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欅坂46の文学性

欅坂46は2015年8月21日に誕生した、アイドルユニットである。2016年4月6日サイレントマジョリティーを筆頭に、いままでに4作アルバムを発表。先日、2017年4月5日には第四作目となる新作、不協和音を発表し、NHKの歌番組SONGSでも特集がくまれたり、今話題沸騰のグループである。
最近めっきり記事をかかなくなった僕だけれども、このグループについては、なんか感想めいたものを少し書いておきたいなと、ひさしぶりに思わせるものだった。それはなぜかというと、そこになにかしらの「何か」を感じたからである、それをタイトルでは文学性と表現したけれども、そんなものは音楽性でもなんでもいい。

自分の言葉で表現してもよかったけれど、Wikipediaに端的にのっているのでそれを引用しよう。
「アイドルソングとしては珍しい低音寄りの構成で[41]、軍隊のような衣装と[注 1]、統率されたダンス[37]、メッセージ性の強い歌詞を[44]、女性アイドルグループらしからぬ出立ちでクールに表現し[45]、「システマティックに作られた社会を象徴するシーン」と「若者の力強さと勢いを表したシーン」の2つの情景が取り入れられている」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC
サイレントマジョリティーとはどんな作品かと聞かれたら、このような要素を取り上げることができるだろう。
それまで、古くまでさかのぼれば、アイドル全盛期時代から、アイドルユニット、おニャン子、モーニング娘。それから00年代にはいってからの圧倒的だったAKB。乃木坂などの流れがある中で、このユニットはあきらかにそれらの系譜からは逸脱していく流れである。
それまでのを踏襲して、それを補完しているといってもいいかもしれない。
とにかく、センター平手友梨奈15歳を筆頭にしたこの数あるグループのなかでも特に平均年齢の低いグループは、通常の流れであれば、「かわいさ」を一番に押し出してくるようなところを、あえて直球ではなく変化球で投げたというのがおもしろかった。それさえも、秋元康の思惑にからめとられているところを思うと、なんともいえないところがあるが。

いまのところ、けやき坂の4つの表題作は、二つに分類することができる。
すなわち、システム化された社会に対する若者の抵抗という社会的メッセージのある『サイレントマジョリティー』『不協和音』と、もうひとつは、季節を描写したような『世界には愛しかない』『二人セゾン』である。
サイレントマジョリティーのほうが、世間ではどうも人気があるようなので、あのセンセーショナルな、尾崎豊のようなアンチ現代社会の批評が、意外と現代のわかものにはいいらしい。
大卒で批評を専門として勉強してきてしまった、20代半ばくらいの人間になると、あの若者の痛切な叫び、みたいなのは純粋にそのままではなくて、秋元康が言わせているものだしなあ、といううがったみかたをしてしまうので、私にとってはこちらのふたつの作品はなかなかつらいものがある。
特に最新作の不協和音は、途中で二度さけばれる「僕は嫌だ!」という叫びが挟まれるが、うーん、いきすぎじゃないかなあと思わなくもない。また個人的に好きでない、ロボットのような不自然なダンスがこの二曲にはあるので、この二つの曲は、その政治性(批判している大人、社会の代表格ともいえる秋元がいわせている、「マッチポンプ」)と、そのダンスにおいて私はあまり好きになることができない。
それを現代の高校生くらいは、わあすごいなあ、僕もこのうっくつして、出口のない日本社会においてそう思っていたんだ!と素直に思えるのだとしたら、それはとても純粋だが、私からしてみたら、ちゃんと大学にいってそういうものに対する批評性をみにつけないと、あなたこそ「サイレントマジョリティー」に結局なっちゃうのよ、なるのならせめて「サイレントマイノリティー」か「ノイジーマイノリティー」になろうね、といいたい。

だが、秋元康のそうしたマッチポンプ的、あまりにもうますぎる商業的精神がかいまみられるこれらの作品はおいておいて、彼の季節や自然を切り取る文学性においては、やはり一目を置かねばならない。私はいままでずっと文学に政治を持ち込むなと思ってきているが、やはりそれをやられるとだめだ。
その点、それがない季節を描写した二つの作品『世界には愛しかない』『二人セゾン』は、とても美しい作品だと思う。
『世界には愛しかない』が、春から夏にかけて、『二人セゾン』が秋から冬にかけてを表現している。
『世界には愛しかない』は、学園生活の風物詩でもありそうな、もはやそんなものはもうあまり行われていないのかもしれないけれども、学園祭なんかでだされそうな、朗読劇調で、朗読がはいる。やや過剰な演出だなと私は思うけれども。
私が最も好きで、もっとも自然だと感じるのは、『二人セゾン』
二人セゾンは本当にすばらしいと私は感じた。なんといってもメッセージ性があるにしても、政治的ではないし、あるとしたら、それは今という一瞬を大事に生きろ、といったような毒のないメッセージだからだ。そしてダンスも作品のなかで、もっとも「キレイ」である。『サイレントマジョリティー』にしても『不協和音』にしても、まさに不協和音など、タイトルがしめすように、もとから調和を目指していない。調和をたっとぶ、どちらかというとキレイ目好きな私からは、違和感を覚えざるを得ない。それに対して『二人セゾン』のあのうつくしい、整ったダンスはなんとも形容しがたい。
途中間奏中に平手がうでをふりまわしながら踊る場面があるが、若者の熱い生命力を表現するとしたら、ああいうほうが私はとても自然だと感じる。

しかし、この4作で出し尽くしてしまった感はある。
これから秋元先生が、けやき坂のためにどんなテーマの楽曲を書き下ろしてくれるのか、今後が気になる。

一点私が気になるのは、あまりにすごいとはいえ、この四作すべてセンターを平手が勤めさせられていることだ。そもそも15歳の段階で、まだ人間としてはあまりに未熟すぎる、彼女には極めて大役であるといえよう。それにSONGSでも見られたように、彼女はもともとあまりアイドルが向いているような子ではない。どちらかというと奥手で、マイナス思考なくらい女の子だ。その点は、秋元プロデュースのAKBの前田敦子とも共通するものを感じないではないが。まあああいうくらい感じの子が日の目を見れるというのを体現してくれている秋元は、私はなんだかんだいって彼のことが嫌いだけれども、そういうことを体現してくれているのは、若者にとって希望となり得ていることは確かだと思う。
AKBは、いまのところ、卒業した彼女たちは、それぞれ自分の仕事を、AKBに所属していた時よりかは減っているとはいえ、それぞれが独立した、少女から大人の女性になっていっているのを見て、私は安心をしている。
だが、これまで日本の芸能界が、かずかずの子役をすりつぶしてきたのと同じように、他のメンバーが17,18,19くらいであるなかで、1人だけ15歳である平手が、根を挙げはしないかと私は思う。
根を挙げなかったにしても、彼女の一回性の大事な人生を、極めて困難な青春時代にしないかと心配になる。彼女がこれから秋元の加護があるとはいえ、大人のダークな芸能界の世界のなかで、その純粋性を保って無事に大人になれるのか、擦り減らないか、息詰まらないか、大人が少女の純粋性を利用してお金にしていることがどんなことか、考えなければならないと思う。
そこは見守っていきたい。それが大人の責任だと思う。

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