うつで、仕事にいけなくなりました

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情けないことに、うつで仕事にいけなくなってしまいました。
僕自身について語るのは約二ヶ月ぶり。二ヶ月前には、「僕は仕事なんかしないで、友人のお母さんのところでドライバーとして雇ってもらうんだ」なんて豪語していました。
ですが、縁あってか、私は非常勤講師として横浜のほうにある学校に採用されてしまったのです。
それがよかったか、わるかったか、その当時には知る由もありませんでしたが、今からしてみれば、やはり悪かった。

周りに誰も私のことを分かってくれる人がいない、という孤独のなかで、僕はずっと戦ってきた。しかし、もうそれも、限界を超えてしまったようである。もう戦えない。休ませてくれ、それが僕のこころからの願いだ。
そもそも、僕は最初のところからつまづいているのである。
いつからだろうか、うまくいかなくなったのは。
もともと屈折した人間だった。幼稚園生のことから、自分が嫌だとおもったお遊戯会には最後まで意地を通して出なかったし、小学生のころも、低学年のうちは徒競走が嫌で、最後まで走らなかった。大勢観客がいる前で、母親にいやいや引きずられていったことを想いだす。そうした恥が、僕には人生のいたるところに沁みついている。
僕には普通の人の様に生きることはできない。
挫折だけの人生だった。
今、人生最大とも言える挫折を味わっているなかで、過去の挫折がつぎつぎに走馬灯のように思い出される。
小学六年生の時。私はいやいやながら父親に受験をさせられた。僕があるとき、受験なんていやだ、といったら父親は切れて、僕のことをなんどもぶったのである。
あの父と、いまでも仲は悪い。いまいましい父め。早く死んでくれればいいと僕は切に願っている。
その父との確執はいまにもつながっているし、僕が今回うつで仕事にいけなくなったのも、半分は父が原因だと思っている。
高校三年生の時も、そのまま大学に行けたのにもかかわらず、大学受験をさせられた。あのころはまだ国立出の父に対して立ち向かうだけの言葉の力がなかった。だが、大学受験だけは、幸か不幸か、良い方向に転がったと思う。もともと法律学部に入ろうとしていた僕は、すべての法律学部に落ちて、文学部に入学した。そこで言葉の力を学び、本を読みまくることによって、論理力や弁論術を身に付けた。今となっては、エリート大学を出て、社長にまでなった父親に対しても、論理力の面では私のほうが優れている。
高校の時に彼女や周りにいた友人たちに裏切られるという事件があった。今もその傷は癒えていないのだろう。その結果私は人間不信に陥り、大学受験の失敗もあって、大学一年の夏に急激に体調をくずした。夜眠れなくなり、気がついたら朝の7時。疲労困憊のなかで、なんとか眠りにおちる、という状況が続いた。食事もだめだった。お腹がすいた、食べたいと思っても、いざ食事を目の前にすると、気持ち悪くなってしまう、ということが続いた。体重は47キロまで落ちた。

僕は「なぜ生きなければならないのだろう」と問うようになった。
僕の問いの根源はここにある。
僕は死にたくはないけれど、かといって生きたくもない。
なぜこのように苦しいなかで生きなければならないのだろう。
僕は生まれたいとも、生きたいとも思っていない。にもかかわらず、社会は、父は、僕に働けと命じてくる。それがあまりにも煩わしかった。
大学四年の時、僕は度重なる教授による論文指導というなの罵倒と、父との仕事をしろという戦いのなかで、かなり疲弊していた。僕にはとても仕事ができる精神状況ではなかったのである。
なんとか大学四年にもなって、度胸がついたので、はじめて心療内科に通い始めた。そこで、なんとか薬を出して貰って持ちこたえていたのである。
だが、やはりまだはやかったのだ。僕はまだうつから立ち直れてはいなかったのである。
にもかかわらず、あまりにもうるさい父から逃れるようにして、周りの人間が勧めるので、その流れにのって、面接を受け、見事に受かってしまったのである。

だが、僕にはもう職場にいけるだけの力は残っていない。
とにかく怖いのだ。
なにがなんだかわからない。
身体が拒否しているのである。
僕はいかなければいけないと思う。しかし、そう思えば思うほど、こころとからだが、僕の意志には反して、いけない!と悲鳴を上げるのだ。
呼吸が浅くなり、気持ちが悪くなる。胸、胃、お腹のあたりがキューとしめつけられるようになって、はげしく苦しい。いわれもない不安、恐怖感に苛まれる。腰は重く、痛む。そしてなによりも、頭のなかで、「イヤダイヤダイヤダイヤダ」と叫び声が聞こえる。
原因ははっきりとはわからない。
考えられるのは3点。
1つ目は、単純。物理的に距離が遠すぎるのだ。歩く時間も含めると、片道2時間。毎日4時間もの貴重な時間が奪われているという現実が僕のこころを苛んだ。
2点目。教員。
なによりも辛いのは、職員室にいるときだ。職員室にいると、わけもなく涙が出てきそうになる。
僕はそもそも教員という人間が嫌いだった。教員はみんな自分のことが一番正しいと思っているから、傲慢な人間が多いんだ。僕が行った学校はまさに体育会系という学校で、ものすごかった。もはや軍隊だった。僕が一番嫌いなものだ。
生徒たちは私達教員がすれ違うと、その場で立ち止まり、「おはようございます」とあいさつをする。そんなことはしなくていいんだよ。お互いにどちらが偉いなんてことはない、人間なんだ。わざわざ立ち止まって挨拶するなんてしなくていい。
そして、教員たちも傲慢だ。生徒に対してきわめて高圧的な態度で接している。私は他の教員が生徒たちにそのように高圧的に接しているのを見ているのがとてもつらかった。私はこれ以上そうしたものを見たくはない。
そして自分は一番正しいと思っているから、普通なら指摘しないようなことを、僕にまでするのだ。
やれ挨拶をしたほうがいいだの、やれ人が来た時は立ち上がれだの、やれああしろこうしろ、あれはいけない、これはいけない、昼休みに寝るな、僕はもう限界だ。
3点め。生徒。
なんとか中間試験まではがんばった。試験もつくったし、採点もした。しかし、あれだけ丁寧に教えたし、なによりもみんなに満点近くとってもらおうと、ほとんど出るところを事前に言ったにもかかわらず、ほとんどが赤点という有様。勉強しようという気がないのだ。授業で行ったことを見返して置けばほとんど百点とれる問題で、平均点はどのくらすも40点ほど。僕はほとほと、彼等、彼女等に教えることの無意味さを感じさせられたのであった。

すまない、が、僕はもう限界だった。
限界をすでに超えていた。
静かに、コップから水がこぼれ落ちるようにして、僕は限界を迎えた。
先週の金曜日、僕はものすごい静寂のなかで目が覚めたものだ。それまでの辛さがまるで嘘だったかのように。それはすでに限界を超えてしまったからだったのだろう。
最初は、一年間でやめようと思っていた。しかし、それがなかなか難しく感じられてきた。
こんどは一学期でやめようと思った。それまではなんとか頑張ろうと思った。しかし、それも難しくなってきた。
なんとか明日行って、荷物を全部運んでしまおうとさっきまでは思っていた。
しかし、明日行かなければならないのだ、と思うと、いわれもない恐怖に襲われてしまい、どうしようもない。おそらく僕は明日仕事にいけないだろう。そしてもう二度と、あの職場には戻れないことだろう。
しかし、それでいいのだ。
多くの人が迷惑をこうむる。しかし、それでいいのだ。
僕はすでにそれらの人が困るのだ、なんだと言われても、それを負えるだけの責任能力のない、そんなことをいっていられない状況にある。
大勢の人が悪いのだよ。私をこのような状況にしてしまった。私は何も悪くない。私はただ、うつになってしまったのだ。
すまない、とも思ってはいない。私をこのように追い詰めた社会への、私からのわずかな意趣返しである。どうかありがたく受け取るがいい。
僕はすべてを放棄する。そして僕は明日学校へいかないだろう。
僕はうつで学校へいけなくなりました。
おわり

憎愛 二十二

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二十二
優也がそのような思考に陥ると千里は見据えていただろうか。だが、踏ん切りのつかない優也を何とか振り向かせようとする手段など、女性にはいくらも持ち合わせているものだ。優也はこの点において、彼が教えたことが仇となった。優也は千里に何を教えたのか。それは、ジェンダー、つくられた女性らしさというものだった。千里は、日本の歴史に残るような女性文学を愛読していたし、漱石や有島の作品に出てくる、蠱惑的な女性のこともよく知っていた。まさしく持てない文学者の典型である優也など、千里の手にかかればもはや落とすことなど簡単だったのかもしれない。
千里は文藝部に所属している、文学少女ではあった。だが、彼女は他の根暗で陰鬱な文学少女とはことなり、至って健康的であったしはきはきとして活気にあふれていた。そのため、決して持てないわけではなかった。彼女がいるとどこか空気が涼やかになるような、そんな清々しい女性。健康的でありながら、文学的な素養があり、非常に理知的で才気にあふれた女性。精力に支配されているような男子高校生にとっては、自分と付き合えたら誰でも良かったのかもしれないが、しかし、中にはそうした知性溢れる女性を発見し、恋をするなかなか鋭い人間もいる。優也が高校の時はまだ磨きがかかってはいなかったが、そのような洞察力の片鱗はうかがえた。だが、優也よりも早熟な人間というのは意外にもいるわけである。優也はまさしく数年に一人の逸材ではあったが、数年に一度の逸材であれば、一年に一人の逸材もいるし、二三年に一人の逸材もいるだろう。そのような人物が決して千里の周りにいないとは限らないのである。優也は少し過信していた。千里がまだ少女で、そして最後まで自分の言いなりになるだろうと思っていた。
だが、千里はそんなに幼いわけではなかった。女性に生まれ持ったある種の能力というものがある。それは意識して行っているのか、それとも無意識に行われるのかはわからない。そうした能力というものは、或る時、それは女性が男性に恋をしたときに次第と発揮されるものなのである。これにかかったら男などというものは、その地球より重い引力に打ち勝つ術等ないだろう。優也ほどの理性、理知を持っていたとしても、所詮は人間の作り上げたもの。そのような人工物で、女性の神秘に適うはずがない。
千里の学年には、確かに優秀な男子生徒が居た。運動もでき、勉強もできるといった部類の人間だ。だが、体格が大きく、汗を振りまいているような体育会系の人間ではない。学力を鼻にかけた委員長風のインテリでもない。至って文学的で、様々な教養に溢れ、話も上手ければ、顔もいい。女性を歓ばせるために生まれてきたような人間というのが、世の中には存在するのである。彼は紛れもなくこの分野においては数年に一人の逸材であった。コンプレックスが多く、いつまでも自分の自信の持てなかった優也は、教師としては失格であるが、このような生徒に対して内心良くは思わなかった。表面上決して生徒にばれないような演技こそできたが、内心ではかつての僻んでいる自分がそのクラスにいるような気持ちになって仕方がなかった。
優也がいつものように授業のため廊下を歩いていた時、あるものが視界に入った。
「ほら、チャイムなっているぞ、教室に入れ~」きゃっきゃ言いながら散り散りになっていく生徒たち。そして現れたあの光景。よく見たことのある後ろ姿だと思っていたら、壁に沿って何か親密に話している二人組があった。教室入れと言おうとして気が付いた。それは千里だ。千里が誰かと話している。しかもずいぶん親密そうだ。何を話していたのかはわからないが、千里は随分楽しそうに笑っていた。あの笑顔を私は見たことがないと優也はその場で思ってしまった。私に見せたことのない表情・・・。繊細な文学者きどりの人間の精神をぼろぼろにするのにはたったそれだけで十二分だ。優也は何とか慣習から身に付いた「授業はじまっているぞ」という言葉をかけた。大分距離も狭まっていた。優也の声に気が付いて振り向いた少女。千里は優也を認めるや否や彼の眼を捉えた。どのようにも形容できない眼差しで優也を見つめ、そして教室に入っていった。見つめられた時の長さは、実際は二秒もなかったろう。しかし、その眼差しによって優也は完全に心を支配されてしまったのである。まさかこのような瞳力があるとは露ほどにも思っていなかった。最初から彼女には、宝石をどこかに隠してしまったような黒い瞳があった。しかし、その眼がここまで力を持つようになるとは、自分で教育をしていながら、それが今さらのように恐ろしいことに思われてきた。彼女の教室への去り方は、実になめらかだった。そこには一種妖艶さもあった。一つ一つの動作は余韻を残し、優也を見つめたその眼差しは流し目であった。優也は千里が教室へ入るまで彼女に釘づけだった。目を離すことができなかったのである。千里のその瞳には一体どんな意味が込められていただろうか。彼女の眼差しを形容することは無理だとその時優也は悟った。彼は文学者として、これを言い表しうる表現など出来ないと思ってしまったのである。優也にはそこからなんでも引き出せるような気がした。どこか優也を蔑んでいるような目でもあったし、悲しみ、あるいは哀しみに溢れた目でもあった。冷たい眼でもあったが、どこか温かみのある眼でもあった。少し困っている眼でもあった。謝っている眼でもあった。怒りもあった。それらの感情が一挙に押し寄せたように優也を襲った。
一緒に話していた出来のいい学生は、優也を蔑んだ眼でみて自分のクラスへ帰っていく。勝ち誇った眼だ。男が女を勝ち得た時に、他の男に向ける勝利の眼だ、と優也は思った。二人にはどんな関係があるのだろう。千里は、自分のことを捨てて新しい、若い男を選んだのか・・・。
いけないと思い、教室へ入ったもののだめだった。今までのいろいろな感情があふれてきてしまって、授業を始めようとしたときにぽろぽろと溢れてしまった。ちょっとすまんと言って、優也は廊下にある男子トイレへ駆け込んだ。いけない、いけないと思いつつも、どんどん涙があふれて来た。自分で望んだくせに、いざそうなってみると耐えられるだけの精神がもう自分にはないのだ。人間は、自分が望んだことが現実となったときにそれを耐えることができないという場合が時にはあるのだ。優也はそんなことを考えなかった。いつまでも、どこまでも彼の人生は不幸の連続である。
それからの日々、優也には憂鬱な日が続いた。幸いにもその出来のいい生徒と、千里は別のクラスだった。優也の知らぬ間に二人が会う機会というのは限られる。それだけが唯一の救いだった。このようなことをしてはいけないと思いつつも、できるだけ授業の始まる前には廊下を通るようにして、千里とその男子生徒が話していないかなどをチェックした。これではまるでストーカーではないか、彼は思い悩んだ。しかし、いくら、理性や知性というものを集め、だめだとわかっていることであっても、時として人間はそれに邁進せざるを得ないものというのがあるのだ。優也にとって千里とは、最後の生きる希望、太陽の光、春のそよ風だったのだ。それを失うということが彼にとってどういうことを意味するのか、優也はなんとしてでもそれを阻止しなければならないと同時に思わざるを得なくなった。ここで、再び彼は教師としての優也と、人間としての優也とのディレンマに陥ったのである。彼は血筋や家庭環境というものが極めて厳格で、社会性、社交性といったものの土台の上になりたっている人間であった。それは確かに、社会から信頼を得て、それなりの発言力や権力を有すということになる。しかし、その代わりに彼は人間としての自由を失っていたのだ。人間にはこのようにして、さまざまな不幸というものがある。例えば、あまり経済的に恵まれず、家庭環境にも恵まれなかった人間にとって、優也はとても恵まれた人間として映っただろう。事実彼はずっと妬まれたり、ひがまれたりしてきた人生であった。両親とも、資産に困ったことのない家柄であったし、財産もある。海外に住んでいたこともあるし、上流階級に近い生活をしていたのは確かだ。しかし、彼のことをよく見た人間は果たして彼が幸せだと言えるだろうか。表面上、彼の境遇を思って、羨ましいと思う人間は沢山いた。いや、それがほとんどであった。しかし、時には彼の心の寂しさに気が付き、生きながら死へ向かっている彼をみてかわいそうと思う人間もいた。そうした極わずかな、稀有な人間によって彼は生かされてきたと言ってもいいだろう。しかし、その最大の救いを与えた人間を失った今とあっては、彼にとっての生は、千里そのものであった。
授業にも集中ができなくなった。時に呆然として「先生」と注意された初めて気が付くということもあった。生徒たちにとっては、また彼の鬱が再発したのだと見えた。ある意味ではあながち間違ったことではないだろう。彼はずっと重度のノイローゼに侵されていたのである。それに加えてさらに、今度は千里の存在が問題となった。優也は紛れもない自分の気持ちに気が付いてしまったのである。しかし、それを教師として、社会に生きる人間としての彼が殺しにかかった。一瞬理性のほうが勝ったように思われたが、千里が優也の目の前で別の男と楽しそうに話しているのを見て、完全にその二つは分裂した。優也には常人の思考はすでにできなくなっていた。あまりにもディレンマが激しすぎて、自分のなかに存在する二つの自分が、対立どころではなくて完全に分裂してしまったのである。
彼は自分が何をやっているのかもう正常に判断できてはいなかった。遠くまで見渡せるその視力を使用して、廊下の端から端までを見通す。しかし、数多くの学生がそれぞれ自由な方向にうごいているなか、そこから千里と男子生徒を探すということはかなり負担を強いることであった。また優也の眼は充血し、くまが出来始めた。授業をしにいっても、まるで身が入らない。出来のいい男子生徒のクラスで授業を行う際は、あてつけに難しい問題を吹っかけて、答えられずにその男子生徒の自信を削ぐことに優越を感じるまでになった。優也は自分が今、男として最低なことをしているという認識があった。相変わらず認識力だけは鋭かったのである。だが、その鋭い認識力が、自分がやっていることが間違っていると判断しているのにもかかわらず、何か本性のような部分がそうせざるを得ないのを観るのはとても辛いことだった。自分が醜い人間であるということを如実にわかってしまうのである。
千里がいるクラスにいれば、男として認められたいという欲求から、何か面白いことを言って笑わせようとしてみたり、ひょうきんなことをしてみたり、あるいは自分がすごいぞ、できる人間なんだぞということを示すために誇張した表現を使ったりした。そして、そうしたことをするたびに、授業が終わると激しい後悔の念が襲ってくるのである。なんて愚かなことを自分はしているのだろうか。愚かだ、醜い、汚い。これは優也が最も嫌ってきたことがらである。理性の人として、彼が積もうとしていた徳。それは常に、正しく、清く、美しく生きようと努めて来たことにある。優也はそのあまりにも鋭すぎる認識力が、自分の醜い部分をも裁いてしまうという点に人並み以上の不幸があったのかもしれない。自分にはこんなにも人に見せられない部分がある。それを克服することが自分の生だと考えて、そのように生きようと努めて来た。しかし、やっとそのように生きられたかとふと振り向いてみれば、そこには、息も絶え絶えながら今にも死にかけている自分の姿がある。なぜこうなってしまったのだろうか。自分はただ、正しく生きようと思ってきただけなのに。その自分の考える正しさのために、ほかならぬ自分が傷つきぼろぼろになっている。自分の打ち立てた論理、培った知性の力。それらは一重に自分自身に無理を強いていただけだったのだ。それでは正しくいきることは人間にはできないのだろうか、いや自分には出来ないだけかもしれない。どうしてできないのだろうか。個人の力では人間は正しく生きられないのか。
無理を強いてでも正しく生きようとしてきた自分はどうだ。ここまで絶え間ない錬磨と忍耐をしたのだ、すこしはものになったろうか。だが、気が付いてみると、また愚かなことをしているのだ。優也は絶望するほかない。正しく生きようとすれば、傷つき生きられなくなる。しかし、無理を強いてでもがんばったのだから、何か成果があるかと思えば結局それもなし。だが、優也には、その崇高な魂が決して、妥協し、正しくない、俗悪な生き方をすることを赦さなかったのである。



憎愛 二十一

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二十一
二学期に入ると、いよいよ勉強にも身が入ってくる。ほとんどの人間は、予備校か、塾に行っている。なので、どちらかというと、学校の授業は、予備校や塾でやった授業の復讐というかたちになる。学校が塾レベルの授業を展開してあげられれば、わざわざ二つの学校に通い、洒落にならない料金をはらうこともないのにと、優也はいつも悩むのであった。なかには、学校の授業はつまらないし、塾のカリスマ講師と比較してつまらないから、必要ないんだという認識をしてしまう学生もいる。そういう生徒は、学校の授業中には、塾のテキストをやっていたりして、しかもそれを教員が指摘すると馬鹿にしているから、ずいぶん横柄な態度を取る。そういう生徒はだが、仕方がないのだ。受験勉強という名の戦争のなかで、こころが荒んでしまっているのだ。そういう時、教師は優しく接してあげることしかできない。他にも、学校はただの睡眠時間としか考えていない生徒も出てくる。教師としては心苦しい季節となる。
この学校は行事に力を入れることで有名な学校であった。この学校は運動部系の生徒もなかなか強く、様々な受賞歴があるが、文化部系の部活もそれに負けず劣らず強かった。運動面、文化面でさまざまな賞を獲得している文武両道の学校として名高かったのである。だが、文武両道というのは、少し語弊がある。運動の強い学生は、特に文化系のことができるわけでもなく、その反対もまた然りだった。文化系も、運動系も、どちらも強いのが集まっていたというだけであるから、それが果たして文武両道と言えるのかは、疑問に思うところがあった。だが、そのように世間にも名高い学校であったから、その中でも文化祭は一番の学校の見せ場となる。三年生にとっては最後の大きな行事だ。文化祭は学校によってはやらないところもあるが、この学校では、一応行事が売りということもあって、三年生でも文化祭をやる。もちろん、二年生までと比べれば大分簡素なことをやるにとどまったが、それでも十分に他の学校に比べれば自慢のできるレベルだった。
二学期に入ってから、千里とはあのようなこともあり、二人の文学のレッスンは行っていなかった。だが、文藝部の方には時に千里は顔を出していた。
「さて、今年も文化祭の季節がやってまいりました。みんなには、文藝部の活動時である、夏休みに全然これなくて悪かったと思っている」
「そのことなんですけど」元気のいい二年生が手を挙げて発言する。「私たち、先輩たちのもと、先生が居ない間もきちんと活動していたんです」
「え、そうだったの」
「はい、元部長が、夏休み中ずっと面倒を見てくれました」別の生徒が言う。
元部長とは、紛れもなく千里のことであった。通常部活動というのは、受験勉強の妨げにならないように、部長は二年生になることが多い。だが、今の文藝部の部長は、いかにもアニメ好きですといった感じの少女であったが、リーダーとしての能力はあまりなかった。それで、元部長である千里、彼女が面倒を見ていたのである。
「千里、そうだったのか」
「はい。一応部長の補佐というかたちで、みんなの活動をサポートしてきました」
「そうか、それはすまないことをしたな」
「いいえ。私も好きでやっているし、それに受験勉強だけじゃつまらないから」
「いやあ、みんな、受験勉強っていうのは大変なんだぞ。そんな大変ななかみんなの面倒をみてくれた千里先輩に感謝しなくちゃな。それで、じゃあ、文化祭でやることは決まったのかい」
「はい」部長が優也の質問を引き継ぐ。「毎年の展示と、文芸誌『ハレー』五十六部の刊行をして、配布します」
「発表の内容は」
「私がジブリ映画にみる上下運動という論題で評論を一つ」
「私は、ジャンプ漫画にみるつくられたヒーロー像というタイトルでやります」
「僕たちは共同研究で、ワンピースの擬音を研究し、発表します」
「よしよし。なかなか見事に進んでいるじゃないか。僕が居ない間もきちんと活動していてくれて、先生はとても安心しました。君たちのことを子供扱いしすぎていたのかな。みんな立派で、感動しました。千里元部長は?」
「私は、もう引退していますので、個人として何か発表するものは特に考えていないんですけど・・・」
「あ、あれをやろうよ。この間千里がとった論文。あれを拡大コピーして貼るのと、賞状も一緒に飾っておこう。そうしたら、部活動のいい宣伝になる。どう、これなら負担にならないからやれる?」
「あ、それならやれます。後輩のみんなは、私のを展示してもいいかな」
「ええ、もちろんですよ千里先輩」
「ありがとう。じゃあ、展示させて貰おうかな」
文化祭への準備はこのように着々と進められていった。
千里との関係は、面談のあった日以来ずっと触れてはいけないもののような関係になっていた。授業時に、千里がいるクラスで教えるときも、千里は優也とは目線を合わせなくなった。文藝部の活動には、たびたびやってきてくれる千里ではあったが、どこかよそよそしさが隠せない。友人にも恋人にも恵まれなかった優也は、こういう時どうしたらいいのかちっともわからない。こんな時、彼が今まで磨いてきた知見、能力というのは恐ろしく役に立たなかった。これだけの文学者なのだから何とか考えでも浮かびそうなものであったが、こうなってしまっては優也も凡俗な人間と変わりなかった。あまりの無様さに、自分でも失望した。それを見ている千里もまた、あまり優也を見ていていい想いをしなかった。
時には不愛想な顔をし通していることもあった。時には、ふくれっ面のこともあった。またある時は、ちらちらと優也に視線を送ってくることもあった。だが、優也はそれに対して何もできることはなかった。ただ、おろおろして、教師として接すること以外に能がなかった。こういう時にはどうしたらいいのだ、次第に優也を焦燥感が襲い始めた。孤独となってしまった今、優也に残された生き甲斐は、自分が愛情をこめて育てた千里にあった。
彼はまだ、睡眠も食事も思うように取れない日が続いていた。睡眠薬を飲んでも眠れない日もあった。そういう日は、寝室から抜け出して、書斎に閉じこもった。ふたたび、ぽつりぽつりと零れ出てくる言葉を書きとどめていたのである。そうして、深い闇の中にいると、次第といろいろなことが見えて来た。私の心は今、どのような状況なのだろうか。私は何を望んでいる。私はなんだろう。どうしたらよいのだろうか・・・。そしてある時、こう思ったのである。その日も新聞配達がやってきて、しばらく窓を眺めてぼうっとしていると、東の空が明るみ始めた。それで、机の上のランプを消して、遠いそらを見ていた。その時、じっという強烈な音と共に、死んだ蝉があった。自宅の近くの木に居たのだろう。鳴き声のあとに、ぽとっという地面に蝉が落ちる音まで聞こえた。優也はその時に悟ったのである。私は紛れもなく千里が好きだ。何よりも好きだ、愛しているのだと。そのことに気が付いてからというもの、優也は気が気ではなくなった。
どうしよう、どうしたらいいのだ。自分は確かに彼女のことが好きだ。しかし、教師が生徒に手を出すということがどのようなことか・・・。厳格な家庭に育った優也にとっては、社会的な目というものは小さいころから叩き込まれた妄念のようなものであった。常に誰かが自分のことを見ているのではないか、監視しているのではないか。だが、別に今さら教員をクビになってもいいのだ。いや、いけない。そのような極論に走ろうとしている時点でだいぶ無茶なことをやっている、その方向へ進むのはやめた方がいい。だが、自分の心には素直になりたい。しかし、千里が本当に自分のことを好いているのかまだわからない。あのようなことがあったとしても、あれは何か一時的なものだったのかもしれないし、彼女の母性といったものからでる、一種の憐れみだったのかもしれない。私はどうしたらいいのだ。彼女の気持ちがよし、本当だったとしよう。それでどのように応えるのだ。僕も好きだと云うのか。そんなこと云えるのか。もし気持ちを告白したとしよう。それでどうするのだ。普通の恋人のように付き合うことができるのか。彼女はまだ高校生だぞ。まだ子供だ。やはりそんな子供をたぶらかすのはいいことではない。ばれたら他の教員になにをされるかわからない。恐ろしい。他の眼からなんとか逃れたとして、それでどうするのだ。私と彼女の間にはいくつ歳の差がある。六、七、八・・・八つか。私の両親は十も離れていたが、それは三十や四十の時に結婚したから問題がなかったのだ。もし、私が八つも下の生徒に手を出したなんてことがばれたら。いや、ばれることは今は置いておこう。しかし、八つも下の女性と付き合えるのだろうか。何をしたらいい。デート?わからない。どこかに連れて行けば喜ぶだろうか。しかし、何時までも子供扱いしていると彼女は嫌がる。だからといって、どこか高いところへはいけない。全部私が支払うくらいなんということはない。だが、それを彼女は嫌がるだろう。かといって、最近の若者がいく安いところを知っているわけでもないし。それにもしも彼女が付き合っている人間がこのような碌でもない、今にも死にそうなおいぼれ文学者だと知ったら、彼女がなんと思われるか。彼女の両親の問題もある。仮に、上手く付き合えたとして、そのあとどうする。あのご両親にどうやって顔向けするのだ。教師として接しておきながら、今さら自分の義父、義母として接するなどできるだろうか。辛い。あまりにも辛いことが多すぎる。昔からそうだった。いつだって辛かった。もうこれ以上傷つきたくないのだ。安らかに人生を終えたいのだ。生きる希望を与えないでくれ。千里、君は私にとっては生きる水だった。差し込む光だった。しかし、それと一緒に歩むということはわけが違う。私にはすでに、君と共に歩む力を失ってしまったんだ。生きる力のない、なんども自殺をしようとしているような人間が、これから希望に満ち溢れた人間の足を引っ張っていいわけがない。若者には未来を、老人には死をだ。確かに彼女には、私は見事な人間、立派な人物に映るのかもしれない。それはかつての栄光があるからだ。私が成し遂げた過去の遺産、それは確かに一人の人間が成し遂げたにしてはなかなか出来が良かったのかもしれない。人類、といっても日本人だけだが、の貢献に少しはなったのかもしれない。だが、私はすでにもう、その過去の遺産、かつての栄光によってかろうじて輝いているだけの産業廃棄物に過ぎないのだ。もはや可燃ごみだ。中身のなくなってしまった人形だ。魂を失ったただの入れ物、容器に過ぎない。私は自分のできなかったこと、自分の希望、未来を確かに千里の上に重ねてみた。それは私の勝手に過ぎない。単なるエゴだ。私は何故彼女を愛したのだ。それは、あの健康美だ。美しい生命。まだ死の影に脅かされていない、生きることに何の疑いもない美しい命をこの目に入れておきたかったのだ。その美しさを、ひと時の間、我が手中に収めておくこと、それが何よりの生きる希望となったのだ。私は自分の勝手で彼女を自分好みに育てた。そうして、その責任を今取らされようとしているのだ。だが、どちらに転んでも私が深く傷つくことは間違いない。彼女と付き合えば、それによって失うものが大きすぎる。しかし、彼女を失うということはそれ以上に大きいかもしれない。だけれども、彼女には未来がある。これから先があるのだ。それに比べて自分はどうだ。まだ二十代ではあるが、もうこの十年はずっと死を求めて来た人生だ。いつ死ぬか、どこで死ぬかをずっと追い求めて来た人生だ。そのような死の魅力に憑りつかれた人間が、他の人間の人生をその道連れにしていいはずがない。詩人は美人に花束を贈り、そして死の床へ向かうのだ。それが宿命、それが運命だ。その代わりに詩人には、凡人が見られない世界、美しいものを見ることができる。私はどうだ。もう美しいものを見たじゃないか。私はこの世で最も美しいものを見事に見つけ、そしてそれを開花させた。原石を拾ってきて、それを見事な宝石に錬磨したのだ。もう、それでいいのだ。ニーチェは云った。神は死んだと。バルトは云った、作者は死んだと。私は、千里という人間をあそこまで育てた。しかしそれは何のためだ。私のためだ。だが、私のためであるのはここまでだ。これ以上自分のエゴを彼女に押し付けるのはいけないことだ。彼女には自由を、自由を与えなければならない。もはや私の元から巣立つときが来たのだ。何時までも製作者が自分の作品を保有していてはいけないのだ。あるとても素晴らしいものを創り出した、生み出したのならば、それは他人に向かって放たなければならない。開かなくてはならない。手放さなければならないのだ。私はいつだって、執着することを嫌ってきた。金に執着すること。権力に執着すること。そして、生きることに執着すること。今、彼女から執着することをも辞めなければならない。彼女は自由なのだ。大空を飛ぶ鳥を縛るものは何もない。本当に手放したくないものを手放した時に、そこには何かが残るのだ。手放さなければ決して得られない何かが私の手にも得られるのだ。彼女を解き放たなければならない。私という人間の出番、役割はここで終わりだ。そうか、これが私の探していた自分の役割だったのかも知れない。では、粛々と私の役目を果たし、それを終えることを自分の最後の試練としよう・・・。


憎愛 二十

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二十
「先生、それで表彰の段取りはわかったんだけど、受験のことでちょっと相談があって」
「うん、なんだ」
「あの、ほら。大分どこを受けるかみたいなことが定まってきたわけじゃない」
「うん」
「それで、親がね、文学部に行くのにあんまりいい反応を示さないの」
「ああ、そうか。うーん。そういう相談か」
「どうしたらいいと思う」
「そうだねえ。そいつはちょっと大変な問題だぞ。文学部はやっぱりどうしたって現在の就職難のなか、かなり不利になるからね。千里の御両親はそれを心配なさっているんでしょう?」
「まあ、そんな感じ。就職できないって最初から決めつけてくるの」
「まあ、文学部を出ておきながら、その気持ちは十分にわかる」
「えー、じゃあ先生は御母さんたちの味方なの」
「いやいや、そういうわけじゃない。僕は千里の味方だよ」
「そんなのわかっていて相談しているんです」
「なに、はめられた」
「で、どうしたらいいだろう先生」
「そうだね。今度の三者面談の時に僕が説得してみよう」
「本当?」
「うん。どうしても文学部系に行く生徒の親御さんや、美大に進む生徒の親御さんというのは不安にかられてしょうがない部分があるからね」
「やっぱりそういうものなのかな」
「そうだね。僕もまだ若いから親の気持ちというのは実感としてはわからないけれど、理解はできるよね。ほら、窪田先生知っているだろう、美術の」
「うん。良く話すよ」
「僕は高校時代窪田先生の下で美術部にはいっていたけど、その時僕の友達が美大に行くって言っていてさ。かなりもめたんだ。美大なんか行って食っていけるはずがないだろうってその子の両親が怒っちゃってね。それで学校まで来て、窪田先生が唆したからそんなことを言うようになってしまったんだ、とまあそんな風に直接はいわなかったけれども、主旨としてはそういう方向で相談に来てね。なかなか壮絶なものだったよ」
「うわー、先生も大変ですね。だからそんな風になってしまったんですか」
「僕の場合はまた、それはまた別の原因があるかもしれないけれど」
「うちの両親、説得できるかなあ」
「わからない。でも、今回の受賞がかなりアドバンテージになったのは確かだ。こんなのは滅多にないことだからね。文学部に行って、さらに才能を伸ばせば、普通の就職ではなくて、研究者や文藝批評家にもなれるということを説明するさ」
「私、院に行くことになるのかな先生」
「うーん。たぶん行くことになりそうなルートだねえ。今のところ。ただ、僕も院は行こうとしたけれど結局両親が赦してくれなかったからいけなかった。でも、こうやって批評家としても活躍できているし、大丈夫だ。もしその時がきたらまた先生が相談にのってあげよう。それに、この賞を受賞しているんだ。批評の仕事もいずれは少し斡旋してあげられるかもしれないよ」
「うわ。仕事だなんてそんな」
「まだ無理さ。でもあと四年専門的な勉強をすればできるようになる。千里にはその才能が秘められている。僕は一年のころからそれがわかっていたんだ。どうだ、僕の判断に間違いはなかったろう」
「ええ、ええまあ、それは。っていうのもなんだかおかしいけど」
「大丈夫さ、心配しないで。今のところは先ずご両親に文学部に行くのを認めてもらうようにしよう」
だが、実際には三者面談は大いに荒れた。三者面談は二学期に入ってからすぐに行われる。夏休みを終えたとあっては、何か方向性を変更するならば、この期間が最後となるからである。優也は多少油断していたとしか云わざるを得ない。今回の受賞のため、説得は割と簡単に行くと思っていたのだ。だが、意外と千里の両親は頑なで、就職ができなかったらどうするのだ、その責任を先生が取れるのかといった趣旨で反撃してきた。
「それは、責任というものは、どうしても最終的にはご子息の判断になります。それは、どの親御さんでもそうです。教員というものはそこまでは責任を持てません」
「ええ、ですから、責任を取れないのはわかっています。だから、今の就職難のなか、そのような責任がとれないような危ない学部に行くのではなくて、就職率の高い経済学部とか、法学部とかに行かせた方がいいと思うのです」
「確かにそのお考えは最もです。私には残念なことにまだ子供がいませんので、お子さんを思う気持ちというのは本質的にはまだ理解できていない部分がありますが、自分がもし親だったとしたら、そう思うと思います。けれども、私もつい数年前まで大学に居た身として申しますと、決して経済学部だから、法学部だからといって就職ができるわけでもありません。それに、文学部であっても、きちんと勉強していれば就職はできます。実際、私の友人たちも、苦労はしましたが無事就職できています。ですから、学部でというのはあまり実質的には関係ないと思うのです。それは、確かに全体を見れば文学部の就職率は他の学部に劣るでしょう。しかし、最終的には個人の問題です。もし、あまり真面目でない生徒で、そのままでは就職が難しそうだなと思う生徒に対しては、できるだけ就職がしいやすいような学部を進めることはあります。しかし、ですね。千里さんのように、目的を持って、このように邁進してこられた生徒は、必ずと言っていいほど就職はできます。まだ教師生活は短いですが、そうした生徒は上手く就活できています。千里さんが、このあいだも賞を獲りましたが、ああいう生徒というのはごくごく限られた生徒しかできないことなのです。私からみても、千里さんならば大学へ行けばよりその才能を磨かれて、活躍できると思っております」
「しかし、先生。そうはいってもですよ。文学部を卒業して一体どのような職種に就けるのですか。先生には悪いのですが、教員だけっていうことはあるのでしょうか」
「それは、いわゆる一般企業にも就職できます。している友人も居ました。もちろん、事実を言えば、一般企業への就職は他の学部より不利になることは確かです。しかし、それはそこまで問題ではないかと思われるのですが」
「うーん。千里のやりたいこと、先生のおっしゃりたいことはよくわかります。できれば千里には、好きなことをしてほしいし、これだけ頑張ってきたのだから、文学の道というのですか、そちらの方面に進んでほしいとは思っています。ですが、親心として、やはりどうしてもこの不況の中に文学をやって、その後大丈夫なのかという心配があるんです・・・」
千里の両親は教育熱心な親だ。三者面談には母親のみが来たが、それでもかなり自分の意見を有している人だった。このように厳格で、きちんとした素養がある家、環境だったから千里のような人間が生まれたということは確かにある。だが、文学や芸術などをあまり解さない両親を持つということが、いつの世も芸術家のことを苦しめて来たのである。優也自身も、母親は芸術家であるし、父親は読書家ではあったが、しかし文学だけで食べて行こうとするのには猛反対をされた。それでしかたがないので、教員をやらざるを得なくなったのだ。しぶしぶ納得して千里の親は帰って行ったが、残された千里と優也はあまり良い心持になれたものではなかった。
夏の放課後はまだ暑さが引かない。緑の多い学校では、蝉がいたるところで鳴いていた。三者面談は学校にある応接室の一つで行われた。千里の母親が帰ってから、二人はしばらくそこに留まっていた。
「けっこう頑なでしょう」
「うん。思った以上に大変だった。いつの世もそんなものさ」
「先生もそうだったの?」
「僕も両親に反対されたよ。だから教員やっているんだ。内緒だけどね」
「でも、先生くらいに活躍したらもう筆一本で食べていけないの」
「それが、これだけ頑張ってもまだ難しいんだ。本当に昔の作家が羨ましい」
「先生でも筆一本ではだめなんだ。難しいいんだね生きるのって」
はっとした。この生きることの希望に満ち溢れた女生徒の口から、そのような言葉が飛び出してくるとは思わなかった。決して千里にはそのようなニヒリズムの影響を与えまいとしていた優也だったが、やはりいつの間にかこの思想に浸されている部分があったか。優也は食物にカビが生えてしまったのを見てしまったように感じた。もちろん、自分などもうカビに覆われて原型をとどめていないものではあったが。それで、まだカビの生えていない新鮮な少女を見て、一緒にすごして、心を慰めていたのである。そのような対象であった千里から、生きるのが難しいと言う言葉が出てきてしまった。いけない。まずいと思った。彼女には生きることを辛いと思うことなく生きていてほしかったのだ。それが優也の希望でもあった。
優也が予想以上に自分の言葉に傷ついたように見えたので、千里も驚いた。
「先生?どうかした」
「え、いや、どうもしない」
「そう・・・」
「うん。まあ、あれだ。千里ができることは今、勉強に集中するということだ。文系を受験することに変わりはないんだ。別にもし、何かがあって他の学部を受けるとなっても、教科は同じだ。もういまさら国語なんてほとんどやらなくてもいいかもしれんが、英語と歴史をやっておけよ。僕なんか英語まったくだめだったんだからな」
「先生もそうだけど、私もだいぶ偏っているんですよね。やっぱり先生についたからかな」
「え、僕のせいですか」
「あはは、冗談ですよ」
「あれ~、千里さん、英語できないんですか~」
「な、自分のことは棚に上げて、いや、少し出来ないと言うか、いやできません」
「僕もできないことにはできませんが、教員になるには英語の試験もあります、そのくらいはできているんですよ~。千里さんの云うできないと僕のいうできないはレベルが違うような気がするんですけど~」
「が、がんばるもん」
「なんだよがんばるもんって。なんかのモンスターかよ」
「違う。そうやっていつも私のこと苛める」
「いじめてなんかいませんよ。そんなことが知れ渡ったら私くびだ」
「ほら、そうやって冗談ばっかり」
「そうだよ。僕は冗談ばっかりだよ。冗談を冗談で塗り固めているから、けっしてどこからか崩壊するみたいなことはないんだ。僕の目標は自分の書いた作品で、世の中の読者を路頭に迷わせてやろうということだ」
「先生性格悪いー」
「そんなことは千里君が一番よく知っていることじゃないか。なにをいまさら」
「先生・・・」少女の眼に異様な光が映った。関は何かよろしくないことを咄嗟に悟った。
「ん、どうした」
「先生、私が大学へ行っても逢ってくれる?」
「もちろん、いつでも学校においで」
「そういうことじゃなくて・・・。映画連れて行ったり、美術館連れて行ったりしてくれる?」やはり来たか、と思った。だが、優也はいつも、いつまでも疑うということをやめられなかった不幸な人間である。いくら自分が手をかけて育てて来た千里と言えど、何か魂胆があるのではないか、裏に何かがあるのではないかと思えて仕方がなかった。
「うん・・・そうだな。まあ、たまには連れて行ってあげるよ」
「先生、いつも私から逃げる・・・」少女が伏せた目に、赤みが強くなってきた太陽の光線が降り注ぐ。そこで初めて千里のまつ毛がこんなに長かったのだなと優也は気が付いた。千里のまつ毛には、太陽の光線が降り注ぎ、雨上がりの葉っぱのように雫をちりばめているように見えた。優也は少し空気が重くなっていることに気が付いた。千里は、休みを挟んで再会してからというもの、どこか切羽詰まったような感じが瞳の奥底でしていた。
確かに、今優也には心の貞操を守るべき人間はいなかった。だが、そんなことは理論上の話である。まだ彼のこころは深く傷ついていた。それに、何よりも教師としての理性がいつまでも彼を支配していたのだ。優也は気まずくなって、自分の後ろにある窓のブラインドのもとへ立った。ブラインドを一二枚押えて、外の様子を眺める。入ってくる西日が強い。閉じられた窓から微かに蝉の鳴き声が聞こえてくる。夏ももう終わりだと思っていた矢先だった。優也の後ろで、物音がする。一人の少女が椅子から立ちあがる音だ。はっとして振り向いた時には、すでに千里は優也に抱き着いていた。
「先生・・・」彼女の声は優也の胸に押し付けられていてくぐもっていた。吐息が優也の胸を温かく湿らせる。こんなところを見られたら不味いと言おうとして、戸惑った。自分の胸に顔を埋めている少女が泣いていることに気が付いたからである。
「千里・・・」
優也が名前を呼ぶと、千里はぐっとつかんでいた優也の胸あたりのシャツを手放して、ぽかぽかと殴り始めた。
「ばかばか」
「いたいよ、千里・・・」
「何でいつも私から逃げるの。本当はわかっているんでしょ」
「逃げていないよ、何のことだよ」
「ほら、逃げているじゃない。あなたそれでも文学者でしょ。人間の感情なんてずいぶんわかるはずじゃない。ましてや、私はずっと先生のそばにいて、ずっと想って居るのに」
「悪かったよ、悪かった。だから、ほら、な、放して」
「なんで答えてくれないの、先生のばか」
彼女は一際大きいパンチを優也のみぞおちの当たりに入れると、顔を見られないように下を向きながら部屋を出て行った。
「本気で、殴ることはないだろ・・・」痛みに悶えながら優也はふと、自分が片手を彼女が飛び出していった扉へ向けているのに気付いた。私だって千里のことが好きにきまっているじゃないか。最初から好きだったさ。だけれども、その気持ちを打ち明けてしまったら、受験勉強も、学校のことも、家庭のことも、何もかもめちゃくちゃになってしまうじゃないか。もう少しまってくれ。その気持ちには応えてあげたい。だが、卒業するまでまってくれ・・・。優也は独り心の内で呟いた。


憎愛 十九

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十九
そうして、三か月弱に及ぶ休養を得て、なんとか自分一人で立ち上がるほどにはなったのである。無論かなり無理をしてはいたが。しかし、そのようなことがあってから、今までずっと二人三脚でやってきた千里をしばらくの間、個人的な理由で放置せざるを得なかったのだ。千里は今年受験生だ。来年の冬に試験を受ける。受験まで一年を切っている状況で、突然優也が欠落するということは、千里にとっても少なからずの影響を与えた。
優也は学校を休む前に、千里にも連絡先を教えていた。もし、何かあればそれに連絡をしてくれ。そうすれば何時でも相談に乗るからと。しかし、たとえそのようなことを言ったとしても、文学を学び、人間の機微をかなり理解するようになっていた千里にとって、その虚勢は痛々しいものとして映った。とても、今の先生に相談なんかできるわけないじゃない、そう千里は思った。千里は非常に感情豊かで、感性に溢れ、心のひだがわかるような理知的で理性的な女性に成長していた。それは、一つには彼女自身が持っていた原石が非常に美しかったからである。そして、見事な人間の錬磨師であった優也の手によって、宝玉のような輝きを持つ女性へと生まれ変わった。金のたまごも素晴らしければ、そのたまごを孵化させた人間の技量もまた素晴らしかったのだ。かくして、高校三年生になった千里は、容姿こそそれなりであったが、内面、人間性といったものは恐ろしいほどに品のある、素敵なものになっていたのだ。それでいて、人間を疑うということをいまだ知らない。若さもあり、健康美はますます磨きがかかってきていた。優也が最初に千里に惚れた部分は、自分が決して持つことができなかった健康美というものかも知れなかった。
いっちょまえに女子学生を謳歌していた千里は、少しくらいスカートを上げるくらいのことはしていた。むしろ、ほぼ全員がスカートに一回や二回を折り曲げて上げているなか、そのまま履くというのは逆に目立ってしまう。千里のスカートからすらりと伸びた足は、健康そのものであった。無駄な筋肉も脂肪もない。まさしく見事な足だ。健脚である。美しい曲線だ。それ以上の形容の仕方がない。これを見たならば、芸術家は絵を描き、小説家は小説を書き、詩人は詩を歌わねばならぬと優也は思った。
いくら身体や精神を壊したからといって、さらに千里と離れることも優也には辛いことだった。心の拠り所、なんとかそれまで生きる希望になっていたものを失くしたとあっては、もう優也は独りだった。孤独だった。寂しかったのだ。優也は相談をしてほしかったのではなかった。相談したかったのだ。まだ何も人生のことなど知らない一人の女子高生に。だけれども、人生の苦難、辛さといったものを知らないからこそ、優也はもしかしたら千里に自分の心を打ち明けられるかも知れなかった。だが、千里は自分の勉強にも忙しく、またこれ以上先生に何か負担をかけてはいけないという心掛けから、連絡をしなかったのである。二人の気持ちはここですれ違った。
せっかく色々なことを手とり足とり教えたとあって、優也は千里に何かしらの客観的に自信につながるものを与えてやりたいと思っていた。貰っておいて損はないだろう。それに、関自信もかつて高校の時には絵で賞を獲ったりしていたのだ。千里にもその快感、名誉、自信を与えてあげたいと思った。それで、そういうものを探していたら、丁度高校生の小説や詩、評論のコンテストがあるということを他の先生から教わったので、そこへ千里の評論文を送ってみようということになったのである。締め切りは三月末日までであった。千里の二年間の集大成が詰まった評論である。千里は、宇野千代の『おはん』についての論文を書いた。優也は研究者として、近現代の日本文学が専門であったが、同時にジェンダーについてもかなり知見を有していた。それで、女性文学を学びたいと言っていた千里に、岡本かの子だとか、樋口一葉、与謝野晶子、野上 弥生子等を教えていたのである。そのなかから、千里は宇野千代の作品を選び、それを高校生ながらも現代の感覚に合わせてどのようなことが言えるのかということを、みずみずしい文体で見事に論じたのだ。そこには、これからの未来を背負っていく活力というものが確かにあった。優也はいくらか手直しくらいはしたものの、そこに介入すべき点はなかった。この少女はまさしく、新しい時代の、新しい文学を読み解く騎手となるだろう。ラディカル・フェミニズムの強力な論客となること間違いなしだ。もしかしたら、更にその先に行けるかもしれない。優也はやっと自分を越えていける可能性のある存在に出会い歓喜した。
だが、そのような幸福な気持ちも長くは続かなかった。千里の論文をコンテストに出した後、家庭内でいろいろな不幸に見舞われたのであった。そのようなごたごたから、しばらくの間、千里と優也の間には交流がなかった。優也は千里がその評論で、優秀賞を取ったということを宮舘先生に聞いて、連絡してくれたらよかったのにと感じた。それは学校の職員にしても、千里に対してもである。
夏休み前に優也は一度千里を学校へ呼び出した。受験勉強の真っただ中で大変だろうとは思ったが、その大変さのなかで何とか千里を応援してあげようと思ったのである。具体的には、こんどの受賞を二学期の始業式で表彰してもらおうという手筈についての話し合いだ。千里が獲得したのは、優秀賞だ。最優秀賞が一人、優秀賞は二人。だが、これは大変な名誉である。優也も学生時代にはいくつかのコンクールやコンテストにそうしたものを書いて送ってみたことがあったが、いずれも佳作にも入らなかった。毎年たったの数人しか選ばれない賞。文藝批評というジャンルにおいては、千里は高校生では頂点に上り詰めたに近かった。末は研究者から、はたまた評論家としてメディアに引っ張りだこになるだろうか。とても名誉のことだったので、高校側でも表彰してもらおうと優也は思っていた。
夏休みも終わりとなって、いよいよ学生も大変である。夏の間に受験勉強がきちんとできたか否かで大分その後の勉強のスタイルに影響する。上手く自分の計画をたてられ、それに沿ってできた人間であれば、その後も上手くいくだろう。しかし、無理をしすぎていたり、あるいは全然自分の計画通りにいかなかったりという生徒は、この先なかなか受験勉強が大変になってくる。夏休みは受験勉強のそれぞれのペースをつくる期間だった。しばらくぶりに出会う千里は、少し勉強のためかやつれて見えた。だが、たったの三か月ほどで、千里はずいぶん大人になったように優也には感じられた。この賞を受賞したからだろうか、どことなく自信がついて大人びた雰囲気になっていた。優也を心配しつづけたということもあって、少し憂い気な目を見せたのである。
学校には部活動の生徒でまばらななか、登校してくる千里を見つけた。千里もまた、自分を職員室から見つめる優也に気が付いたのだ。二人の眼があったとき、そこには言いしれない感情がつながった。千里は「せんせい」とつぶやいた。それを見た優也は「ちさと」と呟いた。優也はすぐさま職員室のドアへ向かった。千里はそれを見るや否や、駆けだした。千里はその健康的な肉体で、軽やかに走った。外から職員室まで最も近い道は、職員しつの右側から回り込むようにして入ることだ。そこに外とつながる扉がある。優也もそこへ向かったのだ。優也が職員室前の廊下から、観音開きの扉を開けたのが見えた。千里は駆ける。駆けてくる千里を認め、優也は準備した。優也には、千里がまったく走る速さを緩めていないことから、このまま飛びついてくるつもりだと判ったからである。とはいえ、健康的な少女が飛び込んでくるのは、痩身の優也にとってはかなり冗談にならないくらいの衝撃ではあった。だから踏ん張ったのである。
千里はそのまま優也に抱き着いた。自分の胸に抱き着いてきた少女を見て、優也は手持無沙汰になった両腕を少女の肩に回してよいのかどうか判断が付きかねた。遠くでは、セミの鳴き声、部活動の掛け声が聞こえる。走ってきたために息を切らし、汗がだくだくと流れてくる少女が自分の胸のなかにすっぽりとおさまっている。もちろん、労いや、再会の喜び、あるいはそれ以上の感情をもって、千里を抱いてあげたかった。しかし、ここでそれをやるわけにはいかなかった。優也はどこまでも理性というものに邪魔されてきた人生なのだ。優也は抱く代わりに、千里の肩をとんと叩き、彼女を自分から引き離した。
「千里、久しぶりだったな。少し痩せたか」
「先生、冗談ばっかり。先生こそ痩せちゃったじゃないのよ」
「あはは。僕が痩せているのはいつもの通りでしょう。きっと君より軽いぞ」
「男の風上にも置けない先生ね」
「それにしても千里、やったな。優秀賞だ。おめでとう」
「うん、ありがとう。私頑張ったよ。少しはこれで認めてくれる?」
「認めてくれるって、いつも千里のことは一番優秀な生徒だと思って認めているじゃないか」
「・・・そう」
「ん?」
「ううん。なんでもない。それより先生はもう大丈夫なの」
「うーん。大丈夫だと言えばウソになる。けれども、仕方がないだろう。君たちも受験勉強で大変だ。それに三年生は実質、二学期で授業が終わりだからな。それまで面倒をみてやりたいと思って。それまでは何とか大丈夫なまでには回復したさ」
「そうだね。先生の顔色、少しよくなったよ」
「そうか」
「うん。・・・あの、御葬式のとき、先生酷い顔してたもの・・・」
「うーん。それはよくないものを見せてしまった」
「それと比べたら、今は徹夜明けくらいの顔だから、よくなったんじゃないの」
「あはは、厳しいな千里は」
「鋭くものごとを見極めろといつも私に叩き込んだのは先生です」
「こいつ、ちょっと賞をとったからっていい気になって」
「だって、今さっきすごいって言ったのは先生じゃない」
「むむむ、僕がここまで言いくるめられるとはな。なんだかしばらく見ない間にずいぶん大人びたじゃないか」
「女性ははまだまだ成長するんですのよ」
「ほう、そうか。千里も一人前の女性になるのか」
「まだ子ども扱いして」
「僕からみたら何時まで経っても高校一年生のときの、あの可愛らしい子供のままさ」
「もう、いつもそれ云う」
「それで、受験勉強のほうはどうだ。順調か」
「そうだねえ。夏休み中は塾で缶詰。最近は文学部の過去問を解きはじめている」
「うん。問題なさそうだ。千里は僕よりも真面目だな」
「先生だって真面目すぎて死にそうになっているように私にも見えるんですけれど」
「おや、そんな風に見えていたの。僕は不真面目な人間だよ。だって受験勉強のときなんか、塾に行っても小説読んでいたんだから。だから全然だめであの大学へ行ったんでしょうが」
「それで私がそこも受からなかったらっていうプレッシャーにするわけね」
「おやおや、そんなつもりは。今日はご機嫌ななめなのね」
「別にそういうわけじゃないんだけど」
「まあまあ、暑いから中に入ろう。職員室もがらがらだから、大丈夫だ。冷たいものでも飲もう。千里汗すごいぞ」
「うるさいな」タオルを出すのに手間取っている千里をみて、
「ほれ」と優也は自分のハンカチを渡した。
「いい・・・」
「強がりなさるな。ぽたぽた雫が滴っているじゃないか。とりあえずこれでおふき」
彼女はいやいやながらそれで顔を拭った。
「こんなに暑い中呼び出してすまなかったね。僕たちは車で登校できるからいいけれど、大変だったろう。どれ、先生が飲み物おごってあげよう。どれがいい」
「え、じゃあ、これ」
「ほい。受賞祝いだ。安く済んでよかった」
「あ、そういうのずるい。もっと高いもの買えー」
二人はクーラーの効いた涼しい職員室に入っていった。

憎愛 十八

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十八
関が休んでいた夏にコンテストで賞を受賞したのは、この年に新入生で入ってきた古河という女子生徒であった。古河千里という、とても可愛らしい少女だった。関は少なからず、男性としてこの可愛らし少女を自分で教育し、自分好みの生徒に育てるのに並々ならぬ感情を抱いていた。もちろん、理性的な人間であった関は、それが決して教師と生徒の関係のなかに集約されるように自分を律していた。だが、時として彼はその生徒に対して、親とも言えぬ、恋とも言えぬ、非常にあやふやではあるが美しい感情を抱いていたのである。
関は思った。きっと千里と一緒に学校へ入ってきていたならば、間違いなく自分は彼女に恋をしただろうと悟った。千里は、とても利発で、元気がいっぱいといった感じの少女だった。文化部に所属したにしては、とても引き締まった身体をしていた。運動の成績はあまり良いとはいえなかったが、彼女は健康そのものだった。まったく無駄がなく、それでいて痩せすぎているのではない。膨らむところは膨らんでいたし、見ていて非常にやわらかそうな肌をしていた。よく文学少女にありがちな、引きこもっているような少女ではない。むしろ太陽の下に置いたほうが良く似合うような感じだ。肌は白すぎず、かといって褐色なわけでもなく、程よく淡い桃色をしている。凜とした輪郭に、泉を湛えた黒い瞳。はっきりとした眉に、つんとした小鼻。髪の毛は瞳と同じく、深い深い黒い色をしていた。長さを肩に触れるか触れないかくらいで揃えていて、清潔な感じがした。少女の声は、どことなく春風のような甘い香りのする音だった。
千里は優也からみて、非常に優秀な生徒だった。全科目、全教科が得意というわけではない。優也自身も、数学や英語など点でダメだ。これだけ作家、評論家として活躍しているのだから、英語くらい簡単に話せるのだろうという周囲の眼にいつも怯えていた。千里も、得手不得手のある学生だった。関はそれをみていて、彼女がそのことにコンプレックスを抱いているのを知ってずいぶんいじらしく思った。心配することはない。受験では少し苦労するかもしれないが、大学へ入ってしまえばこちらのもんだ。得意な科目をうんと伸ばせばいい。
千里は最初、漫画やアニメというとっつきやすいことをやっているのに興味を持って文藝部に入ってくれた。まだ、いたいけな、どことなく夢見がちな子供らしさの残るころにである。実際、千里の黒い眼は、黒曜石のように神秘を湛えた瞳だったので、何かそこに引き込まれるものがあった。決して光が無いわけではない。だが、その目の光というようなものを一度彼女の眼のなかに見出そうとすると、ずっと奥深くに秘められていそうで吸い込まれてしまうのだ。教員というのは、授業に関するいろいろな小技のようなものを持っている。例えば、授業中の視線のやりかた。どのように視線を送ればよいのかというようなことまで、事細かに書いてある本などもあったりする。関がこころがけているのは、大学時代に教職課程の先生に学んだ、八の字をかきながら視線をやるということである。そして、時には生徒の眼を見つめることも必要だと学んだ。二十名ほどとなった文藝部は、もはやひとつの小さなクラスであった。関は講義式の活動の際には、それぞれの眼を見ながら漫画論、アニメ論というものを論じた。だが、そのように視線をやっていると、どうしても関のことを熱心に見つめる千里の眼から逃れられなくなることがあった。ふと気が付けば、千里を見つめて講義をしている。いつまでも見ていたい気持ちになる、少女はそんな目をしていた。しかし、あまりにも見つめすぎていると、他の生徒が不信に思い始める。そうしたスキャンダルというものを嫌悪、恐怖していた関は、できるだけ小さな噂もたたぬようにと細心の注意を支払っていた。だが、いくら千里の瞳を見まいとしても、どうしても視線がいきそうになる。次第に関は講義に集中できなくなることも増えて来た。
千里は、はじめ漫画やアニメといったものを論じるのを愉しみに聞きに来ていたが、入学したてということもあり、関のことを良く知らなかった。だが、二学期にもなると、噂が伝わったのか、彼女のもとには関が作家の関清雅であり、また文藝批評や画家としての腕もあるということを知った。二学期のある活動後、
「先生は、小説をお書きになるんですね」と目を輝かせながら聞きに来た。
「あれ、そんな情報が伝わりましたか。うん、内緒にしているけど、そうだよ」
「先生すごい!」
優也はとても嬉しかった。なによりこの可愛らしい健全な少女に、何の裏腹もなく褒められたことが嬉しかった。この純情な少女には、どこにも関のような疑り深い人間でさえ疑うべき余地はなかったのである。
そして千里は、実はアニメや漫画よりも文学のほうが好きであるということを打ち明けた。関が国語の担当で、しかも小説家であることを知って打ち明けたのである。
「先生、私実は文学が好きなの。小説を勉強したいの」
 少女の告白には、どこかほんのわずかではあるが、切羽詰まったものを感じさせるものがあった。一体なにをそんなに切羽詰まるのだろうか、この時優也は一寸判断がつかなかった。
「そうか。千里さんは文学少女なんだね」
「先生だって、文学少年だったでしょう」
「そう思うだろう。だけど違う。僕が小説を読み始めたのなんか、君と同じくらいの時からだ。それまではまったく、一年に五冊も読まなかったぞ」
「えー、信じられない。それでよく小説家になれるんですね」
「あはは。本当だ。なに、千里さんも小説家になりたいの」
「うーん、まだよくわかりません。書いたこともないし。だけど、文藝部で先生の漫画論とか聞いていて、小説でもそういうことができるのならやってみたいなって思いました」
「そうか。もちろん小説にもあるよ。というか、小説を分析、研究する手法を応用して、漫画論とかアニメ論とかはやっていたんだ。漫画やアニメとかじゃないと生徒が出てくれないだろう。あんなのは僕も適当にやっていたんだがね、内緒だよ、小説だったら専門だ。なんでも聞いてくれ」
「だったら、先生。私小説をきちんと勉強してみたいんです。受験勉強みたいな、読解じゃなくて。先生が教えるようなもっと深い、答えの見つからないような勉強がしてみたいです」
「そう。だったらいくらでも教えましょう」
「でも、どうやって教えてくれますか」
「そうだね。僕は今年二年生が担当だから、一年生の国語は他の先生だしな。文藝部で小説をやろうとするのには、まずみんなの了解を得るとかなんとか時間がかかる。どうしよう。千里さんがよければ、放課後の空いている時間で教えてあげることもできるけどどうする」
「ええ、それがいいです。先生に小説を教えていただけるのなら」
「でも、マンツーマンじゃ千里さんも大変でしょう。誰か他に興味のある人も一緒にいるといいかもしれない。文藝部でも、小説の講義を別に設けることにするからと言って来たい人を誘ってみよう」
「はい」
関が咄嗟に、学生と二人きりになる空間を避けたのには理由があった。一つは、そうした個人的なレッスンが他の人間の眼にどのように映るかを考えたためである。教員の仲間も、あまりにも一人の生徒と仲良く過ぎるのを見ればいい眼ではみないだろう。それよりも、生徒の眼が怖かった。ただの教師と生徒の関係であっても、たった二人で教室にいるだけで、変な噂をはやし立てるのだ。学校という実に閉塞された空間では、空想とも、妄想ともつかないでっち上げの話で楽しむということのほかに暇をつぶすものがないのだ。彼等にもわかっている。生徒と先生がデキるなんていうことが、現実的なことではないkとくらい。だが、それを意識下ではわかっていても、それを野次り、自分の感情のはけ口とせざるを得ないのである。どうしたって、学校という空間は、外へ目が行かず、内へ内へと向かって行ってしまう。千里は、そういう部類の人間ではなかった。どちらかというと優也に似たタイプだったのかもしれない。彼女はそのようなことを考える人間がいるのだということもまるで念頭にないようであった。まだ、千里は人間に対して基本的に信頼を持っていたのだ。だから、そのような噂が立つという事が予想できなかったのかもしれない。
関が二人きりの空間を避けようとした二つ目の原因としては、変な感情が生まれないようにしようとしたからである。それは何より自分の愛した女性、妻への背信でもあると思った。だから、できるだけそのような環境、空間にならないように配慮したのである。
文藝部で声をかけたことによって、最初四五人の生徒が集まった。関にとっては、時間外で、しかも部活外の時間を拘束されることとなったが、これは本来彼がやりたかったことだったので、彼はむしろ楽しんで講義をした。今までの文学理論の歴史。印象批評だとか、ロシアフォルマリズムだとか、構造主義だとかを一通り勉強した。そして、作品は実は作者がつくるものではなくて、読者が積極的につくるものだということを論じた。だが、これは関が大学の後半になってからやっと理解できたことである。自分が一体どのくらい理解力がある人間なのかというのは、なかなか自分ではわかるものではない。自分に理解できたからといって、他人が理解できるとは限らないし、またその反対もしかりだ。関は確かに理解力や認識力には優れた人間であった。その彼が大学後半になってやっと理解できたそうした観念的な、概念的な思考というのは、やはり高校生にとっては難しかったようである。なんだかぽかんとした顔をしている学生が多かったので、理論はやめにして、実践のほうへ移っていった。実際に小説を読み、これをどのように捕える、解釈することができるのかということを論じた。こちらのほうは大体わかってくれたようであった。
だが、やっている内容は大学の授業レベルである。次第と、学期などの節目に、一人、また一人と辞めていく学生が出た。
千里が二年になってからは、しばらくそちらの講義の方には千里を含めて二人の女子生徒が出席していた。何回かの関の講義形式の後は、それぞれが持ってきた小説を一緒に読んで議論するということをしていた。千里は実に優秀な生徒だった。文学的な素養、センスというものがあった。やはりいくら学問と言えど、センスが必要である。とくに文学は芸術的な感性が求められる。夏目漱石は日本で最も素晴らしい作家だと関は思っていたが、しかし、漱石を読んでもそれで?といったようなうんともすんとも心が震えない人も世の中にはいるのだ。関はそれを確かに残念だと思った。心の豊かさというものがないと、人間は生きていけないと思ったからだ。しかし、実際はそうでもない。むしろ朴訥として、芸術などわからなくても、力強く生きている人間はいる。無口で、そんなに感情がない人間であっても、力仕事をして生活する。よほど立派な生き方である。ことによると、変に知能がついて自分の欲求や欲望のために策略を図るよりはよほど良い。人間として上等かも知れない。優也などは、その点神経が繊細すぎて、社会のなかで生きているのが大変なくらいだ。果たしてどちらがいいと言うことは言えないが、芸術的なセンスがなかったとしても、人間は立派なのだ。
千里は、ずいぶん楽しそうに関の話を聞いてくれた。活動が終わっても、雑談をしたりして楽しんだ。関もそのひと時が楽しくて学校に来ていた時期もあった。時には、学校の帰りに一緒に喫茶店に行ったりもした。いろいろと教えてほしいというので、美術館にも連れて行ったこともある。他人からみたら、少し歳の離れた恋人同士に見えたことだろう。確かに二人の間には、恋人を越えた、相手に対する信頼感、愛情といったものが存在していた。
三年になってからは、もう一人居た女子生徒は受験に専念すると言って、辞めて行った。それを機に、一端この特別な講義はやめにしようと関は思った。しかし、千里は受験勉強だけだとつまらないから、そのまま続けてくれと願った。そのため、二人のレッスンは続くことになったのである。優也は今年、三年が担当だった。受け持ったクラスは異なるものの、千里のクラスの国語の授業も担当していた。できるだけ公平、公正に生徒に接しようとしても、やはりそこはどうしても人間であるから情というものが出てきてしまう。実際に千里は、優也の大学レベルをも越えようという指導を二年間みっちりと叩き込まれていたのだから、そこらの学生とは能力の差がけた違いだった。それほどまでに彼女は文学的な素養、能力というのを開花させていたのである。優也は私の育てた美しい実が、なんてすばらしい花を咲かせたんだと思わずにはいられなかった。もしかしたら、この子は大学でさらなる躍進を遂げ、いずれは文学研究者になるかもしれない。文藝批評家として自分を越える逸材かもしれないと関は期待するようになっていた。そのくらい思い入れがあったので、他の生徒よりも優遇せざるを得なかった。実際に優秀なのだから、授業中に生徒に当てて、わからなければ最終的には千里に行きつく。すると、千里は完璧な答えを引き出してくれる。他の生徒はそれを見てよしとは思わなかった。依怙贔屓されていると僻んだのである。関は確かに教師として、カリスマ性があった。両親から受け継いだ社交性、己の苦心で磨き上げた会話力などのため、生徒から人気のたかい先生であった。そのため、関先生のファンを語る女子生徒も居たくらいである。そのような生徒にとっては、関の一番弟子であり、師弟以上の関係が秘かに匂う千里という存在は邪魔として映ったのであろう。千里はあまり面白くないいたずらを受けたことが何度かあった。しかし、それらはいずれも陰湿で、決して誰がやったのかわからないようなことであった。それに、行なわれることも、実に小さくて、本人でさえ気が付かないくらいのいたずらが続いた。
そうなってくると、純真であった彼女の心にも多少の翳りが見え始めた。人を信じることしか知らなかった人間が、人の醜い部分を知ってしまう。人間は美しいまま生きることなどできないのである。ああ、彼女の心が汚されていってしまう、人間に対する負の面を知ることになってしまうと優也は絶望した。おりしもそのころは、優也も家庭が大変なことになっていた。そして、突然訪れた最愛のものの喪失。以前から神経衰弱をたびたび繰り返していた優也にとっては、その衝撃はあまりにも大きすぎた。精密機械に大きな衝撃を与えることと同じことだった。優也は人間として、壊れてしまったのだ。


憎愛 十七

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十七
関は悲しみに打ちひしがれていた。私一人の力では何も出来ない。作家として、芸術家としてのすべての人生を賭けたところで、社会は私のいう事を聞かないだろう。教員として、すべてのちからを尽くしても、生徒たちを現状から救い出してあげることはできない。もしかしたら、私のような考えが間違っているのかもしれない。そちらのほうが本当に良い世界なのか、だんだん自分の考えに自信が持てなくなってくる。やはり多様性が必要だ。私のような考え方もあるのだということを示すということまでしかしてはならない。だが、それをやったら、生徒たちに煙たがられた。他の同僚たちからは冷たい眼でみられた。保護者からは時代錯誤だと言われた。どのように生きたらいいのだ。しかし、人間には一つの芯、これだけは死んでも変えられないという信念がある。私には何ができる。何が信念だ。常に批評家であること。代替可能性の示唆。決してコンセンサスへ持っていくことではなく、多様性を保護する人間。私のような人間は、社会にとっては脇腹にささった棘、邪魔者でしかない。私は常にわき役だった。それはどこにおいてもだ。自分の人生においても主人公になれたことはなかった・・・。関のこのような考えは、一端京都へ逃避したことによって退けられていたものの、次第に彼の頭を去来するようになっていた。
夏休みが終わると同時に職場に戻りたいと思っていた関は、休みが明ける前から学校へ通い始めた。関が勤める学校は少し田舎にあるということもあり、車での登校を許可されている。だが、よく生徒たちの野球のボールやら、いたずらによって傷つけられるので、それが教員たちの悩みの種だ。
関はしばらくぶりで学校へ行った。夏休みとあり、部活動をしている学生たちの声が遠くで聞こえている。クーラーの効いた職員室。久しぶりに関を見かけたということもあり、多くの先生が大丈夫ですかとか、御久し振りですとか、身体をいたわるような声を掛けてくれた。
国語科の先生の机は職員室に入って右から二列目にある。大抵の場合、国語科の先生はそこの周辺に集まっている。夏休みといっても、教員は仕事があるので職員室には先生が少なくはなかった。国語科の教員は、基本的には古典、漢文、現代文すべて一通りできなければならない。一応全部できるということで採用になるからだ。だが、実際に入ってみると、大学時代に古典を研究していた人間は当然古典が得意だし、近現代を研究していた人間は近現代が得意ということになる。それで、自分の専門が何であるのかを話し合ったあとに、それぞれが得意の分野を担当できるようにうまく調節するのだ。時には、人手が足りなくて専門ではなくても、他の分野をやらなければならないこともある。国語が退屈だな、つまらないなと思ってきた学生は、きっと先生もその分野は専門でなく、どのように教えていいのかあまりよくわかっていなかったのだろう。古典などで文法しか教えな意先生はそれしか教えられないと言った方がより正確である。きっと大学時代は詩が専門だったとか、近現代文学が専門だったといった人である可能性が高い。だから、仕方なしに古典を教えろと言われても、文法的な事項しか教えることができないのだ。またその反対もしかりだ。古典を研究してきた人間が近現代の評論文などを扱っても、難しくてわからないのはそのようなことを勉強してこなかったからである。
だが、実際仕方がないことなのだ。古典にしろ、近現代にしろ、それらを学ぶということは、偉く手間のかかり深い部分を探求することになる。古典も現代文も、漢文もやれと言う方が本来無理がある。本来三つに分けて採用してもいいくらいなのだ。それで、関の学校では、非常勤講師として古典が専門の先生だったり、漢文が専門の先生だったりを時として採用することもあった。
横五列に並んだ国語科の机。国語科の人間は他の科の先生より、小説だとか本が多いので雑多とした印象を与える。さらにその向かいの五列も国語科の先生の机だ。優也の席は、廊下側から数えて二つ目の机だった。一つを空けて、窓側から二つ目の座席に宮舘先生が座っていた。
「あ、関君大丈夫。大丈夫じゃないんでしょうけれどもね、もちろん」
「ええ、ありがとうございます。ご心配をおかけして。一応二学期から復帰させていただきますので、その前に少し準備をと思い」
「そう。あまり無理をしないようにね。関君は学生のころから繊細だったからね」
宮舘先生は、五十代半ばの男性教諭で、関もかつては彼に国語を学んだことがあった。
「はは、どうにも駄目ですね。心が弱くって」
「いや、僕もわかるよ。国語科の先生は基本的にみんな弱いよ。だから助け合っているのさ」
「ええ、本当にみなさんのおかげで戻ってこられます」
「時に関君。君の部活、文藝部で古賀さんがあれ取りましたよ。あのコンクールなんだっけ。ほら国館院大学が主催しているやつ」
「え、あれですか。全国高校生評論コンテストですか」
「そう、それだ。いつだったかな。先週か、先々週に賞状が贈られてきていたよ。ほれ、たしかここら辺だったな」といって宮舘先生は国語科共有のスペースになっている本棚のあたりを探す。
関にとって時間を奪われることというのは、極めて不快なことの一つであった。それで、ここの部分は関の教師としては失格な部分であるが、関は自分の芸術家としての時間を確保するために、どうか運動部の顧問にだけはしないでほしいと上に話していた。関の名前は学校の名誉にもなるし、学生を獲得する機会にもなる。学校側としては、関の要求をできるだけ呑むつもりであった。事実、同じような境遇である美術家の窪田先生は、関君にもできるだけ時間を与えてほしいと校長に直談判しているくらいである。校長と窪田先生とは仲が良かった。窪田先生は言っている。「あの人も教師としてはいろいろ問題があるし、最近はけっこう他の先生と上手くいっていなかったりするけれど、でも芸術はわかってくれる人だからね。校長先生にどんどん芸術方面のほうを支援してもらうようにしなければね」。校長の今岡先生というのは、だいぶでっぷりとしたおじさんであったが、芸術方面にたいしては一般人としては理解があった。しかし、窪田先生の言にあるように、今岡先生は他の教員から疎まれている部分があった。学校につとめてからまだ日の浅い関にとってはその全貌は見えてこなかった。だが、それはずいぶん根が深いものらしい。関が学生のころからの派閥の争いといったようなものだった。副校長の浅井は紛れもなく今岡を追いやろうとしていた。そして、彼は校長を恨むと同時に、かなり芸術方面に理解のない人間であったから、一緒に窪田先生をも葬ろうとしていたのである。窪田先生は若い芸術家である関のことを保護しようとして今岡校長に配慮を求めた。しかし、それをどこからか知りえた浅井副校長は、まだ新米の教員が顧問をやらないということがひどく腹立たしいことに感じられたのだ。それで、職員会議の際に、校長がそのような旨で関君には担任は持ってもらうけれども部活の顧問はなしというように話が進んでいた時に、副校長一派が物申したのである。内容はこうだ。いくら新進気鋭の芸術家、作家であろうが、ここは教育現場だ。そのようなところに個人の事情をあまり挟まないでほしい。もし、そちらの活動を本格的にしたいのであれば、教員をやめるべきだ。こちらも遊びでやっているのではない。全身全霊をかけて生徒と向き合っているのだ。関先生だけをそのような特別待遇にしてほしくない。ましてや若いのだから、顧問のひとつやふたつをやってからでないと他の先生にも申し訳がつかない。それに、そのような体験、経験がそちらの世界でも役に立つかもしれないではないかというものである。この時、副校長の浅井自身は口を開かない。いつも、浅井一派に属する他の先生が代弁するのだ。そういう先生たちは、今岡先生を追い出して、浅井を校長にした際に自分が有利な立場にいるために浅井に追随しているのである。教育現場とは、かくも醜き権力争いといったものがこうもあるものかと思われるくらい、普通に存在するのである。それは当然だ。社会を見てこなかったような連中が、生徒の前にたって好き勝手にやってきたのだから。自然と自尊心や自意識が増長してくる環境に長くいる。どうしたって教員というのは、どれだけ優れた人間であっても、自分より地位、立場の低い生徒しか相手にしないので増長してきてしまうものなのだ。だからこそ、教員に求められることとは、いくらでも好き勝手ができる状態で、どれだけ理性的に動き、不公平、不公正にならないように踏みとどまるかということだと関は思っていた。
しかし、そのように会議で言われてしまっては仕方がない。これではいくらなんでも、今岡校長や窪田先生の意見は通らなかった。だが、今岡先生は頑張った。「関先生には、ちょうどご専門でいらっしゃるから文藝部を任せてはどうだろう」と提案したのである。これには、多くの先生が賛成した。それで、今まで文藝部を担当していた顧問の先生は、他の部にうつることとなった。
文藝部というのはどのような部活であろうか。関の両親くらいの世代となると、当時の小説を読み漁っている文学少女とほんのわずかな少年の集まりであった。だが、次第に日本のアニメ文化、漫画文化というものが大きくなるにつれて、文藝部の活動は急変することになる。優也が学生の時代には、すでに文藝部というと漫画やアニメのキャラクターの絵ばかり描いているというような部活になり果ててしまっていた。優也が担当する以前の教員も、いわゆるヲタクであったので、そのような活動とも呼べない活動をそのままにしていた。不幸なことにこの学校には漫画研究部というものがなかったのである。だから、本来はそちらに行くはずの人間が、この部活に集まっていたのだ。優也はその現状をみていて、あまりよろしいとは思わなかった。優也が大学時代美術部にいたことは前にも説明した。その頃を振り返ってみて、優也はそこにも美術部にいるべきではないと思う人たちがいたことを思い出した。美術部とは、やはり自分のオリジナルの絵画や作品をつくるべき場所である。それにもかかわらず、大学の美術部では、アニメなどの二次創作に勤しんでいる学生が沢山いた。大学の美術部は部という名が冠されていたにもかかわらず、ほとんどサークルと一緒の状態であった。好き勝手やっていたので、まとまりがなく、それは酷い部活だった。優也はそれで、そこから決別して、自分一人で作品制作に励んだと言う過去を持つ。
せっかく文藝部という部活を与えられたのだから、何かもっと創作的なことをやりたいと優也は思っていた。以前担当していた教員は、あまり活動には姿を現さなかったらしい。一瞬、優也もその教員に倣って放っておいてもいいかなと思った。しかし、最初からそのような姿勢はいけないと思いなおして、先ずは状況把握から始めた。芸術を学んできた優也にとって、本当の一次創作というものは存在しえないということは承知していたが、しかし、いつまでたっても他人の作った作品の二次創作に甘んじているというのは、よろしいことだとは思えなかった。最初は、今までがおばさん先生ということもあり、いきなり若い男性が担当になり生徒たちは戸惑っていた。関がその場にいるということ自体が圧力になっているのだなということが、優也自身にも感じられた。だが、しばらく出続けていると、次第に打ち解けて来たのか、今までの活動と同じように活動しはじめた。それはすなわち、漫画のキャラクターを描いたり、アニメについてマニアックな話をしたりだとかそういうことである。優也は考えた。確かに今の状態が決して良いものだとは言えない。だが、教員が彼等の愉しみを奪ってよいのだろうか。いや、そんなことは決して許されることではない。教師の存在、力、影響というのは教員が考える以上に強いものだ。教師が少しでもでしゃばりすぎると、すべてが台無しになってしまう。彼らは確かに、閉塞した空間に満足していた。だが、それを自分は批判できるのか。私自身小説という世界に閉じこもっているだけじゃないか。いや、それ以外にも自分は人との関係を恐れ、ずっと殻に閉じこもってきた人間だ。そう、だからこそ、自分の過去を見ているようで彼らと居ると辛いのだ。そう優也は感じた。そこで、優也は大学時代に学んだことを思い起こした。彼が所属していたのは文学を研究する学科だったが、同時にそこは、評論を勉強することも一緒に行われていた。広い評論活動を通じて、現代の作品を読み解く力を身に付けることが目標の一つであった。特に近現代が専門だった優也は、そちらのジャンルも自然と行うようになっていた。関が学生のころ、ちょうど近現代の文学は、メディアミックス的な展開が為されるようになっていた。小説が、映像化されたり、アニメーション化されたり、ゲーム化したり、漫画化したり、あるいはその反対もある。ゲームが小説になったりと、様々な形態が見られた。文学部とはそのような部分をも視野に含めて研究、評論していく場所であった。当時、早くからそのようなメディアを広くみる教授が居た。今となってはマンガ論、アニメ論などでかなり大御所といった感じになっている教授だが、当時はまだそこまででもなく勢いがあった。優也はその教授が持っているアニメ論、マンガ論の授業に出席していたのである。いかにマンガやアニメといういまだ、評価の定まっていない、またどのように評価をしたらよいのかわからないこのジャンルをどのように開拓していくのか。いわば文学理論というものを、マンガにおいてもアニメにおいても作ろうとした最初の世代である。優也は昔から、同世代の学生たちよりも、先生や教授など自分より年上の人間と仲良くなるほうが得意であった。一つにはそのように熱心に近寄ってくる学生もすくないということもあり、先生側から見てもその熱心さ、勤勉さがかわいかったのだろう。その教授と優也は仲良くなり、一緒に映画を見に行ったり、あるいは作家さんが出席するパーティなどに連れて行ってもらったりしていた。こうした経験が関の文壇デビュに少なからず影響していることは確かだ。
優也は二次創作に勤しんでいる文藝部の学生たちを見て、その教授の下で学んだことを活かそうと思った。その教授が書いた本をテキストにして、漫画やアニメを論じるための勉強をしようと提案したのである。だが、それは彼等からしてみたら、自分たちの楽園を大人が破壊しに来たようにしか映らなかったのであろう。学生たちは口々に不平不満を零したし、露骨に嫌そうな顔をした。関も、学生からそんなにあからさまな態度をされると思わなかったので、少なからず衝撃を受けた。今の学生というのはこんなにも感情が顔にでるのかということも併せて衝撃だった。
しかし、文藝部を任された時の優也はまだ若かった。そして、その時にはまだ精神的な支えがあったのだ。だから優也は戦うことが出来た。週二回の活動のうち、片方を優也のしたいようにさせてはくれないかと交渉したのである。その時六人程居た生徒たちは、嫌な表情をしながらも、とりあえず一学期間だけ優也の提案を認めることにした。優也は果たして機会を与えられた。彼の教師としての技量、これまでの研究の経験、文芸作品を評価していくというセンスが問われたのである。
優也は理論的な部分を一度概観してみせて、それから実践に入っていった。文芸作品、とくにアニメや漫画というのをどのように評価するのか。そこにいわゆる文法というものは存在するのか。どのようにしたら文法は作れるのか。理論の説明をした際には、ひどくつまらない顔をされた。だが、めげなかった。実践になり、生徒たちが持ってくる当時流行りの漫画を読み解いていくということをしてみせると、面白いと思ってくれる生徒が数人出て来た。今までは自分の感情、好き嫌いでしか作品を判断できなかったのが、そうではなくなったのだ。客観的な視点を確保できたといっても良い。この作品は、こうこうこういう点で優れているとか、反対に良くないといった評価ができるようになったのだ。それに、今までは自分の好きなことばかり話していた生徒同士が、次第に問題点となる部分を提起し、そこに対するアプローチをするため議論ができるようになってきたのである。関の講義形式の文藝部の活動は一躍生徒たちを魅了した。毎週一度、大学の講義よりも身近で、時間のとれる濃密な授業ができたのである。生徒たちは次第に惹かれて行った。一学期が終わると、優也の試みはまずまずの成果を得た。生徒たちも優也が何をやりたいのかがわかってきたのである。二学期目もその調子で続けた。より生徒の理解も追いついてきて、生徒自身が発表したり、議論したりできるようになってきた。
だが何の問題もなかったわけではない。六人程居た生徒のなかで、最後まで関のやっていることに意味が見いだせず、ついには活動にこなくなってしまった生徒が居たのだ。関はその子のことを思った。確かにやっていることは大学レベルだ。もしかしたらその学生にはわからなかったのかもしれない。わからなければ当然つまらない。理解できないという状況は極めて個人を追い込みやすいものだ。一つには周りが理解できていることへの羨望や嫉妬など。もう一つは理解できていない自分への失望や怒りだ。自分だけ理解できていないという状況から人は遠ざかろうとする。とすると、一つにはその場から逃げる行為だ。授業にでなくなったり、学校に来なくなったりする。あるいは自分の価値観を作り上げる。そのような授業は必要ないという極論を持ち出すようになる。しまいには自分にはもっと重要な価値観があるのだといったふうにして、不良化していくのである。若いうちにそのような思いはさせたくなかった。理解できないという状況を乗り越えられるということを教えたかった。それで関はその女子学生を呼び、最近来ないがどうしたのか、問題があるならどこが問題なのか、改善できるところが無いか教えてほしいと相談した。だが、今思えばそのようなことは失敗だったのだろう。逃げたい時、その逃げたい人物、場から追われるということは余計に人を圧迫することがある。その女子学生にとっては、関という人物そのものが自分の嫌なものという図式になってしまっていたのだろう。その場では結局相談もなにもあったものではなかった。その少女はずっと沈黙を守ったままだったのである。後日、その少女は関に対する恨みや辛みというものを自分の周囲の学生に話し始めた。関は自分の行ったことによって、一人の人間に負の感情を植え付けてしまったことを後悔した。だが、もうそうなってしまっては、新米の教員であった優也には何をしてよいのかわからなかった。そのことを一人悩んだ。だが、やってしまった以上は続けなければならないと思った。他の生徒たちは優也の講義式の活動を愉しみにしているのだ。せめてできることは、その生徒たちのために全力を尽くすことだけであった。
二学期も終わりのころとなると、次第に人数が増え始めていた。最初に活動に参加していた少年、少女たちが、それぞれの友人にこんな面白いことをしているのだと話し、次第にその輪が広がっていったのである。文藝部に所属する生徒の友人というのは、他の文化部に所属しているか、または帰宅部ということが多い。別に家に帰ってもゲームくらいしかやることがなくて、せっかくの高校生活だからもう少し楽しく過ごしたいと思っていた帰宅部の生徒が数人顔を出すようになった。中にはわざわざ他の文化部に所属しているなか、優也の講義式の活動のときだけ顔を出しにきてくれる生徒もいた。二学期の終わりには、十名ばかりの部活に拡大していた。
そうして、せっかくなので、三学期には、生徒たちに評論文を書いてもらうようにしようと思った。今まで学んできたことを使用して、ひとつの作品を独自の視点から評価してみるというものである。途中から入った生徒たちには、感想文でもかまわないとした。読書を普段しない生徒にとっては、夏休みの課題である読書感想文ほど辛いものはない。優也は今でこそ国語教師をしているが、彼は学生の時代はまったく本を読まず、読書感想文など苦手中の苦手であった。結局本も読まないから、夏休みの最後の日に読書にとりかかる。だけれども、当然一冊の本を学生レベルの読書力でたった一日のうちに読めるはずがない。深夜が明けても感想文が書けるどころか本すら読み終わらない。そのような記憶があったので、他人に文章を書かせるということを強要するのが関には阻まれた。これは一つの賭けだった。自分が教えたことが果たして生徒の役に立つのか、あるいはあまり役に立たなかったのか。書いてみてほしいと言った際に、また生徒たちは最初に優也がこの講義を提案した時と同じ顔をした。優也はやっぱりやめようかとも思った。だが、できる範囲でやってごらんといって、できなければやらなくても良いと言った。すると、三学期の最後に、二三名提出しなかったのを覗いて、多くの生徒が原稿用紙何枚もの評論文を提出したのである。なかには、なかなか秀逸なものもあった。もちろん、文藝批評家としての顔も持っていた優也にとっては、まだまだ粗削りなものに見えたが、しかし自分の試みはある程度の実りを結んだことを確信できた。
二年目からは、より一層力を入れ始めた。もし、この試みが成功すれば、自分が目指していたことが達せられる。それは即ち、文学部に優秀な生徒を送って、文学研究者か、文藝批評家、あるいは作家などになってもらうということだった。大学時代にもあまり良い友人関係に恵まれなかった優也は、どうしたら文学部に入った時から、時間を無駄にせず、自分から積極的に勉強ができるような学生を育成できるだろうかと悩んでいた。彼は物凄い努力家であったので、普通の学生はしないようなことをした。教授の研究室まで赴いてどのような勉強をしたらよいのか、何か理論書で読めそうなものはないかということを尋ねたのである。そのような積極性を持った学生をどうしたら育成できるのか。いずれは私の意思を継いでくれる人間を発見したい、育成したいと思っていた。
それで、二年目からはさらに挑戦し、講義式の活動を他の、まったく関係のない生徒にも出生自由にしたのである。マンガやアニメを関先生が論じるとあって、なかなかの人数が集まった。部員を含めて二十人くらいの学生が、毎週かれの講義を聞きに来たのである。

憎愛 十六

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十六
夏休みの間、関には有給休暇が与えられていた。彼は自宅の書斎に籠り、かつて貴族が愛した様々な古典的なものに囲まれて過ごしていた。日が暮れてくれば電燈ではなく、燃料を使ったオイルランプで手元を照らした。彼は文化、文明というものに対してかなりシニカルな態度をとっていた。インターネットを使用して、実にちっぽけな満足感を得るために何時間もの人生を費やす。最近特に自分の担当するクラスで酷いのは、毎日深夜二時、三時はあたりまえ、中には新聞配達が来たらやっと寝るという子が居ることだ。いわゆるネット中毒というものであるが、これはもう教師一人の力ではどうしようもないことであった。教員として関が苦悩していたのは、こうした無為に人間から時間を奪ってしまうそれぞれの文明の利器と考えられている道具たちに対してであった。関は考えた。そのあまりにも長大な時間をどうしたら人生における有意義なことに変換させられるのか。関は生徒に対して厳しくも、優しい教師だった。そして自分がおかしいと思ったことは、たとえ他の教員が行っていることでも許せなかった。もちろん一言居士的な関は今までの人生において決して頭のいい生き方をしてきたとはいえない。それで、人生に疲れ、絶望した。それからというものは、自分が正しいと思えないことであっても、他人には注意しないようにしていた。それは自分の心のなかにとどめておけばよい。ある物事が間違っていると思ったなら、自分はそれをやらなければよいだけだと思っていた。
優也は彼が学生だったころ、朝礼中に読書していた本を教師に取られて、そして関が何も言わなかったことをいいことに、卒業してからも返さないという教師が居た。教師はまいにち行っていることだったのだろう。関が言えば返したであろう。だが、当時の関には小さなプライドあり、教師から返されない限り自分からは何も云わない、謝らないと決心していた。それで、教師にとっては数多くある、日常茶飯事のことだったので忘却され、関は一生怨み続けているという経験を持っていた。関は教師となった今もそのことを忘れていない。関は自分の中高に再び就職したので、その教員は自分の上司にあたる関係になった。関はけっして表面上は何の感情もないように装ってはいたが、内実相当憎んでいた。今でさえ、彼はその教員のことを窃盗だと思っていた。
そのようなことがあってから、関は決して生徒から軽い気持ちでものを、たとえそれが不要物であったとしても取り上げてはいけないと思っていた。よくある議論で、法律で禁止されていることや、認められていないことよりも、なぜ学校の校則が優先されるのかというものがある。体罰の問題もそうだ。体罰はやっと基本姿勢がまずそれはまちがったことだということに落ち着いた。だが、体罰以外にも教育現場というのは、教師が絶対的であり、生徒はかなり不当な要求をなされていることが多い。一体なぜ、そのようなことが起こるのだろうか。多くの教員は、中学、高校を卒業し、そこで教師になりたいと思い、大学で学ぶ人間が多い。そして、教員試験を受けて再び中学、高校の現場に戻ってくる。とすると、彼等は社会を見たことがないのだ。だから、今まで自分が受けて来た教育をそのまま適応すればよいと思う。そのような閉じられたサイクルのなかで何が社会的には認められていないことなのかということを完全に失念しているのだ。社会に出たことがなく、一般的な価値観を享受せずに育ってきた教師というのは、過去の自分の恩師に理想の姿を求め、そこへ近づくためにかなり強引なことをする。教師を止める人間というのは教育現場には居ない。教師と生徒という関係上、どうしたって教師が強くなる。おかしいことであっても、それがまかり通ってしまうのが教育現場なのだ。なかには、中学生、中には高校生でもいう事を聞かない人間がいる。そういう人間にはいくら言葉で説明しても聞かない。だから、体罰であったり、何か罰を加えることで諭させるのだという教員も居る。だが、言葉を愛し、それを芸術としてきた優也にとっては、言葉を放棄し暴力に訴えると言う行為は、人間から離れ単なる動物に回帰しているようにしか見えなかった。
関は常に慈愛と徳を以て、生徒に対した。たとえその時に生徒がわからなくても良い。徐々に感化されていってくれればいいと思っていた。芸術を愛する彼にとっては、何事もそんなに急いで変化することがないというのが持論だった。何事もそんな急変はありえない。心を入れ替えたというようなことは嘘だとさえ思った。人間は確かに変わることができる。だが、それはごくごく緩やかにだ。なので、今たとえやんちゃで、悪いことをしている生徒でも、徐々に人間の心というものを取り返すことが出来るのだ、しかしそれには時間がかかると感じていた。
関はある時、放課後に教室へ入ったら男子生徒たちがゲームをやっている場に遭遇したことがあった。生徒は関に気が付き、咄嗟に隠したがすでにそれは遅かった。生徒たちは自分のゲームが没収されると恐れたのだろう。だが、安心するがいい。君たちのわずかなお小遣いをためて買ったゲームをどうして教員が奪うことが出来ようか。他の教員にはそういうことを平気でやる人間もいるだろう。しかし、そのような暴挙を赦していてはいずれ、そのようなことをされた人間も、他人に対して不当なことをするに決まっている。優也は別に君たちのゲームを奪う気はないと最初に言った。生徒たちの関心は、ただ自分のゲーム機が奪われるかどうかにあった。そのようなことで、ゲーム機を奪ったとしても、何ら根本的な解決にはならない。どうして持ってきたのか、なぜ学校でやるのか、そういうことに対してどのような気持ちを持っているのか、先ずはそれを知ることが教員の役目ではないだろうか、と関は考えていた。ゲーム機を奪われないということで三、四名の学生はすぐに関に打ち解けた。どんなゲームをやっているんだとか、悪いとは思っているが、これが楽しくて学校に来ているのだとか、協力プレイができて新たな友情が生まれるのだとかそういうことを随分楽しそうに生徒は語った。だが、その中で、唯一看過できないのが、プレイ時間というものだった。関は学生たちが熱心に語るのを聞いていて、このゲームのやり込み具合ということに話題が落ちた時に、ゲームのプレイ時間が何百時間、中には千時間んを越えているという学生が居て驚いた。
「千時間もあったら、小説一本や二本は書けるぞ」
あまりにも驚いたので、普段教育現場ではあまり話をしない作家としての一面がこぼれてしまった。ちなみに学生というものはそこらへんよく情報を共有しているもので、関自身は自分の口から何も云わないが、大抵の生徒は関が作家の関清雅であるということを知っていた。
「千時間って・・・千時間もし勉強に費やせば、早慶上智くらいは狙えるくらいになるじゃないか」
「え、そんなもんなんですか」
「その集中力と、熱中力で勉強に向かえばの話だけどね」
「ああ、それじゃ無理だ」
「なんで、それだけのエネルギーがあるならば、別に勉強じゃなくていい。例えば絵を描くとか、本を読むとか、何かもっと心が豊かになるものに使えばいいのに」
こういうことを言ってしまうので、生徒は苦虫を潰したような顔になる。だが、そのような生徒の心を考えずにぽろっと言葉が出てしまうくらいには、優也も衝撃だったのである。今の学生たちの多くが、ゲームという他人の作り出したプログラムによって無為の時間を費やしているとしたら・・・。考えただけでも恐ろしかった。それほどまでに人を熱中させるゲームを創った人間はたしかにすごい。それはクリエイターでもある関にとっては、尊敬すべきに値した。しかし、それを以て多くの人間、特に人生において重要な時期である青春をすべて捧げさせてしまうようなものは、だめだと思った。今の若者が何もできないということの裏にはこのような原因があったのだ。部活動に打ち込むでもなく、かつての優也のように読書に耽るわけでもない。勉強する時間、寝る時間をけずって、それらはゲームという何も生み出さないものに費やされてしまう。部活動にかけた時間、それはある程度の健康や、時と場合によっては大会へ出場できるなどの名誉、思い出などが残る。本を読み漁ることは、もちろん知識としても経験としても蓄積されることが多い。だが、ゲームとなると、それは違う。ゲームというのは一つの作品だと考えればよいのかと関は思った。一つの作品に固執している。確かに関にも同じ本を何度も読み返すということはあった。しかし、それは読み手の成長段階や、時期、年齢や経験に合わせて何度でも表情を変えてくれるといったものである。彼らはそこまで深いものを持っていない作品をずっと何時間も読み続けているという感じなのだろうか。関には少し想像がつかなかった。
関は専らファミコンしかやったことがなかった。関の学生時代にゲームボーイというものが登場し始めたが、それらを買うには遅すぎたし、しかも厳格な両親は子供にゲーム機を買い与えなかった。かくして、優也はゲームというものをあまりやらずに成長してきてしまったのである。当時は、それでも周りの人間がゲームをしているのを羨ましく思ったものだった。だが、今となってはその空いた時間を思索や、読書に当たられたことは人生における素晴らしいことだったと感じるようになり、両親にも感謝するようになった。
ゲームだけではない。携帯が普及し始めてから、それは特に若い世代に不可欠なものとなってきた。関はちょうど中間にあたるが、関より上の世代、すなわち大人になってから携帯を持った人々のことをある研究者は携帯イミグラートと呼んだ。これは第二カ国語として携帯を学んだといった考えに近い。それに対して関より下の世代は、携帯とともに育ってきた。それを携帯ネイティブと呼ぶらしい。関たちが携帯を第二カ国語を使用するように操作するのに対して、彼等は携帯を母語として有しているのだ。携帯ともに生きて来た彼等にとって、それを奪うという事は母語を奪うに等しい暴力になる。関はその点まだよかったのかも知れない。文明を批判し、その一部を否定した彼にとっては携帯を持たないという選択肢を選ぶことができた。しかし、現代の学生たちは、携帯とともに育ってきた。さらには、携帯がスマートフォンに変容し、よりパソコンの機能を内包した総合的な電子端末になってきている。韓国では教育現場にタブレット端末が生徒一人に対して一代が配備されていると言う。そのようななか、もはやこれからの生活は電子端末と一緒に生活しなければならない時代だ。果たしてそれがいいことなのだろうか。常に彼らは二重の生活を送らなければならない。一つは彼等の使ういわゆる「リアル」な世界。現実の世界のことである。そして、そのリアルに属しつつも、一日の大半をネット上でも過ごすことになる。そのような二重の生活に疲れないのか。むろん疲れている。全体的におかしなことになっている。それが今、いたるところで歪みや軋みとなって表れている。関は、つとめてインターネットが普及してきた時代にそこへ乗り込んでいった人間であった。彼はウェブ上でも、作家としての地位、発言力を持って、現代の問題などに意見してきた人だ。だが、それももはや何のためにやるのか、その目的をうしなってしまっていた。彼はしばらくパソコンを開いていない。関のような人間にとっては、ますますこれから住みづらい、生きづらい世の中になるだろう。教育現場では必ずタブレット端末が使用されることになる。一体国語の教員がどのように端末をつかったら良いというのか。言葉を書くことにこそ意味、意義があるというのに。そして、タブレット端末はますます生活を侵略していくことだろう。きっとどこでもタブレット端末を提示してくださいといった世界がもうすぐくるのではないか、関はそのように予想していた。改札を楽に出はいりできるICカード乗車券が発明されたのには感銘した。だが、次第に切符を排除していこうとする強烈な勢いを見て、関は疑問を感じざるを得なかった。関の父親は海外に行くのが好きな人間であった。家族ではよく、ヨーロッパに行ったものだ。そして今でもその時の思い出として、ヨーロッパで乗った際の切符が関の家の奥底にしまわれている。そういうものはこれからは「ムダ」として排除されていく世の中なのだ。今のところ、時計や地図、電話帳や辞書、計算機、電話、ゲームなどがすべて一つの端末に収まるようになった。これからはきっと、財布、身分証明書、ありとあらゆる人間が持っていたものはそこへ内包されることになるだろう。小説までそこに入ってしまったのだから。人間は果たして自由になったのだろうか。ちょっと出かけてくるのに、小銭入れだとか、財布だとか、免許証や時計などを持って出ていた時代、それは確かに荷物が多かったかもしれない。時計を忘れて家に帰るなんてことはよくあった。今は、たったの一つあればそれで事足りる。一見するとその名の通り、スマートになったようである。だが、しかし、常にそれを持ち続けなくてはならないということは、何時でも誰かからの連絡が来たら否応なしに返答せざるをえなくなる。人は自由を失ったように、関には思えてしかたがなかった。
震災があり、教員にも学校側からスマートフォンが支給された。そしてそれを常に持っていろと命令された。もし、何か緊急事態があったらそれに連絡がかかる。優也は配給されてから一日とて、一日とてそのスマートフォンをいじらなかった。そしてそのことで怒られた。関先生には連絡が届かない。そのようなことでは困る。関も困った。いつまでも学校に縛られて居たくはない。もし、自分の身体が家にいるのであれば、その時はただ一人の人間としての関でしかない。もしその身体が学校にあるのならば、その時は教員の関でしかない。そのようなことは現代においては通用しない。管理国家、管理社会となった現代では、教員に個や私というものはなく、単なる機関に帰属する存在でしかなくなったのだ。それは教員だけに限ったことではない。多くの会社員、その他もろもろの職業の人間がそうなったであろう。現代は、みんながみんなで足をひっぱりあう、監視し合う、そういう時代なのだ。そこからの逸脱は社会というものが赦さなかった。


羽井佐友くん出演の劇団CHEAPARTS『星空ともぐら』 感想とレビュー

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 普段からできるだけいろいろなものごとに触れておこうと思っているが、なかなかそうはいかない。ようは億劫なのだろう。新しい生活も始まって、ようやく慣れて来た今日この頃。そんな五月の初旬に、大学の後輩でもある羽井佐友君という知人から、演劇のお誘いを受けた。もちろん、一緒に見に行こう、というものではない。観に来てくれないか?というお誘いである。
 思えば、宝塚の舞台や、狂言や能、歌舞伎といった舞台は大学時代に多く見て来たものの、いわゆる普通の演劇というものは、ほとんどお金を払ってみたことはなかった。大学の友人で演劇部に所属している連中がいたので、彼等の演劇を何度か見た程度であった。学生がサークル活動の一環として行っているので、そんなにレベルは高くなかった。だから、本物の演劇というものに触れるのは、今回が初めてである。
 今回の『星空ともぐら』。入場料は3500円。前売りは3300円。
 演劇の相場はわからないが、小劇場で行われる舞台としては妥当か、少し安いくらいであろう。
 チケットは売り切れで、私は羽井佐君が取ってくれたから入れたものの、現在ではキャンセル待ちだという。

 大学時代の友人の感覚をもとにすると、こういうものにこれだけのお金を払うというのは、それだけでもハードルが高いようだ。おそらく多くの人がそう感じていることであろう。しかし、私はだからこそ、敢えてこういうものにきちんとお金を払っていきたいと思うのである。こういう文化は、きちんとみんなで支えて上げなければいけない。そうでなければ、せっかくの良い芽は、すぐに枯れてしまうのである。私も芸術を少しはやっていたものとして、そういうことがよくわかる。
 さて、では、そろそろ内容の評論に入っていこう。
 私は不感症、泣かない方なので今回も涙はでてはこなかったのだが、私の周りには鼻をすすって泣いている人達がいた。このお話は、泣けるお話なのである。
舞台は現代。
 突然ホームレスのおじさんが若者に暴力を振るわれるところから劇は始まる。物語の終盤までいくとわかるのだが、このおじさん、配役では「男」と表記されるこの人物は、主役である月嶋尚の分身である。未来の姿といってもいいし、心の声といってもいい。演劇は比喩であるので、確実に未来の尚なのだ、とはいえない。限りなくそれに近いものとしておこう。
この男は、殴られた後に、今の若者は何を考えているのだ、と嘆く。しかし、と自分のかつてはどうだったのか?という疑問にかられ、そして舞台は始まっていく。いわば回想シーンのようなものなのだ。最初と最後だけ、物語りないの「今」の時間で物語が描かれ、物語の本部は回想シーンというものだ。サンドイッチ構造になっているのである。
 だが、正確なサンドイッチではない。途中この男は、ホームレスのように舞台中に登場する。その際は、実存しているかのようにも感じられるような演出となっており、尚とは別人なのではないか?という憶測もなりたつように、深みが醸し出されている。未来の自分との対話。あるいは、自分のこころとの対話なのである。この男が重要になってくる。

 さて、どのような物語りなのかというと、月嶋尚は、永田友介と神戸俊樹という男たちとバンドを組んでいる。ちなみにこの永田友介を演じるのが、今回私を演劇に招いてくれた羽井佐君である。この三人は25,6歳になってまだ夢を追い続けている青年たちである。バンドを組んで、売れることもないのだが、日々自分達の夢を追い、生活をしている。
 この主役三人を脇で固めるのが、それぞれの個性あふれる登場人物たちである。永田友介には岸谷光という、幼馴染の彼女がいる。しかし、この彼女が結構な問題児なのだ。彼女はコミュニケーションが苦手で、時として引っ込み思案であったり、あるいは時としてテンションが高くなってしまったり、情緒が不安定なのである。そんな彼女は芸術家肌で、三人のバンドのアルバムの絵を手掛けたりしている。月嶋尚の物語が主旋律だとすると、友介、光二人の物語は横で低く流れていくベースのような音を発している。
 一方神戸俊樹のほうは、彼氏持ちで、バンドのダンサーをしたこともある、田中律子に恋している。律子には、彼氏がいるのだが、この彼氏がDV,暴力を振るう男性で、そのことについて、律子は平気な顔をしているが、内心困ってもいる。直接舞台では描かれないが、とあるところで、律子はふとした心の隙から、一方的に行為を寄せて来た俊樹と一夜の関係を結んでしまう。このバンドがどのようなメンバー構成だったか、はっきりと覚えていないのだが(というのも、劇中では一度もバンドとして演奏する場面がないので)、俊樹がベースだったか、ドラムだったかは忘れてしまったが、友介がベースのような物語を展開しているとしたら、ボーカルの尚の隣で、ドラムのように物語を添えているのが、この神戸なのである。
さて、このメンバーに加え、ダンサー律子の後輩でもある加藤麻美香と、駅前の公園で出店の屋台を経営している山浦アンナ、それから月嶋尚の兄で、警察官の月嶋富尾の三人が、中立的な存在として登場する。
 これらのバンドメンバーに、それぞれ関係のある友人、それから最後の三人を合わせたグループは、しょっちゅう駅前の公園で山浦の店の前でたむろしているのである。それが彼等の平和な日常だったのだ。

 しかし、そんなところにふとしたことから、田中えみ演じる林原恵莉が仲間に加わるのである。
 恵莉は、眼が見えない。徐々に明らかにされていくのであるが、彼女は世界に十数名しか発祥していないとされる奇病に侵されており、徐々に語感を失っていくのである。彼女はその中期の段階で、すでに視覚を失っていたのである。タイトルのもぐらとは、彼女が自分のことをもぐらだと比喩したところからとられている。
バンドメンバーたちの日常に加わった恵莉。その平穏な日常は、いつまでもつづくと思われた。
 しかし、そんな時に、医者であり、恵莉の病を治すと心に誓っている父の忠久のもとに、海外の同じ症例を見ていた医者から連絡がある。恵莉と歳もかわらない患者が亡くなったというのである。そして、もしかしたら、それは新しい人々との関わりなどによって、強い心的衝動が生じ、ホルモンバランスが変化したからだろう、というのである。そこで、ますます忠久は、自分の妻を失い、娘まで失おうとしている現状で、こころを頑なにしていくのである。
 やや注文をつけたくなるところに、テーマが多すぎるのではないか、というところがある。ただ、それもどうせ描かなければ「作品が浅い、薄い」として批判していたところであろう。この作品は、主旋律、すなわち恵莉と尚の恋物語の横に、伏線律が多すぎるのである。もちろん、それはそれぞれひとつをとっても、どれも重要なものなのだけれども。その中の一つに、恵莉の妹である香奈の物語も含まれる。母は亡くなり、父は病気の姉につきっきり。誰もかまってくれないなかで、自分はしっかりしなくちゃとけなげに頑張る香奈。しかし、1人の肉親である父は姉ばかりをみていて、自分を見てくれはしない。それなのにもかかわらず、姉はいつも自由に生きている。自分は一体なんなのだ、ということになり、これもまた心に問題を抱える感じやすい時期の少女なのである。
 恵莉と香奈、それから忠久の家族の問題は、尚と恵莉との恋物語と終盤で見事に対立してくる。父忠久は、他の人物と関わることによって病気の進行を早めると考え、恵莉に誰とも会うなと迫る。にもかかわらず、外に出たがる姉に対して、香奈は不満の声をぶつける。この家族問題を欠損した母の役割を演じることによっておぎなっていくのが、浅井実希絵なのである。

 さて、ここまで描写すればわかるように、この作品はテーマがてんこ盛りである。やや盛り過ぎている感じがある。私は一つ、二つ削って、上演時間をもう少し短くしてもらったほうが、体力的にも嬉しかったが、これはこれで、重厚感ある作品と仕上がっている。テーマがてんこ盛りになっているぶん、中だるみもなかったと感じた。これはすごいことなのではないだろうか。それぞれのテーマは恵莉と尚の恋物語を中心として重なっているのではあるが、しかしその重なりがやや足りないかな、とも感じた。特に林原家の家族問題は、友介と光の恋愛、律子をめぐる三角関係、それぞれのテーマが重ならなかったは、少し残念である。これらがお互いに影響し合い、かさなってくると、何とも絶妙な、切手も切り離せない一体感のようなものが生まれただろう。この作品では、それがややばらばら独立してしまっているために、ぱさぱさしすぎたチャーハンのようになってしまっている感はあった。

 ここまで書いたところで、ようやくこの物語のメーンテーマに入っていこう。
 もちろん、恵莉と尚の恋物語もテーマではあるが、それはあまり重要ではない、と私は感じる。大抵の物語は男女の恋愛によって成立する。しかも、今回は少女の側が難病に侵されていて、先が長くはなさそうだ、という展開。これはまさに、しばらく前に流行った泣ける恋愛ものに他ならないので、二人の恋がどうなろうと、それは私にとってはあまり重要なテーマにはならないのである。
 それよりも重要なのは、この物語が未来の「男」によって、回想され、そして過去を変えていくような形式をとっているところにある。未来の「男」がしばしば、どうすればいいんだよ、と袋小路になり泣き叫ぶ尚の前に現れる。そして、その都度、人生や生き方、夢などについて対話するのである。つまり、この作品のメーンテーマは、いかに生きるか、というものなのである。未来の「男」はいう。「何ができるかではなくて、なにがしたいか」なのだ、と。
 25,6歳にもなって、まだ夢を捨てきれずにバンドをおこなっている尚。彼に対して世間の風当たりは強いだろう。ただ、この作品では彼に対してそう辛くあたる典型的な人物はいない。劇団員という、どちらかとえばこの登場人物たちのような夢を追っている人々が作っているからであろうか。そういう夢を否定してくるようなよくいるタイプの人間は登場しなかった。しかし、すでに社会人になっている友人が登場したりはする。そのような環境のなかで、尚はもう自分の夢を追い続けていくことが辛くなっていくのである。
 そのような中、同じバンドメンバーだった友介は自分の彼女のそばにいてあげる、という人生を選択することによってバンドを降りていく、同時に俊樹も律子の彼氏をナイフで刺してしまったことによって裁判沙汰。バンドどころではなくなってしまう。夢を実質遂行不可能なものとなってしまった尚は、未来の自分の「なにができるか、ではなくて何がしたいか」という言葉に従うことによって、忠久というハードルを乗り越えて、恵莉のもとへ向かっていく。
 結局彼はバンドでデビューするという夢を実現することはできなかったのであるが、それでも彼は、最愛の恵莉とともに生きることを選択していったのである。それが、彼が結果的にはできることであったのであり、したかったことなのだ。
 「どうすればいいんだよ」と、尚はなんどもなんども劇中叫ぶ。それは彼の叫びであると同時に、現代の若者の叫びでもあろう。夢を追おうとしても、それが実現できることはほとんどない。そのような閉塞的な社会のなかで、どのようにして生きていけばいいのか。妥協して就職して、そのような生き方でいいのであろうか。結果的に尚は山浦の店を継ぐというような形式で、半分ホームレスのようになりながらも、なんとか生きていくのである。だが、これはそのような、一般的な価値観から見たら脱落した人達を笑おうとか、反対にそれを称賛しよう、といったものではないのだ。そこには価値はない。ただ、そうなったという結果があるだけである。すべてを失っていくなかで、しかし彼は最後の最後に、恵莉という存在だけをなんとか失わずに済んだのである。それが彼の人生なのであった。

 最後に感想を少し。
 プロの演劇を見たことがなかったので、本当に上手いと思った。みなそれぞれ、素の自分というものが透けて見えたりはしなかった。大学生のサークルだと、演じ切れていないなという感じがあったが、ここではみなプロである。そのようなことはなかった。
 個人的には、私自身が光のように起伏の激しい女性と付き合っていたことがあるので、一番友介と光との恋愛場面には感情移入した。というか、ただただ、かつての自分を見せられているようで、ものすごく嫌だったのである。だが、そのような感情を持たせるほどに、迫真に迫った演技だったということであろう。
 私も生きる、ということには迷っている。ちょうど、夢を追っている彼等と同じ年代だからであろう。私は、とにかく生きることが辛いので、なんとか出来ることから始めてみようと、半日ほどで済む非常勤の講師をやっているが、それはすでにドロップアウト、バリバリ仕事をしていくという出世コースからは外れてしまっている。これからの未来は決して明るくない。そのなかで、どうやって生きていったらいいのか、ということは常に念頭にある。今回はその若者に、いや人々にとって普遍的なテーマを扱っていたために、多くの人々が共感、感動できる作品となっていた。
私も願わくば、これだけは、というものを見付けて生きていきたいものである。

劇団CHEAPARTSのブログ
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憎愛 十五

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十五
関の京都での養生は続いた。その後一週間はさらに遠くへ足を運ぶことができるようになった。自転車を借りて、金閣寺や龍安寺など観光へも行けた。折角なので、何知らぬ顔をして、立命館に侵入した。あの名高き時計塔を見てみた。
更に一週間ほど、電車にも乗れるようになり、通常の京都観光ができるようになった。相変わらず観光する場所はどこか救いを求めていたためかお寺などが多かった。関が好きなのは随求堂である。胎内回帰をしたような心持がして、大層安心した。人が最も安心できる理想の場所とは、時と場所の軸を超えて母親の胎内、子宮に戻ることだとされている。人が生まれておぎゃあと泣くのは、この世の楽園であった母親の胎内から出されて、恐怖しているのだという説がある。関のような、神経過敏の人間にはこの世で生きて行くことは辛すぎる。関という人間は徐々に徐々におよそ社会と呼ばれるようなものによって、皮を剥がされていったようなものである。皮を剥がされた状態で生きている。だから何につけても痛々しく感じられる。我慢がならない。いっそ楽になりたいと思う。関にとって、今回の京都への逃避は、随求堂に象徴されるように胎内回帰だったのかも知れない。新しい殻、新しく自分の身を守るべき膜、精神の防壁を築くための養生だったのかも知れない。
結局一か月弱ほどの長い長い養生をただの壱文も払わずして養ってくれた導久たちは、関にとってはまさしく現世における仏であった。関も逃れてきたはいいものの、実際導久や住職に対してどんなお礼の仕方をするべきか困った。お金というのも実に気が引けることであった。もちろん払うのが惜しいのではない。一般的な宿泊宿の料金と照らし合わせて日数分換算すれば良いだけのことである。しかし、宿泊宿に泊まったところで救われるのかと言われれば勿論違う。それにお金で決着をつけるというのは、関の受けた救いはお金で買えるものということになってしまう。なので、心苦しくはあったが、関は敢えて物質的なものはお礼として払わなかった。唯一手紙を書いた。懇切丁寧にあいさつをした後、手紙も渡した。とりあえずはそれで良いと関はおもった。また何か感謝を表せる機会が見つかるまでのことだ。
夏は真っ盛りであった。最も夏の激しい時期、関は東京の家へと帰った。自分の家の扉を開いてあまりにも熱気が立ち込めていたので驚いた。防犯のため窓、扉すべてを閉じて出たのだった。あのような状況でもそれだけはできているのだから人間とは不思議なものである。ところが、こんなに長いこと京都に居るとは思っていなかったので、夏の暑さを全く逃すことができずに、部屋は大変なことになっていた。だが、まだ冷たいよりかは良い。暑いほうが何かが存在しているような気がしてまだ良い。部屋はむっとして、暗く、気味が悪かった。帰宅早々すべての窓と扉を開いた。すると次第に熱気はどこかへ逃げて行った。蛇口をひねると、最初の水が出てくるまで間があった。汚い水が流れる。しばらく水を流したままにする。
寝室に戻った。関が住んでいるマンションはまだ彼が若いということもあり2LDKだった。部屋にはベッドが二つある。部屋の一面には大きな本棚があり、そこには関が読んできた様々な本が並んでいた。しかし、本を読む量につけてはものすごい関は、書斎のほうに壁三面を本棚で囲まれた状況を創り出している。しかしそちらに籠っていてはあまりにも寂しいからというので、こちらにも一つ持ってきていたのだ。寝室には机と鏡がある。化粧品が並んでいる。関はそれらの扱いについて困っていた。
自分のベッドによこになり、しばらく天井を眺めた。懐かしい天井だ。しばらく離れていた間に何もかもが変わってしまったみたいだ。何が変わったのだろうか。それとも何も変わっていないのだろうか・・・。
ふっとため息が漏れた。帰ってきた。家に帰ってきた。誰も私の帰宅を待っていてくれる人はいない。いや、生徒たちが二学期になれば私を待っていてくれるだろうか。自分が生徒だったとき、病気をしたからといってしばらく出てこなかった教師が居た場合、その教師の帰還など喜ぶであろうか、待っているであろうか。難しいものがあるか。何はともあれ、私は生きている。関はそう思った。生きている。死なずにすんだ。死なずにすんだ。自殺しないですんだ。もう一度私は戦えるかもしれない。学校へ戻り、生徒たちとともに生きる。生徒を教える。こんなに楽しいことはない。辛くても、生きがいのある仕事はない。
それからの日々、関は書斎のほうに籠った。どうにも寝室では空いたベッドの存在が日増しに大きくなってくるように感じられたのだ。空白というものは気にしまい気にしまいと思えば思うほど大きくなる。その点、ぐるりを本に囲まれた狭い部屋は関の心を落ち着かせた。関の本に対する愛情はなお一層強まった。愛情の分布をそれ一つに絞らざるを得なくなったからである。関は京都で住職や導久への手紙を書いていたころから、再び何か書けるのではないかという期待がふつふつと心の奥底で湧き上がってきているのを感じていた。何か言葉にしなければならないことがあるように思われれる。だが何かがわからない。関は焦燥した。わからにので、書斎に籠っていた。書斎には、三辺の壁をすべてマホガニー調の厚い本棚に囲まれている。唯一開けておいた壁には窓がある。光量はそこから取り入れた。窓に向かって座るとまぶしいので、窓とは横になるように机を置いた。その上には、関が今までの人生で集めて来た不思議なものがいっぱい置いてある。関は大学生の頃から変な小物を集めるのが好きだった。雑貨趣味と言っても良い。フランスのおしゃれな生活をしてみたいという思いがあった。これは関のなかではいまだ決着のついていないことではあるが、関は当時未来はどのような部屋にしようとか、どのような生活をしようかと想像したところで、二つの方向性が生まれた。一つには、和を基調としたもの。関は教員になったら和服で登校してやろうかと思っていたのである。だが、現実的に厳しい。白い眼で見られる。和服を着る機会はそのために、本関連で公の場に出る際に限られた。また、もう一方の方向としては、西洋の貴族のような生活である。スチームパンクや驚異の部屋と訳されるヴンダーカンマーの世界である。兎に角男というものは大概蒐集精神があるものだ。関もその例外には洩れない。関はアンティーク調のもの、古き良きものを長い間使うということが好きであった。ちょうど関の学生時は、中国の安い労働力によって物々に溢れかえっていた時期である。関はそのような物事への反抗ということもあって、このような方向へ向かっていった。大量生産されたものは、代替可能であるし、そのものひとつひとつに制作者の心がこもっていなければ、またそれを使う者にも心を求めない。だからある意味では気軽に使い捨てできる、乱暴に扱うことができるものである。
だが関はそのようなものは好まない。多少手間がかかったとしても心あるものの方を好む。関はこの時代の作家にしては珍しい、ペン書きの人間であった。ワープロも勿論机の上には乗っている。だが、それで書くのはあまり気が進まない。ものを書く時には、ゆっくりゆっくりと醸し出していく、そうしたプロセスが重要だと彼は考えていた。ワープロは確かに早く打てる。しかし、その速さによって失われたものが当然あるはずである。関はそれを書く間の時間に生まれる醸成される文章だと考えた。最近の書物がすらすらと、わりと早い速度で読めるのは、それだけ早く書いているからである。昔の文章はじっくりと読まないと意味を落としてしまうのは、じっくりと書いたからである。やはり人間が書いたものなのだから、書いた速度も読む速度に影響しうると考えた方が合点がいくだろうと関は考えていた。
関の机の上には、例えば羽ペンなどが置いてある。飾りかと思うかも知れないが、実際に関はペン先をインキ壺に浸して書く。孔雀の美しい羽が付いたものや、蒼く染められた鳥の羽ペンなどがある。万年室もある。ウォーターマンの良いペンだ。以前文学賞を戴いた際に副賞としてもらったものである。変な標本もある。ベネチアグラスのペーパーウェイトがある。何が入っているかわからないビンがある。関はこれを偶に飲んでいる。薬が入った小瓶がある。関はこれで命を伸ばしている。特に意味もない貝殻や外貨が、高そうな陶器の置物のなかに置いてある。
仏教系の大学を出たものとしては、これは本来いけないことであるとは知っていた。ものに執着しているからである。執着からは、嫉妬や所有欲が生まれる。それに支配されてはいけないのだ。だが、関はそこまでの境地にはたどり着けないので、ものを大事にせず、大量消費をするよりかはものにこだわり、ものを愛することをよしとしたのである。
関は何かが体内の奥底から湧き出ずるのを感じた。言葉が生まれようとしている。だが頭の方へ上がってこない。指へ伝わらない。口から発せられない。関はもどかしさにもんどりを打った。
ペンをくるくる回してみた。原稿用紙とにらめ合った。紙を変えてみた。羊皮紙を前にしてみた。紙になにか浮かび上がってくるのではないかと思い、陽の光に照らして透かして見た。羽ペンで自分の鼻を擽ってみた。そのうち鼻から神経が伝わったのか耳がもどかしくなってきたので、耳かきをした。耳かきにも美しい宝石のような輝きのするエメラルド色のガラスの球が付いている。何か自分の探している言葉が見つかるかも知れないとおもって、本棚らからだしぬけに本を選び、ぱっと開いてみた。その頁を目で捉える。読むのではなく、ひとつの作品として目で捉える。飛び込んできた文字を探してみる。心に聞いてみる。わからない。皮張りのチェアーに戻ってくるくる回転してみる。そのうち目が回ってきたから、腕を組んでみる。顎を載せる。顎が痛くなってきたから肘をついて蟀(こめ)谷(かみ)の当たりで支えてみる。肘が痛くなってくる。ハニーボーンに差しさわりがあろうと思い体制を変える。そういえばハニーボーンというのは誤用でファニーボーンが正しかったのだと思いだす。
ぱっと飛び出してくる言葉はあった。以前のようにすらすらと書けないのは関にとっては珍しいことであったが、何か格言めいたものが飛び出すことがあった。関はもったいないので取りこぼしてはいけないと思い、それらを自分のノートに書き込んだ。
しばらくの間はそのような状況が続いた。時に何か全く別のものが思い上がってきて筆の先から迸ることがあった。また、思索に疲れた時には、本を読んで気を紛らわせた。


僕はやっぱり、働かない自由があってもいいと思う

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先日、5月7日にこんな番組が放送されていた。
「56歳ニート息子」
「あのニュースで得する人損する人」という有名番組で取り上げられたものだ。
内容は、56歳にもなって、仕事をまったくせず、年金暮らしの親、79歳母の年金、月8万円をつかって、生活している、というものである。本人は一日中働かずに、家でごろごろしているだけ、というもの。
さて、この番組の放送は、かなりの反響を呼んだようである。
番組の放送と同時に私はTwitterをひらいてみたのであるが、#ニート息子というキーワードがトレンドに乗っているくらい、Twitterでも反響があった。
おもしろいので、どのような反応をしているのかと思い、タグを追ってみる。

もぎ太 ‏@okui_mogita
今さあ56歳独身で母親にパラサイトしてるニート息子のやつ見てるんだけどこれさあやらせだとしても現実にこういうの絶対あるよ、見てたらくそ泣けてくるし死んでもこんな人間になりたくねえ。親孝行出来る人間になれんくらいなら自殺する方が何倍も楽って感じだ。

しばくぞおじさん ‏@shibakuzo123
56歳ニート息子、79歳の母親の毎月8万円のわずかな年金で暮らしてるのに、それをあてに生活して、おまけに母親の金でお菓子買ったり、母親の財布から1000円盗んだりしてる。しばくぞ、働け→

[殲滅姫]天使 紗路+ (CV.小倉唯) ‏@_Syaro
ニート息子くそごみじゃねぇか

ひいらぎ ‏@new_hiiragi
56歳のニート息子がトレンドだが40代後半のニート息子や娘はゴマンといるぜ。俺の周りにも居る。親の年金で生きてるクソはモットいる。56歳でニートで健康ってのも厄介だな。普通はそんな生活してたら成人病で早く死ぬのにな。

クロエ@メロディアスペンギン
‏@pyk01
損得見てたらニート息子拗らせすぎて笑えるとか腹立つとか通り越してワケわからん憎悪にも似た感情が…でもこんななる前に若いうちに親もどうにか出来たやろとも思うのよ…



いくつか引用をしてみた。
私はこれらの人の意見を一概に否定するつもりはない。そういう感情があるだろうな、ということは、私も流石に予想ができる。しかしである。
私がいいたいことは次の様なことなのだ。少しツイートしてみたので、それを引用してみる。


なんかテレビで、56歳のニート息子がうんぬんってやってるけど、なにがいけないのか、ちっとも僕にはわからなかった
経済的な自立こそ善だ!というような暴力的な前提がそこにはあるようだけれど、その思い込みさえなければ、働かなくても母親の年金でなんとかやっていけているのだからいいのでは?

働くか働かないかは本人の自由意志なので、むしろこの働くことが善で働かないことが悪みたいな意味の解らない社会で働かないという選択肢をとりつづけてきたその人には、上から目線で叱るなんてとんでもない、よくやったと褒め称えたいくらいだが

前提として、「経済的に自立しなければならない」という価値観があるのはわかる。そして、その価値観を信奉するのもいいだろう。しかし、だ。それを他人に押し付けるなかれ。その自分の価値観を他人にまで敷衍するな、経済的に自立しなくてもいい、という価値観もあることを認めなければなるまいよ

先ほどの56歳ニート息子。
もう少し正確に描写する必要があるようだ。
前提として、本人はあの状態に満足している(少なくとも不満ではない)。もし、本人が働きたい、とかもっといい暮らしをしたい、ということであれば、何らかのアクションを起こす必要があり、それを援助する必要がある

けれども、彼自身はあの生活でいい、と思っているのであって、本人がいいと思っていることを、なぜ他者がとやかくいうのか?というのが僕の論点なのだ。結論はいう必要はない。本人がいいのなら、それでいい、と。

そして親の年金にパラサイトしているぶん、彼は十二分にその制裁を受けている、と僕は思うのだ。
月8万円で二人分の生活を賄うのであるから、一日食費と合わせて2000円程度の生活をしている。すでに最低限の底辺に抵触した生活を送っている彼に、これ以上なんの制裁が必要だといえよう

僕が指摘したいのは、ああいう人を取り上げることはいいことだ。多様な社会の在り方、人生の生き方を知ることができるからね。
しかし、あれを取り上げて、番組全員でぶったたく、なんとかして制裁したい、というその感情があけすけに見えてしまっている、そこに日本人の問題があるのではないか、と

日本は十分に豊かな国なのである。働かなくても餓死しなくて済むほどには。
であれば、生活保護等の制度や、親にパラサイトして、最低限の生活で生きていく、ということになんの問題があろう。彼を叩きたくなる、その自分の心情を、一度きちんと精査して見る必要があるのではないか?

ここからは少し飛躍するが、つまり、働いていないで怠けている人のことを、許せない!それが問題なのではないだろうか?
自分が苦しい思いをして働いているのに何もしないで生きている人がいる。そういう人達への恨みから彼に対して「シネ」だの「クズ」だのという言葉が吐き出されているのではないか

できるだけ誠実にこういう認識の仕方もあるのだよ、ということを描写しているんだけど、あまり共感を得られなさそうだ。それは残念なことではあるが、できれば、そういう生き方もあるのだ、それに対して許せない!という感情がなぜでてくるのか、というところを考えてほしい

自分が働いていて、つまり、いい成績をとって、いい学校をでて、というコースに乗っている時は人は強いし、その強さを他人に強要するものなんだよね。でも、そこからドロップアウトしてみると、それがいかに厳しく、不寛容であることかと思われてくる。



こんなところが、僕の意見だ。
結論から言えば、働かない自由があってもいいじゃないか、ということだ。
当人がそれでいいのなら、それをとやかくいう資格は他者にはないだろう、むしろそういう生き方を認めて上げることが必要なのではないか?というのが僕の意見だ。それと同時に、こういう人たちをみて、死ね、クズ、等の言葉が出てきてしまう、それをTwitterに呟いてしまう、そういう人達の暴力性というものが問題なのではないか?それがいったいどこから出てきているのかをキチンと一度改めて見ることが必要なのではないか?というのが僕の問題意識なのだ。

この番組では、結局この取材されていた人は、吉本のお笑い芸人であることが判明、ネットでは「やらせ」だと、批難殺到している。
しかし、私はそこには特に問題はないと思う。もちろん、これはテレビの演出上のものなのだろう。だから「やらせ」ということはわかる。しかし、たとえここで放送されたものが「やらせ」であったとしても、こういう生活をしている人たちは世の中にたくさんいるのであって、私はその点において、こういう人たちをやや誇張的ではあったが、取り上げたことの意味は大きいと思う。
しかし、問題なのは、番組に出演していた全員が全員、この人物を叩き上げていたことである。
私は、なぜ働かない自由をみとめてあげることができないのか?と不思議に思う。
この人物はすでに、働かないという選択を通じて、それなりの制裁を受けているのだ。いわば極貧生活をしているわけであり、すでに制裁は受けている。それでも本人はいい。極貧でもいいから、働かずに静かに生活をしていたい、そういうことなのだろう。それをダメだなんだと叩くのは、ひどいではないか。
障害者を取り上げて、だからだめだ、なんだと言っているのと構造として同じなのではないか?
今のはやや言い過ぎたかもしれないが、つまり私がいいたいのは、働ける強い人が働けない弱い人を、だからだめなんだというのは、あまりにも暴力的なことではないか?ということなのである。

人はみな、強いわけではない
が、我々はそれをしばしば忘れてしまう。
いい成績を取り、いい学校に入り、いい会社に入り、いい給料をもらい、いい相手をもらい、そういういわばコース、のようなものは、強いひとたちのものである。
みんながみんなそれに耐えられるだけの精神や肉体や状況、環境をもっているわけではない。
彼のように、働けない、働く意思がなくなってしまう人間だって、ごく一部ではあるが、いるのである。そういう人たちに、自分達ができるから、といって、それを押し付けてしまうのは、暴力以外のなにものでもないのである。
我々はまず働かなくても生きている人達のことを、認めるところからはじめなければならない。そういう生き方もあるのだ、ということを知り、それを受け入れること。
人間を働いているか働いていないか、という二択で、いいと悪いにわけることの暴力性。誰もが働けるわけではないし、誰もが働きたいわけでもない。そのようななかで、働かない、という選択肢を選んだ人達を誰がさばけるというのだろうか。
もし、これでもまだ、働かない人間はクズだ、ダメだ、社会のゴミだ、と考える人があれば、そう考え冴える原因は何かを一度きちんと見つめてもらいたい。
少しヒントをつけくわえておけば、それは「社会」によって作り出された「幻想」の「価値」なのかもしれない

憎愛 十四

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十四
導久のもとへ逃れ込んでから二三日は石庭を見て過ごした。そうして、次第に身体が思うように動かせるようになってきたので、朝餉の用意を自分でしたり、といっても導久の母がつくってくれたものを運ぶだけだが、寺のなかを少し散策できるようになってきた。
白米、味噌汁、いくつかの漬物という質素な朝餉の後、
「関さん、だいぶお顔が良くなってきましたよ。」
「ん?そうかな。そうかもしれない。すこしこころが楽になったよ」
「目が生き生きとし始めています。」
「よかった。ありがとう。なにもかにも全て君と君のご両親の御蔭だ。本当に感謝が絶えない。だけど、今何かお返しできることもなければ、またお金でお返しするというのもあまりにも無礼千万だから、どうしたらいいものかちょっと困っているんだが」
「恩返しなんていいんですよ。そんなものを求めて関さんを泊めているんじゃないんですから。でも、そのお心があるのならば、そうですね。関さん、少し掃除でもしてみますか」
少し心の余裕が出来ていたからか、げ、面倒なことになったと一瞬関は思い、苦笑いしながら言った。
「お掃除するの?」
「そうです。いいですか関さん。禅門にはこんな言葉があります、『一日作さざれば、一日食らわず』」
「はあ、漢字は」
「こうです」と言って畳の上に指で文字をなぞって見せた。「一日不作一日不食」
「つまり、働かざる者食うべからずという意味かい?」
「と普通思いますよね。でも違うんです。」
「というと」
「これは唐の時代の禅僧百丈懐海の言葉なんですが、この懐海和尚がよぼよぼのおじいさんになった時に、まだ和尚は自分で作務をしていたんです。作務っていうのはお掃除や、食事の用意やらそうした日常の雑務のことです。そんで弟子たちは当然そんな偉い和尚に作務などさせるわけにはいきませんから、やめてくれ言うたんです。それやけど、和尚は作務を続けるもんですから、御弟子さんたちがお掃除用具を隠したりしてなんとか和尚に作務をやらせないようにしたんです。そうすると、和尚は作務をしていない日は食事をとりませんでした。そいで困ったお弟子たちが、どうして食事をとらないのかと聞くと、さっきの『一日作さざれば一日食らわず』という言葉を発したそうです。」
「うむ・・・わかったようなわからんような・・・」
「作務というんは作業勤務の略です。御弟子たちはそいで和尚に道具を返したところ、作務を再び開始して、御飯をお食べになったとか。つまり、作務というのは、雑務ではないのです。仕事ではありません。どう説明したらわかるやろか。生活のための仕事ではないのです。」
「それならわかる気がする。『それから』に書いてある。『働くのも可いが、働くなら、生活以上の働でなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭を離れている』ほかにも『つまり食うための職業は、誠実にゃ出来悪いと云う意味さ』。馬鈴薯(ポテト)が金剛石(ダイアモンド)より大切になったら人間は終わりなんだ。大助君はそう自認している。そして平成の文豪であるこの吾輩もそう自認している。」
「ほう、一字一句間違っておりませんか」
「私の記憶が正しければね。これでも漱石で論文を書いた身だから」
「まあ、つまりその生活のための仕事ではないんです。毎日毎日繰り返しするという事が意味あるのです。労働をすることによって、余計なことを考えることなく、また働くという行為を通じて仏法を行ずるのです。」
「禅のこころというやつだね」
「そうです。禅においては、一挙一動すべてに無駄はありません。全てに意味があることなのです。掃除にしてもなににしても、雑用ではなくて、一つの修行なのです。関さんにとっては、食べること、寝ること、休むことが今の修行です。今度は、それに付け加えてお堂の拭き掃除もしてみませんかということです。」
「うん。掃除は嫌だが、修行ならやろう。馬鈴薯より金剛石だ。」
 ということになって、関はその日から石庭前の本堂の拭き掃除を始めることとなった。
「いいですか関さん、あんまり濡らしすぎたらあきませんよ。木腐ってしまいますからね。そんで、しばらくはここの廊下だけでいいですからね。といってもこの廊下30メートルはありますので、これだけでも大変な仕事ですけれどもね。」
「うん。大丈夫だ。お寺の大事なものを壊さないように細心の注意を払うし、何かするときにはきちんと聞きに行くから安心してくれ」
「では、お願いしますよ」
と言って導久はしばらく掃除用具か何かが入っている押入れに行って、いろいろな道具を取り出してきた。関にはバケツと雑巾が渡された。導久は先が柵のようになっている木の棒を持っている。
「それは何だい」
「これは、僕たちは線引って言ってます。庭の石を整えるんです」
「ああ、いいな。私もやりたい・・・が、石庭は寺の顔だから、これもそうとうな技術がいるのでしょうねえ。観るにとどめておきますが」
「難しいですよ。僕でさえまだたまに親父に怒られますからね」
導久が長い袈裟を玉砂利の上にこぼしそうになりながら、全くそちらに気を奪われず、また機械的に非常に正確な動きをするのを見て、関は感嘆した。人間も何か一つのものを極めればこれだけ正確無比な動きができるものか。
殆ど運動をしなかった関は、長さ十丈、幅一間はある廊下を雑巾がけし終わるころには、足ががたがたと震えだした。身体を動かさない関にとってはそれだけでも重労働である。筋肉痛は一日置いて、二日目に来た。筋肉の反応も遅い。すでに導久の元へ来て一週間が経とうとしていた。関の顔からは、笑みがちらと見えることがあった。肉体を使用し、疲労する喜び。筋肉痛になり、自分の身体が自分のいう事を聞かない面白さ。なんだ、私は生きていたじゃないか。
それからの日々、ほぼ一週間は芳春院に籠りっきりだったのが、だんだんと足を遠くまで伸ばせるようになった。終末は、大徳寺の他のお寺を見学した。導久が案内してくれる。
大仙院は芳春院の隣である。御隣さんといった感覚なのだろうかと関は思った。まあそんな感じだと導久は答えた。大仙院の和尚に挨拶に行くと、隣人だから、普段入れないような場所も特にこれといった許可がいらずに入れる。というより導久がどんどん入っていくので関はそれに従っているだけなのだが。
大仙院、方丈前庭。二つの山が玉砂利によってつくられている。
「この二つの山は何を意味しているんだろうか」
「さあ、なんでしょうねえ。私もよくわかりません」
「え~わからないの・・・・・・」
「いや~私にもわかりませんて、そんなん」
坊主も案外適当だと思った。今に始まったことではないが、嫌に詳しいところと、全然素人と同じような分野と変に偏っていると学生時代から思っていた。
「これが国宝の玄関なんですよ」
見たところただの木が壁の中に埋まっている、気にしなければそのまま通り過ぎてしまうような場所である。
「これ触れるじゃないか。あ、今国宝に触れている。触れる国宝・・・」
「関さん、こちらへ」導久は一寸ボケてみた関のことは無視して先を急いだ。障子をあけている。すると、中は何十畳もある広い部屋が出現した。障子の前には竹でできた柵のようなものがあるから一般人は入れないようになっている。導久はそんなことお構いなしに勝手に開けて入るから、関は入って良いものか、少々良心の呵責に耐えながら中へ進む。
「これも重要文化財とか国宝とかです。正確には忘れましたが。」
「どれ・・・四季花鳥図・・・伝狩野元信筆だな。」
「流石に御詳しい。」
「日本の芸術史をきちんと勉強すればこのくらいはわかるさ。勉強熱心だったものでね」
「いや、関さんは本当によく大学時代から勉強なさってましたね」
「好きだからできることさ。そのかわり僕は数学なんて高校レベルの問題も解けない」
「いいんですよ。人には得手不得手がありますからね」
聚光院もまた御隣さんのようなものだ。大仙院の和尚が狸のような割と大柄な人物だったのに対して、聚光院の和尚は乃木大将のような細面の老人である。聚光院を見学しに行ったさいには、導久は父から日本酒の一本をお土産に持ってと言われて持って行った。聚光院は襖絵が素晴らしい。狩野松栄、永徳父子の描いた方丈障壁画三十八面。狩野はは時の権力者に寄り添ったために、一族は確かに栄華を極めてはいたが、その作品は権力者が敗れ去ると同時に燃え尽きてしまっていたので、三十八面も完全な状態で残っているというのは奇跡に近い。花鳥図は、松・竹・梅、オシドリ・セキレイ・丹頂鶴などの花鳥風月を描きこんだとてものびのびとした絵だ。琴棋書画図、竹虎遊猿図、蓮鷺藻魚図など、いずれも国宝。国宝と人によって箔を付けられなかったとしても、いずれも素晴らしい筆である。なかでも瀟湘八景図は素晴らしい。古来より景勝の地として文人墨客がしばしば訪れた瀟水と湘水の合流する洞庭湖周辺の八つの風景を描いたものだ。名所百景のようなものの中国バージョンである。
龍源院の石庭は、真ん中に大きな丸い陸地のようなものがあり、丸と横の線とのバランスが何とも筆舌しがたい。現代芸術、シュールレアリスムを立体に戻したような心持がする。大徳寺はいくつものお寺が集合して大きな一つのお寺になっているという構造である。関はこれをお寺のメタ構造だと考えた。いずれそうしたお寺がどんどん増えて行けば、京都はさらなる大きなお寺の存在としてメタ的な構造を有するようになるかも知れない。しかし、大徳寺という大きな枠組みに所属するそれぞれの院は、いずれも全く別の顔を見せてくれる。あくまで芸術的な方面からしか関にはわからなかったが、例えば襖絵が素晴らしいお寺もあれば、能や狂言などに使われたであろうお面などが置いてある寺もある。石庭が素晴らしい寺もある。住職もそれぞれ違う。こんな話をしたら、関に以前日本芸術を教えてくれた教授などは歯噛みして卒倒するだろう。なんていっても、その教授は狩野派が専門だったのだから。

憎愛 十三

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十三
人間は元来哲学的にできている、と関は考えていた。少なくとも類は友を呼ぶせいか、彼の回りにはそのような人が多かった。関は倖せというものについて考えてみた。実物主義、現実主義から脱却した関にとっては、物質による幸福はただの幻影にしかすぎず、それによって本質的な、いまだかつて誰もたどり着いたことのない倖せにはたどり着けないと思っていた。確かにこの物質的な倖せというのは、目に見えてわかることであるし、たった一度の短い人生を騙しきるのには十分なものではあった。しかし、この物質的な倖せが、他者の物質を奪った上に成り立っており、決して人類のためにはならないと関は考えていた。
そして、物質的な倖せというものは際限がない。あれが欲しい、これが欲しいまでは良い。だが、実際にそのあれとこれを手に入れてみると、また別のものがほしくなる。とすると、これはやはり倖せではない。本当に倖せになったのであれが、満足すれば次は欲しくなくなるはずなのである。関は、倖せとは何かを手放す方向、満足し、そこで止める方にこそあるのではないかと考えた。なので、倖せを追い求めるとは、自分がいかに小さな出来事で充足し、満足できるのかということだと考えた。
眼前を視、現実を認める。それを不平不満を持つより先に、先ずは充足し満足する。しかし、改善の余地があればすれば良い。何も我慢する必要はないのだから。
石庭の大きさはかなり広い。25メートルプールより縦長といった感じ。本堂はその長い側面にそってあるから、丁度真ん中に座っている関には、左右に十数メートルずつ石庭が臨んでいる。右奥には、壮大な石が並んでいる。屹として聳え立つ石が二つ三つ。よく中国の山景として思い浮かぶような、水墨画の題材になるような高く直立した山である。それから次第に裾のが広がっていくように、平べったい石が真ん中を開けて右方と左方に伸びて行く。山も裾のになると、樹海を思い起こさせるような苔が覆っている。山々の合間を縫って、一番奥の中国の山から流れ出す水の行方。ゆらゆらと二度三度左右に振られながら、大河とも思われる、大海とも思われる、この石庭のほとんどを占めている部分につながる。
龍安寺も確かに良い。どこか禅めいていて、理知的な感じがある。だが、少し自然というよりは、芸術に近い感じがする。人間の思索がそこに介在しているような気がする。それに比べると花岸庭というのは、雄大でありながら、朴訥としていてそのままの自然、人工的な感じがしない庭である。奥深さや面白さで行ったら龍安寺のほうが圧倒的だろう。しかし、単純でいながらも、だからこそ寛容的である。花岸庭を舞台から臨むと、法学としては大徳寺の最上の箇所から、南を向いていることになる。だから他の寺や仏塔が見えるだろうかと思うとそうでもない。芳春院は大徳寺全体のなかでも少し坂の上にあるのでそこからならば大徳寺の他の建物くらいは見えてもよさそうなものであるが、2メートルとない塀の向こうには、いくつかの高い木の他には何も見えない。木々の頭しか見えないから、余計にどこかの森のなかの家にいるようである。
関は石庭を前にして、何時もの時間を過ごした。数日の間はそのようにして過ごした。時に、本堂から住職の低く朗々としていて、それでいてどこか人間の暖かさのようなものを感じさせるお経の声が聞こえた。関は大学時代に、お経が一体何を書いているのか興味を持って、現代語訳を読んだことがあった。そこには実に人間味あふれた、心配をするな、大丈夫だといった励ましが書かれていたことを記憶している。
人間の悩みなど、この大きな世界、自然を前にしたときには実にちっぽけで取るに足らないものかも知れない、と関は思った。しかし、それでいても、当人にとっては一大事なのである。人間には、人間の外にあるマクロコスモスと同様に、人間の内部にあるミクロコスモスが存在している。そのミクロコスモスが危機に陥れば、必然その人物を死に至らしめるほどの強力なものとなり得る。ちっぽけで取るに足らないことかも知れないが、しかしその取るに足らないものでも、一人の人間を死に至らしめるのに十分なのである。
関は極限まで追い詰められて、すべてを放りだして京都へ逃げた。そうして、石庭を前にして自然と自己を一体化した。その一体化している最中に、人を救うお経を聞いた。峠は乗り越えたのである。関は何とか自我の崩壊からはまのがれた。
だが、京都へ逃げるまで、ずっと張りつめていた緊張の糸がたるんだために、どっと様々な感情が押し寄せた。寂寥感、寂寞感、無気力感、悲しみ、悲哀、憐憫、後悔、疲労、喪失感・・・・・・。
関にとって、いや、関以外のすべての精神的困窮のなかにある人のとって、自殺とはその苦しみから逃れる最も魅力的な方法に思えてしまう。前にも述べたかと思うが、関は積極的な自殺は好まなかった。例えば縄。どうもやる気になれない。飛び込むのも嫌だ。身体がばらばらになったり、傷ついたりするのは関のとっては苦痛であった。また死んで後も、自らの肉体を以て他人に迷惑をかけるのはなんとしてでも嫌であった。
関は大学時代に文学部に居た。そしてその当時でも、大学で文学をやろうという人間は、もはや最初から就職の道を諦めたような風変わりな人間の集まりであった。文学をやらなければならなくなっている人間というのは、やはりどこか精神的な困窮にあるのである。文学部の人間は、関の回りの人間はいつも生きているのに必死であった。精いっぱいであった。君、僕が死んだら・・・私が死んだら・・後を頼むよということをお互いに言い合っているような集団なのだから大変だ。自殺・・・。どんな自殺。自殺の話をよく大学で友人たちと共にしたことを思い出した。
「本当の自殺っていうのは餓死らしいね」
 この言葉を聞いた時の関の衝撃は計り知れないものだった。
「そうか。確かに餓死というのは最後まで己の意思で自殺をしている。」
「そう。例えば縄で首をくくるのも、電車にはねられるのも、薬も、結局は自分ではないモノにたよっている。だからこれは本当の自殺と呼んでいいのだろうか」
「でも、こんなのを私は聞いたことがあるぞ。顔だけ水面につけて溺死するのも、立派なものではないかな」
「確かにそうかも知れない。でもそれも最終的には水に頼っているように僕は思うが」
「そういわれればそうだ。本当の自殺・・・素晴らしい響きだ。」
「今のこの時代の日本で、果たして餓死をすることができるだろうか・・・本当の贅沢とは、できることをしないということさ。食べられるのに食べない。こんな贅沢で優美な人生への反抗が他にあるだろうか・・・」
 関に最高の自殺を教えてくれた友人はまだ生きている。関の務める学校の東京の反対側のほうで同じく教員をしている。
餓死・・・。魅力的な響き。
その時、ふっとあたりの軽くなるのを感じた。眠りに入るときのような、夢から覚めるときのような、魂が肉体の出入りをする際のあの感覚である。暖かさを感じた。関の左肩を、読経し終えた住職がその厚みのある掌で優しく包んでいた。
「自然の声を聴いてみなさい。この広大な自然は何と言っている。関君に何を求めているかな。よおく心を研ぎ澄まして、邪念を追い払わないと聞こえない。それはとても小さな声ですからな。」住職はお経のような感覚で朗々と話す。
「人が自然のなかで生きて行くということは大変なことですわな。必ず他の生き物の御命を頂戴しなければならなくなる。かといって、それが嫌だからと思っても、殺さないわけにはいきまへんのや。人は皆、他のものの命を預かっておる。それを神様仏様から許されているんです。せやから、その命、大切にせなあきまへん。天明を全うするのです。それが唯一の神様仏様、並びに今まで頂戴した命に対する最大のお返しになりますんや。いいんですよ。御命を頂戴しているという心を忘れなければ、いつも御命を頂戴していかされているんやゆう心を忘れなければ、それだけで頂戴されるほうの命もこの世に生まれ、生きて来た意味がありますわ。」
 住職の厚い掌は、何か宝玉でも当てているかのように熱かった。停滞し、どす黒くなり、死にかけていた関の燈火、気。住職のてのひらからは、激流のようなそれでいてとても優しい気が流れてきていた。関は思い込む必要がなくなった。
「・・・ありがとうございます」
「捨てる神あれば拾う神ありですわ。あなたはこの寺に救いを求めてやってきた。せやから救われる用意はすでにできておるんや。きっとよくなる。大丈夫。」
住職の顔は、長い年月を生きた証として、皺がだいぶできていた。関もまた若さとは似合わず皺の多い顔であったが、皺の質がことなった。住職の顔には、柔和な皺が出来ていた。眦に集まった優しみの皺。口元にできた微笑みの皺。住職は笑ってなどいなかった。しかし、関には住職が笑っていないと思っていても笑っているようにしか見えなかった。アルカイックスマイルとはこういう顔のことを云うのかと初めてわかった。


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