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「道徳の時間」 道徳について考察する~1~ 資料 「沈勇」(戦前の小学校六年生用修身教科書より)

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これから数回にわたって「道徳の時間」と「(戦前の)修身」とを比較してみたいと思います。
先ずはその比較対象となる資料をあげておきます。これらはアメリカ国会議事堂の前のガラスケースに今でも飾られている「沈勇」という実在の話です。イギリス海軍では現在でも教訓として教えられています。
ふくい歴史王http://rekishi.dogaclip.com/Crm/Profile-100000018.html動画で佐久間艦長のお話がわかります。

「沈勇」 (戦前の小学校六年生用修身教科書より)

 明治四十三年四月十五日、第六潜水艇は潜航の演習をするために山口県新湊沖に出ました。午前十時、演習を始めると、間もなく艇に故障が出来て海水が侵入し、それがため艇はたちまち海底に沈みました。この時艇長佐久間勉は少しも騒がず、部下に命じて応急の手段を取らせ、出来るかぎり力を尽しましたが、艇はどうしても浮揚りません。その上悪ガスがこもって、呼吸が困難になり、どうすることも出来ないようになったので、艇長はもうこれまでと最後の決心をしました。そこで、海面から水をとほして司令塔の小さな覗孔にはいって来るかすかな光をたよりに、鉛筆で手帳に遺書を書きつけました。

 遺書には、第一に艇を沈め部下を死なせた罪を謝し、乗員一同死ぬまでよく職務を守ったことを述べ、又この異変のために潜水艇の発達の勢を挫くような事があってはならぬと、特に沈没の原因や沈んでからの様子をくわしく記してあります。次に部下の遺族が困らぬようにして下さいと願い、上官・先輩・恩師の名を書連ねて告別の意を表し、最後に十二時四十分と書いてあります。

 艇の引揚げられた時には、艇長飫以下十四人の乗員が最後まで各受持の仕事につとめた様子がまだありありと見えていました。遺書はその時艇長の上衣の中から出たのです。

   格言  人事ヲ尽クシテ天命ヲ待ツ。


・ 第六号潜水艇 艇長:佐久間勉海軍大尉

 明治43年4月15日 09:50、第六号潜水艇は山口県新湊沖において半潜航実験の後、全潜航に入り海底沈座などの潜航訓練を開始した。しかし間もなく海水が浸入し必死の排水作業にも係わらず、佐久間勉艇長以下14名を載せた六号艇が再び自力で浮上することはなかった。

 翌16日に沈没した艇体が発見され、17日になって浅瀬に回航された。当時の潜水艇の性能から生存者の望みは無かった。問題は乗組員が帝國海軍軍人として相応しい死に方をしているか、という一点にあった。直近で外国の海軍に同様の事故があり、乗組員の醜態が世間に知られていたからだ。

 「よろしいっ」。まさに絶叫であった。引き揚げられた六号艇の状況を検分した吉川中佐の絶叫は号泣に変わり、男泣きに泣き崩れた。艇長は司令塔に、機関中尉は電動機の側に、機関兵曹はガソリン機関の前に、舵手は舵席に、空気手は空気圧搾管の前に、14名の乗組員は全員それぞれの部署を離れず艇の修復に全力を尽くし、従容として見事な最期を遂げていた。

 その後、収容された佐久間艇長の遺体のポケットから遺書が発見された。沈没後電燈が消えて、酸素は刻々と消費されていく。ガソリンによる瓦斯は艇内に充満し、おそらく部下は一人また一人と絶命していったことだろう。佐久間艇長はそのような環境の下、天皇陛下の艇を沈め部下を死なせる罪を謝し、乗組員全員が職分を守った事を述べ、沈没の原因・沈据後の状況を説明した後、公言遺書を記している。

 公言遺書 謹んで陛下に白す 部下の遺族をして 窮するもの無からしめ給わんことを 我が念頭に懸るもの之あるのみ

 当時、事故に対する遺族への補償金などの支払規定は無かった。佐久間艇長の遺言は上奏され、勅命によって直ちに裁可された。

 「十二時四十分なり」と記して遺書は終わっている。



・ 佐久間艇長について 佐久間榮(佐久間艇長の甥)

 佐久間艇長といっても、今の若い人には、ご存知ない人が多いと思うが、大正時代の学校教育に、「修身」の教科書があり、その中で「沈勇」という題名で、佐久間艇長のことがのっていた。

 私が小学校六年生のときであるが、或る日突然、担任の先生に呼ばれて、「明日の修身は、君の伯父さんにあたる佐久間艇長のところだから、一言何か話しをしなさい。」といわれ、家に帰り、父(艇長の実弟)に、その話しをしたら早速、便箋一枚位いの文章を書いてくれたので、翌日、その文章を読み上げて、安堵の胸をなでおろしたのを覚えている。

 佐久間艇長は、明治四十三年(一九一〇年)四月十五日、岩国市新湊沖で、第六潜水艇の艇長として、潜航訓練中、不幸にして艇の故障により、部下十三名と共に殉難した。

 翌々日、艇は引き揚げられたが、総員十四名が、自己の持場を、はなれず殉職しており、又、艇長の上衣の内ポケットから、九七五文字に及ぶ遺書が発見された。その内容が発表されるに及んで、日本国内は勿論、国外の人々も、感動し、その沈着な勇気に対して称賛を送ったのである。

 時に、艇長は享年三十才の若さであり、平時における殉職であるので、進級はなく、靖国神社にも祀られていない。

 艇長の遺書には、「責任感、使命感、沈着な勇気、人間愛、感謝」の精神が漲っており、戦前の教科書の最後に、「格言」として、のっていた「人事を尽して天命をまつ」そのとおりの最後だったのである。

 当時、病床にあった文豪・夏目漱石が、この遺書を名文と激賞し、歌人・与謝野晶子が追悼歌を十余首も読んで賞賛している。

 毎年、四月十五日の艇長の命日には、そのゆかりの地である呉市、岩国市、福井県の各地で慰霊祭が盛大に挙行されているが、昭和六十二年(一九八七年)以来駐日英国大使館付海軍武官が、二年おきに、各地の慰霊祭に参列されており、流暢な日本語で、「スピーチ」をされている。

 現在、英国ロンドン市の南部にある「ゴスポート潜水艦資料館」には、艇長のコーナーがあって、艇長の写真や遺書のコピーが展示してあり、艇長の遺訓をたたえ、英国人の士気を鼓舞しているということを、スピーチで述べている。

 かく考えるとき、現在の日本は、佐久間精神を思いおこし全国民あげて、精神面の教育に立ち上がらなければならないと痛感するものである。


・ 「 佐久間 艇長 の遺言 」
 小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス 誠ニ申訳無シ サレド艇員一同死ニ至ルマデ皆ヨクソノ職ヲ守リ沈着ニ事ヲ処セリ 我レ等ハ国家ノ為メ職ニ斃レシト雖モ唯々遺憾トスル所ハ天下ノ士ハ之ヲ誤リ 以テ将来潜水艇ノ発展ニ打撃ヲ与フルニ至ラザルヤヲ憂ウルニアリ 希クハ諸君益々勉励以テ此ノ誤解ナク将来潜水艇ノ発展研究ニ全力ヲ尽クサレン事ヲ サスレバ我レ等一モ遺憾トスル所ナシ

沈没原因
 瓦素林潜航ノ際 過度深入セシ為「スルイス・バルブ」ヲ諦メントセシモ 途中「チエン」キレ依ッテ手ニテ之シメタルモ後レ後部ニ満水 約廿五度ノ傾斜ニテ沈降セリ

沈拒後ノ状況
一、傾斜約仰角十三度位
一、配電盤ツカリタル為電灯消エ 悪瓦斯ヲ発生呼吸ニ困難ヲ感ゼリ 十四日午前十時頃沈没ス    
  此ノ悪瓦斯ノ下ニ手動ポンプニテ排水ニ力ム
一、沈下ト共ニ「メンタンク」ヲ排水セリ 燈消エ ゲージ見エザレドモ「メンタンク」ハ排水
  終レルモノト認ム 電流ハ全ク使用スル能ハズ 電液ハ溢ルモ少々海水ハ入ラズ 「クロリ
  ン」ガス発生セズ残気ハ五00磅(ポンド)位ナリ 唯々頼ム所ハ手動ポンプアルノミ
  「ツリム」ハ安全ノ為メ ヨビ浮量六00(モーターノトキハ二00位)トセリ (右十一
  時四十五分司令塔ノ明リニテ記ス)
溢入ノ水ニ溢サレ乗員大部衣湿フ寒冷ヲ感ズ 余ハ常ニ潜水艇員ハ沈着細心ノ注意ヲ要スルト共ニ大胆ニ行動セザレバソノ発展ヲ望ム可カラズ 細心ノ余リ畏縮セザラン事ヲ戒メタリ 世ノ人ハ此ノ失敗ヲ以テ或ハ嘲笑スルモノアラン サレド我レハ前言ノ誤リナキヲ確信ス
一、司令塔ノ深度計ハ五十二ヲ示シ 排水ニ勉メドモ十二時迄ハ底止シテ動カズ 此ノ辺深度ハ 
  八十尋位ナレバ正シキモノナラン
一、潜水艇員士卒ハ抜群中ノ抜群者ヨリ採用スルヲ要ス カカルトキニ困ル故 幸ニ本艇員ハ皆
  ヨク其職ヲ尽セリ 満足ニ思フ 我レハ常ニ家ヲ出ヅレバ死ヲ期ス 
  サレバ遺言状ハ既ニ「カラサキ」引出シノ中ニアリ(之レ但私事ニ関スル事言フ必要ナシ田
  口浅見兄ヨ之レヲ愚父ニ致サレヨ)

公遺言
謹ンデ陛下ニ白ス 我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無カラシメ給ハラン事ヲ 我念頭ニ懸ルモノ之レアルノ
左ノ諸君ニ宜敷(順序不順)
一、斎藤大臣  一、島村中將  一、藤井中將  一、名和中將  一、山下少將
一、成田少將  一、(気圧高マリ鼓マクヲ破ラル如キ感アリ)  一、小栗大佐 
一、井手大佐  一、松村中佐(純一)  一、松村大佐(龍)  
一、松村小佐(菊)(小生ノ兄ナリ)  一、船越大佐   一、成田綱太郎先生 
一、生田小金次先生
十二時三十分呼吸非常ニクルシイ
瓦素林ヲブローアウトセシ積リナレドモ ガソリンニヨウタ
一、中野大佐
十二時四十分ナリ、



人事を尽くして天命を待つ
人間として出来るかぎりのことをして、その上は天命に任せて心を労しない
人事を尽くして天命を待つとは、人間の能力でできる限りのことをしたら、あとは焦らずに、その結果は天の意思に任せるということ。
自分の全力をかけて努力をしたら、その後は静かに天命に任せるということで、事の成否は人知を越えたところにあるのだから、そんな結果になろうとも悔いはないという心境のたとえ。
南宋初期の中国の儒学者である胡寅の『読史管見』に「人事を尽くして天命に聴(まか)す」とあるのに基づく。

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