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映画『坊つちゃん』試論 感想とレビュー 原作との比較を通じて

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-初めに-
 夏目漱石の『坊ちゃん』といえば、日本じんならだれでも知っている名作中の名作でしょう。今回は、1977年に映画化された『坊つちゃん』を比較対象として、そこに描かれるもの、そこから浮かび上がるものを考えて行きたいと思います。
 流石に名作中の名作とあり、いくつも映画化されてきたようです。映画だけを追いかけても、ひとつの素晴らしい論文が書けるでしょうが、あいにく私は1977年のものしかみていません。
ウィキペディアから引用します。
  ・『坊つちゃん』(1935年 監督山本嘉次郎 坊っちゃん:宇留木浩、マドンナ:夏目初子、清:英百合子、山  嵐:丸山定夫、赤シャツ:森野鍛冶哉、野だいこ:東屋三郎、うらなり:藤原釜足、狸:徳川夢声)
  ・『坊っちゃん』(1953年 監督丸山誠治 坊っちゃん:池部良、マドンナ:岡田茉莉子、清:浦辺粂子、山   嵐:小沢栄、赤シャツ:森繁久弥、野だいこ:多々良純、うらなり:瀬良明、狸:小堀誠)
  ・『坊っちゃん』(1958年 監督番匠義彰 坊っちゃん:南原伸二、マドンナ:有馬稲子、清:英百合子、山   嵐:伊藤雄之助、赤シャツ:トニー谷、野だいこ:三井弘次、うらなり:大泉滉、狸:伴淳三郎)
  ・『坊っちゃん』(1966年 監督市村泰一 坊っちゃん:坂本九、マドンナ:加賀まりこ、山嵐:三波伸介、赤  シャツ:牟田悌三、野だいこ:藤村有弘、うらなり:大村崑、狸:古賀政男、小使:三木のり平、その他:桜  むつ子)
  ・『坊っちゃん』(1977年 監督前田陽一 坊っちゃん:中村雅俊、マドンナ:松坂慶子、清:荒木道子、山   嵐:地井武男、赤シャツ:米倉斉加年、野だいこ:湯原昌幸、うらなり:岡本信人、狸:大滝秀治、小夜:五  十嵐めぐみ、〆香:宇都宮雅代、小使:今福将雄)

 こうしてみると、これだけでもひとつの映画史を見ているような感じを抱きます。やはり誰もが知っている作品というのは、それだけ見る者の眼が厳しくなります。ましてや『坊つちゃん』のような万人が知っている作品であれば、それを映画化するというだけでもかなり厳しい眼に晒されなければならないので、自然監督も本気になる、役者も本気になるのでしょう。

-原作との違い 前半-
 1977年の映画では、坊ちゃんを中村雅俊が、マドンナを松坂慶子が演じます。70年代、80年代の映画の大スターです。この二人の組み合わせを見ると、1982年に公開された『蒲田行進曲』を思い出します。中村雅俊は出演こそしていないものの、劇中で「恋人も濡れる街角」が流れます。中村雅俊と松坂慶子の間に何かしらの縁があったのではないかと思わせませんかね。
 映画版では、原作よりもはやく人間関係の対立というものを表面化させてわかりやすくしています。山嵐役を若い頃の地井武男が演じていて非常に精悍な面持ちです。その山嵐とは、原作では最初はなかなかいいやつかなと一度思い、そこから赤シャツの策略によって悪いやつだと信じ込み、またいいやつだと思うというサンドイッチ構造になっていますが、映画では、最初のパンが省略されています。赤シャツにだまされるまでもなく、最初から坊ちゃんと山嵐は対立関係にあるのです。
 原作が一人語りではじまるために、映画ではどこから映像化するのか気になりましたが、松山中学校へ向かう、汽車、舟、人力車の順で移動手段から描き始めています。そのなかで、なぜか舟に山嵐が同乗していて、最初から戦い始めるという「無鉄砲」振りが余計に強調されています。

 原作では、徹頭徹尾西洋風のものは排除されています。それは、坊ちゃんという語り手が、西洋風な女性であるマドンナを認めず、赤シャツを認めず、封建的な昔の日本を懐古しているからです。赤シャツ襲撃時には、袂(たもと)から卵を投げつけるという描写がありますから、坊ちゃんが基本的に和服を着ていたということがわかりますが、映画では、山嵐は和服ですが、坊ちゃんは洋服を着ています。
 しかも、学校の職員はかなりの人間が洋服を着ていて、原作では坊ちゃんの語りによって隠されていた西洋化が表出してきていると感じました。

 山嵐との対立構造が最初からできてしまうと、下宿を斡旋する役が山嵐ではおかしいことになります。原作では下宿を点々とするのもひとつの作品の魅力、(宿を一定の場所で落ち着けることができない放浪者としての側面が描かれているのだと私は思っていますが)が描かれません。宿の次に入る下宿は映画が終わるまでかわりません。なぜか質屋の空いている部屋に下宿することになりますが、そこへ斡旋してくれたのはうらなり君です。うらなり君の役は、最近何故か雑草を食べる変な役回りをさせられている岡本 信人が演じています。

-表出する女性像-
 作品前半はそこまでといって原作との差異は開きませんが、徐々に徐々に描こうとしている内容が原作とはことなるということが浮かび上がってきます。
 原作ではマドンナはほとんど登場しませんでした。少なくとも坊ちゃんとマドンナには会話をするような関係はなかったと思われます。一度赤シャツと歩いているマドンナと遭遇こそしますが、マドンナと坊ちゃんは面識はないと思われていました。ところが、映画ではマドンナがかなり現出してきています。マドンナと坊ちゃんとの関係がここでは描かれるのです。
 原作では影を潜めていたマドンナの存在は、映画では松坂慶子を配し、かなり重要な役として登場します。ここから原作の価値観とは異なった価値観が浮かび上がってきます。原作ではうらなり君のような素朴で素直な男は君子であるとして一方的に尊敬、賛美される対象でした。原作では坊ちゃんや山嵐、うらなり君のような人間的に素朴で、どちらかというと表裏のない人間こそが良いという価値観が前提となっていましたが、映画では異なります。
 うらなり君は決して手放しですばらしい人間だとは描かれません。うらなり君をすばらしいと思っているのは坊ちゃんや山嵐に限られ、本当にうらなり君がすばらしい男なのかということは、映像という客観的な資料によって観客に判断基準が移ります。今までは坊ちゃんの語りによって坊ちゃんの価値観が全てであったのが、映像化されることによって価値判断をするのは観客になったということです。
 うらなり君が善人であるという事は相対化され必ずしも良い人間とは限らなくなります。その結果一方的に悪だと判断されていたマドンナもまた相対化され、本当に悪なのかというと謎になるのです。
 映画では、マドンナをはじめとして、女性が数多く登場します。この点は、原作では清の存在によって隠されていた女性たちだと私は思います。原作では、松山に赴任している際に何故女性が全然表出してこないのかということが謎になります。いい年の男性であれば、生理的な現象として女性を求めるはずです。ところが、坊ちゃんには女性が全然出てこない。清との関係は、原作では二編も三編も変転します。作品最後に至っては清は下女ではなく、自分の妻であるとまで錯覚するのです。原作においては清の存在は、坊ちゃんの妻という存在にまで高められます。しかし、映像により客体化されると、そういうわけにもいきません。坊ちゃんのこころは清に向かっていたとしても、坊ちゃんの回りに女性がいないとは限らないからです。
 山嵐は学校を停学にされた生徒の姉、芸者と並々ならぬ関係があります。また、下宿先の物知りなばあさんの代わりには、うら若い下宿先の娘の存在が現れ、都会から来た坊ちゃんに対して恋愛感情を抱いているような側面が描写されます。そして何といってもマドンナの登場ということで、全体的に女性との関係が強く描かれているように変化しています。


-新しい女-
 うらなり君、マドンナの存在が相対化されると、もう一人相対化される人物がいます。それが赤シャツです。原作ではよっぽど極悪な人間として描かれていた赤シャツ。映画でも確かに悪役として登場しますが、しかし、どこか恰好よく、知的で西洋化された洗練された人間として登場します。
 冒頭でこそ演じ方が誇張されているので、どこか鼻にかけたような人物だなと思いますが、うらなり君がけっして完全に良い人ではないということが描かれるにしたがって、赤シャツも必ずしも悪人ではないように思えてきます。うらなり君が親の取り決めによって動く、慣習にしばられた人物として描かれるのに対して、マドンナと赤シャツはその反対、自分で自分を律して動く人物として描かれます。原作ではぼっちゃんが前者の側の人間だったので、マドンナや赤シャツは義理や人情を守らない非道な人間として映ったのです。しかし、赤シャツは確かに西洋かぶれかも知れませんが、ある意味では自分の欲望に従っていてその点では実に素直な人間かもしれません。赤シャツに感化されることによって、マドンナは一人の新い女性として生まれることができるのです。
 マドンナはその生まれ持った美貌をして、一人の自立した女性でありたいと望むようになります。彼女は男性の支配下にみすみす収まることを容易としないのです。そのため、うらなり君が親の決めた結婚だからと言い寄るのに対して、赤シャツは一人の対等な人間として交際を求めます。西洋化された赤シャツとの交際によって、マドンナは徐々に新しい女性に変革していくのです。彼女は最後に東京へ出て仕事を持つと言って坊ちゃんと同じ頃に東京へ向かいます。
 最後は赤シャツがマドンナに振られるという原作にはない描写があるのですが、しかし、赤シャツの振られ方はどこかみじめさというよりも恰好よさが目立つような描かれ方をしていると私は思います。

-終わりに-
 作品の別の部分では松山中学校と、師範学校との対決といったいかにも映画にうってつけの戦いが描かれます。個人的にはこれはちょっと余計かなとも思いましたが、やはり必要なものでしょう。松山中学の学生はバッタを入れたりと卑怯な学生たちというひとくくりで規定されていますが、映画では師範学校と最終的に決着をつけるということになり、100人規模の大乱闘にまで発展します。ここでもやはり、坊ちゃんの独善的な判断から解放されるような動きがあるということがこの映画のメーンになっているのではないでしょうか。
 こうした点を考えると、原作とは真っ向から対立するような、相対化するテクストになっているのではないかと私は感じます。もちろん原作と映画とは作品が異なりますから別のものだと考えるほうがいいですが、原作が坊ちゃん視点で描かれたのに対して、映画では坊ちゃんの回りから坊ちゃんを描いたといった、視点の変革が為されていると感じます。坊ちゃんの善悪が必ずしも正しいとは限らないということが大きな差異だと思います。
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筒井康隆『文学部唯野教授』 感想とレビュー 文学部生だけに限らず、本を読む人には必読の書として

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-はじめに-
 筒井康隆と言えば、もはや伝説とまでに化すような文学界の巨匠です。筒井文学を語る際には、これは外せないだろうという作品はほかに多々ありますが、今回は筒井文学の得意技、メタフィクションの構造を存分に使用した『文学部唯野教授』を取り上げたいと思います。
 筒井康隆は、1934年生まれですから、もう御年80歳近く。まさいく、生きる文学史的な人物ですが、意外と文壇と呼ばれるようなものからは一線を画した人物です。高校国語の教科書に収録されることになった『無人警察』の癲癇を巡る問題を契機に、断筆宣言をし、以前まで交友のあった文壇上の作家たちから非難を浴びたために、文壇とは異なる独自の路線を歩んでいる、孤高の文人といった感じがします。癲癇を巡る表現の問題は私自身、何かしら一つの言葉を差別だとするのは、文脈を重視するという点からも論理的に意味のないことだと思っているので、筒井氏側なのですが、今さら再びこの問題を蒸し返すのもなんですから口をつぐんでおきましょう。

-ブラックユーモアの作品-
 私は筒井康隆の作品をあまり読んでいないので確たることは言えないのですが、筒井文学の特徴は、夢と現実の境界線のあやふやさや、あるいはSF的な前提条件、またメタフィクション的な構造などがあげられるでしょう。
学科がら、「国文学 解釈と鑑賞」という業界紙をできるだけチェックしているのですが、筒井康隆のことを調べた際に、平成23年9月号で筒井康隆特集をやっていたことを発見しました。ここでは、現在活躍する国文学科などの教授たちが独自の筒井論を展開しているのですが、そうした筒井研究者の中でも、『文学部唯野教授』を取り上げて、メタフィクション的な構造に言及している論文がいくつかありました。
 『文学部唯野教授』は、筒井の持ち味である痛烈なアイロニー作品です。タイトルの『文学部唯野教授』というのも、「文学部、ただの教授」という意味を含んでいますから、まずもって読者はタイトルからしてどこか文学部の教授を馬鹿にしているのだなと察するわけです。ページを繰ってみますと、一行目に「ぢ亜額の講義は十二分遅れて始まり十二分早く終わるのが常識とされている」なんてことが平然と書かれています。たしかに、大学ではこういう教授がいないわけではありません。ところが、筒井文学の面白味は、それがあたかも常識であると、誇張されている点にあるのです。つぐけて「これをだいたい正確に守れぬような教授は学生から教授として扱ってもらえない」とあります。始終こんな感じの大学のブラックジョークで続けられる小説です。
 前半の数章では、小説の世界への導入ということもあり、文学部の教授側からみた大学内の構造というものが描き出されます。教授になるためにはいくつ論文を書き、どこどこに根回しをしておくとか、そうした文学部内での権力抗争の構図を描き出します。主人公である唯野は教授の称号を得ましたが、前半でしばしば唯野に懇願してくる蟇目という講師は、自分がいつ昇進できるのか、どうしたらよいのかと唯野についてまわります。もちろんこんなことは誇張ですし、確かに権力抗争があることは確かでしょうが、いくらなんでも誇張しすぎです。それがごくごく通常の論理としてまかり通っているからこの小説の人物はいやに人間味があふれた生き生きとした人物として活躍するのです。他にも、文学部の裏知識がたくさん盛り込まれています。現実レベルで考えると、作家筒井がそんなことを知る筈がないのですから、どこかで情報をリークした人間がいるなと思います。それは最後にいろいろ情報を戴いたが、そうした教授たちへの感謝をここに書くとそのひとたちが困ったことになるからといって、控えています。ここにも面白味があります。
 この小説は様々な面があるのですが、一つのオーソドックスな愉しみ方としては、こうした文学部の裏知識や、権力抗争といったものをおもしろおかしく見れるという点です。なかには講義の賃金なども書いてあって、文学部に所属する人間ですらそうだったのかと括目すべき個所が多々あります。

-文学批評の歴史書として-
 様々な読み方ができると言いましたが、他の面としては、現代文学批評の歴史をごくごく簡単に学べるという点でしょう。目次を開いてみますと、「第一講 印象批評」「第二講 新批評」・・・と続いています。ここからもわかるように、この小説の二つ目の側面は現代文学の批評がどのように起こり、発展し、変遷してきたのかという批評の歴史が描かれるのです。
 この小説はしばしば語り手の存在がうつろい、危うい語り手として存在しているのですが、基本的には三人称の唯野視点で描かれます。しかし、時に唯野の一人称になったり、あるいは自分が作家の筒井であるといったでしゃばった喋り方などをして、テクスト全体がメタ構造を幾重にも複雑にしているといった感じがします。
それぞれの章ごとで、唯野の文学部の教授たちとの権力抗争や、ちょっとした恋愛物語、裏稼業としてやっている文筆活動などの状況が描かれます。そうして、残りの半分はある授業での唯野教授の講義が、かぎ括弧にくくられて描写されるのです。小説では、物語内時間は半年で、一回目の授業印象批評の紹介から、九回目の授業、ポスト構造主義の説明で作品を終えています。作品内からは、後期もあるから愉しみに待っていてねと学生に向かって言う唯野ですが、実際のテクストはそこまでで終わってしまっています。
 ここで唯野のセリフとして口語体で説明される作品批評の歴史は、私の専門でもありますが、それでも学ぶべきことが多くあるものです。しかし、専門の学生に読むのに耐えるということは難しいことが書かれているのかというとそうでもありません。口語体というとっつきやすい文体を使用して、唯野教授がわかりやすくかみ砕いて説明してくれているので、専門の学生から、まったく文学理論を知らない人が読んでも読むに耐える作品なのです。ところどころ、これは大学で実際に授業を受けてないとわからないだろうなと思われるような部分はありますが、しかし全体はわかるはずです。
 ある意味ではこれは、文学が学問になる所以の根拠たる部分ですから、非常に重要であります。また、今こうして書いている批評に近いものも、こうした先人たちの文学を分析するための技法を学んだうえでのものです。これは文學を専門としない人でも、文学作品をどのように読んでいったらよいのかという指標になるので、是非多くの人が、できれば本を読む人間全員が読んでおいてほしいという本です。

-終わりに-
 それにしても、この作品はそうした小難しいような議論を実に平易な文章にして教えている反面、つまらなければ人間は読みませんから、ブラックなジョークを盛りだくさん詰め込んで笑わせながら学習させるという、すばらしいテクストになっています。この変な語り手のために、読者は翻弄されますが、三人称のはずなのに、突然ある部分では一人称に変化したりとどこか唯野教授の情報を隠していると思われる部分が出てきます。
 ものすごい美人で、しかも作家としての唯野のファンであるという女子生徒榎本奈美子と教授との禁断の恋といったものも、本来これがメーンになってもおかしくないのですが、ちょろりとテクストを流れる清水のように描かれます。この関係が最後にまたちらりと出てくるだけなのですが、その後どうなったのかよくわかりません。大体この作品は前期だけであって、後期を描いていないのです。なので続編があるのかなと思い調べてみましたが、とくにそのようなものを筒井康隆は書いていません。なんだかものすごく情報提供をしているように見せながら、じつは意図的に多くな空白をつくっているという謎の語り手の存在がうかびあがあるという不思議な小説です。

小野不由美『月の影 影の海』 感想とレビュー 文学史上最も困難な冒険をした女性主人公

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-はじめに-
以前、小野不由美の『魔性の子』を取り上げました。前回取り上げた『魔性の子』は、十二国記シリーズの外伝的な作品です。今回取り上げる『月の影 影の海』は十二国記シリーズの一巻目となる作品です。この作品は、直接『魔性の子』とはかかわってこないのですが、後の十二国記シリーズ、すなわちこの作品の後の作品では、『魔性の子』に登場した人物が登場し、その連関性がわかります。
この作品は1992年初出。『魔性の子』の翌年に書かれた作品です。その後の十二国記シリーズは、連続して、ほぼ一年のペースで描かれます。2013年6月現在、新潮社から完全版として出ている十二国記シリーズは、4部目の『風の万里 黎明の空』までです。


-あらすじ-
 10年ほど前にアニメ化されたのをうろ覚えでこの作品を読み始めました。ページをめくると突然現れる十二国図なるものと、その一部の拡大であろう巧国北方図なるものが読者を物語世界へといざないます。
 前作『魔性の子』が、作者の造語である「故国喪失者」というものテーマにした作品でした。『魔性の子』では、それぞれ自分の戻るべき場所があるはずなのだけれども、それが一体何だったのかよくわからないし、戻れないという葛藤のなかで、どのようにして今生きている世界と向き合うのか、どのように生きるべきなのかという葛藤にありました。今回の作品でも、ある側面からみれば、この「故国喪失者」というテーマが浮かび上がってくると思います。
 三人称登場人物の視点で描かれる作品です。主人公陽子は、不思議な、しかも怖い夢を見ます。一か月の間おなじ夢を見続け、その夢に登場する異形の獣が徐々に徐々に近づいてくるという恐ろしい夢です。これは、ミステリーホラー小説を書いている作者の力量とも考えられます。
 主人公の陽子はどのような人物造形なのでしょうか。陽子は染めていないのにもかかわらず、赤毛の持ち主です。それを学校では厳しく叱り、親は染めるように促しています。生まれつきなのにもかかわらず、学校側はそれをいぶかしく思い、真面目で実直な陽子にとっては、染めることが禁止であるという規則の方が重く思われて、黒くそめるのも抵抗があり、板挟みにあっています。教室でも、今でいういじめが起こっていますが、どちらの側にも立てない彼女は、その中間で板挟みにあっています。彼女自身としては、いじめるのはいけないとわかっていながらも、それをだめだとは言えない。しかし、友人たちとも仲良くしていたいというなかで、自分では決していじめないながらも、いじめているグループに属しているという宙ぶらりんな立場にいるのです。そんな彼女を不思議な現象が襲います。突然学校の中に長い金髪をした男が現れます。その男が現れると同時に、窓が割れたり、不自然な攻撃が陽子を襲います。男は陽子を護と言いながら、剣を抜き、戦えと言います。一介の高校生であった陽子にはそんなことできるわけもなく、逃げ惑うなか、最終的には金髪の男の手下である妖魔の力を身体に憑依させることによって剣で戦い、襲ってくる魔物を倒します。しかし、依然として襲ってくる魔物の大群。とても勝てるはずもなく、陽子は妖魔と一緒に逃げます。あちらに行けば助かるという意味のわからない言葉を信じ、陽子は別の世界へと旅立つのです。

-ジャンルの壁を越えて-
 この作品は、今でいえばライトノベルのジャンルに分けられるかもしれません。日本人はとにかくラベリングが好きな種族ですから、なんでも分類したくなります。しかし、この作品が発表されたのは、ライトノベルという言葉が広まる以前でしたし、またライトノベル特有の軽さ、軽妙さというようなものはありません。一応本屋さんでは、普通の文学作品の「お」の部分と、ライトノベルの両方に置いています。
 ライトノベルには文体の軽妙さというものが特徴として考えられるでしょう。この作品でも文体が重要になってくると私は思います。小野不由美の作品は、この物語がどことなく中国や朝鮮、日本など東洋的な文化の上になりたっているという感覚があります。そうして、その雰囲気を支えているのが、漢詩に裏付けられた漢文調の文体なのです。
 また大まかなストーリー、異世界へ行って冒険をするという枠組みだけを考えれば、ライトノベルというジャンルに集約することが出来るかもしれませんが、しかし、主人公陽子の苦悩や葛藤というものは、通常の作品でさえ見苦しいほどに極めて困難な状態の連続が続きます。十二国記という異世界では、彼らにとっての異世界、つまり中国や日本からきた人間は災厄を呼ぶとして、役人に連れていかれ酷い場合には処刑されてしまいます。陽子は、何度も異世界の住人たちの手にかかりながら命の危機を乗り越えるのです。中には、とても親切にしてくれたのにそれは、女郎屋に売ってお金にしようとしていたためという者もあり、同じく日本から何十年も前にこの世界に紛れ込んだ境遇の者も、結局は荷物を奪っていってしまったりと、人間の悪、ずるい部分の連続が炙り出されます。フィクションだから描くことができたということもあるでしょう。また1990年代にこの作品が描かれたということは、バブル経済からの物質主義、拝金主義の裏で人間の性質がどのようであったのか、そうした社会学的な面から作品を考察することもできると思います。
 物語は、そうした人間への不信を乗り越えて、この世界の救世主たる人物へと成長するという、ごくごくありふれたビルドゥングスロマーンの物語形態に集約されます。いわゆる教養小説であり、少女は一人の人間として成長する物語でもあるのです。しかし、通常の作品が異界でさまざまなできごとを通じて成長したのちに自分のいるべき世界に戻るのに対して、この作品では異世界が陽子の戻るべき場所であったということになり、今まで住んでいた日本には帰れないということになります。いずれは帰れるんだろうと予想して読んでいくと、本当に帰れないのです。これはある意味読者の期待を裏切るということになります。
 異界訪問譚として読み解くこともできますが、訪問した先の異界が実は、本来いるべき世界であったという不思議なパターンの小説です。異界訪問譚としては、陽子が麒麟に選ばれた人間であったりと、運命や宿命といったものを背負わされた存在として登場していることからも理解できるでしょう。

-終わりに-
 人間不信を乗り越えるのに、やはり相手が人間では難しいという点から、楽俊という巨大なネズミのような半獣との交流から描かれています。人間の姿にもなれるのですが、半獣というのは異界の世界においても差別の対象となる存在で、楽俊は生まれたときからずっと虐げられてきた人物だったのです。ですから、この世界のつまはじきをくらった陽子に対してもこの上なく寛大な心と、同情心を以て接しています。
 作者が女性だからという無理なことを述べてはいけないかもしれませんが、このような冒険物語で女性が主人公となるのはあまり多くはありません。不思議の国のアリスのような作品であればまだ理解ができるものの、この作品では、身体がぼろぼろになり、生死の境目を行ったり来たりするような極めて激しい冒険がなされます。このようなハードな冒険をした女性主人公が今までいたでしょうか。そうした点でも、この作品の異質性というか、独創的な部分が浮かび上がってくると思います。
 以前書いた、『魔性の子』とともに読むことをおすすめします。

「J,S,ミルの考察―『自由論』を主として―」

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-はじめに-
 ジョン・スチュアート・ミル(以下ミル)はイギリスの思想家、経済学者、哲学者である。1806年にイギリスのロンドンで生まれた。父親はスコットランドの哲学者にして歴史家であったジェームズ・ミル(以下J,ミル)である。J,ミルは、イギリスの思想家であり、「最大多数の最大幸福」を打ち立てた、功利主義の代表的な人物、ベンサムと交流があった。J,ミルはベンサムの思想上の弟子であると言っても良い。ミルはベンサムと父J,ミルの影響を強く受けて育った。J,ミルは彼を厳しく教育した。その内容の一端は、3歳からのギリシア語教育や、13歳でリカードの経済学の著書を読む、等のことからうかがえる。その英才教育の結果、10代から哲学的急進派の論客として活躍し、17歳で東インド会社に入社、職務のかたわら研究をつづけた。しかし、何年にもわたった厳しい勉強のためか、知識偏重の教育の行き詰まりから精神的危機におちいり、21歳の時に、ミルは神経衰弱に罹った。

-ミルの思考の変遷-
 これを転機としてミルは大学から離れ、「最大多数の最大幸福の原理に関してはそれをそのまま受け継ぐものの、ベンサムの快楽論には大幅な修正を加え、のちに危害原理と呼ばれるにいたった考え方を背景に据えて独自の幸福論、自由論を展開し、ベンサム同様政治経済社会一般に多大な影響を与えた。」(182頁)
 この思考の変遷が伺えるのは、彼の主著であり、ほぼ同時期に書かれた『自由論』と『功利主義論』である。具体的なベンサムの考えとの違いは、『功利主義論』で「ベンサムが十四種類の及ぶ快楽をすべて同質のものとしてその量的計算を行おうとしていたのに反し、そこに質の区別を導入(省略)すなわち、高級な快楽と低級な快楽の区別」(同所)をしたことが大きい。ベンサムの単純な「快楽計算」は、人間と動物の快楽が等しいものになるではないかという非難を浴びた。その攻撃に対して、ミルは、「人間は豚の快楽より高度の快楽を享受でき」、「動物よりも高度な手稿、機能を人間は持ち、それが満たされなければ自ら幸福とはみなさない」(同所)と考えている。具体的には「知性、道徳感覚、尊厳、自律等に伴う快楽を挙げている」。
 ベンサムは最大多数の最大幸福という理念を抽象的な「快楽計算」にしたがうものと考えているように思われるが、「ミルが求めたのは、それが現実世界においてどうすれば実行されうるかを明確にすることであった」(ウィル・バッキンガムほか著、小須田健訳、『哲学大図鑑』、三省堂、2011、192頁)。ミルは「快楽計算」によって「道徳的な判断をなすにさいしてそれを活用する以上に、この原理がもつ社会的および政治的含意のほうに関心を持っていた」(同所)のである。「最大多数の最大幸福」が叫ばれ、利用される際に、「実際には幸福を実現するという名目のもとに一部の人びとを締め出しているのではないか」(同所)というのがミルの危惧したことである。
 ミルはこの問題に対して、〈教育と世論の双方に向けて、両者が一緒に働くことで、個人の幸福と社会の善とのあいだに「分離不可能な協同」を確立するようにしむける〉(同所)必要があると述べている。ここから、社会と個人というミルの最大のテーマが浮かんできたように思われる。「個人の幸福と社会の善」を追求するということは、人々が自分勝手にそれぞれの幸福を追求するだけでなく、万人の幸福に向けても追及しなければならないということである。反対から述べれば、社会はあらゆる個人に幸福を追求する自由をもたらすべきだということになる。これに関してミルは「この権利は政府によって保護されるべきであり、法制度は個人が自分の目標を追求する自由を保障すべく制定されるべきだ」(同所)と述べている。
 次にミルは知識偏重による精神的危機からの脱却の際に体得した経験主義的な思考から、幸福の本質とは何かという定義づけをしようとした。ここでミルは「各人が達成しようと努めるものはなんだろう」(同書193頁)と考え、「幸福の原因とはなんだろうか」「なにかが望ましいものとなることを可能にする上で唯一はっきりしていることは、人びとが実際にそれを望んでいるということだ」(同所)と結論している。幸福の定義づけとしては不十分であることが指摘されているが、ミルはさらに進めて「動因をもたない欲望(自分たちが求めることがら)と自覚的な行為(義務感や慈善の感情から外れて、ときには自分たちの直接的な傾向に抗っておこなうが、最終的には私たちの快楽をもたらしてくれることになるようなことがら)のあいだに区別を設けようとする。前者の場合には、自分たちの幸福への手立てとしてそれを求めるのであり、それは、その行為が賞賛に値する結果にたどりついたときにのみに感じとられるものだ」(同所)としている。

-ミル、その後の生涯-
 ミルの生涯は、21歳の時の病とその脱却から大きく変化、展開していると言える。上で述べたような思考の転換をしたのちは、自由で民主的な政治改革を求める急進派のリーダーとして活躍している。国会議員を務めていたころのミルは、多くの改革案を議会に提案している。改革法案の一環として、ミルは女性の参政権を認める必要も説いている。女性参政権を主張した国会議員はミルがイギリスで最初の人となった。ともに女性の参政権などを主張し、協力者でもあったハリエット=テイラーとは、20年間の交際の後に結婚している。
 ミルはこのようにして、自身の功利主義哲学の中心には社会ではなく個人を置いている。社会と個人というミルの最大のテーマはこのようにして変化し、ミルの代表的な著作である『自由論』には彼の考えが見事にあらわされている。生前からミルは偉大な哲学者と目されていたようであるが、「こんにちでは多くの人びとからヴィクトリア朝の自由主義の設計者とみなされている」(同所)。功利主義にヒントを得て、そこから出発しているミルの哲学は、現在でも政治的、社会的、哲学的、経済学的な思考に影響を及ぼしている。「倫理学の領域では、バートランド・ラッセルやカール・ポパー、ウィリアム・ジェイムズ、さらにはジョン・ロールズといった哲学者たちがみなその出発点をミルに求め」(同所)ている。

 ちなみに、ミルだけでなく、功利主義という考え自体のその後をも辿るとすると、先にあげたロールズの見解を一考する必要があると思われる。ロールズは社会を「相互利益を求める共同の冒険的企て」(宇都宮芳明/熊野純彦編、『倫理学を学ぶ人のために』、世界思想社、1994、158頁)としている。社会原理の役割とは、「社会の基本的諸制度における権利・義務を割り当て、社会生活のもたらす便益と負担の適正な分配を定めるものである」(同所)。その代表格が、「最大多数の最大幸福」という原理をもって、単純明快に社会の正しさを推し量ろうとした功利主義である。ロールズはこれに対して、3つの欠陥を指摘している。
  (1)(功利主義は〈引用者補注〉)単独の個人にとっての合理的選択原理(「効用最大化」)を無媒介に社  会的意思決定に適応しようとするものにほかならず、個人の複数性や差異を真剣に受け止めていない(「すべ  ての人格を一つのものへと溶かし込んでいる」)。
  (2)その結果、社会制度の正義を効用産出の効率性(最大幸福!(〔ママ〕))に還元してしまい、当該社会  で幸福がいかに分かち合われるべきかに関する分配原理を欠いたままにとどまっている。
  (3)善を「欲求の充足」と定め、そえを最大化する行為・制度が正義にかなうと考える功利主義においては  、「欲求充足の源泉や質が問われない」。そのため、他者の自由を削減することや差別から引き出された効用  すらも、社会制度の正義を判定する際に考量せざるをえなくなる。(同書159頁)
 引用元の文献では該当箇所を川本隆史氏が執筆しており、正義を求めて論を展開している。引用後の論旨は、社会を巡る正義を論じていて、とても参考になる指摘ではあったが、本文の内容からは逸脱するため、ここでは割愛する。功利主義にも、このようにして欠陥があることが多くのミル以降の哲学者によって指摘されている。しかし、ベンサムに始まり、ミルが大きく変化させ確率させた功利主義は、その後の哲学の発展のためにも大きな貢献をしている。ミルも主張しているように、たとえそれがどのような意見であっても聞くに値する視点であるし、また『原典による哲学の歴史』という教科書の表題も鑑み、原典に当たる必要があるだろう。私はミルが書いた代表的な著作の一つである『自由論』を読んだ。以下はミルの『自由論』を読み、それを考察したものである。なお、私が当たった『自由論』は(ミル著、斉藤悦則訳、光文社古典新訳文庫、2012)である。

-『自由論』試論-
 『自由論(原題On Liberty)』は、1859年に刊行され、当時のヨーロッパ、特にイギリスの政治・社会制度の問題を自由の原理から指摘することを試みた書物である。

 「多数派の専制政治」は一般に社会が警戒すべき害悪の一つとされている。通常、それは政治的な圧迫のような極端な刑罰をちらつかせたりしないが、日常生活の細部により深く浸透し、人間の魂そのものを奴隷化して、そこから逃れる手立てをほとんどなくしてしまうからである。(省略)多数派が、法律上の刑罰によらなくても、考え方や生き方が異なるひとびとに、自分たちの考え方や生き方の行動の規範として押し付けるような社会の傾向にたいして防御が必要である。社会の慣習と調和しない個性の発展を阻害し、できればそういう個性の形成そのものを妨げようとする傾向、あらゆるひとびとの性格をむりやり社会の模範的な型どおりにしたがる傾向、これにたいする防御が必要である。集団の意見が個人の独立にあるていど干渉できるとしても、そこには限界がある。この限界を見つけ、この限界を侵犯から守ることが、より良い人間生活にとっては政治的な専制にたいする防御と同じくらい重要不可欠なのである。(ミル著、斉藤悦則訳、『自由論』、光文社古典新訳文庫、2012年、19-20頁)

 ミルは自由についていくつもの視点から論じているが、はじめに社会と個人という問題から論じている。ここからもミルの最大のテーマが社会と個人の問題だったことが伺える。およそ150年前に刊行された本書を現在読んで、目から鱗が落ちるように感じられるのは何故なのか、どうして新鮮さを全く失っていないのか、私は一読して感銘を受けた。それは恐らく本書に指摘されていることが、そのまま現代に通用することだからではないだろうか。つまり、非常に普遍性の高いことが書かれていることと、現在も当時も、大同小異でほとんど個人の本当の自由というものが確保されていないからという、二つの原因が考えられる。
 社会の問題について少し考えてみる。私はまだ学生で社会に出たこともない半人前の人間であるが、それでもこの国の漠然とした閉塞感をひしひしと感じる。自由が無い。何をしていても息が詰りそうな、そんな感覚に陥ることがしばしばある。いつも映画館のシアターのなかにいるような感覚である。ある程度の自由は認められているとしても、それはじつはごくごく閉鎖された空間の中でしかない。
 私の専門は文学なので、多少文學作品と絡めて考えたい。文學作品というものは、往々にして人間の心理や真理を描き出したものなので、これもまた普遍的なものであると私は思っている。太宰治の『女生徒』にはある女学校の生徒が、戦時中という時代の中において、いろいろなことを考え、その結果として「はっきり言ったら、死ぬる」(太宰治、『走れメロス』、新潮文庫、1967、132頁)という言葉を使用している。この小説は当時の女生徒の心情を鮮やかに映し出した小説として高名である。つまり約60年前の10代の少女の心情を代弁していると思われた作品である。この「はっきり言ったら、死ぬる」とは、戦時中という時代背景もあり、息をするのも億劫になるほど閉塞された人生に失望して出た少女の言葉である。私はこれに痛く共感した。考えに考えを重ね、国を思い、経済を思い、自分の職を思い、これからを思い、しかし、どうしても自意識のどん詰まりを感じる。はっきり言ったら死ぬほかに選択肢がないのではないかと考えざるを得ない。
 話が飛躍するが、この妙な暗さ、息が詰まるような閉塞感などが、私が常々考えている「自殺」の問題に繋がっていると感じられる。文学者の自殺の問題や、以前からしばしば自殺という問題と触れる機会があったので、私は普段から自殺について考えを深めている。バブル経済の崩壊以降、毎年3万人以上の人間が自殺で命を絶っている現状を考え、何故自殺者が減らないのか、また自殺とはなんなのかという根本的な問題も考えている。この3万という数字は、先日の未曽有の3.11大震災の死亡者よりも多い。つまり、毎年わが国日本では、大震災規模の人間がその貴い命を自ら絶っているのである。震災は自然による災害のため、自殺ではない。命を自然によって奪われたという、死因は外的な部分にあるものである。なので、自ら命を絶っている自殺とはそもそも比較すること自体が間違いかも知れない。ただ、その規模を把握するために俎上に並べてみただけのことである。感覚としては大震災が毎年起こっているのだと考えられると私は思う。また、自殺という行為が、本当にその人物の内面だけに起因することなのかという問題もある。つまり、自殺するには何かしらの外的要因があるはずである。
 我々日本人は、風土的にも、民族的にもいわゆる真面目な集団である。このことは昔から言われている一般論であるが、ここのところ顕著にこの特性が悪い方向へと発揮されているように私には感じられる。私と同世代で、平成25年1月16日に第148回直木賞を受賞した作家、朝井リョウの『何者』という作品にも、今の日本の現状が描き出されている。この『何者』という作品は、「就職活動」をテーマとした作品で、現在の学生たちの心情がまざまざと表されていることが受賞した理由だろう。ここでは、ひどくねじまがった社会において、就活生というものが、同じスーツを身にまとい、没個性の波に飲み込まれて個人としての人間性を否定されている問題が描かれている。
 今、ミルの自由論を読んで思うのは、個人を活かす必要性である。現在私たちには、特に自殺をしてしまうまでに追い込まれた人々には、「社会」というものが重くのしかかっている。『何者』にも描かれるが、私たち若い世代は、自分たちの将来を考える際に、今の日本社会の未来と重ねて考えてしまう。現在の社会状態を見た際に、どうして明るい未来が予想できるだろうか。エントリーシートを100社に申し込み、すべてはじかれる。このような状態のなかで、どのようにして生きていけるのだろうか。これが若者の自意識のどん詰まりを生んでいるように私には思われる。私自身もまたミルの言う自由は得られていない。
 今の社会というものは、個人というものが本当に生きづらくなった世界である。それは情報化社会ということも一つの要因だろう。例えば外国に行くということだけでも、ずいぶん色々な機関がうるさく、実に煩雑な手続きをふまなければならない。図書館に入るのにも、IDカードが必要になる。「私は私であるのにも拘わらず、何故私が私であることを証明できないのか。」これは私が個人的に考えている命題であるが、自分が自分のことを証明できなくて、それが実にちっぽけなカードで証明されているという事態は実に不思議なものである。こうした様々な点から、現在個人の自由が守られていないと私は感じる。この息苦しさ、どん詰まりに耐えられなくなった人間、つまり自由を奪われた人間がどのようにして自由になるのか、それが大問題である。今現在、この苦しさから逃れるために最も多く使用されている手段が自殺なのではないだろうか。私は今こそ個人が自身において自由を獲得していかなければならないと感じる。自由についてもう少し見ておこう。

-自由の原理-
 原理とは、人間が個人としてであれ集団としてであれ、ほかの人間の行動の自由に干渉するのが正当化されるのは、自衛のためである場合に限られるということである。(省略)物理的であれ精神的にであれ、相手にとってよいことだからというのは、干渉を正当化する充分な理由にはならない。相手のためになるからとか、相手をもっと幸せにするからとか、他の人の意見では賢明な、あるいは正しいやり方だからという理由で、相手にものごとを強制したり、我慢させたりするのはけっして正当なものではない。これらの理由は、人に忠告とか説得とか催促とか懇願をするときには、立派な理由となるが、人に何かを強制したり、人が逆らえば何らかの罰をくわえたりする理由にはならない。(省略)そうした干渉を正当化するには、相手の行為をやめさせなければ、ほかの人に危害が及ぶとの予測が必要である。個人の行為において、ほかの人にかかわる部分についてだけは社会に従わなければならない。しかし、本人のみにかかわる部分については、当然ながら、本人の自主性が絶対的である。自分自身にたいして、すなわち自分の身体と自分の精神にたいしては、個人が最高の主権者なのである。(『自由論』29-30頁)

 ここでは、大きく自由というものの原理を論じている。個人の自由がどこまで認められるのかという点については、それが他人の自由とぶつかる点ということで結論づけられている。
 本書では、様々な自由について言及されているが、出版や言論の自由について少し考えたい。現在の中国や北朝鮮を見ていると、とても言論の自由が守られているとは思われない。この異常な事態はすぐにでも何とか解決策を打たなければならない問題であると思われる。その点我が国日本は、出版の自由については、現在いくつか問題が生じているという事実はあるが、言論の自由は大概認められていると感じる。しかし、それでもなお、私たちは自由かと問われれば、首肯するわけではない。やはり依然として自由は得られていないのである。私たちは何故自由ではないのか、私たちは一体どうしたら自由になれるのか、これを考えなければならない。
 私はこの自由論を読んで個人の問題に対して、二つの矛盾した考えを抱いた。一つは肯定、ここで述べられていることは当然であるという考えだ。私の専門は文學ではあるが、現代のメディアを考える際には幅広く文藝というものも考慮しなければならない。つまり文学作品だけに限らず、映画やアニメ、演劇、漫画、ゲームなども研究対象に含まれる。そうすると、必然「サブカルチャー」「オタク文化」と呼ばれるものも考えなければならない。オタク文化というものは、自分の好きなものにお金を使用し、自分の好きな世界に籠るということがその特徴であると言えよう。ミルの自由論からすれば、これはまったく問題はない行為のように思われる。他人に迷惑をかけない限り自由が認められる自由論によれば、むしろそれが出来ている現在は自由論が遂行されているかのようにも思われる。この点だけを見れば、私もある意味では賛成したくなる。個人の好きなことを個人が好きで行っていてなにが悪いのかということである。趣味趣向の自由は守られているので、全く問題はないように思われる。
 ただし、これに対立するもう一つの概念もまた同時に起こる。個人の行為というものがどこまで他人に迷惑をかけないのかという問題である。上で挙げたオタク的な人間がこれからどんどん多くなっていったとしよう。オタク層が何故グッズや関連商品などを大量に購入できるのかという謎は、経営、経済系の知識を持たないので私にはわからないのだが、オタク文化の特徴を「籠る」ことと位置付けると、これから多くの人間が自分の家や部屋に「籠る」ことになる。もし、日本人の大半がただでさえ超高齢化社会になり、働き手が必要な状況において、籠りはじめたとすると、社会はなりたたなくなる。そうすると、個人の自由である趣味趣向もその性質によっては、全体に対してマイナスになる側面があるということである。
 ゲーテやニーチェは自分の生に積極的であれと述べている。「生きる」ことに対して積極的になる必要があるということがこの自由論にも書かれていると私は解釈する。「生」というものを考えた際に、そこには積極的な「生」と消極的な「生」があると考えられている。つまり、哲学そのものの追及すべき「より良く生きる」ということである。自由論もまた、「より良く生きる」ためにこそ自由を獲得しなければならないのだと述べている。そうするとやはり、自由を追求した先に、矛盾が生じる点がいくつかあることが証明されると私は思う。自分だけの小さな空間にこもっていることは本当に自由なのか。たとえ、自分に与えられた仕事だけをこなし生活しているとしても、それは本当に良い生でありえるのか。自由論によれば、私が良いと思っていることをこうした考えの方たちに強制することはできない。この点に関しては更なる考察が必要である。
 仕事ということをテーマとすると、今度は現在の社会の状況もまた問題になるだろう。いわゆる「社畜」という言葉が出現したことは、「今」を考えるうえでは決して小さくない事柄だろう。現在の状況は、仕事にもなかなかありつけないが、しかし仕事を得たとしても、今度は個人の時間を全く確保できないような過酷な状況が待っているのである。つまり仕事を極端にしない人と、極端にする人とに二分化されてきているのである。仕事を分担してこの格差を無くすようにすることが必要だと言うのは誰もが思い至ることであるが、しかし地球全体を見ても、富の分布があまりにも偏りすぎている現状を鑑みると、そう上手く行くものではないことが理解できる。就活では個性が潰され、会社に入っても一人の個人としては扱われない。この没個性、没個人の中において我々がどのようにして自由を獲得していかなければならないのか、私には依然として解決策が見いだせない。おそらくは、哲学や倫理学が、それぞれの個人において為されていくことに希望を持つほかないのだろう。

-最後に-
 ミルの『自由論』からいくつかの重要と思われる箇所を引用して、まとめとしたいと思う。
  ・自由の名に値する唯一の自由は、他人の幸福を自分なりの方法で追求する自由である。人はみな、自分の体  の健康、自分の頭や心の健康を、自分で守る権利があるのだ。
  ・人が良いと思う生き方をほかの人に強制するよりも、それぞれの好きな生き方を互いに認めあうほうが、人  類にとっては、はるかに有益なのである。(同書36頁)
  ・どんな問題でも、全員が賛成してもよさそうなときに、なぜか反対する人がいたりする。そんなとき、たと  え多数意見のほうが正しくても、必ず反対意見にも耳を傾けるに値する何かが含まれていることはありうる。  反対の声を封じたら、真理のうちの、その何かが失われるのである。(同書118頁)

 ミルの『自由論』において最も印象的なことは、ミルがきちんと反対意見に耳を向けるという姿勢を持っていることである。私はこの没個性の時代のなかで、個人は他人を認め合うことからはじめなければならないと感じている。ミルはこの論の展開において、どんな意見でも対立意見があれば、それを聞かなければいけないと述べている。またあらかじめ予想されるであろう反対の意見を想定しながら論を進めている。自分たちの耳にいたいことほどその意見は重要で、真理が隠されているかも知れないと書かれている。なので、ミルを学ぶ際には、ひいては自由を、倫理を、哲学を学ぶ際には、きちんと反対の意見をも聞くということが必要になり、常に反省しつづける態度が求められるだろう。

  ・国家の価値とは、究極のところ、それを構成する一人一人の人間の価値にほかならない。だから、一人一人  の人間が知的に成長することの利益を後回しにして、些細な業務における事務のスキルを、ほんの少し向上さ  せること、あるいは、それなりに仕事をしているように見えることを優先する、そんな国家には未来がない。  たとえ国民の幸福が目的だといっても、国民をもっと扱いやすい道具にしたてるために、一人一人を萎縮させ  てしまう国家は、やがて思い知るだろう。小さな人間には、けっして大きなことなどできるはずがないという  ことを。(同書275頁)

 ミルの『自由論』はそれぞれの個人の自由を確保することが、全体としてより大きな存在、社会や国家にとってもプラスになるとの予測のもとに書かれた論であろう。これは確かにある一面では正しい。まずもって個人があり、そのあとに社会がこなければならないことは明白な事実である。個人と社会の優先性というものがもしも逆転すれば、例えば社会の全員がAという人物は処刑すべきだと述べたらたとえAが何ら法律に違反する行為をしてなかったとしても、処刑がまかり通ってしまうということに他ならない。
 私は現在教員を目指して勉強しているということもあり、教育基本法についても勉強しているのだが、2007年に改定された教育基本法では、全体として個人よりも国家が優先されるようにとも解釈できるような内容の変更が見られる。このことは多くの人間が指摘しているので、恐らく私の解釈はあながち間違いではないだろう。もし、これからこの先、日本が個人の自由よりも、国家全体の利益を優先するような社会になったとしたら、まさしく自由の危機が訪れるのである。
 現在、この閉塞された社会において、個人の自由をどのように切り開いていくのかが問題である。そうして、この自由の問題を考えるためには、より多くの人間がミルの『自由論』を読んで自分なりの考えを持つ必要があると私は考えている。ただ、ここでも、これが他人に良いからと言って、私が他人にこの本を読ませることは自由論に反することになる。国家の優先性が強まってきている現在、どうしたら、私たちは自由になれるのか、それを考え、実践していかなければならないだろう。


参考文献
朝井リョウ、『何者』、新潮社、2012年
宇都宮芳明/熊野純彦編、『倫理学を学ぶ人のために』、世界思想社、1994年
太宰治、『走れメロス』、新潮文庫、1967年
ミル著、斉藤悦則訳、『自由論』、光文社古典新訳文庫、2012年
渡邊二郎、『はじめて学ぶ哲学』、ちくま学芸文庫、2005年
ウィル・バッキンガムほか著、小須田健訳、『哲学大図鑑』、三省堂、2011年

雑記 忙しさを考える

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 早いもので今年ももう6月に入りました。今月が終われば、半年が過ぎてしまったということになりますね。今日は一寸時の早さというものについて、私のことをお話ししたいと思います。
 最近兎に角思うことは、どんどん時間の流れが速くなってきていること。それは、目前に控えた就活のせいかもしれません。私は教職一本で行こうと思っているので、就職活動自体はしないつもりなのですが、それでも試験勉強などがありますから、徐々に忙しくなっていくという予感が、ひしひしと強くなりつつあります。この忙しさというものは、解字してみますと、心を亡くすという意味です。忙しさというのは、人間のあるべき姿からは離れた状態のことを云うのではないでしょうか。心、ここにない人は、非常に感性や感覚というものが遠く離れてしまいますよね。また、心を亡くすとどうなるのか、別の漢字も考えてみましょう。忘れるという字も、同じ文字によってつくられていますね。日々、忙しく、何か大事なことを忘れてしまった現代人、しかし、この文字が生まれたということは、当時も都市では同じような状況だったのかもしれません。
 最近特に焦燥感にかられます。最近はなんでもかんでもスピード感というものが要求されているように感じます。企業が求めるのは即戦力。そうして、何事を為すにも「今でしょ」。「今」始めることの重要性は私も首肯するところがあります。何事も今始めるべきであることは確かです。しかし、この「今でしょ」は、「今」はじめるということ以外にも意味を付加されているように感じられます。それは「即」と相まって、すぐにやるという意味に差し替わっているように思えるのです。確かに今はじめることは重要ですが、急いでやるということは別の問題です。
 私は、ほぼ毎日、平均すれば二日に一日くらいですが、の割合でこのブログを書き続けてきました。はじめは、一時間書いてもほんの1000字程度。しかし、たったの2年弱続けるだけで一時間あれば4000字程度の文章はすらすらと書けますし、また文章も論理的になってきたと感じています。この成果は自分でもちょっとあまりに急激すぎて驚いているのですが、しかし、それにしてもひたすら自分の悪文と向き合いながら、書き続けて来た毎日があっての上達です。私は、即戦力というものほど無力で、ひ弱なものはないと思っています。即席でできるものというのは、その場限り、その場しのぎのものでしかなく、本当に良いもの、役立つ者、身に付くもの、長く使えるものというのは、長い年月と経験の積み重ねによって生まれてくる知識だったり、技術だったりするのです。即戦力を起用する企業は、即つぶれるというのが私の思うところです。この即戦力というものは、即刻皆が一丸となって打ち消すべき危険な思想であると私は思います。
 しかし、良いものは時間がかかると認識している私でも、流石に周りがせこせこと忙しく動き回っていれば、その流れに逆らえ切れない部分は出てきます。それはこの焦燥感なのでしょう。今年ももう気が付いたら半年が過ぎようとしています。私はまだ、今年に入ってから自分がやりたいと思っていたことがちっともできていません。大学という時間の比較的ある場所でさえこの状況です。もしもこのまま社会に出たら、自分の時間など確保できなくなってしまうのではないか、それもまた焦燥感を創り出している一つの原因なのです。焦るな焦るなと自分に言い聞かせながらも、すでに焦るなと言っている時点で焦っている。本当にいやな状況です。もしもこのまま突き進めば、私は何も自分がやりたかったことを為せずに、何も作り出せることなく、死んで行ってしまうのではないか、そんな不安が付きまといます。
 現代人は、私も含め、心を亡くしてしまったために、人生の大切なものを忘れ、忙しさにかけまわされている状態です。私たちは、心を取り戻して、自由を獲得しなければならないのです。私はこれを、個人がそれぞれにおいて、自己の自由の獲得を目指すために戦う、「自由騎士」という言葉を使って表しています。やはり、今の社会の状況は誰が見たっておかしいのです。しかし、おかしさに気が付いていながらも、それを変えるには、全体を動かさなければなりません。全体を動かすのは個人にはできないことです。ですから、仕方なくそのあまりに大きすぎる問題には目を瞑って、目先のことだけを考えるのです。例えば、自分の利益だったり、自分の属する集団、会社の利益だったりです。しかし、そうすると、その利益を得た分の不利益が他人に回るわけですから、余計に賃金は減り、忙しくなるという負のサイクルが続きます。現在、アベノミクスだなんだと経済面での回復を目指そうとしているようですが、私はあまり経済面には興味はありません。なぜなら、お金があっても幸せになるというほど簡単に人間はできていないからです。もちろん、お金がなくても不幸になるという図式もまた成り立ちません。
特に、今の社会は大量に生産し、大量に消費する社会です。この大量がかなりの害悪であることは、少し視野を大きくすればすぐにわかることなのですが、心を失った人間にはわからないようです。ここから生まれるのは、単にモノに価値を下げ、その中で生まれる利益を目的とした合理的な考えだけです。ここからは、物質的には大量のムダが生じ、地球という有限の資材、私たちの住処を汚すだけの害悪なのです。人間は何もそんなにモノはいりません。品質が良く、何度も手入れして使うようなもので、できるだけムダを減らせばいいと私は思います。目まぐるしく回る工場もいりません。生活はより静かになり、時間はあまるはずです。物質があっても、心が豊かにはならないということがまだわからないのでしょうか。むしろ、これから目指すべきは、物質を利潤のもとに求める経済的な面ではなくて、心をいかにして獲得するのかという問題です。この問題は極めて難しいです。なぜなら、より良く生きるということを学問の目的とした哲学が2000年以上の年月をかけても、明確なものを見いだせないようなものだからです。そのようなあまりにも難解なものを相手にすると、人間は逃げます。そうして、目先の利潤を追い求めて経済や合理主義に走ります。しかし、その時代はもう終わりであると私はここに声高らかに宣言します。物質を追求する時代はもう終わりです。これからは、地球上の人間個人個人が、それぞれ自分の考えを持ち、自分の感性に従って、自分の自由を獲得していく世界なのです。
 私は、人類というものが何故生きるのか、何のために生きるのか、価値があると思っています。少なくとも、何故生きるかわからずに、何のために生きるかわからないなかで、何故を求め、何を探すこと自体が価値あることだと思っています。私たちは何故いきるのか、それを考えた時点ですでにその生に価値はあったのです。何のために生きるかを探した時点で、すでに探すために生きているのです。これからは、このなかから、目先の利益に走り、考えることを放棄してずるをしようとする人間が多くでることでしょう。そうした人たちは、経済界で万金を得、まるで成功者のように扱われることでしょう。しかし、我々はそうした人を心のない、かわいそうな人だと思って少しでも早く精神面の重要性を諭して、私たちが決してそれに羨望し引き寄せられることなく、自分と戦いながら生きて行かなければならないのです。
 人が生きる希望は、ここにあると私は思います。きっと全人類が人類の自由を考え、その獲得に全力を出した時、人類は何か別の次元に行けるような気がします。それは例えばニーチェが言った超人なのかもしれませんし、またある予言者が述べた、叡智というものなのかもしれません。

三島由紀夫『金閣寺』考察 感想とレビュー 語りの嘘にだまされて

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 先日、『金閣寺』はどのように読めるのか、教えてほしいという旨のメールをいただきまして、そこで返答させていただいたものが、割とよくできたと感じたのでここに掲載します。

-はじめに-
 さて、三島の文体というようなものを考えてみますと、彼は法学科の人間だったということもあり、その頭脳明晰さ、論理力の高さには驚愕します。論理力に限っては、戦後最高の作家なのではないでしょうか。このあまりの論理力の鋭さに、私たち読者は魅了されてしまうのです。ただ、多くの研究者が指摘しているのですが(今回は、合わせて三島由紀夫『金閣寺』作品論集というものも一応読んでおきました)、『仮面の告白』もまた、確かに論理的に描かれているのですが、そのなかでも相対化、~という考え方もできたかも知れないというような論の展開をしているのに対して、『金閣寺』はかなり激しく断定しています。
 なんでも歯切れが良い人物というのは、ある程度それが間違いだとしても魅力的に感じられてしまうのが事実です。ヒトラーにしても、橋本知事にしても、個人的に好きか嫌いかは別として、確かに魅力的に感じられることは理解できると思います。まさしく、この『金閣寺』の語り手はそうした、激しい断定的な言い方をしているのです。

-語りの構造-
 その前に、一つ前置きとして、この作品は、溝口という語り手の一人称小説です。作品の多くは、一人称か、三人称の小説になります。稀に「君よ、あなたよ」という語り掛ける手法を用いた二人称小説というものもありますが、これはごくごく少数派です。一人称というのは、「私は~僕は~」の作品で、作品内に登場する語り手が語っているという作品です。それに対して三人称小説というのは、例えば芥川の『蜘蛛の糸』を例に出してみますと、「ある日お釈迦様は~」という文章が続きますが、これは「語り手」が語っているという認識になります。芥川ではないのか?という指摘が起こりそうですが、テクスト的な考え方は、いったん作者とは切り離すので、芥川が語っているのではなくて、物語の中には登場しない「語り手」という正体不明の存在を想定しなければならないのです。
 この語り手の謎が、この作品の一つの見どころであります。この『金閣寺』が発表された当時から、同時代表を見てみますと、絶賛の声の反対に、かなり激しい批判の声もあったことが伺えます。一般的に良い商品というものは、極端に賛成と反対が二分化するようです。そうした商品のほうが売れるそうですよ。また、文学作品の価値判断をどこに求めるのかという問いにも、このことが一つの答えを示してくれています。より自由に解釈できるというものです。Aというようにも解釈できる。Bというようにも解釈できる。といったように、解釈に幅が生まれるのが文学においては、良い作品と言われます。ここでは、素晴らしいと言う感想が生まれる反面、良くない、悪いという感想が生まれるということが、ある意味では良い作品であるということが言えるのです。もちろんそれを悪い作品だと言っている人々にとっては、悪いのですが・・・。
 何が悪いのかという指摘のなかには、この論理的すぎる文章に対する批判もあります。何もかもをかなり断定的に決めつけて行く手記と思われるものを書いている溝口は、一見すると、論理明快で心地がいいようにも思われますが、一旦少し身を置いて眺めてみると、非常にエゴイスティックで独善的な人物のようにも見えます。また、このテクストは一貫して論理的に述べられているようにも見えますが、途中で論理的な飛躍が見られたり、また通常の論理では考えられないような展開があったりして、そうした部分にひっかかった研究者、読者がいたことは確かです。

―テクストの構造―
 また、手記として存在しているこのテクストですが、一人称の語り手が登場する作品というのは、どうしても過去的にならざるをえなくなります。オンタイムで放送するとなると、どうしても手記という構図は成り立ちません。なぜならその場で書いているというおかしなことになるからです。一人称の語り手の作品であっても、「私~」となっていても、それを全く別の存在が書いているということはあり得ます。例えば漱石の『吾輩は猫である』は、猫が実際に文章を書けるはずがありませんから、「吾輩は~」と述べていても、実際にそのテクストを書いているのは、さらに「吾輩」よりも1段階上の、正体不明の語り手の存在がいるはずなのです。これは誰なのかということは決してわからない謎なのですが。
 さて、しかし、この作品は明らかに語り手である溝口が書いているという証拠がいくらでも挙げられます。この手記の語り手である溝口はことあるごとに、「右のような記述から~」というような自分が今手記を書いているということを作品内で述べています(本当はほかにもいくつか箇所を見つけたのですが、場所を探すのにてこずっているので割愛させていただきます)。語り手である溝口は確かに、自分は今この手記を書いているということを認識しているのです。さて、そうすると、この手記というのは、すべてが終わったあとでないと書けないということになります。
 例えば漱石の『こころ』は、作家レベルで考えれば、夏目漱石が上・中・下の順番に書いたことは当然のことですが、テクストレベルで考えれば、下の「先生の遺書」があったあとで、「私」が上と中を「先生」の死後書いているということになります。
この作品でも、手記という形式をとる時点で、すでに最初の1ページ目では、溝口は金閣寺を焼き払った後ということになるのです。
 一つ目のこのテクストの構造の問題は、1章から9章までは、一貫して手記の形式で保たれているのにもかかわらず、突然、金閣寺放火の直前から、手記であることを放棄して、モノローグ化してしまっています。これは、紛れもなく作品の欠陥です。この突然最後になって調子が狂うのは、読んでいて、意識をしていなかったとしても違和感として残るはずです。手記という形式は、その形式上過去のことしか語れません。しかし、金閣寺放火直前から、突然今起きていることを語り始めるのです。これは『吾輩は猫である』と同じで、一応「私は~」という一人称にはなっていますが、それを書いているのが、溝口ではない誰かになってしまっているということです。「ここからは金閣の形は見えない」「生きようと私は思った」などは、まさしくその場においての感想であり、手記を書いている現在ではないだろうというのが、私も同意している研究者の意見です。
 この突然のモノローグ化をどう考えるかということについて、韓国の研究者である許昊氏は、三島と小林秀夫との対談を引用し、考えています。小林は三島に対して、溝口を作品の最後で殺しちゃってもよかったんじゃないのという意見を言っていますが、もし仮に、溝口を作中で殺すとなると、手記の形式をとっている以上最後の部分が書けなくなります。だから、この作品を手記という形で書き始めた時点で、作中では溝口は死ねないという構図になっているのです。しかし、それでも三島は、最後の部分を一貫した手記で終わらせるのではなくて、何故か今という時間を組み込み、モノローグとしてしまっています。
 これを三島の単なるミスと考えるのか、あるいはそうしてまででも表現したいものがあったのかということを考えるのは、読者の自由です。後者の方が面白いので、さらに考えますと、作品を破たんさせてでも、過去を語るという構図から、同時中継をしなければならなかったということの意味が現れてくると私は思います。
 この手記は、常識的に考えれば溝口が金閣放火の後、逮捕されるまでの時間に書いたものか、逮捕された後獄中で書いたものか、事件の何年も後に書いたものかの3つにわけられると思います。作家論的になりますが、この作品は当然作品が発表される以前にあった、金閣寺放火の事件がモデルになっていることは言うまでもありません。そうしてまた、三島自身も、この作品は実際の事件の事実をかなり作品に取り込んでいると明言しています。それを考えると、放火した後の溝口はすぐさま逮捕されていますから、1というよりは、2というほうが考えやすいでしょう。また、最後のモノローグの部分の迫真性、今起こっているという感じから、3というよりも、放火から近い期間に書かれたと考えるほうが自然なので、やはり獄中で書いているのかなということになります。
 しかし、だとすると、今度はまた不思議なことが浮かび上がってきます。全てを終えた後に書いているとすると、この作中で最大の問題となっていた美の問題をはじめ、すべての問題に対して溝口は何かしらの答えを知り、もっていたはずです。にも拘わらず、今、知っていることは何も語らずに、かなり抑制した筆でもってすべてを順番通りに書き進めるのです。また、多くの研究者が指摘しているように、この作品では、手記というかたちをとっているのにもかかわらず、今の状況が何一つ書かれないのです。通常手記では、今の状況を書くのがふつうです。森鴎外の『舞姫』でも、帰国の舟のなかにいることが語られています。『金閣寺』の謎は、書いている今についての情報が一つも公開されないという、語り手の明確な意志にあります。「今から思えば」というような、過去を回想している箇所はあるのにもかかわらず、では今はどう思っているのかという点、今がどのような状況であるのか、こうした部分がきれいに描かれていないのです。その空白が、違和感として残るのかもしれません。

―南泉斬猫―
 この作品の特徴は、論理展開を目まぐるしいほどにしていくという中で、一つの真理のようなものを巡って考えを展開しているというように感じられます。そこには、例えば、行為なのか、認識なのか、美とは何か、金閣寺の象徴は、溝口にとっての人生は、表と裏の関係は、などなどです。これらを巡って、溝口が非常に論理的に、しかも断定的に論理を展開していくわけです。そのなかで、論理をころころと転がしていく過程で、かつて生み出した論理を超えて行ったり、また矛盾していた部分をクリアしていったりしています。
 通常すべてが終わった後に書いている手記であるならば、ここまで最初からすべての思考をたどらなくても良いはずなのです。最後の結論が見えているのですから。しかし、敢えて溝口は最初から、省くということをほとんどしないで、自分の論理を展開していきます。
 美と金閣についてをまず考えましょう。この作品における美とはなんなのかが、いまだ私も良くわかりません。美については作中でも何度も何度も論じられているのですが、そのなかで少しずつその論が変化しており、一体どれが美についての最終的なものなのかがわからなくなっているのです。作中で何度も登場する「南泉斬猫」。これを象徴的に考えてみたいと思います。柏木によれば、ここに登場する猫というのは、美として捉えても良いでしょう。すなわち美は、金閣寺です。
認識と行為という二項対立のなかで、この作品は進んでいくように思われます。私もそう思いましたが、研究者のなかには、二項対立だけでは済まない、もっと複雑になっているとの指摘もあります。一応二項対立という前提で話を進めますと、「南泉斬猫」に登場する南泉が行為者、趙州が認識者として象徴づけられていると思います。「南泉斬猫」の話は、大きく二度登場しますが、前半で柏木がこの話をした際には、溝口の「人生」についての問題としてこの話が登場しています。溝口にとっての「人生」とは、これもまた複雑ですが、大まかには、女性との性的関係を持って、裏である影の世界から、表である社会へと進出するということになるだろうと私は思いました。この「人生」においては、すでに女性との関係を持っている柏木は、行動者としての南泉和尚の役割を担い、認識で世界を変えようとしている溝口は趙州という役割配置になるのだと思います。P184の部分では、確かに美について話してはいますが、ここまでの柏木と溝口の対比は、柏木が「人生」を為すための行為者であり、溝口が認識者であるという構図がそのまま美にも反映されているという意味において、上のような対比になるのだと思います。
 しかし、後半でもう一度この話が登場した際に、溝口は南泉、柏木は趙州と、役割配置が反転しています。これは、美について考えたなのです。美については、柏木は認識でしか世界は変わらないという思いを抱いています。そうして、金閣という最大の美を破壊する、猫を切るという行為をもってして美に立ち向かおうという溝口は南泉になるのです。さて、最初に登場したこの考案の話で、柏木は「さてそれが最後の解決であったかどうかわからない。美の根は絶たれず、たとい猫は死んでも、猫の美しさは死んでいないかもしれないからだ」と述べています。このことが、最後の金閣寺放火の後のことにかかってくるのです。
 すなわち、溝口は金閣という最大の美を南泉として、行為者として破壊してしまったあとに、この手記を書いているのですから、そのあとに、金閣が消えたとしても、美が残ったのかどうかということを知っているはずなのです。なのにもかかわらず、それを全く教えてくれないのです。美について、何度も論理を展開した挙句、最後の最後になって、結局どうなったのか教えない。この謎とも奇怪とも思われる、作品の構成上の空白が、読者を路頭に迷わせ、最後まで読み進めた読者は、あれ、おかしいということになるのでうす。しかし、最初から溝口の手記であるということを刷り込まれている読者たちにとっては、何がおかしかったのかわかりません。よしんば気が付いたとしても、その空白が何故つくられているのか、謎が深まるだけなのです。

―何故語るのか―
 この謎の空白は、このテクストの存在意義にも関わってくると思われます。つまり、何故溝口がこの手記を書くに至ったのかということです。この手記は、溝口が書いているというのが、一応の全体の認識としては主流ですが、ここで、柴田勝二という研究者が、柏木が溝口のふりをして書いているのではないかという指摘をしているということも書いておきましょう。この論文あとで紹介しますが、なかなか一理あり、面白いものです。
 手記は一応溝口が書いているものだとして考えますが、すると、この手記は何故書かれ始めたのかということが問題になります。現実に起こった金閣寺放火というのは、当時の人びとにとっては、ものすごい事件だったということは予想が付きます。今でも、例えば大阪城が燃えたなどということになれば、それたとてつもない損出ですし、大変な事件です。いまだ金閣寺の放火は、三島の作品を抜きにしても衝撃が残っているのではないでしょうか。その事件を題材にしたということくらいは、事前知識として了解している読者は、たとえそれが金閣寺放火という実際に起こった事件をもとにしたフィクションだったと知っていても、この作品を手にする際には、何故犯人が金閣寺に火をつけたのかという理由を求めて読もうすることは、簡単に予想が付きます。金閣寺を読もうとする際に、全くなんの事前知識が無ければ別ですが、当時そんな人はいなかったわけで、何かファニー的な面白さを求めて読もうという人はいないと思われます。ですから、まず読者は読む前の段階から、犯人が何故犯行に至ったのかという動機を求めて本を読むという態度が最初からできあがっているのです。ところが、溝口という語り手がずっと、金閣寺についての美を詭弁とも言えるようなめまぐるしい論理を展開するだけで、一向に動機らしい動機が見えてこない。最後には、彼にとっての美の本質が何であったのか、金閣寺の究竟頂に入ろうとして、拒まれたという一言ですべてが片づけられてしまいます。この小説において、読者が最初から求めていた動機は、溝口の目まぐるしい論理展開により、彼にとっての美の本質は何かという疑問にすり替えられ、あまつさえ最後はその本質にたどり着こうとして拒まれたの一言で終わるのですから、読者は肩透かしを食らったという感想が残るように、構図として成り立っているのではないでしょうか。
 では、溝口が美の本質にたどり着けなかったのを書くために、これを書いたのかというと、どうもそうではないような気がします。これは、語り手が何故このテクストを語るのかという原初的な問題なのですが、有元伸子氏の論文を参考にして、これを考えてみたいと思います。
 そもそも、吃りである溝口がこんなに論理的に、しかも雄弁で多弁的な文章を書けるのかという問題があります。近年の研究者は、この問題に対して懐疑的です。
 「こういう少年は、たやすく想像されるように、二種類の相反した権力意志を抱くようになる。私は歴史における暴君の記述が好きであった。吃りで、無口な暴君で私があれば、家来どもは私の顔色をうかがって、ひねもすおびえて暮らすことになるであろう。私は明確な、辷りのよい言葉で、私の残虐を正当化する必要なんかないのだ。私の無言だけが、あらゆる残虐を正当化するのだ。こうして日頃私をさげすむ教師や学友を、片っぱしから処刑する空想をたのしむ一方、私はまた内面世界の王者、静かな諦観にみちた大芸術家になる空想をもたのしんだ。外見こそ貧しかったが、私の内界は誰よりも、こうして富んだ。何か拭いがたい負け目を持った少年が自分はひそかに選ばれたものだ、と考えるのは、当然ではあるまいか、この世のどこかに、まだ私自身の知らない使命が私をまっているような気がしていた。」
 ここまでが作品からの引用。次に論文の引用をします。
〈この「暴君/大芸術家」という二つの願望を、〈行為者〉〈表現者〉に置き換えてみれば、「私自身の知らない使命」に導かれるようにして金閣を焼き(行為し)、そしてその自らの行為を手記に綴った(表現した)、〈私〉のまさに将来のゆくえを暗示していると言えよう。『金閣寺』は、このように、〈私〉が、この少年期の二極分解した欲望を、いかに自己実現していくのかを提示した作品でもあるのだ。〉
 何故、この手記は存在するのか、溝口によって書かれるのかという理由の一つとして、この二つの初期の願望のうち、破壊者となった後に残った大芸術家として、表現するという方向性を持ったということが考えられるのでしょう。ただ、その表現をする際に、いくつか溝口なりのルールがあります。「人に理解されないということが唯一の誇りになっていたから、ものごとを理解させようとする、表現の衝動には見舞われなかった。人の目に見えるようなものは、自分には宿命的に与えられていないのだと思った。孤独はどんどん肥った。まるで豚のように」とあり、溝口にとってのアイデンティティーの一つが、他人に理解されないことにあるということがわかります。他人に理解されないことが、自己のアイデンティティーになるというのは、現実的に考えても極めて異常ですし、また悲劇的なことです。しかし、この作品が存在するということは、少なくとも何かしらの理解されることを求めて、文章化したということですから、自ら自分のアイデンティティーを破壊しているのではないかということになります。どうやら、この理解されないことが存在理由という定義が、徐々に終盤にかけて変容するようです。この物語の本筋は、むしろここにあるのではないかと私は考えています。この溝口という人物のアイデンティティーがどのようにして変容したのか、しかもその変容は、理解されないことが存在理由だった人間が、はじめて他人と交わり、他人に理解されるようになろうという劇的な変化なのです。多くの研究者も指摘する、二つの箇所から引用をします。
 「学校の図書館が私の唯一の享楽の場所になり、そこでは禅籍は読まず、手あたり次第に翻訳の小説やら哲学やらを読んだ。その作家の名や哲学者の名をここに挙げることを私は憚る。それらは多少とも影響を及ぼし、のちに私のした行為の素因となったことは認めるが、行為そのものは私の独創であると信じたいし、何よりも私はその行為が、或る既成の哲学の影響として片づけられることを好まぬからである」
 「奇妙なことであるが、これは私の耳に入った世間の批評のはじめてのものであった。(略)しかし老いた役員たちのこんな会話は、少しも私をおどろかさなかった。それらはみんな自明の事柄だった!私たちは冷飯を食べていた。和尚は祇園へ通っていた。・・・・・・が、私には、老役員たちのこうした理解の仕方で、私が理解されることに対する、言わん方ない嫌悪があった。「かれらの言葉」で私が理解されるのは耐えがたい。「私の言葉」はそれとは別なのである。老師が祇園の芸妓と歩いているのを見ても、私が何ら道徳的な嫌悪にとらわれなかったことを思い出してもらいたい。老役員たちの会話は、こうしたわけで、私の心に、凡庸さの移り香のようなもの、かすかな嫌悪だけを残して飛び去った。私は自分の思想に、社会の支援を仰ぐ気持ちはなかった。世間でわかりやすく理解されるための枠を、その思想に与える気持ちもなかった。何度も言うように、理解されないということが、私の存在理由だったのである。」
 一貫して、「彼らの言葉」で理解されることを嫌っている溝口。先の引用では、自分が為した行為を、他人の勝手な言葉、考えで簡単に解釈されてもらっては困るということなのです。しかし、ここでの引用文からもわかるように、溝口は明らかに読者を想定してこの文章を書いています。溝口は理解されるのがいやだったのではありません。確かに理解されないことは、彼にとっての一つのステイタスではありましたが、そのステイタスを捨ててでも、得るべきものが、金閣寺を焼いた後に浮き上がってきたのです。溝口は「彼らの言葉」で理解されるのが嫌なのであって、「私の言葉」で理解させることに関しては、徐々に寛容になっていきます。このテクストでは、様々な箇所で、「見る」「私」が浮かび上がってきます。溝口は常に「社会」「人生」を見る側であって、そこへ参与することはできなかったのです。有為子がこのテクストのなかで、特権的な地位を得ているのは、常に「見る」側にあり、「見られる」ことのなかった溝口のたった一つの例外だったからです。有為子は彼が望まないままに溝口のことを「見た」唯一の人物です。だから、常に有為子の特別性、特権性というものが付加されているのだと思います。そうして、もう一人の例外は、金閣を焼く直前の、禅海和尚。物語の最後、すなわちこの手記を書いている時間に近い頃に、溝口は自分が行った、世間では通常理解されないような行為を、それでも自分の言葉で理解させるために、見られることを自ら望んだのです。「私を見抜いてください」という言葉からは、これからの自分が行う行為の証人であれということになります。

-終わりに-
 つまり、この小説のメインとなるものは、主人公の動機ではなくて、溝口がいかにして語り始めたのか、そこまでの変容、変質を追う物語なのではないでしょうか。だから、溝口は必ず、自分の理解でしか相手を理解させたくないわけです。そうすると、何で金閣寺を焼いたのだろうと言う動機を知りたいとおもって火に寄ってくる虫を追い払いたいわけです。動機を知りたいと思って読みにきた人間は、溝口にとっては、個人個人の理解で自分のことを無理やり解釈しようとする凶暴な外敵でしかないからです。なので、そうした動機を求めてやってきた人間に対しては、論理の魔術のなかに落とし込めて、最後は全く何もないというからっぽを提示するという罠をはったのではないでしょうか。実際は、何故このテクストが語られるのか、その語りまでの変質、変容こそがこのテクストの存在意義であるということが隠されていたのではないでしょうか。

参考文献
有元伸子 『金閣寺』の一人称告白体
杉本和弘 〈私〉の手記という方法―『金閣寺』の場合―
中野裕子 『金閣寺』試論―疎外の鏡―
佐藤秀明 『金閣寺』観念構造の崩壊
柴田勝二 反転する話者―『金閣寺』の憑依
井上隆史 想像力と生―『金閣寺』論―
許昊 『金閣寺』論―手記とモノローグの間―

文学の読み方


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文学作品を読む際に、私たちは「読む」という行為が当たりまえすぎるために、別段、「読む」という行為が実はどのような行為なのかを意識したことがありません。ですから、読んでいる文章というものにも、特に意識をくばったことがないのが現状です。ですから、文学作品というものには、何か作者の言いたいことがあり、それを正確に読み解いていくのが正しい読み方だと通常は考えます。しかも、それを中学、高校の国語の教育では教えてきているのです。これは本当に大学で文学を研究している人間から見ると、ゆゆしき事態なのです。
『現代文学理論』という本から、内容を要約して書きます。
 文学作品というものは、依然はそれを書いた作者のものでした。しかし、現在では少し大胆に述べると、文学作品は作者のものではなくて、読者のものなのです。文学作品を研究する際には、いくつか研究方法があるのですが、かつての主流は「作家論」や「作品論」というものがありました。これらの研究方法が前提とするのは、作品を書いたのは作者であるという常識です。作者が書き上げた作品には、作者の意図と、文学作品の意味が隠されており、それを解き明かすのが文学研究の役割であるというのがこれらの立場です。これらの研究の中心は、何よりも作者の伝記的事実に関心を集め、実生活の細部を探り出すことでした。伝記的情報を蓄積すれば、作家の本質をつかむことが出来ると考え、作品の意味は、作家の伝記的事実のなかで解き明かされるのだという考えです。しかし、これは実は文学というよりかは、歴史や考古学のようなものです。研究は、その作家に関する知識のみがものをいうようになり、作品の研究というよりは、作家の研究だったわけです。
 その後、これまたこちらの世界では常識なのですが、言語学のソシュールという人物の思想にヒントを得た言語論的転回という考えが1900年代の23十年ごろから勢いをつけ、50年代にはアメリカを中心に、「新批評(ニュークリティシズム)」という考えが確立します。言語論的転回というのは、ちょうどほぼ同時期に、哲学者であるウィトゲンシュタイン(ヒトラーと同じ学年で、同じ学校で過ごしていたということを先日知り、びっくりしました、年代の把握に役立つと思い書きました。)も同じような考えに至っています。この両者の考え方、アプローチの仕方など、それだけでもかなり興味深いものがあるのですが、今回は結論だけ。彼らが考えたのは、我々が言葉を使っているのではなくて、言葉の方が何かしらの理由で我々よりも先にあるのだということです。これだけでは何のことかわかりづらいかもしれません。言葉はそれ自体は本質的には意味を持たずに、言葉が意味を持つのは、その後の人間による行為だとでも述べましょうか。モノがあって言葉があるのではなくて、言葉が(何かしらの状態、あるいは理由、これは人間では捉えられない事象)先にあって、モノがある、というような考えなのです。どうでしょう、何とか理解できますでしょうか。私も最初は何を言っているのかわからなかったのですが、次第になんとなく理解できるようにはなってきました。しかし、いざ他人に論理的に説明しようとすると、まだぼんやりとしか理解できていないので、難しいです。至らなくて申し訳ありません。わからなければ、また説明しますので、理解できなかった点を後で連絡してください。約100年前に転回したこの思想は、アカデミズム(学問の)世界では常識となっています。このことに関しても、本来ならば中・高で教えなければならない常識であるはずなのですが、なぜか日本の教育機関ではこのことに関しては全く沈黙を守っています。だから、現在の日本の教育機関は100年間遅れているとも極言すれば言えるのです。
 さて、言語論的転回から発想を得た「新批評(ニュークリティシズム)」は、作品そのものを研究の中心にしようというものです。作者から一旦作品を切り離して考えようというものです。作者の伝記的事実や、作品外の情報は切りすてられ、一つの閉じた世界としてテクストが精読されます。また、ここで、A,ディボーデが指摘した、二つの読者の存在も考える必要があると思います。小説から筋だけを性急に読み取ろうとする大衆的読者と、そうした段階を超越したエリート読者(表現の仕方がちょっといらっときますけど、わかりやすさのため敢えて)という対立構図です。文学作品の人間性を探求する特権を自認している選ばれた精読者(リズール)と、「小説に娯楽、清涼剤、日々のちょっとした休息、そういうものしか求めな」い消費的読者(レクトゥール)です。
 50年代の後半に入ると、フランスを中心に構造主義が隆盛を極めます。現在の大学での文学の研究もこの、この構造主義の考えを主流としています。構造主義と新批評の差は、専門家は違うとしているのですが、文学部ではそこまで明確な差を考えてはいません。どちらも、作品に主眼を置いた研究の方法です。
 この後、さらに発展した研究があるのですが、それはまだ新しく、十分に確立されていないので、日本の大学では導入されていません。なのでよく私も理解できていないのですが、第一の段階が、作家、第二の段階が作品(私たちがメインにするのはここです)、そうして新しい第三の段階が読者ということになるそうです。一部、この考えが我々の使用しているテクスト論の考えにも入ってきているのですが、その全貌は私もよくわかりません。ただ、考えとしては「読者とは、何よりも能動的存在であり、読む行為により、積極的に文学作品の具体化に関わっているのである。文学作品とはそれ自体で成立する客体ではなく、読者の読みにより、初めて姿を現す何かなのである」そうです。この考えまでは何とか現状の我々も理解できるのですが、これの後を行く考えもまたあり、それはあまりにも本題から逸脱するので、割愛します。
 こうした、文学を読む以前の前提として、作品とは何か、作家とは何か、読者とは何か、といったものも一回考えてみたいとお思いになりましたら、先ずはこれらの本を図書館で読むなり、本屋で買うなりしてみるといいかもしれません。お勧めします。
前田愛『文学テクスト入門』筑摩書房
筒井康隆『文学部唯野教授』岩波現代文庫
石原千秋・木股知史『読むための理論』世織書房

二重の戸惑いとは何かーこれからの国語教育を言語論的転回から見据えてー キーワード:言語論的転回、ソシュール、ウィトゲンシュタイン、池田晶子

はじめに
 本稿は、〈全国大学国語教育学会編著、『新たな時代を拓く 中学校・高等学校国語科教育研究』2010、学芸図書〉、のⅠの2に掲載されている須貝千里氏の書いた「国語を教えるということの意義」に対して、そこで描かれている「二重の戸惑いと向き合って」という部分を主眼に置き、その戸惑いがどのようなものであるのか、またソシュールとウィトゲンシュタインの提唱した言語論的転回とはどのようなものであるのか、そうして、それをどのようにして国語科の教育に活かせるのか、取り上げた論文に対する私の見解とともに考察していく。

言語論的転回
 言語論的転回という言葉は、ソシュールやウィトゲンシュタイン自身が使用したものではない。この二人によって拓かれた画期的な思考の転回をもとに始まったいわゆる「現代思想」のなかで、アカデミックの研究者たちが後付した「言葉」である。
本稿のメーンは須貝氏の論文の解釈にあるが、しかし言語論的転回というものにまったく触れずに論旨を展開することはほぼ不可能で、またこれに対しても一考しておく必要性があるため、しばらく言語論的転回について論じることとする。
 フィルデナン・ド・ソシュールは、スイス人言語学者(一八五七~一九一三)である。「ジュネーブで生まれ、ライプツィヒ、ベルリン、パリで歴史言語学を学び、インド=ヨーロッパ言語学の専門誌に研究論文を数本発表し注目を集めた」(ポール・ブーイサック著、鷲尾翠訳『ソシュール超入門』2012、講談社)人物である。彼が有名になったのは、彼の没後に発表された『一般言語学講義』(一九一六)のためである。この著作が以後有名となり、そのあまりに画期的な思考の転回が、その後の構造主義や記号論的な思考の礎を為す重要な潮流を作り出したのである。だが、ソシュールを少しでも学んだ者にとっては周知のとおり、この20世紀最大の思考の転回の流れを生んだ『一般言語学講義』という著作は、ソシュール自身の手によるものではない。ソシュール自身は近年では膨大な手稿が発見されているが、存命中は自己の論に自信が持てず、それを書籍として発売することに対してあまりにも強固な態度を取り続けた学者であった。彼は生存中若い頃に発表したいくつかの論文を除いて、貴族出身ということもあり社交界の人間関係や、授業の準備、病気との闘いなどによって、ほとんど自分の思考を論理的で体系的な文章として残すことをしなかった人である。そのために、彼のラディカルな思考の体系は、彼の授業に出席していた多くの学生のノートや、没後に発見された数々の断片的な手記のつぎはぎをしたものを、彼の弟子たちや研究者がまとめたものである。一九一三年に、ソシュールが五六歳の若さでこの世を去った後、多くの人間が彼の死を悼んだ。それと同時に、彼の思想がまとまった形として発表されていないことにもひどく失望された。その結果「同僚のシャルウ・バイイ(一八六五~一九四七)とアルベール・セシュエ(一八七〇~一九四六)はソシュールの思いを汲み、学生たちのノートや入手可能なわずかな手稿を構成して」(同書)一九一六年にその集大成を『一般言語学講義』として出版した。しかし、この著作を、著者名をソシュールとした点や、断片的なもののつぎはぎ、それからソシュール自身が回答を出していない部分を逐次編者たちが自分たちの解釈を混ぜて継ぎ足したために、その後のソシュールを巡る問題が生じてくる。どこまでがソシュールの考えで、どこが付け足しの部分なのか、こうした議論がその後長い期間続くこととなった。その後ソシュール最後の授業となった一九一〇~一九一一の講義を勉学に対する熱心な感情の持つ主であるエミール・コンスタンタンという学生が非常に正確に、丁寧にソシュールの言葉を一語一句逃さないように書かれているノートが発見され、ソシュール研究は飛躍的に進歩していく。

ソシュールの考え
 ソシュールの考えは、彼の出発点は言語学に端を発していたものの、最終的には言語の哲学と言ったものにたどり着いていたと考えても良いだろう。通常私たちは、人間が主体となって、「言葉」を「操」ったり「使」ったりしていると考える。この考えは、私たち人間が「言葉」という「道具」を使用して会話やコミュニケーションをとっていると考えられる、実態主義に基づいている。ここでは「言語」=「道具」という構図がいとも自明の如くに了解されているのである。事実、こうした認識の仕方は現在でもごく一部のソシュールやウィトゲンシュタインを学んだ者を除き、広く社会を圧倒しているし、また19世紀のアカデミズムでも支配的な考え方であった。ただし、このことは本当に当たり前のことで、しかも信用にたることなのであろうか。同時代のドイツ哲学者フッサールは、〈つまり「自明」に映ることを「当たり前」と捉えない反省的思考をもって研究に臨め〉(対話的コミュニケーション論構築へ向けてーソシュールとウィトゲンシュタインに学ぶー吉武正樹、2005、日本コミュニケーション学会「以下吉武2005」)と主張している。実は、こうした見方、考えは、「言語が本当の道具であることではなく、人間という主体にとって言語が「道具的」に現前していることにすぎない」ということを表しているだけなのである。「もし言語が道具そのものであれば、人間に対して「在外的」かつ物理的な形を持つはずである。」(吉武2005)私たちは言葉や言語というものが道具だと認識しているが、実は道具的なものであるだけであって、実際に道具ではないということだ。もし、道具だったとしたらなば、空也上人像の如く、発した瞬間から言葉が物理的に存在しなければならないことになるだろう。これに対して、ソシュールの考えは、「実際は、言語自体は実態を持たない「記号」として存在し、その機能ゆえに「道具的」に認識されるだけのこと」(吉武2005)だという。当時の支配的な考えとしては、シュライヒャーや青年文法学はの人びとが打ち立てた、言語学は人間から切り離して、完全な客体として、それを分析することで自然科学的な学問にしようというものだった。これが当時の実体論的な考えである。ソシュールにとって、この「実体論」からの脱却が彼の第一の目標であった。そうして彼が打ち立てたものは、それがそのものとしてある「実体論」ではなくて、「言葉」や「言語」が相対的で、他のものとの関係によって決まるという「関係論」であった。「観点に先立って対象が存在するのではなくさらさらなくて、いわば観点が対象を作りだす」(ソシュール『一般言語学講義』1972、岩波「以下略ソシュール1972」)のである。ソシュールの考えは、モノが先行し、それを言葉が表すのではなくて、言葉があることによってその対象が生まれるということだと私は解釈している。同書92頁では、「言語記号が結ぶのは、ものと名前ではなくて、概念と聴覚映像」であるとしている。ソシュールは彼のダイナミズムな考えを表す際に、現存のフランス語ではだめだと感じていた。フランス語彼にとってはあまりにもあいまいだったのである。ソシュールが作り出した言葉が余計に多くの混乱を招いているという事実は否めないが、ここでソシュールは「言語記号は恣意的である」(同書)と述べ、「所記(シニフィエ)」と「能記(シニフィアン)」という概念を打ち立てて説明している。所記と能記の違いについては、以下を引用して考えたい。

 例えば/inu/(犬)という音(能記)を聞いた時、それは/kinu/(絹)でもなく/isu/(いす)でもなく、差異体系の中でのみ/inu/が意味を持つ。また「犬」という概念(所記)も「猫」でなく「猿」でもないという体系内で、「犬」として意味を保つ。(吉武2005)

 ソシュールの難解さは、この構造だけにとどまらず、さらにそれに対してもう一つ構造があることが大きい。ソシュールの考えでは、言語や言葉というものは、そう簡単に理解できるものではなく、むしろ論理的で明快であるわけではないと考えていた。次に引用するのは、今見たシニフィエとシニフィアンの構図の、差異体系の構図について、さらにそれを考えたものである。

 差異の体系としての言語は、「共時態」レベルで出現する。言語学の対象としてのソシュールが見出したものはいま・ここという共時態におけるラング(言語)、「言語能力の社会的所産であり、同時にこの能力の行使を個人に許すべく社会団体の採用した必要な制約の総体」(ソシュール、1972、P,21)である。一方、「つねに個人的なもの」(P,26)とされるパロール(言)は言語学の対象からは切り捨てられる。「言語を言から切り離すことによって、同時に1、社会的なものを、個人的なものから、2、本質的なものを、副次的であり、多かれ少なかれ偶発的なものから、切り離す」(P.26)

 パロールの偶発性とは、簡単に述べれば、パロールによって発される音というものは物理的な音であるが、しかし、それは一回性に限り、私たちがどんなに同じ単語を発音しようと、正確には二度と同じ音は現れないということである。そう考えると、大きな違いはないものの、基本的に私たちは二度と同じ言葉を話すことはできない一回性のなかで生きているということになる。〈この「偶発的」な音から、「普遍性」を見出し、意味あるものとして理解するには、「社会的な所産」がいま・ここに人間の意識において存在するはずである〉(吉武2005)とソシュールは考えている。大なり小なり、二度と同じ音は作り出せない中で、私たちはそれでも日常生活においては何ら不自由することなく、コミュニケーションをとることが出来ている。そこには、この音を、聞いた側の人間が、自分が知っている単語と認識しうる過程があるだろうというのがソシュールの考えである。すなわち、ここに、最初から言語や言葉を認識する能力が人間には備わっていて、文法や規則というものは、後になって、その法則性を見つけ出しただけの後付であり、二次的なものでしかありえないということが判明するわけである。
 ソシュールの言語論を締めくくる最後として、共時態と通時態についてごく簡単に考えておく。ソシュールは言語が絶えず変化しつづける川の流れのようなものであると考えていた。そのため、川の源流である一点と、川の流れの激しいところや、緩やかな地点とを別個に取ってきてこのような歴史的な変化があったという考察は、客観的で機械的な時間をもとに考えているとして、否定している。ソシュールは共時態という言葉を使い、変化しつづけている言語のある一部を切り取って見るということはしている。これがソシュールも機械的な時間を対象としているではないかという批判を浴びた箇所であるが、実はソシュールの考えはそうではない。〈意志の枠内ではとらえきれない言語の動態的側面を概念化するには、主体に現れたラングを打ち壊して別のラングへと移行するための力学と、それが生じる時間軸が必要になる。この考察を可能にするものこそ「通時態」の概念なのである〉(吉武2005)。ソシュールの言う、ラングと共時態というものはイコールで結ぶことができる。この一秒の間でも変化しつづけている言語というものを、誰かがシニフィエとして発音するとき、私たちはそれが自分の中に存在しているある知識と同じであるということを認識し、相手が発した言葉が何を指示しているのかを認識する。この認識したものを、ラングとする。ところが、通常会話というものは、たった一つの音だけでなされるものではない。このラング=共時態Aは、次々に認識されてくる別のラング、共時態BやCとどのように連関しているのか、共時態と共時態をつなぐものは何か、それが通時態というものである。共時態が認識できるものであるのに対して、通時態は無意識的なものである。機械論的な考えが共時態で止まっていたのに対して、ソシュールは共時態と共時態とをつなぐ、通時態、つまりある一点を切り離してそれを観察するのではなく、ある一点と一点がどのように変化したのかを考察する、「動」的なことを捉えようとしたのである。

ウィトゲンシュタインの考え
 かなりおおざっぱで、しかも私の解釈の混じった考えではあるが、一応ソシュールの考えの外観は捉えられたと思う。ソシュールの考えは、言葉や言語の意味というものは、「『聞く主体』によって体験された『意味』」(吉武2005)であり、聞くという主体的な体験のなかで、その意味が付加されていくというものである。同様に語る場合も語る主体の意識の中で見出されるものである。ここで見出される意味は、「個々人が社会的所産として体得した規範とでもいうべきもの」(吉武2005)である。このようなことから、ソシュールの考えは「語るー聴く」という構図によって成り立っていると考えられる。これはつまり、語る側と聴く側には、すでに何かしらのコード、規則が共有されているということである。その共有されているものが、先に述べた社会的な所産である。
 それに対して、これから考えるウィトゲンシュタインはどうであろうか。ウィトゲンシュタインは、彼の人生においても自己の論理を反対に展開していくということまでした、かなり懐疑的な人物である。ウィトゲンシュタインは、彼の考えを「言語ゲーム」という言葉で表している。しかし、この「言語ゲーム」とは一体何なのかと考えたとき、彼がこの言葉に対して概念を明確には定義していないということを我々は知ることになる。
 ウィトゲンシュタインは同一的な意味に対してかなり懐疑的である。彼にとって「規則とは事後的に見出されるものにすぎない。例えば、母語を話すとき我々は文法を意識して発話しているのではない」(田中克彦『ことばと国家』1981、岩波新書)としている。話している内容自体は、社会的な所産物によって認識できるソシュールの論と異なる点は、彼の論がソシュールの「ラング」ような社会的に共有されたものすら存在しえず、それさえも関係性のなかで成り立つものでしかないとしている点である。ソシュールとウィトゲンシュタインの思想は距離を置いてはいない。言語の実体性を否定し、言語は関係性のなかでしか存在していないということは両者の主張することである。ただし、その関係性を共有するコードをソシュールが「ラング」としたのに対して、ウィトゲンシュタインは、そうしたコード=ラングというものもまた、実体化しようとしていると考えて、それすらも関係性のなかでしか存在しえないはずなのだから、「言語ゲーム」という言葉をつくりはしたものの、それには明確な定義づけはできないというところでとどまったのである。

二人の考えのまとめ
 実体がない学問というものは実体がないのだから、実に捉えづらく、観念的にならざるを得ない。私たちはそれが物理的に存在しているとは認識することができないのであるから、いわば形而上学的な側面もあると私は思う。これまで二人の思想を追ってきたが、非常に複雑怪奇でわかりづらくなってきたので、ここで先から引用させていただいている、吉武氏の論文のよくまとまった部分を引用してまとめとしたい。
 ウィトゲンシュタインの考えは〈日々のコミュニケーション活動とは、何らかの規則にそって行われているのではなく、我々は常に「言語ゲーム」の内部にありながら規則に盲目に従っている。規則とは明示しうるものではなく、「言語ゲーム」とは、規則がこのように生活様式として文脈の中に埋没しているさまを言い当てる原理なのである。〉このウィトゲンシュタインの考えと〈ソシュールが共時態というコスモスと通時態によって突き上げられたカオスという緊張関係の内に構造を見出し、流動的な関係性として捉えたこと〉は両者の共通するところである。〈この共有したラングをもとに人は「語るー聴く」の関係を結ぶことができる〉。〈一方のウィトゲンシュタインは「教えるー学ぶ」という立場からルールの同一性を拒絶した。しかし、共時態としてのラングは通時態の概念を導く仕組みでしかないという意味では、消極的な概念であり、ウィトゲンシュタインが考える「事後的にしか見出せない」規則とさほど違わない。両者にとって、水面下でうごめく流動的な言語は、極めて人間的で、生活の中に埋め込まれた無意識としての言語であり、上層構造は我々の意識に結果として事後的に現前した表象である。ウィトゲンシュタインによる「他者」を視野に入れた「教えるー学ぶ」の関係のコミュニケーションはソシュールよりも徹底しているが、ソシュールの動的な構造観念とウィトゲンシュタインの不同一的規則概念は補完的関係にあるといえよう。〉(吉武2005)

二重の戸惑いについて
 『新たな時代を拓く 中学校・高等学校国語科教育研究』において、該当箇所の執筆者である須貝氏は、こちらの文章が先か後かは私の知り得ぬところではあるが、氏の『言語論的転回・オレ様化・ナンデモアリ・第三項ー池田晶子「言葉の力」という試金石ー』という論文においても、同じ内容をより詳しく論じている。池田氏の「言葉の力」によって生じる、第一の戸惑いとは、このようなごく簡単に説明しようとしてもこれだけ複雑な思考を必要とする言語論的転回を前提としていることである。須貝氏の「二重の戸惑い」の文章では、前後して「日本語」と「国語」という言葉を出して論じている。これは、まさしく、ソシュールやウィトゲンシュタインが否定した実体的なモノである。言葉というものは、実体としてあるのだという過去の考えと同一線上のものである。国語や日本語というありもしない、関係性のなかでしか生まれないものを、あたかもそれ自体が独立し、存在しているかのような言葉である。国語や日本語という実体化された言葉を使用して、さらにはそれを日本文化の礎であるとしたのが近代国家の国語の現状である。日本語や国語というもの自体がすでに実体のないものを実体として見せている幻想なのにもかかわらず、さらにその幻想を礎にして、日本文化というものがまるで存在するかのように教え込んだのが近代国家の教育の一環であった。言語論的転回は、アカデミズムでは主流になろうとしつつあるが、中学校・高等学校までの全教科においてはいまだ取り入れられていない。現在の日本の教育現場では、いまだにソシュールやウィトゲンシュタインが否定した、実証主義的な考え方に支配されているのである。我々もまた、この実証主義的な考え方のもとに教育されてきた人間である。そうした考えを持った我々がはじめて池田氏の論理g苦的転回を前提とした文章と出会うときに、その考えが理解できずに、戸惑うのはあたりまえのことである。須貝氏はこう述べている。「中学校・高等学校の言語教材の多くは〈言語論的転回」問題に深入りすることを避け、「相対主義、アナーキー」問題を突き止めようとしていない。それゆえに、実体主義に門戸を開いているのである〉(須貝2008)。
 二つ目の戸惑いは何かと、氏はさらに池田氏の文章の教材価値の核心に迫ると述べている。一つ目の戸惑いが池田氏が言語論的転回という、極めてアカデミックな思考をぜんていとしたうえで話を進めていたのに対して、その思考とは全く正反対の教育を受けて来た我々が読むと、なかなか発想の転回が出来ずに戸惑うということであった。それに対して、二つ目の戸惑いはというと、言語論的転回を前提としたうえで、さらに池田氏が独自の転回をそこに加えているというのである。

 〈池田氏の「言葉の意味」をめぐる、それは「人間以前」、「地球以前」、「宇宙以前」にあったという提起は、ソシュールの提起によって引き出された「相対主義、アナーキー」問題=「言語論的転回」を超えていくことに向かっていく。実態主義に舞い戻るのではなく、である。そこに池田氏の主張の価値と独自性がある。氏は、「言葉の意味」に倫理と公共性の根拠を見出していく。実態主義と非実態主義を同時に超えて、である。「言葉の意味」に〈言葉そのもの〉の絶対の領域をみているのである。「言語論的転回」問題に徹底的に正対することなくして、池田氏の、この提起の画期性に目を開かれることはない〉(須貝2008)

 氏は、池田氏の文章が難解であることは認めるが、それは第一に言語論的転回を前提としたうえで、第二に独自の発展をも付け加えているからだと言う。〈「言葉の意味」の絶対性を根拠として対置し、事態に対峙している。「人間」の外部に「言葉の意味」を置いて対峙しようとしているのである〉(「国語を教えることの意義」)という。本稿のメーンテーマである「二重の戸惑い」とは何かという点に関しては、これで正答が出せたと思われる。

私の見解
 氏はさらに、池田氏の文章を教科書で使用することについて、それが一体どのような意味を持っているのかということにも言及している。

 〈第一に、国語教育界は、「モノがあって言葉」があるという二元論、この言語論の非常識から決別し、「言葉によってモノが現れる」という位置言論、この言語論の常識に断ち切らなければならない(中略)。一元論の立場は、今日の、ソシュール以降の言語論の常識であるが、この立場はいまだ国語教育界の常識になっていない。
(中略)第二の焦点とは、まず「判断」があってそれを「言葉」で伝えるという、もう一つの二元論をいかに超えていくことができるのか、という問題である。言語表現は「判断」そのものである。それと別に「判断」があるわけではない。もう一つの二元論も実体論である〉とし、ここからの脱却、いかにして言語論的転回の思考を国語教育に持ち込むべきかと問題を提起している。

 私は先ず、池田氏の文章と、それを絶賛に紹介した須貝氏に対する指摘からはじめたいと思う。ソシュールとウィトゲンシュタインにはじまった言語論的転回は、その難解さからいまだにそれぞれの研究者によって多少の解釈の幅があるように感じられる。言語論的転回は、まさしく言葉、コミュニケーション、果ては人類の根源的な哲学の分野だと私は考えている。コミュニケーションの原始的で、根源的な分野の問題でもあるため、コミュニケーション論を専門としている、先ほどから多く引用させていただいた吉武正樹氏の論を、私は根拠としたい。
 私は言語論的転回を、表裏を裏返したような、内と外を翻したようなものだと認識している。語弊があるかも知れないが、敢えてわかりやすく言うと、コインの裏と表をひっくり返したようであると思う。こういうと、実に簡単に聞こえてしまうが、この考えができなかったため、約百年前から発露したこの思考が今なお新鮮なのである。ところで、ソシュールとウィトゲンシュタインの思考の共通点を先で考えたが、そのなかでこのような特徴もあると確認した。それは、言語や記号の規則性というものは、すべての事象が終了した後、事後的にしか見いだせないということである。さらに、ウィトゲンシュタインに至っては、その規則性さえも同一的なものは打ち立てることができないのではないかという考えであったと了解している。さて、それに対して、須貝氏の第二の戸惑いとなった、池田氏の論はどうだろうか。須貝氏が指摘している通り、池田氏の論は、「言葉」を「人間」から切り離して、それ自体が独立したものとして絶対的であるという論のように解釈できる。須貝氏は、池田氏の文章が、言語論的転回を前提の上に、さらにもう一度論を展開していると述べている。そこまでは私も了解できるのである。実体論から翻って、非実体論を前提の上で話を進めているのである。しかし、さらに池田氏は実体論からも、非実体論からも脱却していると須貝氏は解釈している。だが、私にはその新しい第三の領域と須貝氏が認識しているものが、一体なんであるのかはなはだ疑問である。池田氏がたどり着いたとされる第三の思考は、須貝氏もそれ以上は理解していないのか、これ以上言及されていない。ただ、「言語」を絶対化しているという状況は、実は実体論そのものに他ならないのである。
 池田氏は、非実体論の上に立ち、さらに論を展開した。私は先に、非実体論、すなわち言語論的転回は、何か袋状のものの表裏をひっくり返した、コインの裏表のような思考の転換だろうと考えた。一旦裏返ったものを、さらにひっくり返せばどうなるのか。これは実態主義に舞い戻っているだけにすぎないように私には思われる。確かに、池田氏のいうところは、実態主義とはまた多少ことなっていることは了解できる。ただし、氏の論は、結局実体論よりの見解となっており、これはあまり良い教材ではないというのが私の考えだ。言語の規則というものは、事後的にしか見つけられないということがわかっているのにもかかわらず、人間よりも先にあたかも実態を持った「言語」や「言葉」というものが、存在しているかのような池田氏の論には、首肯しかねる。
 また、コミュニケーション論の専門家である吉武氏の論には、池田氏の論と真っ向からぶつかる箇所がある。〈対話コミュニケーション論の探求にあたり、主体の意識に現れた表象から始めざるをえないとするソシュールと言語ゲーム内から始めるウィトゲンシュタインから我々が継承すべきは、「人間」からの乖離することなく対象を考察し、自らが敷いている「方法」という技術化に飲み込まれまいとする強靭な精神とそれにもとづく洞察である〉という部分である。私もまた、ソシュールとウィトゲンシュタインから学ぶべきことは、吉武氏の言うところであると考える。池田氏の論は、一見言語論的転回のさらにその上を行くかのように解釈できるが、実は「人間」から「言語」を切り離した時点で、すでにそれは実体論に逆戻りしていて、さらには、「言語」が最初からあった、宇宙にあったというような、実に単純な、自己の認識のしやすいように「方法」という技術化に飲み込まれてしまっているのである。吉武氏はさらに、同時代の哲学者であるフッサールを引用し、十九世紀後半の実証科学や実証主義に対して徹底的に対する警告に耳を傾けるべきだと述べている。孫引きであるが以下、フッサールの警鐘を引用する。

 十九世紀の後半には、近現代の全世界感は、もっぱら実証主義によって徹底的に規定され、また実証主義に負う「繁栄」によって徹底的に眩惑されていたが、その徹底性とは、真の人間性にとって決定的な意味をもつ問題から無関心に眼をそらす、ということを意味していた。単なる事実学は、単なる事実人しかつくらない。・・・この学問は、この不幸な時代にあって、運命的な展開にゆだねられている人間にとっての焦眉の問題を原理的に排除している。その問題というのは、この人間の生存全体に意味があるのか、それともないのかという問いである。(pp、16‐17)

 池田氏は、哲学者でありながら、このフッサールが継承したことを忘れ、一元論的な考えにも見えるが、言語を絶対化してまるで実体のように扱ったことに大きな問題があったと私は思う。言語や言葉というものは、決してそれだけでは実体としてありえず、様々な文脈や状況、使用の仕方などの関係性のなかでしか生まれないのである。その点で、言語や言葉というものは、人間から離れた瞬間に存在しなくなり、単なる実体論に逆戻りしていると考えられる。哲学者である竹田氏の論を引用する。

 人間の「身体性=自己ルール」はある意味でわれわれの「主体」だが決して我々に対して全権を振るうわけではない。われわれの《身体性》は動物の《身体性》とは違って、「自己意識」が絶えずこの《身体性》へと関係し、対話し、関係をとるような《身体性》なのである。そして重要なのか、そのことを通してわれわれは、潜在的にわれわれの《身体性=自己ルール》を少しずつ刷新し続けているということだ。(竹田青嗣『哲学ってなんだー自分と社会を知るー』2002、岩波ジュニアシリーズ 強調は竹田による)

 やはり、多くの研究者や哲学者、言語学者が考えているように、言葉と身体を切り離しては考えられないと私も思う。この点において、池田氏の文章は言葉を大切にしなければという主張はよくわかるのであるが、それを神のような絶対化をしている点で、極めて危険な文章であると言わざるを得ない。言語論的転回、すなわち非実体的な態をよそおって実体論の内部に逆戻りしている文章を、須貝氏もまたその眩惑のなかにいると考えられるが、中学校の教材に使用するのは極めて危険であると私は感じる。ただでさえ難解である言語論的転回というラディカルな思考の仕方を、中学や高等学校にどのように組み込むのかという議論は活発になされるべきである、その点においてそうしたことを主張している池田氏の文章に価値はないとは言わない。ただし、氏もまた、実体論に囚われているという点については、再度検討し、言語論的転回を紹介する文に差し替えるなどの配慮がなされるべきである。そうでなくても、池田氏の論の内容いかんにかかわらず、氏の文章はあまりにも難解である。大学生であっても理解するのに極めて困難を要する文章を、中学校の教科書に入れるというのは、中学生に文章を難解でつまらないものと思わせてしまう危険性もあり、どちらの意味においても池田氏の文章は教科書に掲載すべきではないと私は思う。また、須貝氏においても、池田氏の文章は非実体論の態をした実体論ということに気が付くことなく、それを肯定してしまっている時点で、氏の論文にあるいわゆる「ナンデモアリ」の状況に自らがいるということを認識する必要があるだろう。我々がこれからの国語並びに、教科全体のなかで何をどのように教えるかという問題については、言語論的転回を中学生にもわかりやすく、平易に説明した文章を作り出し、それを教材とすべきだと私は思う。たとえ池田氏の文章が第三の領域に達していたとしても、言語論的転回の根付いていない中学生にとっては、無用の長物である。先ずは、言語論的転回を前提とするまでを教育しなければならないのではないだろうか。
(文字数約12,600字)



参考文献
全国大学国語教育学会編著、『新たな時代を拓く 中学校・高等学校国語科教育研究』2010、学芸図書
ポール・ブーイサック著、鷲尾翠訳『ソシュール超入門』2012、講談社
対話的コミュニケーション論構築へ向けてーソシュールとウィトゲンシュタインに学ぶー吉武正樹、2005、日本コミュニケーション学会
ソシュール『一般言語学講義』1972、岩波
田中克彦『ことばと国家』1981、岩波新書
言語論的転回・オレ様化・ナンデモアリ・第三項ー池田晶子「言葉の力」という試金石ー
竹田青嗣『哲学ってなんだー自分と社会を知るー』2002、岩波ジュニアシリーズ
丹藤博文「言語論的転回としての文学の読み」2010、愛知教育大学研究報告59
斉藤伸治「ゲームとしての言語ーソシュールとウィトゲンシュタインについてー」2008、言語と文化・文学の諸相
飯田隆「現代思想の冒険者たち 第07巻 ウィトゲンシュタインー言語の限界」1997、講談社

皆さんへのお知らせ

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 熱い日が徐々に増えてきました。梅雨入り宣言は出されたものの、気象庁ちょっと焦っちゃったのかなと思われるくらい、晴れやかな日が続きますね。こちらは東京です。
 さて、今日はちょっと紹介したいものがあります。実は、面白いことを行っているブログがあります。学級新聞(仮)http://slapstick777.blog.fc2.com/というサイトです。このブログでは、それぞれのブロガーの人たちがそれぞれの記事を持ち込み、ブログ上で一つの新聞を為すというものです。月刊誌ですが、これが続くと面白くなっていくのではないかと思われます。今回は、連載リレー小説を私が担当しました。この連載リレー小説というものは、他人の書いた文に、次の担当者が勝手に後を付け足していくという形式の小説です。現在のところ、学校の怪談のような話が展開されていますが、今後どんな書き手がどう変えるかわかりませんので、最後はどうなるのか、まったくわかりません。このブログでは、現在記者、記事を投稿してくれるかたを募集しているようです。記者に関しては、ブロガーでなくとも問題はありません。どなたでも、このブログの経営者である、津島さんに連絡を取れば記事が書けます。
 今月号は、私の書いた、リレー小説と、太宰治『女生徒』の論文の後半が掲載されています。暑くなってきたとはいえ、夜はまだひんやりとして過ごしやすい日々が続いています。夏の夜の愉しみの一つとして、いかがでしょうか。
 また、記者も募集しているようですので、是非是非ブロガーでないかたでも参加してみてください。連載小説のほうでも、多くの人がどんどん継ぎ足していくと、面白いものができるでしょう。
 いつもお越しいただいている皆様、ありがとうございます。このブログを訪問してくださる方々がいらっしゃるので、書き続けられています。

上田和夫訳『小泉八雲集』 感想とレビュー 八雲に学ぶ、生者と死者の向かい方

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-はじめに-
 この本と出合ったのは、今年の初めのほうでした。震災から、二年を迎えようとしていたころに、一体どのようにして、私たち生き残った者、生者は、死者と向き合ったら良いのだろうかとずっと考えていたのですが、ふと、そんなことを考えている頃にこの本と出合いました。ちょうどその頃、桜庭一樹の『無花果とムーン』や『傷痕』という作品も読んでいたものですから、桜庭さんも彼女なりに、喪失というものと向き合っていたのだなと感じていました。先の震災の後、文学の世界に限っても、それぞれの作家が、独自の感性と個性で震災と向き合っています。先日話題を呼んだ村上春樹の『多崎~』も、震災と思われることが、ちらと書かれています。このように数行触れるようにしている作品もあれば、雑誌新潮で掲載された、綿矢りさ『大地のゲーム』のように、真正面から震災というものに立ち向かった作品もあります。
 先日偶々、海外が日本の震災をどのようにリポートしていたのかという映像をネット上で見ました。そこでは、福島の被災した人々をインタビューした映像が流れていたのですが、彼らの報道の内容は、日本のそれとは異なっていました。リポーターの方が言います。日本人は、震災によって、家族も財産も全て流されてしまったというのに、絶望、悲観することなく、力強く生きていると。我々西洋人は自然に対して人間の科学力を持ってコントロールしようとしているが、日本人はそうではない。日本人は我々とは反対に、自然と一体化することによって生きて来た。だから、今回の震災でも、彼らは激しく落ち込むことなく、毅然として復興に向かっている。私はこの映像を見て、海外の人には日本がそのように写っていたのかと思いました。日本は確かに自然と一体化とまでは言わなくても、共生しようとしてきたことは確かだと思います。
 今回取り上げるのは、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲の『小泉八雲集』です。

-ラフカディオ・ハーン=小泉八雲とは-
 小泉八雲(1850年- 1904年)はギリシア生まれです。しかし、父はアイルランド人、母はギリシア人です。八雲自身が、こうしたハーフであったことから、様々なアイデンティティの苦悩もあったことでしょう。日本へは、新聞記者として派遣されます。しかし、すぐに会社に絶縁。日本での友人を頼り、島根の松江中学で英語教師として赴任します。その後、日本人の女性と結婚し、名をラフカディオ・ハーンから小泉八雲と変え、没するまで日本で暮らします。その間に、日本の古い伝記や物語に興味を持ち、それを集めるかたわら、仕事を見つけては、海外に英語で日本のことを紹介していたようです。当時から、ハーンの紹介によって、日本の文化というものは、多くの外国から興味が持たれていたようです。
 ただ、ハーンが好き好んだのは、日本といっても、当時の日本ではなかったようです。本作の後ろにある上田氏の解説によると、〈「真実なものは古い日本でした。わたしは新しい日本を好むことができません」と、八雲は絶望にかられながらも、新しい日本を直視しようとしている。そして、古い、美しい、霊的な日本が、教育その他の面における西洋化によって失われていくのを悲しみつつも、結局、日本の近代化を推進し、新生の独立国家として国際社会に地歩をすすめる唯一の力が、新しい日本の中にしかないことを認めざるを得なかった。〉アメリカもイギリス人が移住したということを考えると、西洋文化なのでしょう。すると、殆どが西洋文化であった当時の世界情勢で、鎖国を続けていた日本はやはりかなり遅れていた。そして、列強その他と同等の地位を持つためには、どうしても早急に西洋化したものを取り入れなければならなかったのです。これは誠に不幸なことですが、そのために、近代化をしている最中、多くの日本の文化が失われていったのでしょう。そうして、そういうものというのは、灯台下暗しであり、当時の日本人のなかにはあまり気づく人が居なかった。それを小泉八雲は現代でも怪談などを研究する際の最重要な資料たるものを残してくれたのです。
 本作の所蔵されている作品はその理由を編者である上田氏が書いていますが、八雲が残したすべてのものではありません。主要なものだけです。目録は以下。
『影』
和解・衝立の乙女・死骸にまたがる男・弁天の同情・鮫人の恩返し
『日本雑記』
守られた約束・破られた約束・果心居士のはなし・梅津忠兵衛のはなし・漂流
『骨董』
幽霊滝の伝説・茶碗の中・常識・生霊・死霊・おかめのはなし・蠅のはなし・雉子のはなし・忠五郎のはなし・土地の風習・草ひばり
『怪談』
耳なし芳一のはなし・おしどり・お貞のはなし・乳母ざくら・かけひき・食人鬼・むじな・ろくろ首・葬られた秘密・雪おんな・青柳のはなし・十六ざくら・安芸之助の夢・力ばか
『天の川物語その他』
鏡の乙女
『知られぬ日本の面影』
弘法大師の書・心中・日本人の微笑
『東の国より』
赤い婚礼
『心』
停車場にて・門付け・ハル・きみ子
『仏陀の国の落穂』
人形の墓
『霊の日本にて』
悪因縁・因果ばなし・焼津にて

 このように、八雲が発表した作品集のなかから、主要なものを集めて来たというものです。ご覧のように、非常にタイトルが多いです。すなわち、どれも短編。上田氏の訳も見事な日本語ですし、短編で、しかも私たちが一度は聞いたことのあるような日本の昔話がたくさん。とても読み易く、そして面白い作品です。

-描かれる「日本らしさ」-
 死者と生者の交わり、交流。あるいは生者はどのようにして死者と向き合って行ったら良いのかという問題は、この先ずっと続くでしょう。大震災が起こったために、この問題が急速に浮上してきたということもできます。近代化してはや100年。しかし、この西洋の知識では、どうにも東洋の霊魂観というものを考える際には無理が生じるようです。仏教をキリスト教的に解釈しようとしているのと似たようなことですから、やはり価値観の矛盾が生じると思います。この八雲集のなかには、日本の霊魂観というもののエッセンスが詰まっていると思います。今、この八雲集を読むことは、それを読んだからといって決して簡単に答えのでるものではありませんが、生者と死者との間をどのようにして考えて行けばいいのか、その思考の際のかなりの手引きになると私は思いました。
この作品は、八雲が日本で聞いた話を英訳したものをさらに後になって上田氏が日本語に再び訳したというものですから、二度の翻訳がかかっています。上田氏は八雲の文章を壊さないように気遣ったためか、重りがポンドで表されていたりと、どこか不思議な部分があります。どれも短い話なのですが、体言止めをしたかのように、はっと終わる。余韻が残されるのです。そうしてその余韻とは、どれも、言葉で簡単に説明できるようなものではありません。深い思索や感慨にふけっていくような、そうした重みももっているのです。
 一つ取り上げましょう。『日本人の微笑』は、作中では長い方です。これは、なにか物語というものではなく、八雲の日本文化論といったものです。日本人の微笑が、西洋の微笑とどう違うのか、実際の例を挙げて説明しています。なかでも、下女と思われる女性が、主人であるハーンの友人に対してした行為の話をするのが印象的です。その女性は、主人の葬式に出たいと言って、暇乞いをします。そうして、遺骨になった主人を持ってきて、これが主人ですと笑ったというのです。ハーンは、これに対して、その女性は主人の死を喜んで笑ったのではなくて、辛い想い、悲しみを内包しながらも、それを他人には見せまいとして、微笑むという一つの文化なのだと言います。
 他にも、この微笑みの感じ方の相違から、イギリス人と侍との間であったある悲しい出来事を紹介しています。イギリス人に仕えている元武士の男が、とても忠義のある男なのですが、ある日何か二人の間に齟齬が生じます。怒るイギリス人、日本人の侍はただ黙って微笑みながら頭を垂れています。その微笑みがさらにイギリス人を怒らせる。そして、ついにイギリス人は老人をなぐりつけた。さっと顔色を変えて脇差しをきらめかせた侍。しかし、そのまま何事もせずに仕舞いました。何事もなかったかのように帰る侍。その晩、その老人は耐え難き屈辱を受けたとして、切腹してしまいます。老人はかつてイギリス人に金を借りたことがあり、そのことが恩義と感じられたのです。ですから、辱めを晴らすためにイギリス人を切るのではなく、すべてを自分で負うということをしたのです。
 だからといって、今の人間が100年前のような日本人の所作をしろというのではありません。ただ、かつての日本人がどのように外国人の目に映ったのか、そうした点を考える際には非常に役立つ資料です。そうでなくとも、面白い話題に富み、内容を追うだけでも十分に楽しめます。また、日本の怪談などの話では、現代人が考えなければならない死者との交わりがいくつも描かれていて、向き合い方、あるいは心の持ち方を考えさせる話がたくさん載っています。今、社会も大きく変化しようとしています。一度近代化する以前の日本というものを見るということをしてもいいのではないでしょうか。

サイモン・シン 『暗号解読』 感想とレビュー 暗号製作者と暗号解読者の果てしない戦い

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-初めに-
 今回取り上げる作品は、名著『フェルマーの最終定理』を書いたサイモン・シンの作品、『暗号解読』です。この作品もまた『フェルマーの最終定理』同様、文学作品ではありません。ジャンルで分けてしまうとノンフィクション作品ということになりますが、ノンフィクションというジャンルでは幅が広すぎるので、もう少し説明します。この作品は、タイトルの暗号解読という言葉のとおりに、暗号解読の歴史やシステムなどを、文系の人間が読んでもわかりやすいように、説明してくれている本です。ですから、いちおう本という形はとっているものの、私の専門とはおよそ対極にあるものですから、今回はただの作品紹介というかたちになります。

-私の興味関心-
 私は世界の謎といったものが好きなのですが、ここ最近「ヴォイニッチ手稿」について興味関心がありました。この「ヴォイニッチ手稿」、一体どのようなものかと申しますと、1400年代の羊皮紙であることは、炭素測定器で判明したのですが、そこに書いてある内容が1912年に発見されてから未だ謎であるというものです。古文書のような形態で、発見した人物の名をとってヴォイニッチという名前が冠されていますが、一体だれが何の目的で、何を書いてあるのかわかりません。暗号らしきものでかかれているこの書物ですが、ここ100年間で数々の名だたる暗号解読者たちが立ち向かったにもかかわらず、まったくその内容がわからないどころか、ついにはこんなものはでたらめで全部暗号解読者たちを騙すために作られたものだと言う者まで出てきてしまうほど。
 書かれている内容は、数々の挿絵から、植物に関する知識や、天文学に関する知識らしいことが推測されますが、そこに書かれている挿絵はどれも地球上に存在するいかなるものとも合致せず、余計に謎を深めているというものです。これを私が解読してみせようというわけではないのですが、この手稿にここしばらく興味関心がわいていたので、暗号解読のことを一度学んでみたいなと思い、調べた結果、まさしくこの感情にマッチした作品と出会ったわけです。

 残念ながら、サイモン・シンの『暗号解読』には、私の興味関心がある『ヴォイニッチ手稿』については全く触れられていません。しかし、この作品は、暗号にまったく知識がなかった私でも、暗号というものがどういうものなのか、どのようにして作られ、また現在ではどのようになっているのか、それが体系的に学べるすばらしい本でした。
 最初は、暗号が一体どうして発明されたのか、どのような役目を負ってきたのか、など、何も知らなくてもわかるような暗号の歴史的な側面が描かれます。スコットランド女王メアリーの生死を分けた暗号など、暗号は常に歴史の裏にかかわってきました。なので、暗号によって大きく歴史が動いたダイナミックな展開が描かれます。
 また、ヴォイニッチに関しては全く触れてはいないものの、「暗号とはメッセージの意味を故意に敵から隠すためのものである。それに対して古代文明の文書は、判読されないことを目的として書かれたわけではない。ただ単にわれわれがそれらの文字を読めなくなってしまったというだけなのだ。とはいえ、古文書の意味を解き明かすのに必要な技術は、暗号解読の技術と密接に関係している」を本文にあります。ヴォイニッチ手稿に関しては、それと同じ言語がほかに見つかっていないことから、暗号である可能性が非常に高いのですが、人工言語である可能性も浮上しています。暗号解読の技術もまた、ヴォイニッチの理解につながるのではないかと私は信じています。

-簡単な内容紹介-
 暗号の歴史は、もちろんごくごく簡単なものから始まっています。ステガノグラフィーという、例えば不可視のインクを使ったものや、何かの裏にこっそり書くと言ったものです。そこ次に、クリプトグラフィーといって、文字列を入れ替えたり、六角形のものに巻くと文章が現れるといったものが開発されました。
 そののち、サイファーと呼ばれる、文字自体を別の文字に置き換える取り決めをして、文字を変換してしまうということが描かれます。ここまでくると、様々な技術を組み合わせた暗号はかなり解読の難しいものとなっています。しかし、暗号というものは、一方で解読したくなるのが人間の心理ですし、また暗号化されたものは、必要があるために暗号化されたのであって、暗号解読は戦乱の時とあっては余計に必要なものだったのです。ここから、暗号解読者と暗号製作者たちの果てしない戦いは始まります。
 上巻の後半は、史上最高の暗号と言われたドイツ軍のエニグマの歴史が描かれます。暗号の歴史というのは、最初は個人と個人の知られたくない情報のやりとりから始まりましたが、次第に国にとっての重要なメッセージを隠す役割を担うようになります。第二次世界大戦は、特に暗号の歴史を発展させました。エニグマの解読がイギリス、フランス、ポーランド、アメリカにとって最大の課題だった時に、国のいたるところから集められてきた天才たちは、あるものを開発します。それが現在のコンピューターの基礎となった大きな計算機なのです。ですから、暗号の歴史とは、暗号製作者の歴史でもあり、また暗号解読者の歴史でもあり、その過程で開発された機械が、現在の私たちの暮らしのなかで欠かせないものとなっていて、まさしく人類の歴史でもあるのです。また、暗号解読で面白いのは、エニグマを解読する際には、数学者や言語学者、焼き物名人、元プラハ美術館の学芸員、全英チェス大会のチャンピオン、トランプのブリッジの名人などが居たそうです。暗号とは、人間が知恵をしぼって作り出すものですが、どのようにして暗号がつくられたのかわからない場合は、おかしいと思われるようなメンバーが集まって、いわば人間の普遍的な部分を炙り出していくような、ものすごいことが行われていたのです。

 下巻に入ると、ロゼッタストーンなど、うしなわれてしまった言語がどのようにして復活したのかという、考古学や言語学の世界が紹介されます。ヒエログリフ解読の歴史から、飛躍的に進展した古代文字の解読は、線文字Bと呼ばれる言語で大きく躓きます。その古代語が解明される歴史的な胸躍る変遷が描かれます。
 時代が私たちのいる現在に近づいてくると、暗号もまた質を変化させます。今まではコンピュータなどがない状態での暗号制作、また暗号解読でしたので、そこまで難しいものではありませんでした。しかし、コンピュータが発明されてから後は、情報がさらに重要になりますし、また暗号の性質も大きくかわります。今までの暗号では、暗号をやりとりする間で、最初に暗号のキー(これはどんな暗号で、どんなことをすると正しい文章が出てくるよという取り決め)のやり取りをしなければなりませんでした。しかし、エニグマの際でも、そのキーが書いてある秘密の文書のやりとりが大変でしたし、コンピュータが普及し始めてからは、コンピュータを持っている人全員にキーを送り付けているコストは計り知れないことになります。
 そこで、暗号製作者たちはキーを必要とせず、なおかつ送った相手だけには暗号の内容がわかるという常識的にはあり得ない暗号の制作に取り掛かりました。天才たちの絶え間ない努力のおかげで、そのような暗号は実際に開発されるのですが、国家としては国も個人の情報を傍受することができなくなってしまいますので、こんどは別の分野で悶着が起こります。凶悪な犯罪者やテロリストたちの暗号が解読できなくなったらどうするんだとか、様々な紆余曲折があるのです。暗号というものは、そこにかかわるものすべてが思惑だらけですので、暗号を取り巻く歴史というのもまた劇的になります。
 最後の章は、数学のできない私には意味がわからないものだったのですが、量子を使って作る暗号が作成されることが近々あり、「犯罪者を保護することなく情報化時代を豊かにするために、政府はどのように量子暗号と向き合っていくのだろうか」と結んでいます。

-終わりに-
 下巻の最後には、付録として今までシンが作中で紹介した暗号を駆使してつくられた暗号が10個乗っています。これは、本書がアメリカで発売された2000当時で大きな反響を得たようで、最初の全問回答者には一万ポンドの賞金が設けられ、かなり話題となったようです。結局懸賞金付きの暗号は、一年ほどの時間を経てスウェーデンのチームが回答していますので、もう懸賞金はありません。訳者の青木氏もまた、スウェーデンチームの暗号解読のレポートをもとに本書の最後に付録の暗号の解読法の解説をしていますが、最後に「一万ポンドなどはちょっとしたスパイスにすぎないだろう。最大のごほうびは、暗号を解読することで得た楽しさや感動なのだ」と述べています。
 文系の人間でもわかるように、暗号を歴史から、人物から、システムから、様々な視点から炙り出しているこの作品は、単なる娯楽としても、また人間の歴史としても学べる本です。
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