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映画「ベルセルク 黄金時代編Ⅱ ドルドレイ攻略」への試論 感想とレビュー エロスとバイオレンスの刺激 人間性を描く

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公式ホームページhttp://www.berserkfilm.com/index.php
-はじめに-
今回は現在公開中の映画「ベルセルク 黄金時代編Ⅱ ドルドレイ攻略」を論じます。
「ベルセルク」は、三浦建太郎による漫画で、22年間連載が続いている作品です。現在35巻まで出ていて、今回の映画化は、ベルセルクの中から3-14巻に当たる、黄金時代編の映像化を主としたプロジェクトです。
こういう作品を論じるときは、先ずその原作を読まなければいけないと思いますが、あえて私は原作の情報なしで、映画のみで論じてみたいと思います。第一作を予習してから観ました。

-なぜおもしろい-
私はゴア(残酷)とエロスを映像化するということに些か抵抗があります。やはり映像というものはメディアのなかで最も影響力の強いものですから、よく考えて使わないと大変なことになります。まだ漫画なら静止画ですからそのぶん、こちらがそれ以上入り込まなければ、シャットダウンできます。しかし、映像は向こうからの提示ですから、映像を見ている人間に対してはいやおうなく同等の情報が提供されるのです。
映像化云々はよいとして、やはりこのゴアとエロスの強烈な刺激が快感になるのでしょう。ゴア(残酷)をここまで表面に出してきた作品はそうありません。アメリカのホラーなどでみられるグロとはまた違います。グロくしようとしてしたものでないぶん、こちらにはまだ見ることができるだけの余地は残されています。しかし、それでも非常にグロいことは確かです。一体どうしてこのグロさを押し出してくるのでしょうか。
私はこのグロさをとにかく全面的に出すことに、その世界観を構築する要素があるのだと考えました。ともかくもういいじゃないかというくらい死ぬ。どんどん肢体はバラバラになっていく。あっとおもったら首が飛んでくる。これらはすべて、生命の薄弱さ、無常さを表しているのです。戦争は、人間のあらゆる感情を炎のように燃やした熱いものです。しかし、そんな風に熱く燃えている命の炎も、熱いようで簡単に死んでしまいます。ここに冷たさがあります。つまり、この作品で描かれている多くの人間の争いは、矛盾なのです。一方で熱く燃えていて、一方で非常に冷たいのです。
それがよく現れているのは、使徒ゾッドとの戦いで見えた異常な冷えです。生命が全ていてついてしまう、そんな寒さを持っているのが圧倒的な死のイメージをもったゾッドです。ここでは命の炎が熱い男ガッツとグリフィスとの対比が美しいのです。

エロスについて。この作品では、最後のエロスが非常に重要な意味を持ちます。その意味については後に述べますが、ここではグリフィスとシャルロットの交合について考えます。スタッフがこの上なく考え抜いて作られた場面だそうで、あえぎ声から、体の動き、カメラアイをどこにするか等々がよく検討されていました。それは映像を見れば大変精緻に作られているなと実感できるほどです。
この作品の一つ欠点となる部分はCGを使ったことによる、人間の硬度が崩壊してしまっていることです。ガッツがあまりにも簡単に切ってしまうのが原因でもありますが、そのきられる人間がCGで描かれているため、まるでスポンジや紙を切っているようなやわらかさの印象を与えます。
敵の大将ほどになると、手書き部分が多くなりますからそのぶん硬度が密になるように感じられます。ですから、大将クラスの人間やモンスターが出てくれば安心してみていられるのですが、大勢の遣られ役は近づくと同時に吹っ飛んでいくといった感じに描かれていて、明らかにガッツとの硬度の違いが甚だしいという部分が欠点であります。
そうすると、このグリフィスとシャルロットの交合は全て手書きでしたから、硬度もしっかりしていてとてもすばらしかったです。
特にグリフィスはよく描かれていました。普段ガッツが筋肉の塊のようで、グリフィスはひょろひょろっとした印象を与えますが、実際は非常に筋肉質で、しかもガッツのような無駄とも思えるような筋肉ではなく、引き締まった筋肉が見られます。私は男ですから興奮しませんが、ここでは女性のファンが楽しめる場面にもなっているのではないでしょうか。

-古典的な話形の使用-
この作品は古典的な貴種流離譚の物語です。
貴種流離譚とは、折口信夫の造語で古伝承や物語等の発想の一類型。若い神や男女主人公が何かの事情で所属する社会を離れ、異郷に流離し、多くの艱難を経験した後に、尊い地位に到達する。または悲惨な死に逢うもののやがては神にまつられる場合もあった。このような類型は世界的に偏在するが、日本の古来の文学の趣向・筋立ての基本的な話形として一つの伝統を形成している。以下略  
【参考文献】折口信夫「日本文学の発生序説」(折口信夫全集7 昭和30年)

あらぶる神といった人の力をはるかに超えた存在。これがガッツなのです。身元もよくわからない、やたらと人を殺す、まさしく神が描かれているのです。この典型的な話形も前にしたとき、誰でも共感が出来ます。これもこの作品が売れる理由の一つにはいると感じます。しかし、面白いのは通常貴種流離譚といえば一人のあらぶる神が主人公ですが、この作品はグリフィスもこのあらぶる力を持った一人として考えることが出来ないでしょうか。
グリフィスも身元はよくわかりません。そうしてガッツのようなあらあらしさが殆ど垣間見れないのにガッツより強い。女性かと思われるような容姿。異常な強さ。中性的な神秘さ。しかし、内に秘められた大いなる野望は、実際ガッツのような恐ろしさよりももっと怖いものがあります。
ガッツがあらぶる力を外へ出すのに対して、グリフィスは内に蓄える。だからガッツは観たとおりの破壊の権化で我々の何かを破壊したいという欲求をそのまま表してくれます。そこですかっとした気持ちになるのですが、我々はグリフィスのあまりに禍々しいうちに秘めた野望を垣間見るとき、ぞっとするのです。

それから、ミッドランド王国の国王は最後にグリフィスを散々痛めつけますが、ここであらわとなったのが、国王から娘シャルロットに対するいけない感情です。そうすると近親相姦、エディプスコンプレックスのようなものもこの作品には隠されていることが判ります。この作品の根底には古今東西の冒険譚の話形が組み込まれているのです。

-人間関係について-
前作で、グリフィスは今まで誰にも言わなかったといわれる「お前が欲しい」と言う言葉を発し、ガッツを仲間に迎えます。
グリフィスはその容姿が非常に女性的であり、中性的であります。だから女性がこのグリフィスに夢中になるのもよくわかります。だから、ここではグリフィスとガッツとのゲイが描かれていると解釈できるのです。
実際グリフィスは軍資金のためということで、チューダーのゲノンと関係を持っています。前作での「お前が欲しい」という台詞はまさしくグリフィスがガッツを自分の愛玩として手に入れたということに他ならないのです。グリフィスはガッツを手に入れたということで満足します。なので、グリフィスにとってガッツが親友ではないのです。
しかし、ガッツは自分より強く魅力的な人物(しかも中性的)にであい、その親友になりたいと思います。ここで互いに矛盾が生じるのです。ガッツがあくまでも同等の立場にいたいと願うのです。
それがはっきりとガッツの眼前に違っていたとわからせるのが、ユリウス暗殺の後のグリフィスの台詞です。ここで、自分はグリフィスのことをずっと見てきたのに、グリフィスは自分のことを見ずにどこか他のところを見ていると気がつきました。

一方キャスカは女であることを恨み恥らいながらも、どこかでもグリフィスに対して女性として感情を持っています。ですから、そのグリフィスがどうしてガッツと仲良くするのか、あるいはガッツの面倒も見させるのかと反目するわけです。ここではグリフィス、ガッツ、キャスカという三角関係が出来ていました。
しかし、ガッツがグリフィスは自分のことを見ていないと気がついたとき別れを決心します。そうして鷹の団から去ろうとします。自分の大事な愛玩が自分から離れようとするのですからグリフィスは大怒りです。ですが、ずっとグリフィスを見つめ続けてきたガッツと、自分のことしか考えていなかったグリフィスではかつての力関係はもう存在しませんでした。ガッツは以前より強くなり、グリフィスは現状維持か弱まっているでしょう。ですから最後はああいう結末になったのです。
グリフィスはこれによって自分の大事な愛玩を失いました。その喪失感と、満たされなさによってグリフィスはシャルロットに手を出します。シャルロットという自分が本来手に入れてはならない力を強引に我が物にすることによって、自分を満たそうとしたのです。
まあしかし、交合後のあの後ろ姿を見れば満たされなかったということはわかりますね。

先ほどのグリフィス、ガッツ、キャスカの三角関係はくずれました。キャスカはグリフィスをめぐってガッツと対決していたということから、グリフィスとガッツの両方がすきだということに関係が変わったと考えることも出来ます。私は話を知りませんからこの後どうなるか楽しみです。

-最後に-
私は相変わらずこんなに人を簡単に殺していいものかなとも感じますが、観ていて色々な話形が組み込まれているなとその解釈に勤しんでおりました。CGの表現が残念ですからそこを何とかして欲しいですね。
これからパックという妖精と共に旅をするようですが、このパックという名は明らかにシェイクスピアの「真夏の夜の夢」に出てくる妖精からとったものでしょう。
黄金編のみで3部ですから、一体これからどれだけ映像化するのでしょうか。映画だけで10本くらいになると、これはなかなか金銭的にも着いていくのが難しくなりますからね。今後が楽しみであると同時に少し心配でもあります。
久しぶりの平沢進の楽曲に興奮しました。ダークファンタジーと呼ばれるこのベルセルクの世界観とよくあっています。あの不安感、高い音のはもりがそそりますね。

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