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藤村男子さん、ならびに、父、ならびに社会的地位があると思っている人たちに伝えたいこと


2月の中盤に、就活がいよいようまくいかずに、最後の頼みの綱が切られてしまった。そのことを愚痴った記事を書いて、このブログに載せた。
そのところ、いままで三件のコメントを頂いた。
うち二つは、自分も弱者だった、つらい時があった、今はつらいだろう、でもいずれ上手くいく時がくる、といった励ましの言葉だった。ところがその中に一つだけ、藤村男子さんと言う方から、次のようなコメントを頂いた。

「非力な自分を棚に上げて、その原因を責任転嫁する。弁が立ちすぎるというのもそれはそれで問題があるのですね。全てを他人のせいにして自分を正当化しているうちは前には進めませんよ。外国にでも行ってみたらどうですか?」

私はこのコメントに対して、さまざまな想いを抱いたため、今回はこのコメントに対する反応と、私自身の考えのためにここに書くものとする。

~まず「非力」とは何か~
私がこのコメントを読んで違和感を覚えたのが「非力」という言葉だ。
そもそもなにをもって「非力」あるいは力をもっている、とするのだろう。私は単純にそのことが不思議でならない。
だから今回は、力を持っていると、思い込んでいる多くの人たちに対して、そんなものはないんだよ、もしくは幻想にすぎないのだよ、ということを丁寧に見ていきたい。
このコメントをくれた藤村男子さんは、私が非力であるから、就活に成功しないのだ、その自分の非力を認めずして、資本主義ふざけるな、という就活が上手くいかないのは君に選ばれるだけの能力がないからではなく、資本主義に原因を求めている、それでは前にすすめないよ、ということをいいたかったと思うのだ。
だが、そもそも非力とはなんであろうか。あるいは力を持っているとはなんであろうか。
それはたまたまこの資本主義社会のなかで、たまたまその時人事権のあった人間にたまたまその人の気にあったから選ばれる、ということなのだろうか。

藤村男子さんに聞きたい、では私の非力とは一体なんなのか?
藤村男子さんに問いたい。ではあなたは非力ではないということだが、いったいどんな力を持っているのか?
そういうことをもう少しちゃんと考えてからでないと、あなたが非力と思っている私に対して、どんどんつっこまれるのだよ。
その次の文章で、「弁が立ちすぎるというのもそれはそれで問題があるのですね」と書いているが、これは、完全にあなたが、論理的には私にかなわない、ということの表明にほかならない。藤村男子さん、あなたが何歳かはわからないけれども、例えば今新入社員を選ぶことができる人事権をもっている会社経営者くらいの人とする、とすると、六十前後ということだろうか。それが、論理的には二十そこそこの私にかなわないということだよ。つまり、たった4,5年、大学でちょっと文学と哲学の勉強をした僕に論理的にはかなわないということだ。
もし僕が、これからも努力をおしまず、勉学を続けていくとしたら、僕が六十になったとき、あなたはぐうのねもでないほど、論理的には反駁できないような状況になるということだ。

さて、そこで問いたい。非力とはいったい何を指しているのだろうか。

ものごとを論理的に考え、それを文章や言葉にできる。これはあなたのいう「力」に含まれるだろうか。
私には、日本語には論理力や思考力、という言葉があるように、これらも一種の力、であるように感じられる。とすると、私は二十そこそこだけど、というか、他の同期の人間や、会社経営をしていた六十の父と比べても、それに劣ることなく、論理力や思考力を持っているわけだが、それは力ではないのだろうか?

力をもっていると思っている藤村男子さんにいいたい。
あなたが今、私のような若者に対して、君は非力だ、自分の非力を認めることだね、といえることが実に構造的な問題でしかないということに。
ではあなたはなんの力を持っていたからこそ、そういうことがいえてしまう立場にいるのだろうか。
それはたまたまあなたが、その時の人物の選考をする人と気があって、こいつおもしろそうだな、と選ばれたからというそれだけにすぎない。
もし私が六十そこそこで人を選ぶ立場にあるとしたならば、当然自分に似た、論理的で思考力があり、そういうのを発言できるような理屈っぽい人を選ぶだろう。この世の中は、所詮その程度でしかない。自分が好きかどうかというそれだけだ。あなたが会社経営者かどうかわからないが、どんなに頭がよく、東大出のエリートであっても、どうにも人として好きになれないということであれば取らないはずだ。そういうところにもっと自覚的になったほうがいい。
なにも私はそういうところがいけないのだとはいっていない。むしろ、客観的なものなど存在しないこの世界で、人を選ぶ基準が自分が好きかどうかであるというきわめて恣意的なものであることは、あまりといえばあまりにもわかりやすいし、私が六十過ぎで人を選ぶ立場になったとしてもそういう選び方しかできないことは重々承知であるからだ。

力をもっていると思っている藤村男子さん。
あなたは今、社会的に地位があって、力をもっていると思っているかもしれない。しかし、そんなものは、一時的に与えられた構造上のものでしかなく、実質的なものではないのだということを、重々承知しておいたほうがいいということを私はいいたい。
前の記事でも書いたが、私の父は資本主義社会において成功した人だった。一部上場企業の役員まで勤め、その子会社の社長にまでなった人だ。最後の年収は二千万ほどにもなったという。「力」があるとする藤村男子さんにしてみてば、私の父はこの日本社会ではかなり「力」をもった存在ということになるだろうか。
だが、実際に家で私と父が同居していて、そこに何かしら、人間的な違いや、存在価値の重さの違いなどがあり得ようか。
力があると思っている藤村男子さんに教えてあげよう。
私の父は昨年退職した。退職する前は人事権もあっただろうし、社会的にはかなり力のある人間だった。だが、退職してみて家で一緒にすごしていて、そこに何かしらの違いが存在しえようか。
実は、ない、のだ。
年収二千万を稼ぎ出し、社会的にも地位があると思われていた父であるが、その父と年収二百万もかせげないフリーター、半分ひきこもりの私と、そんなに変わりはしない。
むしろ、藤村男子さんがぽろっとこぼしてしまっているように、大学で文学と哲学を、学科二位で卒業した私では、論理力や思考力において、会社経営をしていた父よりも上回るくらいである。議論をしていると私のほうが有利になってしまうことが多々ある。

論理力があること、弁が立つこと「それはそれで問題があるのですね」とは、完全にあなたがそれに対して論理的には反駁できないことの負け惜しみではないか。
そうだとすれば、あなたは少なくとも論理力では私に「負け」ているのだから、「非力」だ。
だが、私はそんな力があるかどうかで人間の優劣が決まるなんて、そんな資本主義的な考え方はしない。
人間はどこまでも平等な存在なのだよ。たとえあなたが社会的に地位があろうと、私のほうが論理力があろうと、私とあなたはどこまでも同じ人間でしかないのだ。そこになにか優劣の違いがあると思い込ませるものがあるのだとすれば、それは資本主義が見せた幻想だといえよう。

だが私も、あなたのような社会的地位のある人間に「非力」だなんだ、「自己正当化」しているだなんだといわれて、気分を害さないわけがないだろう。
そういうことを、たまたま今の社会の中枢をになっている管理職の人間が、私の真価をみとめることができなかったから、選ばれない、それによってうまく就職ができない、というそれだけのことを、力がないのだ、自分の正当化しているだなんだと言われたらはらが立とう。
今はいいかもしれない。なにせあなたは社会的地位があって若い人たちを選ぶ権利、捨てる権利があって、私たちは選ばれる権利しかないのだから。
しかし、そういう立場にあるからといってそういう安全地帯から辛く困っている若者に対して、それはお前の責任だという自己責任論を振りかざしてしまうその暴力性に気が付かないあなたには、あと二十年、三十年したときに、どんなおそろしい自己責任論を「力」をもった私たちに振りかざされようが、それに反論する権利はないということだ。
あなたはまぎれもなく自分で自分の首を絞めているということをいっておこう。

私は忘れない。つらく困窮しているときに、励ましの言葉もあたえずに、それはお前に力がないからだ、自己性とかをするなとしかいえなかったあなたに。あと二十年、三十年経って、あなたが老人となり、社会的地位もなく、ほそぼそとした年金でしか過ごせないその時に、若者の介護の手を必要とするその時に、私はあらためて報復しよう。弱り目に攻撃したあなたに対して、私はあなたが弱り目になった老後に、あなたが安穏と暮らせないように、報復しよう。

~前に進むとはなにか~
「全てを他人のせいにして自分を正当化しているうちは前には進めませんよ。」
とあなたは言うが、私は私なりの努力をしているし、現に他人より本を読み、さまざまな体験をしたからこそ、こうしたことを文章に書けるだけの力があるのだ。それを前にすすめないとはなにごとか。
あなたは自分が力をもっていると思っているのと同じくらいに、自分は前に進んでいると思い込んでいるのだろうか。
そもそも人間の価値的なものに、前も後ろもあるものなのだろうか。そういうよくわかりもしないことを適当に発言するとこういう痛い目にあうのだよ。
人間がなにか一直線上の価値体系の上にあって、つらいことも我慢して、努力して、人一倍頑張って、他人のせいにせず、反省して、・・・そういうことをすれば、人間的にすばらしい、前にいける人間になるとでも思っているのだろうか。
そういう人間観は、ポストモダン思想が1970年代80年代に痛烈に批判したように、西洋の科学技術が発展した文化こそ、前であり、それ以外の未開の地は私達の何百年前にあたるのだ、という、文化進化論的な、すでに徹底的に批判された考え方でしかないということをあなたは、おそらくしらないのだろう。
文化人類学者レヴィ・ストロースが指摘したように、それは西洋が勝手に自分たちが優れていると勘違いした、西洋中心主義、科学中心主義的な考えでしかない。そういう人達には、自分達が未開と思っている少数部族、民族がいかにすばらしい文化をもっていて、奥深い精神世界があることを知らないのだ。
あなたは自分が前に進んでいて、私が前にすすめない人間のように思っているかもしれないが、まあそうやって人間にいつまでも優劣をつけていることだな。

~「外国にでも行ってみたらどうですか?」の意味~
最後に、これまた意味がよくわからない文章でしめくくってある藤村男子さんのお言葉。「外国にでも行ってみたらどうですか?」の意味について問いたい。
私にはあなたのような人間の思考がまるっきりわからない。だが、世間一般的に考えられていそうなことに照らし合わせて、なんとか理解してみたいと思うのだが、これは一応アドバイスのつもりなのだろうか?
外国にいってみると、日本とは違う価値観に触れられて、自分の狭い視野が開けて、なにか新しいものの見方ができる、だから外国にでもいってみたらいいのではないか?とあなたは言っているのだろうか?
もしそうだとしたら、笑止千万である。
大体にして、たぶん私はあなたより海外歴が長い(笑)
私はアラブ首長国連邦に四年程住んでいたことがあるし、アメリカに一月滞在していたこともあるし、南米をバックパックをしょって、一月旅をしたことがある。
平均がどんなものかよくわからないが、大半の日本人が海外に出たこともない現状において、私はかなり海外を経験しているほうではないだろうか。
というか、私はそうやって海外をかなり経験したからこそ、そういう経験至上主義的なところがよくないと思っている口である。人間経験はもちろん大事であるが、人生は限られているし、経験できることはごくわずかでしかない。だからこそ、その人間の経験や知見を本に残すのであるが、私はその点に関しては、かなり努力しているし、他人よりも研鑽をつんでいると思っている。
現にあなたが論理ではかなわないように、私はすでにポストモダンの思想も経由してきているし、かなり相対的な視点は、他人よりかは持てていると思っているはずだ。
それに私が日本の資本主義がおかしいと主張しているのは、日本の社会主義とは違う、福祉にあついヨーロッパ諸国であったり、資本主義としてはあまり発展していないけれども、そこに生きている人たちが生き生きとしている南米諸国であったりを、現地にいって体感してきたからこその発言である。

あなたこそ、もうすこし本でも読んで勉強してみたらどうですか?

私達若い人間は、人生二十数年も生きていないし、四十、六十の人とくらべたら、それは経験も少ないだろうし、非力だろう。
だが、そんなことわかった上で、それを非力だ、海外にでもいってみたらどうだ、と簡単に言葉をかけてしまうのは、よほど感覚がくるっているのか現状が認識できていないのか、なんとも言い難い。
そういう人間が今の日本社会の中心にいるからこそ、もちろんそれも年齢によって構造的にその場にいるだけであって、そこになんら必然性はないのであるが、日本社会はこのように問題が山積した、生きづらい社会になってしまっているのである。
私は明言しておこう。あなたがたが私たちにした仕打ちを忘れないと。
そして、このような生きづらい社会を押し付けた責任を、これから死ぬまでの三十年間でつぐなってもらおうと。あなた方が安穏として、楽しく明るい、安心した老後生活が送れないことを、私は保障しよう。
考えもない、暴力的な言葉をふりまわす中年たちよ、今からおそれおののいて待っているがいい。

とでもいっておこうか
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