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テイルズオブファンタジア 感想とレビュー テイルズシリーズを読み解くカギ 

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―はじめに―
 幅広い視野を持ち、決してサブカルチャーだからと卑下したり、蔑視したりすることをしない。サブカルチャーから「サブ」の二文字をなくさんがためにと思い、日々文芸批評めいたものを書き続けている今日この頃である。
 今回は現代の若者たちにとってなじみのふかい、名の知れているテイルズシリーズの最初の作品をプレイしてみた。私達20代の人よりもう少し上の世代となると、RPGと言えば、ドラクエやFFとなるだろうが、最近の若者、2000年代にティーンエイジャーであった人々にとって、RPGと言えば、もちろんドラクエ、FFも来るには来るが、テイルズシリーズといったほうがなじみがあるようだ。
 ドラクエ、FF,テイルズの比較は何度もしているので、詳しくはそちらを見てほしい。

 私も少なくともメジャーどころのRPGだけは押さえておきたいという思いで日々ゲームをする毎日である。テイルズシリーズも断片的にやっただけのことだから、テイルズファンの人たちから顰蹙を買うかもしれない。
 その後順調に売り上げをあげていったテイルズシリーズの初となった作品、こちらもこころしてプレイした。
なるほど、王道の王道といった感じである。
 テイルズオブファンタジアが発売されたのは1994年。スーパーファミコンのソフトとして発売された。私がプレイしたのはPSPに移植された作品だ。自分が生まれてまもない頃にこんな作品が出来ていたのかと思うと、胸が熱くなる。
 テイルズシリーズはそれまでのドラクエ、FFなどの王道RPGゲームへの批判の目をもって生まれた。ドラクエ、FFが1234とナンバリングされる作品なのに対して、テイルズは最初から一貫して、ナンバリングはせず、それぞれのタイトルをつけると決めている。
 2000年代に入ってからのテイルズ作品は個性豊かで、製作者たちが冒険心あふれた制作をしているのがわかるが、最初となったこの作品は、ひとまず王道を押えておこうという感じが強い。

ストーリーも明解である。
 魔王がいて、それを倒さなければならない。ただ、今までのRPGと比べてやや説得力を持たせるためか、なぜ魔王と戦わなければならないのか、といった点や、魔王がなぜ人間に対して宣戦布告をしているのかといった理由の説明がなされている。
 魔王ダオスは他の星から来た人物で、その星は資源が枯渇していて10億人の民が死に瀕している。それを救うために主人公たちのいる星にやってきて、世界樹ユグドラシルから生まれる「大いなる実り」というものを得ようとしている、そういうストーリーである。
 結局魔王ダオスも自分が守らんとするもののために戦ったわけで、戦いの動機は主人公たちとなんら変わりはない。物語終盤で主人公たち、クレスやミントはダオスの心情を理解し、自分達がしたことが、ダオスの星にいる10億の人々を殺したようなものではないかと後悔する場面がある。今までの、ただ「全世界を支配するのだ、わっはっは」といった、理解不能な魔王像に対して、一種の批判的な魔王像を作り出している点で、王道でありつつも、新鮮味を持たせていると言えるだろう。

―構成要素―
 RPGと言えば古代文明、という一つのパターンがある。薄学狭見にして、何もわからないが、テイルズシリーズには素晴らしい技術を持った古代文明という設定が多用されているように感じる。
 その発端となったのはこの作品のためだったのかもしれない。
 この作品を構成する要素は多く、例えば国の名前や武器の名前が主神オーディンからなる北欧神話に寄っていることがわかる。ほかにもウェルズの『タイムトラベル』から端を発した、タイムワープなど。やや構成要素が多すぎて一つ一つを処理しきれていない感じもしないわけではない。
 この作品では「時空を超えて」ということで、100年前だったり、50年未来だったりにワープして主人公たちが行動するわけなのだが、それによって未来が変わるとか、そういう面はうまくごまかしつつ、処理してしまっているように感じられた。つめこみすぎで、一つ一つを丁寧に扱えなかったような印象は、私には残った。

ヒーロー像、ヒロイン像
 ただやはりどんなに新しい作品を作ろうとしても、時代から逸脱しきれない、時代に集約されてしまう面があると言わざるを得ない。
 例えば、ドラクエで流行った職業などが無く、単純明快でいいのだけれども、クレスは剣士として完全に前衛で、ミントはナースのような装束を着て、主人公を支えるだけという固定観念的なヒーロー像、ヒロイン像を呈しているのは時代の限界を感じる。忍者であるすずという少女が戦う少女として仲間にいるが、それもどこかとってつけたような感じもあり、批判の目を持って作られた作品も、逸脱しきれなかったという感じはある。
 ただそれが、明解さとなって、多くの若者に受け入れられたのだから、ある意味成功だろう。

批判の目
 批判の目としてこの作品が大きな批評力を持ち得ているのはやはり、魔科学の下りだろう。なぜダオスが人間に対して宣戦布告したのか。それは世界を構成するマナと呼ばれるエネルギーを人間とエルフから生まれたハーフエルフが作り出した魔科学とよばれる技術が、大量に消費してしまうからである。マナを自然界にあるエネルギー、石油や石炭、ガスなどの天然資源に置き換えればいい。それを大量に消費してしまう科学と呼ばれる人間が作り出した技術は果たしていいのか、わるいのか、そういう批判がなされている。
 学園闘争、バブル崩壊、世紀末雰囲気と、90年代には日本が抱えて来た問題のしわ寄せが一挙に押し寄せたような時代だったろう。そうしたなかで文明批判の目が大衆娯楽ゲームにまで及んでいるというのは小さなことではないと私は考える。


 今回は作品のおもしろさ、といったものを考えてみた。
 テイルズがなぜそこまでヒットしたのか。また実際に私もプレイしていておもしろいと感じた。それは一体どこから来くるのか。
 幸いこの作品は、メディアミックスがなされ、多くの派生作品がある。その一つであるOVAを取ってみよう。たまたまYouTubeにアップされていたのでURLを添付しておく。
https://www.youtube.com/watch?v=PFNFCVfgMzE
 この作品は2004年から2006年にかけて30分×4話構成になっている。
 ちなみに私は本を読むのも、ゲームをするのも、比較的時間のかかるほうだ。ファンタジアでは、60時間かかった。おそらく細かいことが気にならない人は40時間から、50時間でプレイするのではないかと思われる。どうしても、細部までやりつくそうと思ってしまうタイプなので、どんなに切り捨てて、こなすことを思っていてもこのくらいになってしまう。
 さて、その60時間という時間と、オリジナルビデオ、ちょうど2時間であるから一本の映画と捉えてみよう。この二つを比較してみる。
 戦闘を抜いて、ストーリーのみを追ったとしても、5時間から10時間はかかるだろう。無理なく映像化するならば、12話のドラマくらいにすればちょうどいいのではないかと思われる。それを二時間の映画にまとめてしまうのだから、かなり無理はある。当然映画として成り立たせるために、無理を生じさせないために、かなりの脚色と再構成がなされている。が、それでも、プレイしたことのない人が見れば、なんなのかさっぱりわからない映画になっていることだろう(一端ゲームをしてから見てしまうと、自分の内部で物語を補完してしまって、真っ白な眼では見られない)。

 「おもしろさ」というもののなかの一つの要素として、どれだけ入り込めるかというのがあるのではないかと考えた。二時間の映画では、ただストーリーを追うということを向こうから提示されるだけ、それを時間内に享受しなければならず、作業をしているような感覚になる。これだとこちらから入る混む余地はない。
 ゲームは本を読むのと同じで、こちらがプレイしなければ進まない。こちらが動かなければ物語も動かないのである。この差は大きい。ゲームやアニメや、漫画やその他もろもろの媒体を考える時、こちらが働きかけなければ発生しない媒体と、こちらが働きかけなくてもある程度独立して物語が進展していく媒体とに大きくわけることができるのではないかと思う。この基準を使用すれば、ゲームや小説は同じ媒体であり、漫画は中間にあり、対極には映画やアニメなどがあると言うことができる。

 ただ、こちらが働きかけなければ相手も動かないというのはやっかいなことでもある。RPGゲームをしていて、どうして他の連中は何もしないんだと不思議に思うことが多々ある。それは媒体の問題なのかもしれない。主人公たちが動かなければ、作品内の人物たちは動けない。
 OVAを見ていて思ったのは、他の登場人物たちが主体的に動いているということだ。OVAではミッドガルズとダオス軍との戦いがメインに置かれて描かれているが、そのなかでもミッドガルズの騎士団長であったライゼンの描き方が上手い。あれだけの事故を自分の判断で起こしてしまう。彼はゲームではパーティにはいらないので、まったく過去も未来もわからないし、話しかけても同じことしかしゃべれない。それに対してOVAでは作品内の世界を生きる人物として、実に生き生きと、人間らしく(ハーフエルフらしく?)活躍している。そこでやはり作品に奥行きを感じるわけで、これが媒体の差であると感じた。良くも悪くもである。
 ゲームは入り込みやすい、共感しやすい。ただ、周りが動かないから、そうしたつまらなさはある。反対に動画は提示されるだけでわからなくても過ぎ去ってしまう。それに対して主人公以外の人物の視点も確保できる。
 1つの作品をさまざまな角度から見る。構成しなおす。同じ作品を異なった媒体で扱うということがどういうことか、少しはわかった気がした。
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最期に残るもの  「いま」のみを生きるひとたち

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 私はとあるデイホームサービスに一週間実習をさせていただいていた。

 私はまだ大学生で、若い。おじいちゃんっ子なので、おじいちゃんと話をする機会はたくさんあったが、関係のない高齢者の方々とお話をしたり、かかわったりする機会というのは生まれてこのかたほとんどなかった。
 私は普段から人と話すのが好きで、いろいろな人と話をするのが好きだ。そのため、他の学生よりかは、比較的普遍的な話題の引き出しを持っているつもりではいた。なかなか誰でもが会話に参加できる話題というのは、日常生活のなかでは発見できないものだ。どうしても似通った趣味趣向、あるいは年代の人達でしか集まらないと、その年代では常識となっていることでも、他の世代の人達とは話せないということも多々ある。
 ただ、まったく見ず知らずの高齢な方たちと接するのは初めてで、私も緊張しながら関係を築いていこうとした。

 高齢な方々(80代ぐらいとイメージしてもらいたい)と接しているなかで、どうしても私のなかに生まれて、誰かと共有したいと思うある感想が湧いた。
 それが「最期に残るもの」だ。
 私もまだこの「最期に残るもの」が何なのかは上手く説明ができない。言葉をあまり知らないし、持っている言葉も上手く使えない私にとっては、こういうなんとなく心のなかにあるんだけど、知っている言葉と合致しないものというのはひどく説明にてこずる。
 「最期に残るもの」とは何かとお思いの方もいるだろうから先に話をすすめる。私が接した高齢者の方々は、一見すると受け答えもきちんとしているし、会話もできるので全く一般のひとのように思われるが、よく話してみると、つい先ほどの出来事を忘れていてしまったりしている、認知症の初期症状にある人達が多かった。
 「さっきのご飯おいしかったですね」と聞いても、何を食べたのかが思い出せない。もちろん昨日のこともわからないし、明日のこともわからない。
 副題として〈「今」のみを生きる人々〉と書いたのはそのためである。
 認知症。
 私の祖父も認知症で、最期はなんどもなんども同じことを繰り返し聞いていたのを思い出す。しかし、その時分はまだ認知症のことについてもよくわからなかったし、何よりも子供だった。
 今、少しは考えることができる状況で認知症の人々のことを見ていると様々なことを思い、感じる。
認知症は我々が普段持っている「時間」の概念をうばってしまう。
 よく自分とは何か、ということを考えるとき、時間が重要になってくることがある。私にはこんな過去があって、あんなことをして、あの時こういうことを決めて、そうして生きている。明日にはあれをしようと思っていて、いずれはあれに向かって活動する。そう、実は私達の生活や生は、すべて時間軸の概念の上になりたっているのだ。
 今までの自分がいて、これからの自分がいる。過去の自分、未来の自分がいて、初めて「今」の自分ができてくる。例えば未来の自分のことをあまり考えない人は、享楽的な生に走ったりする。過去のことばかりに囚われている人もまた、「今」を謳歌しきれない。

 さて、そこで認知症はどうかというと、この過去と未来を奪ってしまう。昨日は何をして、さっきは何をして、ということが覚えられない、あるいは忘れてしまっている。これからあれをしよう、明日はあれをしようと、その時思っても、それを覚えていることができない、あるいは忘れてしまっている。
 そうすると、我々時間軸のうえに生きている人間には考えられないことではあるが、時間軸の無い「今」のみの生を送ることになる。
 我々は、今たとえ辛い状態にあったとしても、それは例えば自分の夢をかなえるために必要な過程だからという過去、現在、未来の時間軸の概念があるから、それを成し遂げることができる。しかし、その未来も過去もなければ、今つらい状況にあるというのは、単純に今つらい状況にいる、ということだけを意味するようになる。一体これがどういうことなのか、私もまだわからないが、しかしそれがわかるようになるころには、わかった内容も忘れてしまうし、覚えられないのである・・・。


 話しを進めよう。過去も未来もない「今」しかない時間。これはひどくおそろしいことではないだろうか。
 よく映画にはこんなオープニングや展開がある。突然自分の知らない場所や施設にいる。こんなのは映画の手法としてはもはやチープなものかもしれない。だが、もし、彼等がこういう感覚であったとしたら・・・。
 認知症の人は突然怒ったり、突然いなくなったり、突然何か不思議なことをする、とよく言われる。私もそう考えて来た。だが実際に会って、話して、彼等が「いま」のみを生きているのだということに気が付くと、確かに私達には一見すると「突然」なのかもしれないが、彼等にとっては理由があって行っていることなのだということがわかる。
 前後のことがよくわからないので、一体どうして今自分がここにいるのかわからない。よくわからないけれども、いまここにこうして、介護施設で他の老人たちと一緒にいる。なぜ自分がここにいるのかはわからない。周りには知ったような知らないような顔があるし、今やっていることも、いままでやってきたことのようなやってこなかったような気のすることだ。そんななか、職員の人たちが他の人たちと何かをしている。周りで何かをしているのだけれども、自分は何をしたらいいのかよくわからない。
 そういう状況の中で不安にならない方が不思議だ。彼等はおそらく不安なのではないかと私は感じた。よくわからない。不安である。自分がひどく小さな存在に感じられる。何をしたらいいかわからない。怒る、あるいはどこだかわからないが自分の家に帰ろうとするのは当たり前のことなのではないか。

 過去も未来もない「いま」のみの時間
 その時に現れるのは「最後に残ったもの」なのだ。
 前後の出来事がわからないと、そこで出てくるのは素の自分、その人の本性のようなものではないか。私はそういうふうに感じる。
 例えばある人はいつも不機嫌で、文句ばかりを言っている。前後の記憶がないのだから、この人は職員の人で、この人の前ではこんな態度を取ってはいけない、こういう態度を取るべきだという「理性」とでも言われるようなものが働かない。過去にこういうやりとりをしてきて、この人とはこういう関係だから、こういう態度を取ろうということができない。昔ケンカして以来ずっと仲が悪い、そんなことが起こり得ない。ケンカをしてもそのしたことを忘れてしまうし、どんなになにかで意気投合したとしても、それをしたことも忘れてしまう。
 人との関係を数値に置き換えられるとしたら、私たちはあの時に3の出来事があった、毎日1のできごとがある、あの時には-2のことがあった、といったようにして人間関係が出来ていくのに対して、彼等は毎日0からスタートなのである。

 今目の前にいるこの人が自分とどういう関係の人かわからない。ここ数週間お世話になっている人であれば、自然と今日もお願いね、ということはない。どんなに前日その人に悪いことをしてしまっていたとしても、今日は初めて会う人だ。
そういう常に「いま」が更新し続けられる世界において、その人の本性のようなものが表れてくる。
 そんななかで、よくわかっていないなりにも、いつもニコニコしている人もいる。何をするにつけても、ありがとうありがとうと感謝ばかりしている人もいるし、すいませんねすいませんねと過ち続けている人もいる。いやだいやだと言い続けている人もいる。そういう言動を繰り返さなくても、基本的な姿勢はかわらない。いつも腰が低くて、丁寧な人もいる。誰に対しても、ああそうですか、いやあすごいですね、といった調子の人もいる。いつもいばりちらしていて、自分の気に入らないことがあると怒る人もいる。
 最期に残るもの
 それは今までその人がどのように生きて、どのように自分自身を創り上げていったのか。それがおそろしく表に出てしまう世界である。
 いつもいばりちらしている人がいれば、ああこの人はそういう生き方をして、最期にそうした本性のようなものが残ってしまったのだなと思う。本人はそういう態度をしつづけていることによって、周りから煙たがられるということもわからないし、覚えていられない。余計に周囲の態度は冷たくなり、一層機嫌は悪くなる。
 いつもニコニコしている人がいれば、ああこの人はそういう生き方をして、最期にそうした本性のようなものが残ったのだなと思う。本人はよくわからないなりにもニコニコしていて、そのためにそういう人にいろんな人が優しく接する。


 この「最期に残るもの」を目の当たりにして、私は考えさせられた。私のことを知っている人はよくわかるだろうと思うが、理屈っぽくていつも批判をしているような人間であるところの私は、きっと認知症になり、前後不覚に陥った時に、いつも仏頂面をしてイライラしている老人になっていることだろう。
 そんなのは嫌だと思った。そんなのは嫌だと思ったら、それまでになんとかこのなかなか変えづらいところの自分の本性、性格のようなものを変えていかなければならない。前後の記憶を覚えられずに、忘れてしまう状況になった時には、そうした意思さえも働かないのだから。

アニメーション映画 『BUDDHA2 手塚治虫のブッダ―終わりなき旅』 感想とレビュー

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―はじめに―
 手塚治虫の漫画『ブッダ』をアニメーション化するというプロジェクトによって始まったアニメーション映画『BUDDHA』。1は劇場で見たものの、2は忙しい時期だったのか見逃してしまった。
 また一作目ほど広告に力を入れていないというか、一作目があまり収益が上がらなかったのだろうと私は勝手に予想しているのだが。二作目は1時間25分と上映時間も短く、映画というよりはOVAとして作りあがった感じがあった。

―ブッダのはいりにくさ―
 またそもそもブッダということ自体が難しいのかもしれない。素人が見るにはあまりにも難易度が高すぎるかもしれない。ブッダというだけで、仏教、宗教、なんだかわからない、ということになりそうだ。日本はとかくあやまった無宗教観を多くの人が持っているので宗教がかかわってくるだけで忌避してしまう傾向がある、ように私には感じられる。
 私は幼少時代をイスラム文化圏で暮らし、中学高校はミッション系の学校でキリスト教を学び、大学は仏教の大学に行っているので、まだ20と少ししか生きてはいないが、その人生の半分以上を宗教と何らかの関わりをもって生きて来た。私は一応仏教徒ではあるが、他の宗教も神を信じてはいないとしても、かなり理解をもっていると思う。
 例えばこういう異色の宗教観を持っているような人でなければ、なかなか今日は休日だからブッダでも観に行こうか、なんていうことにはならないだろう。カップルで観に行く映画でもないし、描かれているのは生きることや死ぬことなのだから、よほど哲学的な人しか見に行かないだろう。残念なことに大衆的にはなりづらいというわけだ、それをいいか悪いか判断するのは別のこととして。

 さて、仏教大学に通う私としては、一応ブッダのことを一通りは知っておかなければという気持ちはある。で、この映画『BUDDHA』であるが、ブッダを知るのに適した教材なのか。仏教の先生が言っていたが、手塚治虫の漫画自体はかなりよく取材していて、そんなに誤ったことが書いてあることはない、そうだ。ただ、私は不勉強にも、手塚治虫の漫画も読んでいないので、漫画版と映画版とでどれほどの違いがあるのかわからない。素人目にはブッダ入門としてはいいテキストなのではないかなと勝手に思っている。

―西洋式と東洋式―
 この映画で描かれることはやはり〈つながり〉や〈全体性〉という言葉で表されるようなもの。
 西洋の思考様式はものごとを分別して細かく見ていく見方である。これはこれでかなり人間の科学的な側面に大きな功績を残したし、否定されるものではない。ただ、すべてがすべてこういう西洋式の思考様式で考えられるとそこにはやはり無理が生じてくる。
 例えば人間ってなんだろう、という問いを立てた時。西洋式の考えでは、どんどん細かく考えて行ってしまう。脳だ、臓器だ、と人間の本質のようなものを探し始めるかもしれない。悪くすると、そうした臓器を構成している細胞、細胞を構成しているなんたら、しまいにはDNA(DNAを全て解析してやろうというヒトゲノム計画とやらがあった、これなんかまさしく西洋式の思考様式のいい例である)。しかしいかにDNAを解析してみせたところで、人間というものがわかったかというと、そうではないのだ。
 山を考えるとき。山を構成している塵や石ころを考えてもしょうがない。あまりにもそれは視点が近すぎる。山を見るときはそれなりの距離を保たなければならない。少なくとも山に入ってしまっていてはヤマハ見れないだろう。
かなり乱暴な言説だが、西洋式の思考様式がそのように細かくいくのに対して、インドなど東洋の思考様式はものごとの全体を捉える。
 西洋であれば、例えば胃が悪くなったとしよう。そしたら胃を手術で治す。ところが東洋の考えでは、胃が悪いということはどこか他から原因が来ているのだ、と考え、他のところと一緒になおしていく。確かに西洋医学は大きく人類に貢献したし、東洋の医学はどこか科学的でなく、わかりにくい。ただ、西洋医学ばかりの現代においては、病気になったら治す、といった身体を機械的に考える思考様式だけでなく、全体を見ながらゆるやかに治療していくといった東洋的な考え方も必要になってくるのだ。

―終わりに―
 日本は今から約百年と少し前。欧米列強に負けじと西洋の思考様式を取り入れた。今我々は西洋的な物の考え方を身に付けて生きているわけである。が、やはりそこには限界がある。ものを分解して、機械的に考える。自分は社会の歯車であり、代替可能な存在であると考える。そうするとなぜ生きるのかといった問題に対して非常にシビアな答えしか出てこない。そのために命を粗末にしたり、人間が人間的でなくなってくるということが多々起きる。
 それに対する一種のアンチテーゼとして、東洋的な思考は今の我々にこそ必要なのではないかと私は考える。
 この映画ではことあるごとに、命は他の命との関係性のうえで成り立っていることが説かれる。都会に暮らし、ビルに囲まれて他の生き物を目の当たりにすることのない生活をしていると、ついつい人間というものは自分一人で生きていると思いがちだが、実は多くの命のうえになりたっているのだ。そうして自分の命もまた、多くの人の命と密接に結びついている。
我々はそれを忘れてはいけないのだろうということをこの映画を観て考えさせられた。

石巻のボランティアに参加して ~当たり前が当たり前でなくなるとき~

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 7月の22日から26日にかけて、石巻のほうにボランティアに行ってきました。その感想がやっと、これだけの期間を開けて少しは書けるようになったので、雑多な文章ですが、今の気持ちを素直に書きました。
 ボランティアチームに提出した簡潔な感想文にさらに書きたいことを付け足したひどい文章です。


 今回私は高校生のボランティアに大学生として参加させていただいた。女子高生にまぎれて異質な存在だったと思う。私はかねてより中高の恩師が被災地にボランティアに行っているのをFacebookを見て知っていた。3・11の日、私はちょうど高校を卒業してから数日のことだった。まだ知らぬ大学は一月以上休学となり、まさしく私はなにものにも属さないちゅうぶらりんのなか、震災後の不安な3月、4月を過ごしたのである。
 高校生でもなく、大学生でもない、何者でもない時期に震災を受けたということは私にとって大きな意味を持つようになった。高校生や大学生であれば学校側の指示を受けていればいい。が、何者にも属さない私は誰からもああしろこうしろという指示を受けなかった。高校生として、大学生として震災に向き合うのではなく、一人の人間として震災と向き合わざるを得なかった。
 帰属するもののない人間として震災と向き合うことは予想以上に困難だった。私が震災後初めて被災地に行けるようになるまで三年以上の月日が必要だった。
 何とかしなければならない、被災地の状況を見ておかなければならないと思っていたもの、何をしたらいいのか、どう動けばいいのか、まったくわからなかった。そんななか佐藤先生の活動を知って、これも何かのめぐり合わせだと思いボランティアに参加させていただいた。

 被災地の方には大変失礼だと思うが、私は被災地に入った一日目、なんだそんなに目を覆うような姿ではない、復興してきているんだと、極めて楽観的な視点でその場その場を見てしまった。まだガレキも撤去されていない、そんな場所だろうと思っていたからである。しかし後になるにつれて、その認識がいかに誤ったものであったかがわかってくる。
 ガレキは無い。一見するとどこにでもあるのんびりとした田舎の風景である。田んぼが海風にそよいでいい心持ちだ。だが、今草花が生い茂っている場所は、かつては住宅街、商店街だったのだということを知ると、自分は一体何を考えていたのかということが恥ずかしくなる。
 被災地は一見するともう被災地には見えない。素人の私が何も知らないで行けば、もうそこは被災地であると認識することさえできないのである。ガレキはなく、かつて人が営んでいたところは草木でおおわれてしまっている。津波の恐ろしさとはこういうことなのかと私は感じた。たった三年で、素人が見ると被災したともわからないくらいになってしまう。東京で、あるいは被災しなかった他の土地で言われる「風化」と、被災地で使用する〈風化〉という言葉には、言葉では言い表せないほどの感覚の違い、言葉の違いがあるということに気が付いた。

 今回のボランティアでは夏休みということもあり、現地の子供たちと遊ぶ機会を多くいただいたのだが、子供たちも同じことである。一見すると東京の子供たちよりも元気がよく、被災した「可哀想な」子たちという視点で行くと何も見えてこない。ああ、なんだこの子たちは普通の、いや都会以上に元気な子供たちだ、と安心する。すると、そこでまた自分の認識の甘さを感じさせられることが起こる。例えば子供たちから「お兄ちゃんはどこから来たの」と言われると、はっとする。
 そうだ、私は確かに今この瞬間子供たちと楽しく遊んでいたが、しかし私が住んでいるところはここ石巻ではなく、東京なのだ。私は飽くまでも東京からボランティアに来たお兄さんでしかない。
 被災地の子供たちと遊ぶ前に、何度も生徒を連れてボランティアを行っている先生や、他の大人たちから次のようなことを聞いた。例えばあるボランティアは「お姉ちゃんのまたねは信じていいの?」といった言葉を投げかけられたそうだ。他にもそのような言葉でなくとも、ボランティアの人達は一度来たきりで戻ってこない。そのことに子供たちも気が付いているから子供たちが暴力的になるのだそうだ。
 何故かというと日常生活で被災地の子供たちは仮設住宅のなか、非常に抑圧された生活をしている。今回仮設住宅を見に行くことができたのだが、本当に粗末な、江戸時代のあばら家のようなものに感覚としては捉えられた。マンションや団地といったレベルではない。ちょっと「トン」と足音を立てただけで大人たちから子供は叱られるのだ。人間にはある程度の距離が必要である。それがあまりに近すぎて、閉じ込められているとだんだん人間がおかしくなる。何日間も食べ物、飲み物がなかった後、食料が運ばれた時、大人は我先にとぞっとするような行動をとったと聞いた。それをみていた子供たちは当然ショックを受ける。そしてそのようなことを大人たちがやっているのだからと自分達も真似をしたり、あるいは大人たちからの一方的なストレスの解消にどなられたりといった環境の中で、どんどん抑圧されていく。
 そこに一回限りのボランティアがくる。ボランティアの人たちは自分たちの生活は安定した人達だから彼等からしたらまともな大人なのである。その時にようやく子供たちは「まとも」に戻ることができ、安心するのだそうだ。そして抑圧された分、ボランティアに来てくれた人たちと「本気」でその時その時一瞬を遊びつくすために、暴力的になる。
 一見すると、子供たちはとても元気なのだ。それこそ東京の子供たちよりもずっと。しかしそれは何故か?という背景にまで立ち入らなければならない。それを見ずして表面だけをなめてくると、ああ、もう被災地は「復興」しているな、と勘違いすることになる。
 そうした背景というのは、私は日常生活のなかではまったく見えてこなかった。あまりにも新しい情報や知識が多すぎておどろいた。ニュースは見ている。が、ニュースではそのような背景は語られない。もし語っていたとしても、自分のことと思ってみていないから、ふーんそうなのかで流れてしまう。しかも、ただ被災地に行っただけでは決して気づき得なかったことである。この三年間断続的に行っている先生や、三年間その先生と一緒に活動をしている現地の人達の言葉がなければ気が付けなかった。なんと了見の狭い世界で生きて来たことか、また被災地をそのような限られた視点でしか見れてこられなかったことか、つくづくと考えさせられた。

 私はボランティアから帰ってきて、しばらく自分は一体何をしてきたのか、この体験を通じて私は何をしたのか、ということを悶々と思い悩んだ。
 今、私達都会に住む人間が「ボランティア」で思い浮かぶようなことはもう必要とされていない。例えばガレキ撤去。私はこれをするものだとばかり思って行った。そんなものの必要はもうほとんどないのだ。この三年間で大勢の方がもうそれをしてくださった。今必要なのは、もっと長期的によりそった形のボランティアなのではないか、私はそのように感じられた。
子供たちと遊んで確かに楽しかった。子供たちも楽しんでくれただろう。だが、私はこのボランティアを通じて子供たちを傷つけてしまったのではないか?と悩み続けた。
 子供たちと遊んだ時間が楽しければ楽しいほど、私はすぐに現地にまた戻ることができるような状況ではない(体力的にも、金銭的にも、時期的にも、他様々な理由をつけたがる精神状況についても)。もしつぎまた行くとしても、今年の冬か来年の春かに、また一週間程度であろう。しかし今被災地の人たちが必要としているのは、そんな一週間程度で来て、すぐ帰ってしまうというようなボランティアではないのだ。
 もっとその地に住んで、住民として関係を築き、買い物の手伝いをするとか、子供たちの相手をするとか、そういう段階に移ってきているのである(と私には感じられた)。
 私は一週間でやっていってしまう、そして二度と来ないボランティアのお兄さんの1人として、また子供たちを傷つけてしまったのではないか?そしてそれは、私の被災地を見ておかなければならないという、自分一人の勝手なエゴから生まれた行動だ。
 私はまた自分のエゴによって他人を、しかも一般の他人ならまだしも、被災地のさらに子供を!傷つけたのではないか?と自問した。

 夏休みに大学の先生と話す機会があったので、私は自分の先生として、教員の先輩として、人生の先輩として、このことを打ち明けてみた。その時の言葉が今も胸に刻まれている。
 文学の先生なので、流石に引用してくる言葉が違う。
 広津和郎『散文精神』より
  「みだりに悲観もせず、楽観もせず」
 この言葉を引用しつつ、「子供たちのたくましさを過小評価してはいけない」と活を入れられた。教職に関わるものは、過小評価も過大評価もしていけないと。「ああ、こんなに自分は駄目なんだ」というのは、それでもまだ自分に甘えている、傲慢だからなせる技だと指摘された。
 確かに私は自分のエゴで子供たちを傷つけてしまった、と思い込むことによって思考を停止しようとしていた傲慢な人間だったようだ。

 ボランティアに行って、それを否定するのは私を遊んだ、私とかかわった人達を否定することだ。ボランティアに行ったことは行ったのだ。過去は変えられない。それを肯定しすぎるのもまたいけない。ああよかった、満足だというのは傲慢である。が、それを否定するのも傲慢である。
 もし私の代わりに他のボランティアの人が行ったとしても、ボランティアがありつづけるということは変わらない。もし私が行ったとしても、他の子供たちと遊ぶことになったかもしれない。私がたまたまそこに行って、そこの子供たちと出会えたこと。その縁、「えにし」を大切にしなさいと、その先生から言葉を頂いた。
 私はここでようやく霧が晴れたように感じられた。私がボランティアに行き、そして現地の子供たち、あの子たちと会えたことは紛れもない事実なのだ。それはもうどうしようもない、変えることのない事実なのだ。だったらば、それを大切に、そこで巡り合えたことを大切にしなければいけない。


 私は幸いにもこのボランティアの少し前まで、母校で教育実習を行わせていただいていた。中学三年生に『黒い雨』の授業をさせていただいた。その授業を通じて私は、70年も前の戦争をいかに自分達と結びつけて考えられるかということをテーマにしていた。この震災も同じことだと私は思う。つまり、いかに自分の問題として考えられるか、ということではないかと。
 折しもこの感想を書いている時期、原爆投下や終戦記念日に重なった。テレビの中から流れてきて心打たれた一つの言葉がある。それは「戦争の話を聞いたなら、その話
 を物語として後世に伝えるのではなくて、その話を聞いた時にどのような心情になったのかという、自分の気持ちを伝えるようにしなければならない」といった主旨であった。
 はっきり言ってまだ気持ちの整理がついていないし、感じたことももやもやしていて上手く言葉にできない状況である。だが、私にできることはあるはずだ。私は東京にいた。地震は確かに感じだが、津波や原発といった意味では被災していない。被災地の話を物語、ストーリーとして他の人にも伝えるのは私の役割ではない。私はその被災した方々のストーリーを聞いた時にどのように感じたのか、それをこれから東京に、あるいはこの震災を自分の身近に感じることなく過ごしている人たちに伝えていかなければならないと思った。
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