジョジー・ゲラーは、クラスの全員から馬鹿にされ、いじめられました。これは日本ではあまり見られるものではありませんが、日本ではわりと内向的なため、クラスのイケているグループが表立ってイケていないグループの人間を攻撃することはありません。どちらかというと割りと陰気なやりかたで、まわりが気がつかないこともあります。ところが割りと外向的なアメリカではイケているグループの人間がリーダーとなってクラス一丸で特定の子をいじめるのです。ジョジーは昔、かばんに色々な汚いものを詰められたり、何かをかけられたり、馬鹿にされました。

この作品の魅力は、そんなイケていない女子高生ジョジーが、イケているグループへと変貌する変身譚だからです。これをみると、イケているグループに憧れてきたかつての自分と彼女とが重なり、そこに自分を投影してすばらしい体験をできるからです。
私もどのようにしたらイケているグループに入れるようになるのかなと思って熱心に見ていたのですが、これといった妙技は教えてくれませんでしたね。ただ、弟のロブもまた覆面入学してきて、彼のおかげで姉であるジョージは一躍トップへと踊り出ます。
ロブは何故かイケているのです。派手さが理由なのでしょうか。自分の他人に誇れる部分を入学するや否や男子のヒーローであるガスに認めさせます。イケている人間になるには、イケているグループの人間に認めてもらうことが重要なのです。そうして彼等と一緒にいることがイケている条件になるのです。
ロブは姉を何とかイケている女子高生に仕立て上げようとして、ないことばかり皆に吹き込みます。やはり人気者ロブのいうことは自分が考えていることと違ってもそちらが優先されます。心理学用語で論理誤差といいますが、例えば明らかにストライクと思われる球でもイチローが見逃せばボールかなと疑ってしまうようなことです。
人間は実に弱いもので、自己主張が強いアメリカでも他人に流されてしまうということはあるのです。

-ラストシーン-
彼女は最終的には学校のトップまで登りつめ、プロムと呼ばれるダンスパーティーではクイーンの称号まで手に入れます。ですが、その会場でキングとして共に踊ったガイが、イケていない女子、数学(計算だっかな)クラブの女の子を皆でわなにかけようとします。それに気がついたとき、彼女は最初自分がまだイケていなかった時にやさしくしてくれたことを思い出し、はっと悟ったのです。自分の姿、イケているグループの頂点にまでのぼりつめたことがなんであろうか。だからといってイケていない人間を皆でいじめわらって楽しむとはどういうことか。
彼女はそれを妨害します。そのため飛び散った犬のエサはイケているグループの女子の仲間の顔面に命中。彼女たちは憤慨します。それに対してジョジーは「自分たちが偉いということを感じたいがためにそんなことをしていいのか」と問います。「彼女はいいひとだ。自分が最初学校に入ってきたとき、彼女は何も聞かずに私と仲良くしてくれた、心のきれいで優しい子だ」といいます。
この作品のもっともいわんとする部分はここではないでしょうかね。結局はこころの問題ではないかというまあ、いってみれば道徳的な観念ですが、それではっとする観客は多いと思います。いままでいじめられてきた側の人間であれば、自分が肯定されたようになり、いじめてきた人間にとっては回訓となるのです。

また、この作品は高校生生活には欠かせない恋の物語でもあります。彼女はやはりヒーローのガイとくっつくのではなくて、先生のサム・コールソンとめでたく一所になります。作中では生徒と教師のいけない恋愛を記事にしろと上司からは迫られ、彼女はそんなことしたくない、彼に恋しているということでダブルバインドに挟まれますが、結局は上手くいくのです。これもなかなか感動的なラストでした。
この先生の講義の場面では、シェイクスピアの「お気に召すまま」が取り上げられています。そこで彼はこういうのです。「ロザリンドは男装することによって告白することが出来た。ここでは男装するということによってその人物の内面までが変わるのだ。それをシェイクスピアは書いた」。これはそのままこの作品自体にも跳ね返って、彼女は女子高生という服装をすることによって、こころもそうなるということです。

ラストシーンは特に、こういう作品にありがちな回顧主義だけで終わってしまうということから一転して、新しい希望、人間関係の再構築といったものが描かれています。当時アメリカでも大ヒットした作品。夏にみるお勧め映画の一つです。
この記事を書くに当たってインターネットで情報を探したのですが、その際に、文字候補のなかにガイという男子のヒーローの名があって、すこし検索してみると、ガイを演じたジェレミー・ジョーダンに恋をしてしまった観客が結構いるようですね。確かに男の私が見てもかっこいいとは思いました。

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