レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想 展 感想とレビュー ダ・ヴィンチに観る女性性とは

レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想展のホームページhttp://davinci2012.jp/
6月10日に終わってしまいました。もっと早くに記事にするべきでしたね。
先日読んだ原田マハさんの「楽園のカンヴァス」(の記事)http://hennkutubunnkazinn.blog.fc2.com/blog-entry-194.htmlは手に汗握る絵画ミステリでした。同時に感じたのはダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだような感動だということです。そんなわけでダ・ヴィンチ展に行ってきたわけですが、まあちょっと私は不満です。
いつもそうなのですが、Bunkamuraは混みすぎ。ボストン美術館展もひどかったのですが、ここもひどい。文句言うなら記事にしなければいいのですが、まあこうした指摘もたまには必要でしょう。何かしらの対策を打ってもらわねばならぬのです。それからダヴィンチの有名な絵もきてないのが残念でした。フェルメール展のときかな、あのときもフェルメールの作品が3点くらいしかなくて残念に思ったことがありました。頑張れBunkamura。本当は好きなんですよ、オーチャードホールの演奏会にはよく行きますし、図録も一枚一枚詳細に説明がなされていてすばらしいのです。だから愛のムチです。期待するから批判するのです。

今回の展覧会は美の理想という名の通り、ダヴィンチの理想を追い求めた展示会です。これはかなり難しい命題だと思います。この展示会ではダヴィンチやその弟子たちが描き続けた女性性の理想を追い求めたようです。
ですが、有名な話ダヴィンチがバイセクシャルだったのは事実です。ですから女性性のみが彼の美の理想だったのでしょうか。私は男性性にも彼の美の理想はあったと思うのですがそこはどうなのでしょうか。

ダヴィンチが求めた女性性の美しさは優しみ、慎ましやかさ、微笑み、物憂げ、透き通るような肌、柔和など言葉では言い表されません。ですが母性という言葉に集約できるのではないかと私は考えます。
どの絵をみても感じることはうら若き女性の性的なものではないのです。おちついてみていられる。はらはらしないということは、絶対的な安心、信頼がもてるからなのではと考えました。強いて言うなら母性を讃えた若い女性が展覧会の前半に位置づけられています。
その中でも最も完成したものが、《ほつれ髪の女》です。20数センチ四方の小さいな板です。単純な線と陰影をつけただけでそこには女性性の全てが抽出されるのです。
レオナルドの芸術論には「頭部を描く場合は、その頭髪が、若々しい顔の周りの風に合わせて動いているように描くことだ。その際、顔の周りを優美に飾る髪の癖も描かなくてはならない(『絵画論』ウルビーノ稿本)」とあります。ほつれ髪は今で言えばパーマをかけた状態ですよね。こうして考えてみると、ストレートな髪よりも、ややほつれ柔和な線を描くことによって女性性、優しさ、寛容、など全体的にふんわりとした印象が出ます。だからパーマをかけるのですかね。
図録の論では筆舌に尽くしがたいと言って《モナ・リザ》《最後の晩餐》をも凌駕するとしています。物凄い評価ですが、確かにこの簡素な絵の中に全てが描かれているということを考えると納得できます。言葉で言えば、いくら長上な散文を書くよりも、詩でずばっといってしまうということに似ているのでしょうか。
真理とはしばしば単純のなかに現れます。
《ほつれ髪の女》(1506-08)
20120323_97938424721.jpg


今回の展示会で最も面白かったのが、《モナ・リザ》が何人もいたということです。絵画だけでもダヴィンチが描いた《モナ・リザ》の模倣作が5点並んでいましたから、ようは五人モナリザがこちらをむいて微笑んでいたわけです。ちょっと怖い。
レオナルド・ダ・ヴィンチが生きているうちからこれほど絶大な人気を誇る人物だとは思っていませんでした。特にモナリザはその作品が世に発表されると同時に高い評価を得て、貴族や王族、画家、さまざまな人々を魅了したようです。完成してからすぐに、王族貴族たちはモナリザがほしいからといって自分のお抱えの画家にモナリザの模倣をしてくるように命じました。その結果がこのようにモナリザが大量に発生するということに至るわけです。
よく考えてみると数年前に行ったボルゲーゼ美術館展でみたラファエロの《一角獣の貴婦人》もまたモナリザの影響を受けた作品でした。構図、特に女性の身体の傾け方が全く同じなのです。そうするとやはりここにも女性性が現れるのでしょう。
少し斜めに坐り、こちらを見つめる。たったこれだけの行為がなぜ女性性を如実にあらわすことになるのでしょうか。男がやらない格好だからでしょうか。謎は深まるばかりです。

アイスワースのモナ・リザは顔が若いのです。背景もなんだか変。特に木の形があやしいです。これはダヴィンチの《モナ・リザ》に比べて若いぶん、性的な印象を受けるせいでしょう。ここには母性を感じられません。
エッキングのモナ・リザも顔のパーツが微妙に違う。これを論じるのは非常に困難ですが、敢えて言うのなら優しさのみのようになってしまったのでしょう。奥に潜む感情があまりないように感じられます。
アンブロワーズ・ドゥボアのモナ・リザ。これがやはり一番ダヴィンチのモナ・リザに似ていると感じます。ただ、技法が本物と違うのです。こちらが一般的な描き方なのに対し、本物のモナリザは薄い層を何度も重ねていくような描き方をしたそうです。
作者不明のモナ・リザ眼が違うのです。なにかつりあがったような感じです。ここには全てを受け止めてくれるような女性性がありません。まだ若いのです。
アンブロワーズ・ドュボア《モナ・リザ》1600年ごろ
DSCN7431-2.jpg

もう一つ気になるのが、裸のモナリザです。身体はさらに横を向き、顔はさらに正面を向く。なんともぎこちない体制です。髪型もくりくりのものに変化しています。
《裸のモナ・リザ》はどうも私には女性に見えないのです。しかも若い女性らしいですからね。もしこれからだを隠したら若い男性に見えませんか。もしかしたら確信犯的に描いたのかも知れません。ただ、それにしてもどうしてこの裸のモナリザというものが出始めたのでしょうか。何故描かれる必要があったのか、これが謎なのです。裸にする必要性。一体何なのでしょう。
裸でいて特にエロチシズムは感じない。それよりかはどこか男性的な強さを感じてしまいます。
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まとめtyaiました【レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想 展 感想とレビュー ダ・ヴィンチに観る女性性とは】

レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想展のホームページhttp://davinci2012.jp/6月10日に終わってしまいました。もっと早くに記事にするべきでしたね。先日読んだ原田マハさんの「楽園の

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