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『太平記』 古典籍研究 研究課題 解題をつくる

たまには私が研究したものでも載せてみましょう。

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『『太平記』』最大の謎の人物「児島高徳」(備前ノ國兒嶋備後三郎高徳)、その人物について今回はほんの少し勉強してみた。
「児島高徳」は、『太平記』のなかでもしばしば現れるが、実在したかどうかは未だ不明な点が多いという。さらには『太平記』作者の一人であるとされる小島法師自身なのではないか等諸説ある人物である。
 本来ならば「白桜十字詩」(『天莫空勾践 時非無范蠡』〔読み下し文〕天、勾践を空しくすること莫、時に范蠡無きにしも非。〔解釈〕「天は、古代中国の越王である勾践を助けたように、決してあなたを見捨てはしません。いずれ范蠡のような忠臣が現れるでしょう」)でも調べるべきだが、今回は時間がなかったので、彼が口にしたほかの言葉について吟味してみた。

 巻之四で後醍醐天皇が隠岐へと移送されるくだりで、「児島高徳」が一族に天皇奪還を試みようと勇気付ける場面の言葉である。
〔本文①〕主上笠置ニ御座有シ時、御方ニ參ジテ揚義兵シガ、事未成(ラザル)先ニ、笠置モ被落、楠モ自害シタリト聞ヘシカバ、力ヲ失テ默止ケルガ、主上隱岐國ヘ被遷サセ給ト聞テ、無貳一族共ヲ集メテ評定シケルハ、「志士仁人(ハ)無求生以(テ)害仁、有殺身為仁。」トイヘリ。サレバ昔衛ノ懿公ガ北狄ノ為ニ被殺テ有シヲ見テ、其臣ニ弘演ト云シ者、是ヲ見ルニ不忍、自腹ヲ掻切テ、懿公ガ肝ヲ己ガ胸ノ中ニ収メ、先君ノ恩ヲ死後ニ報テ失タリキ。「見義不為無勇。」イザヤ臨幸ノ路次ニ參リ會、君ヲ奪取奉テ大軍ヲ起シ、縱ヒ尸ヲ戰場ニ曝ス共、名ヲ子孫ニ傳ヘン。」ト申ケレバ、心アル一族共皆此義ニ同ズ。〔古活字板『太平記』卷四〕
 「志士・仁人は、生を求めて以つて仁を害すること無し。身を殺して仁をなすことありといへり。さらば昔、衛の懿公が北狄のために殺されてありしを見て、その臣に弘演といひしもの、これを見るに忍びず、みずから腹を掻き切つて、懿公が肝をおのれが胸の中に収め、先君の恩を死後に報ひて失せたりき。
〔解釈①〕志ある人、仁を体した人は、命を惜しんで仁徳を害したりしない。むしろ自分の身を犠牲にしても仁道をなしとげることがある。『論語』「衛霊公」第十五の九に見えることば。「殺身成仁(みをころしてじんをなす)」と単簡に表現することばでもある。
〔英訳文〕
Confucius said, “A person with high aspirations and a benevolent person never deviate from benevolence for their life. They would rather kill themselves to accomplish benevolence.”

〔本文②〕「見義不為無勇」
 義を見てせざるは勇無し。いざや臨幸の路次に参り会ひ、君を奪ひ取りたてまつりて、大軍を御こし、たとひ尸を戦場に曝すとも名を子孫に伝へん」
〔解釈②〕人としてなさねばならぬ正しいことを知りながら、これをなそうとしないのは、真に勇気がないものだ。→人としての道理を曲げてまで、やるべき事をしないのは本当の勇気がないからだ、ということ。また、正しいと知っていながらしないのは、勇気がない証拠である、ということ。『論語』為政・二の二十四にみえることば。
〔英訳文〕It is coward not to do at the time to do right.

 ここで高徳は、『論語』から孔子のことば「志士仁人の殺身成仁」と「義を見てせざるは勇なきなり」、さらには『貞観政要』に基づく「衛の忠臣の故事」を例に挙げている。
 。

 いくつかの本を読んでみると、実はこの箇所は巻之四の半分にもあたいする勾践主従の挿話への前振りにしか過ぎないという。しかし、実際にこうして読んでみるだけでも作者の知識教養力、さらには読者側にもそれに匹敵するものを求めていることがわかる。
たまたま私は『論語』の義を見てせざるは勇無きなりという有名なことばを知っていたから何とか興味が湧いたが、ここまで知的なレベルの高い本だと読むのにも疲れてしまうのではないだろうか。
 さて「義を見てせざるは勇なきなり」は孔子の言葉で、『論語』・為政に以下のようにある。
「其の鬼に非ずして之を祭るは諂うなり。義を見て為さざるは勇無きなり(自分の祖先ではない霊を祭るのは諂うことである。人としてなすべきものだと知りながら、それをしないことは勇気が無いからだ)」
「義」は儒教の五常(義・仁・礼・智・信)の一つで、筋道の通った正しい行いのこと。
ここで儒教の思想が現れてくる。それをもう少し見ていきたい。
 『論語』は、言わば奈良時代、平安時代から続く公家社会必須の教養である。私が参考にさせていただいた市沢哲編『『太平記』を読む』〔吉川弘文館刊〕では、ここで高徳からこのことばが出てくるのは対しておかしいとも思えないが、何故ここで出てくるか等について詳しく自説を展開している。それを要約すると、宋学的な思想を取り入れたかったからということになると思うが、なかなか読み物として面白かった。

 授業中にも言及された『太平記』が作られた背景、他に何故軍記物語なのにも拘わらず「太平」という名が冠されているのか、様々な疑問の答えになる部分のエッセンスがここに見え隠れするのではないだろうか。
 巻之一一「建武中興成就」までに見られる物語の進展、これが「義を見てせざるは勇なきなり」で顕著化された、儒教の新流派、宋学である、と著者は語っている。また巻之四で挿入される桁外れに長い来歴譚はこの物語の構想と思想を表出すものとして重要であるといっている。
 何分、時間が無かったので十分な考察検討が出来なかったにせよ、たまたま拾い上げた部分から、有名な漢籍『論語』のことばが出てきたり、そこからにじみ出てくるような作者の思想が感じられた。このことばの端々に見られる知識教養だが、きちんと意図があってのことだと理解できただけでも十分実りがあったと感じる。


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