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近代洋画の開拓者 高橋由一展 感想とレビュー 由一が見た世界に触れる

近代洋画の開拓者 高橋由一展のホームページhttp://yuichi2012.jp/6月24日まで。皆急げ!

誰もが知っている高橋由一。《鮭》《花魁》などは教科書にも掲載されています。その点で日本では最も有名な画家なのではないでしょうか。しかし、高橋由一という人はあまり知られていない、これが現状でしょう。この展覧会の目的の一つにも人高橋由一を知ってもらいたいということが書いてありました。
さて、高橋由一はこんなに有名なのだから職業画家かと思ったら、本格的に画家として活動できたのは40歳ほどからなのです。
高橋由一は(1828-1894)ですから、丁度40のときに明治に変わりました。ではそれまで何をしていたのかというと、彼は武士の出身でした。ですから家業で忙しかったのです。
由一は20代半ばで洋製石版画を見たといわれています。その際彼が感じたことは「真に逼りたるが上に一つの趣味がある」と残されています。それまでの水墨画から狩野派から、日本は凡そ写実という方向へ向かわない絵画でした。由一はどうしたら写実的にものを描けるかということをずっと考えていたようです。
それから川上冬崖、チャールズ・ワーグマン、フォンタネージに次々と師事し西洋絵画へと目覚めていったのです。
彼の作品全般に言えることですが、由一はあまりにもそのものの迫真性、質感表現を追い求めるあまり、全体としてバランスが取れていないということが指摘されています。彼の最後の画業《浅草遠景》《山形市街図》などは私の師の北野良枝教授の言うところでは空気感や光の表現へ重点が置かれるようになったが、迫力や熱気が失われてしまったようだことです。

私がかつて獲った賞、上野彦馬賞という写真の賞があります。この上野彦馬は坂本竜馬を撮ったとして有名ですが、そうするとこの湯一の時代には既に写真があったということがわかります。では何故写真というこの上ない写実的なものがあるのにも拘わらず、彼は写実を求めたのかという疑問が湧きます。当時の写真は定着が弱いため、時間が経つと消えていってしまったのです。ですから永続的に残せる油絵を由一はすばらしいものとして生涯をささげたのです。なので現在では写真の定着がいいですからね、裏返すと写実的な油絵の意味はあるのということになってしまうのです。これは絵を描く人間である私にとっては厳しい命題です。

今回の展覧会は実にすばらしいものです。私はボストン美術館展の後に行ったのですが、同じくらい満足しました。さすがは芸大だと感じましたね。美術館自体はそこまで広くはありませんが、今回の由一展は彼の作品がかなり展示されていました。彼の作品の殆どではないかと思います。順を追って彼の若い頃の練習帳などから、晩年への油彩の移行がとてもわかりやすく並べられています。
ボストン美術館展の大混雑振りに比べると非常に落ち着いて彼の作品と対峙できました。
由一は(1828-1894)に生きた人間です。そして以前の記事でも紹介した私の好きな画家アンリ・ルソーは(1844- 1910)、非常に近しいですね。一方由一は写実を目指し、他方ルソーは素朴派とよばれる印象画を目指した。この二人はどうして同じ時代に全く反対の方向へ向かっていったのでしょうか。この二人の比較研究も面白いでしょうね。由一には何が見えていたのでしょうか。


作品をいくつか観ていきます。
《鮭》明治10年頃
この鮭というのは当時からとても評判があった作品のようで、何枚も描かれ売られたようです。この展示会では芸大が所蔵している3点の鮭が展示されています。てっきり一匹しかいないものだと思っていたので、三匹もいてびっくりしました。切り身でない鮭も存在したそうですが、切り身のほうが人気があったとか。ぱっとみると本当に鮭があってにおいがただよってきそうな感覚に襲われます。由一晩年の作品は、彼の写実の大成といえます。今回はどうしても図録が欲しかったのですが、その理由はこの鮭の等身大のポスターが付いてくるからなのです。これがそうです。芸大もなかなかしゃけたことをします。
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《花魁》明治5年(1872)
非常に有名な作品ですが、未だに謎に包まれたことが多いのだとか。これを間近でみるとわかるのですが、服装やかんざしの質感はまさしく迫真であります。服のけばけば感のようなものがとてもよく現れています。由一はこれを描くに当たってこの花魁「小稲」にかんざしをこれ以上させないほどさすように注文したようです。当時この小稲はまだ18ほどの若さだったそうですが、この絵を見る限りそうとは思えません。しかも弟子の回顧録には、この完成を見た小稲は泣いて怒ったといいます。ここには由一の写実に迫らんとするがあまり全体のバランスが崩れてしまったという弱点があらわれているのです。確かにあまり美人には見えませんよね。
20080326_489191.jpg

《山形市街図》明治14-15(1881-82)
これは写真を使用した作品です。私のようなアマチュア画家は写真を見ながら絵を描きます。これが私にとっては当たり前になっているのですが、当時は違いました。ですからかなり革新的なことだと思います。山形市街は交通の要衝として、これからの発展をするための宣伝用として由一にこの絵を描かせたということがわかっています。由一はこれを先ず写真で撮りました。展覧会では当時の写真も展示され由一が実に忠実に描いたのかが観て伺えます。
ただ、一つ不思議なことがあります。それは大通りを歩いている人が殆ど奥のほうを向いているのです。かなり奇妙です。物凄くこわいともいえます。写真には動くものは写りませんから、歩いている人は写真に残らないのです。ですからこの絵にある人々は皆由一が独創で描いたものですが、彼はどうしてこう描いたのでしょうか。意図しているのか、或いは無意識なのか。どちらにしても怖いのですが、私はここに由一が感じたなにか悲しいものがあるように思われて仕方がないのです。晩年ですから、50代を過ぎた由一は一体何をおもったのか、これが非常に気になります。
him_sp_image_003.jpg


博物図譜というそうですが、魚や植物を写実的に描いたものが多く展示されていました。魚はおどろきました。本当に写真のように描かれています。ですからあの《鮭》は偶然ではなく、こうした地道な積み重ねがあったゆえのことなのだなという実感がいたしました。それから由一の人物像の作品群は非常に貴重なものではないでしょうか。写真では残らない色があるわけです。大久保利通、岩倉具視、西周など著名な人物がこんな風貌だったのかと思い、長い歴史に心をはせてしまいました。よく人物の内面が現れていると感じます。
有名なのは《日本武尊》《甲冑図》《芝浦夕陽》。特に甲冑は金属の質感が際立っていて、美しいです。
私は由一の描いた風景画も大好きです。《黒水桜花輝耀の景》どこかくらい感じがあるのですが、その中を左上から右下へかけてしたたる桜の花が美しい。どこか無常といったような思想が表出されてきているのではないですかね。
《黒堤桜花》《滝之川紅葉》これは非常に美しい。その場を空気ごと閉じ込めてしまったようです。
まあこんなに論じておいてなんですが、百聞は一見にしかずですよ。
最後に、鮭のアクセサリを買ってしまいました。どうですしゃけ(れ)てるでしょ。無理があったか。
RIMG0415_convert_20120611173056.jpg

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