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川上弘美「七夜物語」への試論 感想とレビュー 児童文学の典型的な話形を描く

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-はじめに-
1994年「神様」でデビューした川上弘美さん。昨年は「神様2011」という作品を発表し、注目を集めました。この二つのテクストの比較も実に面白い研究材料となります。今回は、川上さんの、長編にして児童文学、「七夜物語」(ななよものがたり)を論じます。
児童文学というと、ミヒャエル・エンデの「モモ」「果てしない物語」、J・R・R・トールキンの「指輪物語」、ライマン・フランク・ボームの「オズの魔法使い」、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」、等々が有名です。
いわゆるこれらは、ビルドゥングスロマーン(教養小説)の一つと考えることができると思います。今回の「七夜物語」は、作者も言っている通り、世界のありとあらゆる児童文学の話形を集めて、それに当てはめるようにして作られた作品です。川上さんは、自分が勝手に話形を作るのではなくて、既存の話形を使用したいといっています。

-世界観-
この作品は、夢と現実の世界の行き来によって、二人の少年と少女が成長するという作品です。七つの夜、主人公であるさよと仄田くんは夢の世界へ行き、そこで様々な困難にあたり、それらを解決します。七夜ですが、連続したものではなく、作中時間ですと、数ヶ月越しです。
設定となっているのは、随分昔の話です。現在のヒカリエがかつて東急文化会館であったころ、1970年代が舞台となります。作中では8階にあった五島プラネタリウムに父親と行くという重要な場面が挿入されています。
そうして舞台となる場所ですが、欅区という架空の町です。作者はこのモデルとなったのは杉並区だといっていますが、これはあくまでモデルであり、欅区と混合してはいけません。さよと仄田くんが存在する世界は、我々の住んでいる世界とは似通っていますが、ほんの少しずれているという感覚があるのです。

この作品は、最後まで読むとわかるのですが、筒井康隆の多元宇宙、同時存在という考え方が根底にあるとわかります。
夢の世界は、二元論的な存在の仕方をしています。それはグリクレルとその影ミエルの存在であったり、あるいは、終末では光と闇という対比が非常に明確に為されています。この二元論的な世界のあり方は、作中でも触れられている通り、良い面ももちろんあるのです。美しいものが存在することができる。完全な善が存在することができる。
しかし、それではいけないんだ、二分化してはいけない。分かれていってしまう世界を何とか一つにまとめようというのがこの二人の主人公に課せられた任務なのです。この作品のすばらしいところは、二元論や一元論などの難しい言葉を使わずに、これらの世界をさりげなく教えてくれるということです。これを児童が読んだときに、溢れる世界観に驚くのではないでしょうか。
さて、しかし、一元的にまとめようとするさよたちに対して、光や影の存在は、ぐちゃぐちゃにこんがらがった混沌に戻りたくないといいます。これは特に印象に残った部分です。なるほどそういう考え方もある。
最後の解釈は多義的になると思いますが、私は多元宇宙的な世界の存在のあり方を、はざまの世界の動物から教えられることによって、世界は一元的なものではなく、多元的なものだということに気がつかされたのだと考えます。
その点、他の児童文学、特に西洋的な思想からは生まれてこない多元論の世界観をもってくるということは、東洋的な思想がある日本だから生まれてきたのではないかと考えることも出来ます。

-夜の世界の住人-
この作品の読者を魅了する部分に夜の世界の住人が挙げられます。大ねずみグリクレルを筆頭に、夜の世界は個性溢れる愉快な仲間たちがいっぱいです。そうして皆で仲良く、ということにはならないところがこの作品の新しいところで、回りくどい言い方をしましたが、夜の住人は結構容赦なくさよと仄田君に厳しくします。さよと仄田君は、小学校4年生ですから、まだまだ子どもです。
しかし、そんな小学生にも容赦がないのがこの世界なのです。さよと仄田くんも作中で気がついていますが、ほかの児童文学のお話はハッピーエンドになるけれど、自分たちの場合はミスをしたらもう二度と帰れなくなるかも知れないといっています。
この作品は、ハッピーエンドと呼んでもいいものかどうか、それさえ解釈が分かれるような判然としないものです。そうして、全体を通して、どこかくらいイメージが漂っています。
最後の対決場面の直前には、マンタ・レイというこの夜の世界が始まる前から存在していた生き物と会話します。このマンタ・レイがいくらかこの世界について話してくれますが、この世界はあらゆる動物の夢、とくに人間がつくった世界であるということが判明します。
そうしてその夢のなかで、二分化が進み、或いはウバのような存在が、現実世界のものを夜の世界に引き込もうとするのです。夜の世界は、人間の世界の鏡のようなものでもあり、人間社会で生まれたひずみは夜の世界へも影響を及ぼします。
夜の世界のひずみが、人間世界のひずみであるということまではこの作品でわかりますが、そのひずみが具体的にどうしたものかははっきりとしません。ただ、さよのお父さんとお母さんの関係性などを見ると、そこには人間同士の関係のひずみがあることはわかります。この作品の作中時は1970年代です。そうすると、これから経済が右肩上がりになろうとしているなかで、ひずみが徐々に強まったということになります。そこには物質主義、合理主義によって、便利にはなっていくが、一向精神的に豊かにならないというあせりがあったのかも知れません。
そうした点で、決して児童文学を意識して書かれたからといって平易な内容ではなく、大人がよんでも十分読み応えがある作品です。

-終末-
この作品は、2009年から2011年にかけて朝日新聞で連載された作品です。そうして児童向けということを考えて、連載時の挿絵を工夫して左下に入れるという未だかつてない努力と工夫が見られます。ただ、単行本化にあたり、大幅に加筆修正したと作者が書いています。そのため、連載時とは異なる部分が多いということが予想できます。この二つの比較をしても面白そうですが、途方もない大研究になりそうなので私はやめておきます。大幅な変更のため、何ページも挿絵がないところがあります。作者はどうしてそこを変更するにいたったのでしょうか。
この作品を読むとき、先ず最初にインプリンティングされるのは、この作品が作中でさよたちが発見する「七夜物語」というものがたりそのものであるということです。作中のさよが読んでいる作品を現在我々も読んでいるという構図です。この構図はミヒャエルエンデの「はてしない物語」と同じ構図です。
そうして、この作品は読み終えると内容を忘れてしまうこと、第二夜では、ともかく眠くなってしまうことなどが読者の頭に刷り込まれます。無意識のうちに頭がこの作品は思い出せない、眠くなるということを意識してしまうのか、私はこの作品を読んでいるとすごい睡魔に襲われました。別につまらないという問題ではありません。読み終わっても狐につままれたような感情になります。
作品に書かれていることも不可思議という言葉が良く似合いますが、この本自体もどこか不可思議なベールを纏っていて、取りとめのないといった感情を与えます。
二巻で4000円近くしてしまうという大長編ですから、なかなか手にとってみるということはいかないかも知れませんが、それこそ、さよたちのように図書館で見つけて読んでみてください。新しい物語が始まります。

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