太宰治「駈込み訴へ」への試論 テクスト論から もう一度解釈してみる レジュメ~2~

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・聖書の引用箇所
 先行研究を踏まえたうえで再確認
先行研究は佐古純一郎『太宰治と聖書』(昭58・5教文館)斉藤末弘氏担当の巻末の「資料1 太宰治と聖書」と「太宰文学の研究」三谷憲正著から『駈込み訴へ』試論-「ヨハネ伝」との比較を通して
引用文は聖書 新共同訳 日本聖書協会 2005による
P141、ℓ10 マタイ8・20
『狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが人の子には枕する所もない』
P142、ℓ5 マタイ14・17-21
『弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」イエスは、「それをここに持ってきなさい」と言い、群集には草の上に座るようにお命じになった。そして五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群集に分け与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。』
P143、ℓ3 マタイ6・16-18
『断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報い受けてくださる』
P146、ℓ7 ヨハネ12・1-8
『過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
下線部はマタイ26章、マルコ14章では弟子たちとなっている。これをマタイからの引用とする斉藤末弘氏担当の巻末の「資料1 太宰治と聖書」の説は疑問を抱かざるを得ない。『太宰文学の研究』 三谷 憲正から。
P150、ℓ13 ヨハネ12・15(マタイ21・5)
『「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、ろばの子に乗って。」』
P151、ℓ12 マタイ21・9
『「ダビデの子にホサナ主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」』
P152、ℓ4 ヨハネ2・13-16、19(マタイ21・12-13)
『ユダヤ人の過越祭が近づいていたので、イエスはエルサレムに上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売るものたちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」』
『この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる』
P153、ℓ12 マタイ23・25-28、33、37
『律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。』
『蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れるころができようか』
『エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で撃ち殺すものよ、めん鶏が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前らの子を何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった』
P155、ℓ10 ヨハネ13・4-10
『食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。シモン・ペトロのところへ来ると、ペトロは「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたがたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。ペトロが「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」イエスは言われた。「既に体を洗ったものは全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」』
P158、ℓ16 ヨハネ13・12-16、
『さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。」』
P159、ℓ9 マルコ14・18-21
『一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた、「はっきりいっておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。イエスは言われた。「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸しているものがそれだ。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれてこなかった方が、その者のためによかった」』
P160、ℓ6 マルコ13・26
『イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるものがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。』

参考文献
・神谷忠孝・安藤宏 『編太宰-治全作品研究事典』 勉誠出版 1995年11月刊行
・志村有弘・渡部芳紀 編 『太宰治大事典』 2005年1月刊行
・『太宰文学の研究』 三谷 憲正 東京堂出版 1998年05月刊行
・『太宰治の文学』 佐古純一郎 朝文社
・『太宰治研究』6 和泉書院
・『石川淳 坂口安吾 太宰治 集 現代日本文学全集』 筑摩書房 1954出版
・森厚子「太宰治『駈込み訴へ』について-語りの構造に関する試論」『解釈』 第25巻 2月号 昭和54年
・奥野政元「『駈込み訴へ』ノート」平成4・9「活水日文」25巻
・『作品論 太宰治』東郷克美・渡辺芳紀 編 昭和51年9月 双文出版社 
・一冊の講座 太宰治 日本の近代文学 有精堂
・「佐藤泰正著作集」5 太宰治論
・山口浩行「『駈込み訴へ』試論」平成3年11月 「稿本近代文学」16
・太宰治「駈込み訴へ」試論―旦那さまの不在― 高塚雅
・聖書 新共同訳 日本聖書協会 2005

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・聖書の引用箇所 先行研究を踏まえたうえで再確認先行研究は佐古純一郎『太宰治と聖書』(昭58・5教文館)斉藤末弘氏担当の巻末の「資料1 太宰治と聖書」と「太宰文学の研究」

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