夏目漱石 「心・こヽろ・こころ」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その十三

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「御嬢さん」時代の静についても、Kについても、さらには叔父についても、「私」の手記は遺書における先生の断定的な解釈を相対化していく道を辿ります。
(相対化と否定は違う)これは先生の断定の否定であって、先生を否定しているわけではないのです。断定するということを否定しているのです。そうかも知れないけれど、そうでないかも知れないという可能性の提示なのです。
「私」は先生の遺書をどうとらえたのか?
・先生の遺書の根底には「疑い」という感情があることを以前指摘しました。疑いとは、そうであるかも知れないし、そうでないかも知れないという状態です。しかしそれを先生は「疑いの事実化」をしてしまうのです。先生が疑ったことはいつの間にか、事実であったと考えられてしまうのです。この「疑いの事実化」傾向を間接話法が促進していることに「私」は気づいたと考えられます。先生は自分の解釈を絶対化して、他人に研究されないために、間接話法を多用して資料の提示を拒否しました。これを「私」が見抜いたため、「私」の手記では直接話法が多様に使用されるようになったと考えられます。
・語り手によるコメントを控える
語りと評価(コメント)の違い
ここで語りとは出来事の提示と考えてください。出来事には嘘ももちろん含まれます。
評価とは、出来事に対する語り手の意味づけ、解釈、価値判断等を指します。「彼女がAをした」というのは語りです。「彼女がAうをしたのは失敗だった」は評価になるということです。また今の例が外面的評価、内面的評価としては「彼女はAをしたが、失敗でした」「彼女は失敗したが、Aをした」といったものを言います。
先生の遺書はコメントが多いのです。それに対して「私」の手記は語りが大部分なのです。

先生と「私」との最も大きな違いは遺書の引用です。先生の遺書においてKの遺書は短い遺書のさらなる要約。それに対し、私の手記では先生の長い遺書の引用という部分です。
先生の自殺から「私」の手記執筆までのタイムラグ
さて、先生の遺書が書かれたのが明治45年・大正1年です。そしてこの小説の最後の時・最も新しい時間が小説出版(大正3)と同じと考えると、その間には約1年半の時間が存在します。この一年半、「私」は先生の遺書を何度も読み返し、手記を書くに至ったわけです。この間は、「私」が先生の遺書に対するスタンスを確立し、それを表現する書き方を身に付けるまでに要した時間ではないかと考えることができます。
「先生」という呼称
これは遺書を読み返し、先生のことを理解してもなお変わらなかったことです。このように呼びたいという気持ちは変わらなかったのです。
批判と敬愛は両立し得る
しかし「私」は全てにおいて先生に賛同するというわけではありませんでした。批判と敬愛を両方込めた書き方を発見するために時間が掛かったということです。

ただし、直接話法の多用は、語り手の独裁性を消滅するか?
ここまで論を展開してきた中で、誤解しやすいことがありますが、それは直接話法を使用すれば、果たして客観性は担保されるのだろうかということです。間接話法が悪くて、直接話法がより客観的で良いものだと簡単には言い切れないということを理解してください。
P64ℓ6「私はその晩の事を記憶のうちから抽き抜いて此所へ詳しく書いた。これは書くだけではの必要があるから書いた」
P50の16章からP64の19章まで、若い私と奥さんの会話が決して短くない分量を割かれて書かれています。ここでは、先生は友人と会うために出かけてしまっているという場面で、この会話は先生の知りえない会話です。そうしてそれを詳しく書いたということになりますが、その最後に若い私は上の文を書いているのです。
ここは若い私が直接話法の限界を認知した箇所として解釈されています。直接話法で書かれたからと言って、ここに書かれる以上は語り手の問題になるのです。全てを描けるわけではありません。全て正確に書けるわけでもありません。語り手の記憶していないことはもちろん書けませんし、記憶していても、人間の記憶は実にあやふやなものですから、それが実際とは異なり、正確性が危ぶまれます。嘘をついていないとしても、事実と同じとは考えられないのです。
また書く必要性についてですが、我々は全てを語るわけではありませんし、この語り手も人間である以上全てを書くということはしません。全てを書くのではなく、要点を書くのです。つまり必要なものを選び、必要でないものは捨てるという取捨選択を常に行っているのです。
どの声に直接話法による再現の「必要」を認めるかは、語り手の独裁なのです。
裏を言えば「書く必要」を認められなかった声は再現されないのです。
また、語り手が「記憶」していない声は再現されません。
記憶していてもぴったりと一致することはないのですから、一見客観的に際限されているように思えますが、やはり直接話法にも、編集という暴力性や、一種の翻訳といった側面が残ります。ですから語り手の優位性は変わらないのです。
直接話法=客観的 /間接話法=主観的  という簡単な図式は成り立ちません。これを強調しておきます。


遺書と手記  相互に相対化しあう二つの一人称の文章
この小説は、先生の遺書を後で引用した形とも言えますし、先生の遺書を紹介する前に上・中を書いたとも言えます。このどちらにも言えることが、先生の遺書の分量に合わせたのは「私」であるということです。
話法により、解釈の違いがあるということは何度も言いました。他者の声を消し、自分の評価をただひたすら述べていく、こうした先生の文章と、それに対する「私」の構図です。
そうして先生の遺書から、私が上・中を書くまでのタイムラグですが、これは遺書に対する「私」のスタンスの決定と、それを表現する力の獲得だと考えました。冒頭で、やはり先生と呼びたいと書かれているので、先生への愛は変わりません。しかし、それと同時に批判も持つようになったのです。愛しつつ、批判もするというスタンスなのです。
また、遺書は先生の主観が露骨なまでに描かれていますから、その分正直であると考えることも出来ます。手記は客観的に見えるだけ性質が悪いと見ることも可能なのです。この小説は、手記が一方的に遺書を裁いているのではなく、遺書もまた手記を裁いているという、相互性を持っているのです。
「他者」を理解することの難しさ、表現することの難しさ
以上のことから、上の文が言えるのではという結論です。他者の問題です。他者というのは、理解したと思っても、それはやはり自分の他者に対するイメージを理解しただけであって、そこにはずれが生じます。その他者を表現することもまた難しいのです。

「晴天の迷いクジラ」窪美澄 感想とレビュー 3人の群像劇から「社会」を読み解く

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山本周五郎賞を受賞した「ふがいない僕は空を見た」とほぼ同時に書店に並んだ長編小説です。2012年2月20日が発効日ですから、まだ発売から日にちが経っていません。
以前記事にした「ふがいない僕は空を見た」ですが、私はどうしてあの本が好評なのかわかりませんでした。私はこうして研究家として評論している反面、作家として創作活動もしています。私にとって文学には、性的な描写はいらないというのが持論なのです。
ですから、あそこまでどぎつく性的描写をする理由はなにかということを未だ考えています。今回の「晴天の迷いクジラ」は作風が一変しています。性的描写は実に極わずかしか出てきません。殆どありません。一体何があったというのでしょうか。
こんどの作品は、群像劇です。3人の視点から描かれた、それぞれの主人公が困窮の中に陥るまでの話が淡々と繰り広げられます。若い男性社員由人、会社の女性社長野乃花、女子高生正子。
まあ、あえて登場人物に入れるとしたら、この迷いクジラもおおきな存在であると考えられます。ただし、このクジラには語る術はありません。

三人はそれぞれ困難な状態にあります。そこへいたるまでの話が展開されているのです。由人は、まさしく現代人をそのまま写した鑑とでもいう存在でしょうか。彼は恋人の不倫、会社の倒産と立て続けに大きな負担がかかってきたことにより、精神を壊します。しかし、実は先輩社員たちも既に精神が崩壊したような状態で、短編の題でもあるソルナックスとルボックスという精神安定剤を服用していました。由人は気がつくのです。こんな薬で無理やり働いていなければいけないこの社会って何だと。
まさしくだなと私はこの部分を読んで共感しました。私の父も、まあ随分この種の薬を飲んで会社に行っていますよ。しかも、同期のサラリーマンも殆どにたような状態だとか。現在多くの会社員が精神剤を服用しながら働いています。そうしていなければとても耐えられない状態になっているということです。
確かにうつ病やなんだということは以前にはあまり言われないことでした。社会がそれを受け入れなかったということもありますが、しかし、少なくとも社会全体がそうした病気にかかっていたとは考えられません。やはり景気の問題でしょうか。それだけではないと私は思います。年間自殺者が役3万人。バブル経済とほぼ同時期からです。それ以前は1万ちょっとでした。バブルが終わった後もどうしても自殺者が減らない。この現状は一体なんだ。この作品はここを問うて、我々に疑問を提示しているのです。

野乃花を見てみましょう。彼女は劣等コンプレックスを持っている人間の代表といったらよいでしょうか。彼女にはあるくらい過去があります。それを彼女が回想していくという話の構成ですが、私はここで気がついたことがあります。由人が男性で比較的回想がわかりやすいのに対して、この野乃花の回想は非常にわかりづらい。女性だからでしょうかね。絵國さんの「号泣する準備はできていた」みたいに、一見するとごちゃごちゃになっていてわからないような感じです。しかし、きちんと時間系列を考えてみるとわかります。野乃花は女性特有の特別な時間軸のなかで物語っているのです。だから回想の中で、しばしば時間が行ったり来たりする。
そうした作業を繰り返していくうちに、彼女は強さを手に入れたのではないでしょうか。
芸術肌の人間が、半島の辛い自然に身をさらし、東京という町へ出てきてもさらに辛苦する。そうした荒波にもまれて強くなった彼女。しかし、会社の倒産はそんな強さを手に入れた彼女でさえも、死という楽な選択肢を提示したのです。

正子は外圧を受けている人間の代表でしょうか。読んでいて思ったことは、この母親はとにかく異常であるということですね。しかし、実際にこのような母親、或いは母親でなくても、女性はいますね。潔癖症という言葉一言では言い表せませんが、心理学的に考えてみても面白いでしょうね。母親が子どもを離さないというタイプです。そうした外圧によって、それまで従順だった正子も、高校で全く型にはまらないで自分らしく生きている友人との出会いによって、始めて自我が芽生えるのです。ですが、その友人というのが、死を意識していたのですね。だから最後のいのちのともし火を明るく燃え尽きさせるために頑張っていたのではないかなと、後々考えることもできると思います。正子はその友人の死によって壊れてしまいます。初めての自我と、それの崩壊として読むことができます。そうして自殺しようとする。

第四章はこの三人が、何とか自殺せずに出会うことによって物語が展開されます。クジラが湾に迷い込んでしまった。このクジラを見に行こうという話なのです。この展開には少々無理があるのではないかとも思えますが、小説ですからよいのです。
このクジラもそうですが、結局この小説の登場人物たちはみな、自己の居場所を探しているのではないでしょうか。迷いクジラもそうなのでしょう。
第四章は三人の視点で次々に話が進められるため、今の語り手が一体誰なのかをきちんと把握しなければいけません。まあ、端的にいうと、彼らはそれぞれ何かしら新しいものを発見できたのでしょう。たぶん死なない。生きるであろうという考えにいたるわけです。その彼らの心情の変化、自己の居場所を見つけられたからこそ、迷いがなくなったのではないでしょうか。クジラも同じことで、クジラも始めは彼等と同じく死に場所を探し求め、迷っていました。それが彼等の心情の変化と共に、それを象徴するかのように、海へと出て行ったのです。
こちらに方が、今の社会人に読んでもらいたい作品です。特に、私はもう平癒しましたが、病気であったり、精神的に参っていたりする人には何かしら、視点を変える機会になるかも知れません。

映画「マイハートマイラブ」 感想とレビュー 群像劇から見えてくるもの

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ウィキペディアより
『マイ・ハート、マイ・ラブ』(原題:Playing by Heart)は、1998年に公開されたアメリカのロマンティック・コメディ映画。日本公開は2000年5月。ロサンゼルスを舞台に11人の男女の人間模様を豪華キャストで描いた群像劇。121分
結婚40周年を機会に今までの人生を見つめなおす老夫婦(ショーン・コネリー&ジーナ・ローランズ)。ある秘密を抱えた男性とその恋人(ライアン・フィリップ&アンジェリーナ・ジョリー)。不倫を続ける女性と、彼女を本気で愛してしまった男性(マデリーン・ストウ&アンソニー・エドワーズ)。嘘の身の上話を語り続ける男性(デニス・クエイド)。離婚が原因で恋に臆病になってしまった女性と、そんな彼女を支えようとする男性(ジリアン・アンダーソン&ジョン・スチュワート)。エイズの末期患者で死が目前に迫った青年とその母親(ジェイ・モーア&エレン・バースティン)。
11人の男女それぞれの人生を描く。

先日この映画を観ました。大して面白いというものでもありませんでしたが、話形としては興味深いものがあります。間違いなくこういう形の話であれば、小説は面白くなるでしょう。この作品が小説が原作かはわかりませんが、話形の研究としては大変よい資料となります。
豪華なキャストが揃っていてそれはそれで大変見所があります。
ショーン・コネリーなんて老人になっても格好がいいですからね、私もこんなおじさまになりたいですな。
一人ひとりに焦点を合わせてみていく。何度も何度もいくつかのカップルの様子を見せていくのです。始めはなんのことだかわかりません。これが最後には全て繋がるのですから、そうして点で言えば一種のミステリでしょう。
この映画は、人間の暗い面を全体的に強調して描き出し、そこから人間同士の絆、繋がりというものを観ていこうとしているのではないかと感じました。
ここに登場するカップルはどれもこれも大変苦労を抱えたカップルばっかりで、片割れがどうしようもない人間だったり、結局そんなのと一緒にいるのも後ろ暗いものを抱えていたりと、まったく見ていてうきうきしません。
しかし、じゃあこれはリアリズムなのかといえば、こんなことはないでしょう。ここまで苦悩を抱えまくった人々ばかりに焦点が当てられているからでもあるでしょうが、実はどこかで繋がっていたなんてことはありはしません。

たぶんこの映画は、落ち込んでいる時や、恋人との仲が上手く行かない時とかに見るとよい薬になると思われます。自分より苦しんでいる人もいるんだと励まされるわけです。全体的に暗く、悲しく、重く。ちっとも面白い要素がない。
でも名優ばかりなので、本当に切羽詰った感じがよくかもし出されているのです。そうしてこのカップルのそれぞれの根底にあるものは、破滅や死といったものです。
ポールは病気で余命幾ばくですし、エイズで亡くなってしまう人も出てきます。うそをつき続ける男、不倫しているカップル、どれもこれも崩壊寸前のぼろぼろの状態でなんとか走っているような感じです。この壊れそうにもろい感覚が、恋愛をした人間であれば共感できるのではないでしょうか。
人生はもろい、すぐ崩壊してしまう。だから伴侶と共に生きていこうじゃないか、そんな風に伝わってきます。
恋愛を多角的に見ることによって、その事実を露呈したということでしょうね。

ポール ショーン・コネリー
ハンナ ジーナ・ローランズ
キーナン ライアン・フィリップ
ジョーン アンジェリーナ・ジョリー
グレイシー マデリーン・ストウ
ロジャー アンソニー・エドワーズ
ヒュー デニス・クエイド
メレディス ジリアン・アンダーソン
トレント ジョン・スチュワート
マーク ジェイ・モーア
ミルドレット エレン・バースティン
ボスコ マイケル・エマーソン
弁護士 ナスターシャ・キンスキー(ノンクレジット)

マンガ「宇宙兄弟」への試論 感想とレビュー 何故売れるのか考察する

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-はじめに-
「宇宙兄弟」は小山宙哉による日本の漫画作品。
講談社の漫画雑誌「モーニング」にて2008年1号から連載中。

小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星イトカワから採取、帰還したのは2010年6月13日である。この出来事に日本は空前絶後のはやぶさブームが巻き起こった。連日、報道では「はやぶさ」の数々の困難や、そこから何とか復旧し無事帰還したことを伝えた。だれもが成しえなかったことを、日本の宇宙科学研究所が成功させたことを皆が誇りと感じたのはつい最近のことである。はやぶさ/HAYABUSA - 2011年公開・はやぶさ 遥かなる帰還 - 2012年公開・おかえり、はやぶさ - 2012年公開と、同じことを題材にした映画が3本も連続して製作されたことからも、その人気ぶりが伺える。
宇宙へ対する日本人の興味はそのままでは終わらなかった。池井戸潤の「下町ロケット」が第145回直木賞を受賞した。これは宇宙へ対する感心が高まっていたこともあると考えられる。そうして大衆文学へも宇宙の魅力は浸透してきた。2011年8月にはテレビドラマ化、2012年3月TBSラジオにてラジオドラマ化され放送された。
2008年から連載されていた「宇宙兄弟」であるが、この未曾有の宇宙ブームの影響を受けて、その作品が脚光を浴びることとなった。そして、その作品の物語が大変うけたのである。

-宇宙兄弟への共感-
ここでは何故うけたのかを考察する。先ず指摘しておきたいのが、現在のことではないということである。近未来を舞台にしている。これは一種SFの典型的な話型であり、近未来だからこそこんなことがあってもいいよねと皆納得できるのである。私は科学分野に広くない人間であるが、理系の人間にとっても、恐らく近未来であれば実現してもいいだろうと納得できるような技術等があるのではないだろうか。
そうして、物語展開であるが、最近人気がある型、主人公が何か専門的なことに一生懸命専念して、様々な困難があってもそれにめげずにクリアしていくというものである。これは池井戸潤の「下町ロケット」と同じ話型と言える。主人公の南波 六太という男が宇宙飛行士という極めて異例で、極めて極端な職業を目指すというもの珍しさがあった。

この宇宙飛行士というテーマであるが、これは一般論で言って少年ならば誰もが一度は夢見る職業である。そのことは作品の中でも言及されているが、まさしくヒーローというものの実例であると考えられる。映画「アルマゲドン」を見た人であれば、ヒーロー像はますます強まったことであろう。しかし、実際に多くの人間が一度はなりたいと思いながら、宇宙飛行士へなるための課程などは殆どの人間が知らないところである。ここに着眼して描かれているから、かつて夢見た宇宙飛行士になるということを、他人がその試練を受けるのを見て共感することができるのである。
共感ということについてだが、テーマ自体にも既に共感させる部分があるということを今説明した。しかし、より共感度が強いところは、やはり南波 六太という男の像である。一般論であるが、兄弟がある人間ならば必ず兄弟に対してコンプレックスがあるということは自明の理ではないだろうか。兄にしても弟にしても、自分のもっていないものをどこかしら兄弟のうちに感じているのである。一人っ子の場合は親との間にそういう感情が生まれるかも知れない。
私が言いたいところは、この兄弟に対してコンプレックスを抱いているという男の像である。そうしてしかも、兄でありながら、非常に強いコンプレックスを弟に対して持っているという部分が今までの漫画になく、新鮮でなおかつ共感できる部分なのである。

兄(姉)がエリートで、弟(妹)の私が引け目を感じているという物語はよくある。だからこそ、それとは全く正反対の立ち居地に居る物語を読んで私たちは新鮮味を感じ、更なる共感、自己投影をするのである。
ここまでは人間関係においての共感を論じた。今度はその人物像である。南波 六太という男は今まで漫画の主役になったことのないような男である。弟が宇宙飛行士として活躍するなか、自分は特にこれといった特技もなく、会社も首になるしと、ちっともうだつのあがらない人物である。しばしば、漫画には六太の心情が現れるが、これらの多くはどちらかというとコンプレックスだったり、マイナスな物が多い。このあまりにもマイナス志向な部分に読者は、どうしてそんなに落ち込むんだよ、もっと頑張れよと応援してみたくなったり、どうしてそう考えちゃうんだよ、俺ならこうするぞと対話することが出来るのである。
漫画の主人公というものは今まで我々一般人が介入できることのない強靭な肉体、精神、能力、意志等をもった人物であった。時には悩んだりするものの、その悩みでさえ自分で解決してしまうほどの強さを持っているのが常であった。この六太はそれとは対極の位置にいる人物である。普通の漫画ならば、弟の南波 日々人が主人公である。つまり、私たちはほぼ初めてといってよいほどに、主人公に共感し、対話をすることが可能となったのである。この魅力が読者を漫画にひきつけて止まないのでないだろうか。

時にはひがみさえ見せてしまう六太であるが、様々な困難に向かい合い、過去の思い出や、弟とのやり取りや、或いは周りの影響を受けてそれらを解決し、より一層高みへと移る。この一つ一つの課題解決に、我々が本当によかったと、すがすがしい感動を覚えるのは、私たちと同じ立場、同じ人間である六太に自己投影しているからに他ならない。
また、登場人物はどれも個性的な面々が多いが、その中でも六太の助けになる数々の中年親父の姿が印象的ある。
宇宙飛行士選抜試験時には、おなじカプセルで共に戦った福田 直人から始まり、JAXAの研究員たちもそれぞれ中年のメンバーが目立つ。物語がさらに進むと、吾妻 滝生の存在が大きい。日々人とのやりとりで次第に南波兄弟に心を開いてくれる吾妻は、少ない日本人宇宙飛行士の最もよき先輩である。彼の寡黙でストイック、しかし時に見せる情の温かみに南波兄弟のみならず、我々も感嘆されてしまうのである。
NASAではブライアン・ジェイ、ジェーソン・バトラー、ビンセント・ボールド等々の強烈な印象を与えた人物たちが南波兄弟を成長させる。特にビンセント・ボールドと六太との関係が最も師弟関係に近く、人生の先輩との対話を我々は目の当たりとすることとなる。

-映画が何故売れなかったか-
ここまで説明した通りの理由で我々が六太に感情移入できるということがわかった。そこで次に何故漫画でヒットしたこの作品が映画でヒットしなかったのかということについて考えてみたい。私は映画を見ていないのでわからない部分が多いのであるが、多くの人間が見に行かなかったということから、つまらないということとは別に何かが存在しているのではと考えて話を進める。
これまで六太と日々人の人間像について話した。そこで映画のキャストと比較してみる。南波 六太=小栗旬、南波 日々人=岡田将生。ここで既に印象にずれがある。我々はどうしようもない人間六太だからこそ、その弱さを共有して愛すことができたのである。ところが小栗旬はどうであろうか。殆どの女性は嬉しがるであろう。しかし、それは実に表面的な部分の感情に過ぎず、このような完璧な男性像は誰も共感できないのである。男ならば、小栗旬に共感が持てるという人間は殆どいないであろう。そうして、弟日々人であるが、岡田将生。彼の印象は私個人の見解で真にそのファンの方には申し訳ないが、自信に満ち溢れているというタイプではないだろう。日々人は意識しないでもやることなすこと全て兄にはナルシストっぽく見えてしまうほど自信に満ち満ちたタイプの人間でなければだめなのである。
だから、六太は大泉 洋のような俳優がよいのである。水曜どうでしょうのようなイメージが強ければ、どうしようもない兄というところに共感を持てた人間は多いはずである。彼がいつもの少し高めの声でひがんでくれればよかったのである。これは完全にキャストを女性の客目当てで起用したためのミスである。
我々はかっこいいヒーローが見たいのではなく、かっこ悪い凡人を見たいのである。

-今後の展開の予想-
物語は主に、課題をこなすということによって進行してきた。だが、そこでは個人の力のみによって成功していくという話はなく、必ずライバルであったり、或いは先輩たちとの交流によって進展するのである。そんななかで、目立つのが、ライバルあるいは先輩たちとの約束である。課題にクリアするとライバルは落とされ、先輩たちは彼等に希望を託す。ここで何かしらの約束が生ずるのである。すでにいくつかの約束が交わされ、果たされている。
この作品のなかでもっとも大きな約束は二つあると考える。一つはもちろん六太と日々人との間での約束である。兄弟二人で月に立つという夢実現である。ブライアン兄弟の話も度々でてくることから、この物語の終末、もっとも重要な場面は兄弟二人で月に立つということであろう。そうしてもう一つは六太とシャロンの約束である。17巻にて、シャロンの方から企画が採用されなかったという連絡があったことにはおどろいたが、すぐに別のプランを考えるという方向になった。六太は恐らくこの約束を果たすということが彼個人での一番大きな使命となるだろう。
この二つを叶えるときに、この物語は終わるであろうと私は予想する。ただし、これだけ人気になってしまうと周りの影響によって、終了させることが難しくなり、続けさせられるということも起こりかねない。
今後注目の期待の作品である。

駒澤大学吹奏楽部 Summer Concert 2012 感想とレビュー 駒大の顔、吹奏楽部の演奏に聞惚れる

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先日6月17日に「駒澤大学吹奏楽部 Summer Concert 2012」に行って来ました。今回は1部2部と分かれての演奏です。
第1部はポップスステージとして“KOMAZAWA EXCITING HOUR”、客演指揮に真島俊夫、客演奏者にエリック宮城を迎えての演奏です。曲目は
1、オーメンズ・オブ・ラブ
作曲 和泉宏隆 /編曲 真島俊夫
2、Theme from“ROCKY"(Fanfare&Gonna Fly Now)(吹奏楽版初演)
作曲 Bill Conti /編曲 エリック宮城
3、ミスティー
作曲 Erroll Garner /編曲 真島俊夫
4、Gelato con Caffe

第2部はステージマーチングショウとして“Playback of Ster's Music"~輝かしき青春のメロディー~
心の旅、いい日旅立ち、セーラー服を脱がさないで、など昭和の名曲から、モーニング娘、AKB48、エグザイルなどからも有名なナンバーが演奏されました。

第一部では、真島さんの紳士的な音楽と、エリックさんの力強いトランペットの演奏が対比的でした。エリックさんは子どもをそのまま大人にしたような方で、技術もすばらしいのですが、存在感も偉大。駒大の部員たちの心を良く掴んでいました。私の友人がトランペット奏者の一人として出ているのですが、エリックさんと同じ舞台に立てたことを非常に喜んでいました。
曲目は全体的に真島さんのおじさまな雰囲気の漂うポップス調のものが多かったです。苦いスプレッソコーヒーを飲んでいるような喫茶店での時間を過ごしているような感覚です。しかし、ちょっと甘い香りがしたり、時にはエリックさんのトランペットがシナモンのようにきいたりするといった具合です。駒大の吹奏楽のメンバーも落ち着いて、伸びやかに演奏していました。

しかし、一転。第二部になると、先ず団長の号令が幕のうちから聞こえてきました。いよいよ始まるぞという興奮と共に、幕がさっと開く。真っ青なライトを後ろから受けて、白と青の光のなかから漂ってきた緊張はこちらを興奮させました。観客が唾を飲む音が聞こえました。
そうして有名なナンバーを披露。日体大に勝るとも劣らない集団行動を、演奏しながらこなすという器用さには驚嘆しました。後でメンバーの一人でもある友人に聞いたのですが、本人たちもはらはらしながら行っていたとか。見ている私もぶつからないかなとか心配していました。

二時間強の演奏時間で、二つの異なった演奏を聴くことが出来る駒澤大学吹奏楽部のサマーコンサート。小さな子ども、高校生からおじいさんおばあさんまで楽しめる演奏となっています。とても厳しい練習を続けてきた団員たちですが、演奏時はその持ち余った元気さを私たちに与えてくれます。今度の演奏会は冬の公演です。冬はしとやかにクラシックの演奏となります。

新藤 兼人 裸の島 感想とレビュー 平凡な日常を描くわけは

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裸の島(はだかのしま)は1960年に上映した新藤兼人監督の日本映画である。台詞無し、350万円の低予算で製作、1961年にモスクワ国際映画祭グランプリを始め、数々の国際映画祭を受賞、世界60カ国以上に上映した。

率直に言うと、初めはつまらないと思った。何故この夫婦は水を運び続けなければいけないのだろう。何故町に住まないのだろう。といった疑問が提示されたが、それらの答えが示されていくというような映画ではない。その状態を前提として毎日毎日水を汲みにいくということの繰り返しであった。その繰り返しのあまりに冗長なのに飽きが来たのである。
初めの二三十分は真につまらなかった。何の発展も進展もないからである。そんな平凡を打ち壊したのが、母が水をこぼして、父がひっぱたいたことである。思い切りやっていたように見えた。演技ではないようであった。この迫真のひっぱたきは、そのため前半で最も大きな印象を残すと同時に、我々に刺激を与えてくれた。
水をこぼすということはどういうことか。貴重な水を苦労して持ってきたのに、それを無駄にしたことへの罰であると私は考える。大事な水をだめにしてしまったどじへの叱責である。だから父がやらなくても本当はよかったはずである。その叱責は自然のものであるから、だれか別の人が他にいたらその人が行ってもよいのである。ただ、この場には父しかいなかったため、仕方無しに母を殴らねばならなかったのである。水が重要であり、それを台無しにしたことが悪いことだという意識があるからこそ、母も黙ってなぐられ、そしてそのまま農作業に戻る。だからここには何か父から母へ、母から父へ心の変化があったとかそうしたものではないだろうと考える。

この叱責があった後、また再び日常に戻ったが、非日常がこの家族に訪れる。鯛が釣れたのである。父と母は初めてここで声をだす。でかしたという気持ちをもって息子を海に投げ飛ばすのである。それを見ている母の笑う姿というのが、この映画で見られる唯一の音のある笑いである。
鯛を売りに町にでるときの格好は一張羅で、いままでとの様子と全くことなるので違和感を感じる。町で遊ぶ家族、観光したり、食堂でご飯を食べたり。町に住む我々からすればそんなことはいまさら家族全員揃って態々いくようなものでもない。そんなことではしゃいでいる人を見ればなんだこいつと思うわけである。しかし、私たちは彼ら家族の現状と普段の暮らしぶりを見て知っているから、この我々の日常が彼らにとっての非日常であるということがわかる。彼らにとっては滅多にないことなのだ。
これ以降子どもたちと町に行ったり、笑ったりする場面はなくなる。だからこれが最後の楽しい場面となるわけであるが、私はこの家族が町で遊んでいるときよりも、鯛を釣り上げたときの方が楽しかったのではないかと感じる。
これは実に自然の心理で、遊んでいる最中より、これから遊べるぞと考えているときのほうが楽しいのと同じことである。だから町へいっても声を出して笑うほど楽しいのではない。彼らは遊んでいる最中に無意識のうちでさえ、この遊び、非日常が終わってしまうことを感じているからである。

また日常が始まる。いよいよ後半となると、物語は急展開を迎える。息子の急病と死である。父と母は凡そこの世の最下層の生活の水準であったにもかかわらず、自分たちの子供にはよいものを与えていた。それは冒頭ご飯を食べる場面から始まり、町で子どもたちの為にいろいろなものを買ってあげている部分からもわかる。両親は苦労してもその苦労を子どもたちにはさせまいとしている親心が随所に感じられるのである。
そんな愛すべき長男が病死する。弟が手を回して急ぐようにメッセージを送る場面から音楽は次第に雲行きの怪しいものとなる。緊張が張り詰めて、手に汗にぎるスリリングさがある。この点で映画に対する音楽の役目がよくわかる。日常、水汲みの場面ではいつも同じ耳につくようなメロディーが緩やかに繰り返される。
ほとんど無声映画のようなこの作品は映像と音楽の勝負である。だから必然音楽の映画へ寄与するところが大きくなる。
息子の死は特に母に大きな影響を与える。医者が間に合わなくて、死んでしまったとき母は声をあげて泣いた。これは息子が死んで悲しいのと、医者が間に合わなかったという悔しさも幾分かあるだろう。だが、最後の母の狂気を考えるとき、ここで泣いたのは自然性に対する無常を感じたからではないだろうか。
死は自然のことである。人間皆死ぬ。しかし今殺さなくてもいいじゃないかという自然への無常に対する悲しみである。

そうすると、最後に葬式が終わった後、農作業中に水をひっくり返し、食物を抜き捨てる母の行為。これは自然性に対する人間としての最後の反抗だったのではと考えることが出来る。母はずっと自然性に耐えてきたのである。自分の生活、自分の住んでいる土地、自分の毎日の仕事。全て自然である。その自然に人間が一人で立ち向かえるはずがない。彼女は子どもという人間性によって救われていたのである。子どもがいたからこそこの辛い日常を耐えてこられたのである。
その息子までもが自然に奪われてしまった。ついにやりきれなくなった彼女は自然性に対して人間性の最後の意地を見せつけようとしたのである。人間として最後になんとか自然に報いてやりたい。こんちくしょうという心持である。こんな馬鹿げた日常は水とともに捨て、自分が一生懸命辛い思いをして育ててきた食物を抜くということによって自然を人間の手で破壊したかったのである。
それを止めようとしないでただ眺めている夫は自然性に従って生きているからである。もう人間として自然に歯向かうことをしないのだ。彼は息子がピンチのときに既に父として人間性を存分に使用している。医者を探す際、連れて帰る際の父の姿は今まで従順に日々の仕事をしてきたのとは大違いだった。だから彼は人間として自然に反抗することはこのときしなかったのである。
そして母は最期に結局自然性に負けた。人間として反抗しても意味のないことを悟り、諦めたのだ。

最後のシーン。二人が耕している姿から島全景へと移行する。ここがもっとも美しい映像だと感じた。なによりも迫力があった。それはこの映画にこうしたシーンが他にないからかも知れない。ただ、人間として自然に対抗するのを諦め、ただ自然に従わなければならない、そんな悲しい農民の姿から雄大な自然を見せられると悲壮を感じるのである。
悲壮とは悲しいながらも、その内に壮大さを感じることである。彼らはただ自然に従っていき続けなければならないということを運命付けられている。しかし、どこかただ流されてしまうというような弱さは感じられない。人間としての強さを感じるのだ。

夏目漱石 「心・こヽろ・こころ」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その十二

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「先生」と「私」の関係
かつては「忠実な弟子」「精神的親子」「精巧なミニチュア」として、オリジナルとコピーのように考えられてきました。そのため、上、中が軽視され、下だけ読めばこの小説の核心がわかるんだと思われてきたのです。
しかし1980年代後半から、「先生」の遺言に対する「裏切り」というラインが浮上しました。
この論争の発起人となったのは三好行雄です。ちなみに高田知波教授の恩師でもあります。
P371ℓ5新潮文庫解説「〈私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此所でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない〉(上-一)と私が語りはじめたとき、明らかに、打ち明けるべき聞き手としての他者が想定されている。先生の秘密を、〈奥さんは今でもそれを知らずにいる〉(上-十二)状態をかたわらにおいて、私はその秘密について語っているのである。先生に対する重大な背信行為ではないか、と問うのはむろん無意味である。」
ここで三好氏は秘密をばらしてはいけないといわれているのにも拘わらず、それを打ち明けようとしているではないかという論は無意味だといっています。これを発起として、いやその意味を考えようという動きが働きました。何故裏切るのかという部分に注目されたわけです。
「奥さんは今でも知らない」という箇所から、奥さんはあの世にいるという論もかつてはありましたが、それは無理な解釈であると考えます。この世にいると考えたほうが自然です。そうでなければ裏切りということにはなりません。奥さんが居る状態でこの遺書を公表することが裏切りになるわけですから。
先生への裏切りとしてP7ℓ4「余所々々しい頭文字などはとても使う気にならない」という箇所も注目されるようになりました。これはKという頭文字を使う先生への批判だと考えたのです。確信犯的に先生に背く「私」という論が活発になりました。

遺書公表問題の検討(引用執筆行為と公表行為)
先ず上に述べたP7ℓ4「余所々々しい頭文字などはとても使う気にならない」という箇所についてですが、たしかにここだけを読むとあのように解釈することが出来ます。しかし、文脈をきちんと捉えてみると、P7ℓ1「私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此所でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない」の後にこの文があります。つまり、「私」にとって「先生」を先生の頭文字の何がしかで示すのは余所余所しいということなのです。頭文字一般をよそよそしいと言っているわけではないのです。飽くまでも親密であった先生に対しての使用は憚られるということなのです。
それに対して「先生」が使用したKという頭文字ですが、これは別に余所余所しいことを表すために先生が使用したわけではありません。ちなみに、Kは一度養子に出されて苗字が変わっていますから、ずっとKと呼び名が変わらないことから見ると、Kはファーストネームとも考えられます。しかし、当時の学生は一般に苗字で相手のことを呼び合っていますから、そう考えるとKはファミリーネームとも考えられます。ここはよくわかりません。ただ、先生にとってKという頭文字を使ってKをあらわすことは何ら不自然なことではなかったということはわかってください。

この小説の最後の時間
この小説の最後の時間、言い換えれば最も新しい時間を考えて見ます。書かれた順は小説の中において下、上、中ということはいいました。しかし、下は原文ではありません。以前にも言ったように、下は 「 で始まり 」 で終わります。つまり、「私」による引用なのです。ですから、最後の時間・新しい時間は、「私」が先生の遺書を引用し終えた時ということになります。
ですから、これから公表しようとしているかどうかが実はわからないのです。引用し終えた部分で終わっているのですから、その後どうしようと考えているかは伺えません。
そして、もし仮に公表しようと考えていたとしても、
無名の人物が無名の人物の遺書を公表できるか
という問題が浮上します。当時はテレビもラジオもない時代でした。公表する手段としては、新聞に掲載、雑誌に掲載、本として発売のどれかしかありません。
ここで区別しなければいけないのが、漱石と「私」です。漱石は実際に大正3年に新聞に掲載しました。ですが、「私」は漱石ではありません。まだ公表していないのです。
小説の現在は矛盾が生じない限り、その小説が発表された時とします。ですから、この小説の最後・新しい時間は大正3年ということになります。そうすると、先生は明治と共に死にましたから、先生の自殺から2年ほど経った頃と言う事になります。
「私」は大学を出て2年。無名の人間と言う事になります。原稿用紙にして200枚ほどの先生の遺書を一体どんなメディアが公表させてくれるのか、こういう物理的な問題が生じます。
この問題をクリアする条件としては①遺書が有名人のものということが挙げられます。しかし、先生はKの自殺のため、世に出ることを止めてしまった人でした。だから全くの無名です。②インパクトがあるものということが挙げられます。この遺書がとてつもなく感動できるもの、或いは残酷なものなどの強力なインパクトがあればメディアは喜んで飛びつきます。しかし、この先生の遺書はだれが読んでもメディアが飛びつくようなインパクトはありません。
つまり、望んだところで物理的に公表できないのです。そしてまた、公表すると決まったわけでもありません。遺書公表問題はそもそも存在しない問題だと考えたほうが自然なのです。

夏目漱石 「心・こヽろ・こころ」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その十一

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前回までのおさらい。この作品はもちろん夏目漱石が描いたものですから、現実の世界でいったら上、中、下の順に書かれました。しかし、作品のレベルで言ったら、下、上、中の順に書かれ、そして「私」が最後に引用として下を書いたわけです。先生の遺書が引用文であるということは下が全て「から始まり、P327の最後で」で終わっていることからわかります。なので、原文ではありません。
「」直接話法が極めて少ない遺書では、先生以外の声が消去されてしまっています。読者は声を聞き取ることができないのです。モノローグ的で、自分は研究されたくないが、他人のことはよく観察しているという人物だということがわかりました。
それに対し、私の手記は「」直接話法が極めて多いのです。

3「私」の手記は直接話法がきわめて多い
手記と遺書は同じ長さ
同じ長さにしたのは「私」
「こころ」はもちろん夏目漱石が書いたものですから、漱石のレベルで言ったら上→中→下の順に書かれました。しかし小説のレベルだと、下があってそれから上、中と描かれたということになります。ですから、下の「先生と遺書」に上、中を加えたのは「私」であって上のことが言えるのです。
直接話法が極端に少ない遺書/直接話法が極めて多い手記
アバウトに見ても、1:10ほどの割合の使用頻度です。これは自分の「手記」が「先生の遺書」に対応していると「私」が気づき、意図的に行ったことだと考えることが出来ます。

遺書と手記の両方に登場する人物=静
若い「私」が、先生の遺書で知っている人物は極めて少ないです。Kも無論知りませんし、奥さんや叔父も知りません。そんななか、唯一例外があります。先生以外に「先生の遺書」に登場して、「手記」にも登場するのは静のみです。
P323明治天皇が死んだとき、先生の妻はなぜ笑ったのか、「殉死」という「笑談」を言ったのか、どんな文脈で、どんな表情で、どんな言い方をしたのか
読者は「先生の遺書」からでは奥さんの声を再現することはできません。ある程度は憶測できるとしても、どんな文脈なのかわかりません。「よかろう」という言い方もするはずがありません。
ここの部分を「私」は想像しているのです。「手記」では「私」が奥さんの声を復元しています。ここから推測しようとしたのです。

手記 「私」の大学卒業祝いの宴を先生が自宅で開いてくれた夜の夫婦の会話
P106ℓ5~「すると先生が突然奥さんの方を向いた。『静、御前はおれより先に死ぬだろうかね』『何故』『何故でもない、ただ聞いて見るのさ。』~『然しもしおれの方が先に行くとするね。そうしたら御前どうする』『どうするって・・・・・・』奥さんは其所で口籠った。先生の死に対する想像的な悲哀が、ちょっと奥さんの胸を襲ったらしかった。けれども再び顔をあげた時は、もう気分を更えていた。『どうするって、仕方がないわ、ねえあなた。老少不定っていう位だから』奥さんはことさらに私の方を見て笑談らしくこう云った。」
この会話は実際、「私」の大学卒業の祝いの席での会話ですから、そんなめでたい時に死の問題を話題にするというのは随分不思議なものです。しかし、ここで死を考えさせられた妻は、話しを笑談に変えてます。この笑談という言葉は、P324ℓ2の遺書にある言葉と同じです。これは「私」が先生の遺書のなかであったものにあわせているのです。
ただ、先生はまだ死の話を止めません。
P108ℓ13「『静、おれが死んだらこの家を御前に遣ろう』奥さんは笑い出した。『序に地面も下さいよ』~先生はいくたとも云わなかった。けれども先生の話は、容易に自分の死という遠い問題を離れなかった。そうしてその死は必ず奥さんの前に起こるものと仮定されていた。奥さんも最初のうちは、わざとたわいのない受け答えをしているらしく見えた。それが何時の間にか、感傷的な女の心を重苦しくした。『おれが死んだら、おれが死んだらって、まあ何遍仰しゃるの。後生だからもう好い加減にして、おれが死んだらは止して頂戴。縁喜でもない。あなたが死んだら、何でもあなたの思い通りにして上げるから、それで好いじゃありませんか』先生は庭の方を向いて笑った。」
この会話全体から何が浮かび上がってくるか
しつこく何度も自分の死のことを言い続ける先生。それに対し笑いに変換しようとする妻。それが次第に、さらにしつこい先生。それに対してついに切れた妻という構図になります。つまり妻は、先生の死の問題が面白おかしくて笑いや笑談にしていたのではなく、強いストレスになっていたものを何とかごまかして笑いに変換しようとしていたことがわかります。
ですから明治天皇の崩御の際、書かれてはいませんが、明治の精神とともに死ぬだとかなんとか言って恐らく自分の死を匂わせた先生に、妻はわざと笑いにしてしまおうとしていた可能性が浮かび上がってきます。
また、「私」の特徴としては、自分の解釈を述べるのではなく、「」使用による資料の提示を優先させています。

さて、御嬢さんの「笑い」についてですが、これを先生をはめるための「策略」であった、それから先生の自殺を可能にしたことへの秘かな復讐のラインで以前見ました。
ですから、先生遺書はある側面で言えば、「笑い」をめぐる物語とも読めます。しかし自分自身、先生についての笑いは触れられていません。先生は飽くまで、妻から自分への笑いしか取り上げていません。しかし、「私」は妻から先生への笑いと共に、先生から妻への笑いも取り上げているのです。
手記 もう一つの「先生の笑い」
P109ℓ12「先生は庭の方を向いて笑った。」上で取り上げたばかりの場面ですが、ここで切れた妻に対して何のフォローもせず、妻を怒らせたことへの反省もしない。妻を見ることさえしない先生の姿が描かれています。
もう一つの笑いはP29ℓ9から始まる子どもについての会話です。「『子供でもあると好いんですがね』と奥さんは私の方を向いて云った。私は『そうですな』と答えた。然し私の心には何の同情も起こらなかった。子供を持った事のないその時の私は、子供をただ、蒼蠅いものの様に考えていた。『一人貰って遣ろうか』と先生が云った。『貰ッ子じゃ、ねえあなた』と奥さんは又私の方を向いた。『子供は何時まで経ったって出来っこないよ』と先生が云った。奥さんは黙っていた。『何故です』と私が代りに聞いた時先生は『天罰だからさ』と云って高く笑った。」
黙った妻に対して、先生は天罰だといって高笑いします。しかし、妻の純白記憶保存をあれだけ唱えていた先生の行動としてはおかしいと考えざるを得ません。天罰だなんて言ったら、天罰ってなんだろうと考え始めるのが通常です。天罰の内容に心当たりがないのですから。そうするとこんなことを言う先生は、遺書との矛盾が生じているということにもなります。
遺書に欠如している先生の笑いは手記によって復元されています。

夏目漱石 「心・こヽろ・こころ」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その十

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前回のおさらい。「 」直接話法が極端に少ないということは、その人物から言葉を取り上げているのではないかと読み解きました。


「先生」が最も人生の中で話したであろう相手K、しかしそのKですら「 」が殆どないのです。
「切ない恋」の告白シーン
P268ℓ5「彼の御嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時」ここでKの声は全く省略されてしまっています。ですから私たち読者はその内容を具体的にしることが出来ないのです。中には恋を打ち明けていないのではないかという研究者もいます。先生が勝手にそう解釈しただけかも知れないのです。
ただ、「先生」にとってこのKの告白は驚きこそしたものの、意外なものだとは考えにくいです。「先生」はもしかしたらそうなのではないかと疑っていたことでしたので、やっぱりそうかという感情だったでしょう。ここで、資料としてのKの言葉を出さないで、自分の解釈を断定する「先生」の志向が見られます。

上野の公園での会話P278~280
整理するとこの上野での会話の一週間後に申し込み、さらに一週間後にK自殺です。
P282ℓ3「策略」「『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』と云い放ちました。これは二人で房州を旅行している際、Kが私に向かって使った言葉です。私は彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです」
ここで「先生」は自分が何よりも嫌いなものであるはずの「策略」を使用します。この「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言う言葉はP253ℓ3に出てきます。千葉県の誕生寺、日蓮が生まれたとされる寺において、「先生」があまり興味を持たずに取り合わなかったのをせめて言った言葉です。
ですから、この「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」といわれれば、他人であれば開き直ることも可能ですが、Kにとってはかなり有効な攻撃となったのです。

禁欲的なKの恋愛観についての説明
P282ℓ10にKの家は真宗だと書かれています。浄土真宗は一般論ですが、人間の欲に対して比較的緩やかです。妻帯、食肉を認め、強い禁欲を求めません。
ℓ12「私はただ男女に関係した点についてのみ、こう認めていたのです。Kは昔から精進という言葉が好でした。私はその言葉の中に、禁慾という意味も籠っているのだろうと解釈していました。然し後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためには凡てを犠牲にすべきものだと云うのが彼の第一信条なのですから、摂慾や禁慾は無論、たとい慾を離れた恋そのものでも道の妨害になるのです。Kが自活生活をしている時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。」
「先生」もお嬢さんに対してプラトニックな恋愛観を抱いています。この点で、「先生」とKは霊肉分離論で共通しています。しかし「先生」は「肉」がいけないものであっても「霊」的な恋愛であればよいと考えています。一方Kは「霊」でさえも「道」の妨げになると考えるのです。この論を恐らく「先生」は同宿以前によく聞かされていたと解釈できます。しかしKは同宿し始めてからは恐らくあまりいわなくなったのだろうと考えられます。

Kの遺書さえ引用されていない 「・・・・・・・という意味の文句」
P303ℓ11「手紙の内容は簡単でした。そうして寧ろ抽象的でした。自分は薄志弱行で到底行先の望みがないから、自殺するというだけなのです。それから今まで私に世話になった礼が、極あっさりした文句でその後に付け加えてありました。世話序に死後の片付も頼みたいという言葉もありました。奥さんに迷惑を掛けて済まんから宜しく詫をしてくれという句もありました。国元へは私から知らせて貰いたいという依頼もありました。必要な事はみんな一口ずつ書いてある中に御嬢さんの名前だけは何処にも見えません。私は仕舞まで読んで、すぐKがわざと回避したのだという事に気が付きました。然し私の尤も痛切に感じたのは、最後に墨の余りで書き添えられたらしく見える、もっと早くに死ぬべきだのに何故今まで生きてきたのだろうという文句でした。」
これだけの遺書であれば、当然引用するという方法もとれます。しかしこの遺書さえ「先生」は引用しないのです。自分の言葉で要約してしまうのです。
P283ℓ15「『馬鹿だ』とやがてKが答えました。『僕は馬鹿だ』」先ほど「先生」に言われたことに対して、自分のことを精神的向上がないと認めたのです。
P285ℓ5「『もうその話は止めよう』~『止めてくれ』~頼むように云い直しました。~『止めてくれって、僕が言い出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。然し君が止めたければ、止めても可いが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうする積りなのか』~すると彼は卒然『覚悟?』と聞きました。そうして私がまだ何とも答えない先に『覚悟、―覚悟ならない事もない』と付け加えました。」
ここで残酷な「先生」の描写がなされています。また、Kの直接話法はここが最後となりました。
P300のKのセリフは直接話法の形こそとっていますが、これは奥さんから聞いた話であって、「先生」が直接聞いた話ではありません。
ちなみに「先生」もKもお互いに対しての一人称は「僕」、奥さんに対しては「私」であることがここでわかります。しかし、御嬢さんに対しての一人称はわかりません。

「研究される」ことを恐れる「先生」/「観察」し続ける「先生」
P200ℓ7「私は家のものの様子を猫のようによく観察しながら、~時々は彼等に対して気の毒だと思う程、私は油断のない注意を彼等の上に注いでいたのです」P207ℓ11「観察したのです」P276ℓ7「私は黙って家のものの様子を観察して見ました」P281ℓ8「私は丁度他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです」
ここからよく他人を観察する「先生」の人物像が浮かび上がってきます。しかしそれと同時に、「先生」は他人から研究されることを極端に嫌ったのです。だから資料として他人の言葉を直接話法として出すことはしません。間接話法にして他人の解釈を入れる余地をなくすのです。そうして自分の解釈したものを絶対化するのです。これは以前言ったよく見えていない状態なのに判断するという「先生」の特色です。「メガネ」の部分で取り扱いました。P261

ダイアローグ(対話)とモノローグ(独白)
一般的にこの二つに分かれます。考える際、他人と対話して、議論をして考えを深める人間と、自分の中で熟考する人間とです。先生は典型的なモノローグ派の人間と言えるでしょう。
「語る」ことと「筆で書く」こと
P164ℓ5「私は已むを得ず、口で言うべきところを、筆で申し上げる事にしました」P169ℓ13「その後私はあなたに電報を打ちました。有体に云えば、あの時私は一寸貴方に会いたかったのです。それから貴方の希望通り私の過去を貴方のために物語りたかったのです」
さて、しかし、語ることや筆で書くことは「先生」が生きている限り対話がなりたちますから、そこには必然反論、意見する余地が生まれます。「先生」はなんとしてでも自分の解釈を通したい人ですからそんなことを許したくはありません。ただ、これを遺書という究極のモノローグの形態にすることによってこれらはクリアできるのです。こうすれば誰からも批判されなくて済むのです。
P24ℓ8「もし私の好奇心が幾分でも先生の心に向って、研究的に働らき掛けたなら、二人の間を繋ぐ同情の糸は、何の容赦もなくその時ふつりと切れてしまったろう。若い私は全く自分の態度を自覚していなかった。それだから尊いものかも知れないが、もし間違えて裏へ出たとしたら、どんな結果が二人の仲に落ちて来たろう。私は想像してもぞっとする。先生はそれでなくても、冷たい眼で研究されるのを絶えず恐れていたのである」
若い私は先生の遺書を読んでから、「先生」が批評されることを恐れていたということに自覚するのです。

夏目漱石 「心・こヽろ・こころ」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その九

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前回、前々回のおさらい。この小説には名前は殆どでてきません。そのなかでいくつか名前のわかる人物がいます。
「先生」の妻の名前は「静」です。これは乃木大将の妻の名前と同じです。
ちなみに、若い私の母は「おみつ」、妹の亭主は「関」です。
自殺できるようになった理由は、明治天皇の死、乃木大将の殉死、自殺という関連付けで、気が狂ったと思われたいということです。
また自殺は妻への秘かな復讐、妻の笑いが自殺のチャンスをつくったのではという読みをしました。

「先生」の死後、妻には頼れるものが一人もいなくなるという疑問。
妻の記憶が純白であったとしても、衣食住が問題なかったとしても、妻が頼れる人間は「先生」以外にはいません。
P219ℓ1「妻は私に向って、これから世の中で頼りにするものは一人しかいなくなったと云いました。」
さて、「先生」の望みは妻の記憶の純白の保存ですから、妻が本当のことを知るリスクは限りなく少ないほうがよいわけです。だとすると、この遺書はリスクになります。若い私あての遺書など書かないほうが安全なのです。「先生」はこれをばらすなとP327ℓ2で若い私に対して命令をしています。
一般論ですが、禁止命令をされると人はやりたくなるものです。まして人間観察をよくしていて、しかも疑り深い「先生」がそれを意識しなかったとはいいきれません。
リスクを負う、禁止命令を出す、これらのことから「頼れる人」としての「若い私」が浮上します。

妻と私の歳の差はほとんどない。
妻は以前行った計算によると乃木殉死時27,8~30くらいとなります。私は小学校8年生、大学卒だとすると20代半ばです。そうするとその差はあっても数歳、ほとんどないということがわかります。歳が離れている、歳をとっていると思われがちですが、実際はそうではないのです。これを念頭においておかなければないません。
P169ℓ14「貴方の希望通り私の過去を貴方のために物語りたかったのです」、P172ℓ7「私は何千万といる日本人のうちで、ただ、貴方だけに、私の過去を物語たいのです。」ちなみに当時の人口は4千数百万人。
P173ℓ12「私の鼓動が停った時、あなたの胸に新しい命が宿る事が出来るなら満足です」
これをよんだら妻のことをほおってはおかないだろうという「先生」の確信的なものが見え隠れします。とくにP173では若い私と先生の奥さんとの結婚を示唆しているようにも見て取れます。研究者の中には、若い私が上中を書いているときには既に先生の奥さんと結婚して子どももいるという説を唱える人もいます。

ラストメッセージ「貴方限りの秘密」(妻には知らせるな)という強制と妻とに間に、「秘密という距離」を要求する「先生」
P313ℓ12「『あなたは私を嫌っていらっしゃるんでしょう』とか『何でも私に隠していらっしゃる事があるに違いない』」
P314ℓ2「私は一層思い切って、有のままを妻に打ち明けようとした事が何度もあります。~その時分の私は妻に対して己を飾る気はまるでなかったのです。もし私が亡友に対すると同じような善良な心で、妻の前に懺悔の言葉を並べたなら、妻は嬉し涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違いないのです。~私はただ、妻の記憶に暗黒な一点を印するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。」
違反しにくい約束、①残された妻を一人にしないでくれ、②妻と秘密を共有してはならない。
両立は大変難しいが、違反しにくい約束を先生は残していきました。しかもそれは先生の遺書のなかの一方的なものなのです。そこには会話が成立しません。死者からの強いメッセージ、呪縛をもったものなのです。

2「先生」の遺書には直接話法が極端に少ない
次に形式に注目して考えて見ます。先生の遺書というのはかぎ括弧が極端に使われないという不思議な構造です。
そもそもかぎ括弧とは、西洋の直接話法からきたもので、古来日本には存在しません。

お嬢さん時代の静
P203ℓ12「御勉強?」P204ℓ5「御這入なさい」P240ℓ7「御帰り」の3つのみ。これらは殆ど意味をもたないような内容ばかりです。
また他の部分を見ても大体内容は伝わります。しかし、大事な部分を「先生」は要約してしまい、読者が聞きたい部分を実際どんなだったのかということを全て隠してしまうのです。
妻時代の静
P313ℓ12「あなたは私を嫌っていらっしゃるんでしょう」「何でも私に隠していらっしゃる事があるに違いない」P316ℓ13「貴方はこの頃人が違った」「Kさんが生きていたら、貴方もそんなにはならなかったでしょう」この4つ、二箇所のみです。
お嬢さん時代に比べれば、多少はセンテンスですが、どのような状況なのか場面を形成しません。
殉死の発言
P323ℓ16「では殉死でもしたら可かろう」これは明らかに妻の発言のままではありません。普段から丁寧語を使用していた静さんが、よかろうというような喋り方をするはずはありません。これは「先生」が自分の言葉に翻訳したのです。ここから読者は重要な場面であるにもかかわらず、詳細な情報がえられないのです。

叔父
財産横領をめぐる直接談判
P189ℓ9「遺憾ながら私は今その談判の顚末を詳しく此所に書く事の出来ない程先を急いでいます」P190ℓ13「一口でいうと、叔父は私の財産を胡魔化したのです」この直接対決の内容はもっとも読者の知りたいことでありますが、それらは一切省略されてしまっています。
叔父の唯一のかぎ括弧
P174ℓ16「よろしい決して心配しないがいい」「確かりしたものだ」ひとつ念頭においておかなければならないことは、魚屋にしてもそうでしたが、ここでも医者が家に来ることがあたりまえだったということです。病気になったらこちらから医者のもとに行くのではなく、医者が家をめぐり歩いていた時代なのです。
この叔父のセリフはP174ℓ14「この子をどうぞ何分」「東京へ」という母のセリフの後に出てくるものです。どうして談判という重要なときにかぎ括弧が使用されずに、この場面のみ使用されているのでしょうか。
P175ℓ3「然しこれが果して母の遺言であったのかどうか、今考えると分からないのです。母は無論父の罹った病気の恐るべき名前を知っていたのです。そうして、自分がそれに伝染していた事も承知していたのです。~疑う余地はまだ幾何でもあるだろうと思われるのです。その上熱の高い時に出る母の言葉は、いかにそれが筋道の通った明かなものにせよ、一向記憶となって母の頭に影さえ残していない事がしばしばあったのです。だから・・・・・・然しそんな事は問題ではありません」
この部分を「先生」は疑惑のもとに考えているのです。今振り返っている「先生」は、母のあやふやな言動を重要な遺書・正式遺言と決め付けたのは叔父の策略だろうと捕らえたのです。
叔父の娘(先生の従妹)の涙
P184ℓ15「従妹は泣きました。私に添われないから悲しいのではありません、結婚の申し込みを拒否されたのが、女として辛かったからです。私が従妹を愛していない如く、従妹も私を愛していない事は、私によく知れていました」P184ℓ3「兄妹の間に恋の成立した例のなりのを」一体ここに書かれている文は、何を根拠に言っているのでしょうか。実に奇妙で、乱暴な断定の仕方です。
この従妹から見てみると、自分の父(先生にとっての叔父)は議員です。ですから土地から一生はなれることのできない運命を決定されているのです。それに対し「先生」は東京で羽ばたくことが約束された人です。毎年夏にしか帰ってこない東京の青年、これに対して全く恋愛感情を抱かなかったと断定はできません。この従妹は実に気の毒な女性・声を封じられた女性なのです。

男女交際が限られていた当時、男女が恋をするパターンは3つ
・男から見ると友人の妹、女から見ると兄の友人
・下宿する男と下宿先の娘
・いとこ同士――漱石『彼岸過迄』この作品では従妹同士の恋愛が描かれています。ですから漱石がいとこ同士の恋愛は成り立たないと考えていたわけではありません。「先生」の独断なのです。

夏目漱石 「心・こヽろ・こころ」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その八

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P325ℓ11「私は妻を残して行きます。私がいなくなっても妻に衣食住の心配がないのは仕合せです。」
「妻に衣食住の心配がない」のは以前と同じです。これは先生の財産のためであります。
余談ですが、当時は女性が職に就くことは難しいことでしたから、専業主婦が夫をなくして今までと変わらず生活できるという例はめずらしいです。

「世の中で頼りにするものは私(先生)よりほかになくなった」という妻の発言と、若い「私」への「信用」
「先生」は遺書の最後で若い私に、この遺書を秘密にしておくこと、遺書の内容を妻に教えてはならないということを命令します。
先生の願いは妻が己の過去に対して持つ記憶の「純白」保存です。もし、「先生」が自殺した場合妻は何故自殺したのかを考え、その結果妻の持つ記憶が汚されるのを怖れたのです。
・本当の自殺理由を妻あての遺書に書けるか
×妻のことは愛していると同時に疑っています。Kの自殺の責任は妻にもあると考えているのが「先生」です。これを妻が悟ってしまってはいけないため書けません。
・嘘の自殺理由を妻あての遺書に書けるか
×P172ℓ12「私は倫理的に生れた男です。又倫理的に育てられた男です。」ただでさえ騙すこと騙されることが嫌いな「先生」には嘘は書けません。ただし本当のことを言わないというのは「先生」の中ではぎりぎりオーケーなのです。
・妻あての遺書なしで自殺できるか
×遺書がなければなぜ自殺したのかと理由を考え始めます。そうすると真相に近づいてしまう危険性があるためこれもだめです。

さて、ここで乃木大将の殉死の直後が「先生」の自殺だという点を考えます。
P325ℓ12「私は妻に残酷な驚怖を与える事を好みません。私は妻に血の色を見せないで死ぬ積もりです。妻の知らない間に、こっそりこの世から居なくなるようにします。私は死んだ後で、妻から頓死したと思われたいのです。気が狂ったと思われても満足なのです。」
乃木大将の殉死に異常な興奮をして自殺したと妻が考えてくれることが満足だと読むことができます。ですからこれが初めて遺書なしで自殺できるチャンスと考えることも可能なのです。整理してみましょう。
明治天皇の死――P323ℓ12「生き残っているのは畢竟時代遅れだ」「もし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死する積もりだ」
乃木大将の殉死――P324ℓ10号外を手にして「殉死だ」の繰り返し
約二週間後――妻あて遺書なしの自殺
これを見ると、妻は「先生」の自殺をどのように考えるでしょうか。おそらくKのことは考えないでしょう。明治が終わり、明治とともに死ぬといっていたな、乃木大将の殉死を興奮して強調していたな、乃木大将の殉死からすぐの自殺だったな、ああそうか明治の精神とともに死んだのかと考えるわけです。
ですから裏を返せば乃木大将の殉死から日にちが経ちすぎてもいけないのです。

ここからは高田知波教授個人の見解になります。
同時に「先生」の妻に対するひそかな復讐というラインもみることが可能ではないかということです。
P94ℓ1「私はこれで大変執念深い男なんだ。ℓ12私は彼等から受けた屈辱と損害を子供の時から今日まで脊負わされている。~然し私はまだ復讐をしずにいる」
ここでの「彼等」とは叔父たち新潟の親戚だけでしょうか。対象は「彼」でなく「彼等」なのです。
「先生」は欺かれた報復に、復讐をするようになるのです。
おじょうさんの笑いに疑いを持っていながらも最終的には告白してしまい、まんまと親子に術中にはまってしまった。この感情があったのではないでしょうじか。

P323ℓ15「妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死でもしたら可かろうと調戯いました。」
P324ℓ1「私は殉死という言葉を殆ど忘れていました。~妻の笑談を聞いて始めてそれを思い出した時、私は妻に向かってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死する積もりだと答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったのです」
この最後の妻の笑いの強調。妻の「笑い」が夫自殺のチャンスをつくりだしたという因果物語ではないかと読み解くことができるのです。
上にあげた「先生」と妻との会話があったからこそ出来た自殺。殉死という言葉を言ったからそれを思い出した。
ここから一つは妻への思いやりで自殺したラインと妻への復讐の思い出自殺したラインとの二つが浮かぶのです。

ガブリエル・ガルシア=マルケス 「百年の孤独」 感想とレビュー 私の一冊 輪廻観を読み解く

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何日か掛かったものの、あまりの面白さのため、一気に読み進めてしまいました。今回の小説はノーベル文学賞受賞作、マルシア=ガルケスの「百年の孤独」。マルシア=ガルケスはラテンアメリカ、コロンビア生まれ。これはスペイン語で書かれたラテンアメリカ文学作品です。
まるでトーマス・マンの魔の山のように、ドストエフスキーの作品のように長大な作品です。しかし、描かれていることは、詳細な心情描写ではありません。ただ淡々と人物とその周囲の出来事を描いていくだけなのです。たったそれだけのことがなぜこんなにも長いのか、それは100年間のある街のある家族の様子を描いたからです。

ラテンアメリカ、南米はスペイン語が通じます。ということはヨーロッパから多くの民族が移民してきたということになるでしょう。そうすると文化圏で言えば西欧文化です。ですからキリスト教、ユダヤ教、イスラム教的な文化が根ざしているはずです。
ここで私がこの小説を読んで思ったことに輪廻観があります。本来この輪廻転生という概念は東洋のものです。人には魂があってそれが肉体を変えながらぐるぐるまわっている。私はこの小説に少し形は変わっていますが、輪廻の世界を感じたのです。
だれでもこの小説を読み進めていく上で混乱するのが登場人物たちの名前でしょう。古くから親の名前や先祖の名前をつけることはかなり多くありました。ですからこれを日本人が読んだら不自然に思いますが、外国ではそこまででもないでしょう。しかしあまりにも、アウレリャーノとアルカディオという名前が使用されます。ここに輪廻を感じるのです。そうしてその名前の持つ不思議な力が描かれています。名前に、言葉に力が宿るという考えは日本の考えです。万葉集一番歌には天皇が娘の名前を聞く歌がありますが、それは名前を聞くことがその人全てを支配するという意味をもっていたからです。そこまでいかなくとも、この小説にはしばしば母ウルスラがアウレリャーノには荒々しさや無鉄砲さ、健康さなどが、アルカディオにはメルキアデスの研究に没頭するような研究者てきな精神、おとなしさ、不健康さなどがあると感じる場面があります。
しかしそれに気が付いても根本的に名前を変革することはないのです。ウルスラだけが気が付いていても、その子どもたちが彼女の意見を無視してしまうのです。
次に繰り返される名前をもった人物たちが、ほとんど悲劇によってそのいのちに終止符を打つということです。それは上でいった名前の問題もそうでしょうが、何度も悲劇が繰り返される。銃殺されるということがほとんどです。しかもその最後だけに拘わらず、メルキアデスの部屋に入って研究を続けることや、女性との情事などいくら経っても変わらないのです。
ここから見えてくるのはアルカディオ家のほとんどの男が同じ運命を辿っているということです。そしてその運命が回るごとにブエンディア家因果は強まっていきます。

この小説は初めにウルスラとホセ・アルカディオ・ブエンディーアの話から始まりますが、すでにここから実は週末がちらりと見え隠れするのです。血の近いもの同士が結婚すると豚の尾が生えた子が生まれるよと母親に脅かされます。結局はこの予言が見事に的中するわけですね。
さて、すでにブエンディア家では豚の尾が生えたものが生まれていたというところから物語りは始まっています。ですからこれ以上血を強めたら危険な状態にあったのです。ウルスラとホセ・アルカディオ・ブエンディーアの間にはなんとか人の子が無事生まれました。しかし強まった血はその子孫に数々に人間離れした能力や運命を課しました。
家系図を見ていくと、これ以上強めてはいけない血が最終的に強まったのは、最後のアマランタ・ウルスラとアウレリャーノ・ブエンディーアの子です。アウレリャーノは豚の尾を生やして生まれてきました。ここでその業の深いものが終末を迎え、マコンドはブエンディア家とともにその姿を消すのです。

さて、この小説には数々の狂ったものが登場します。いわゆる非日常というものです。ただ、ガルシア・マルケスはその非日常、通常考えられないようなことをまるでなんでもない常識のようにさらりと描くのです。これに違和感を覚える人はいるでしょう。
実際彼のこの非日常を日常に描きこむ作風はマジックリアリズムといって、この作品以降他の作品に多大な影響を与えました。
メルキアデスやジプシーを筆頭に、その不思議な世界は始まります。しかしそんな非科学的なものはないと思うものでも実際に存在するものもあるのです。例えばレベーカは土を食べます。こんなのはないと思うひとがいるかも知れませんが、こういう行為をする人は実在します。あるいは感染型の不眠病。家族全員が不眠になる。感染型かどうかは別として、やはりこうした病気があるそうです。
ですからここに非現実だろうと思っていたものが現実だったという発見があり、読者は一体なにをどこまで信じていいかわからなくなってしまうのです。非現実と現実のあまりにあやふやな境界に不安を抱きながらも、その世界に身をゆだねるしかないのです。

この現実と空想が入り混じる世界の中でただ一人としてその幻想からはなれることのできた人はいません。マコンド自体が陽炎の町だという論もありますが、私はそうではないと思います。
ただ、唯一気違いの中で正常にいられるのはウルスラただ一人でした。彼女は作中でピラル・テルネーラとほぼ同じくらいの長生きです。このウルスラとピラルの二つの軸はこの作品を読み解いていく上で重要なものであります。それはただ単に長生きしたからというだけでなく、ウルスラはブエンディア家の中からなんとかその気違いを矯正しようと奮闘し、ピラルはブエンディア家の子どもを生んでおきながら、傍観者として、時には助力者として見守り続けるのです。
ただ、やはりブエンディア家の中の女性もみな気違いなのです。アマランタとレベーカもその因縁の激しいこと。アマランタは最後は死神とも対話できる状態にまでなっていました。レベーカも一生を家の中でくらしました。レメディオス・モスコテはすぐ死に、小町娘レメディオスはまるでかぐや姫のよう。その美ぼうのあまり男性を何人も殺し、最後は天空へと舞い上がって生きます。フェルナンダ・デル・カルピオは後半でもっとも狂っていた人物です。唯一このブエンディア家から離れることによってなんとか気を正常に保ったのが、サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダでしょう。レナータ・レメディオス(メメ)も離れたといえば離れましたが。
要するにこの家族は初代の二人が結婚したときから呪われているのです。

おもしろいなと感じたのはメルキアデスの存在です。初めのほうはジプシーとして出てきましたが、次第にその知識のあまりに人間離れした部分があらわになってきます。彼を神の知恵の象徴だとするとその知識をなんとか知りたいブエンディア家の男は人間。つまり知ってはいけないことを知ろうとした人間は最後にその神の知恵に触れたとき、全てを悟って破滅するのです。ここはキリスト教的な思想を感じます。
またメルキアデスは死の淵に隠れていたりしたこともあり、死んだ後もずっとブエンディア家に現れてはさまざまなことを教えようとします。結局彼が教えたかったことは、彼が生前残した手記の解読法でした。しかしこの手記はブエンディア家の滅亡を示していたのですからメルキアデスも考えようによっては冷たいおとこです。死を予言しておきながら、それを明確にしめさない。中途半端な隠し方をするからブエンディア家の人間は何世代も何世代もその暗号解読に力を注ぎます。そして内容がわかった瞬間滅亡。
この意味は一体何なのでしょうか。浦島太郎の箱でしょうか。死と滅亡の謎を与えておいて、それを解かせる手伝いをしている。
業が深い一族への罰なのでしょうか。それともメルキアデスは死の淵に行ったと言っています。この現実から彼らを助けてあげようとしていたのでしょうか。

このように読み解いていくと、何故この小説が全世界で大ブームとなったのかがわかります。様々な宗教観に裏づけされているからです。だから自分がなっとく出来る価値観がどこかに必ずある。この共感を喚起させる構造と、現実と空想の境界線のあいまいさ。これが読者を読みたいと思わせることに成功しているのです。

映画『ミッドナイト・イン・パリ(Midnight in Paris)』 感想とレビュー 古典回帰について考える

公式ホームページhttp://www.midnightinparis.jp/

2011年のロマンティック・コメディ映画。
ウディ・アレン脚本・監督。

あまり大々的に広告されていませんが、非常に面白い映画です。たまにはこうした人間の内面を描いた面白い映画がみたくなるものです。この物語は簡単に言えば、主人公の映画脚本家ギル・ペンダーがタイムスリップして、彼が黄金の時代と思う1920年代のパリに到着してしまうというお話です。
人は皆それぞれあの頃はよかったとか、あの日に帰れたらとか、時間の不可逆性を妬み悲しみます。かくいう私も100年ほど前に生まれていたら漱石門下に入っていたいと願います。このギルは自分の描く大衆向けの低俗な映画脚本に辟易しています。そうして本当に書きたいものを小説で書きたいと思うわけです。彼はその小説を書くためには芸術の花さいた時代、20年代のパリが最上だと考えるのです。パリは多く人を魅了して止まない不思議な町ですが、彼もその魅力に魅了されてしまった一人です。
彼はタイムスリップによって20年代へ移動します。そこでは数多くの有名な文化人たちが様々な交流を持っていました。ここで面白いのがそれぞれの有名人の演技です。私たちが知っているようなあの有名人が、とても人間味溢れる暖かい演技によって表現されます。
登場する有名人と配役
アドリアナ: マリオン・コティヤール
コール・ポーター: イヴ・ヘック 
ゼルダ・フィッツジェラルド: アリソン・ピル
F・スコット・フィッツジェラルド: トム・ヒドルストン 
アーネスト・ヘミングウェイ: コリー・ストール 
ジョセフィン・ベーカー: ソニア・ロランド 
ガートルード・スタイン: キャシー・ベイツ 
パブロ・ピカソ: マルシャル・ディ・フォンゾ・ボー 
ジューナ・バーンズ: エマニュエル・アザン 
サルバドール・ダリ: エイドリアン・ブロディ 
マン・レイ: トム・コーディア 
ルイス・ブニュエル: アドリアン・ドゥ・ヴァン 
T・S・エリオット: デイヴィッド・ロウ  
アンリ・マティス: イヴ=アントワン・スポト 

ベル・エポック時代 赤い風船(ムーランルージュ)
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック: ヴァンサン・モンジュー・コルテ 
ポール・ゴーギャン: オリヴィエ・ラブルダン 
エドガー・ドガ: フランソワ・ラスタン 


すばらしいですね。確かに誰でもこんなすごい芸術家たちが一同に集まっている時代場所があったなら行きたいです。この映画はそんな不可能の幻想をかなえてくれるという映画です。だから我々が考える理想の世界へ行ってきた人間の話なのです。全部で5日間夜のパリに行くことになるのですが、そのたびごとにパリが見せてくれる情景はめまぐるしく変わります。華やかな宴会であったり、前衛的な芸術家たちが集まって研鑽をしていたり、あるいは美しいアドリアナに一目ぼれしたり。遊園地での楽しいパーティ、恋人とのダンス、さらに昔の黄金時代へのタイムスリップ。
94分という比較的短い映画ですが、これが終わってしまうとまだ観ていたいという強烈な欲求に支配されます。それだけ惹かれるものがあるのです。ギルはパリに恋をしました。そうしてそれを観た私たちもまたパリに恋し、20年代に恋するのです。

冒頭で、知識人のポールとギルは回顧主義、回帰主義について議論を戦わせますが、これは多くの人が納得できるものでしょう。昔がいいのだ、その時代に向かいたいという人と、いや現在がいいのだ、昔のことばかり考えるのは現実からの逃避だ。しかしこの議論の前提には決して昔に戻れないということがあります。この映画はそれを覆すのです。昔に戻ることが可能になったとき、人はどう考えるのでしょうか。
自分の夢が叶ったギル、アドリアナというパブロ・ピカソの愛人と恋に落ちます。このギルというのは現在において、パリには婚約者と旅行にきています。しかし、パリでの二人の価値観の違いが際立ってきます。そうして自分が理想とする時代の女性と付き合います。ここでこの恋が成就すれば彼はこのままこの時代に残って完結するのですが、このアドリアナもまた回顧主義だったのです。20年代の人間からすればエポック時代が黄金時代ということになります。そうしてその時代に行きたいというアドリアナの理想もついに叶えれるのです。
そこでギルはようやく昔のことばかり考えていてはいけないのだということに気が付くのです。昔がいいと思って昔に行けば、やがてさらに昔がよくなる。昔に戻っていくことはきりがなく、それはいけないことだということに気が付くのです。これは我々が考えてもわからないことではないでしょうか。ギルは実際に自分の理想とする過去に行ったから体感しえたことなのです。
ギルはきちんと現実を見るようになります。その結果、婚約者とも合わないことをきちんと認め別れます。これはすごい決断です。ギルは本当の自分とは何か、自分のやりたいことをやるために必要なのはどういう選択か、これを悟ったのです。ですからギルは最後にパリに住むことを決定したのでしょう。レコード屋で働いていた女性、ガブリエルとの邂逅は、最後に彼が決めた人生のよき理解者となるでしょう。
ここから見えてくるのは、回顧主義、回帰主義に何時までも捕らわれていてはいけないよということです。しかしそれはちっとも説教くさくない。古きものもよかろう、それを認めたうえで現代で強く生きていこうじゃないかということなのです。そして芸術とは常に自分と向き合うこと。周りの世界、世間に縛られていてはつまらないよ。本当にやりたいことがみつかったのなら、馬のあわない恋人なんて捨てちまえということです。
雨に濡れてあるくパリは最高だという爽快なラスト。全体を通じて描かれるパリの美しい情景、風景。芸術家たちのめくるめく感情のやりとり。こんなに気持ちのいい映画は実に稀有です。
パリの垢抜けた芸術、洒脱な世界、アコーディオンの御洒落な音楽に心ときめきます。

他の配役、俳優
ギル・ペンダー: オーウェン・ウィルソン
イネス: レイチェル・マクアダムス
ジョン: カート・フラー
ヘレン: ミミ・ケネディ
ガブリエル: レア・セイドゥ
レオ・スタイン: ロラン・クラレ
ポール・ベイツ: マイケル・シーン
キャロル・ベイツ: ニーナ・アリアンダ
美術館の案内人: カーラ・ブルーニ
ホアン・ベルモンテ: ダニエル・ランド
探偵タスラン: ギャド・エルマレ

ボヘミアン・アーティスト - 芸術家や作家であるか、世間に背を向けた者などで、伝統や習慣にこだわらない自由奔放な生活をしている者で上記のロマの多くフランスにおいてボヘミアからやってきたことから「ボヘミア人」=流浪の人と考えられた。ウィキペディアより。

大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年 感想とレビュー ロシアの宝石、まるで400年の時間の旅をしたよう~2~

46、エリザベト=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン《自画像》
ロココにはいると、フランス革命やらなんやらで世界史は大変な変貌をきたします。近代化へのおおきな変革は強く絵画にも影響しました。ところで自画像ってとことんひねくれて書く人と、美化するひととにわかれると思います。美人だなと思ったら自画像でしたよ。ほんとうに写実的に描いたのでしょうかね。写真がないからなんともいえませんが。私も自画像かきましょう。そうしたら世の中に公表できる。
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50、ユベール・ロベール《古代ローマの公衆浴場》
先日行ったユベール・ロベール展。こっちに貸してあげてもいいでしょうにと思うのですが。だって方やロベール専門の展覧会で、方や代表作ばかりあつめた展覧会でしょ。まあここで観られて逆に新鮮でしたが。相変わらず私が好きなユベール・ロベール。やっぱり、ローマの石の文化というのは美しいですね。町そのものが芸術作品のようなんだもの。これは日本ではできませんからね。廃墟の画家として有名ですが、この作品は活気ある人々の生活の場面を描いたものです。でも彼の得意なアーチ型の門、差し込む光などが特徴的です。
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53、ジョシュア・レノルズ《ヴェヌスの帯を解くクピド》
クピドはキューピットという意味です。今回の展覧会の表を飾る作品です。謎が多い作品です。同じようなのが二枚あるようです。このウェヌスという女性のモデルも断定はできませんがいたとか。このクピドはいったい何故この女性の帯を解こうとしているのでしょうか。そもそもここはどこなのでしょうか。赤いカーテンが掛かっていますからベットなのかもしれませんが、背景が室内には見えないのです。岸壁のよう。そしてなんといったもこのウェヌスの性的魅力です。この手のポーズもこんないやらしい構図は珍しいです。そうして大事な顔の左半分を隠してしまっているのですから、やはり珍しい。片目の訴えかける力はとても強いものがあります。どこかゴヤのマハのような雰囲気を彷彿させます。そしてあらわになった胸。まさしく性の象徴です。どこか妖艶な性がただよっています。ウェヌスは小悪魔的な魅力を感じます。
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58、オラース・ヴェルネ《死の天使》
これは今回の展示会の中で最も印象に残った作品の一つです。なんてきれいな絵なんだと思ってみたらとても恐ろしいものがモチーフでした。死です。ですが、その死の描かれ方が他の死をモチーフにした作品とは大きくことなります。髑髏をいれてみたりとかそういうものではない。死そのものが具現化した天使が態々迎えに来ているという絵です。よくこの死というものを描ききったと思います。画家の力量を推し量れます。死の天使はとても恐ろしい印象を与えると同時にまた、羽の生えていることからも神に仕えるものであることがわかります。しかも天上からの光とともに迎えに来ているのですからやはり、悪魔的なイメージはなく、神的な感情が溢れています。絵の構図も非常に明解ですし、物語性がよく現れています。祈り続けているのはこの天に召される女性の旦那、恋人でしょうか。やすらかな顔をした女性が死というものを如実に語っていると思います。
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62、フランツ・クサファー・ヴァンターハルター《女帝マリア・アレクサンドロヴナの肖像》
第4章、19世紀ロマン派からポスト印象派まで、進化する世紀では今までの写実的な画風のものと並列して印象的な絵が現れてきます。これは王宮画家の作ですから徹底した技術に基づいた写実です。アレクサンドロヴナは1824年の生まれで、描かれたのが1857ですから33歳のころですか。なんの知識もなくてこれを見たときはなんて美しい女性なんだと感じました。全身を白で纏い、清楚さを感じます。ただ、あまりに白すぎる肌はどこか病的なものも感じさせます。ところどころに散りばめられた贅沢な真珠。しかし基調としている白と相まってか、全くいやらしさを出しません。これが女帝ですからね、本当にこんなに美しかったのか、画家によく描かせたのではと疑ってしまいますが、どうなのでしょう。ただ、この女性は絵からかもし出されえるどこか不安的要素をその人生をもって証明しているのです。つまりあまりよい人生とはいえませんでした。
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64、レオン・ボナ《アカバの族長たち(アラビア・ペトラエア)》
ボナはアカデミックな画家です。どうやら実際に現在のヨルダンに行っています。そこでアカバの人々と触れ合い感じたものがあったのでしょう。私はこれをみて、アラビアのロレンスの世界だと感じました。それから私は実はアラブ首長国連邦に4年間滞在していたことがありますから、そうした点でも親近感が沸くのです。ここらへんから、写実至上主義というものはなくなり始めるのでしょうか。とても力強い絵ですが、人々の顔は判然としません。後ろにそびえる岩山も力強く描きすぎているせいか、そちらのほうが強調されているように思われます。
すいません。写真が見つかりませんでした。

65、ジュール・ルフェーヴル《洞窟のマグダラのマリア》
これは最高のエロチシズムではないでしょうか。こんなに妖艶で甘美な、まさしくエロスの象徴をなかなか眼にすることはできません。しかも宗教画ときた。マグダラのマリアは新約聖書に出てくる女性で娼婦です。ですからこれは彼女の改悛前、娼婦であったころの絵ではありませんかね。背景が洞窟ですし、これからことが始まろうとしているような、時間的な連続性とでもいいましょうか、まさしく次の瞬間にはエロスの塊になるという予感があります。精緻な筆使いで描かれていて、赤い髪のはらはらと広がっている姿も性的です。しかし肝心な顔が殆ど隠れてしまっている。ここにチラリズムを見出せます。身体を悶えるようにしてエロスの究極の状態を示しておきながら、顔が見えない、ここに彼女の全てを知ることができない我々の葛藤があるのです。これはキリスト教徒がみたらおこるでしょうね。当時から賛否両論に分かれた作品だそうです。
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71、クロード・モネ《霧のウォータールー橋》
モネのウォータール橋連作の一つ。どうやらウォータールを描いた作品は42点もあるようです。モネはつねに同じものを何度も何度も別の視点から描き、この世界の移りゆくとめどない世界を記録しようとしました。この絵も霧、その他あらゆる自然現象をなんとかとどめようとして描かれたものです。こういう絵をみてしまうと、シャーロックホームズの霧深きロンドンの夜、夜明けを思い出しますね。工場からでる煙のせいか、あるいは自然現象も相まってか、橋はかろうじて目にすることができます。橋の下を通る小さな船。ここには永遠性が感じられます。朝か夕方かわかりませんが、その霧の一瞬の変化を捉えることによってそこには普遍性と永遠性が記録されるのです。この絵の前に立つと少し肌寒くなったのを感じます。
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78、アンリ・ルソー《ポルト・ド・ヴァンヴから見た市壁》
税関使ルソーの素朴な絵です。他の作品と比べて非常に小さな作品です。しかし原田マハさんの「楽園のカンヴァス」を読んで以降ルソーが大好きになってしまった私には彼が描いた絵と直接会うことが出来てとても感動しました。曇り空があまり快活さをあらわしません。ルソーにしては元気の感じられない作品です。人も申し訳程度に3人います。なだらかな丘がいくつもつらなっています。これは恐らく税関使として働いていたころ見ていた風景の一つではないでしょうか。決して美しい風景とはいえませんが、彼はこんな日常の風景に愛着を感じていたのでしょう。
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84、アンリ・マティス《赤い部屋》
写実と印象の後にはアンリ・ルソーに見られる素朴派やアンリ・マティスの野獣派(フォーヴィスム)が生まれました。彼は1869-1954で、この作品は1908年ですから中期の作品と呼べるでしょう。今回の目玉に一つであるこの絵画はマティスが新しいアトリエを持ったときに描かれたものです。180×220㎝ですからかなり大きい。しかもそれまでにあったキャンバスの企画から大きく外れる正方形に近い形をとっています。陰影や遠近法といったものを全て排除。しかし心象を描くのではなく見えるものをそのまま描く。この全体の基調となる赤とそれに対比して描かれる壁の模様、壷などの青が美しいです。彼はほとんど絵の具を混ぜません。原色のまま描くのです。そすして左上の窓の位置が絶妙。中心より少し低めにある黄色い果物たちのバランスもすばらしいです。この絵はまさしく完成した構図です。色彩もストレートで野獣的なのです。
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本当は全て何かしら一言はつぶやきたいのですが、まあ私は美術を読み解くのは専門ではありませんからこのくらいにしておきましょう。私が伝えたいところはただ、美しい絵が世の中には存在して、それを直に見る機会があるのだよということだけなのです。


大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年 感想とレビュー ロシアの宝石、まるで400年の時間の旅をしたよう~1~

大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年のホームページ http://www.ntv.co.jp/hermitage2012/
7月16日まで。平日に行くことをお薦めします。

先日エルミタージュ美術館とセザンヌ展とを見に行ってきました。そうすると半券で割引されますから、公募展は全てワンコイン。ワンコインであれだけの現代美術が鑑賞できるのですから、しかもアイデア盗み放題(本当はいけませんよ、だからインスピレーションを受けに行くとかいっとけばいいのです)、これは一日がかりの大仕事でした。
私は美術館はやはり国立新美術館が日本で最も好きです。とにかく本格的に、熱っしんに芸術に向き合っているという感じがものすごくします。セザンヌはあとで語ります。
エルミタージュ展ですが、もう知らない画家はいないくらいというほど有名な人々のオンパレード。その豪華絢爛さたるやロシアの宝石という言葉でいいあらわせるのではないでしょうか。これはものすごい贅沢な展覧会です。
それに呼応するように、美術館側もかなり本腰を入れてきています。壁の色をこだわり、各ブースごとに空気感を変え、様々な工夫がなされていました。より私たち観客が作品と親しみあえるようにという気遣いを感じられます。
400年分ですから、この時代はあまりわからないという人でも他の時代があります。私はバロック時代やロココが好きですが、ロマン派やポストロマン派を見てしまうとこっちもいいなと目移りしてしまいます。今回私が最もおどろいたのはやはりアバンギャルドの世紀かな。なんとあのアンリルソーの作品もきていましたよ。

1、16世紀、ルネサンスの絵画はその殆どが宗教画です。私は中高がミッション系の学校でしたので、そういう知識はかなりあるほうです。だから私にとっては面白いのですが、それがわからないとちょっとつまらないかも知れません。いきないイエスキリストから始まりますからね。ティツィアーノ・ヴェチュリオ《祝福するキリスト》あの左手の宇宙を支配する球体が欲しい。
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9、レオナルド・ダ・ヴィンチ派《裸婦》
これは前回の記事にも載せた裸のモナ・リザですね。どうせならダヴィンチ展のほうに貸してあげてもよかったのではないかなとも思いますが。ダヴィンチ展のものと非常によく似ていますが、こちらは女性性が強く現れています。性的なものというよりは母性に近いものを感じます。柔和な夫人が裸でこちらを見つめているという感じですね。
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11、アレッサンドロ・アローリ《キリスト教会の寓意》
これを見ても私も一体何が寓意なのか全くわかりませんでした。タオルでもなければ花でもない。真っ青な服?幼子はイエスでしょうが、女性はマリアか?花の冠はなんだっけ。
解説を見るとこうあります。ヴァザーリが語ったそうです。「アーチの基部には、女王に花の冠を載かせようとするキリストの絵があらわされているが、これは、キリストが旧いユダヤ教会を退けて、忠実なキリスト教徒からなる新しい教会と婚約したいという物語の宗教的意味を暗に示している」そうするとこの女性は教会の象徴ということです。ですが、それでも異様です。なぜこの女性はここまで思わせぶりな顔をしているのでしょうか。日本のお札の肖像がよろしく、右半分の影は尋常ではありません。ものすごく深く、暗い顔をしています。そして明るみになっている顔もどこか性的なニュアンスが感じられます。サタンの要素も入っているのでは。
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15、ソフォニス・アングィソーラ《若い女性の肖像(横顔)》
先ず思ったのが、おばさんじゃないかということです。ちっとも若く見えません。どうもあごのあたりがたるんでいるように見えるのです。これは恐らく貴族ですから、それだけいいものを食べていた証拠かも知れませんね。ところで眼を見張るのがなんといっても彼女の服装です。豪華な刺繍がふんだんに散りばめられています。とても写実的で、古代衣装の研究者たちの参考にもなるとか。髪飾りやネックレス等の宝石もその気品をうかがわせます。手に持った壷には三本のカーネーションが刺さっています。これは結婚を意味するのだとか。カーネーションは色々な意味を持ちますからわかりません。ルソーが描いたカーネーションは詩人のための花として描かれていますしね。
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22、ダニエル・セーヘルス、トマス・ウィレボルツ・ボスハールト《花飾りに囲まれた幼子キリストと洗礼者ヨハネ》
17世紀バロック時代です。16世紀が天才の時代だとしたら、この時代は全体として芸術が全面的に芽生えたということでしょうか。華やかさが増し、どこか王朝的な、みやびな世界観を味わえます。この作品では美しい花々に囲まれたイエスとヨハネが描かれています。この花が実に美しいのです。バラは薄いひだが何枚も重なってまるでそこにあるかのような立体身を帯びています。色彩も鮮やかですし、よく計算された構図です。解説にはこれらの草花は将来のキリストの苦難に関係するものとあります。たしかにヒイラギなんかは痛々しい印象を与えます。全体に棘があるのです。きれいなものには棘があるのですかね。
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28、カレル・ファン・デルマン《愛の園》
これはエロティシズムを具現化したようだと感じます。解説には様々な寓意が込められていると詳細に説明なされています。ただ、この夢想的な愛欲というものが当時受け入れられていたのですからやはり黄金時代なのでしょうね。皆が裸になっていることなんてありますか。もしあったら大変なことになっているでしょう。ここでは男女の醜い争いはまったく感じられません。あったとしても恋の駆け引きといったところです。
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30、ニコラス・ファン・フェーレンダール、カスパー・ヤコプ・ファン・オプスタル(1世)《ヴァニタス(はかなさの寓意)》
意表を突かれた作品です。美しいと思ってよく見ていると、どこかはかないという感情が芽生えてきます。よくよくタイトルをみると納得。花もきれいだ美しいと思っていたら、なんだか枯れかけていて萎れています。いくつか地面におちてもいます。子どもたちも天使みたいだと思っていたらなんだただシャボンだまで遊んでいただけだ。シャボン玉はだれが考えてもすぐにわかるように、きれいですが、すぐに割れてしまいます。この絵には、人間の美への欲求が描かれていると同時に、自然の摂理、あるいみでは冷たさを描いているのです。はかないものこそ美しいという人もいますがね。私は長くのこるものこそ美しいと思う人間です。
画像がありません。すみません。

37、ウィレム・クラースゾーン・ヘダ《蟹のある食卓》
これはいかにこの画家の技量があったのかということが如実にわかります。こんなに迫真な静物画は滅多に出会えません。この絵を覆っている緊張感がなんともたまりません。金属と金属が重なり合ったときの甲高いおとが聞こえてきます。それでいて細長いグラスが割れそうで少し怖いですね。レースが金属質なものの雰囲気を和らげてくれますが、それでもシルクですから光沢があり、温かみにかけます。光が左上から差し込んでくる様が食器を照らしています。
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レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想 展 感想とレビュー ダ・ヴィンチに観る女性性とは

レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想展のホームページhttp://davinci2012.jp/
6月10日に終わってしまいました。もっと早くに記事にするべきでしたね。
先日読んだ原田マハさんの「楽園のカンヴァス」(の記事)http://hennkutubunnkazinn.blog.fc2.com/blog-entry-194.htmlは手に汗握る絵画ミステリでした。同時に感じたのはダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだような感動だということです。そんなわけでダ・ヴィンチ展に行ってきたわけですが、まあちょっと私は不満です。
いつもそうなのですが、Bunkamuraは混みすぎ。ボストン美術館展もひどかったのですが、ここもひどい。文句言うなら記事にしなければいいのですが、まあこうした指摘もたまには必要でしょう。何かしらの対策を打ってもらわねばならぬのです。それからダヴィンチの有名な絵もきてないのが残念でした。フェルメール展のときかな、あのときもフェルメールの作品が3点くらいしかなくて残念に思ったことがありました。頑張れBunkamura。本当は好きなんですよ、オーチャードホールの演奏会にはよく行きますし、図録も一枚一枚詳細に説明がなされていてすばらしいのです。だから愛のムチです。期待するから批判するのです。

今回の展覧会は美の理想という名の通り、ダヴィンチの理想を追い求めた展示会です。これはかなり難しい命題だと思います。この展示会ではダヴィンチやその弟子たちが描き続けた女性性の理想を追い求めたようです。
ですが、有名な話ダヴィンチがバイセクシャルだったのは事実です。ですから女性性のみが彼の美の理想だったのでしょうか。私は男性性にも彼の美の理想はあったと思うのですがそこはどうなのでしょうか。

ダヴィンチが求めた女性性の美しさは優しみ、慎ましやかさ、微笑み、物憂げ、透き通るような肌、柔和など言葉では言い表されません。ですが母性という言葉に集約できるのではないかと私は考えます。
どの絵をみても感じることはうら若き女性の性的なものではないのです。おちついてみていられる。はらはらしないということは、絶対的な安心、信頼がもてるからなのではと考えました。強いて言うなら母性を讃えた若い女性が展覧会の前半に位置づけられています。
その中でも最も完成したものが、《ほつれ髪の女》です。20数センチ四方の小さいな板です。単純な線と陰影をつけただけでそこには女性性の全てが抽出されるのです。
レオナルドの芸術論には「頭部を描く場合は、その頭髪が、若々しい顔の周りの風に合わせて動いているように描くことだ。その際、顔の周りを優美に飾る髪の癖も描かなくてはならない(『絵画論』ウルビーノ稿本)」とあります。ほつれ髪は今で言えばパーマをかけた状態ですよね。こうして考えてみると、ストレートな髪よりも、ややほつれ柔和な線を描くことによって女性性、優しさ、寛容、など全体的にふんわりとした印象が出ます。だからパーマをかけるのですかね。
図録の論では筆舌に尽くしがたいと言って《モナ・リザ》《最後の晩餐》をも凌駕するとしています。物凄い評価ですが、確かにこの簡素な絵の中に全てが描かれているということを考えると納得できます。言葉で言えば、いくら長上な散文を書くよりも、詩でずばっといってしまうということに似ているのでしょうか。
真理とはしばしば単純のなかに現れます。
《ほつれ髪の女》(1506-08)
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今回の展示会で最も面白かったのが、《モナ・リザ》が何人もいたということです。絵画だけでもダヴィンチが描いた《モナ・リザ》の模倣作が5点並んでいましたから、ようは五人モナリザがこちらをむいて微笑んでいたわけです。ちょっと怖い。
レオナルド・ダ・ヴィンチが生きているうちからこれほど絶大な人気を誇る人物だとは思っていませんでした。特にモナリザはその作品が世に発表されると同時に高い評価を得て、貴族や王族、画家、さまざまな人々を魅了したようです。完成してからすぐに、王族貴族たちはモナリザがほしいからといって自分のお抱えの画家にモナリザの模倣をしてくるように命じました。その結果がこのようにモナリザが大量に発生するということに至るわけです。
よく考えてみると数年前に行ったボルゲーゼ美術館展でみたラファエロの《一角獣の貴婦人》もまたモナリザの影響を受けた作品でした。構図、特に女性の身体の傾け方が全く同じなのです。そうするとやはりここにも女性性が現れるのでしょう。
少し斜めに坐り、こちらを見つめる。たったこれだけの行為がなぜ女性性を如実にあらわすことになるのでしょうか。男がやらない格好だからでしょうか。謎は深まるばかりです。

アイスワースのモナ・リザは顔が若いのです。背景もなんだか変。特に木の形があやしいです。これはダヴィンチの《モナ・リザ》に比べて若いぶん、性的な印象を受けるせいでしょう。ここには母性を感じられません。
エッキングのモナ・リザも顔のパーツが微妙に違う。これを論じるのは非常に困難ですが、敢えて言うのなら優しさのみのようになってしまったのでしょう。奥に潜む感情があまりないように感じられます。
アンブロワーズ・ドゥボアのモナ・リザ。これがやはり一番ダヴィンチのモナ・リザに似ていると感じます。ただ、技法が本物と違うのです。こちらが一般的な描き方なのに対し、本物のモナリザは薄い層を何度も重ねていくような描き方をしたそうです。
作者不明のモナ・リザ眼が違うのです。なにかつりあがったような感じです。ここには全てを受け止めてくれるような女性性がありません。まだ若いのです。
アンブロワーズ・ドュボア《モナ・リザ》1600年ごろ
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もう一つ気になるのが、裸のモナリザです。身体はさらに横を向き、顔はさらに正面を向く。なんともぎこちない体制です。髪型もくりくりのものに変化しています。
《裸のモナ・リザ》はどうも私には女性に見えないのです。しかも若い女性らしいですからね。もしこれからだを隠したら若い男性に見えませんか。もしかしたら確信犯的に描いたのかも知れません。ただ、それにしてもどうしてこの裸のモナリザというものが出始めたのでしょうか。何故描かれる必要があったのか、これが謎なのです。裸にする必要性。一体何なのでしょう。
裸でいて特にエロチシズムは感じない。それよりかはどこか男性的な強さを感じてしまいます。
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近代洋画の開拓者 高橋由一展 感想とレビュー 由一が見た世界に触れる

近代洋画の開拓者 高橋由一展のホームページhttp://yuichi2012.jp/6月24日まで。皆急げ!

誰もが知っている高橋由一。《鮭》《花魁》などは教科書にも掲載されています。その点で日本では最も有名な画家なのではないでしょうか。しかし、高橋由一という人はあまり知られていない、これが現状でしょう。この展覧会の目的の一つにも人高橋由一を知ってもらいたいということが書いてありました。
さて、高橋由一はこんなに有名なのだから職業画家かと思ったら、本格的に画家として活動できたのは40歳ほどからなのです。
高橋由一は(1828-1894)ですから、丁度40のときに明治に変わりました。ではそれまで何をしていたのかというと、彼は武士の出身でした。ですから家業で忙しかったのです。
由一は20代半ばで洋製石版画を見たといわれています。その際彼が感じたことは「真に逼りたるが上に一つの趣味がある」と残されています。それまでの水墨画から狩野派から、日本は凡そ写実という方向へ向かわない絵画でした。由一はどうしたら写実的にものを描けるかということをずっと考えていたようです。
それから川上冬崖、チャールズ・ワーグマン、フォンタネージに次々と師事し西洋絵画へと目覚めていったのです。
彼の作品全般に言えることですが、由一はあまりにもそのものの迫真性、質感表現を追い求めるあまり、全体としてバランスが取れていないということが指摘されています。彼の最後の画業《浅草遠景》《山形市街図》などは私の師の北野良枝教授の言うところでは空気感や光の表現へ重点が置かれるようになったが、迫力や熱気が失われてしまったようだことです。

私がかつて獲った賞、上野彦馬賞という写真の賞があります。この上野彦馬は坂本竜馬を撮ったとして有名ですが、そうするとこの湯一の時代には既に写真があったということがわかります。では何故写真というこの上ない写実的なものがあるのにも拘わらず、彼は写実を求めたのかという疑問が湧きます。当時の写真は定着が弱いため、時間が経つと消えていってしまったのです。ですから永続的に残せる油絵を由一はすばらしいものとして生涯をささげたのです。なので現在では写真の定着がいいですからね、裏返すと写実的な油絵の意味はあるのということになってしまうのです。これは絵を描く人間である私にとっては厳しい命題です。

今回の展覧会は実にすばらしいものです。私はボストン美術館展の後に行ったのですが、同じくらい満足しました。さすがは芸大だと感じましたね。美術館自体はそこまで広くはありませんが、今回の由一展は彼の作品がかなり展示されていました。彼の作品の殆どではないかと思います。順を追って彼の若い頃の練習帳などから、晩年への油彩の移行がとてもわかりやすく並べられています。
ボストン美術館展の大混雑振りに比べると非常に落ち着いて彼の作品と対峙できました。
由一は(1828-1894)に生きた人間です。そして以前の記事でも紹介した私の好きな画家アンリ・ルソーは(1844- 1910)、非常に近しいですね。一方由一は写実を目指し、他方ルソーは素朴派とよばれる印象画を目指した。この二人はどうして同じ時代に全く反対の方向へ向かっていったのでしょうか。この二人の比較研究も面白いでしょうね。由一には何が見えていたのでしょうか。


作品をいくつか観ていきます。
《鮭》明治10年頃
この鮭というのは当時からとても評判があった作品のようで、何枚も描かれ売られたようです。この展示会では芸大が所蔵している3点の鮭が展示されています。てっきり一匹しかいないものだと思っていたので、三匹もいてびっくりしました。切り身でない鮭も存在したそうですが、切り身のほうが人気があったとか。ぱっとみると本当に鮭があってにおいがただよってきそうな感覚に襲われます。由一晩年の作品は、彼の写実の大成といえます。今回はどうしても図録が欲しかったのですが、その理由はこの鮭の等身大のポスターが付いてくるからなのです。これがそうです。芸大もなかなかしゃけたことをします。
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《花魁》明治5年(1872)
非常に有名な作品ですが、未だに謎に包まれたことが多いのだとか。これを間近でみるとわかるのですが、服装やかんざしの質感はまさしく迫真であります。服のけばけば感のようなものがとてもよく現れています。由一はこれを描くに当たってこの花魁「小稲」にかんざしをこれ以上させないほどさすように注文したようです。当時この小稲はまだ18ほどの若さだったそうですが、この絵を見る限りそうとは思えません。しかも弟子の回顧録には、この完成を見た小稲は泣いて怒ったといいます。ここには由一の写実に迫らんとするがあまり全体のバランスが崩れてしまったという弱点があらわれているのです。確かにあまり美人には見えませんよね。
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《山形市街図》明治14-15(1881-82)
これは写真を使用した作品です。私のようなアマチュア画家は写真を見ながら絵を描きます。これが私にとっては当たり前になっているのですが、当時は違いました。ですからかなり革新的なことだと思います。山形市街は交通の要衝として、これからの発展をするための宣伝用として由一にこの絵を描かせたということがわかっています。由一はこれを先ず写真で撮りました。展覧会では当時の写真も展示され由一が実に忠実に描いたのかが観て伺えます。
ただ、一つ不思議なことがあります。それは大通りを歩いている人が殆ど奥のほうを向いているのです。かなり奇妙です。物凄くこわいともいえます。写真には動くものは写りませんから、歩いている人は写真に残らないのです。ですからこの絵にある人々は皆由一が独創で描いたものですが、彼はどうしてこう描いたのでしょうか。意図しているのか、或いは無意識なのか。どちらにしても怖いのですが、私はここに由一が感じたなにか悲しいものがあるように思われて仕方がないのです。晩年ですから、50代を過ぎた由一は一体何をおもったのか、これが非常に気になります。
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博物図譜というそうですが、魚や植物を写実的に描いたものが多く展示されていました。魚はおどろきました。本当に写真のように描かれています。ですからあの《鮭》は偶然ではなく、こうした地道な積み重ねがあったゆえのことなのだなという実感がいたしました。それから由一の人物像の作品群は非常に貴重なものではないでしょうか。写真では残らない色があるわけです。大久保利通、岩倉具視、西周など著名な人物がこんな風貌だったのかと思い、長い歴史に心をはせてしまいました。よく人物の内面が現れていると感じます。
有名なのは《日本武尊》《甲冑図》《芝浦夕陽》。特に甲冑は金属の質感が際立っていて、美しいです。
私は由一の描いた風景画も大好きです。《黒水桜花輝耀の景》どこかくらい感じがあるのですが、その中を左上から右下へかけてしたたる桜の花が美しい。どこか無常といったような思想が表出されてきているのではないですかね。
《黒堤桜花》《滝之川紅葉》これは非常に美しい。その場を空気ごと閉じ込めてしまったようです。
まあこんなに論じておいてなんですが、百聞は一見にしかずですよ。
最後に、鮭のアクセサリを買ってしまいました。どうですしゃけ(れ)てるでしょ。無理があったか。
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閲覧累計一万人突破!おめでとう 偏屈文化人より感謝 歌を贈ります

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累計の閲覧者数がついに一万人を突破しました。ありがとうございます。このブログを始めたのが昨年の9月ですから、凡そ10ヶ月の期間を経てのことです。ひとえに皆さんの応援の賜物だと感謝しております。
またこの数字が私への最上の励ましとなります。自分の意見、主張これらに耳を傾けてくれる方々がこんなに大勢いるのかと感じました。これをよき糧として、更なる近現代の文藝、作品を取り扱い、考察していきたいと思います。
今後は皆さんともっと相互にやり取りができるようにして行きたいです。どうか一言でもメッセージをいただけると、非常に参考になりますので、よろしくおねがい致します。
今回は私の感謝の気持ちを歌にして贈ります。和歌は下手です。きっと漱石先生に見せたら不味いの一言で終わるでしょうね。まあいいや。

雨上がりの夏の日に、公園にて詠める。
一、雨降りて 心地よし風 清々し ほけきょほけきょと 鳴(こゑ)にそばだて
二、静寂の 空と風とを はこびにし 雨の上がりて 鳥を聞くらむ
三、ぴろろろと 囀る口(こゑ)に 心置き 筆をとめいて 耳澄ますらむ
四、露(つゆ)になり めずらしき鳥 時鳥(ほととぎす) 今何故鳴くや ふと思ほしき
五、清らなる 風と共に 参りにし 君の声音の 美しきこと
六、遙かなる 我が学び舎の 深緑の 奥に秘めし 鳥の声聞く
七、麗寂の 高貴なる声 すずらなり 彼(か)に聞きそめし あの人の声
八、朝ぼらけ 深き緑に 眼を遣りて 感ずるものは カタルシスかな

映画『home』を観て 感想とレビュー ひきこもり、我々は知ったかぶっていた

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ドキュメンタリー映画です。2001年の作品で、映画業界ではかなり話題を読んだ作品です。またその内容から、現代心理学を読むとく上においても重要な作品です。知らない人も多いでしょうから、先ずは作品の紹介と概要。次にこれを観て私が感じたことを記します。
労働新聞 2003年1月1日号 15面・文化http://www.jlp.net/letter/030101a.html
「home」監督 小林 貴裕さん(26歳)にインタビュー

CINEMA TOPICS ONLINEhttp://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=3417

概要
現在は実家の長野県から離れて暮らしている小林貴裕さんには、
7年間引きこもったままの兄・博和さんとそんな息子を抱えて、
精神的に苦しむ母がいた。
貴裕さんは、兄を救出するためと同時に専門学校の卒業制作作品に、
自分の家族をテーマにした記録映画「home」を撮影しようとした。
そして、カメラが家に、そして兄の姿を捉えていく。
初めこそ貴裕さんとカメラを避けていた兄だったが、
貴裕さんの粘り強い関わりによって、段々心を開いていく。
番組では、記録映画「home」から引きこもりの現場や
そこで何が起こっているのかを伝えるとともに、
引きこもりの当事者・精神科医へのインタビューを通して、
「なぜ、引きこもるのか」
「引きこもりは本当に甘えや怠けなのか」ということを考える。
(製作:朝日放送)

私の意見
先ずこれを観て、ひどく動揺した。あまりに刺激が強かったため、私は途中で具合が悪くなり、しばらく眼を背けざるを得なかった。震災時の映像を観ているような心持であった。
それと同時に大変論じにくい作品だと思った。ドキュメンタリーというものを殆ど観てこなかった私にとっては、この映画は初めて論じるドキュメンタリー映画である。
これは暴力である。私はその暴力の生生しさに具合を悪くした。家族が崩壊してばらばらになるよりひどい状態のものをまざまざと見せられて辟易した。母も兄もカメラを向けられることを非常に嫌がっていたのにも拘わらず、それを撮り続けた小林貴裕さんの信念とはいったい何だったのか。これを考えてみたい。

一本の電話から始まったこの作品は、祖母ががんであると告げられていよいよ窮地に陥った母からのものであった。実際祖母は作中ではいつも元気で全く問題のない人間の一人である。私はしかし、この祖母がどうして母を助けようとしないのか、これが気に掛かった。恐らく同じ敷地内に住んでいるであろう祖母は、普段から母や兄の様子を見て、知っていたはずである。しかし、祖母は何故か一人母と兄とが住んでいる世界とは違った位置にいるように感じられるのである。これは母が極寒のなか車で寝ていて、小林さんに祖母の家にいこうといわれたときもいやだと言ったことからも伺える。祖母は全く無関心なのではないだろうか。だから母は祖母に頼ることができなかった。兄や自分の夫の問題も全て抱え込まなければならなかった。それがうつにも影響しているのではないか。
引きこもりというものを頭では理解していたものの、それは単に机上の知識にしか過ぎなかったことを強く感じさせられた。ただ自分の部屋から一歩も出ないということではなかった。母への暴力、弟への暴力、夜中の掃除、など全く知りえなかったことである。
家からでられないということが、この家族の問題をより重くしていると感じた。家からでられるのならば、離散という形をもって母は恐らくうつにはならないで済んだであろう。
一体この二人が嫌がるのを無視してまでもカメラを回すことを強行した理由とはなんであろうか。彼は初めのほうで自分の認識の甘かったことをカメラに向かって話していた。それから母へ向かってどうしてもカメラを回さなければ向き合えない。自分ひとりでは立ち向かえないというようなことを打ち明けていた。確かにこの悲惨な状態を眼にすればだれであっても一人ではとても対応しきれないと感じるだろう。しかし、だからといってカメラがあればなんとか向き合えるというのは一体どういう心理であろうか。ここがどうも私には理解できない部分である。家族が大変な状態になっていた。自分ひとりでは向き合えない。でもカメラがあれば向き合える。これは普通の人間の心理とは違うと思う。
カメラで撮っているから大丈夫、向き合えるということは、カメラを持つことによって何かしらの安心感のようなものが小林さんに与えられたのかも知れない。或いは客観的なものに残すという行為によって自分の立ち居地を客観的な場所に置くことができたのかも知れない。そこまではいい。だが、母の泣いている姿まで映すということはどういうことなのだろうか。
あまりに立ち入ってしまうと自分ではどうしようもなくなるから少し離れた位置から家族を撮ろうとするのはいい。だが、目の前で泣いている母に対してまでも、慰めの言葉をかけながらも片手までカメラを回しているのである。これはいよいよ理解がし難い行為になったきた。赤の他人をドキュメンタリーとして撮っているのならまだわかるのだが、自分の母親である。どうもここに、カメラで撮っている側の小林貴裕さん自身にもこの家族問題に対して原因があるのではと思われる。
小林さん自身も打ち明けている通り、家族から目を背け、逃げてきたことは事実である。だが、それはこの撮影を始める前の話である。私はこの撮影が行われている瞬間にも、こころのどこかでこの家族から離れた部分があるように感じられるのである。
この映画は最後に兄が家を飛び出すということを持って終わりを迎えた。結局兄は引きこもりから半ば強制的に家を出るということによってこれを克服したのである。だからひきこもりが治った、よかったということになる。だが、それで母は救われたのであろうか。もちろん母に大いに影響を与えていたであろう兄がいなくなったことによってかなり改善されるであろう。しかし祖母との問題もあり、また夫との問題もある。私はこの映画は兄と母とともに重要な人物であると考える。
この作品は兄の家出をもってして終わることからも兄に重点が置かれていると感じる。だが、母の問題が未だ解決していないのである。私はこの後母がどうなったのかが知りたい。母はあれだけ具合が悪いといっていたのにも拘わらず、遠い山の上まで行ったり、極寒の中車で寝ていたりといのちにかかわりそうなかなり危険なことをしている。それだけ追い詰められていたということもあるだろうし、母は何か抱え込んでいるのだと思う。やはりこの母の抱え込んだものが少しずつおろされていかない限りいけないのである。

作品として、その描かれている内容の良し悪しは別として、非常に人に訴えかける力のある作品である。私はこれを撮影している暇があるのならばはやくしなければならないことがあるのではないかと疑念を挟む。だが、実際このような誰も見たことがないものを撮影した時点でこの問題は恐らく終わっているのであろう。
撮影当初は全くその後がどうなるかなど思いつかないはずである。なぜならドキュメンタリーだからだ。それが今回はたまたまひきこもりの兄を救うという奇跡的なことが起こったから上映できたのである。その全く先が見えない中でなんとか撮影しようとした意志に感服する。またひきこもりの多くの原因のなかの一つであろう受験も考えなければならないことである。
これはまさに現代日本のそのままを写したものである。であるからそこに写っているものは深く考えなければならないのである。兄は当時でも珍しい高校浪人であった。大学浪人でさえ現在では少なくなってきているし、ここから生まれ出る問題はいくつもある。まして高校浪人である。これが兄に何かしらの影響を与えたと考えないほうが無理がある。高校浪人を出さないようなシステムを作るべきであると感じる。それはだれもが入れる学校を設けるということも一つの手であるが、そうではなくて、普通の学校に何かしらの措置を設けさせるべきである。
これは確かに特殊な例かも知れない。しかしその特殊な例を見て私たちは考えなければならないことが多くあることに気が付かされるのである。私たちが普段知っていると思い込んでいるもの、或いは見たくない現実、これをきちんと見ることによって先ずその事実を認める。それから考える。もしできれば解決策を講じるという領域までいければよい。さらに解決できればなおよい。そうした点でドキュメンタリー映画の必要性、それから人に与える影響力の強さ、これを感じた。

「道徳の時間」 道徳について考察する~5~ 「沈勇」と「ポトマック川の英雄」 比較研究

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ポトマック川の風景。ワシントンDCクチコミガイドからhttp://4travel.jp/overseas/area/north_america/america-district_of_columbia/washington/travelogue/10560852/
数度にわたって「道徳の時間」 道徳について考察するというタイトルをつけながら、全くそれらしくありませんでした。むしろ、文学研究といったほうがよかったようです。失敗しました。
ですが、最後はきちんと道徳について考えます。
ひとつ皆さんに読んでいただきたいものがあります。それは「ポトマック川の英雄」(中尾明)です。
これは現在小学校六年生の「道徳の時間」の「読み物資料」に載っている教材です。この「ポトマック川の英雄」と以前から紹介してきた「沈勇」を読み比べると、現在の道徳と過去の修身の違いが見えてくるのです。

両者を読み比べ、その内容にどのような違いがあるか、道徳教育(修身科と戦後の道徳の違い)の観点から、具体的に述べます。

「沈勇」は潜水艦の事故によって亡くなった人々の話である。アメリカやイギリスでも同じような事故が起こった。だが、これらの人々がハッチのもとへわれ先へと折り重なって死んでいたのに対し、「沈勇」ではそれぞれ持ち場についたまま死んでいた。

「沈勇」は今現在でも通用するすばらしい話である。だが、これは正しいことを正しいと教える修身科の教材になっている。
「沈勇」では佐久間艦長の行動が正しいことである。事故が発生したにも拘わらず、落ち着いて対応したこと。出来る限りのことに力を尽くしたこと。部下の遺族や、潜水艦の今後の発展への配慮、等々である。
ここではこれらの佐久間艦長の行為は完全に正しいこととして教えられるが、その内容如何は別として、これのみしか教えられない。言い換えれば別の正しいことはないのである。この佐久間艦長の行為を理想の型として単純化し、最後には「人事ヲ尽シテ天命ヲ待ツ」という格言が添えられている。この格言の意味は人間の能力でできる限りのことをしたら、あとは焦らずに、その結果は天の意思に任せるということ。
「沈勇」は佐久間艦長の行為を正しいものとして教え、正しいことをしなさい、自分に出来る全てのことをしなさい、その上であとは天命にまかせなさいということを教えているのである。

「ポトマック川の英雄」は「沈勇」に対して多元的な価値観があることを教えている。ここで対比的なのが、二人の英雄である。一人は口ひげの男(アーランド=ウィリアムズ)、もう一人はスカトニックである。
スカトニックは川に飛び込む前に道徳的価値と自然性とで混乱する。川で溺れている人を助けなければいけないという価値と、自分が死にはしないか、もし死んだら妻子が大変だという自然性である。結局道徳的価値が強まりスカトニックは女性を助ける。
一方事故の被害者でありながら他人の救出に尽力した口ひげの男は最後死んでしまう。
ここで、他人を助けて死ぬことと、自分の命のために他人を助けないことと二つの価値が出てくる。
レーガン大統領はこのどちらも正しいことであるという。スカトニックと口ひげの男がともにパートナーシップであると讃えたのち、しかしこの二人は他のアメリカ人と少しも変わらないという。他の人より少しだけ勇気があっただけなのである。
これが修身科の教科書であるならば、自分を犠牲にしても他人を救うべきだということが教えられる。だが、状況と場合によってはその正しい行為、行動が変わってくるということをここでは学ぶことができる。

「道徳の時間」 道徳について考察する~4~ 漱石は何故、廣瀬中佐の詩は陳套であるが、佐久間艦長の遺書は名文であると、批評したのか。

これからが私の見解です。さて、副題にも載せたとおり、漱石は何故、廣瀬中佐の詩は陳套であるが、佐久間艦長の遺書は名文であると、批評したのか。という視点から見て行きたいと思います。
夏目漱石の文章が簡単に読めるというかたはそれで構いませんが、なかなか読むのが難解だと感じる方も多いでしょうから、私がわかりやすく直し、整理したものを以下に載せます。

漱石は先ず、佐久間艦長の遺書は名文と言い、それに対して廣瀬中佐の詩は月並みであると言った。中佐の詩は拙悪というよりも寧ろ陳套(古めかしい)を極めたものであると言った。こんなものを作るくらいならば作らないで死んだほうがよかったのではとまで酷評した。
しかし不味いかどうかという問題になると、両方とも下手である。
だが、佐久間艦長の遺書は已むを得ずに拙くなったのである。艦長の遺書から見て取れるように、呼吸が苦しくなる、部屋が暗くなる、鼓膜が破れそうになる、等々一行書くすら容易ではない状態であった。極めて高い努力が必要になったであろう。だから、書かなくてはいけない、残さなくては悪いという意識のほかに手を動かすものはない。
また自己広告をしようという自慢する気持ちは全く失われているため、艦長の声は苦しく拙いものである。娑婆気、俗世間の名誉や欲念を離れない心というものがない。自然のまま、自己という感情の殆どない文である。
艦長の書いたことは嘘を書く必要のないものである。彼は報告書を作ろうとしたのであって、自分の苦悶などは書かなかった。だからやはり人によく思われようとして書いたのではないという結論になる。さらに実際この遺書が役にたったことから自分のために書いたのではなく、他人のために苦痛を耐えたということになる。
対して廣瀬中佐の詩はというと今まで上げた条件をひとつも備えていない。中佐の詩は已むを得ず作ったのではない。已むを得ているのにも拘わらず俗悪な語を並べた疑いがある。艦長は自分が書かなければならないこと、自分でしか書けなかったことを書き残した。一方中佐は作らないで済むものを作ったのである。詩を作る必要のある人間は詩人である。中佐はその必要のない軍人であった。しかも中佐の詩は誰でも作れる個性のないものである。
このような詩は大概内容の伴わない人間のつくるものである。自己広告のためのものである。なぜならその詩がいかにも偉そうで、偉がっているからである。しかし廣瀬中佐はこの詩の内容どおりの勇敢な行いを見せた。彼の死は大変勇ましいものである。だからこの俗悪で陳腐で生きた個性のない詩を中佐の代表とするのが気の毒である。
道義的情操に関する言葉、道徳的な言葉はその言葉を実現しえたとき始めて誠実をそこに見出すのである。漱石はさらに懐疑的に考えて、この言葉が実現されたときでさえ、その誠実が全て現れ出ないのを悲しく思う。残る誠実性は、詩歌の奥に潜んでしまうか、それを実現する行為の根に絡んでいるからである。廣瀬中佐の行動は全くその行為に疑いが挟めないものである。だから彼の誠実さはその詩のなかに取り残されてしまっている。だからこの詩は罪を被るのである。

「道徳の時間」 道徳について考察する~3~ 資料 廣瀬武夫の詩・夏目漱石「艦長の遺書と中佐の詩」

これが最後の資料になります。長くなりますので、次回に私の見解を持って行きます。
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「廣瀬武夫」の詩(明治37年3月19日付兄宛手紙 『廣瀬武夫全集』 下巻 昭和58年 講談社)
七生報国 七たび生まれて国に報ぜん
一死心堅 一死 心堅し
再期成功 巣多旅成功を期す
含笑上船 笑いを含みて舟に上がる

青空文庫から 夏目漱石「艦長の遺書と中佐の詩」
昨日(きのう)は佐久間(さくま)艇長(ていちょう)の遺書(いしょ)を評して(ひょうして)名文(めいぶん)と云(い)つた。艇長(ていちょう)の遺書(いしょ)と前後(ぜんご)して新聞(しんぶん)紙上(しじょう)にあらはれた広瀬(ひろせ)中佐(ちゅうさ)の詩(し)が、此(この)遺書(いしょ)に比して(ひして)甚(はなは)だ月並(つきなみ)なのは前者(ぜんしゃ)の記憶(きおく)のまだ鮮か(あらたか)なる吾人(ごじん)の脳裏(のうり)に一種(いっしゅ)痛ましい(いたましい)対照(たいしょう)を印(いん)した。
 露骨(ろこつ)に云(うん)へば中佐の詩は拙悪(せつあく)と云(うん)はんより寧(むし)ろ陳套(ちんたう)を極(きは)めたものである。吾々(われ/\)が十六七(じゅうろくしち)のとき文天祥(ぶんてんしやう)の正気(せいき)の歌(うた)などにかぶれて、ひそかに慷慨(かうがい)家(いえ)列伝(れつでん)に編入(へんにゅう)してもらひたい希望(きぼう)で作(さく)つたものと同程度(どうていど)の出来栄(できばえ)である。文字(もじ)の素養(そよう)がなくとも誠実(せいじつ)な感情を有(いう)してゐる以上(いじょう)は(又(また)如何(いか)に高等(こうとう)な翫賞(くわんしやう)家(いえ)でも此(この)誠実(せいじつ)な感情(かんじょう)を離れて(はなれて)翫(がん)賞(しょう)の出来ない(できない)のは無論(むろん)であるが)誰でも中佐があんな詩を作らずに黙つて閉塞船で死んで呉(く)れたならと思(おも)ふだらう。
 まづいと云(うん)ふ点(てん)から見れば(みれば)双方(そうほう)ともに下手(まづ)いに違(ちがい)ない。けれども佐久間(さくま)大尉(たいい)のは已(やむ)を得ずして拙(まづ)く出来た(できた)のである。呼吸(こきゅう)が苦しく(くるしく)なる。部屋(へや)が暗く(くらく)なる。鼓膜(こまく)が破れ(やぶれ)さうになる。一行書(いちぎょうか)くすら容易(ようい)ではない。あれ丈(だけ)文字(もじ)を連(れん)らねるのは超凡(てうぼん)の努力(どりょく)を要する(ようする)訳(わけ)である。従(じゅう)つて書かなくて(かかなくて)は済まない(すまない)、遺(のこ)さなくては悪い(わるい)と思(おも)ふ事以外には一画と雖(いへど)も漫(みだ)りに手(て)を動かす(うごかす)余地(よち)がない。平安(へいあん)な時(とき)あらゆる人(ひと)に絶えず(たえず)附け(つけ)纏(まと)はる自己(じこ)広告(こうこく)の衒気(げんき)は殆(ほとん)ど意識(いしき)に上(のぼ)る権威(けんい)を失(しつ)つてゐる。従(じゅう)つて艇長(ていちょう)の声(こえ)は尤(もつと)も苦しき(くるしき)声(こえ)である。又(また)尤(もつと)も拙(せつ)な声(こえ)である。いくら苦しくても拙でも云はねば済まぬ声(こえ)だから、尤も(もっとも)娑婆気(しやばけ)を離れた(はなれた)邪気(じゃき)のない事(こと)である。殆んど(ほとんど)自然(しぜん)と一致(いっち)した私(わたくし)の少い(しょうい)声(ごえ)である。そこに吾人(ごじん)は艇長(ていちょう)の動機(どうき)に、人間としての極度の誠実心を吹き込んで、其(その)一言(いちごん)一句(いっく)を真(まこと)の影(かげ)の如く(ごとく)読みながら(よみながら)、今(いま)の世(よ)にわが欺(あざむ)かれざるを難有(ありがた)く思(おも)ふのである。さうして其(その)文(ぶん)の拙(せつ)なれば拙(せつ)なる丈(たけ)真(まこと)の反射(はんしゃ)として意(い)を安ん(やすん)ずるのである。
 其上(そのうへ)艇長(ていちょう)の書いた(かいた)事(こと)には嘘(うそ)を吐(つ)く必要(ひつよう)のない事実が多い。艇が何度の角度で沈んだ、ガソリンが室内に充ちた、チエインが切れた、電燈が消えた。此等(これら)の現象(げんしょう)に自己(じこ)広告(こうこく)は平時(へいじ)と雖(いへ)ども無益(むえき)である。従(じゅう)つて彼(かれ)は艇長(ていちょう)としての報告(ほうこく)を作らん(つくらん)がために、凡(すべ)ての苦悶(くもん)を忍んだ(しのんだ)ので、他(ひと)によく思(おも)はれるがために、徒(いたづ)らな言句(げんく)を連ねた(つらねた)のでないと云(うん)ふ結論(けつろん)に帰着(きちゃく)する。又其(その)報告(ほうこく)が実際(じっさい)当局者(とうきょくしゃ)の参考(さんこう)になつた効果(こうか)から見て(みて)も、彼(かれ)は自分(じぶん)のために書き残した(かきのこした)のでなくて他(ひと)の為に(ために)苦痛(くつう)に堪(かん)へたと云ふ証拠さへ立つ。
 広瀬中佐の詩に至つては毫(がう)も以上(いじょう)の条件(じょうけん)を具(そな)へてゐない。已(やむ)を得ずして(えずして)拙(せつ)な詩(し)を作(さく)つたと云(うん)ふ痕跡(こんせき)はなくつて、已(やむ)を得る(える)にも拘(かゝ)はらず俗(ぞく)な句(く)を並べた(ならべた)といふ疑(うたが)ひがある。艇長(ていちょう)は自分(じぶん)が書かねば(かかねば)ならぬ事(こと)を書き残した(かきのこした)。又(また)自分でなければ書けない事を書き残した。中佐の詩に至つては作らないでも済むのに作つたものである。作らないでも済む時に詩を作る唯一の弁護は、詩を職業とするからか、又は他人に真似(まね)の出来ない(できない)詩(し)を作り得る(つくりうる)からかの場合(ばあい)に限る(かぎる)。(其外(そのほか)徒然(とぜん)であつたり、気(き)が向いたり(むいたり)して作る(つくる)場合(ばあい)は無論(むろん)あるだらうが)中佐は詩を残す必要のない軍人である。しかも其(その)詩(し)は誰(だれ)にでも作れる(つくれる)個性(こせい)のないものである。のみならず彼(あ)の様(よう)な詩(し)を作る(つくる)ものに限(きり)つて決して(けっして)壮烈(そうれつ)の挙動を敢(あへ)てし得ない(しえない)、即ち(すなわち)単(たん)なる自己(じこ)広告(こうこく)のために作る(つくる)人(ひと)が多さ(おおさ)うに思(おも)はれるのである。其(その)内容(ないよう)が如何(いか)にも偉さ(えらさ)うだからである。又偉がつてゐるからである。幸ひにして中佐はあの詩に歌つたと事実の上に於て矛盾しない最期(さいご)を遂げた(とげた)。さうして銅像(どうぞう)迄(まで)建てられた(たてられた)。吾々(われわれ)は中佐(ちゅうさ)の死(し)を勇ましく(いさましく)思(おも)ふ。けれども同時(どうじ)にあの詩(し)を俗悪(ぞくあく)で陳腐(ちんぷ)で生きた個人の面影(おもかげ)がないと思(おも)ふ。あんな詩(し)によつて中佐(ちゅうさ)を代表(だいひょう)するのが気の毒(きのどく)だと思(おも)ふ。
 道義的(どうぎてき)情操(じょうそう)に関する(かんする)言辞(げんじ)(詩歌(しいか)感想を含む)は其(その)言辞(げんじ)を実現(じつげん)し得(しとく)たるとき始めて(ときはじめて)他(た)をして其(その)誠実(せいじつ)を肯(うけが)はしむるのが常(つね)である。余(よ)に至(いたる)つては、更(さら)に懐疑(かいぎ)の方向に一歩を進めて、其(その)言辞(げんじ)を実現(じつげん)し得(しとく)たる時(とき)にすら、猶且(なほかつ)其(その)誠実(せいじつ)を残り(のこり)なく認(しのぶ)むる能(あた)はざるを悲しむ(かなしむ)ものである。微(かす)かなる陥欠(かんけつ)は言辞詩歌の奥に潜(ひそ)むか、又(また)はそれを実現(じつげん)する行為(こうい)の根(ね)に絡(から)んでゐるか何方(どつち)かであらう。余(よ)は中佐(ちゅうさ)の敢(あへ)てせる旅(たび)順(じゅん)閉塞(へいそく)の行為に一点虚偽の疑ひを挟(さしはさ)むを好まぬものである。だから好んで罪を中佐の詩に嫁(か)するのである。

「道徳の時間」 道徳について考察する~2~ 資料 夏目漱石「文芸とヒロイツク」

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前回の記事では佐久間艦長の資料を提示しました。これが当時新聞の記事に載ったわけです。これを見た夏目漱石は、修善寺での吐血から病床にありましたが、「文芸とヒロイツク」というものを書きたくなったといって筆を執りました。
夏目漱石は自然主義とヒロイツクを二項対比で鮮やかに分析し、何故佐久間艦長の遺書がすばらしいのかということを認めています。資料は青空文庫からです。

自然主義といふ言葉とヒロイツクと云ふ文字は仙台平(〔せんだいひら〕)の袴(はかま)と唐桟(〔とうざん〕)の前掛(まえかけ)の様(さま)に懸け離れた(かけはなれた)ものである。従(じゅう)つて自然(しぜん)主義(しゅぎ)を口(くち)にする人(ひと)はヒロイツク(ひろいつく)を描かない(かかない)。実際(じっさい)そんな形容のつく行為は二十世紀には無い筈だと頭(あたま)から極(き)めてかゝつてゐる(めてかくりかえしつてゐる)。尤(〔もっと〕)もである。
 けれども実際(じっさい)世の中(よのなか)にない又(また)は少ない(すくない)と云(うん)ふ事実(じじつ)と、馬鹿げて(ばかげて)ゐる、滑稽(こっけい)であると云ふ事実とは違ふべき筈である。吾々の見渡した世間にさう眼につく程ごろ/\してゐない物のうちには、常人さへ唾棄(〔だき〕)して顧みなく(かえりみなく)なつた(従(じゅう)つて存在(そんざい)の権利(けんり)を失(しつ)つた)のも沢山(たくさん)あるだらうが、貴重(きちょう)なため容易(ようい)に手(て)に入りかねる(はいりかねる)のも随分あるべき訳である。ヒロイツクは後者に属すべきものと思ふ。
 自然派の人が滅多にないからと云ふ理由でヒロイツクを描かないのは当を得てゐる。然し滅多にないからと云ふ言辞のもとにヒロイツクを軽蔑するのは論理(り)の昏乱(〔こんらん〕)である。此(〔この〕)派(は)の人々(ひとびと)は現実(げんじつ)を描く(かく)と云(うん)ふ。さうして現実(げんじつ)曝露(ばくろ)の悲哀(ひあい)を感(かん)ずるといふ。客観(きゃくかん)の真相に着して主観の苦悶を覚ゆるといふ。一々賛成である。けれども此苦悶は意の如くならざる事相(〔じそう〕)に即し(そくし)、思(おも)ひの儘(まま)に行かぬ(いかぬ)現象(げんしょう)の推移(すいい)に即し(そくし)、もしくは斯(〔か〕)くあれかし、斯く(かく)ありたしとの希望(きぼう)を容(〔い〕)れぬ自然(しぜん)の器械的(きかいてき)なる進行(しんこう)に即して(そくして)起る(おこる)矛盾(むじゅん)扞格(〔かんかく〕)の意(い)に外(そと)ならぬ。云(うん)ひ換(〔かえ〕)れば客観(きゃくかん)の世界(せかい)が主観(しゅかん)の世界(せかい)と一致をかくが為である。現実が吾(〔われ〕)に伴(とも)はざるの恨み(うらみ)である。又云(またうん)ひ換れば(かわれば)わが理想がわ(りそうがわ)が頭(あたま)の中(なか)に孤立(こりつ)して、世態(せたい)とあまりに没交渉(ぼっこうしょう)なるがためである。冷刻なる自然がわが知識と情操と意志を侮蔑して勝手に横着に非人間的に社会を動かして行くからである。
 自然主義者の所謂(〔いわゆる〕)主観(しゅかん)の苦悶(くもん)を斯(〔か〕)く解釈(かいしゃく)するとき、理想(りそう)の二字(にじ)を彼等(かれなど)の主(しゅ)観中(かんなか)より取り去る(とりさる)事(こと)は困難(こんなん)とならねばならぬ。広義(こうぎ)に於ける理想を抱かざるものが、自己又は他人の経過した現実を顧みて、之(〔これ〕)を悲しむ(かなしむ)の必要(ひつよう)もなければ之(これ)に悶(もだ)ゆるの理由(りゆう)もない筈(はず)である。
 一(ひと)たび此(し)論断(ろんだん)を肯(〔うけが〕)つたとき、彼等(かれら)は彼等の主観のうちに、又彼等の理想のうちに、彼等の平素排斥しつゝあるが如く見ゆる諸(もろ/\)の善(ぜん)、諸(もろ/\)の美(び)、又(また)もろ/\(ななめ)の壮(そう)と烈(れつ)との存在(そんざい)を肯(こう)はねばならぬ。従(じゅう)つてヒロイツク(ひろいつく)は彼等(かれなど)の主張せんと欲して、現実に見出しがたきが為めに、これを描くを憚(〔はばか〕)り、もしくは之(〔これ〕)を描(か)くを恐(おそ)るゝ(るくりかえし)一種(いっしゅ)の行為(こうい)と云(うん)はねばならぬ。
 彼等(かれなど)にしてもし現実中(げんじつなか)に此(し)行為(こうい)を見出し得(みだしとく)たるとき、彼等の憚りも彼等の恐れも一掃にして拭ひ去るを得べきである。況(〔いわ〕)んや彼等(かれなど)の軽蔑(けいべつ)をや虚偽(きょぎ)呼(〔よばわ〕)りをやである。余(よ)は近時(きんじ)潜航艇中(せんこうていなか)に死せる(しせる)佐久間(さくま)艇長(ていちょう)の遺書(いしょ)を読んで(よんで)、此(し)ヒロイツク(ひろいつく)なる文字(もじ)の、我等と時を同(〔おなじ〕)くする日本(にほん)の軍人(ぐんじん)によつて、器械的(きかいてき)の社会(しゃかい)の中(なか)に赫(〔かく〕)として一時(いちじ)に燃焼(ねんしょう)せられたるを喜ぶ(よろこぶ)ものである。自然派(しぜんは)の諸君子に、此文字の、今日の日本に於て猶(〔なお〕)真個(まことこ)の生命(せいめい)あるを事実(じじつ)の上(うえ)に於(お)て証拠立て得(しょうこだてとく)たるを賀する(がする)ものである。彼等(かれなど)の脳中(のうちゅう)よりヒロイツク(ひろいつく)を描く(かく)事(こと)の憚り(はばかり)と恐れとを取り去つて、随意に此方面に手を着けしむるの保証と安心とを与へ得たるを慶(けい)するものである。
 往時(おうじ)英国(えいこく)の潜航艇(せんこうてい)に同様(どうよう)不幸(ふこう)の事(こと)のあつた時(じ)、艇員(ていいん)は争(あらそ)つて死(し)を免(めん)かれんとするの一念から、一所にかたまつて水明(みづあか)りの洩れる(もれる)窓(まど)の下(した)に折り(おり)重(〔かさな〕)つたまゝ(つたまくりかえし)死んで(しんで)ゐたといふ。本能(ほんのう)の如何(いかん)に義務(ぎむ)心(ごころ)より強い(つよい)かを証明(しょうめい)するに足る(たる)べき有力(ゆうりょく)な出来事である。本能の権威のみを説かんとする自然派の小説家はこゝに好個の材料を見出すであらう。さうして或る手腕家によつて、此一事実から傑出した文学を作り上げる事が出来るだらう。けれども現実はこれ丈である。其他は嘘(うそ)であると主張(しゅちょう)する自然派(しぜんは)の作家(さっか)は、一方(いっぽう)に於(お)て佐久間(さくま)艇長(ていちょう)と其(その)部下(べした)の死(し)と、艇長(ていちょう)の遺書(いしょ)を見る(みる)必要(ひつよう)がある。さうして重荷を担ふて遠きを行く獣類と撰(えら)ぶ所(ところ)なき現代的(げんだいてき)の人間(にんげん)にも、亦(〔また〕)此(し)種(たね)不可思議(ふかしぎ)の行為(こうい)があると云(うん)ふ事(こと)を知る(しる)必要(ひつよう)がある。自然派(しぜんは)の作物は狭い文壇の中(なか)にさへ通用(つうよう)すれば差支ない(さささない)と云(うん)ふ自殺的(じさつてき)態度(たいど)を取らぬ(とらぬ)限り(かぎり)は、彼等(かれなど)と雖(〔いえども〕)亦(また)自然派(しぜんは)のみに専領(あつむりょう)されてゐない広い(ひろい)世界(せかい)を知らなければ(しらなければ)ならない。
 病院生活をして約一ヶ月になる。人から佐久間艇長の遺書の濡れたのを其儘(〔そのまま〕)写真版(しゃしんばん)にしたのを貰(もら)つて、床(ゆか)の上(うえ)で其(その)名文(めいぶん)を読み返して(よみかえして)見て(みて)「文芸(ぶんげい)とヒロイツク(ひろいつく)」と云(うん)ふ一(いっ)篇が書きたくなつた。

「道徳の時間」 道徳について考察する~1~ 資料 「沈勇」(戦前の小学校六年生用修身教科書より)

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これから数回にわたって「道徳の時間」と「(戦前の)修身」とを比較してみたいと思います。
先ずはその比較対象となる資料をあげておきます。これらはアメリカ国会議事堂の前のガラスケースに今でも飾られている「沈勇」という実在の話です。イギリス海軍では現在でも教訓として教えられています。
ふくい歴史王http://rekishi.dogaclip.com/Crm/Profile-100000018.html動画で佐久間艦長のお話がわかります。

「沈勇」 (戦前の小学校六年生用修身教科書より)

 明治四十三年四月十五日、第六潜水艇は潜航の演習をするために山口県新湊沖に出ました。午前十時、演習を始めると、間もなく艇に故障が出来て海水が侵入し、それがため艇はたちまち海底に沈みました。この時艇長佐久間勉は少しも騒がず、部下に命じて応急の手段を取らせ、出来るかぎり力を尽しましたが、艇はどうしても浮揚りません。その上悪ガスがこもって、呼吸が困難になり、どうすることも出来ないようになったので、艇長はもうこれまでと最後の決心をしました。そこで、海面から水をとほして司令塔の小さな覗孔にはいって来るかすかな光をたよりに、鉛筆で手帳に遺書を書きつけました。

 遺書には、第一に艇を沈め部下を死なせた罪を謝し、乗員一同死ぬまでよく職務を守ったことを述べ、又この異変のために潜水艇の発達の勢を挫くような事があってはならぬと、特に沈没の原因や沈んでからの様子をくわしく記してあります。次に部下の遺族が困らぬようにして下さいと願い、上官・先輩・恩師の名を書連ねて告別の意を表し、最後に十二時四十分と書いてあります。

 艇の引揚げられた時には、艇長飫以下十四人の乗員が最後まで各受持の仕事につとめた様子がまだありありと見えていました。遺書はその時艇長の上衣の中から出たのです。

   格言  人事ヲ尽クシテ天命ヲ待ツ。


・ 第六号潜水艇 艇長:佐久間勉海軍大尉

 明治43年4月15日 09:50、第六号潜水艇は山口県新湊沖において半潜航実験の後、全潜航に入り海底沈座などの潜航訓練を開始した。しかし間もなく海水が浸入し必死の排水作業にも係わらず、佐久間勉艇長以下14名を載せた六号艇が再び自力で浮上することはなかった。

 翌16日に沈没した艇体が発見され、17日になって浅瀬に回航された。当時の潜水艇の性能から生存者の望みは無かった。問題は乗組員が帝國海軍軍人として相応しい死に方をしているか、という一点にあった。直近で外国の海軍に同様の事故があり、乗組員の醜態が世間に知られていたからだ。

 「よろしいっ」。まさに絶叫であった。引き揚げられた六号艇の状況を検分した吉川中佐の絶叫は号泣に変わり、男泣きに泣き崩れた。艇長は司令塔に、機関中尉は電動機の側に、機関兵曹はガソリン機関の前に、舵手は舵席に、空気手は空気圧搾管の前に、14名の乗組員は全員それぞれの部署を離れず艇の修復に全力を尽くし、従容として見事な最期を遂げていた。

 その後、収容された佐久間艇長の遺体のポケットから遺書が発見された。沈没後電燈が消えて、酸素は刻々と消費されていく。ガソリンによる瓦斯は艇内に充満し、おそらく部下は一人また一人と絶命していったことだろう。佐久間艇長はそのような環境の下、天皇陛下の艇を沈め部下を死なせる罪を謝し、乗組員全員が職分を守った事を述べ、沈没の原因・沈据後の状況を説明した後、公言遺書を記している。

 公言遺書 謹んで陛下に白す 部下の遺族をして 窮するもの無からしめ給わんことを 我が念頭に懸るもの之あるのみ

 当時、事故に対する遺族への補償金などの支払規定は無かった。佐久間艇長の遺言は上奏され、勅命によって直ちに裁可された。

 「十二時四十分なり」と記して遺書は終わっている。



・ 佐久間艇長について 佐久間榮(佐久間艇長の甥)

 佐久間艇長といっても、今の若い人には、ご存知ない人が多いと思うが、大正時代の学校教育に、「修身」の教科書があり、その中で「沈勇」という題名で、佐久間艇長のことがのっていた。

 私が小学校六年生のときであるが、或る日突然、担任の先生に呼ばれて、「明日の修身は、君の伯父さんにあたる佐久間艇長のところだから、一言何か話しをしなさい。」といわれ、家に帰り、父(艇長の実弟)に、その話しをしたら早速、便箋一枚位いの文章を書いてくれたので、翌日、その文章を読み上げて、安堵の胸をなでおろしたのを覚えている。

 佐久間艇長は、明治四十三年(一九一〇年)四月十五日、岩国市新湊沖で、第六潜水艇の艇長として、潜航訓練中、不幸にして艇の故障により、部下十三名と共に殉難した。

 翌々日、艇は引き揚げられたが、総員十四名が、自己の持場を、はなれず殉職しており、又、艇長の上衣の内ポケットから、九七五文字に及ぶ遺書が発見された。その内容が発表されるに及んで、日本国内は勿論、国外の人々も、感動し、その沈着な勇気に対して称賛を送ったのである。

 時に、艇長は享年三十才の若さであり、平時における殉職であるので、進級はなく、靖国神社にも祀られていない。

 艇長の遺書には、「責任感、使命感、沈着な勇気、人間愛、感謝」の精神が漲っており、戦前の教科書の最後に、「格言」として、のっていた「人事を尽して天命をまつ」そのとおりの最後だったのである。

 当時、病床にあった文豪・夏目漱石が、この遺書を名文と激賞し、歌人・与謝野晶子が追悼歌を十余首も読んで賞賛している。

 毎年、四月十五日の艇長の命日には、そのゆかりの地である呉市、岩国市、福井県の各地で慰霊祭が盛大に挙行されているが、昭和六十二年(一九八七年)以来駐日英国大使館付海軍武官が、二年おきに、各地の慰霊祭に参列されており、流暢な日本語で、「スピーチ」をされている。

 現在、英国ロンドン市の南部にある「ゴスポート潜水艦資料館」には、艇長のコーナーがあって、艇長の写真や遺書のコピーが展示してあり、艇長の遺訓をたたえ、英国人の士気を鼓舞しているということを、スピーチで述べている。

 かく考えるとき、現在の日本は、佐久間精神を思いおこし全国民あげて、精神面の教育に立ち上がらなければならないと痛感するものである。


・ 「 佐久間 艇長 の遺言 」
 小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス 誠ニ申訳無シ サレド艇員一同死ニ至ルマデ皆ヨクソノ職ヲ守リ沈着ニ事ヲ処セリ 我レ等ハ国家ノ為メ職ニ斃レシト雖モ唯々遺憾トスル所ハ天下ノ士ハ之ヲ誤リ 以テ将来潜水艇ノ発展ニ打撃ヲ与フルニ至ラザルヤヲ憂ウルニアリ 希クハ諸君益々勉励以テ此ノ誤解ナク将来潜水艇ノ発展研究ニ全力ヲ尽クサレン事ヲ サスレバ我レ等一モ遺憾トスル所ナシ

沈没原因
 瓦素林潜航ノ際 過度深入セシ為「スルイス・バルブ」ヲ諦メントセシモ 途中「チエン」キレ依ッテ手ニテ之シメタルモ後レ後部ニ満水 約廿五度ノ傾斜ニテ沈降セリ

沈拒後ノ状況
一、傾斜約仰角十三度位
一、配電盤ツカリタル為電灯消エ 悪瓦斯ヲ発生呼吸ニ困難ヲ感ゼリ 十四日午前十時頃沈没ス    
  此ノ悪瓦斯ノ下ニ手動ポンプニテ排水ニ力ム
一、沈下ト共ニ「メンタンク」ヲ排水セリ 燈消エ ゲージ見エザレドモ「メンタンク」ハ排水
  終レルモノト認ム 電流ハ全ク使用スル能ハズ 電液ハ溢ルモ少々海水ハ入ラズ 「クロリ
  ン」ガス発生セズ残気ハ五00磅(ポンド)位ナリ 唯々頼ム所ハ手動ポンプアルノミ
  「ツリム」ハ安全ノ為メ ヨビ浮量六00(モーターノトキハ二00位)トセリ (右十一
  時四十五分司令塔ノ明リニテ記ス)
溢入ノ水ニ溢サレ乗員大部衣湿フ寒冷ヲ感ズ 余ハ常ニ潜水艇員ハ沈着細心ノ注意ヲ要スルト共ニ大胆ニ行動セザレバソノ発展ヲ望ム可カラズ 細心ノ余リ畏縮セザラン事ヲ戒メタリ 世ノ人ハ此ノ失敗ヲ以テ或ハ嘲笑スルモノアラン サレド我レハ前言ノ誤リナキヲ確信ス
一、司令塔ノ深度計ハ五十二ヲ示シ 排水ニ勉メドモ十二時迄ハ底止シテ動カズ 此ノ辺深度ハ 
  八十尋位ナレバ正シキモノナラン
一、潜水艇員士卒ハ抜群中ノ抜群者ヨリ採用スルヲ要ス カカルトキニ困ル故 幸ニ本艇員ハ皆
  ヨク其職ヲ尽セリ 満足ニ思フ 我レハ常ニ家ヲ出ヅレバ死ヲ期ス 
  サレバ遺言状ハ既ニ「カラサキ」引出シノ中ニアリ(之レ但私事ニ関スル事言フ必要ナシ田
  口浅見兄ヨ之レヲ愚父ニ致サレヨ)

公遺言
謹ンデ陛下ニ白ス 我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無カラシメ給ハラン事ヲ 我念頭ニ懸ルモノ之レアルノ
左ノ諸君ニ宜敷(順序不順)
一、斎藤大臣  一、島村中將  一、藤井中將  一、名和中將  一、山下少將
一、成田少將  一、(気圧高マリ鼓マクヲ破ラル如キ感アリ)  一、小栗大佐 
一、井手大佐  一、松村中佐(純一)  一、松村大佐(龍)  
一、松村小佐(菊)(小生ノ兄ナリ)  一、船越大佐   一、成田綱太郎先生 
一、生田小金次先生
十二時三十分呼吸非常ニクルシイ
瓦素林ヲブローアウトセシ積リナレドモ ガソリンニヨウタ
一、中野大佐
十二時四十分ナリ、



人事を尽くして天命を待つ
人間として出来るかぎりのことをして、その上は天命に任せて心を労しない
人事を尽くして天命を待つとは、人間の能力でできる限りのことをしたら、あとは焦らずに、その結果は天の意思に任せるということ。
自分の全力をかけて努力をしたら、その後は静かに天命に任せるということで、事の成否は人知を越えたところにあるのだから、そんな結果になろうとも悔いはないという心境のたとえ。
南宋初期の中国の儒学者である胡寅の『読史管見』に「人事を尽くして天命に聴(まか)す」とあるのに基づく。

太宰治「駈込み訴へ」への試論 テクスト論から もう一度解釈してみる レジュメ~2~

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・聖書の引用箇所
 先行研究を踏まえたうえで再確認
先行研究は佐古純一郎『太宰治と聖書』(昭58・5教文館)斉藤末弘氏担当の巻末の「資料1 太宰治と聖書」と「太宰文学の研究」三谷憲正著から『駈込み訴へ』試論-「ヨハネ伝」との比較を通して
引用文は聖書 新共同訳 日本聖書協会 2005による
P141、ℓ10 マタイ8・20
『狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが人の子には枕する所もない』
P142、ℓ5 マタイ14・17-21
『弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」イエスは、「それをここに持ってきなさい」と言い、群集には草の上に座るようにお命じになった。そして五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群集に分け与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。』
P143、ℓ3 マタイ6・16-18
『断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報い受けてくださる』
P146、ℓ7 ヨハネ12・1-8
『過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
下線部はマタイ26章、マルコ14章では弟子たちとなっている。これをマタイからの引用とする斉藤末弘氏担当の巻末の「資料1 太宰治と聖書」の説は疑問を抱かざるを得ない。『太宰文学の研究』 三谷 憲正から。
P150、ℓ13 ヨハネ12・15(マタイ21・5)
『「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、ろばの子に乗って。」』
P151、ℓ12 マタイ21・9
『「ダビデの子にホサナ主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」』
P152、ℓ4 ヨハネ2・13-16、19(マタイ21・12-13)
『ユダヤ人の過越祭が近づいていたので、イエスはエルサレムに上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売るものたちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」』
『この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる』
P153、ℓ12 マタイ23・25-28、33、37
『律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。』
『蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れるころができようか』
『エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で撃ち殺すものよ、めん鶏が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前らの子を何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった』
P155、ℓ10 ヨハネ13・4-10
『食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。シモン・ペトロのところへ来ると、ペトロは「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたがたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。ペトロが「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」イエスは言われた。「既に体を洗ったものは全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」』
P158、ℓ16 ヨハネ13・12-16、
『さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。」』
P159、ℓ9 マルコ14・18-21
『一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた、「はっきりいっておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。イエスは言われた。「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸しているものがそれだ。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれてこなかった方が、その者のためによかった」』
P160、ℓ6 マルコ13・26
『イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるものがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。』

参考文献
・神谷忠孝・安藤宏 『編太宰-治全作品研究事典』 勉誠出版 1995年11月刊行
・志村有弘・渡部芳紀 編 『太宰治大事典』 2005年1月刊行
・『太宰文学の研究』 三谷 憲正 東京堂出版 1998年05月刊行
・『太宰治の文学』 佐古純一郎 朝文社
・『太宰治研究』6 和泉書院
・『石川淳 坂口安吾 太宰治 集 現代日本文学全集』 筑摩書房 1954出版
・森厚子「太宰治『駈込み訴へ』について-語りの構造に関する試論」『解釈』 第25巻 2月号 昭和54年
・奥野政元「『駈込み訴へ』ノート」平成4・9「活水日文」25巻
・『作品論 太宰治』東郷克美・渡辺芳紀 編 昭和51年9月 双文出版社 
・一冊の講座 太宰治 日本の近代文学 有精堂
・「佐藤泰正著作集」5 太宰治論
・山口浩行「『駈込み訴へ』試論」平成3年11月 「稿本近代文学」16
・太宰治「駈込み訴へ」試論―旦那さまの不在― 高塚雅
・聖書 新共同訳 日本聖書協会 2005

太宰治「駈込み訴へ」への試論 テクスト論から もう一度解釈してみる レジュメ~1~

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太宰治の「駈込み訴へ」への試論です。このタイトルは駆込みでも訴えでもないので打ち間違えには注意が必要です。日本語の難しい部分です。

Ⅰ、作品の発表年月と雑誌名
昭和15年(1940)2月 「中央公論」政変号「創作・新人特選」欄

Ⅱ、作品が発表された時代
脱稿は昭和14年(1939)12月頃末
・1939,9,3 イギリス・フランス、ドイツに宣戦(第二次世界大戦始まる)
・ノモンハン事件
・国民徴用例公布。米国、日米通商航海条約廃棄通告

Ⅲ、ディスカッション・テーマ
 小鳥の正体は何か

Ⅳ、見解
 「あの人」(神・天使)の祝福である

Ⅴ、論拠

1、 自明の理として
 ・「ユダ」という人物に対する認識 「裏切り者ユダ」
・三位一体論 父なる神・イエスキリスト・聖霊は同質のものと考える

2、 小鳥の出現箇所の整理
 一回目P160、ℓ15
「私がここへ駈け込む途中の森でも、小鳥がピイチク啼いて居りました。」
 ユダの語りが始まる以前。

 二回目P160、ℓ14
 「ああ、小鳥が啼いて、うるさい」
 ユダの語りの最後。

 ではどうして訴へが始まってから終わるまでの間、小鳥は出てこないのか?

3、ユダの精緻な自己分析・外界の遮断
 P140、ℓ2「生かして置けねえ」と訴えるユダ
しかし当人にも何故「生かして置けねえ」やつなのか明確な答えが出ていなかった。
イエスを売るための決心が未だ曖昧である。
その答えを模索するために「あの人」との様々な出来事を回想しながら緻密に分析していく。
これは「旦那さま」へ訴えるとともに自分自身への動機の理解と説得である。

ユダの心情の変化
①、「あの人」を殺して欲しい
②、辱められたことへの憎悪
③、わかってもらいたい、愛してもらいたい
④、わかってもらえない、愛してもらえないことへの怒り、殺して欲しい
⑤、「あの人」の「感情」、「特殊な愛」が「マリヤ」に向けられたこと・「あの人」の「美し」さが「醜態」へまで落ちぶれたこと・マリヤを取られたことへの口惜しさ・無念。
⑥、殺意の芽生え。
⑦、「あの人」の「美し」さが失われていく前、私が殺してあげなければ。
⑧、「あの人」への諦め。自身への嘲笑
⑨、「あの人」を自分で殺すよりも「役人に引き渡す」ことへ
⑩、「あの人」が可哀想に思えた。
「あの人」のことを「わかった」ユダ。しかし「あの人」はユダのことをまたしても「わか」ろうとしなかった。森厚子論。参考文献参照。
⑪、「きらわれ」たことへの「復讐」。憎しみ。
⑫、「あの人」を売って、「楽しい」「いい気持ち」
⑬、商人ということへの気づき。全部嘘。
4、小鳥が再び聞こえ始めた理由
2のどうして訴へが始まってから終わるまでの間、小鳥は出てこないのか?という疑問に対しての答え。

 「あの人」を無事に売る渡すことができたから
3を見ても分かるとおり、ユダは対立する様々な感情から「あの人」をなかなか売り渡せないでいた。元々確固たる意志があるのならば「私はユダというものです。『あの人』はゲッセマネにいます」この二点を言えばよいのである。

キーワード「ゲッセマネの園」
このワードがない限り「あの人」を売り渡すことは出来ない。
逆を言えばこのワードを言ったことによって初めて売り渡すことに成功したといえる。
直後、「ああ、小鳥が啼いて、うるさい。」

5、ユダの行為は「裏切り」ではなく「売る」「復讐」
裏切りとは
 うらぎること。内応。内通。ひそかに敵に通ずること。

「あの人」は全てお見通しである。
P143、ℓ3「おまえにも、お世話になるね。」
これは「危うい手品の助手」や普段のお世話への感謝、ねぎらいの言葉であると同時に、もっとも重要な「神の子」が人によって殺されるという計画へ加担してもらうことへの侘び。しかしユダにはそのことは打ち明けられないため、それ以上の言及は避け、計画を成功させるためにもわざとわからない振りをして辛くあたる。
P147、ℓ6「そのわけは言うまい。この女のひとだけは知っている」
ユダの「あの人」への純粋な愛、命を捨てられるほどの愛に気づいていながらそれを拒否し、他の女との秘密の共有があるように見せる。ユダのダメージ「あの人の言葉を信じません。」
P150、ℓ5「そのとき以来、あの人を、いっそ私の手で殺してあげようと思いました。いずれは殺されるお方にちがいない。またあの人だって、無理に自分を殺させるように仕向けているみたいな様子が、ちらちら見える。私の手で殺してあげる。他人の手で殺させたくはない。あの人を殺して私も死ぬ。」

ダメージは大きかったものの、殺意に変わってしまった。ユダに殺されては全人類を救うことが出来ない。

ユダに売り渡させるため、「あの人」は「気がふれて」「醜態」をさらし続けた。
その結果P153、ℓ5「自分の力では、この上もの何も出来ぬということを此の頃そろそろ知り始めた様子ゆえ、あまりボロの出ぬうちに、わざと祭司長に捕らえられ、この世からおさらばしたくなって来たのでありましょう。」P153、ℓ12「殺されたがって、うずうずしていやがる。」と思わせることに成功。

最後の決心をつけさせるための一押しとして、P158、ℓ3「みんな潔ければよいのだが」P159、ℓ14『「私がいま、その人に一つまみのパンを与えます。その人は、ずいぶん不仕合せな男なのです。ほんとうに、その人は、生まれて来なかったほうが、よかった」と意外にはっきりした語調で言って、一つまみのパンをとり腕をのばし、あやまたず私の口にひたと押し当てました。』
一度ユダの同情を誘った上で突き放すという行為。これへの「復讐」である。

では何故「あの人」は全てを見通していたとわかるか。
P160、ℓ5「為すべきことを速やかに為せ」
もし、全くユダの内心に気づいていなければこの台詞は出てこない。

「あの人」を「売る」代わりにユダはP155、ℓ4「私は永遠の、人の憎しみを買うだろう。けれども、この純粋の愛の貪慾の前には、どんな刑罰も、どんな地獄の業火も問題ではない。」ほど「あの人」を愛している。裏切りではない。
「復讐」あだをかえすこと。あだうち。しかえし。
あだ。自分の害となるもの。うらみ。
今までのいじめや辱め、P160、ℓ1「意地悪さ」への憎みのこと。

6、1では一回目の小鳥は何か
 「あの人」(神・天使)の鼓舞
ユダは3で見たようにかなり感情が交錯していた。また、「あの人」を「売る」ことをせずに自分ひとりで生きていくこともできたし、どこかへ逃げることも出来た。なぜなら師弟のP142、ℓ2「宿舎の世話から日常衣食の購求まで、煩をいとわず」できる商才があり、まめな男であるから。それに、P144、ℓ9ユダ「の村には、まだ私の小さい家が残って在ります。年老いた父も母も居ります。ずいぶん広い桃畠もあり」「あの人」と母マリヤを足した5人でも「一生安楽にお暮らし」できるほどの財産もある。

しかし、「あの人」を殺して自分も死ぬという偏った愛のために奔走する。
逃げ出してもよいユダを天から励ます小鳥の啼き声。
このときユダは「あの人」の思惑に気づいていない。
6、2では二回目の小鳥は何か
 「あの人」(神・天使)の祝福
ずっとイエスを売る理由を模索し続けたユダは最後にやっと「売る」行為に成功する。それがキーワード「ゲッセマネ」という「あの人」の居場所を知らすものであった。そのため、このワードが出た直後に小鳥が啼き始める。「為すことを速やかに為」したユダを褒め讃えるための賞賛の啼き声。
神の国の近づきを知らせる聖霊の声。
P161、ℓ3「ああ楽しい。いい気分。今夜は私にとっても最後の夜だ。旦那さま。旦那さま。今夜これから私とあの人と立派に肩を接して立ち並ぶ光景を、よく見て置いて下さいまし。私は今夜あの人と、ちゃんと肩を並べて立ってみせます。あの人を怖れることは無いんだ。卑下することは無いんだ。私はあの人と同じ年だ。同じすぐれた若いものだ。」
「あの人」との最後を共にできることへの喜び。
精緻な自己分析を経て、小鳥の存在に疑問を抱く。
P161、ℓ7「ああ、小鳥の声がうるさい。耳についてうるさい。どうして、こんなに小鳥が騒ぎまわっているのだろう。ピイチクピイチク、何を騒いでいるのでしょう。」
「あの人」の思惑への気づき。小鳥の正体の気づき。

なにかしらを悟ってしまったために「あの人」を売る動機が無くなった。
 突然の態度変容。動機の急拵え。

6、3小鳥が良心だという論に対し
自分が「商人」で「銀三十」の為にイエスを売りに来たということを忘れていた。
神の国の近づきを悟ったユダはいままでの苦労が馬鹿に思えて自嘲する。
P162、ℓ1「私は嘘ばかり申し上げました」という嘘。
それならばP161以外の全ページが嘘ということになり、書く必要性がない。
「銀三十枚」欲しさにイエスを売ったとは考えられない。
真の理由はP160、ℓ3「火と水と。永遠に解け合う事の無い宿命」に絶望したからである。

6、4全体のまとめとして
 ユダという人物を固定観念から解放し、ゆさぶりをかけ再構築するテクストである。

映画『女衒 ZEGEN』を観て 感想とレビュー 佐藤武光氏に学ぶ

日本の映画監督今村昌平の作品。女衒について論じます。先日この映画を今村監督とともに撮った、助監督の佐藤武光先生の講義に出席しました。今から二十余年前。どのように撮影したのか、撮影秘話などを交えて解説していただきました。



1987年公開
私は女衒という言葉さえこの映画を観るまで知らなかった。これはおおきな恥であると自分で思う。女衒、村岡伊平治はまさしく国の恥だとして覆い隠された。私たち現代人は本来の日本人のありようを見ることなくして、今や中国や韓国といった近隣の国に対して偉ぶっている。もし、日本の恥だと思い覆い隠したいのなら、きちんとその部分を見せなければいけない。知られてはいけないものはきちんとそれを皆が認知した上で、その誤り・過ちを問い正さなければいけない。あたかも最初からなかったかののように振舞うのは戦後日本という国家の恥である。隠すこと事態が恥である。

この作品はその戦後日本にとって覆い隠されてしまった日本人、村岡伊平治の半世紀を描いたものである。受験日本史を勉強しておきながら全くこの方面に対して認知がなかったことは如何ともし難い。ただ、その覆い隠された事実をむき出してさらすわけであるからもっと辛辣な批判の形をとっているかと思えばそうでもなかった。まったくもって喜劇である。
ことに緒方拳が演じる村岡伊平治はその真面目さが返って面白い。2008年に緒方拳が亡くなったのは日本の映画界にとっても大きな痛手であったことと想像に難くない。真面目も度が過ぎると真面目を通り越して面白みに変容する。どこか人を小ばかにしたような軽快な音楽も作品をやさしく包んでいる。
日本軍の上官に殴られたとき、ぎゅっと明治天皇の御真影へズームがなさせるのには笑った。伊平治がまだ若く、これから日露戦争だという時期であるから1900年頃だと考えられるが、その当時の日本人の気性がよく描けているのだと感じる。天皇は今で言う宗教の神様のような尊い存在であったのだと現在の私たちも思い知ることができる。身を売ってお金を稼いでいる女性たちもお上のためだというと急に態度が変わるのだから大したものである。

ただ、盲目的に天皇のことを信じながらも、そのために全てをささげて働いていながらも村岡伊平治はこころのどこかで不安を隠しきれなかったのではないかと感じた。しほの存在である。あれだけ情熱的に動けた男は途中しばし考える場面があった。それをそのたびに応援したのはしほである。彼女は人間として一本の線がすっと通った筋のある女であった。それは彼女の台詞からも見受けられる。
王のもとへ行ったあと、伊平治にそのことを責められるが、身を売っても心を売らなかったら問題ないという言葉である。これに何も言い返せない伊平治。やはりしほという指針が彼にも必要であったのだろう。
しほを見つけ彼女と共に生活するようになってから、伊平治はますます仕事熱心になる。彼が日本大使館で、教科書が国定になるのならば娼館も国営にしましょうと本心から言うのである。これも面白い。現在ならばなにを馬鹿なことを言っているのか、そんなことが出来るわけないだろうと一蹴されてしまう問題だ。だが当時ならばそう考える人間が出てきてもありえなくはないという状態だということがみてとれる。もちろんそれは現実的に不可能なわけであったが、これも全てはお国の為にという純粋な気持ちからくるのである。
純粋な気持ちで女を売るのだからこのアイロニーは面白い。女たちも伊平治たちに説得させられて、身だけ売って心を売らなければなんのもんだいもないのだと考えて金を稼ぐのだから笑えるようで笑えない。
これは真面目腐って体を売るような日本人の愚鈍さに対する皮肉である。

その皮肉さはいよいよもって天皇の崩御という形であらわになってくる。天皇のために、お国のためにと頑張ってきた伊平治はここで大きな指針を失ってしまったと言っていいだろう。その後の天皇に対する不信感が日本に蔓延する。つぎの御真影はあまり効果がないと口にする部下。それに対し、ばかなことを言うなと叱る伊平治ではあったが、やはり彼は心のどこかで疑いを挟まざるを得なかったのだろう。明確な目標を失ったかれは、その後最終的に王との抗争に敗れる。娼館としほを失うことになる。
しかししほは失わずとも済んだはずである。では何故しほは王の下へ行ったのか。しほは最後にしゃきっとしたあんたが大好きじゃけんという言葉を残してさる。やはり、1920年の廃娼令でもって国から名実ともに見捨てられた伊平治は目標を見失い空回りしていたのである。
それに対し王が目標とするものがいまいちよくわからないが、しほは王を選ぶ。王は以前から伊平治とライバルであった。バルチック艦隊が見えたときも、国難ぞと叫ぶ伊平治に対し、王は日本はあの煙のようにからっぽだと言う。これは即ち日本と一心同体であった伊平治、そしてその日本に見捨てられた伊平治は結局からっぽにならざるを得なかったということだ。

しかし未だ情念の絶えることのない伊平治は、お国のために日本人をふやさねばならないと子どもを作り始める。まったくどこまで行っても愚鈍な伊平治であるが、何年もの月日が流れる最後の場面においてハーフである子どもにお父さんお父さんと呼ばせている伊平治はもう憐憫のかけらしかない。彼の人生はそこで終わるかと思ったが、日本兵が上陸してきた時、彼の情念は再び燃え上がる。
日本兵にごみのように扱われ、なぶり飛ばされる。これは実に衝撃的な場面である。廃娼令と共に再び日本に捨てられた伊平治。しかしもうお国のためにしか働くことのほか能のない彼は、何度も何度も立ち上がり、兵隊しゃん、おなごのことは俺に任しんしゃいと言って兵隊を追いかけるのである。
伊平治は見捨てられた過去の日本の象徴である。そして兵隊は変化した新しい日本の象徴である。ところがどっこい歴史をみてみるとそのどちらも結局はだめだったのである。王のいったように過去の日本も、新しい日本も結局はからっぽで、艦隊の煙のようであったのだ。
一体何が間違っていたのか、それは歴史にIfはないからわからない。日本の歴史上最も激しい変動の時代の中、愛国心のために人生を賭した男は最後の最後に何を見たのであろうか。そこには強く変わろうとした日本が見えたのであろうか。
奇しくも、伊平治は私の専門である夏目漱石と同じ年に生まれている。夏目漱石は1916年に伊平治よりおよそ30年も早くこの世を去るが、漱石が見たものはなんだったのであろうか。戦争で他国を支配していく列強の一国であったのだろうか。それとも明治天皇と共にすでに日本は殉死していたのであろうか。社会派という言葉を聞いて深く以上のことを考えさせられた。

夏目漱石 「心・こヽろ・こころ」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その六

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(5)結婚申し込みと疑い
P264ℓ15「その内年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに歌留多を遣るから誰か友達を連れて来ないかと云った事があります。」とあり大学三年(学生時代最後)の正月に歌留多をしました。この出来事は「先生」が「奥さん」に結婚の申し込みをするにいたった原因の一つでもあります。
P265ℓ9「私はKに一体百人一首の歌を知っているかと尋ねました。Kは能く知らないと答えました。私の言葉を聞いた御嬢さんは、大方Kを軽蔑するとでも取ったのでしょう。それから眼に立つようにKの加勢をし出しました。」という状態です。
一つの疑念としては中学高校と成績優秀で、大学でも道追及のためあれだけ勉強熱心だったKが本当に百人一首を全く知らなかったのかということです。K自身は知らないと答えていますが、知らない振りをしてないわけではないという可能性もあります。
また、ここでは「御嬢さん」の母の「奥さん」もいますから、「御嬢さん」の行為はK「先生」「奥さん」三人に公な行動だったのです。
結局この出来事が起こった二三日後に「先生」はKから「御嬢さん」への恋を打ち明けられます。
そうして「先生」はもしKと恋敵として戦ったらどちらが勝つかということを予想せずにはいられませんでした。それはKと自分の比較をしている部分からわかります。P246ℓ16「私は自分より落付いているKを見て、羨ましがりました」P249ℓ11「容貌もKの方が女に好かれるように見えました。性質も私のようにこせこせしていないところが、異性には気に入られるだろうと思われました。何処か間が抜けていて、それで何処かに確かりとした男らしいところのある点も、私よりは優勢に見えました。学力ならば専門こそ違いますが、私は無論Kの敵ではないと自覚していました」
ここで唯一Kに圧倒的に勝利しているものがあります。それは経済力です。しかし「先生」はこれについて触れません。なぜなら「先生」はP263ℓ12「此方でいくら思っても、向こうが内心他の人に愛の眼を注いでいるならば、私はそんな女と一緒になるのは厭なのです」
経済力だけを求めて、愛がない結婚は絶対にしたくないのです。

しかし「先生」はカルタ後にKから御嬢さんへの気持ちを告白されてしまいます。フェアな状態で戦えば負けることを自覚していた「先生」はKの告白時に告白返しをしませんでした。
ここで「先生」はKを応援して自分は身を引く友情をとるか、裏切って御嬢さんをとるかという二者択一に迫られます。結果は裏切るのですが、それ以前から「先生」は何度かKに告白しようと試みたことがありました。
P247ℓ13「私は思い切って自分の心をKに打ち明けようとしました。」P248ℓ9「Kと私は何でも話し合える中でした」
しかし「先生」は最後までKに打ち明けられなかったのです。そうしてKに告白されて、P268ℓ12「すぐ失策ったと思いました。先を越されたなと思いました」
これでついに追い詰められた「先生」は1、「御嬢さんと奥さん」は策略家ではないのかという疑いと、「御嬢さん」はKのことを愛しているのではという疑いを晴らすことができないまま、「これから先どんな事があっても、人には欺されまい」という決心と「果たしてお嬢さんが私よりKに心を傾けているのならば、この恋は口にする価値のないもの」という決心を破って、結婚を申し込みます。
「先生」にとっては二つの大きなハードルを越えないまま決行した申し込みはしかし「奥さん」に即答で承諾されてます。
P294ℓ2「最初から仕舞いまで恐らく十五分とは掛からなかった」ほど早く話しが終わったこと。ℓ6「当人にはあらかじめ話して承諾を得るのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは『大丈夫です。本人が不承知なところへ、私があの子を遣る筈がありませんから』と云いました」こと。これらから、
ℓ9「自分の部屋へ帰った私は、事のあまりに訳なく進行したのを考えて、却って変な気持ちになりました。果たして大丈夫なのだろうかという疑念さえ、どこからか頭の底に這い込んで来た位です。けれども大体の上に於て、私の未来の運命は、これで定められたのだという観念が私の凡てを新たにしました」この変な気持ちとは策略ではないのかという疑念です。やっぱり人に欺まされた、愛はKで私は財産目当てではないかと考え始めたのです。

P218ℓ10「その男がこの家庭の一員となった結果は、私の運命に非常な変化をきたらしています。もしその男が私の生活の行路を横切らなかったならば、おそらくこういう長いものをあなたに書き残す必要もおこらなかったでしょう」という仮定形の意味を考えて見ましょう。これはKがいなかったならば、私は「お嬢さん」と幸せに暮らしていたでしょうということなのでしょうか。いいえ、人に欺まされるのが嫌な「先生」はKがいなかったならば恐らく「お嬢さん」と結婚していなかったでしょう。財産が目当てでおびき寄せられるのが嫌だった「先生」ですが、この疑念は「先生」に財産がある限り一生続きます。財産をどこかにやるという考えもない「先生」はきっと誰とも結婚しなかったでしょう。

P262ℓ12「私は今でも決してその時の私の嫉妬心を打ち消す気はありません」
P262ℓ15「こういう嫉妬は愛の半面じゃないでしょうか。私は結婚してから、この感情がだんだん薄らいで行くのを自覚しました。その代わり愛情の方も決して元のように猛烈ではないのです」
という箇所から、嫉妬にひっぱられて燃え上がる愛を確認することが出来ます。「先生」は愛が増すことによって嫉妬が増すのではなくて、嫉妬が増すから愛が増すという変わった愛を持っています。ですから嫉妬が薄らげば愛も薄らぐのです。
そして「薄らぐ」と「消える」は違います。「先生」はKの自殺以後もずっとKに対する嫉妬心を持ち続けているのです。

ちなみに「先生」が本当に卒業しているかどうか疑う余地はある。
当時の卒業論文の提出は4月です。「先生」が結婚の申し込みをしたのが正月です。そしてKが自殺したのが2月。その後引越しをしていますから、卒業論文という大変時間の掛かるものを作り上げる時間があったのかという疑問が起こるわけです。Kが自殺する以前に仕上げていたというのならわかりますが、それはどこにも書かれていません。また、Kが死んでもそれに同ずることなく書き上げたという「先生」強靭精神説もあります。ただ、P100ℓ14「『先生の卒業証書はどうしました』と私が聞いた。『どうしたかね。-まだ何処かにしまってあったかね』と先生が奥さんに聞いた。『ええ、たしかにしまってある筈ですが』卒業証書の在処は二人と能く知らなかった。」という部分で、卒業証書という物的証拠は作中に提示されません。また、「先生」は大学を卒業することによってどこかへ働こうという意志は最初から全くなく、働かないで暮らしていこうと思い家を建てたのですから、卒業しないということが「先生」にとってデメリットになるということはないのです。

P327ℓ1「私は妻には何も知らせたくないのです。妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存して置いて遣りたいのが私の唯一の希望なのですから」という有名な最後。
ここでの「己れの過去」の「己」とは「先生」ではなく「妻」ですね。Herselfです。もしこの遺書を妻が読んだら、妻自身が策略家、技巧家であるとううことを認識して過去の記憶を汚していしまうのではという配慮からくる言葉です。だから「先生」は「妻」が策略家、技巧家であると事実化した上で、「妻」を思いやり、やさしくするのです。不信を前提としているのです。
P46ℓ9「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」という問いの答えはP97ℓ9「私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。」といってます。つまり「妻」さえ信用していないのです。
ここで再び「技巧」=「策略」=「叔父と一緒」という図式が成り立ちます。

尾崎紀世彦 名曲で彼を偲ぶ 昭和の歌い手がまた一人逝った

昨日5月31日歌手の尾崎紀世彦さんが他界なされました。ご冥福を祈ります。
尾崎さんはそのあるれでる力強い歌声で広く愛されました。口ひげ、もみ上げ、声量でいったら他の歌手の追随を許しません。私はどうも平成生まれにもかかわらず、最近の音楽のよさがわかりません。完全に時代錯誤の感があります。なぜでしょうか。
私にとって男性女性アイドルが歌っているのを見ても聞いてもちっともいいと思えないのです。私が感動するのはいつも昭和の歌手でした。美空ひばりをはじめ、男性歌手で言ったら布施明、松崎しげる、尾崎紀世彦などです。
私はいわゆる熱傷系が好きなのですね。だからこのごろの音楽はどうも軽くてかなわないといったところです。
尾崎さんの話に戻しますが、彼はハーフですから非常にダンディですよね。若いことは非常にもてました。おじさんになっても彼ほどかっこよい人間はいなかったのではないでしょうか。特徴はいくつもありますが、歌い方は毎回テレビに出るたびに変えているというのが特徴です。動画サイトなどで聞き比べるとおもしろいですよ。
またなんといっても彼の声量はすばらしいものです。皆口々に尾崎が本気を出したらガラスが割れるとかマイクが壊れるとかいっていました。布施さん、松崎さんとともに声量のすごい歌手ですが、最も安定感があるのはやはり尾崎さんでした。
先日亡くなった吉田秀和さんや新藤兼人さんともに芸術を深く愛し、類を見ない功績を残した人物です。また昭和の歌手が逝ってしまったことは本当に残念でなりません。がんだったとはちっとも知りませんでした。
今回は彼の名曲とともに、その歌声のすばらしさを味わいながらその喪失を悼みましょう。

また会う日まで

ラブ・ミー・トウナイト

この胸のときめきを

ゴットファーザー・愛のテーマ


夏目漱石 「心・こヽろ・こころ」 もう一度読む名作 テクスト論からバイアスの解放 その五

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(4)御嬢さんの笑い
御嬢さんの笑いはこのこころを読み解く上で重要なポイントとなります。御嬢さんの笑いというタイトルで論文が出されているほど以前から注目されてきたのです。
御嬢さんの笑いとは直接関係ありませんが、本文から推測すると「先生」は英文、Kは哲学科であると思われます。P239ℓ4「Kと私は同じ科に居りながら、専攻の学問が違っていましたから、~」科は現在で言う文学部。専攻は現在で言う科
それからP194ℓ3でこの下宿が「伝通院」の近くにあるということが明記されています。

Kと御嬢さんに対する不安の気持ちの芽生え
P239ℓ10「ある日~それと同時に、私は御嬢さんの声を聞いたのです。声は慥にKの室から出たと思いました。」P240ℓ2「すると御嬢さんの声もすぐ已みました。~私は変に思いました。ことによると、私の疳違いかも知れないと考えたのです。然し私がいつも通りKの室を抜けようとして、襖を開けると、其所に二人はちゃんと坐っていました。Kは例の通り今帰ったかと云いました。御嬢さんも『御帰り』と坐ったままで挨拶しました。私には気の所為かその簡単な挨拶が少し硬いように聞こえました。」

P204で奥さんは「先生」と御嬢さんを二人一緒の家においていくことを決してしませんでした。ところがP240ℓ13「奥さんは果たして留守でした。下女も奥さんと一所に出たのでした。だから家に残っているのはKと御嬢さんだけだったのです。私は一寸首を傾けました。今まで長い間世話になっていたけれども、奥さんが御嬢さんと私だけを置き去りにして、宅を空けた例はまだなかったのですから。私は何か急用でも出来たのかと御嬢さんに聞き返しました。御嬢さんはただ笑っているのです。私はこんな時に笑う女が嫌いでした。若い女に共通な点だと云えばそれまでかも知れませんが、御嬢さんも下らない事に能く笑いたがる女でした。」

P241ℓ15「私はその卓上で奥さんからその日何時もの時刻に肴屋が来なかったので、私達に食わせるものを買いに町へ行かなければならなかったのだという説明を聞かされました。成程客を置いている以上、それも尤もな事だと私が考えた時、御嬢さんは私の顔を見て又笑い出しました。然し今度は奥さんに叱られてすぐ已めました。」「一週間ばかりして私は又Kと御嬢さんが一所に話している室を通り抜けました。その時御嬢さんは私の顔を見るや否や笑い出しました。」

あの道探求のため勉強熱心なKがKらしからぬ行動をします。P257ℓ6「たしか十月の中頃と思います、私は寝坊をした結果、日本服のまま急いで学校へ出た事があります。穿物を編上などを結んでいる時間が惜しいので、草履を突っかけたなり飛び出したのです。その日は時間割からいうと、Kよりも私の方が先へ帰る筈になっていました。私は戻って来ると、その積りで玄関の格子をがらりと開けたのです。すると居ないと思っていたKの声がひょいと聞こえました。同時に御嬢さんの笑い声が私の耳に響きました。私は何時ものように手数のかかる靴を穿いていないから、すぐ玄関に上がって仕切の襖を開けました。私は例の通り机の前に坐っているKの室から逃れでるように去るその後姿をちらりと認めただけでした。私はKにどうして早く帰ったのかと問いました。Kは心持が悪いから休んだのだと答えました。」
P258ℓ12「ある時は御嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して、Kの方ばかりへ行くように思われる事さえあった位です。」
P259ℓ1「十一月の寒い雨の降る日の事でした。~P260ℓ12はたりとKに出会いました。~Kと私は細い帯の上で身体を替せました。するとKのすぐ後に一人の若い女が立っているのが見えました。近眼の私には、今までそれが能く分からなかったのですが、Kを遣り越した後で、その女の顔を見ると、それが宅の御嬢さんだったので、私は少からず驚きました。御嬢さんは心持薄赤い顔をして、私に挨拶をしました。」
P261ℓ13「私はKに向って御嬢さんと一所に出たのかと聞きました。Kはそうではないと答えました。真砂町で偶然出会ったから連れた立って帰って来たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入った質問を控えなければなりませんでした。然し食事の時、又御嬢さんに向かって、同じ質問を掛けたくなりました。すると御嬢さんは私の嫌な例の笑い方をするのです。~御嬢さんの態度になると、知ってわざと遣るのか、知らないで無邪気に遣るのか、其所の区別が一寸判然しない点がありました。若い女として御嬢さんは思慮に富んだ方でしたけれども、その若い女に共通な私の嫌いなところも、あると思えば思えなくもなかったのです。私はそれをKに対する私の嫉妬に帰して可いものか、又は私に対する御嬢さんの技巧と見做して然るべきものか、一寸分別に迷いました。私は今でも決してその時の私の嫉妬心を打ち消す気はありません。」
これを見ていくと「先生」がKに対する嫉妬をあらわした時、御嬢さんが笑い、それが「先生」の心をかき乱すという構図が浮かび上がります。

こうした嫉妬心にかられて「先生」はP263ℓ2「私はそれまで躊躇していた自分の心を、一思いに相手の胸へ敲き付けようかと考えま出しました。私の相手というのは御嬢さんではありません。奥さんの事です。奥さんに御嬢さんをくれろと明白な談判を開こうと考えたのです。」
しかし「先生」は談判を開こうとした決心をほかの決心に妨げられてしまいます。
P263ℓ7「Kの来ないうちは、他の手に乗るのが厭だというが我慢が私を抑え付けて、一歩も動けないようにしていました。Kの来た後は、もしかすると御嬢さんがKの方に意があるのではなかろうかという疑念が絶えず私を制するようになったのです。果たして御嬢さんが私よりもKに心を傾けているならば、この恋は口へ云い出す価値のないものと私は決心していたのです。」
ここでK同宿以前の結婚申し込みを阻んだハードルと、K同宿以後に結婚申し込みを阻んだハードルが出現します。「先生」はもし結婚申し込みをして受理されたなら本当はKが好きなのに、策略や財産目当てでしかないと考えたのです。

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