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アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』への試論 感想とレビュー 魔法少女ものへの問いとしてのテクスト

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-はじめに-
『魔法少女まどか☆マギカ』(まほうしょうじょまどかマギカ、ラテン語表記: PUELLA MAGI MADOKA MAGICA)はシャフト制作による日本のテレビアニメ作品。2011年1月から4月まで毎日放送 (MBS) ほかで深夜アニメとして放送された。全12話。略称は「まどか」、「まどマギ」。
2011年は震災もあり、全ての概念が根本的に問いただされる年代となりました。震災以降は当然それを意識した作品が作られました。この作品は丁度最終話が震災に被るようになり、震災に影響された作品の一つでもあります。ただ、その構想、製作は震災以前に出来ていましたから、その内容を考えると、まるで予言のような作品ということも出来ると私は思います。2011年は変革の年であると同時に、問いの年でもあります。今まで当たり前のように感じてきた概念、観念が本当に正しいのか、それをもう一度問いただすという試みがアニメ会でも行われていたように思われます。前回論じたタイバニとの共通点もあります。それらを論じてみましょう。

-関係性を巡るまどか☆マギカ-
一見すると、幼稚園生が見るような可愛らしい「魔法少女もの」の定番のようなイラストです。ですから、当然当初は注目されなかったことでしょう。少なくとも私のような、あまりアニメを普段から見ない人間にとっては、当時オタクの見るものだといった偏見がありました。
ここでは、アニメの構成を詳しく見て、どのような構造になっているのかを考えて見ましょう。
1話から3話目まで。あまりに有名な巴マミが死ぬ部分までで一区切りと考えることが出来ます。この作品は、いわゆる今までの「魔法少女もの」の枠組みを借りて成立している作品です。90年代の「美少女戦士セーラームーン」から始まった戦う魔法少女ものは、その後プリキュアシリーズなどに受け継がれ、日本の少女たちのアニメの大きな分野を占めてきました。それと同時に、直接的には戦わない魔法少女もの、秘密のアッコちゃんから、おじゃまじょドレミなどの作品も同時平行的に、存在してきました。しかし、今までのそうした魔法少女は、四方田犬彦氏によれば、「自我の崩壊」が起こっているという指摘があります。これらの魔法少女は、どうして戦わなければいけないのか、その十分な説明がなされてきませんでした。仮に戦う必要性が描かれたとしても、それは外界からの強力な要請で、自己の意識から発生したものではありません。さらに、魔法少女がどうして魔法を使えるのかという重要かつ根本的な問いは、未だなされてきませんでした。そこには常に、使い魔のような存在、非常にデフォルメされて、一種低学年の少女の購買意欲を引き立たせるようなかわいらしいマスコットが存在し、不思議な力を何のデメリットもなくただ一方的に与えてきました。一体その魔法の力がどこから来て、そうしてどうして魔法少女は選らばれて、戦わなければいけないのか、これだけ魔法少女ものが流行っていながら、だれもあまり深く言及しなかったのです。
この作品はまさしくその根源的な部分にメスを入れた、いままでの作品、魔法少女ものに対するアンチテーゼとして存在するテクストなのです。
話しは戻りますが、この3話までは導入です。巴マミ先輩に従って、私たち観客はまどかとサヤカと同じ立ち居地でこの世界の説明を受けるのです。1話では、あまりに王道な外界からの来訪者、転校生から話しが始まります。不思議キャラのあけみほむらは、当初敵と認識されるように描かれて、マミが我々を導いてくれるお姉さん的存在として活躍します。
敵の魔女の結界の中は、劇団イヌカレーが担当し、様々な可愛らしい柄をコラージュして表現するという、極めて絵本的な表現がなされています。アニメの中で動き回る主人公たちも、設定こそ中学生ですが、小学生や幼稚園生のようにも見える、可愛らしいというほか表現のないものです。ですから、ここには全く死のイメージはなかったのです。ところが、全く観客のよそう、期待の地平を裏切るようにして、私たち観客が全く予想しない、また望まない展開、マミの死が突然訪れます。ここを一つの区切りとすると、3話までが、いままでの魔法少女ものの世界への誘導だったものが、突然その枠組みが大きく壊されたということになります。本当の物語はここから始まるということなのです。
この3話で特に注目したいのは、マミの視点です。彼女は今までずっと一人で淋しかったと告白します。まどかへのこころの解放、自己同一性の画一はとても美しい場面です。マミはやっと自分を理解してくれる人を発見することができたのです。そのカタルシスを経た上で、突然の死。ですから、ここで余計に衝撃が大きかったのです。それがマミるという、悲惨な状態になることを意味する俗語まで生む結果になったのです。

4話から6話を見てみましょう。ここでは、今まで魔法少女物ではありえなかった死というテーマが眼前に展開されて、少女たちが動揺します。主人公であるまどかは、悩みます。魔法少女になってほしいというキュゥべえは、契約の際に一つだけ望みを叶えることが出来るといいます。そこまでして叶えたい望みがないまどかに対して、ずっと思い焦がれてきた幼馴染の上条恭介の怪我を治すためにさやかは悩みます。
この作品は3話分を使用して、非常に丁寧にさやかの葛藤を描きます。願いが一つだけ叶えれる代わりに、自分は魔法少女となって死と隣り合わせの世界に入らなければいけない。しかし、自分が契約しなければ上条の怪我は現代の医学では決して治らない。これは二者択一ではなくて、もとから一つしか選択肢がないのです。そうしなければ話しがすすまないということもありますが、下からさやかにとっては現状のままで生きていくことはできるはずがありません。ですから、キュウベエはそれを全て見抜いた上で、契約を持ちかけているのです。これは契約ではなくて、一方的に、一つだけ願いを叶えるから魔法少女になることは確定しているということになります。
ここで、あけみほむらの「たった一つの希望と引き換えに、全てをあきらめる」という謎の伏線が張られます。これは最後まで見れば分かるのですが、ここでは彼女の悪性のようなものの表象と受け取ることもできます。まだキュウベエはマスコットとしての地位を何とか獲得しています。
この作品は、多くの関係性がありますが、序盤で注目したい関係性は、まどか、さやか、志筑 仁美の三角関係です。序盤で登場したこの三角関係は、ほのかに学園生活もののジャンルを匂わせる要素を含んでいました。しかし、この三角関係は、さやかを巡る関係性のなかで決してプラスにならないものに変容していきました。第一回目のこの三角関係の危機では、志筑 仁美が魔女の口付けを受けて、集団自殺を図ろうとします。キュゥべえもいないなか、まどかは絶体絶命のピンチに陥ります。ここでの救済がさやかの初めての戦闘になります。
7話から9話のなかで、この三角関係の危機はもう一度訪れます。志筑 仁美がさやかの同級生、上条のことを好きだというのです。今までのゆるやかな性格からはとても考えられないような強固な態度で、さやかを追い詰めます。さやかは自分が志筑 仁美のことを救ったのだということも言えず、正義観の強い彼女はさらに自分があの時助けていなかったらということを考えてしまった自分がやるせなくて、精神を汚していきます。

7話から9話では、さやかから緩やかに佐倉杏子へと主要点が移ります。ここに来て、それぞれの魔法少女の来歴が語られていくのだということが次第に明瞭になってきます。杏子は、家族との関係性が重要だと感じられます。父との関係性です。自分は父のために魔法少女にまでなって父の願いを叶えた。しかし、その願いによって父のもとへ集まった信者たちは、心から父を慕ってきているのではなく、魔法の力で無理やり付き従っているように感じられます。それに気がついた父は、自分の娘が魔法少女だということを知り、魔女だと罵ります。やがて無理心中した家族とは決別し、杏子は自分一人のために生きていきます。
ここで重要なのは、杏子のことを魔女だと罵った父が本質的に正しかったということ。父は何かの宗教の神父のような役割をしていたようで、常に正しいことを言い続けてきた人物ですから、魔法を使用して人心を惑わす者がたとえ自分の娘だったとしても許せなかったのでしょう。ここでは、さやかの願いの結果も同様に、叶えられた願いが決してうまくいっていないことをあらわしている箇所でもあります。
たった一つの願いがそのように正しく思うように履行されないのであれば、魔法少女になる必要性は全くないのです。さやかも杏子もそれに気がつき始めていると考えられないでしょうか。
また、ここでは最も重要な指摘がなされます。どうして魔法少女が魔法を使用できるのかという問題です。ソウルジェムと呼ばれる魔法少女の霊力をエネルギーに変換する魔法の力の源が、実はキュゥべえによって契約者の肉体から抽出され、物質的存在にシフトされた魔法少女の魂そのものであるということが判明します。さやかは、それでは魂の抜けた身体は死体のような、ゾンビのようなものではないかと悟るのです。そうして唯一の願いも叶えられたものの、友人であった仁美に奪われてしまいます。
この三話は特に、クライマックスとなる最後の三話へ向けての伏線が張り巡らされて、愈愈物語の最後へと向かうなという緊張感が高まります。ワルプルギスの夜という単語や、まどかが宇宙の法則すら変えることができる神的存在であること、ほむらがこの世界の時間軸の存在ではないことなどが言及され、一層世界構築そのものの根本を問う、一種のSF的な要素が含まれてきます。特に「やがて魔女になる少女のことは魔法少女と呼ぶべきだよね」というキュゥべえの台詞は、9話の内容を予測させます。
9話では、キュゥべえの存在の全貌が明らかになってきます。エントロピー、熱力学および統計力学において定義される示量性状態量であるとの説明がありますが、私にはちっともわかりません。キュゥべえの話しによればエネルギーは形を変換するごとにロスが生じるから、宇宙全体のエネルギーは目減りしていく一方である。それを補完しなければいけないということになります。そのエネルギーの源が、第二次成長期の少女の希望と絶望の相転移なのだということになります。ここで、全ての黒幕はキュゥべえと呼ばれるインキュベーターたちの仕業だったということが判明するのです。

10話から12話まで。10話は最もSF色の強い作品で、あけみほむらのリフレインが永遠と繰り返されます。しかし、彼女の時間を司る能力は、その時間軸での前後ではなくて、他の時間軸への転移をしているという、極めて高度なSF的論理が展開されます。私はこれを可能世界と呼んでいますが、これらの多層宇宙、平行世界を行き来することによって、ほむらは何とかまどかを救おうとしているのです。しかし、そのさかのぼりをするごとに、まどかの悲劇は高まっていきます。魔力の出所は何かというと、その少女の因果律に影響されるのです。一国の王女や革命家などは、その因果律が高かったために強力な魔法少女となりえたとの説明があります。まどかは、ほむらによって、いくつもの時間軸をまどかの身体一つで束ねることになります。ですから、当然人には出来ないことが出来るようになるのです。
ほむらの時間遡行は5回行われます。そうして、エンディングではオープニングが流されて、私たちの世界での一話に接続することになるのです。
11話は、まどかの因果律の話。家畜と人間の関係性が人間とインキュベーターの関係性であるとキュゥべえに伝えられ、圧倒的他者としての位置づけが愈愈強まります。ここから、まどかがようやく一つの願いを発見する過程へと至るのです。12話では、魔女と魔法少女が生まれるまえに消し去る、まどか自身が希望になって、全てを無に帰すということをします。これは、因果律からの解放であり、それはイメージとしては歯車に描かれていると私は感じます。ここでは、仏教的な観念が登場し、因果律からの解放、神的存在というのは一種菩薩てき存在でもあり、輪廻の世界からの解脱、そうして他の魔法少女、魔女たちの一切衆生の解脱を手助けするというような、壮大な物語が描かれています。
ここでのまどかは、神となり宇宙の再構築をするということを行いますが、これは第二次成長期ということや、最後の母との別れとを鑑みますと、少女から母なる存在に変化したと考えることが出来るのではないでしょうか。
第二次成長期のまどかが、成長して母なる存在へと変化した。そうしてそれが全てを受け入れること、自分の身が滅んでも概念として全てを包み込むことという、完璧な抱擁を成し遂げたと考えることが出来ます。
この聖母像のイメージが、上条の弾く、アヴェ・マリアに繋がっていると私は考えます。

-描かれる諸概念-
この作品内時間は、私たちの世界の時間とほぼ変化がないように設定されているようですが、開発計画が進められ、先進的な街づくりが行われているとの設定があります。まどか☆マギカにおける空間の問題について考えたいのですが、この作品で描かれる空間というのは、やけに広がりがあって中身がありません。発達した都市ということで、『AKIIRA』のような物質的なものばかりが先行した世界かとも考えられたのですが、それよりは、少女の内面の世界がそのまま表出しているのではないかと私は考えました。つまり、第二次成長期の少女たちの内面は、空間的に広がりが出来たのだけれども、その内容物が決定的に欠如しているというのです。空虚と表現してもよい心理状態なのではないでしょうか。そこを何とか満たしたいという強力な願望、欲求が願いとなって叶えられる。そこからの解放をしたのが、まどかで、これは第二次成長期を乗り越えて、自分を認めること、他者を全面的に受け入れることが出来るようになったということが描かれているのだと私は思います。

少女が主人公の理由。これがこの作品の最も問いたかった根本的な問題なのではないでしょうか。魔女が魔法少女の成れの果てだと判ってから魔女の分析をしてみますと、魔女の存在というのは当初死、不幸のようなもの、原型のない存在として説明されています。それは少女たちの持つ心の闇の部分なのではないでしょうか。魔女は不安や猜疑心をばら撒くと説明されますが、それをばら撒いているのは、当然魔女と関連性のある少女にもいえることなのです。逆に魔法少女だからそうしたものを感受しやすいとも言えますが、ここでは少女一般の問題として考えていきたいと思います。
エヴァンゲリオンとの関連性がいくつかの分野で行われています。例えばオープニングの情報提示の多さなども似ていると指摘することも出来ると私は思います。ネット用語の「世界系」としての側面もあります。「主人公の周辺のきわめて狭い関係性が中間領域を差し挟むことなく世界の命運に直結するという意味での「セカイ系」の要素」が考えられます。この作品では冒頭こそ、学園での生活、つまり中間世界・日常世界が描かれていましたが、それ以降はあまり中間的な世界が描かれていません。ごくごく小さな日常と、魔女として戦う非日常が極めて強力な密度で連続性を保っているのです。
また、宇宙が再構築される以前の状態では、魔法少女がなぜ戦うのかという問いに対して一つの答えが明確に提示されている点も見落としてはならないと感じます。希望を振りまくために生きる。これは魔女がそれの反対を振りまいて生きるのに対してアンチテーゼとして成り立っています。しかし、実際はその魔女と魔法少女が同一の存在であったということが判明し、これは与えるものと取り去るものの関係性がプラスマイナスゼロだということをあらわしているのです。つまりこの世界は有限であり、与えたものはいつか奪われる。その関係性が願いを叶えるのと、最終的に魔女になるという関係性とも繋がっています。

-終りに、第二次成長期と物語り-
ただ私がこの作品の最も強調したいテーマは、一人の少女の成長譚としての見方です。これまでの魔法少女ものが、どうしても魔法少女でなければいけなかったのかという問題に関わってきます。少女でなくて、魔女が主人公だっていいじゃないかという指摘は最もなのです。ですが、日本では魔女はあまり出てきませんでした。そこには、重要な第二次成長期の少女における力強さのようなものが暗黙のルールとして存在していたからなのです。
よく中学生や高校生の少女が物語りの主人公たりえるのかという問題があります。第二次成長期というのは、少女が女性へと変質する時期です。男性にはあまりそこでの劇的な変化はありません。やはり人を産むことが出来る、そうした母性的な創造力を付加される際に、物語的要素が表出するのではないでしょうか。生命を誕生させられるだけの力をこれから得ようとする少女の力は莫大なものになります。そうしてそれをコントロールできていないのが少女なのです。
エリクソンの精神分析からしても、丁度このころは自己同一性の画一と関わってきます。少女としてのアイデンティティーを喪失して、新たに女性としてのアイデンティティーを獲得する。
この物語は、魔法少女と魔女という関係性を元に、どん詰まりの世界からの解放、SF的な要素を含めてまでの、母への変質を描いた作品だといえることが出来ます。作中でしばしば上条が弾くアヴェ・マリアは、そうした少女が聖母へと変質していく様を象徴的にあらわしているのだと考えることが出来るのです。

この作品は、これまでのいわゆる魔法少女ものという枠組みを使用して、その根幹から枠組みを崩し、これからのアニメ表現への新しい観念を打ち出すことに成功した極めて力のあるテクストだと考えることが出来ます。
そうした意味でも、2011年のアニメは、タイバニを含め「問い」のアニメであると言うことが出来るでしょう。
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アニメ映画『TIGER&BUNNY The Beginning』への試論 感想とレビュー ヒーロー性への問いと再構築

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-初めに-
『TIGER & BUNNY』(タイガー・アンド・バニー)は、サンライズ制作による日本のテレビアニメ作品。2011年4月から9月までMBSほかで放送された。全25話。略称は「T&B」「タイバニ」など。今回は、映画版のみを論じます。
映画版は93分。テレビシリーズの第1話と第2話をベースに、新作カットや第2話と第3話の間に起こった新規エピソードを盛り込んでいます。あくまでも第1話・第2話を置き換える作品なので、登場人物の人間関係などは第3話へ繋がるように描かれています。

-ヒーロー性の崩壊-
5週連続企画の入場者特典として、“HEROカード”を週代わりで2種ずつ、5週に渡り全10種を配布する、映画の最後には公式サイトでの人気投票ベスト5のヒーローが順番に登場する映像が週代わりで上映されるなど、映画だけで終わるのではない、ファンと一体になった作品作りがなされています。
テレビシリーズでも、作中におけるヒーロー達は、全てスポンサーの援助を受けてヒーローとして活躍しているという設定に基づき、放送以前から実際に各企業向けにヒーロー達のスポンサーを募集するという商業展開が行われています。映画でも、実在するスポンサーが登場し、その商品をヒーローたちが宣伝もする場面もあります。
2011年アニメは、特に今までのアニメとは異なって、すばらしい作品が多く排出された年でもありました。大抵の作品は、2011年に起きた大震災の影響を受けており、放送に支障が生じたり、或いは作品自体にその影響を受けているものもあります。今回は映画版『TIGER&BUNNY』を論じますが、しばらくは2011年代アニメも論じていきます。

この作品に見られるのは、今まで前提としてあったヒーロー性の問題です。この作品では、今まで誰もが当たり前に思っていたヒーローは描かれません。ヒーロー性の欠如だと私は考えています。
今までヒーローとはどのようなものでしょうか。アメコミと呼ばれるアメリカのマンガにおけるヒーローはまさしくアメリカ人が好む、正義のヒーローです。悪と正義が完全に二分化され、ヒーローは常に強く、悪に勝つ。最も有名なヒーローはやはりスーパーマンでしょうか。彼は完全に無敵で、非の打ち所がないヒーローとして描かれています。バット・マンあたりになると、多少ヒーローのかげりのような側面を持つようになります。
正義なのかよくわからない。そのミステリアスな雰囲気や夜をモチーフにした暗さが新たなヒーローとして向かいいれられました。しかし、また、バット・マンにしろ、今までのヒーローは全て単体です。ヒーローが大勢そろう作品というのは、あまり描かれませんでした。中にはヒーローたちが集まるアニメや映画があることはありますが、それらは別の作品で登場していたヒーローの寄せ集めが主です。
この作品では、完全にこの作品のなかで生まれたヒーローたちが、しかし全く別の作品からとってきたかのように、自由に描かれています。この作品を見て思ったのは、たとえば本当にヒーローがいるとして、そうしたヒーローたちは現実の世界の中でどのように生きていくのかという問題です。
今までのアメリカンヒーローはリアリズムは一切排除されていました。ただ一方的に相手を倒してそれで終り。しかし、現実には、ヒーローは固体です。集団ではありませんから、そのあまりに大きすぎる力を使用したあとを誰が尻拭いするのかという問題になります。
この作品では、ヒーローはそれぞれ企業が買収しており、スポンサーの商品が銘打ってある衣装を纏い、機会があればその商品の紹介まで行うという、ヒーローらしからぬヒーローなのです。そうして、このヒーローたちは、決して今までのように、正義のために戦うのではないのです。そこには資本が絡み、複雑な人間関係が存在するのです。

この作品に出てくるヒーローたちは、いわば見世物になっています。古代のローマで円形の闘技場で強者が獣と戦ったように、この作品のヒーローはTVを通じて、犯罪を直接断罪するヒーローとして競争させられているのです。そこには個人の意思はありません。ヒーローは個人の主義主張を剥奪され、企業にいいように使用されながら、全体としては視聴率を上げるためにおあつらえ向きのヒーローを演じているのです。
ヒーローはテレビで視聴率が上がるように、タイミングを合わせて攻撃を行わなければいけないとか、他のヒーローが出ているときには自分が派手に登場できるタイミングを狙うとか、ここに登場するヒーローたちは今までのヒーロー性というものを剥奪されているのです。そうして企業にカスタマイズされた人形としての、おあつらえヒーローとして登場します。例えば虎徹が冒頭で行った破壊は、後にスポンサーがその修理費を出しているなど妙に設定がリアルなのです。
映画版ではそのことに気がついて嫌気がさしてきたのは主人公の虎徹だけです。他のヒーローはどこか人間的に欠陥があるようで、人間味がありません。人形のようになって、いい偶像として消極的にヒーローをしているのです。
これでいいのかということを考え始めた虎徹に、バーナビーというパートナーが現れます。
この二人の関係性については、こちらのブログで詳しく検証されていますので、参考にするとより理解が深まります。
詭弁家ども、ことばへの愛を誇れhttp://akariichinose.blog.fc2.com/blog-entry-23.html

-ヒーローの公私問題・人間性の崩壊-
面白いのは、人間味溢れる登場人物が虎徹だけということ。映画冒頭では、虎徹がチャーハンを作る場面から始まります。生活感あふれる汚い部屋で、部屋中に空き瓶が転がっています。人間味が溢れるといった虎徹も、妻を亡くすという大きな喪失を抱えているのです。それがアルコール依存にも繋がっていると読み取ることが出来ます。自分の思いがあるのですが、それがうまく発揮されずにいつも下手な方への向いていく。社会不適合な側面はこの喪失を乗り越えられない彼の葛藤から生まれてくるものなのです。恐らくこれは、私は映画版だけで論じようとしていますから、次回作でのパートナーたるバーナビーとの関係性において乗り越えることができ、新たな段階に突入できるのではないかと考えることができます。
バーナビーはというと、かつて両親を殺されるという過去をもち、彼の信念でもある本名を掲げてヒーローを行うという点に帰着します。ヒーローというものは、公私で考えれば公に入るものです。ですから、スーパーマンは普段の記者とは別の人格になるし、バットマンは仮面を被るのです。公私を混合にしたヒーローは、バーナビーが初めてではないでしょうか。当然ヒーローをよく思わない人間からの報復を怖れて、その悪の力が自分の周囲に及ばないように本名を隠すのが第一の原因だろうと思いますが、亡くすものがない状態のバーナビーは自分の本名を晒し、公私混合してまでヒーローを行うのです。
ブルーローズも、高校生ということで、第二次成長期の最後の部分でまだ心理的に弱い面があります。彼女の冷たさというのは、心理的な冷たさをも彷彿させます。どこか人と溶け合うことのできない部分、彼女のハートに凍った部分があることが見て取れるのではないでしょうか。ロックバイソンも、ただの岩です。どじでドン臭いという性格に表されているように、柔軟性に欠けた人物です。柔軟性に欠けるといえば、スカイハイもまた、愚直ということばを具現かしたような人物です。彼には人間のコミュニケーションの機微が分からないような、無神経な部分もあります。ドラゴンキッドは、その名の通り、まだ子どもです。ファイヤーエンブレムはオカマ。オカマが人間的に欠落しているとは言いませんし、それは失礼なことですが、しかし、一般的な人間とは異なった立場にいることは確かです。折紙サイクロンに関しては、およそヒーローなど務まるかと思うくらいの性格の持ち主。
このようにして、どの人物も何かしら人間としての欠陥を持っているのです。この人間としての欠陥がヒーローの力に繋がってくるとも考えることが出来ます。これもまた、ヒーローの時代性の問題になるでしょう。公私ともに完璧なヒーローは幻想に過ぎなくなったのです。公ではヒーローであっても、私の部分に問題を抱えているヒーローが描かれています。これもまたリアリズムなのです。ヒーローになれるだけの力を有しているということはどういうことか。今までのヒーローは自分の力を根源的に疑うことはあまりありませんでした。しかし、今作は主人公虎徹を始め、こんなちからを持ってしまったがために、という思いが誰にもあるのです。
今までのヒーロー性に対するアンチテーゼ、ヒーロー性を根幹から揺さぶるテクストとして、この作品は存在するということが出来ないでしょうか。

-終りに-
これらのヒーローが共に協力して戦わないというのもまた新しいヒーロー性の関係の構築の仕方です。ただ、反対に足の引っ張り合いもしない。お互いに不干渉なのです。やはりそこには、ここに登場しているヒーローの何か欠落した部分、他の同業者ともあまり干渉しようとしない心理的な面があります。
今までのヒーローが幻想であり、アメコミ風のアニメーションではありますが、そうしたアメコミのヒーロー性を踏襲しつつ、それを根源から揺るがしていくという、大変力のあるテクストです。この作品は、新しいヒーロー、決してヒローらしくないヒーローが描かれます。私たちよりも力があるぶん悩んでいる、かげりのある人物たちを見ることによって、私たちもまた感情を移入できるのです。今までの神にも等しい完璧な人物は闇に葬り去られました。
ヒーローはヒーローでなくなり、見世物として登場し、私たちを愉しませるというエンターテイメントの一つになったのです。確かにこれは現実の世界でもそういえます。私たちはヒーローアニメや漫画をみて愉しんできました。それをヒーロー側が気づいたかのような設定なのです。
ですから、これからのヒーローの像がどのようになるのか、一旦過去の概念を崩壊させるという点について、この作品は大きく成功したのです。

アニメ映画『マクロスFB7』への試論 感想とレビュー マクロスファンとしての提言

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-初めに-
これからしばらくは、またアニメやアニメ映画について論じます。
私はマクロスファンです。ただ、ブログを始める前から好きだったので、どのタイミングで記事にしようかと思っていました。ここではマクロスのそれぞれの作品には触れずに、近日公開された新作映画、『マクロスFB7』について論じます。新作映画の場合に注意したいのは、ネタバレです。この記事はネタバレを含みますから、気をつけてください。

-マクロス、時間軸-
マクロス7が公開されたのが、1994年から95年までのこと。マクロス世界の時間ではA,D,2045。マクロスフロンティアの公開が2008年。マクロス作品の時間ではA,D,2059。現実世界においても、マクロスの作品内時間においても、およそ同じ程度の時間が流れました。
マクロスフロンティアは今までのマクロス作品のマクロス的要素を抽出して作り上げた総大作ともいえる作品。マクロスフロンティアは、CGを多様に駆使し、圧倒的な世界観と描写力、それから歌姫の歌声で2000年代後半を大いに盛り上げました。
マクロス要素というのは、①変形、②三角関係、③歌です。マクロスが他のロボット作品のなかに埋没しないのには、こうしたマクロスのエッセンスがあるからです。きちんとした内容があるからこそ、マクロスはその世界観が大変魅力で、ファンが多いのです。
さて、今作の映画はマクロスフロンティアの視点で描かれます。マクロスフロンティアも、TV版・映画版でのずれがありますから、そこを考えないと、今回の作品がどの時間軸で成り立っているのかがわかりません。
おそらく、アルトが出てこなくて、ミシェルが登場することから、映画版で言えば映画の後の時間軸になると思います。ただ、アルトへの明確な言及がないので、TV版だったとしても、ミシェルが死ぬ前ということになります。私は前者だろうと思います。この作品も映画ですから、やはり映画版の時間軸に準拠しているのだと思われます。
もう少しこのマクロスフロンティアのTV版と映画版の差異を言及しますと、いわゆる可能世界、多元宇宙、異なった時間軸の世界ということができます。私たちの世界のレベルで話せば、河森監督の脳内での物語りの変容だろうと思います。
いくつも選択肢があるなかで、映画という限られた時間の作品にしたときに、どうしても主人公たちの選択がことなってくる。そうするとそれに応じて結果も変容してくるのです。アルトはマクロスゼロのような、バジュラと共に宇宙を旅するという選択肢を選びました。この作品はその後の世界として考えると、いちおう落ち着いた日常になったのではないかと、映画版のラストからの連関性を感じます。

-マクロス作品、これからの展望-
マクロス7は、ファンに二極化される作品であると、製作者側も認識しています。しかし、河森監督とアミノテツロの対談を読む限り、製作者側はとてもマクロス7に思い入れがあるのだと感じます。ですから、どこかでマクロスフロンティアがこれだけ成功したのだから、かつて頑張って製作したマクロス7も知ってもらいたいということなのだと思います。
マクロス7は、49話4クール作品です。これを今のフロンティア世代の人間に見せるのはなかなか出来ない。では、どのようにしてマクロス7を紹介するかということで、90分の映像のなかにマクロス7を細切れにして、挿入したのです。しかし、やはりそれは無理があると私はおもいます。
現在のフロンティアの時間軸に、苦肉の策でVHSテープ、マクロス7のビデオが送られてくるということで作品は展開していきます。映画の8割はマクロス7の映像なのです。しかも、それはかつて私たちがみたマクロス7の名シーンだけを集めたもの。新作という名を冠してよいのかどうか、私は少し迷いがあります。
マクロス7を紹介したいのはわかるのですが、何より私はマクロスフロンティアより7のほうが好きですから、しかし、このつぎはぎでは誰も満足しないのではないかと思います。マクロスファンであるからこそ、こうして書くことによって、マクロスをよりよい作品へと導いていけたらと思って書いていますから、感情による誹謗中傷でないことはご承知ください。
マクロス7で人気を博した「FIRE BOMBER」。2009年にはマクロス7放映15周年を記念して、Re.FIRE!!が発売されました。ここではA,D,2060という表記がありましたから、マクロス7のファンとしては、マクロスフロンティアの時代に再びFIRE BOMBERが蘇ったのだと感じた人も多かったと思います。ですから、今回の作品でFIRE BOMBERが登場してこないのは誠に悲しいことです。今までの映像だけで振り返るのではなく、例えばあれから歳をとったFIRE BOMBERがフロンティア船団にライブツアーで遣ってきて、そこから物語が始まるというようにしたほうが良かったのです。是非とも次回の作品を作る際には、FIRE BOMBERとフロンティアの歌姫とが同時に出てきて、対話をし、共に歌っていただきたいと思っています。

-終りに-
構図としては面白いのです。現在のフロンティアの人物たちと一緒にマクロス7の情報を得る。これはフロンティア世代の人々がマクロス7を知らない状態で見ることを前提としているから、このような作風になったのでしょう。しかし、これではあまりに見せる対象が狭められています。マクロス7を見て知っている私たちにとっては、観客を馬鹿にしたようにしか思えません。ですから、ここでマクロスフロンティア世代のも7の情報を開示できたのですから、次回作ではマクロス7とマクロスフロンティアが対等な関係で同時に出てくることを願っています。
特にこの作品では、マクロス7の映像を見るだけに終始していて、何故フロンティアの人間を出したのかも不明なほどでした。恋もなければ、生での歌もない。最後に一曲ありましたが、それだけです。変形もありませんから、もう一度頑張って作ってもらいたいものです。

読書の意義 本を読むとはどういうことかを考える

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何故子どもに読書を進めるのか
我々がこれだけの長い歴史を有してきたなかで、歴史に名を残すような人物たちが悉く、彼等の言葉のなかで読書をすべきだという内容を言っているのはどうしてであろうか。読書をすること。その行為が意味することは何であろうか。私は読書が好きな人間であるが、読書の面白みや、その必要性をどのようにして、他人に説いたらよいのだろうか。
大人は読書をしろしろと口うるさく言う。しかし、どうして読書をしなければいけないのか、肝心な理由が説明されていない。子どもたちは既に、大人から言われたことを全てその通りに聞くような従順な姿勢を持ち合わせてはいない。それは単に生意気になったとかそういうことではなくて、論理性が尊ばれるようになったからである。大人の言うことであっても、その整合性がなければ子どもは聞く耳を持たない。子どもが発達してきたのである。我々大人は、子どもたちが納得して、だから読書は必要なんだと体感させるだけの説明をしなければいけない。
今回は、私が大好きで、趣味でもあり、学問の対象でもあり、人生でもある読書について、長らく中学校で、学校図書館司書をなされてきた、松尾不二夫教授の講義ノートを参考にして、このことについて考えてみたい。

「本」を読むとはどのような行為か=本を読むという行為を通して
先ず、「本」というメディア媒体の特質から考えなければならない。本の定義はいくつかあるが、その最も根幹となるものは、文字が書かれているということであろう。例外として画だけで構成されているものもあろう。しかし、一般には、本は文字が印刷されているものである。私たちは本を読みことによって、そこから情報を引き出すことができる。
人類がこの歴史のなかで発明した最も偉大な発明は何かといわれたとき、多くの人間が「ことば」であると答えるであろう。学者のなかには、人間とその他の動物を区別する際にことばを揚げているものもいる。それくらい、ことばは我々人類を人類たらしてめている、あるいはことばによって人類は他の動物と区別されているのかも知れない。本は文字が書かれている。文字は言葉である。したがって、本を読むということは、ことばを読むことである。「読む」とは、「ことば」と「ことば」の関係を組み立てながら、そこに描かれている場景や様子や事柄を自分でイメージしていく行為である。「ことば」はことばを知らないものにとってはことばにならない。ことばは極めて高度な記号である。我々は、絶え間ない訓練によって、ことばという記号が何を意味するのかを習得してきた。それがなければ、ことばを見ても、そこにはインクの染か、ただの線の羅列があるに過ぎない。
ことばを理解して、そこに何が描かれているのか、どんな内容だったのかを認識できたとき、「本が読めた」ということが出来る。
文字は、私たちの話し言葉から成立した。私たちのコミュニケーションの道具である言葉が、次第に文字という記号を媒体として記録されるようになった。話し言葉は次第に書き言葉になった。その書き言葉が連なったものが本である。読書の意義は、言葉の獲得である。私たちは本を読むことによって、そこに書かれてある言葉と接し、そうして新しい言葉を常に習得し続けているのである。

言葉の獲得とコミュニケーション
「ことば」はあらゆることの基礎的・基本的な力となる。読書をすることは、ことばの獲得でもある。そして、多くのことばを身に付けていると、コミュニケーションを図るにも、いろいろなことばを駆使できるので、コミュニケーションも豊かになる。
読書を国語科という教科の下にあるものだと考える人があるが、それは大きな間違いである。読書は、人間が人間足らしめる上で、最も基礎的・基本的な部分となる。読書をしない人間がいくら勉強をしたとしても、土台がないところに家は立たない。我々は言葉を通して生きているのである。読書をしなくてもいいということは、こうした観点からも決して言えることではない。学問をしなくてもよいということは、比較的簡単に言えるかも知れない。なぜなら学問が全くなくとも生きていくことは可能だからである。当然学問が出来たほうが、人生は変化してくるが。ところが、読書を否定することは出来ない。読書は全ての根幹となるものである。であるから、読書を否定するということは、言葉の獲得をしなくても良いということになり、つまるところ人間として、言葉の使用を認めないことになる。
読書は何も国語科の下に行うものではない。例えば読書ともっとも縁遠いと思われる数学であったとしても、数式を立てるのに、数字という記号だけで全て書き表すことが出来るだろうか。何かの証明をする際には、必ず言葉が補われているのである。
読書をするということは、言葉をできるだけ多く獲得することに繋がる。言葉を多く知っていれば、それだけコミュニケーションが豊かになる。ここで、「ことば」を獲得したことによって、コミュニケーション能力が高められ、人間世界を広げられた思想家を紹介する。聴力、視力、言葉を失った彼女は三重苦と呼ばれた。しかし、アン・サリバンのもと、絶え間ない努力と訓練のために、話せるようになった。晩年の彼女の映像が残っているが、そこに出てくるヘレン・ケラーは我々が想像するのとは全く違い、極めて雄弁に情熱的に私たちに話しかける女性である。
彼女は「物には名前がある。ことばの獲得は人生を豊かにする」と述べている。一体だれが、この言葉を否定することが出来るだろうか。ことばの獲得は人生を豊かにしないと言う事は誰が言えるだろうか。もし言える人物がいるとすれば、それはヘレン・ケラーであろう。しかし、彼女は言葉を獲得することによって、彼女の人生は豊かになったと、声高らかに宣言しているのである。

ただ、読書によるコミュニケーション能力の育成はそれだけに留まらない。例えば我々が使用している日本語。日本語という言語は、実に省略を好む言語であることは誰もが知っているだろう。日本語は主語や述語の省略を平気で行う。だからこそ、主語と述語の明確な英語などを母語とする人間にとっては、日本語は極めて難しい言語になる。
私たちは普段から、外国人であれば理解できないほどの省略をしながら話しをしている。日本の美徳は、多くを語らないことにある。それは空間的余白である。日本の美術も同様に、空白を大胆に提示してくる。聞き手がその空間を埋められるだけの能力があることを前提に、全てを語らないことによって、そこに感情や情緒、余韻を含めるのである。
寅さんの口癖は「それをいっちゃ、おしまいよ」である。全てを言わせてしまったら、それでおしまいではないか、そんなことを私に言わせるのかいという思想である。このような極めて複雑な言語を使いこなせているのは、読書によって、コミュニケーションの能力が育成されているからである。私たちは知らず知らずのうちに、このような空白を埋めるだけの力を得ているのである。

教育の面からもこのことは言える。もし言葉の獲得をせず、コミュニケーション能力を育成しなかったらどうなるかということである。少年院や、少年鑑別所の所長などによる本が多く出版されている。私は教職を目指しているということもあって、そのような本を多く読むのであるが、共通していえることは、そのような場所に送られてくる少年たちには、圧倒的に言葉が足りないということである。
語彙が貧弱なのである。人間の感情は至極複雑なものである。それらの複雑な感情に合致する言葉を我々はつねに捜し求めている。しかし、これらの少年にはそのような言葉がないのである。であるから、自分の思っていることを伝えたくても伝えられない。そのわだかまりに嫌気が差して、むしゃくしゃして言葉にならないことを、行動によって示そうとするのである。言葉の獲得はつねにし続けなければいけない。

想像力・思考力をつける
読書とは、知識や楽しみを得るための一つの手段であると同時に、読む力のトレーニングでもある。読書をすると、想像力・思考力が身につくと言われるが、このことはのどのようなことなのだろうか。
想像力とは何か、考えてみよう。想像力は、目の前にないものを視覚的に頭に浮かべる力であり、なにもとっぴな空想をめぐらすことではない。一方、思考力とは、「考える」ということを行う力である。抽象的な文字を通して、意味や内容を考えることである。
ここからも、文字が基礎になることがわかるが、想像力と思考力とは共通の行為であることがわかる。何故なら文字を基礎にして行われているからである。この想像力や思考力は別個に身につくものではなく、互いに関連しあっている。
この想像力は、現実の世界で先を予想して計画を立てたり、様々な人とうまくコミュニケーションをとったりしていく上で必要な力である。そして、読書によって想像力や思考力は無意識のうちに身についている。しかし、裏返せば、読書をしないと、これらの能力の発達が遅れるということでもある。
本は文字によって書かれていると先に述べたが、文字とは、記号である。私たちは、超高度な記号の使用の仕方を知っているので、本が読めるのであるし、その訓練を本を読み続けることによって、獲得してきた。本を読まなければ、抽象的な記号が一体何を意味しているのか、わからない。だから、私たちは知らない文字を見た際に、これはなんだろうと感じるのである。
それに対して、本を読んでこなくて、記号の大部分が分からない人がいたとすると、本など読む気にもならない。なぜならそこに描いてあるものを読み解くことが出来ないからである。読書は、先ず第一義的に記号を獲得することが必要になる。これが上で述べた言葉の獲得と関わる。そうして、その訓練を続けるうちに、インクの染み、黒い線の羅列が、次第に色鮮やかな視覚的なものとして脳内に展開されるのである。あるいは抽象的な概念や考えを、言葉という記号のみによって理解することができるようになる。
想像力は特別な力ではない。ただ、生まれたときから備わっているものでもない。読むとは、イメージを描くことである。目の前になりものを思い浮かべること。読書が苦手な子どもの大半は想像力が身についていないのである。
想像力・思考力は人間に最も必要とされる力のうちの一つである。これらの育成に効果的だと、歴史的に考えられているのが読書ということになる。恐らく長い時間をかけてこのようなことが言われ続け、そうして大きな反対もないことから、個人差はあるとしても、読書がこれらの能力の育成を促す最良の方法であることは間違いないだろう。
読書をする意味の一つには、当然知識を得ることもある。しかし、今現在の社会において必要とされるのは、常識的な知識もさることながら、想像力や思考力である。本よ読み、これらの力が優れている人と、そうでない人と、どちらが豊かな人生を送れるのか、考える必要がある。

「本」の持つ働きとは=本を読んだ内容を通して
読者を愉しませる=別の世界に出会う楽しさ

一冊の本には一つ以上の世界がある・その世界は、読書にとってはじめて経験する世界であったり、過去に似たような経験をしたことのある世界だったりすることがある。読者は「ことば」を通してその世界に心を遊ばすのである。このことを「読者を愉しませる」という。
私の専門は文学であるが、この分野では特に「テクストの多義性」が重要視される。これは、一つの作品があったとして、どのように読めるか、考えることが出来るかということを論じるのである。文学の世界では、文学作品の読み方は、極端に言えば人口と同じだけの読み方が出来るということになる。では、どうして書かれていることは同じであるにも拘わらず、その内容が読んだ人によって異なるのかということになるが、それは本のメディアの特性でもあるだろう。
本は、最も読み手に依存した媒体である。本には強制力はない。読者が本をてにとって読もうとしない限りは本は読まれないのである。TVなどは、向こうから情報が提示されつづけられる。であるから、考えなくてもTVは流れ続ける。しかし、本はこちらから呼びかけないと働かないのである。意識がないのに本は読めない。本は読者に全ての委ねた媒体なのである。その代わり、読者の自由に読むことが出来る。速さもその一つである。ゆっくり読もうが、流し読みをしようが、或いは何度も何度もおなじ部分を読んだりすることが出来る。そうすることによって、10人10色の読み方が出来るのである。
イエラ・レップマンは「本は翼だ」といっている。本は子どもの狭い生活圏を鳥のように越え、子どもを未知の世界に飛翔させてくれるものである。読書をすることは、精神をその場から飛び出させることであり、精神の旅でもある。そうして、そのたびは、読む人それぞれによって、読書という行為を通じて創作されていく精神活動である。その人がしたいように旅をすることが出来るのである。当然旅をしなくても生きてはいける。しかし、旅を続けてきた人と、旅をほとんどしない人では、何かに出会った際に考えられる幅や、想像力の豊かさに差が出てくるのである。
また、豊かな旅をすることは、それ自体が楽しい行為である。自分が大好きな世界もあれば、時には自分が思いもよらなかった、全く未知な世界もそこには展開されている。そうした発見や出会いを通して、一義的な思想から、多義的な思想へと変容する。より多くの面から見ること、考えることが出来るようにもなるのである。

思索としての読書=自己改革=人間形成
読書によって、未知の世界の諸問題について、今まで以上に考えを深めることができる。つまり、読書によって、新たな知識や考え方を得ると、今まで持っていた知識や考え方を修正し、新しい知識や深い思考力を持った新しい自分を誕生させることが出来る。
読書をすれば人間は生長する。では、一体どういう仕組みで成長するのだろうか、考えてみよう。
読書をすることは、読むことである。であるから、読み取る能力が拡大、深化される。そうすると、読みの力がついてくるわけだから、より一層深い読みが可能になる。深い読みが出来るようになることは、人間形成の一端である。何か本を読めば、必ずそこに書かれてあることに対して心が動くはずである。共感もあれば、感動もあるだろう、時には否定したくなったり、わからないこともあるだろう。しかし、そうした過程を経て、また一つ成長するのである。図式すると、
読書→読み取る能力の拡大・深化→一層深い読みが可能→人間形成=読書は自己変革を生み出す原動力となる→「考えること」
このようになる。最初と最後を端的につなげば、読書をすることは考えることである。そこにかかれてあったものを読み、考える。そうして、この図は、最後から再び最初に戻るようになっている。つまり、また読書をすることによって、永遠とこのサイクルが繰り返されるのである。一方向的ではなく、循環したものなのだ。
だから、読書をすることは、常に終りのない、常に成長し続ける行為なのである。ここで、終りがないからやらなくても良いという論理を展開する人がいるが、そうは思えない。終りがないからこそ、人間は常に向上しつづけなければならないのではいだろうか。終りがあるのならだ、その地点へ辿り着いたら終りである。それに、向上しつづけるひとと、全く向上しようとしないひとの間には、時間が経てば立つほど差が広まっていく。そのひろまった差によって、一体人生がどのように異なってくるのか、それを考えなければいけない。

主体性の確立=情報を使いこなす
人間が情報化社会を生きる時、情報に流されないことが大切である。一つひとつの情報に右往左往していては、「主体的」とはいえない。主体的とは、自分の考えや行動を自分で決めることのである。情報から考えるヒントや新しい知識を得ることが多い。
考えることとは、形の定まっていないあいまいな思いを、論理やイメージとして明確「ことば」に置き換えようとすることである。
情報に対する主体性のない人ほど、本を読みたがらない。これは卵と鶏の論で、本を読まないから情報の選択ができなく、選択ができないからどの本を読んだら良いのか分からないというものである。そのためにも、その人にあった本を薦めてくれる人が身近にいることは必要であるが、とにもかくにも先ずは一つ読むことである。それでその作品が自分に合えば、それと似た作品や、その作品の作者の別の作品を読めばよい。その作品が肌にあわなければ別の作品を読めばよいのである。
本は、インターネットの情報とは異なり、それなりに人の目が通り厳選された情報である。であるから、そうした論理的で良識的な情報を得ることができる。それに対して、インターネットでは誰もが情報を発信できるようになった。そのこと自体は非常に良いことなのであるが、そのぶん情報の信憑性が落ちた。なかには論拠なき、かってな意見が情報として出回っていることさえある。そのように、質に差がある情報が横溢しているなかで、いかに自分が自分に必要で、しかも質のよい情報に辿り着くというスキルを獲得していかなければならない。
本を読むことは、良い情報を得ることと同時に、そのような論理的で質のよいものを見分ける力をも授ける。多くの本を読んでいれば、この情報は信憑性に欠けるということは、すぐにわかることである。
次に、そのようにして得た情報をもとに、考えることを考察してみよう。例えば、私たちは考える際に、頭のなかでどのように考えているかに気を払ったことはあるだろうか。私たちは普段からそれになれてしまっているから気づかないかも知れないが、私たちはものを考えるときには「ことば」を使用している。母語しか話せない人には、それはわかりにくいので、外人の例を挙げてみよう。日本語がとても上手な外国人がいるとする。その人に何かを考えてもらう。例えば選挙戦。そうした後で、何語で考えたかを聞けば、彼らの母語で考えたと答えるだろう。つまり、私たちは言葉を通じて考えているのである。たとえ言葉を読み書きが出来なかったとしても、ことばによって思考しているのである。

間接経験を豊かにする
人間にとって大切なことは経験である。そして、自分の経験・体験に基づいて決断しているといわれている。しかし、われわれが生きている間に直接に経験できることはわずかであり、過去のことや将来のことは経験できないが、読書はその未経験を補ってくれる。だから、多くの本を読めば、それだけ間接経験は増えるのである。
「本を捨てて、外へ出てほしい」というような趣旨をアンドレ・ジイドが述べている。「書を捨てよ、町へ出よう」という寺山修司の作品もある(内容はあまり関係ないが)。確かに本ばかり読んでいて現実を見ようとしない人にとっては必要なことかも知れないが、読書を否定することは誰もできない。私たちがいくら町へ出て練り歩いたところで、身は一つであるから体験できることがらも限られてきくる。私たちは、この短い人生のなかで、一体どれだけのことを経験できるのだろうか。例えばヨーロッパ、欧米、中東、北極、南極、その他諸々の土地での生活や宗教、文化、風俗を体験することができるのだろうか。それは当然自分の目でみたほうが良いのは決まっている。百聞は一見にしかずだからだ。しかし、それらを体験することが出来るのはごくごく少数の人々であるし、それを体験したからといって、それだけで生きていくことができるわけでもない。だから、そうした直接体験できないことを、精神を解放することによって、読書で間接体験として得ることが出来るのである。
そうして、自分の体験と読書で得た間接経験とは、別個のものではなく、互いに結びついているものなのだ。例えば体験があったとする。しかし、その体験というのはあくまでも自分が体験した主観的なものであるから、その体験が周囲と比べてどうなのか、正当性のあるものなのか、どの程度の価値のある経験なのか、その他もろもろのことはわからない。しかし、その後間接体験として、本で同じような経験をすることが出来たならば、忽ちにして、一元的な体験が多元的な体験になる。多元的になった体験は客観性をもった体験ということも出来るだろう。
或いはその反対に、読書で得た間接体験が先にあったとする。その後にその体験に似た直接体験をした時、そこで以前間接体験したものだと考えられればそれも相対化されたわけであるし、間接体験の内容とは異なっていれば。他の間接体験を求めても良いし、直接体験のほうを優先させて考えても良い。
読書をすることは、ともかく一義的な世界から多元的な世界へと羽ばたくために必要な行為である。一つの硬く狭い世界に閉じこもっていることは時として安心できるし楽であるが、やはり人間はどうしても社会的生き物であるため、外へ働きかけなければいけない。そのための読書という側面もまた重要な視点である。

おわりに
読書は文化である。文化を否定することは現在の学問上不可能ではないだろうか。何かの文化を否定することはそうできることではない。文化相対主義の時代でもある。そのなかで読書という文化は、極めて普遍的に共通して見られる文化である。この人類が長い歴史のなかではぐくんできた、読書という文化を、個人が主観の問題だと言って否定したり、やらなくても良いということなど出来ないと私は感じる。当然、何を選択しどのように生きるのかは当人の自由である。読書は強制されるものではない。読書は、その媒体自体が読者によって成立し得るという特性も持つし、芸術という面もあるので、他人に強要できるものではない。しかし、読書が必要であることは、今までの説明から分かっていただけると思う。
日本の学生は、小、中、高と上がるにしたがって不読者の数が増えている。特に高校生は、一月に一冊も読まない生徒の数が50パーセントを越えている(第57回学校読書調査報告)。それに対して、一月の平均読書冊数は2冊弱であるため、読みの差が開いていることが窺える。簡単に考えれば、読まない半分の人間と、4冊ほど読む人間とに別れてしまっているのである。毎月4冊ずつの読みの差が開いていくとなると、一年で約50冊、10年では500冊ほど読んだ冊数の差が出来る。これだけ差が出れば、どのようなことが起こるかは、自ずと見えてこよう。
読書の必要性を、様々な視点から考えてみた。しかし、この情報でさえも、主体的に選択する必要がある。ただ、その主体性を鍛えるためには読書が、最良の手段であることは間違いないのだ。

夏目漱石 「三四郎」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その十三

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不在の下宿に届いた結婚披露宴招待状
三四郎への発送は美禰子の意思(恭助と三四郎は面識がない)
美禰子は当然三四郎の帰省を知っている
美禰子は産しおるの実家の住所を知りえた。
P336ℓ10「美禰子の結婚披露宴の招待状であった。~三四郎は帰京の当日この招待状を下宿の机の上に見た。時期は既に過ぎていた。」
正月休みに三四郎が帰省することは美禰子の知りえた情報でしょう。そうして、もし三四郎を結婚披露宴に呼びたかったとしたら、三四郎の実家に送ればよかったのです。野々宮宅には、三四郎の母から荷物や手紙が何度か届いています。ですから、当然野々宮は三四郎の福岡の実家の住所を知っているわけです。よし子が里見の家に居候している状態ですから、美禰子はただでさえ、宗八に聞いてもいいものを、よし子を通せば簡単に知ることができます。もし、呼ぶ気がないのならば、そもそも送らなかれば良い話なのです。ですから、呼ぶ気がないのにも拘わらず、披露宴の招待状を送ったという意思が疑問になるのです。
結婚披露宴は二つの恭助ネットワークが一同に会するセレモニー
ではもし、結婚披露宴に三四郎を呼ぶとどうなるのかと考えて見ましょう。三四郎を呼ぶと、恭助と出会うことになります。今まで一度も見たことがなかった恭助を三四郎が認知することによって、三四郎にはその時から美禰子が里見美禰子としての個人ではなく、里見恭助の妹という視点が付加されてしまうのです。美禰子は自分のことを恭介の妹と見られるのを嫌っていましたし、その視点を持たない三四郎に価値を見出していました。ですから、結婚披露宴に三四郎を呼ばなかったのは、自分をそのような目で見て欲しくなかったからなのです。
「恭助ネットワーク圏外の人」としての三四郎
三四郎は美禰子からいろいろなものを受け取りますが、その最初が美禰子の名刺です。そうして最後が、この招待状になります。この招待状は意図されて、式が終わってからでなければ見られないものとして存在しています。ここに、式には来てほしくないが、わざと送ったところに意図を見出して、三四郎に自分の立場を気づいてもらう糸口にしようとしたのです。

P333ℓ9「われは我が愆(とが)を知る。我が罪は常に我が前にあり」旧約聖書詩編
これは本来ダビデが女に関わる懺悔をするもので、男の懺悔がその内容です。美禰子が教会から出てきてこのセリフを言う部分には一体どのような意味が込められているのでしょうか。
男たちを「愚弄」したことへの謝罪か?
「われ」とは誰か
今まで多くの研究者は、われを美禰子と捕らえ、男たちを「愚弄」したことへの謝罪か?と考えてきました。われを女に置き換えて、意味を重視すると、このような解釈になります。しかし、「われ」を男のままにして考えると、結婚する美禰子に対して、三四郎を含む「われ」の男たちに対して、美禰子が懺悔を求めていたのではないかと読むこともできるのです。ここは、「われ」を女に代えて意味を重視するか、男のままで考えるかの違いになってきます。

作品末尾の三四郎のつぶやき 「迷羊」
P337ℓ2「ただ口の内で、迷羊(ストレイシープ)、迷羊(ストレイシープ)と繰返した」
ここで漸くストレイシープを思い出した三四郎。『三四郎』のなかでも不思議な終わり方として、どのような意味があるのか考えられてきました。三四郎に好意的に読むと、美禰子の訴えに、完全に理解したとは言えませんが、理解への一歩を踏み出したのではと考えることができます。
この作品は母の手紙が一つのキーポイントになっています。この母の手紙の内容は、東京の女性と結婚してもらっては困ると、三輪田のおみつさんとの結婚のはなしになります。P94では東京の女と結婚してもらっては困るという内容が、P236では羽織が送られてきます。この羽織は「三輪田のお光さんの御母さんが織ってくれたのを、紋付に染めて、お光さんが縫い上げたもの」で、親子で作り上げたすごい羽織です。そんなものが贈られてきては三四郎もたまりません。
P297では、「お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ってきたそうだ」とあり、当時の女学校を退学する理由としては、結婚準備が考えられました。学校から家に戻って、母親の元で花嫁修業をするのです。残すは、三四郎のYESという答えだけになったということになります。
この小説では書かれていませんが、美禰子が結婚をしているちょうど同時期に、三四郎は故郷で母から結婚の話を持ちかけられたことは間違いないでしょう。この小説から読み取れる限りでは、三四郎という名前の割りに、兄弟はいないように思われます。ですから、大学が終われば通常であれば故郷に帰ってきて、家を継ぐことになります。そうして三四郎の母親はそのようにして欲しいと思っていますから、勝手に結婚話を一人で進めてしまっているのです。後は三四郎の返事が問題となりました。しかし、三四郎が実際にどのような返事をしたのかは、ここでは書かれていません。
①YES お光さんとの結婚 ②NO ③先送り 常識的に考えればこの三つの選択肢が三四郎にはあります。なぜ語り手が、三四郎のことを書かないのかなぞです。それを解く手がかりさえかかれていないのです。ストレイシープという言葉は、三四郎が自らの結婚が眼前に迫った際の、自らの体験を重ねて、我が身のなかで美禰子の言葉をやっと知ることができたのではと考えることができるかも知れません。

夏目漱石 「三四郎」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その十二

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丹青会展覧会で「兄妹の画」をめぐる会話
ほとんど今まで三四郎論では注目されてこなかった部分ですが、名刺と関連して注目しておきます。ここは美禰子が三四郎をさそって展覧会に行く場面。この画に注目しなければいけない理由は、この画が兄と妹による作品だからです。漱石レベルで、この画家のモデルとなった人物はすでに知られています。兄とその妻の妹という義兄妹の画家がいたことは確かですが、テクストレベルで考えた場合、どうして語り手が兄と妹の画家を出してきたのかということに注目します。
P228ℓ1~長い間海外を旅行して歩いた兄妹の画が沢山ある。双方共同じ姓で、しかも一つ所に並べて掛けてある。美禰子はその一枚の前に留まった。「ヴェニスでしょう」~黙って蒼い水と、水の左右の高い家と、倒(さか)さに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片とを眺めていた。すると、「兄(あに)さんの方が余程旨いですね」と美禰子が言った。~「兄(あに)さんとは・・・」「この画は兄さんの方でしょう」「誰の?」~「だって彼方の方が妹さんので、此方の方が兄さんのじゃありませんか」~「違うんですか」「一人と思っていらしったの」「ええ」と云って、呆やりしている。~「随分ね」と云いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行ってしまった。三四郎は立ち留ったまま、もう一遍ヴェニスの掘割を眺め出した。先へ抜けた女は、この時振返った。三四郎は自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向こうから三四郎の横顔を熟視していた。
ここで出てくる「兄さん」は明治期には「あにさん」と発音するのが正式でした。ちなみに、当時は「おまえ」も敬語として存在していました。子どもが親に対して「おまえ」と呼ぶことがあったそうです。「貴様」も同様です。
さて、展覧会に来た三四郎と美禰子ですが、三四郎は好きな美禰子と二人でデートしていることに現を抜かしてしまっています。ですから、画には集中していません。三四郎の美術に対する鑑識がどれほどのものであるかはわかりませんが、あまりはっきりとしたほうではないことは確かです。三四郎はこの画が二人の画家によるものだということがわかっていません。
それに対してP227ℓ7「随分ね」というセリフは、酷いのねというような意味がその後に省略されているものです。いまだと「ありえない」というような意味でしょうか。
ここで疑問になるのが、美禰子は妹というポジションなので、通常であれば妹の方を褒めたくなる心情であろうところを、兄さんの方を賛美する部分です。「兄さんの方が余程旨い」という言葉は翻していえば、「妹の方が余程落ちる」という意味になります。これをわざわざ口に出して三四郎に同意を求めたのは何故かということになるのです。
P228ℓ1「双方共同じ姓で、しかも一つ所に並べて掛けてある」ここから、フルネームが二つ並んでいるということがわかります。これに対して、美禰子と恭助は二人の名前が同時に並べられることのない関係性であることが、対比としてみることができます。
そうすると美禰子は名前が並んでいるこの画家の妹が悔しいのかという読みが生まれます。これは単純な読みです。今回はそうではなく、兄を褒めるという点に重きをおいて考えます。これは高田千波教授の考えです。
兄が結婚しようとすると、その前に妹を片付けてしまうという関係性に対して、この兄妹は画家として長期の旅行をしています。この兄妹の関係においては、妹の結婚を強いないのです。妹が画家であることを保障し、画家として生きることを認めている兄なのです。そうしてもし妹が兄と同じ、あるいはそれ以上の画力のある画家であったとしたら、こんどはその妹の特殊性が生まれてきます。つまり特別だから特別な生き方が許されるということです。しかし、そうではなくて、天才でも特別な才能のない妹でさえ、このような生き方が許されているということが、ここでは強調されているのです。
ですから、余程旨くない妹、特殊でない一般的な画家の妹に、自分を重ね合わせていると読むことができるのではないでしょうか。結婚を強いられる自分とは異なった、もう一つのありうる自分の姿をここに見出しているのではということになります。

P228ℓ6「黙って蒼い水と、水の左右の高い家と、倒(さか)さに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片とを眺めていた。」
さて、ここではヴェニスの画がどのような画であるかの描写がされていますが、当然私たち読者はそこに書かれている限り、何か知らの意味があると考えます。事実だけを伝えているわけではありませんから、どうしてこのような画であるのか説明にも当然意味があるのです。少々無理がありますが、この画の描写と似ている場面を小説内から探して見ましょう。
P142ℓ12「向うに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつく処まで来て留った。『美しい事』と云いながら、草の上に腰を卸した。」
明治は、若い男女が二人で歩くことが今とは違って大変勇気のいることでした。それはまた後で述べますが、ここでは、画を見た際に態々話しかけていることを鑑みると、このことを思い出して欲しいのかと美禰子が考えているともとれます。
またこの二人で川辺に腰掛けている場面では、有名なシュトレイシープがはじめて出てくる場面と繋がります。
P147ℓ6~「迷子の英訳を知っていらしって~迷える子(シュトレイシープ)―解って?」
ここで踏まえておきたいことは、三四郎が東大の英文科の学生であろうということです。そうすると、当然迷子の英訳くらいは知っているだろうと考えられます。当然それは美禰子も承知のはずです。いくら三四郎といえども、三四郎がこのくらは知っているだろうと予想して美禰子は話しているのです。通常であれば、lost child になります。しかし、それを聞いているとは思わなかった三四郎は、質問の本当の意図が分かりません。ですから黙っていると、美禰子がシュトレイシープという言葉を発するのです。
さて、余談ですが旧約聖書はヘブライ語で書かれており、新約聖書はギリシャ語で書かれています。ちなみにエヴァンゲリオンはギリシャ語で福音書という意味です。英訳版の聖書には、このシュトレイシープという表現はされていません。漱石レベルで考えると、単に作者である漱石が記憶の間違えで書いたのかとも考えることができますが、きちんと知っていたとすると、聖書とは別のことばを美禰子が敢えて使用したのかも知れないという意味が出てきます。

美禰子の出した絵葉書
明治の絵葉書は2種類あります。絵が描いてあるものと、絵も自分で描くものです。現在ではどちらかというと、絵も自分で描くという方は少なくなってしまいました。漱石は、自分で絵を描くのが好きな人だったということが知られています。
美禰子の絵葉書は、P156ℓ10「机の上に絵葉書がある。小川を描いて、草をもじゃもじゃ生して、その緑に羊を二匹寐かして、その向こう側に大きな男が洋杖(ステッキ)を持って立っている所を写したものである。男の顔が甚だ獰猛に出来ている。全く西洋の絵にある悪魔(デヴィル)を模したもので、念の為め、傍にちゃんとデヴィルと仮名が振ってある。表は三四郎の宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである。三四郎は迷える子の何物かをすぐ悟った。」
ここからは、この絵葉書に美禰子の文字も書かれていないことがわかりますが、美禰子が出したものだとすぐにわかります。そうしてこの羊が美禰子と三四郎をあらわしているであろうこともすぐわかります。
しかし、この絵だけという不思議な絵葉書が何を意味しているのかは大変難しい問題になります。今まで多くの漱石研究者がこの問題を取り扱ってきましたが、今回の高田教授の見解では、恭助ネットワークという言葉を用いて説明します。
その前に、若い男女が並んでいるという光景は、今であればほほえましいことでありますが、当時はけしからんと考える人が多くいました。
P145ℓ15「ところへ知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の影から出て、何時の間にか河を向こうへ渡ったものと見える。二人の坐っている方へ段々近付いて来る。洋服を着て髯を生やして、年配から云うと広田先生位な男である。この男が二人の前へ来た時、顔をぐるちと向け直して、正面から三四郎と美禰子を睨み付けた。その眼のうちには明かに憎悪の色がある。三四郎は凝と坐っていにくい程ば束縛を感じた。」
現在の感覚ではわかりにくいことですが、真昼間から若い男女が並んでいるというのは、何もしていなくともその構図自体がよろしくないと思われていました。
そこで、この絵葉書にあるデヴィルがこの二人をにらみつけた男であると解釈することは簡単です。しかし、象徴性は別にあるのではないかというのが今回の考えたです。デヴィルが誰か、どういうメッセージがあるのかという疑問は、端的にしぼれば恭助になると考えます。恭助が美禰子を虐待しているわけではありません。ただ、自分の結婚の前に、妹を嫁に出すという行為、美禰子の自由を束縛している存在としての、デヴィルなのではないでしょうか。


絵葉書の小川 恭助ネットワークの境界
この美禰子からの絵葉書は一体何を意味するのか、そこにはどんなメッセージがあるのか、この答えはかかれていませんから、断言することは出来ません。しかし、予想することはできます。三四郎を読み解いていく上で、恭助を真ん中にした人間関係があることがわかってきます。恭助ネットワークとこれを呼ぶことにしますが、このネットワークのなかの人間の共通項は、皆美禰子を恭助の付属物だと見るという点です。この点では広田や宗八、原口も共通しています。
さらにこの恭助ネットワークには、二種類あります。一つは、三四郎とつながりのある世界。P94ℓ14~「三四郎には三つの世界が出来た。~第二の世界に動く人の影を見ると、大抵不精な髭を生やしている。あるものは空を見て歩いている。あるものは俯向いて歩いている。服装(なり)は必ず穢ない。生計(くらし)はきっと貧乏である。」三四郎はこちらの世界とは関わりがありました。しかし、三四郎の関わりのないところで、もう一つの世界があったのです。それがP286ℓ6~「金縁の眼鏡を掛けて、~髭を綺麗に剃っている」
ここで・無精ひげを生やした男のグループと・髭を綺麗に剃っている男のグループというふうに分けて考えることができます。無精ひげのグループは学問をする人で実利には疎い人たち、髭のないグループは金や出世を目指す人々と対比することができます。
P127で三四郎とよし子が話をする場面で恭助が法学士であることがわかります。法科大学を出た人間は、今で言う国家公務員、キャリア組みです。弁護士や銀行員など国家権力に携わる人々が多く排出されました。恐らく恭助ネットワークのひげのない男たちは、法学部出身の人間関係なのではないかと思われます。
一方で学問の人間と、他方で実利の世界とにネットワークを有していた恭助。美禰子の結婚相手は恭助ネットワークから選ばれました。この恭助ネットワークは美禰子のことを恭助の妹としか見ません。それに対して美禰子は嫌がっていたのです。それが名刺の女としての存在とも関わってきます。
先ほどのP126ℓ6「野々宮さんは元から里見さんと御懇意なんですか」「ええ。御友達なの」の部分で、よし子でさえ、里見さんと言われて恭助をイメージします。ですから、裏返して言えば、里見さんといわれて恭助をイメージしない人のほうが珍しいのです。
ですから三四郎の価値は、恭助ネットワークの外にいるということにあります。異性として好きかどうか、友達としてなんとかではなく、価値はもっと別の場所にあるのではないかということです。この作品に恭助が出てこないということは非常に重要な意味があるのではないでしょうか。恭助に逢ったことにない唯一の存在として、三四郎がいるのです。

大学運動会の日
P183ℓ13「あなたは未だこの間の絵葉書の返事を下さらないのね」
ここは、今までラブレターの返事としての手紙をまだかえさないのかという意味だと考えられてきましたが、これまでのように考えて行くと、あの絵葉書の意味がわかったかという質問と、わかって欲しいという願いの意味だと読むこともできます。
美禰子の家を訪ねた日
P219ℓ15「とうとういらしった」
美禰子が三四郎を待ち構えていたという、魔性の女として解釈する読み方もあります。その後のP221ℓ11「馬券で中(あて)るのは、人の心を中るよりむずかしいじゃありませんか。あなたは索引の附いている人の心さえ中てみようとなさらない呑気な方だのに」という部分は、ばればれの心の内面を見抜けない人という意味とも読めます。①どうして私が好きだということを理解できないのか?②どうして私が野々宮のことを好きだということを理解できないのか?
しかし、ここの部分はそうではなくて、何度も三四郎に対してテストを繰り返し、その真意を理解してくれるだろうかということを言っているのではと読めないでしょうか。

この日、丹青会展覧会で「兄妹の画」を巡る会話
P233ℓ6「これもヴェニスですね」と女が寄って来た。「ええ~さっき何を云ったんですか」「さっき?」~「さっき、僕が立って、彼方のヴェニスを見ている時です~用でなければ聞かなくっても可いです。」「用じゃないのよ」
P229ℓ7「随分ね」と云いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行ってしまった。三四郎は立ち留ったまま、もう一遍ヴェニスの掘割を眺め出した。先へ抜けた女は、この時振返った。三四郎は自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向こうから三四郎の横顔を熟視していた。
『三四郎』は三人称で書かれている小説です。その殆どが三四郎の眼を通して語られていますが、例外的にこの部分は美禰子の視点で描かれています。「三四郎は自分の方を見ていない」は、美禰子から見ています。この例外は、それだけ重要な部分だと考えることができます。
里見の家を恭助の家と見ない唯一の人物としての三四郎。しかし、恭助ネットワークからはずれた人物であるということの価値を三四郎は気がつきません。美禰子はそれを気がつかせるために何度もテストを繰り返しますが、見事に悉くそれをはずします。
P233で再びヴェニスの画だと言って近寄ってきた美禰子は、先ほど気がつくことができずに落ちてしまったテストの再試験だと考えられます。「さっき」という三四郎の指摘で会話は復活します。三四郎の問うた「さっき」は二つの箇所を指しています。①兄妹の画、画を巡る会話、②野々宮の前でのささやき。②の方ではだめなのです。①であれば、ヴェニスの画を通して、もう一度兄妹の関係性を考えることが出来る機会が得られます。もしここで、兄妹の画だと応えたら、美禰子からさらにその関係性を気がつかせるための応答がったかも知れません。しかし、「用がなければ可いです」というセリフで、完全に②の方を言っていたことが判明します。「さっき?」と美禰子が問い返す場面は、①を期待していたのではないでしょうか。
P235ℓ16「女は瞳を定めて、三四郎を見た。三四郎はその瞳の中に言葉よりも深き訴を認めた。」と感じます。ここまでは確かにあっているのですが、その次の行で、「―必竟あなたの為にした事じゃありませんかと、二重瞼の奥で訴えている。」と全く検討違いをしています。
美禰子の謎の耳打ちと野々宮の不快
「妙な連れと来ましたね」「妙なお客が落ち合ったな」
P229で展覧会場で野々宮たちと偶然出会う美禰子と三四郎。野々宮は二人をみて上のセリフを言います。今までの研究では、三角関係の理解からしかアプローチがなされませんでした。しかし、この時点ですでに美禰子の結婚相手の候補から野々宮は落ちています。恭助と仲が悪いならともかく、仲のよい二人です。定説では野々宮の二人に対する嫉妬と読まれてきましたが、もう一つの野々宮の「妙な」というセリフを考えてみると、別の意味が浮かび上がってきます。
P255ℓ3「妙な御客が落ち合ったな。入り口で逢ったのか」これは三四郎と一所に入ってきたよし子に向けて言われたセリフです。つまり、男女が二人で歩いていること自体が野々宮にとっては妙なのです。入り口かと質問している意味は、デートの有無を聞いているのです。入り口であれば偶々会っただけですが、それ以外ならデートかも知れないという意味での質問なのです。
ここまで踏まえて考えると、野々宮の不快は、兄恭助に無断でデートをしていることに対してではないかと考えられます。兄が他に働きかけて結婚相手を探しているというのに、当人は兄に無断で男とデートをしているのではないかという視点なのです。美禰子を恭助の妹としてみている視点です。

菊人形の日の空中飛行機をめぐる美禰子と野々宮の会話
アフラ・ベーン
菊人形見物へ行ったP131ℓ10~134ℓ3~の部分の会話は、読者は当然飛行機の話とは思いません。何かしらの比喩であると考えます。従来、安全優先かどうかという意味だろうと考えられてきました。恋に冒険するかどうかです。恋を巡る論争だろうと考えられてきました。しかし、今までのことを踏まえるともっと広く、女性が結婚して落ち着くのか、あるいはリスクを負ってでも才能や努力で生きるのかという話に通じてきます。
この作品に出てくるアフラ・ベーン。当時は誰が借りたのかわかるように、図書カードには借りた人間の名前が書かれます。P115ℓ7「閨秀作家」この閨秀という言葉は差別的で、女流、女性とその呼び名が変容してきました。閨秀ということばには、芸術は男性のものであり、女性は例外であるという意味があります。女流もそれに対応する男流がありませんから駄目です。当時は女性が芸術をして生きるということは例外でした。
妻になって母になるのが女性の生き方だという社会のあり方に、それではつまらない、女性として飛び立って生きたいという意味が込められた会話なのではないでしょうか。野々宮は恭助ネットワークのど真ん中の人物です。野々宮はそれどころか、恭助の代理として美禰子と話していたのです。ですから兄の代理ということで、兄に内緒でデートしていることにも不快になったのです。

美禰子の「難有う」はお礼か?
野々宮を訪ねる直前の唐物屋
「先達ては難有う」
三四郎のお礼状の返事に対する挨拶
「感謝以外には、何にも書いていない」
*羊の絵葉書に対する返事を、三四郎はついに送らず仕舞い
P251~252において、美禰子が三四郎に対して「先達ては難有う」という場面があります。そのままの文脈でとれば、感謝の意を示したものでしょうが、今までのことを踏まえた上で考えると、再試験に落ちた三四郎へ対する失望の現われではないかと読むことができます。三四郎は借金の礼状として、「感謝以外には、何にも書いていない」ものを出しました。ですから、終に美禰子は絵葉書の返事を貰うことができなかったのです。お金を貸してまで、何とか三四郎に自分の立場を察して欲しいというところで、三四郎はまだ気がつきません。それに対する美禰子の失望がここで窺えるのです。
結婚後の美禰子
美禰子は夫に連れられて二日目に来た
P334ℓ13で美禰子が夫に連れられてきたという記述があります。今までずっと『三四郎』という小説のなかで、主導権を持っていたのは美禰子でした。いろいろなところへ行くのにも、彼女が主体となって進行していました。今まで連れて行く側の人間であった美禰子は、連れてこられる女性へと変容しました。
ℓ14原口さんは「どうです」と二人を見た。夫は「結構です」と云って、~「御蔭さまで」と美禰子が礼を述べた。
展覧会にきた二人に対して、画家の原口は言葉をかけます。いつもであれば、美禰子が応えるはずのところを、夫しか応えません。自分がモデルであるにもかかわらず、美禰子は何も言わないのです。その後に「御蔭さまです」という言葉を発しますが、殆ど意味もないような言葉です。美禰子は結婚することによって、里見美禰子と書かれた名刺は無効になりました。名刺はもう使えないのです。名刺の女はもう死にました。ここに明らかな変貌があります。そうしてこの変貌の裏には、深い絶望による感情があるのではないでしょうか。

夏目漱石 「三四郎」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その十一

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三四郎のために三四郎池と名づけられた池

野々宮と結婚したかった美禰子を野々宮が振ったのか、美禰子が野々宮に見切りをつけたのか という二者択一だけだろうか
そのそも美禰子は誰かとの結婚を望んでいたのだろうか
*里見恭助の結婚―里見の家にいられなくなる美禰子
P274ℓ「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合聚散、共に自由にならない。広田先生を見給え、野々宮さんを見給え、里見恭助君を見給え、序に僕を見給え。みんな結婚をしていない。女が偉くなると、こう云う独身ものが沢山出来て来る。だから社会の原則は、独身ものが出来得ない程度内に於て、女が偉くならなくっちゃ駄目だね」「でも兄は近々結婚致しますよ」「おや、そうですか。すると貴方はどうなります」「存じません」
原口の独身論に目が行ってしまいますが、里見恭助の結婚を聞いた原口が即座に、美禰子がどうなるかと質問しているということに注目します。原口の発想では、兄が結婚すれば、その妹の美禰子は邪魔になるというものです。これは当時の常識を踏まえたの発想で、いわば小姑のポジションになるわけです。小姑は夫の姉か妹。
「兄」から「夫」への譲渡される存在としての美禰子
兄の身の回りの世話をするのは妹でした。通常は母親ですが、両親ともなくなっていますから、この場合美禰子という妹が適任なのです。社会的構造としてそうなっていたのです。ここでは恭助が美禰子のことを可愛がっていたか可愛がっていなかったかということは問題外になるのです。親が居れば、美禰子の有用性は残ります。親の面倒を見るということになったのです。しかし、親もいないなか、兄が夫へとなる時、美禰子は邪魔な存在になってしまうのです。それを心配して原口はこう質問したのです。
ちなみに、明治のティーネイジャーの結婚は普通でした。女学校を結婚のために退学するなんていうのは稀なことではなく、寧ろ美禰子は結婚適齢期をすでに過ぎようとしているのです。

*原口と広田の会話
P202ℓ5「結婚と云えば、あの女も、もう嫁に行く時期だね。どうだろう、何処か好い口はないだろうか。里見にも頼まれているんだが」
あの女=美禰子 里見=恭助
よし子の縁談と美禰子の縁談の関係
美禰子の年齢は情報に強い与次郎が三四郎と同じくらいだといっています。三四郎が数えで23、現在で言えば22歳ですから、美禰子も20台であることに違いはありません。当時の結婚適齢期からすればもう最後です。そうして里見の兄から、妹の美禰子の好い口を捜してくれるようにとの依頼が原口にもまわってきています。ただ、そう考えると、野々宮が考慮されていないということになります。野々宮は独身ですし、世界的にも有名な学者。恭助とは学友です。その野々宮を無視して原口に頼んでいるのですから、恭助の意思には、野々宮が結婚相手であるという考えは存在しないように思われます。また、恭助が野々宮と美禰子の仲がよい関係であるならば、それを切り裂く理由はありません。ですから、野々宮と美禰子の結婚はないのだと考えられます。
また、自分の結婚の前に妹を嫁がせたいというタイムリミットも影響してきます。一方野々宮はタイムリミットがありません。本人の意思と関係なく、周囲の状況でまとまっていった縁談であるということが考えられます。

*銀行預金通帳「里見美禰子殿」
P225ℓ3「これで御金を取って頂戴」三四郎は手を出して、帳面を受取った。真中に小口当座預金通帳(あずかりきんかよいちょう)とあって、横に里見美禰子殿と書いてある。三四郎は帳面と印形を持ったまま~あたかも毎日銀行へ金を取りに行き慣けた者に対する口振りである。
ここで態々美禰子が自分の預金通帳を三四郎に一旦貸して、そうしてお金を降ろすということを行う理由には、里見美禰子の口座であるということを示すことがひとつあります。自分で自由に使える金であることを見せ付けたのです。そうして使いなれているように、三四郎には見えます。ただし、美禰子は完全に独立した女性というわけではありません。彼女は働いていませんし、両親が残したお金のうちの、兄から貰ったお金を扱えるのみなのです。そうしてこの口座は結婚後は通用しないという意味も持ちます。
ちなみに、この「里見美禰子殿」という文字は、当然タイピングの無い時代ですから、銀行員による手書きです。
予備知識として、預金と貯金の区別は、預金が銀行に預けるものに対して、貯金が郵便局に預けるものです。預け先で呼び名が変化します。

「名刺の女」美禰子
広田先生の引越しの日
「里見美禰子」というフルネームと住所だけの名刺
漱石の小説で「名刺を持つ女」は美禰子だけ
三四郎が美禰子から最初に受取ったアイテム
ここに着眼したのは、高田千波教授が初めてですが、美禰子は名刺の女として描かれます。P102の広田先生の引越しを手伝う日に、ℓ4「あなたは・・・・・・」~一枚の名刺を出して、三四郎にくれた。~本郷真砂町
名前を自分で名乗らずに、名刺を出すという行為もとても謎めいていますが、本来美禰子は名刺を必要としない存在です。働いてもいないし、女学生でもないのですから、名刺が必要になる場面はほとんど無いはずなのです。それにもかかわらず、さらに引越しの手伝いという、およそ名刺が必要とされない場面においても持っているということは、決して少なくない意味を持つと考えられます。
美禰子の名刺には名前と住所だけがかかれてあります。当然働いても学生でもないのですから、肩書きはありません。
そうして、名刺を持つ女は漱石の作品においても極めて例外的な存在です。また、三四郎が美禰子から受取るものというのは、この小説のなかで沢山ありますが、池の淵での白い花を除くと、この名刺がはじめて美禰子から渡されたアイテムということになり、少なくない意味を持つのです。白い花は、美禰子が三四郎の近くに落としただけで、渡したとは考えにくいアイテムです。


標札と名刺
里見の末の標札
原口の家の標札
P217ℓ15「けれども這入るのは始めてである。瓦葺の門の柱に里見恭助という標札が出ている」
明治には家族の名前を列挙するという書き方はありませんから、その家の名字か、戸主名が記されます。現在ではペットまで書くような家もありますが、そうした時代背景を踏まえて読みます。
P269ℓ5「生垣に綺麗な門がある。果たして原口という標札が出ていた。その標札は木理の込んだ黒っぽい板に、緑の油で名前を派手に書いたものである。字だか模様だか分からない位凝っている」
原口の家は、原口とだけあります。ですから、ここで里見恭助とフルネームで描かれていることにも、少なくない意味があるのです。そうして里見恭助と描かれた標札と、里見美禰子と書かれた名刺は対比を為しています。
美禰子は標札には決して現れることのない存在です。ですから、この名刺の女は、秘かな自己主張ではないかと考えることができるのです。付属物とみなされることに抵抗があり、兄の結婚と同時に邪魔になると見られる人のプロテストとして考えることができるのです。

夏目漱石 「三四郎」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その十

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前回から、三四郎の視点に限る美禰子と野々宮の情報を見てきました。
大学運動会の日
野々宮のフロックコート姿について、「大分得意の様じや在りませんか」と言う三四郎を「あなたも随分ね」と批判
P176ℓ4「計測掛が黒板に二十五秒七四と書いた。~野々宮さんであった。野々宮さんは何時になく真黒なフロックを着て」
P183ℓ1「ええ、珍しくフロックコートを御着になって―随分御迷惑でしょう。朝から晩までですから」「だって大分得意の様じゃありませんか」「誰が、野々宮さんが。―あなたも随分ね」「何故ですか」「だって、まさか運動会の計測掛になって得意になる様な方でもないでしょう」
「あなたも随分ね」という言葉のあとには通常マイナスの言葉が来ます。どうやらひどいことを言うわねというニュアンスで使用されているようです。
P173ℓ15「三四郎は元来あまり運動好きではない。国に居るとき兎狩を二三度した事がある。それから高等学校の端艇競漕(ボートきょうそう)のときに~」
三四郎は運動がもともとあまり好きではないので、この運動会には参加していません。運動会は強制ではありませんから、好きなひとだけ参加すればよかったのです。このころは、奇妙な思想が存在していて、スポーツに熱心になる人の正反対で、インテリゲンチュアといって、身体を動かすことを低俗なものと見る考え方もありました。ちなみに漱石自身は運動が好きでした。漱石はここで出てきている端艇競漕が大変好きで、一年このために留年もしています。
運動が好きではない三四郎がどうして運動会に顔を出しているのかというと、P174ℓ4「与次郎の云う所によると競技より女の方が見に行く価値があるのだそうだ。女のうちには野々宮さんの妹がいるだろう。野々宮さんの妹と一所に美禰子もいるだろう。其処へ行って、今日はとか何とか挨拶をしてみたい。」というのが理由。
三四郎は美禰子のことが好きですから、女性が目当てだったのです。東大は当時男子しか入学できません。教員も全て男性。男女が共学なのは小学校までで、それ以降は男女別学でした。女性は普段東大には入れません。公然と這入れるのはこの日だけなのです。
ですから、ここでは共学ではないこと、時代背景を頭に入れて考えなければなりません。
三四郎の目的は、P175ℓ1「三四郎が失望したのは婦人席が別になっていて、普通の人間には近寄れない事であった」という部分からも窺えます。

P186ℓ5「宗八さん様な方は、我々の考えじゃ分かりませんよ。ずっと高い所に居て、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんを誉め出した。~学問をする人が煩瑣(うるさ)い俗用を避けて、なるべく単純な生活に我慢するのは、みんな研究の為已むをを得ないんだから仕方がない。野々宮の様な外国にまで聞こえる程度の仕事をする人が、普通の学生同様な下宿に這入っているのも必竟野々宮が偉いからの事で、下宿が汚なければ汚ない程尊敬しなくってはならない。―美禰子の野々宮に対する讃辞のつづきは、ざっとこうである。
三四郎とよし子の前で、野々宮のことを美禰子が大いにほめます。
P282ℓ13「三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使った事がない。大抵の応対は一句か二句で済ましている。しかも甚だ簡単なものに過ぎない」こうした性格を持つ美禰子が、唯一長く喋ったのが、この三四郎の前で語った野々宮の讃辞なのです。普段短い言葉しか発しないために、謎めく言説になる美禰子が、ここでは実に饒舌に例外として語っています。
一方この運動会の日に美禰子は三四郎と二人きりで池を見下ろす場面で
P181ℓ12「あの木を知っていらしって」という。「あれは椎」「能く覚えていらっしゃる事」
で三四郎との出会いにも少なくない意味がおかれています。ですから上の野々宮讃辞のセリフは、野々宮が全く天空の人で、私たちの分かるところにいないという反論のニュアンスと解釈できるラインものこされています。

丹青会展示会場
2枚の招待券で三四郎を誘う
P225ℓ13「丹青会の展覧会を御覧になって」と聞いた。「まだ覧ません」「招待券(しょうだいけん)を二枚貰ったんですけれども、つい閑がなかったものだから、まだ行かずにいたんですが行ってみましょうか」
ここで、美禰子が三四郎をデートに誘います。通常であれば、野々宮と行きそうなものですが、三四郎を誘います。もちろん二枚貰ったというのが嘘かも知れないという可能性はあります。美禰子は画家原口にチケットをもらえる権利がありますから、二枚とは限らないかも知れないのです。
野々宮と原口が現れる
P229ℓ11「里見さん」~美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間ばかり離れて原口さんが立っている。原口さんを後に、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るや否や、二三歩後戻りをして三四郎の傍へ来た。人に目立たぬ位に、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。そうして何か私語(ささや)いた。三四郎には何を云ったのか、少しも分からない。~野々宮は三四郎に向かって「妙な連と来ましたね」と云った。~美禰子が、「似合うでしょう」と云った。
さて、しつこいようですが一間は、畳の長いほう、6尺と同じですから、2メートル弱。その距離から離しかけられたのです。
この美禰子と三四郎のデートは、野々宮から見れば、自分が見られた直後に二三歩下がって三四郎に何かを言っているように見えます。
P233ℓ8「さっき何を云ったんですか」女は「さっき?」と聞き返した。「さっき、僕が立って、彼方のヴェニスを見ている時です」「用でなければ聞かなくっても可いです」「用じゃないのよ」
P234ℓ1「野々宮さん。ね、ね」「野々宮さん・・・」「解ったでしょう」美禰子の意味は、大濤(おおなみ)の崩れる如く一度に三四郎の胸を浸した。「野々宮さんを愚弄したのですか」「何んで?」~「あなたを愚弄したんじゃ無いのよ」
P235ℓ12「悪くって?先刻のこと」「可いです」「だって」と云いながら、寄ってきた。「私、何故だか、ああ為たかったんですもの。野々宮さんに失礼する積りじゃないんですけれども」女は瞳を定めて、三四郎を見た。三四郎はその瞳の中に言葉よりも深き訴えを認めた。―必竟あなたの為にした事じゃありませんかと、二重瞼の奥で訴えている。
ここで三四郎の解釈は、美禰子が自分と二人で仲のよい様子を見せたかったのだとしました。愚弄したのかという質問に対して、美禰子の答えは答えになっていません。ただ、野々宮を愚弄したことを否定はしていません。
あくまで三四郎の主観による判断ですから、美禰子の内側を正確に捉えられているとはかぎりません。

野々宮宗八の下宿における野々宮兄弟の会話
P255ℓ14「ああ、私忘れていた。美禰子さんの御言伝がってよ」「そうか」「嬉しいでしょう。嬉しくなくって?」野々宮さんは痒い様な顔をした。そうして、三四郎を見た。~「美禰子さんがね、兄さんに文芸協会の演芸会に連れて行って頂戴って」「里見(恭助のこと)さんと一所に行ったら宜かろう」「御用が有るんですって」「御前も行くのか」「無論だわ」
ここから、①よし子が、兄宗八に対して、美禰子からの御言伝があるといってからかっていることと、②美禰子が宗八に文芸協会に誘って欲しいというお願いをしていることがわかります。

三四郎が原口を訪ねた日
いつもと違う美禰子の様子
P281ℓ15その時原口さんが、とうとう筆を擱いて、「もう廃そう。今日はどうしても駄目だ」と云い出した。~「今日は疲れていますね」~「いや実は僕も疲れた。また明日元気の好い時に遣りましょう。まあ御茶でも飲んで緩(ゆっくり)なさい」
三四郎が美禰子に会いに行った日です。恐らく美禰子の調子が悪いのは、めずらしいことでしょう。原口にとってもめずらしいことであろうと思われます。そうしてこの日は金縁眼鏡の男が登場する日でもあるのです。
「迎えに来た。早く行こう。兄さんも待っている」
先ず喋り方から注目しますと、特別珍しいのは敬語ではないということです。美禰子に対しては野々宮や三四郎はですます、など丁寧語を使用していました。ですからこの男が敬語ではないという点に、大きな特色を見出すことができるのです。ここから考えると、すでに眼鏡の男と美禰子が心理的に夫婦関係になっている、ほとんど結婚が決まっているのではないかということが考えられます。事実上の妻としての扱いをしているのです。何を言ったかを見ることはどの読者もしますが、研究はどう言ったかにも着目しなければいけません。
「兄さんも」待っているのですから、待っている人間は里見恭助以外にもいることがわかります。恐らく眼鏡の男の家族だと思われます。里見家にはもう恭助と美禰子しかいません。それ以外のものが待っているとすれば、眼鏡の男の家族だと考えるのが妥当です。ですから、両家の結婚を取り計らうためのミーティングだと考えられるのです。だから美禰子の様子がいつもと違ったのではないかという予想が出来ます。美禰子は今日家族間の会議があることを知っていながら絵に望んでいたので、いつもと様子が違ったのだと考えられるのです。

文芸協会演芸会
P289ℓ14与次郎は広田先生と原口さんに招待券を送ったと云っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと云っている。
P317ℓ2野々宮さん
P319ℓ10幕が又下りた。美禰子とよし子が席を立った。三四郎もつづいて立った。廊下まで来て見ると、二人は廊下の中程で、男と話をしている。~男の横顔を見た時、三四郎は後へ引き返した。席へ返らずに下足を取って表へ出た。
ここで、一体だれが美禰子と話しているのか明示されていはいませんが、恐らく金縁眼鏡の男であろうと考えられます。野々宮さんは、すでに317ページで確認済みです。そうしてそれを見た結果、三四郎はお芝居を途中で抜け出し、そうして翌日にはそのショックのためか、身体を壊してしまいます。
結婚披露宴招待状と出席
野々宮は出席していますから、以前述べたように野々宮の美禰子に対する感情の全く二つの解釈ができるのです。

夏目漱石 「三四郎」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その九

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三四郎の舞台となる、本郷の周辺地図。

小説のなかで、結婚というテーマはよく扱われますが、語り手が固有名さえ名前さえあたえていないない男と、ヒロインが急に結婚するという作品は少し珍しいです。ただ、これでもまだ不思議ではありませんが、さらに男を愛してもいないとなると、これは不思議です。よし子と同居していて、よし子の次に結婚の申し込みを受けた美禰子がどうして互いに愛してもいないのに結婚したのでしょうか。

P202ℓ13広田「あの女は自分の行きたい所でなくっちゃ行きっこない。勧めたって無駄だ。好きな人があるまで独身で置くがいい」原口「全く西洋流だね。尤もこれからの女はみんなそうなるんだから、それも可かろう」
ここで三四郎以外の美禰子をよく知る二人の男が、美禰子を評して意見が一致します。読者も共感できるないようであるからこそ、どうして金縁眼鏡の男との結婚になったのかが理解できないのです。
まずよし子との結婚を希望し、よし子に断られたらただちちに美禰子との結婚を申し込んでくるような男。(美禰子は現在よし子と同居)そんな男が「自分で行きたい所」なのだろうか。よし子が断った金縁眼鏡の男との縁談を「西洋流」の女である美禰子が承諾したのはなぜか。それが『三四郎』最大の謎とされてきた。

美禰子は何故野々宮と結婚しなかったのか?
三四郎は二人が恋心を抱いているのではいかと気にしている。
美禰子は野々宮に惚れていなかったのか?
美禰子は三四郎を異性としてみていなかったのか?という疑問も派生して成り立ちます。

三四郎の眼に映った野々宮と美禰子
「池の女」の場面
P35ℓ11「野々宮君は少時(しばらく)池の水を眺めていたが、右の手を隠袋(ポケット)に入れて何か探し出した。隠袋から半分封筒が食み出している。その上に書いてある字が女の手蹟らしい」
同日 野々宮はリボンを購入
P39ℓ6「蝉の羽根の様なリボンをぶら下げて」。とても地下で研究をしている人間にはふさわしいものとは思えません。ここだけで判断すると、①妹へのプレゼント、②美禰子へのプレゼント、③三四郎の知らない第三の女性?の三択が作れます。
大学病院によし子を見舞って偶然美禰子と会う 野々宮が買ったのと同じリボン
P75ℓ4「女の結んでいたリボンの色が映った。そのリボンの色も質も、慥に野々宮君が兼安で買ったものと同じであると考え出した時、三四郎は急に足が重くなった」。果たして正解は美禰子へのプレゼントでした。このとき既に美禰子への並々ならぬ感情を抱いていた三四郎は野々宮からのプレゼントだというだけで、足が重くなります。
三四郎の目の前で買ったものが美禰子に届いているわけです。あくまで書かれていないことなので、プレゼントと断定はできません。買ってきてくれと頼まれた可能性も少なからずあります。ただ、兼安は近所なので美禰子が歩いていける範囲です。それに通常こうした装飾品は自分で選ぶもの。男性には買わせないのが普通でしょう。そう考えるとやはり、三四郎は心穏やかではいられません。

広田先生の引越しの手伝いの日
美禰子「そうそう」と言いながら野々宮のあとを追いかける
P122ℓ13「野々宮さんが庭から出て行った。~美禰子は急に思い出した様に『そうそう』と云いながら、庭先に脱いであった下駄を穿いて、野々宮の後を追掛けた。~三四郎は黙って坐っていた。」ここでもやはり三四郎は野々宮のあとを追掛けていく美禰子を見て、黙っているという姿が描かれます。心穏やかではありませんね。
しかし、ここで見落としてはいけない部分があります。
同時に菊人形見物企画に「小川さんもいらっしゃい」「佐々木さんも」と誘う(デートではなくグループ)
P121ℓ8「身体(なり)ばかり大きくって馬鹿だから実に弱る。あれで団子坂の菊人形が見たいから、連れて行けなんて云うんだから」「連れて行って御上げなされば可いのに。私だって見たいわ」「じゃ一所に行きましょうか」「ええ是非。小川さんもいらっしゃい」「ええ行きましょう」「佐々木さんも」「菊人形は御免だ。菊人形を見る位なら活動写真を見に行きます。」
ここで野々宮が自分の妹のよし子を身体ばかり大きくて馬鹿だから実に弱るということを言っていますが、当時は今よりも身内に謙遜した時代ですから、妹を酷くけなす兄だなという感覚ではありません。決して馬鹿にしているわけではないのです。
「ええ是非」で終わればデートが成立しました。野々宮とよし子と美禰子。妹のよし子が邪魔といえば邪魔ですが、デートの形にはなります。それをグループにしたのは美禰子なのです。小川三四郎と佐々木を誘ったのは美禰子です。
人間関係はそれぞれの視点からみなければいけません。美禰子が野々宮を好きならば、デートにするはずです。デートのチャンスを破壊してグループにしたのは美禰子なのです。そうしてその後に先ほどの「そうそう」が続きますから、簡単に美禰子が野々宮を好きだと考えることはできません。

菊人形見物の日(日曜日)
野々宮と美禰子の奇妙な論争(「空中飛行器」 ライト兄弟から四年後)
P131ℓ11「そんな事をすれば、地面の上に落ちて死ぬばかりだ」これは男の声である。「死んでも、その方が可いと思います」これは女の答である。「尤もそんな無謀な人間は、高い所から落ちて死ぬだけの価値は充分ある」「残酷な事を仰しゃる」
何か真剣に話をしている美禰子と野々宮。この時点では一体何の話をしているのかわかりません。その続編が
P134ℓ3美「野々宮さんは、理学者だから、なおそんな事を仰しゃるんでしょう」と言い出した。話の続きらしい。
野「なに理学を遣らなくっても同じ事です。高く飛ぼうと云うには、飛べるだけの装置を考えた上でなければ出来ないに極っている。頭の方が先に要るに違いないじゃありませんか」
美「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかも知れません」
野「我慢しなければ、死ぬばかりですもの」(このセリフは野々宮のもの。「ですもの」にひかれて美禰子と勘違いをすることがあるが、当時は男性でもですものという語尾をつけることはあった)
美「そうすると安全で地上の上に立っているのが一番好い事になりますね。何だかつまらない様だ」
野々宮さんは返事を已めて~「女には詩人が多いですね」~「今のは何の御話しなんですか」「なに空中飛行器の話です」
ここでようやく空中飛行器の話をしていたのだということがわかります。空中飛行器という言葉は飛行機と飛行船を指しますが、恐らく飛行機の話であると考えられます。そうしてこの会話から二人の性格が窺えます。安全第一で飛ばないというのが野々宮。美禰子はそれでも飛ぶのだという主張です。当然読者はこの会話は何の意味もないものだとは考えません。この議論がただの飛行機だけを論じているとは考えられないのです。もっと抽象的な、メタファーだと考えます。

菊人形会場で 美禰子、菊の根を指して熱心に話している野々宮の姿を見て
P138ℓ16「広田先生と野々宮はしきりに話をし始めた。菊の培養法が違うとか何とかいう所で、~美禰子は三四郎より先にいる。~美禰子はその間に立って、振り返った。首を延ばして、野々宮のいる方を見た。野々宮は~菊の根を指しながら、何か熱心に説明している。美禰子は又向こうをむいた。~さっさと出口の方へ行く。」
内面はともかく、行動としては、美禰子は一度野々宮を見て、そうしてすてたようになります。
追掛けたのは野々宮ではなく、三四郎
P140ℓ2「もう出ましょう」
一所に見にきたのに、二人だけ別行動になります。初めての二人きりで、三四郎と美禰子はデートのようになります。しかし、このような場面にしたのは美禰子です。
P146ℓ5「広田先生や野々宮さんはさぞ後で僕等を探したでしょう」と始めて気が付いた様に云った。~「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」「迷子だから探したでしょう」~「責任を逃れたがる人だから、丁度好いでしょう」(←主語がない)「誰が?広田先生がですか」美禰子は答えなかった。「野々宮さんがですか」美禰子はやっぱり答えなかった。
三四郎と美禰子は二人きりになれたものの、その経緯から三四郎は喜べません。そうして「責任を逃れたがる人だから、丁度好いでしょう」は主語がありません。先に広田先生かと聞くところが、三四郎の心情を表しているとも考えられます。しかし、結局美禰子の答えはなく、誰についていっているのかわかりません。これもまた『三四郎』の謎になります。

夏目漱石 「三四郎」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その八

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作中で出てくるグルーズの画。
三四郎あて招待状は三四郎が冬休みで帰省中に下宿に届いている
P336ℓ12「三四郎は帰京の当日この招待状を下宿の机の上に見た」ここから三四郎が故郷の福岡に帰った後に届いたことがわかります。
招待主は恭助(戸主)と金縁眼鏡の男の家の戸主との連名
恐らく上の連名で出されていたはずです。小説には明記されていませんが、当時は個人よりも家が重視されていましたから、結婚も個人同士の結婚というよりも、家と家の結婚としての意味合いのほうが強かったのです。戦後になって個人の結婚という意味が強まりましたが、未だに家が連名になった招待状は残ります。これが21世紀になると、本人同士の名前の招待状に変化してきます。
招待者リストに三四郎を希望したのは美禰子
恭助と三四郎は面識がありません。恭助は別に面識がない三四郎を呼ぼうとは思わないでしょう。そうして金縁眼鏡の男とも一度こそあっているものの、当然名前も知りませんから、呼ばれるはずがありません。そこから三四郎を招待したのは美禰子だということがわかります。
美禰子は三四郎の帰省情報(下宿には不在)を知っている
美禰子は三四郎の帰省先住所を知ることが可能だった(野々宮ルート)
美禰子は当然三四郎の帰省情報を知っていたはずです。そうしてもししらなかったとしても、招待状を三四郎にとどくようにすることは可能でした。野々宮家には三四郎の母親から手紙が来ていますから、野々宮に聞けば三四郎の実家の招待状を送れたのです。よし子は美禰子の家に居候をしていましたから、福岡の住所を知ることはよし子を通して野々宮に聞くというそんなに難しくない選択肢があったのです。しかし、なぜかいないはずの追分の下宿に送ったのです。
“来ないことを前提にした招待状発送”という謎
(三四郎が美禰子から受け取った最後のアイテム)

1 美禰子の結婚の謎
美禰子は十二章で縁談がまとまり、十三章では妻として登場
相手は語り手が名前すら示さない「金縁眼鏡」の男
この男は、小説の最後で突然出てきてそうして美禰子と結婚してしまいます。読者はこの突然の美禰子の結婚とその相手が今まで一度も出てこなかった人物のために狐につままれたような感情になります。
「金縁眼鏡」の男が、美禰子に夢中になって求婚した可能性はあるか?
この可能性はあまりありません。だから不思議なのです。
十二章・与次郎との会話
P321ℓ8~「君、この間美禰子さんの事を知っているかと僕に尋ねたね」「美禰子さんの事を?何処で?」~「じゃ、何じゃないか。美禰子さんが嫁に行くと云う話じゃないか」「極ったのか」「極った様に聞いたが、能く分からない」「野々宮さんの所か」「いや、野々宮さんじゃない」「じゃ・・・・・・」と云い掛けて已めた。「君知っているか」「知らない」と云い切った。「どうも能く分からない不思議な事があるんあが、もう少し立たないと、どうなるんだか見当が付かない」
「不思議な事」の中身
美禰子の縁談の相手とよし子の縁談の相手が同一人物!?
P325ℓ10「与次郎はその時始めて、美禰子に関する不思議を説明した。与次郎の云うところによると、よし子にも結婚の話がある。それから美禰子にもある。それだけならば好いが、よし子の行く所と、美禰子の行く所が、同じ人らしい。だから不思議なのだそうだ。~然しよし子の結婚だけは慥(たしか)である。現に自分がその話しを傍で聞いていた。ことによるとその話を美禰子のと取違えたのかも知れない。けれども美禰子の結婚も、全く嘘ではないらしい。」
三四郎はいつ聞いた?
P256ℓ10「今夜妹を呼んだのは、真面目の用があるんだのに、あんな呑気ばかり云っていて困ると話した。~よし子に縁談の口がある。国へそう云ってやったら、両親も異存はないと返事をして来た。それに就いて本人の意見をよく確かめる必要が起こったのだ」
P259ℓ12~「先刻の話をしなくっちゃ」「能くってや」と妹が拒絶した。「能くはないよ」「能くってよ。知らないわ」~「だって仕方がないじゃ、ありませんか・知りもしない人の所へ、行くか行かないかって、聞いたって。好きでも嫌いでもないんだから、何にも云い様はありゃしないわ。だから知らないわ」
ちなみに「能くってよ。知らないわ」というセリフはYESという意味ではなく、NOという意味です。当時流行のセリフで、小説が流行らせたらしいです。

よし子との会話
P329ℓ3~「野々宮さん(よし子のこと)、あなたの御縁談はどうなりました」「あれぎりです」「美禰子さんにも縁談の口があるそうじゃありませんか」「ええ、もう纏りました」「誰ですか、先は」「私を貰うと云った方なの。ほほほ可笑いでしょう。美禰子さんの御兄(おあにい)さんの御兄(おあにい)さんの御友達よ。私近い内に又兄と一所に家を持ちますの。美禰子さんが行ってしまうと、もう御厄介になってる訳行かないから」「あなたは御嫁には行かないんですか」「行きたい所がありさえすれば行きますわ」

「金縁眼鏡」の男は、野々宮宗八の妹との結婚を求めたが、よし子は拒絶。
この「金縁眼鏡」の男は、よし子がダメだったために、美禰子に結婚の申し込みをします。それが纏まって結婚ということになるのですが、一つ問題があります。よし子と美禰子は同じところで暮らしていました。よし子が美禰子の家に居候になっているのです。ですから当然内緒もへったくれもないわけで、よし子に縁談があったことを当然美禰子も知っていて、その男がよし子がだめだったから美禰子のところへ来たということも十分承知しているはずなのです。
よし子がだめなら美禰子でもいいやというような、女性にとっては屈辱的な結婚申し込みですが、美禰子はそれを知った上で承知します。あるいは無神経な申し込みですが、全くそれを気にしていません。ですから当然強い愛があるわけでもなく、男と結婚を承諾した謎がのこります。何処にも謎の答えが描かれていないから解釈が広がるのです。

柳美里『自殺の国』への試論 感想とレビュー 一元的な関係性からの解放、多元的関係性へ

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-初めに-
去る、10月11日に、紀伊国屋新宿南店にて、「19:00~柳美里さんライブトーク@ふらっとすぽっと/『自殺の国』(河出書房新社)」に参加してきました。いずれトークセッション時の動画が公開されると思います。最初に質問をしたのは私ですから、私の声もはいっていることでしょう。
http://www.kinokuniya.co.jp/store/Shinjuku-South-Store/20121001114000.html
柳さんとは、その後、評論家の榎本教授や、編集者の方たちと共に、私も同席させていただいて食事をしました。そこではとても私がついていけるレベルではないような、文学へ対する熱い想いが拮抗しあい、すごいことになっていました。柳さんは小説家であると同時に、ノンフィクション作家でもあります。フィクションとノンフィクションの境界線をどこに引くのかということについて、大人たちが本気で語り合っているのを見たのはいい刺激になりました。
柳さんは、自分の立ち居地を決めることといっていました。その現場にはいるのだけれども、カメラの位置を設定することが、彼女のノンフィクション作家としてのスタンスのようです。今回は、彼女の最新作、『自殺の国』を論じます。

-作品傾向-
一度自殺について昔調べたことがあります。確か国の機関の統計だったのですが、自殺者の数は、バブルが始まった時期と殆ど同じ次期から急上昇していました。その同期付けはなされていませんでしたが、丁度バブルと呼ばれる経済の時期と同時期から3万人になり、それ以降ずっと現在に至るまで、毎年3万人の人が自ら命を絶っているのです。
3万人という数をイメージできますでしょうか。この間の3,11大震災でも、3万人の死傷者は出ていません。ということはつまり、目に見えなくとも、毎年3、11大震災以上の震災が起こり続けているということなのです。
最近特に電車の人身事故が目立ちます。いつもどこかで何線が人身事故で止まっていると感じないでしょうか。まさしく、この作品はここに着目したものなのです。

初めこの作品を読んだときに、多少動揺しました。柳さんはあんなに機械が苦手だと公式サイトでも仰っていたのにも拘わらず、書き込み掲示板を思わせるスレッドから作品ははじまります。主人公は市原百音(もね)という女子中学生。15歳の中学三年生です。彼女は何故かシニタイと思っているのです。
P17ℓ15「シニタイ。でも、死にたいわけじゃない。シニタイ。死にたい、と思ってみてるだけ。シニタイシニタイシニタイ」彼女は受験を目の当たりにして、将来のことを考えずにはいられません。そうして、何か漠然とした不安のなかで、彼女の将来像がどんどん狭められているのです。この小説は女子中学生の手記のように、大変あどけない文体で、口語にもにた幼稚な文章で構成されています。しかし、彼女は自分の将来について、未来がないと感じながらも、よくよく考えているのではないでしょうか。実はおどけてみせていても、かなりよく考えているのではないかと、私は思います。その思考をしていくなかで、どうしても外的要因がその思想に入り込んでくる。そうしてその入り込んできたものが、あまりに色濃く強く、負の感情を有しているものなのです。それが、彼女の将来へのヴィジョンを死という、最も究極的な終点へと向かわせたのだと私は考えます。
ただ、冒頭ではまだ、シニタイといってみて、実際に死にたいわけではないのです。このカタカナ表記のシニタイと通常の死にたいの表記には、大きな意味があるのです。シニタイは死にたいではなく、記号化したシニタイという言葉の羅列、特に死にたいという意味は篭っていないのです。もっと軽く、ただ、生きていくのも倦怠であるなかで、ぽろっと疲労からでたつぶやきであったのだろうと私は考えます。
こうした微妙な差異が少しずつすこしずつずれて、最終的には自殺するというところまでに至るのです。

この作品の特徴は表記の仕方にあります。先ほど述べたネット上のスレッド形式や、シニタイと死にたいの表記など以外にも、特記すべきものがいくつかあります。この作品は『山手線内回』の連作で、御互いに独立した作品ではあるものの、モチーフが共通しています。この作品もまた、舞台となる空間は、多くが山手線なのです。駅でもそうですし、電車にのっているときも、山手線で話がすすんでいるのです。ただし、前作が『山手線内回』だったのに対し、今回はその対であるという意識の現われか、山手線外回にのっています。
通常の文章と平行して、電車の音が描かれます。「ゴト、プシュー、トン、ルゥーゥーゴト、ゴト、ゴトッ、ゴトゴトゴトッ・・・・・・」このようにして、この作品の少なくない部分で、こうした音愉表現が多様に使用されているのです。太字では、「次は目黒、目黒、お出口は右側です、東急目黒線、都営地下鉄線三田線はお乗換えです」といったように、アナウンスが流れています。その他、他の乗客の話し声などが、まるでその場にいるように、ただ何の脈絡も、語り手の意思さえなく、表記されます。
つまり、ここにいるのは、テクスト論的に考えますと、当然少女なわけです。通常の一人称小説であれば、「~」という音がする。「~」というアナウンスが電車に響き渡る。だれだれ、どんな人が「~」というようなことを喋っているというように、語り手の少女を主観として物語られるはずなのです。しかし、この作品は語り手の少女を媒体としていながらも、何の意識の介入もなく、そのまま録音していくという感じなのです。
私たちが電車のなかで人と会話を出来るのは、自分が必要でない音を捨てているから、或いは必要な情報を拾い上げているからと言ってもいいでしょう。つまり私たちは常に情報の取捨選択をしているのです。そうしてそれは意識によって、なされているのです。しかし、この小説では、まるで機械が録音したように、全てが雑多で、混沌とした状態のまま、取捨選択されていないまま音が切り取られています。これは語り手である少女が空虚になってしまっているからなのではないでしょうか。つまり、彼女は実際にその場にいるのだけれども、もう何かを考えるほど、取捨選択をするだけの意識さえないほどに疲れてしまっている状態なのではないでしょうか。
作者レベルで考えれば、当然臨場感を表現するためにそうした音を極力入れるようにしたのかも知れません。電車の音や、アナウンス、周りの人間の声をそのまま書き込むことによって、その場にいるようにイメージが非常に鮮やかに浮かび上がってきます。しかし、それは語り手の少女の意識がすでに殆どなくなっているのではないかと、私は思います。
一人称小説と、三人称小説の中間と言ってもいいのかも知れませんが、上のような意味も含まれているのではないかと考えます。

-濃密な関係性と逃避-
この主人公がどうしてこのように追い詰められていかなければいけなかったのか、それを解き明かす一つの視点として、私は関係性を挙げたいと思います。中学生ですから、丁度第二次成長期に当たる時期。この時期は今までの少女としての存在から、別の存在への移行期でもあります。自立したいのだけれども、実際には親の元で独立などできない。そのディレンマから、自分の思い通りにならないエネルギーが抑圧されて、ゆがめられ、そうしておかしな形になって放出されるのです。その放出の形が時には、いじめであったり、自殺であったりするわけです。
この小説を読んでいて感じるのは、非常に狭められた世界のなかでの話であるということです。P54ℓ2「ハズされたら、他のグループには入れてもらえない。クラス中にハブられる。トイレも休み時間もお弁当もひとりぼっちなんて、ぜたい堪えられない。卒業までの2年9ヶ月間ハブられるくらいなら、死んだ方がマシ・・・・・・ イツメンって、低姿勢、低リスク、低依存だと思っていたけど、実際は、低姿勢、高リスク、高依存だよね。」
彼女はいつも、45人の少女たちのグループに属しているのですが、これが非常に濃密な関係なのです。しかし、単に仲がよくて濃密というわけではありません。ここではヒエラレルキー性が敷かれ、もねりんというリーダー格の少女が中心となって、このグループを動かします。どこへ行くにも、何かの意見を言うにもこのもねりんを念頭に置いて、彼女に逆らわないように、彼女の気に入るように振舞わなければならないのです。そうして、実は裏で、つまりケータイなどを使用して、いつもいる仲間のだれかを攻撃したり、ひがんだりしているのです。関係性が非常に狭まってきているのです。これは、例えば一つの社会がそのまあ45人に凝縮されてしまったのだろうと私は感じます。ただ、当然大きな社会の要員がたったの数名に帰結されるのですから、無理が生じます。表向きはもねりんを中心にしたヒエラルキー集団。しかし、裏ではそのもねりんでさえ、立場の保守のために、グループ内のほかの女の子をいじめの対象にして、それをころころ代えてはガス抜きのようなものを行っているのです。そんな偽善の関係性に疲弊した一少女の悲鳴が、シニタイなのではないでしょうか。また、2年9ヵ月という数字的な考え方。これはそこに全く論理性のない、融通の利かない、太宰治の言うような科学の幽霊とでも言う、凝り固まった考えがあるのだと思います。

この煮詰まりすぎた関係性のなかで、主人公の百音は、それが本当に自分にとって必要なことなのかを考え始めます。そうしていろいろ考えていくと、あれもだめ、こっちも行き止まりということになり、最終的に死が眼前に浮かんでくるのです。彼女の疑問は、この集団への「こんなに近くにいるひとが、なに考えてんのか、まったくわからないって~怖くない?」というものからはじまります。また、彼女は学校だけでなく、関係性の違和感を自分の家族にも感じざるを得ないのです。教育熱心な母は、勉強の出来る弟につきっきりで、家庭を顧みようとしません。母なりには何とか姉にも愛情を注いでいるのですが、勘違いやすれ違い、思い違いが既に修復できないほどに溝が深まってしまっています。この母も、食事を作る際に、成分やどこ産であるかとか、変に細かい点に着眼します。それだけ視点が狭められているということでしょうし、多少病的な感じがあります。
家族のなかでも、いいこちゃんをしている百音は、家のなかでも、学校でも居場所がなくなってしまうのです。極めて濃密な関係性のなかで、偽善に塗り固められ、それに辟易していながらも自分もその仮面を被り続けなければいけない。そうしないと、自分の居場所が確保できないのです。そうして、自分の部屋にいても、常に学校の友人たちと繋がっていなくてはいけない状態にあります。なぜなら、彼女はケータイを持っているからです。つまり、彼女は自分の部屋に逃げてさえも、常にオンタイムで仲間との関係性を構築しつづけなければいけないのです。

彼女の逃避は、山手線なのではないかと私は思います。自分では処理しきれないほどの莫大な情報の波にもまれることによって、自分の意識を遠のけようとしているのだと私は考えました。ですから、無心になった電車のなかでは、多くの情報が彼女の主観を通さずに、ただの機械的なフィルターとなった彼女を通して、描かれているということなのではないでしょうか。そうして、その山手線での逃避は、思わぬ彼女への絶対安静の場所を不幸にも提示してしまいます。
人身事故という安易な自殺の場所を知ってしまうのです。そうして、彼女は死について考えます。
柳さんが、この本にサインしてくださったのは、「生を遠くから眺め死を間近に見る」というメッセージです。この作品の主人公である百音は、生きることを考えるために、死に近づいて考えようとしました。途中から、死のほうにひっぱられているようにも感じますが、しばらくこの間を行ったり来たりします。そうして、その振り子が最後に振り切れたところが、この物語のラストになる、集団自殺へとつながってきます。しかし、その振り子は、最後のところでこちらにもどってくるのです。
この作品では、しばしば「百音」という名前を呼んでくれる色々な人の声が回想されます。最後に、彼女は自分を最も愛してくれたおばあちゃんの声によって、すくわれるのです。
彼女は、しかし、生きるという選択肢を見出したにも拘わらず、それでもあまりその選択に自信が持てなったのか、違和感は残ります。自分の居場所は、あの自殺し損ねた車のなかなのではないかと、考えるのです。最後に、彼女は実にささいな、クラスメートが自分を起こしてくれて、先生にさされた場所を教えてもらうということだけで、自分にもまだ親切にしてくれる人がいるということに気がつき、それが最後のカタルシスとなって、生きている実感をします。

-終りに、多元的世界へ-
私はこの作品は、多元的な世界を発見できたために彼女は生きることができたのではないかと考えました。つまり、カの彼女は家にいても居場所がなく、仲間のなかにいても居場所がない。どこにも自分の居場所を見出せなかった人間なのです。しかし、彼女の居場所は実はどこにでもあるのです。彼女は、小さな関係性のなかで、植えつけられた知識だけをもって全てを知っていると考えていました。彼女は一元的な世界で生きていたのです。しかし、そのような狭い世界にいなくてもいいのだよということが、死を間近にしたときに、おばあちゃんの声によって気づかされ、それをクラスメートのたった一言によって、実感できたのです。ですから、最後のカタルシスは実に小さなものでなければいけません。そんなに大きなことではないのです。生きているという実感をするには、ごくごく些細な親切が、彼女を救うことになったのです。この一声が彼女に多元的な、彼女の居場所が実はどこにでもあるのだよということを教えてくれたのではないかと私は思います。

夏目漱石 「三四郎」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その七

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三四郎が多義的なテクストであるということを前回述べましたが、それはすばらしいという意味です。いろいろな解釈ができるからすばらしいのです。現代のミステリーなど、読んでいる途中は面白いけれど、最後に全ての謎が解けてしまっては、それ以上の解釈はできませんから、一義的です。一義的なものではいけません、論じられないからです。
近代小説にかぎって言えば、読みやすさと論じやすさは異なります。エンターテイメント系の作品は全てを解決してしまうので解釈の余地がありません。
この小説は見ている三四郎が鈍い奴ですので、その目を通してみているために、不明な部分が多く、解釈が生まれるのです。

例1 美禰子をモデルにして原口が描いた肖像画
この絵のサイズ
P334ℓ4「会員の一二は全く大きいからだと弁解した。大きいには違いない。幅五寸に余る金の縁を付けて見ると、見違える様に大きくなった」幅五寸の金の縁はメートル法で直すと15センチです。15センチの幅のふちがつくえですから、そこからもそうとうな大きさであることがわかります。
P335ℓ14「『素敵に大きなものを描いたな』と与次郎が云った。」ここで気をつけなければいけないのが、「素敵に」という形容詞。どうも明治期にはナイスという意味ではなく、「とても」という意味で使用されていたそうです。
P270ℓ12「長さは六尺もある」から絵の大きさが180センチほどであることがわかります。
畳一畳ほどの大きさで、美禰子は小さい、背にコンプレックスを持った女性ですから、ほぼ等身大の大きさの絵が描かれているということがわかります。これは当然解釈を巡る上で大きな意味は持ちませんが、読みの遊びです。
この絵の構図
「団扇」を持つ女
P202ℓ1「でも当人の希望なんだもの。団扇を翳している所は、どうでしょうと云うから、頗る妙でしょうと云って承知したのさ。何わるい図どりではないよ。描き様にも因るが」ここで、画家原口の口から、美禰子が自分で決めたポーズだということがわかります。
構図決定の主導権
これは画家原口ではなく、モデルでる美禰子なのです。
製作開始時期
これは多くの研究者が注目しています。
P285ℓ10~
「何時から取掛ったんです」「本当に取掛ったのは、ついこの間ですけれども、その前から少しずつ描いて頂いていたんです」「その前って、何時頃からですか」「あの服装(なり)で分かるでしょう」三四郎は突然として、始めて池の周囲(まわり)で美禰子に逢った暑い昔を思い出した。「そら、あなた、椎の木の下に跔(しゃ)がんでいらしたじゃありませんか」「あなたは団扇を翳して、高い所に立っていた」
ここから美禰子と三四郎が初めてであった日の格好が、絵に描いてあるものと同じであるということがわかります。
ちなみに、ここで二人の会話で言われている部分はP32ℓ14「団扇を額の所に翳している」P34ℓ2「これは椎」
大学の池で美禰子がはじめて三四郎を見た日 白い花
美禰子、三四郎に一目惚れ?
団扇を持った格好が三四郎との出会いの日であるとすれば、あのころを描いてもらいたいと美禰子が画家に要求したという可能性がでてきます。この小説の後に三四郎池と名づけられるようになった、当時は心字池と呼んだこの池で美禰子が三四郎とであったときに一目惚れしたのかという疑問が浮かびます。
このときに絵をはじめていたのなら、(まだ三四郎の名前も知らないときに)この時の胸のときめきを残しておきたいということなのかも知れません。しかし、一階の大学生をどうして好きになるのかという疑問が残ります。
P34ℓ8「二人の女は三四郎の前を通り過ぎる。若い方が今まで嗅いでいた白い花を三四郎の前に落として行った。」
この日、同じ美禰子の姿を見ていたもう一人の人物
P35ℓ5「三四郎は花から眼を放した。見ると野々宮君が石橋の向こうに長く立っている。」ℓ11「野々宮君は少時(しばらく)池の水を眺めていたが、右の手を隠袋(ポケット)に入れて何か探し出した。隠袋から半分封筒が食み出している。その上に書いてある字が女の手蹟らしい」
当時はパソコンなど当然なく、タイプもまだない時代です。当時は現在よりまして男性の筆か女性の筆かということが、一目瞭然でした。そうしてここで野々宮が持っていた手紙が、P131ℓ4「その字が、野々宮さんの隠袋から半分食み出していた封筒の上書に似ているので、三四郎は何遍も読み直して見た。」から、三四郎の観察眼はどこかあやぶまれますが、三四郎はこの手紙が35ページのものだったのではないかと疑っています。
美禰子が団扇で岡の上に立ったのは一回だけだったかどうか不明
美禰子が岡の上に立ったのは一回だけではないかも知れません。東大病院に用があって何度かきていた可能性もありますから、その中での一回かも知れません。美禰子の絵のモチーフは三四郎への一目惚れかも知れませんが、しかし野々宮である可能性も捨て切れません。野々宮は美禰子が三四郎に花を落とす場面を目撃しています。
この作品は、美禰子の絵のモチーフが三四郎と野々宮という二つの解釈が成り立つのです。

例2 作品末尾「野々宮さんは、招待状を引き千切って床の上に棄てた」
美禰子の結婚に対する怒り?
P336ℓ10「美禰子の結婚披露の招待状であった。~野々宮さんは広田先生と一所にフロックコートで出席した。三四郎は帰京の当日この招待状を下宿の机の上に見た。時期は既に過ぎていた。野々宮さんは、招待状を引き千切って床の上に棄てた」
今まで多くの研究者が注目してきたところです。この招待状を引き千切って棄てるという行為が野々宮の最後の行動になります。
この行為は、その言葉だけを捉えると引きちぎり棄てるのですから、当然怒った行動のようにも見えます。しかし、また別の解釈も可能なのです。
結婚披露宴から展覧会までのタイムラグ
P230ℓ14「何時もは花の時分に開くのだが、来年は少し会員の都合で早くする積りだから~」花はそのまま桜のことを指しますから、4月。通常は4月に行われる丹青会ですが、恐らく2、3月に行われたということがわかります。可能性が高いのは3月です。
披露宴は三四郎の冬休みの帰省中
ですから、ここで結婚披露宴と展覧会が一ヶ月ないし、二ヶ月間開いていたことがわかります。そうしてこの両方に、野々宮はあの汚いフロックコートを着て出席したのです。
披露宴から展覧会まで、招待状は野々宮のフロックコートのポケットの中にあった(引き裂かれもせずに、棄てられもせず)
つまり、野々宮は招待状をポケットの中に入れたまま放置していたのです。棄ても、取り出しもしなかったのです。それがたまたま久しぶりに着た服のポケットの中に入っていたということです。
そうすると野々宮の無関心が窺えます。もし野々宮の美禰子への怒りだとしたら、結婚披露宴が届いたその日に破るか、或いは結婚式当日に破るかではないでしょうか。たまたま気がついたから棄てたというのは、冷淡さの表れとも解釈できます。ここでも二つの解釈ができるのです。

夏目漱石 「三四郎」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その六

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フルメンバーが揃わない物語
この小説の主要な人物は、あまり登場しない原口を除いて、三四郎・与次郎・広田・野々宮宗八・野々宮よし子・里見美禰子です。
ところが、この6人が揃う場面が一度もないのです。常にだれかが欠けているのです。皆が揃うという作品は多々ありますが、この作品では、このおもしろい特色があります。

①広田先生の引越しの手伝いの日
何月何日か?
P98ℓ11「天長節にも拘らず」天長節は11月の3日です。明治天皇の誕生日になります。この日は学校が休みのため、引越しができたのです。天長節は、大正・昭和になると明治節として残りました。昭和の後期からは文化の日と改名され、現在にも残ります。ですから、ここ百年は11月3日は休日なのです。
来ないのは誰か?何故来ないのか?
よし子が来ません。三四郎の物語時間を見ると、P70で三四郎は東大病院に入院中のよし子を見舞うことになります。それが9月下旬のことだと予想されますから、11月の3日の時点で、いまだ引越しを手伝えるほどに回復しているわけではないということになります。

②菊人形見物 何曜日か
来ないのは誰か?なぜ来ないのか?
P121ℓ15「菊人形は御免だ。菊人形を見る位なら活動写真を見に行きます」
P133ℓ2ℓ4「行かない。菊細工なんぞ見て何になるものか。馬鹿だな」「今論文を書いている。中々それどころじゃない」
P131ℓ6「翌日は日曜である」から、この日が日曜であったことがわかります。皆で団子坂の菊人形へ見物に行くというときに、携帯のない時代ですから、皆で一度どこかに集合しなければなりません。それが広田先生の家の集合になりますが、与次郎は当然広田先生の書生ですから、同じ家に居ます。三四郎がいくら誘っても上のように、行かないと言い張ります。ですが、与次郎の性格からして、論文で忙しいという理由にはしばし疑念がわきます。
さて、競馬はこの年の土日しかやっていません。この作品の年代の判別に競馬があります。ですから、この菊人形見物へいかない理由は、直接には書いてありませんが、恐らく競馬に行くためだったのではと推測できます。ですから、この日は広田先生から預かっていたお金を全部すってしまった日だということになるのです。

③文芸家協会演芸会--計算すると日曜日の可能性が高い
入らなかったのは誰か?なぜ来ないのか?
十二章に文芸協会の演芸会のことが書かれています。P311ℓ16「いや這入らない」と断言します。しかし、広田先生のこの行動はあまりに異常で、前々からいかないと言ってはいたものの、当日は三四郎と連れ添って、演芸会の会場の前まで一所に歩いているのです。入り口を目前にして、突然の「いや這入らない」宣言は、やはりおかしいです。しかし、これに対してはっきりとした答えは書いてありません。ただ唯一手がかりになるのは、P309ℓ10「ハムレットは結婚したく無かったんだろうハムレットは一人しか居ないかも知れないが、あれに似た人は沢山いる」~「例えば、ここに一人の男がいる。父は早く死んで、母一人を頼に育ったとする。その母が又病気に罹って、愈息を引き取るという、間際に、自分が死んだら誰某の世話になれという。子供が会った事もない、知りもしない人を指名する。理由を聞くと、母が何とも答えない。強いて聞くと実は誰某が御前の本当の御父だと微かな声で云った。―まあ話だが、そういう母を持った子がいるとする。すると、その子が結婚に信仰を置かなくなるのは無論だろう」という話です。
広田先生は、ここでたとえ話として話していますが、明らかにこれは広田先生自身の話だと読み取ることが出来、そういうもとで育ったからには、結婚ということに対して疑念を持たざるを得なかったのでしょう。自分の独身の理由の遠まわしの説明でもあります。この日の演芸会の目録は、入鹿大臣とハムレットだということは先に述べました。ですから、広田先生はハムレットを見るということが嫌だったのかも知れません。断言は出来ませんが、可能性として考えることは出来ます。

④東大運動会 授業休み(慣例として土曜日開催)
いないのは誰か?
P174から始まる運動会。しかし、ここで広田先生は登場しません。

⑤「森の女」展覧会
P334ℓ13「美禰子は夫に連れられて二日目に来た』P335ℓ8「開会後第一の土曜の午過には大勢一所に来た。―広田先生と野々宮さんと与次郎と三四郎と。四人(よったり)は・・・」
ここでは、主要なメンバーのなかで美禰子が二日目に来たこと、それからわざわざ四人(よったり)という表現と、一人ずつ名前を挙げてまでして、メンバーの紹介が為されています。
来ないのは誰か?
よし子がいません。しかし何故こないのか、それがわからないのです。最初の土曜となっています。女学校に通っているよし子ですが、女学校は午後は授業がありません。ですから学校があってこれないということはありません。四人が来たのは午過ぎですから、間に合わないわけはないのです。どうしてこないのか、その理由が明かされないところに、深い謎があります。
この物語は、メンバーが多くあつまる5回の場面があります。しかし、よし子の不在から始まり、よし子の不在で終わる物語でもあるのです。

《ホリディをめぐる物語》
土曜日は休日ではありませんから、日曜日と祝日が休日になります。
大久保の野々宮宅訪問 土曜日だと考えられます
広田先生の転居 11月3日、祝日です
菊人形見物 日曜日だとわかります
文芸協会演芸会 P333ℓ13から始まる部分。
美禰子との教会の別れ 日曜物語の終焉 P331ℓ4会堂に礼拝に行くのは日曜日
十三章にはもう日曜が出てこない 日曜日には誰も集まらない
このように休日が目立つ小説という側面もあります。ただ、三四郎は大学生で平日は授業を受けていますから、ある意味では当然です。

テクストの多義性
実際に印刷されているものは一つですが、意味をいくつももつという意味です。『三四郎』は『こころ』より読みやすいと感じられるかもしれません。それは抽象的なことが少ないからです。
視点人物はほとんど三四郎一人 
語り手は三四郎ではありません。三人称小説ですから、誰が語り手なのかわかりませんが、三四郎の視点を通じてほとんどのことを語っています。
三四郎の観察力を語り手は信用していない 
「田舎者」という差別的な表現もあり、語り手は三四郎の眼を通じて語っていますが、三四郎の観察力をあまり評価していないということがわかります。三四郎の観察力はにぶく、すぐれていないと思われる節があります。
三四郎以外の人物の内面がわかりにくい小説 
当然三四郎の判断があまり頼りにならないのですから、その三四郎の眼を通じて語っているこの小説は、他人が何を考えているのかがわかりにくいのです。そうした判りにくさが解釈にはばを持たせるのです。
多義的テクスト

綿矢りさ『ひらいて』への試論 感想とレビュー 『斜陽』との比較、恋と道徳革命・新たな関係性

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-初めに-
『かわいそうだね?』が第6回大江健三郎賞を受賞しました。ネット上の反応を見てみると、多くの方が綿矢りさの『かわいそうだね?』を評価しています。ここで私の認識と社会の認識にずれが生じていることが露見され、私は大きな動揺を感じました。私が社会とずれているのか、或いは私の見方と社会が見る視点がずれているのか、よくわかりませんが、一人の批評家であり、小説を書く人間としては、どうしても『かわいそうだね?』は評価できないと感じています。決してこれは作家への誹謗中傷ではありません。私の文学理論からすると、『かわいそうだね?』が理解できないということに他ならないのです。ファンの方にはその点を留意してもらいたく、これは匿名性の悪口ではありません。飽くまで一つの見解、見方として認知してください。

-綿矢作品と三角関係-
多くの読者さんはどのように感じるのでしょうか。少なくとも私には『かわいそうだね?』は評価できなくとも、『ひらいて』は大いに評価できる作品であると感じます。このような作品が評価されるべきではないかと、私は感じました。
「やみくもに、自分本位に、あたりをなぎ倒しながら疾走する、初めての恋―。」という帯の文句は、詐欺ではないかと思われるほどの内容に、読者は度肝を抜かれます。白が基調の装丁、純白、純粋、そのような言葉が連想されるような、甘い初恋のような雰囲気を纏っていながら、内実全く異なることに、読者は驚かされることでしょう。
恋愛を扱った小説は今まではいてすてる程あります。恋愛は、パターン化されるほどに、その話形は殆ど出尽くしてしまったと言っても良いでしょう。恋愛小説が既にあるあると化してしまった現在に、恋愛小説にどのような新風を巻き起こすのかという問題が生じてきているのだと、私は思います。
綿矢作品は三人関係の恋愛が多く存在します。一作前の『かわいそうだね?』の三角関係もかなり特異なものでした。しかし、これは私には理解できない境地にあり、そのため評価が出来ないと思うのです。それに比べて、今回の作品は、『かわいそうだね?』で恐らく表現し切れなかった部分を、彼女の本来の小説の場、つまり教室内へと持ち込むことによって、成功を収めたのだと考えることが出来ます。
綿矢さんの作品は、『蹴りたい背中』『インストール』共に、内側に閉じられた世界が小説の場となっていました。教室小説だと評論化の榎本教授は言っています。私は、綿矢作品が一旦その閉じられた世界から飛び出すことによって、新たな教室の存在を見出したのではないかと感じます。教室の中から出発した綿矢さん。しかし、それはまだ彼女のとって一元的な世界でしかないのです。社会人となって、教室から飛びぬけた彼女の作品は、飛び出したことによって、新たな教室のあり方や、存在を見出し、いわば相対化した教室へ再び戻ってきたのではないかと考えます。
そのため、今までにはなかった、精密な描写や、主人公の心理の正確さなどが際立って表現されています。

ルネ・ジラールが提唱した「欲望の三角形」は、今まで三角関係を扱った作品を新たな枠組みで捉えなおすという偉業を成し遂げました。しかし、その三角関係も既に形骸化しているのではないかと、私は考えています。特に三角関係を描き、今回も新たな三角関係を創作した『ひらいて』には、その論理を当てはめることは不可能になっています。
この作品の三角関係は、愛、たとえ、美雪の特殊な関係を元に発展します。愛という主人公の視点で描かれる一人称作品。彼女の名前もまた、作品としては少々あからさまな動機付けが為されていると私は思いますが、主人公の性質を如実に現す名として登場します。愛は、たとえというクラスメイトのことが好きになります。しかし、そのたとえ君に近づいていくと、彼には中学時代から付き合っていた美雪という彼女がいることが発覚します。
そこで彼女はたとえ君を美雪から奪うのではなく、これならばルネジラールの法則が通用するのですが、逆に美雪へと感情の発露を方向展開するのです。一種の百合小説、レズビアン小説としても読むことが出来るこの作品ですが、おもしろいのは、それまでであれば愛がバイセクシャルで美雪との関係にあまり抵抗を感じないものが多く描かれてきましたが、今回は、あからさまな嫌悪感をもって美雪との性行為に望んでいるということです。
完全に論理が崩壊しています。愛はたとえ君が好き。しかし何故か自分でも制御しきれなくて、彼の彼女の美雪へと向かう。それでも美雪が好きなわけでも同性愛者であるわけでもなく、嫌悪感や憎悪を感じながらも彼女との関係を深めていかざるを得ない人間なのです。

-小説内記号、名前と手紙-
愛という少女を考えるとき、先ずその名から考えてみたいと思います。愛という名前の特殊性について、彼女はインタビューでも答えていますが、愛(LOVE)という人間の感情をそのまま名前に出来るのは日本くらいしかありません。客観的に考えると、実は相当どぎつい名前であることがわかると思います。悪く言えば、一年中発情しているということです。こうした一方向性の極めて強力な情念が、この主人公には動機付けされているのです。それは高校生という少女の性質の本質を捉えたものなのかもしれません。不幸にも私は男性ですから、第二次成長期の少女の実際を体感していません。しかし、多くの作品と触れ合うなかで、第二次成長期の女性には非常に強力な、それこそ自分でもコントロール不可能な情念があると思うのです。ですから、そこに物語が生まれる。ありふれた力が色々な話をつくる。昨今話題となったアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』も、第二次成長期の女性の本質を突いた部分がありました。
この愛も、まさしく自分の力をコントロールできない少女なのです。この作品の後半で、最も盛り上がりを見せる場面の一つが愛が夕方の学校で、たとえ君を呼び出して彼の机の上に裸で坐っているという場面。これも、彼への屈折した愛情と、その形は非道徳的なものであったとしても、自分の傷つくことさえ怖れない裸という状態、純真無垢のような情念が表象されているのだと感じました。

http://www.shinchosha.co.jp/nami/tachiyomi/20120727_02.html
新潮社のインタビュー記事のなかで、綿矢さんが「太宰治の『斜陽』を読んで、手紙の文学っていいなと思っていました。美雪は、手紙によって、人のこころを温めようとしている。あまりにも古典的ですが、美雪ならそういうこともするだろうなと。愛という我の強い女の子の世界をずっと書いているなかで、美雪の手紙の部分のところにさしかかると、ようやくまともなことを書けるとほっとしました。」と言っている部分があります。
この作品の一面としては、現代には珍しい書簡小説であるということです。現在の小説を読み解く上で、ひとつ重要になるポイントは、登場人物たちが持つ連絡を取る媒体です。当然携帯がない時代は手紙がほとんど、時には電話も登場しました。しかし、20世紀の終盤からは、インターネットが発達し、パソコンやメールがそれに取って代わることになりました。『インストール』は、特に顕著で、インターネットを媒体とした小説であると言うことができます。
この作品は珍しく主人公たちが殆ど携帯を使用しないのです。たとえ君を呼び出すために、最後に愛は緊急用として美雪の携帯を使用してしましましたが、それを例外とすれば、この作品は書簡を中心に物語が展開していくことになります。
書簡という媒体。現在では使用されなくなってしまったこの媒体がなぜ選ばれるのか。作者のレベルで考えれば上に挙げた綿矢さんの心の問題があるでしょう。しかし、テクストで考える際に、書簡という媒体がもつ意味は、メールよりもより親密な関係性がそこにあるということなのではないでしょうか。手紙は、当然その人の直筆ですから、字体にも感情が表れます。字面だけ読むことが出来る私たち読者と違い、美雪とたとえの間にはそのような言葉では表現できない、繊細な感情の糸のようなものが今にも切れそうなほど微弱に伝っていたのです。
ただ、美雪とたとえの関係性は、それ自体全く発展のないものでした。P152美雪のセリフ「私たち、長く付き合ってきたけど、いつもどこか距離があったね。でも距離を埋めようとせずに、お互いの悩みを持ち寄って慰めあうことで、見て見ないふりをしていたね。これからはお互い、心をひらきましょう」
美雪は病気を、たとえは病的な父を持ったもの同志、仲間という意識のもとで関係性が築かれていました。その関係性において、たまたま二人が異性であるということから、二人の共感性や同情といった感情がごちゃまぜになって付き合うということに発展したと考えられますが、しかしそれは錯覚であって、恋愛感情から生まれた関係性ではなかったのです。

-終りに・『斜陽』との比較・新たな関係性の構築-
そこに関係破壊者としての愛が登場します。愛がした行動は不可解で、論理性の欠片もありません。全て感情の赴くままに動いている。しかもそれが第二次成長期からくる、抑圧から解放された爆発的なエネルギーであるため、私たちの把握するところにないのです。
ただ、愛の感情を説明できなくとも、その行為と結果を考えると、新しい何かが見えてきます。一旦美雪とたとえの関係を破壊した後、新たな関係を構築する。その際に自分の存在が介入できる新しい場所が作られたのは偶然でもあり、また破壊したのが彼女であるということから自然発生的に生まれでたのだとも解釈できます。このことは、実は太宰治の『斜陽』との連関性があると私は感じました。
綿矢さんは書簡小説としての側面を『斜陽』からアイデアを受けたと述べていますが、彼女が意識しているかどうかは別として、『斜陽』の主人公かず子の影響が見られます。

新潮文庫百二十五刷P134ℓ1「何の躊躇も無く、片端から旧来の思想を破壊して行くがむしゃらな勇気である。~破壊思想。破壊は、哀れで悲しくて、そうして美しいものだ。破壊して、立て直して、完成しようという夢。そうして、いったん破壊すれば。永遠の完成の日が来ないかも知れぬのに、それでも、したう恋ゆえに、破壊しなければならぬのだ。革命を起こさなければならぬのだ。~P136ℓ12人間は恋と革命のために生まれて来たのだ」
太宰治の『斜陽』のなかで、主人公となるかず子は、P202ℓ3で道徳革命をしなければいけないと言っています。かず子にとってはこの道徳革命は、妻のいる上原という男の子どもを産むことだと読めます。すると、ここには今までの古い道徳を打ち壊し、新しい構造を構築しなければいけない、そのための革命であり、その革命の原動力は恋であるということになるのです。
このかず子の原動力と同じものが、愛に共通して見られないでしょうか。かず子は『斜陽』において道徳改革をする前の時点で小説が終了しています。それに対して、『ひらいて』は破壊した後の話まで続いているのです。つまり、道徳革命が遂行された後の世界まで描かれているのです。ですから、そこには古い道徳観念はありません。私たちの道徳とは異なった世界がそこに構築されたのです。この小説の最後は、最も難解な部分となっています。字面が読めても意味がわからないのです。言葉の意味が分かっても、それが一体なにを意味するのかがわからないのです。
そこで、私は綿矢さんがアイデアの発想を受けたという『斜陽』の道徳革命を持ち出すことによって、それが遂行されたのではという解釈を立ててみました。ですからここには、私たちが理解できる世界ではなくて、愛、美雪、たとえの三人の新たな関係性が構築されたのだといえます。
そうしてその関係性ですが、一つの言葉に表すとなると「ひらいて」になるわけです。三人の関係性は、御互いにひらきあっている状態になったのです。私たちの実感では分かりませんが、三人にはそれが新しい関係性、彼等のいるべき準拠すべき関係性が築けたということなのだと思います。

夏目漱石 「三四郎」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その五

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『三四郎』の空間
『こころ』と違い、地名の明記された小説
小説を読み解くさいに、前回は人物関係に視点を当てて分析しました。今度は舞台の設定となる空間に関してです。
「心」は地名が殆ど出てこない作品で、固有名詞もわからないものが多いです。それに対してこの「三四郎」は地名がやたらよく出てきますし、固有名もはっきりわかる作品となっています。対称的なのです。
東大(東京帝国大学)と一高
地図を見れば、一高が東大の一部のようなものになっていると気づくでしょう。道を挟んで向かい合っているのです。

三四郎の下宿
P39ℓ14「追分に帰ることにした」
追分は地図でみても東大の近くであることがわかります。

広田先生(と与次郎)の借家
「三四郎」では、広田先生が引越しをするという大事な話があります。以前の家は、P47ℓ4「東片町の五番地」で引っ越した後は、P97ℓ4「西片町十番地への三号」と明記されています。

里見兄妹の家
P102ℓ6「本郷真砂町」

野々宮宗八の新しい下宿
野々宮君は初め大久保に住んでいましたが、妹のよし子を里見家に預けてから本郷界隈に越してきます。P254ℓ8「二人は追分の通りを細い露路に折れた~野々宮はこの奥にいる。三四郎の下宿とは殆んど一丁程の距離である。」
さて、現在では使用されなくなってしまった尺貫法。しかし、明治の小説を読む際には、この尺貫法をきちんと頭に入れておく必要があります。一丁の距離があるという三四郎と野々宮の家。一体どのくらいの距離なのでしょうか。
一丁というのは=町でもあります。一丁は60間ということを覚えておいてください。1間というのは、畳の長いほうの長さ。
この当時の長さの基準は畳から始まります。現在では少し小さくなってしまった畳ですが、当時の大きさは、約90センチかける約180センチ。1:2の長さでした。そうしてこの180センチの方が、6尺(一尺は30、3センチ)でこれが=一間です。
この一間が60こぶん。それが一丁。180センチかける60ですから、10800センチ。メートルで言えば108メートルとなります。一丁は約100メートル強だと覚えておけばよいのです。
ですから、三四郎と野々宮君の下宿は、100メートルちょっとしか離れていません。ボルトが走れば9秒台で到達できるくらいの距離になります。

画家・原口の家
P268ℓ5「曙町の原口」

団子坂の菊人形
丹青会の展覧会
P227ℓ5「池の端」これは不忍の池の端ということです。どこも本郷界隈での話しであるということがわかります。

東大周辺の限られた空間を、東大がらみの人物たちがほとんど徒歩で移動する物語
(第一章は東海道線の車中だが)
例外としての電車利用の移動
与次郎に連れられて新橋・日本橋
電車で大久保の野々宮を訪ねる(大久保は当時豊多摩郡)

東京帝国大学英文科一年生の三四郎
「新しい四角な帽子」「一寸得意」
三四郎は週何時間授業に出ているか?
P47ℓ10「平均一周に約四十時間程度」
当時東大は一コマ60分で一日9コマまで時間割りがありました。空き時間なしでめいっぱいとったら最大で週50時間まで履修可能になります。土曜の午後は休みですから、9×5日+土曜の5時間=50時間
ただ、これを与次郎は「馬鹿々々」と言ってしかります。その結果20時間まで減りました。大体私と同じです。減らすことが出来たのは必修が少なかったからです。

三四郎の筆記用具
さて、当時の学生はどんな筆記用具を使用していたのでしょうか。P150ℓ6「印気の着いた洋筆を振って」書いていたことがわかります。しかし、インクのついたペンというのは、インクが内蔵式ではないということです。とすると、インキはどこでつけていたのでしょうか。東大の椅子のそれぞれに備え付けてあるのでしょうか。P68ℓ11「いつもなら手帳と印気壷を持って、八番の教室に這入る時分である」から、生徒がインクももって歩いていたということがわかります。万年筆ではない時代です。

P290ℓ14「大学の外国文学科は従来西洋人の担当で、一切の授業を外国人教師に依頼」していますから、殆ど西洋人による授業がでした。もしかしたら今の学生ではとても耐えられない状況かもしれません。この外国人たちが日本語が堪能ということもなく、英語ですべてやってしまうのですから、どちらにとっても辛かったでしょう。

夏目漱石 「三四郎」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その四

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こうした長編小説を読み解くために、二つ行わなければいけない作業があります。一つは人物設定。作品から人物設定を読み取ることが、作品を解釈する上で非常に重要な作業となります。何度も言いますが、小説は書いてあるところを全て読んだ上で、一行も見落とさずに頭に入れて、書かれていない部分を想像するのです。
三四郎を取り巻く人物の整理
広田萇(ちょう)
P89ℓ13「『名は萇』と指で書いてみせて、『艸冠が余計だ。字引にあるかしらん 。妙な名を付けたものだね』」から、広田先生の名前は大変珍しい名前であることが分ります。普段では殆ど使用されることのない「萇」という字。この文字に着目して、漢字の意味から三四郎論の論文を書く人もありましたが、あまり上手くは行っていないように思えます。
一高の教師
p90ℓ1「昔から今日に至るまで高等学校の先生。えらいものだ。十年一日の如しと云うが、もう十二三年になるだろう」
担当科目
P91ℓ7「いや学校じゃ英語だけしか受け持っていないがね、あの人間が、自から哲学に出来上がっているから面白い」
旧制の高等学校はとにかく語学が重視されました。授業の三分の一が外国語で、少なくとも二ヶ国語ができるようにという目標を元にプログラムが組まれていました。
独身、この小説は独身者ばかりの小説としても読み解けます。
年齢は?
P16ℓ16「男はもう四十だろう」とありますが、これは三四郎がまだ広田先生のことを広田先生だと知らないころの話ですし、しかも三四郎の観察力は小説全体を通して考えたときに、あまり鋭くはないということが考えられますから他にも根拠が必要になります。
P307ℓ10「憲法発布は明治二十二年だったね。~僕は高等学校の生徒であった。」から広田先生が、明治22年に高等学生であり、小説の時間が明治40年ですから、18年前に学生だったということになります。おおむね20年前後と考えると、かぞえで大体40くらいになり、三四郎の予想はおおむね合っていたということになります。

佐々木与次郎
選科生(高校ではなく専門学校の卒業生)
*三四郎は正科生
P47ℓ3「この男は佐々木与次郎と云って、専門学校を卒業して、ことし又選科へ這入ったのだそうだ。」
大学へ入れるのは本来高等学校を卒業したものだけです。ですから正規の入学ではありません。現在ではない制度のはなしですからあまりイメージが沸きませんが、今の制度に無理に合わせれば、大学の聴講生みたいな存在です。ただし学士への道も開けていました。
彼は書生としてしばしば作品に描かれていますが、書生とはまずどういう意味のことばでしょうか。1、学生を指す言葉。2、居候、学生は雑用をし、他の諸事はまかなってもらう存在。与次郎は広田先生の書生として、彼の家で居候の待遇を受けていました。ちなみにこの居候を受け取る側の話ですが、多くは田舎から東京へ出て、成功した人々が同郷の若い学生を好んでおいたとのことです。一つには、居候をおくことが社会的なステータスになっていたという側面もあります。

野々宮宗八
理科大学教師、現在の理学部です。
教授ではないらしい、月給は?
P61ℓ16「月にたったの五十五円しか、大学から貰っていないそうだ。」
余談ですが、漱石の小説には月給がしばしば出てきます。漱石本人も月給にはこだわっていた人物であることが、研究からわかっています。国際的な学者で、勤めて数年の実績がある野々宮宗八。一般論ですが、収入は相対的なものです。三四郎が貧しければ彼の収入が多く見えるでしょうし、この場合は三四郎は裕福な家庭の人間なので、たったという表現が使われたのです。ちなみに『坊ちゃん』の初任給が40円。
P37ℓ10「御殿~左手の建物を指して見せる。『教授会を遣る所です。うむなに、僕なんか出ないで好いのです。』」というところから、教授ではないとも読み取れます。ただ、教授だけれども、俺は出なくてもよいのだと読むことも可能ではあります。年齢から見てもどちらとも付きませんが、恐らく教授ではないという素直な意味でここでは捉えておきます。
国際的な学者。独身。
三四郎との年齢差
P38ℓ6「時に君は幾歳ですか』と聞いた。三四郎は宿帳へ書いた通りを答えた。すると、『それじゃ僕より七つばかり若い。七年もあると、人間は大抵の事が出来る。』」三四郎が23歳ですから、プラス7をして、ほぼ数えで30だろうと考えられます。ちなみにこれは『こころ』の「若い私」と鎌倉でであった「先生」と同じくらいの年齢です。
広田先生と宗八の関係
P55ℓ8「三四郎は又、野々宮君の先生で、昔正門内で馬に苦しめられた人の話を思い出して]
P67ℓ9「実は偶然高等学校で教わった、もとの先生の広田という人が』~P68ℓ4「それで水蜜桃も必ず同先生に違いないと極めた。」
広田先生は文系で、宗八は理系ですが、その二つが重なる部分が英語という科目です。だから、昔宗八は広田先生に英語を教わったという関係があるのです。

野々宮よし子
宗八の妹
P68~69ここで三四郎は病院にいるよし子と初めて出会います。
広い額(おでこ)と大きな眼
P69ℓ8「眼の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思う位に、額が広くって顎が削けた女であった。」
P28ℓ6「額の広い大きな眼」兄も同じ。兄と妹の共通点がここで書かれています。漱石の小説の中ではこうしたことが描かれるのは珍しいことです。さて、もう一人この小説にはおでこの広い女性が出てきます。それはお光さんです。P6ℓ3「額がお光さんの様にだだっ広くない」これは三四郎が汽車にのって東京へ向かう際に、向かいに坐った女性の顔を見て感じたことです。お光さんと三四郎の関係ははっきり書かれていないのと、実際にお光さんが小説に登場(名前のみの登場)しないので、詳細はわかりませんが、田舎の母が二人を結婚させようとしていると考えられます。小説の最後で三四郎は田舎に一遍帰っていますが、この国に帰っている間に結婚している可能性を示唆した論文もあります。
学校に通っている

里見美禰子
通学も就職もしていない独身
兄・恭助と二人暮らし
この小説のヒロインと言ってもよい人物です。今で言うところのニートのような生活をしていますが、当時は珍しいことではありません。働く女性がスタンダードとなってしまった現代ではとても考えられませんが、当時の女性で働いている人間は非常に数が限られています。設定から考えると、どうもこの里見家には経済力があります。
時々広田先生の家で英語の個人レッスン
ストレイシープと言った際の発音がよかったことからも、このことが分ります。ではどうして広田先生と個人のレッスンをつけてもられる関係にあるのでしょうか
広田先生と美禰子の関係
野々宮宗八と美禰子とのつながり
P126ℓ15~「広田先生は野々宮さんの元の先生だそうですね」~「美禰子さんの兄さんがあるんですか」「ええ。宅の兄と同年の卒業なんです」「やっぱり理学士ですか」「いいえ科は違います。法学士です。その又上の兄さんが広田先生の御友達だったのですけれども、早く御亡くなりになって、今では恭助さんだけなんです」「御父さんや御母さんは」~「ないわ」~「そう云う関係で美禰子さんは広田先生のうちへ出入りをなさるんですね」「ええ。死んだ兄さんが広田先生とは大変仲善だったそうです。それに美禰子さんは英語がすきだから、時々英語を習いにいらっしゃるんでしょう」
里見家は既に父と母が亡くなっています。また、恭助と二人兄弟かと思ったら、そうではありません。長兄が広田先生と友人でしたが、死没。その縁で英語を習っているということがわかります。二番目の兄の恭助は、野々宮宗八と同学年であると同時に、広田先生の教え子でもあります。
兄恭助と同学年である宗八とは、美禰子からすれば兄の友人、宗八からすれば友人の妹ということになります。当時の結婚のスタイルで、友人の姉妹と結ばれるパターンはスタンダードなものです。
ちなみにP127の「御兄いさん」ですが、読み方は「おあにいさん」。現代ではなんだかよくわかりませんが、これが正式な読み方。こちらのほうが省略形よりも上品で、丁寧、正式でオーソドックスという感じがありました。同じく「御姉さん」は「おあねえさん」。それぞれ「あ」を省略した形が現在に残ったのです。
年齢
女学校は卒業しているだろう
P322ℓ15「第一、君と同年位じゃないか」
これは情報通の与次郎のセリフですから、言っていることの信憑性は高いです。美禰子は三四郎と殆ど年齢の差がないということがわかります。
二重瞼と顔色と歯・眼付と歯並
美禰子の眼は大きいか・グルーズの描く女性(図参照)
この小説を読み解いていく上で、登場する女性の顔、特に眼と歯が着眼されます。
P100ℓ8「グルーズの画を見せてもらった。~画いた女の肖像は悉くヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。~池の女(美禰子のこと)のこの時の眼付を形容するにはこれより外に言葉がない。~しかもこの女にグルーズの画と似た所は一つもない。眼はグルーズのより半分も小さい。」
ここから三四郎がグルーズの絵というものを知っていることがわかり、その画の女性の眼より半分小さいということがわかります。ですから、資料の女性の眼の半分の大きさなのです。P280でも原口が美禰子の眼についての説明をしますが、要約すると、大きくも小さくもない、ちょうどよいくらいだということがわかります。この眼の大きさは、これだけ説明がなされていますから小さくない意味を持っているのではないでしょうか。
P5ℓ8「女の色が次第に白くなるので何時の間にか故郷を遠退く様な憐れを感じていた。」
P40ℓ2「その色は薄く餅を焦がした様な狐色であった。~どうしてもあれでなくっては駄目だと断定した。」この二箇所から、三四郎は汽車であった女性の肌の白さを不安の要素ととらえ、美禰子の肌が狐色であるのに大変共感を持ったということが分ります。美禰子は狐色の肌なのです。そうして三四郎はそういう色がすきなのです。

原口
独身の洋画家
フランス留学体験
宗八より二、三歳年上らしい

東大がらみの独身の男たちと、東大出身の兄を持つ妹たち
この小説は東大が物語りの空間の中心となっているといっても良いでしょう。

夏目漱石 「三四郎」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その三

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「三四郎」は身長のことがよく書かれている珍しい小説です。こんどは三四郎だけでなく、ヒロインにも注目してみます。
美禰子とよし子の身長
P123ℓ9「三四郎は萩とすれすれに立った。よし子は縁から腰を上げた。足は平たい石の上にある。三四郎は今更その脊の高いのに驚いた。」ここでは164‐5センチある三四郎を驚かせたのですから、正確な身長はわからなくとも相当大きいということがわかります。
P132ℓ12「『脊が高いのね』と美禰子が後から言った。『のっぽ』とよし子が一言答えた。門の側で並んだ時、『だから、なりたけ草履を穿くの』と弁解をした。」このなりたけ草履を穿くのということばですが、これは下駄よりもということばが省略されていると考えないと読めません。下駄よりは草履のほうが厚みがありませんから、草履を穿くということがわかります。この会話によって美禰子<よし子ということがわかります。
また、よし子はのっぽと一言返していますが、これは普段からそういわれていて快く思っていないということが伺えます。現代で言うところの女性の通常の身長が160-170の間という認識があるようですから、現代に置き換えればそれより高いということになるでしょう。

美禰子の履き物
広田先生の引越しの日
大きいよし子に対して美禰子はあまり大きくありません。ですから彼女が何を穿いているのかということは、予想は出来ます。実際なにを穿いているか見ていきましょう。
P122ℓ14「美禰子は急に思い出した様に『そうそう』と云いながら、庭先に脱いであった下駄を穿いて、野々宮の後を追掛けた。」読者の予想通りやはり下駄を穿いていました。
菊人形の見物時。P150ℓ2「あまり下駄を汚すまいと念を入れ過ぎた為め、」ここでもさりげなくですが、しかししっかりと記述されています。
画家原口のアトリエ
P269ℓ9「玄関には美禰子の下駄が揃えてあった。鼻緒の二本が左右で色が違う。それで能く覚えている。」と何度も下駄が出てきます。さて、初めて美禰子に会ったときはどうだったでしょうか。三四郎が東大内の池で彼女と会う場面です。ちなみにこの池の名前は三四郎池と呼ばれますが、これはもちろんこの小説が出来たためであって、小説時にはそんな名前はついていません。
P32ℓ15「鼻緒の色はとにかく草履を穿いている事も分った。」普段下駄を穿いている美禰子が何故かここでは草履です。一体何故でしょう。P181ℓ2池の場面を二人が回想している部分で「美禰子はこの夏自分の親戚が入院していた時近付になった看護婦を訪ねれば訪ねるのだが、」ということで親戚の見舞いに来ていました。東大病院は東大のキャンパス内にあります。ですから、音が立つ下駄よりも、院内では静かな草履のほうがよいと判断したと思われ、この履き物から人物の気遣いまで読み解くことが出来るのです。
下駄と草履
この小説は下駄を穿いた美禰子と、草履を穿いたよし子というコントラストがあります。

背の高い男たちの物語
広田先生の身長 「高い脊」
野々宮宗八の身長 P28ℓ7「縮の襯衣の上へ脊広を着ているが、脊広は所々に染がある。脊は頗る高い。」
ここで服装が汚くて、脊が高いということがわかります。するとよし子も大きいのですから、野々宮家は兄妹揃って大きいということになります。
美禰子の結婚相手となる金縁眼鏡の男
P286ℓ8「脊のすらりと高い細面の立派な人」
・東大運動会の二百メートル走で優勝した学生
P176ℓ3「昨夜の親睦会で演説をした学生に似ている。ああ脊が高くては一番になる筈である。」
さらに追加して言えば、P264ℓ3「広田先生が茶の袴を穿いた大きな男に組み敷かれている。」広田先生と柔術か何かの技を教えていた男もまた大きな人物として登場しています。
こうしてみてみると、この小説はやたらめったら大きな男がいっぱい出てくる奇妙な小説なのです。

三四郎の父と実家の経済力
父は生きているか、死んでいるか
P310ℓ8「君は慥か御母さんが居たね」「ええ」「御父さんは」「死にました」
ここで三四郎の父が死んでいることが明確に書かれています。さて、この「御父さん」の読み方ですが、ルビには御父(おとっ)さんと書いてあります。これはおとっさんと読むのではなく、おとっつぁんと読みます。
「か゜」をなんと読むかわかりますか。これは鼻濁音で、先頭以外にくる「が」の音をさします。鼻に抜けるおとですね。かがみのがです。
問題はここの「さ」ですが、実は元々は「さ゜」なのです。それが次第に半濁点が省略化され、表記では「さ」となってしまっていたということなのです。この「さ゜」はツァと発音します。

P45ℓ9「今年の米は今に価が出るから、売らずに置く方が得だろう」 小作人 年貢
P93ℓ2「新蔵は家の小作人で、毎年冬になると年貢米を二十俵ずつ持ってくる。」
ここから、三四郎の実家が米を売ることが出来る家であるということが分ります。また、小作人がいて、年貢を納めさせていることも書いてありますから、地主であることがわかります。
さて、父が死んでいる三四郎の家では、現在ならば相続は母がするところですが、当時は全て長兄に行きます。米の売る時期を指図できる点から考えると三四郎は名前によらず、長兄であると考えられます。
米も家もすべて三四郎のものなのです。ですから、その財産を管理しているのは母ですが、売るか売らないかの判断をしたり、財産の実権を握っているのは三四郎なのです。仕送りも、貰っていることには貰っていますが、実際これらは全て三四郎のものなのです。
P215ℓ10「三四郎は生まれたから今日に至るまで、人に金を借りた経験のない男である」
P222ℓ10「然し借りないでも好い。家へそう云って遣りさえすれば、一週間位すると来ますから」
三四郎は毎月実家からP247ℓ6「充分な学資」を仕送りしてもらっている。
P190ℓ1「実を云うと三四郎はこの間与次郎に二十円借した。~国から送って来たばかりの為替を五円引いて、余は悉く貸してしまった。」ここから三四郎が月々もらっていたのが25円であることがわかります。
ちなみに坊ちゃんの教師時の月給が40円。教師をやめて鉄道のサラリーマンになったときには25円になりました。そうすると、当時のサラリーマンの月給と変わらないくらいの金額を毎月送ってもらっていたのです。「こころ」の先生ほどではありませんが、三四郎もまた金には基本的に不自由ない学生でした。

夏目漱石 「三四郎」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その二

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三四郎の出身高校
当時の高等学校は全部国立、全国に8校だけ。ナンバースクール
高等学校という言葉は現在でも使用されています。しかし、その感覚で読むとどうしても誤読が生じます。
当時の高等学校は現在で言う国立大学のようなものと考えてもいいくらいなものです。
東京から一高、仙台二高、京都三高、金沢四高(しこう)、熊本五高、岡山六高、鹿児島七高、名古屋八高です。
連載時にはすでに八高はありましたが、小説の時間では八高が出来る前ですから気をつけなければなりません。

三四郎は何県出身か?
三四郎は福岡県出身ですから、鹿児島よりかは熊本が近いのです。ですから三四郎が高等学校に行くとすると、熊本か、もう一つの手段としては東京にきてしまうということです。
P18ℓ1「いえ、熊本です。」熊本五高というのは漱石が教師をしたことがある学校でもあります。

P21ℓ「科は?」「一部です」「法科ですか」「いいえ文科です」
この部分も当時の知識がなければ読めません。当時の高校は
一部 法科、文科
二部 理科、工科、農科
三部 医科
という具合に構成されていました。また高校は大学とセットですから、大学の科と結びついています。定員も同じですから、科を変えなければそのまま大学へあがれたのです。

P21ℓ5「するとこれから大学に入るのですね」
この大学という言葉は普通名詞ではありません。固有名詞です。当時大学はひとつしかありませんから大学と言う言葉はそのまま、東京帝国大学を指したのです。三四郎は文科ですから、正式に言えば東京帝国大学文科大学へ入学するのです。今の文学部です。
「大学」=東大 という了解をしておいてください。
三四郎は東京帝国大学文科大学の一年生
P26ℓ13野々宮の勤務する「理科大学」東京帝国大学理科大学
この理科大学というのは、別の大学ということではありません。東大の中にある大学なのです。ややこしいので正確に理解してください。現在でいう理学部です。キャンパスは同じです。そうしないと誤読が生じます。
広田先生の勤務先は?
第一高等学校の先生です。一高は大学に隣接していました。隣になったのです。
東京帝国大学キャンパスと大一高等学校のキャンパスは隣同士

大学一年生・三四郎の年齢
宿帳記載 数え年齢
P11で三四郎は二十三と書いています。
ここで注意しなければいけないのは1950年代くらいまでの小説では年齢が数え年で書かれているということです。
数え年の考え方は0を認めません。生まれた瞬間から1歳になるのです。そうして誕生日に一つ増えるのではなくて、正月に一斉に一つ年をとります。ですから、現在の数え方から行くと、二つ違うのです。
例えば大晦日に生まれた赤ん坊は、現在の考えで行けば翌年の大晦日になってやっと1歳ですが、当時の考え方であれば、生まれた瞬間に1歳、年越しで2歳になったのです。満年齢とは2歳違います。誕生日が来て一歳違いとなるわけです。
坊ちゃんは何歳だったか
小学校8年 中学5年 高校3年
数えが24で、満が23。中学卒業後、物理学校三年で大学には行かずに就職したのですから、三四郎と同い年でなければなりません。なぜ三四郎と一つ違うのでしょうか。
三四郎は早生まれ?
標準より一つ下ということになりますから、小説には書いていませんが、恐らく早生まれということが考えられます。
ですから、現代の感覚でいって21歳なんて随分おくれた大学生だななんて考えてはいけないのです。標準ですし、しかも早生まれですから皆より一つしたなのです。

三四郎の身長
『三四郎』は主人公の身体サイズが明記された珍しい小説
P234ℓ10「三四郎は背の高い男である。上から美禰子を見下ろした」
身長サイズは?
P301ℓ12「湯から上って、二人が板の間に据えてある器械の上に乗って、身長を測ってみた。広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない。」
尺が30,3センチメートル。寸は3センチメートルですから、広田先生は約170センチくらいとなります。対して三四郎は五尺と四寸五分です。分というのは10分の一という意味ですから、一寸の十分の五。二分の一ということで1,5センチメートルとなります。そうすると大体164-5センチくらいとなります。当時で言えばどちらも大きいことにかわりはありませんでした。
身長は相対的なものですから、広田先生と並んだときには小さく感じた三四郎でも、美禰子と並べば大きくなるのです。
また、広田先生はP188ℓ2「先生は机に向っている。机の上には何があるか分らない。高い脊が研究を隠している。」というところからも大きいことがわかります。
当時の成年男子の平均身長と漱石自身の身長
漱石は160以下でしたが、平均と比べたら特に小さくはありませんでした。イギリスに行って始めて小さく感じたのです。

夏目漱石 「三四郎」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その一

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これから十数回にわたって連載する「三四郎」の記事は、文責を私が負いますが、この文章内容は高田教授の近代文学研究の講義メモを元に作られていますので、学問的見解はそれに従うことになります。
つい数年前まで1000円札にも使用されていた夏目漱石。日本でもっとも有名な作家は夏目漱石ではないでしょうか。しかし、実際に漱石の作品を読んでいるひとはあまりいないのかも知れません。「吾輩は猫である」は大変有名ですが、これを読破した人はあまり多くありません。というのも、内容自体は面白いのですが、これといった展開もなく、ストーリーもなく途中で諦めてしまうひとが多いのです。
「坊ちゃん」も大変有名ですが、これは中高大あたりの読み期を逃してしまうと永遠に読まないという人が多いようです。
そんななか、漱石の作品の中でも最も好まれて読まれるのがこの「三四郎」です。
大抵の会社が漱石の作品を文庫化するときには先ず三四郎が刷られるくらい、未だその人気は衰えません。安定して売れているのです。こんかいはその「三四郎」を読み解きます。ページ数、行数は新潮文庫の百四十五刷によります。同じ新潮文庫でも昨年になって文字の大きさが変化しましたから合いません。注意してください。

漱石の東京朝日新聞入社三番目の連載小説
明治40(1907)入社
明治41.9.1--12・28『三四郎』連載 東西両朝日
「三四郎」は漱石が朝日新聞社に入社してから三番目の連載小説です。一つ目は「虞美人草」、二つ目は「坑夫」です。
漱石は連載を大体3ヶ月くらい、約100回ほどで一つを終えるというような感覚で考えていたようです。
当時この「三四郎」は大変な人気を博しました。現在では考えられないかも知れませんが、当時はまだ娯楽が少なかった時代ですから、連載小説で新聞の売り上げが大きく変わったのです。

このとき、漱石は明治の年号と同じですから41歳になります。元々、漱石は学者を目指していました。文部省から留学の命令を受けたこともあります。しかし、勘違いしていけないのは漱石は一度も教授になったことはないということです。朝日新聞社への入社時には実は、教授になれる口があったのですが、その機会を捨てて新聞記者になったのです。
現在では朝日新聞の記者といえばなんだかすごいイメージがあります。しかし、当時の新聞記者の社会的な地位は低く見られていました。いかがわしいというイメージがあったようです。これを念頭においておきましょう。
さて、何故新聞記者にいかがわしいというイメージがあったかというと、ゆすりをする記者がいたということがあります。手に入れた情報を元に、お金を払わないとばらしちゃうぞという記者がいたのです。
反対に、文学者の中には記者である人間が数多くいました。尾崎紅葉などもその一人です。先ほど連載小説で新聞の売り上げが大きく変わるといいました。ですから新聞社側も必死になって売れっ子の作家を何とか自社に引き入れようとしたのです。ですから当時、漱石のような記者として新聞社に身をおいている人間は数多くいました。漱石が初めてではないということです。
また、漱石は原稿料と印税だけで生活したことはありません。安定した月給を会社から貰い、ボーナスもきちんと受けて、当時の編集長よりも多いくらいのお金を貰っていたといわれています。漱石門下の芥川もその一人ですし、森鴎外にいたっては陸軍の医者です。

当時、漱石が教授の口をけって新聞記者に入ったということは大変なニュースになりました。これは現在では想像できませんが、官と民という意識が強かったからです。官と民は上と下といった感じで、東大はもちろん国立ですから官。これを捨てて民である新聞社へ行ったのです。しかも、当時の朝日新聞はちっとも大きくありません。朝日新聞は大阪が本社ですし、東京朝日は赤字を出すくらいの経営でした。
ちなみに、毎日新聞も同じく大阪が本家、読売新聞は東京からでた会社です。
官から給料を貰うのをやめて民から貰うということは当時の人にとっては大変な事件であったようです。
漱石の待遇は出社しなくてもよし、しかもボーナスありでした。

物語の時間
「文芸協会の演芸会」 入鹿の大臣 ハムレット
P256ℓ5「美禰子さんがね、兄さんに文芸協会の演芸会に連れて行って頂戴って」この演芸協会は注釈にあるように坪内逍遥が島村抱月と協力して創立した演劇団代です。
P314ℓ16「入鹿の大臣」P318ℓ4「ハムレット」 文芸協会がこの「入鹿の大臣」と「ハムレット」を公演したのは、M40年11月、第二回の出し物のときです。小説の中では12月となっていますが、断定はできないものの恐らく小説の時間は明治40年でしょう。
「馬券」 馬券販売解禁の東京の競馬 明治39・11末
      馬券販売再び禁止          41・10
与次郎が「今月(11月)の初め」に馬券を購入できたのは明治40年11月だけ
馬券ごときでどうして年数が特定できるのかと不思議に思う方もいると思いますが、ここには複雑な事情があります。与次郎が馬券を買ったのは11月の初めです。さて、賭博罪という法律により競馬は長らく禁止されていました。それが例外的に明治39年の11月末に横浜の根岸競馬場のみ解禁されました。しかし、これは法改正ではありません。ですから実際は法律違反なのに、黙認するという奇妙なことが起こりました。ですが、やはり反対意見が非常に多く、M41には再び禁止となってしまいました。結局後日競馬法が出来たのは1923年関東大震災があった年です。ですからこの短い競馬が許された時間の中で、11月の初めに馬券を購入できたのはM40ねんしかないという結論に達します。

物語の始まり 東大に入学するため三四郎が汽車で上京(おそらく8月)
物語の終わり 翌年早春 「いつもは花の時分に開くのだが、来年は少し会員の都合で早くする積もり」(おそらく3月)

変な標題(みだし) 「予告」
男性主人公のファーストネームだけの小説タイトルは画期的
現在にいたるまできわめて少ない
この小説の連載予告が新聞に載ると、そこにはこのように書かれていました。昭和41年八月十九日から三十日まで掲載「変な標題だと思って、どんな小説ですと訊くと作者曰く『~」
ここでどうして変な標題という文が出てくるかというと、男性ファーストネームだけの小説はそれまでにほとんどなく、しかもその後もなかったのですから、大変珍しいものだったのです。厳密に言えばないこともないのですが、長編ではこれが初めてです。

女性ファーストネームだけの小説タイトルは多い
宮本百合子「伸子」 野上弥生子「真知子」 志賀直哉「邦子」 堀辰雄「菜穂子」 古井由吉「杳子」
男性フルネームの小説タイトルは珍しくない
富田常雄「姿三四郎」 志賀直哉「大津順吉」 伊藤整「鳴海仙吉」 実名歴史小説
性にはセックスとジェンダーという意味があります。セックスは単純に性的に男か女かというものです。
ジェンダーとは社会的に作られた女性らしさ、男性らしさといったものです。三四郎の前には、女性ファーストネームだけの連載小説はかなり多くありました。明治になって「子」という名前を国民が使用できるようになってからは、名前に「子」を遣うことが非常に多くなりました。というのも「子」というのは、今まで皇族や貴族しか使用できない高貴な名前だったからです。この当時は「子」をつけることがブームになり、それは戦後あたりまで続きました。
現在ではあまり「子」が使用されることはなくなりましたが、当時は「子」をつけるのが新鮮でありモダンであったのです。今風に言えば「セレブ」といった感じがしたようです。1912年明治から大正へ移行した年、名前ランキングを見てみるとトップ1、2、3は「~子」でした。
小説でも同様、「子」がついた名前の小説が非常に流行しました。
対して、男性はフルネームであれば珍しくありませんが、ファーストネームだけというのは珍しかったのです。たまにファーストネームが乗っていたとしても「~の冒険」とか「~物語」といったようにそれだけでは使用されません。
「姿三四郎」のように、苗字一字名前三字というのは日本のヒーローの伝統のような名前です。このように、名前の苗字がセットになって両方出てくるものは多いのです。
これはジェンダーにおける非対称の例です。

三四郎の名字
P11ℓ15「三四郎は宿帳を取り上げて、福岡県京都群真崎村小川三四郎二十三年学生と正直に書いた」
後に小説の中で三四郎は小川さん小川さんと何度か呼ばれることもあり、三四郎の名字は小川であることがはっきりとわかります。ここも読者が読み落としやすい部分です。この部分では三四郎が「正直に書いた」とあるため信憑性が生まれるのです。そこに資料としての価値が生まれます。
福岡県京都郡(みやこぐん)までは実在し、真崎村というのは漱石のフークションです。
名古屋の宿帳記載の問題
宿側はどう解釈したか?
P12ℓ1で三四郎は変な縁で一緒に泊まることとなってしまった女性の名前を「已を得ず同県同群同村同姓花二十三年」と勝手に書いてしまいました。
後になって、下女が敷く布団が一枚しかないということで下女と少しもめますが、これは宿側の責任だけでなく、三四郎の責任もあるということがわかってきます。
通常住所も同じで、名字も同じ、年も同じの男女だとすると考えられるのは双子か夫婦しかありません。そうしてその二人が大して似てもいないのですから夫婦と考えるのが通常です。ですから、どうも読者は女が三四郎を誘ったといったへんな読みをしてしまいがちですが、これは完全に三四郎が宿帳に記載したことに責任があり、そのような読みは出来ないということになります。

東海道本線のスピード
朝名古屋を発って「その晩」東京着
当時の時刻表
名古屋09;30発 20;02新橋着
P14ℓ1~3までで三四郎は朝発の電車に乗ります。P24一章の最後に電車が到着します。
今考えると、名古屋から新橋まで10時間半もかかるというのはびっくりします。東京までやってくるのがいかに大変かということが伺えます。
P22で後に広田先生とわかる男性と三四郎は弁当を食います。ℓ1「浜松で二人とも申し合わせた様に弁当を食った」
調べると当時の時刻表では浜松は11;08となっています。11時すぐにお昼というのはちょっと早すぎやしないかとも考えられますが、次の静岡は1;43、そうするとやはり浜松で少し早く食べようということになったのだということがわかります。古い時刻表を見るとこういうこともわかるのです。

オノマトペへの試論 7 終りに

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豊かな言語体形がある日本語だからこそ発達した文化、音喩の文化は現在の日本の文化において非常に重要な位置を占めています。例えば教育現場。オノマトペは幼稚な言葉と認識される傾向がありますが、それは最も端的にイメージを共有するために使用される場合が多いからなのです。幼稚園児や小学生のような年齢の低い子どもたちに物事のイメージを伝えるときには、オノマトペは極めて重要な役割を果たします。オノマトペと教育を研究した成果では、オノマトペを使用してイメージを伝えた方が、例えば身体の動かしかたなどがよく伝わるという結果が、幅跳びや握力測定の実験からわかっています。
文学作品ではもはやオノマトペがなくてはならないものとなっています。オノマトペは幼稚な言葉と考えられる一方、日本の言語芸術の最先端でも活躍するというたいへん広域な活躍を見せるのです。

漫画で発達したオノマトペが、こんどは逆流入されて私たちの社会にも影響を与えました。文字として、絵としてもオノマトペの要因のなかに取り込んだため、極めて多様化したオノマトペが私たちの生活にあふれ出たのです。もはや、オノマトペは、絵や文、音、それぞれの分野を含んだ総合媒体であるため、私たちの生活には欠かせないものとなりました。
日本語は、清音・濁音・半濁音にくわえ、平仮名・カタカナ、豊かなオノマトペのもととその付属語、それから様々が言語から柔軟に取り入れることが出来る記号(・・・など)の自由な組み合わせによって、無限のオノマトペを得ました。そこには、若い人の間で流行ったり、あるいは廃れて行ったり、時代を表すものであったり、友人との意思疎通のなかで使用されるものなど、実に多様なオノマトペが活用しています。

私たちの生活は既にオノマトペとは切り離せないものになりました。これからは、だれもがオノマトペの創造者になりえる時代になり、より音に対しての感性を深めなければなりません。自由にオノマトペが創造できるようになった反面、あまり人に伝わらない、理解できないオノマトペが跳梁跋扈しているのもまた現実です。これからは、オノマトペを使いこなせるオノマトペリテラシーなるものが必要とされる時代なのです。
一つ気をつけなければいけないことを述べて、これまでのオノマトペへの試論を終りにしようと思います。
勝手につくったオノマトペが、相手に伝わりにくかったり、その場8に居合わせない人が後から聞いてもわからなかったりする場合は、そのオノマトペを考えなおさなければいけないのかも知れません。
しかしまた、初めに述べたとおり、オノマトペの元々の語源は「造語すること・名前を造ること」です。なんといってもオノマトペの魅力はその生き生きとした表現にあります。言葉が生きているとはまさにこのことを言うのだろうと思います。そうして私たちがオノマトペに親しみ、楽しみ、そのオノマトペを聞いたときに何かのイメージが生き生きと伝わってきたならば、それは十分にオノマトペと共生していることになるのです。

参考文献
『オノマトペがあるから日本語は楽しい 擬音語・擬態語の豊かな世界』 小野正弘 平凡社新書 2009
『擬音語・擬態語4500 日本語オノマトペ辞典』小野 正弘 小学館 2007
『オノマトピア・擬音 擬態語の楽園』 筧寿雄/田守育啓 勁草書房 2003
『オノマトペ〈擬音語・擬態語〉をいかす -クオリアの言語心理学-』 丹野眞智俊 2007
『賢治オノマトペの謎を解く』 田守育啓 大修館書店 2010
『漫画原論』 四方田犬彦 筑摩書房 1999

オノマトペへの試論 6 漫画媒体における、オノマトペの表現とその可能性

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『漫画原論』において、四方田氏はオノマトペはその母体となるべき場所を漫画に見出し、そこから破壊的にその可能性を拡大したと述べています。本来言葉のみの世界からはなれ、そうして絵との融合をした漫画は、どうしても動作を求める性質があると四方田氏は述べています。絵の連続によって続いていくのであるから、絵画のように静止しているわけにもいかず、かといって心象表現豊かな文の世界からも離れているのだから、必然動きをおっていくことになるというのです。その動きを求める表現媒体であるにも拘わらず、決定的に欠けていたのが音でした。当然紙媒体ですから、音がそこから発生するはずがありません。漫画は動きを求めると同時に、音も求めたのです。
そうして漫画に必要に迫られるようにして迎えられたオノマトペは、漫画の世界で破壊的な拡大を成し遂げるのです。その成長の過程は簡単に分かります。
1960年と85年に執筆された二冊の漫画本から、それぞれ冒頭の十六頁を取り出し、そこに登場するオノマトペを抜き出してみると、次のようになる。
『鉄人28号』ウーウーウー、ウーウーツ、キーツ、ギーツ、ゴゴゴゴ、コーンコーン、ザーツ、ズシーン、ズシン、ドカーン、ドタドタ、バタン、ポツリポツリ、
『北斗の拳』ガアシッ、ガクン、ガシャッ、ガタガタ・・、ガバア・・、ギクッ、ぎゃあああ、ギュッ、グッ、ゴアアア、ゴオアアアッ、ゴオオオ、ゴゴオーッ、ゴゴゴ、ゴゴゴゴゴ、ゴンゴゴンゴンゴン、ザ・・、ザザッ、サッ、ザン、シュー、ジュウー、ジュウーッ、ジュン、スウ、ズウウウン、ズシ・・、ズババン、ズン、タタタッ、チュ・・、ドカアシイッ、パチン、バッ、ビタッ、ヒャハハ、ビョオオ、ブオオオオ、フラ・・フラ・・、ブンブン、ボオオオ・・、ボオオオッ、ムク、ヨロ・・
まず使用されているオノマトペの数が圧倒的に違っている。『鉄人28号』は十六頁にわずか十四種、数え方にもよるが合計で二十三回しか使用されていない。これは同じオノマトペを繰り返し用いることが少なくないことを示している。複数の人間が同時に走る場合には「ドタドタ」、巨大な体躯のロボットがゆっくりと歩く場合には「ズシンズシン」とおおむね相場が決まっていて、漫画家は状況に応じて対応するオノマトペを既存のストックのなかから選び出して用いるといった具合だ。~『北斗の拳』の場合には、『鉄人28号』のほぼ三倍に近い頻度でオノマトペが使用されている。これは作者がその場その場においてオノマトペを自在に新しく考案していったことを意味している。1つのオノマトペがコマの枠線を越えて別のコマの領域に侵入するといった場合も存在する。『鉄人28号』に比べて、はるかにダイナミックで柔軟な用いられ方がなされている。

このように、たった25年の間に、漫画媒体のなかに新しい立ち居地を見つけたオノマトペは、飛躍的に進化しました。そうして、少年誌の発売と共に、高度に発達したオノマトペは、広く社会に拡がっていったのです。ですから、漫画を拠点として、今度はその漫画から社会に進展するようになるのです。
オノマトペが漫画家の特権でなくなったことは、その創造行為からも知れることでしょう。どんなオノマトペでも造っていいのだということが、広く若い人間を中心にひろまりましたから、その後もオノマトペの爆発的な発展は続きます。
オノマトペは、高度化、多様化しすぎることになり、もともと音を表現するものであったはずなのに、実際に発音不可能だと思われるようなオノマトペも登場してきます。例えば正岡としやの『ダボシャツ天』第三巻には登場人物のせりふとも、心象とも取れる表現のなかで「兄貴~ッ」というものが現れます。この「ツ」がオノマトペであるかどうか判別しにくいところですが、「兄貴~」と「兄貴~ッ」では、その伝える状態の有り様が、明らかに変わってきます。

現在最も注目を受けている漫画の一つである、荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズでは、特有のオノマトペ表現が使用されています。大抵敵側の登場人物が攻撃などをする際に発する言葉なのですが、それ自体が何かの意味をもつというわけではなく、一般的な「ワー」とか「オー」の類と同じだと考えると、これらの言葉もオノマトペと考えることができます。
ルルルルルルウウオオオオ
RRRRRRUUOOOOHHHHHHHH!!

ドドドオオオオオオオオオ
DDDOOOHHHHHH!!

ムムムムウウウウウウウウウ
MMMMWOOOOOOOO―ッ!!
これらのオノマトペはもはや発音不可能になっています。アルファベットだけを見たとしても、その通りに発音することは不可能ですし、そのそもどのように発音してよいのかわかりません。親切にもこれらのアルファベットには、その音が表すであろう音の、日本語で最も近いものらしきカタカナが当てられていますが、それでも発音は不可能です。実際に出来る人がいるのでしょうか。こうした過剰なオノマトペの発展は、もはや音を表現する音喩を越え、一種の言語芸術に発展しました。そこでは、視覚的な要素も含まれた、より広い範囲でのオノマトペが展開されているのです。
そうすると、例えばなにかのオノマトペの後に続く「・・」のようなリーダーも、オノマトぺの一部と言ってよいのかもしれません。

漫画は言葉と同時に、絵の媒体でもあります。そこでは言葉もまた絵になりうるのです。フォントという言葉が一般的になったのはいつごろからだったでしょうか。パソコンのワードプロセッサーが市民に普及したころからでしょうか。それまで手書きだったために、筆跡や書き手の癖はありましたが、統一され、様式化された字体の登場はパソコンがその最たるものでしょう。それ以前から存在していたのは新聞でしょうか。しかし、これは読者があまり気にしないものでありました。漫画は、パソコンより早くからこのフォントに注目していた媒体といえるでしょう。
このフォントの使い方の上手かった漫画家が赤塚不二夫です。『レッツドラゴン』において、ベラマッチャがイラ公に噛み付かれる場面では、「ガブリ」「ブチ」「ドカッ」「ボカッ」という四つのオノマトペが表記されますが、それぞれフォントが異なります。ガブリは刺刺しい感じがするように、文字の内部に斜めに十文字のクロス線が入っています。ブチは、ブチという文字自体が紙をひきちぎったようにぎざぎざしていて、砂のようにドットが点々と表現されています。ドカはなにか岩のような模様が描かれ、この中では最も強い印象を与えるように大きく字が書かれています。ボカッは何か中にペンで書いたぐるぐるがあり、文字の周囲に振るえを表す線が書かれることによって、振動しているように思われます。

これは最近流行している、ため息にもにた泣き声です。一般には「ふええ」とふにゃふにゃした様子や状態で、女性が泣き声とため息の中間のような場合にしようするものだろと考えられます。この「ふええ」一つにしても、ごくごく簡単に分類しただけでこのように細分化されることができます。小さなぇが先に来るのか、後にくるのかで、微細ながらもその間の意味には差が出てくるのでしょう。ここでは、二点リーダーか三点リーダーかの違いもまた重要になってきます。余韻のあり方が点一つだけでも異なるのです。あまりに高度化、多様化しすぎているという面はあるかもしれません。今はまだ、オノマトペは爆発的に増殖し続けている時期といえます。長い目で見ると、教育はもちろん、言語も数千年の単位で増減が繰り返されているのです。ですから、このオノマトペも、今は増幅期にありますが、いずれ簡略化される時期がくるかもしれません。
ふええ   ふえぇ   ふぇえ   ふぇぇ
ふええ。  ふえぇ。  ふぇえ。  ふぇぇ。
ふええ…  ふえぇ…  ふぇえ…  ふぇぇ…
ふええ・・ ふえぇ・・ ふぇえ・・ ふぇぇ・・

オノマトペへの試論 5 オノマトペ的要素の考察

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オノマトペは、畳語のほかに、オノマトペのもと+オノマトペ的要素が、その典型的な形をつくるに至っているということを指摘しました。ここではそのオノマトペ的要素、すなわち「り」「っ」「ん」「ー」についてもう少し細かく見て行きましょう。それぞれの指摘は、全て小野先生の論文によります。
先ほど挙げた「ら」は、ほかのものと異なります。古いオノマトペに付くことが多いようなので、歴史的な研究になってしまうようなので、ここでは割愛します。

先ず、「り」から。これは音や動作・状態などをひとまとまりのものとして表現するもののように思われます。
「うっかり」「きらり」「ことり」「さらり」「どかり」「ぷかり」のような例を見てみますと、動作・状況などがひとまとまりになっているという感じがします。これはその一連の動作が起こった後、ある程度落ち着いたニュアンスがあることに気がつきます。どれも継続的なニュアンスはあまりなさそうです。

次に、「っ」。文法的には促音といいます。「語中にあって次の音節の初めの子音と同じ調音の構えで中止的破裂または摩擦をなし、一音節をなすもの」(広辞苑)です。簡単に言えば息を止めたように聞こえる音です。その発音の仕方からも想像できるように、音や動作・状況などがあるところで瞬間的な区切りが付くということを表現しているもののように思われます。
「ばんっ」「さっ」「むっ」「きっ」などのように、元々瞬間的なものを表すのが典型的な例です。「きーっ」(ブレーキ音)「だらーっ」「わーっ」これらは、比較的継続性のあるものでも、「っ」が最後にはいることにより、そこで一区切り付くということを表しています。どちらにしても、区切りのニュアンスが含まれるのです。

「ん」は文法的には撥音。「日本語の語中または語尾にあって、一音節をなす鼻音」(広辞苑)です。はねる音とも呼ばれます。
「かたん」「がつん」「どぶん」「ぶらん」「ぼとん」などを例に挙げてみますと、はねる感じが少し出ているようにも思われます。「り」が一つの動作の終了的ニュアンス、「っ」が動作の区切りであるならば、この「ん」は音や動作・状況などが取り合えず終りはするが、その結果が残存したり、余韻が残るということを表現しているように思われます。とくに「ーん」という伸ばす音が入る場合は、そのニュアンスがより一層強化されます。「かきーん」「がらーん」「どすーん」などは、その残存・余韻のニュアンスが強まっているのが分かるでしょう。ですから、この余韻の残る意「ん」の使用法には、区切りの「っ」がその後に来ることはないということになります。「かきーんっ」というのは、多少不自然な感じがします。しかし、「ん」のもつ余韻や残存のニュアンスよりも動作が終了する点を重要視した場合は、「からんっ」「かきんっ」「がつんっ」のような表現がなされます。この場合はある動作が勢いをもって終了した感じがします。余韻も少し残るように感じられます。

次に「ー」は、音や動作・状況などがある程度続くということを表現するものになります。「しゅー」「ぬめー」「どろー」などは、その状態が続いているように思われます。ただ、この「ー」はその後に「り」「ん」「っ」が付くことが多く、その場合は「じわーり」「とろーん」「かちーん」「しゅーん」「がらーっ」「でれーっ」のようになり、ある程度続くといっても、最後に「っ」などが来ると区切れ、終了しているイメージもあります。

引用
以上の「り」「っ」「ん」「ー」の関係を、その相互の結びつき方に注目してまとめると、下の表のようになります。つまり、「もと」には、その下に第一段階として、「り」「っ」「ん」「ー」の四種類が普通付きうるが、「っ」が第一段階で付いてしまうと、そのあとには何も付くことができないことになります。「ん」もそれに近いのですが、「っ」だけは第二段階で付くことができます。第一段階で、「り」と「ー」が付いた場合は、第二段階で、それぞれ「っ」「ん」「ー」、「っ」「り」「ん」が付くことができます。この場合も「っ」がつくと、そのあとにはもう何も付けることができません。第二段階で「り」「ん」「ー」が付いた場合は、第三段階でさらに「っ」をつけることが出来ます。そして「っ」が付いたら、それ以上はなにも付きません。すなわち「っ」が最もオノマトペを断ち切る力が強く、「ん」がそれに次ぎ、「ー」がほぼ「っ」「り」「ん」を必須に要求するというところから、最も断ち切る力が弱いということになります。オノマトペのもとを根本にすえて、このような整然とした造語が行われていたのです。
もと・段階  Ⅰ  Ⅱ  Ⅲ
もと     っ
       ん  っ
       り  っ
          ん  っ
          ー  っ
       ー  っ
          り  っ
          ん  っ

最後にオノマトペのもとを畳語にするものは、音や動作・状況が継続したり繰り返されたりしているということを表現するものになります。
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