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京都逍遥 ~9~ 番外編 京都の小さな楽しみ

今回の京都散策、逍遥はこれにて終了とします。書きたかったことを一日を使って書けたので満足しています。
最後は京都という町を歩いていて大したことはないのだけれどちょっと興味を湧くようなものを乗せておきます。
また今回の旅行は三月上旬、今年は例年になく寒い春でしたので、梅すらまだ満開とは行きませんでした。
今度は桜の季節、夏の宵山、秋の紅葉と見てみたいものです。
梅、わずかに咲きけるのありたり。
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展望台からの京都パノラマ
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変な看板を見つけました。立体的。
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いい趣味です。個人宅にてきれいに並べられていました。
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塀からおかしなものが出ていました。何か意味があるのでしょうか。怖い顔をしているぶんなんとも滑稽味に溢れています。
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京都逍遥 ~8~ 三十三間堂-清水寺-産寧坂-京都霊山護国神社-知恩院

三十三間堂、正しくは蓮華王院。1164(長寛2)年、後白河上皇が平清盛に勅命し創建しました。中央の湛慶(たんけい)作千手観音坐像、左右の千手観音立像500体は有名です。中学の修学旅行以来大分経っていましたから、その荘厳さや重要さ、美しさなど学生の時には考えられなかったほど色々な感情が湧きました。裏では「通し矢」の展示が行われていました。
通し矢は、三十三間堂の裏手で、南側に的を置き、120メートルも離れた北から矢を放ち当てるもので、江戸時代の通し矢では、一昼夜のうちに何本的に当てられるかを競ったと伝えられています。現在の最高記録は、貞享3年(1688)には紀伊藩の和佐大八郎が8132本射通して射た矢の数は13,053本というもの。およそ6割で射抜いています。一日中ずっと弓を射るというまさに神業。どんな筋肉や精神力を持っていたのでしょうか。
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清水寺
778(宝亀9)年、音羽(おとわ)の滝を訪ねあてた延鎮上人が滝の上に観音像をまつり、のちに坂上田村麻呂が本尊の十一面千手観音を安置したのが始まりだそうです。寺名の由来ともなった音羽の滝は古来「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。
隨求道(ずいぐどう)胎内めぐりはぜひとも一度経験してみてください。なんとどんな願い事でも一つだけならば忽ちにしてかなえてくれるという大悲の母が祭られています。私も一つ願い事をしてきました。
清水の舞台を出てすぐ左にある地主神社は縁結びとして有名です。恐らくバイトでしょうが非常に美しい巫女さんがいました。私の恋も叶うといいのですが・・・。
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人でごったがえしている産寧坂。山椒が有名で買ってしまいました。
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京都霊山護国大社では坂本竜馬と中岡慎太郎の墓があります。また木戸孝允とその妻幾松の墓もあります。まさしく世界観が変わろうとしていたころに奮闘した人間たちの菩提を弔うための大社です。今再び震災があり、原発の問題があり、世界観が変わろうとしているときに彼らに学ぶことは多いと思います。
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知恩院
法然上人が布教の拠点として建てられた浄土宗の総本山。とにかくすごい高さ24メートルほどの三門は木造の門では最大級。そこまではよかったのですが、なんと本堂のほうは修復工事中で白いシートに阻まれて全く見れなかったのです。残念。
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京都逍遥 ~7~ 絶対に入ってはいけない夜の伏見稲荷大社

711(和銅4)年に鎮座したという稲荷神社の総本宮。商売繁盛・家内安全・芸能上達・などの守護神として古くから知られ、『枕草子』にも登場。朱の鳥居を建てて祈願と感謝を表す信仰が盛んで、その鳥居の数は数千にも及び、特に千本鳥居が有名です。
夜になると京都は観光をする名所がかなり限られてきてしまいます。ほとんどは45時には終わってしまいますから夜にどこかにいこうとするとこうなってしまうわけです。
スポットライトを当てられてライトアップした京都タワーはとてもかわいらしい感じがします。夜に映える青が美しいです。
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入ってはいけない、夜の伏見稲荷大社
誰もいないなか、私はずいずいと奥に入っていきました。先ず大きな門の朱いこととその荘厳さに身を強張らせましたが、それでも邁進します。今度の震災のため節電をしているという理由で鳥居の照明は普段の約半分の光源でしかなく、周りが殆ど見えない状況でした。足元も気をつけなければよく見えません。
音という音が全て消えうせて、ただ私の息が切れる音と足音のみになりました。すると果てしなく続く真っ暗な鳥居の先から何か鈴のような音が聞こえます。それを追って急ぐのですがいくら急いでも音に辿り着きません。
二時間近く歩いてやっと開けたところに出られました。どれだけ歩いても同じところを回っているような、狐に化かされているような感覚がしていたのですが、どうやら山の頂にこれたようです。目下に広がるは京都の夜景。しばらく見てからふと自分の後ろに気配を感じました。
よくよく背後を見てみるとここは頂上ではなく、これから頂上に向かうための入り口があったのです。もう光は殆ど見当たりません。全くの暗闇の中から何かが近づいてくるのが感覚的にわかりました。そうして私は一目散に山を駆け下りたのですが、いくつも分岐する道をどちらから来たのかわからずにただあてずっぽうで駆け下りました。
途中見たこともないような狐の像の大群が左右に広がっていて、これはもはやと覚悟しました。しかし何とか民家のあるところまで降りてくると、京都の人の手によってすくわれたのです。
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京都逍遥 ~6~ 清涼寺-オルゴール博物館-美空ひばり座-渡月橋-梅宮大社

清涼寺(嵯峨釈迦堂)は光源氏のモデルとされている源融(みなもとのとおる)の別荘に895年、その遺族が御堂を建てました。本尊・釈迦如来は37歳の生身の釈迦の姿といわれています。
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オルゴール博物館、近代オルゴールの父、ギド・リュージュから寄贈されたアンティークオルゴールやオートマタ等の希少なコレクション約2000点を収蔵し、それ中から厳選された100点を展示。写真は博物館前の噴水。
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美空ひばり座。どうしてここに立てなければならなかったのかいまいちわかりませんが、昭和のスター、私の大好きな美空ひばりが歩んだ奇跡を紹介。歌手・女優・母の三点から展示したゾーンや愛用品を展示するゾーンなどで構成されています。
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渡月橋。亀山天皇の「くまなき月の渡るに似たり」という言葉に由来。三船祭り、鵜飼、万灯流し、もみじ祭りなど様々な催し物がある嵐山景観を代表する一つ。前日の雨のため、少々氾濫気味。
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旧称は梅宮神社で、鳥居の扁額には単に「梅宮」とだけ書かれています。酒造の神、子授け・安産の神として信仰されています。
祭神は本殿・相殿ともに4柱。檀林皇后が当社の砂を産屋に敷きつめて仁明天皇を産んだことから、子授け・安産の神としても信仰されるようになりました。
梅宮(うめのみや)というように梅の木が約550本植えられています。またカキツバタも有名。ツツジ・花菖蒲・アジサイなども楽しめます。私が行った時期が悪かったのですが、寒い春でしたので梅はあまり咲いていませんでした。
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京都逍遥 ~5~ 大覚寺 いけばなと寺院

嵐山コースの最後はやはり大覚寺。
正式名称「旧嵯峨御所大覚寺門跡」、真言宗大覚寺派の本山で心経写経の根本道場・いけばな嵯峨御流の総司所です。
門跡寺院とは天皇、または皇族が住職に就かれた寺院のことをいい、平安時代に嵯峨天皇が建立し、弘法大師もよく訪れたそうです。嵯峨天皇の孫の恒寂(ごうじゃく)入道親王が初代の住職に就き、南北朝時代には南朝の御所となり、ここで争いに終止符を打つ講和会議が開かれました。
先ず入り口ではいけばなの先生方による秀作が参拝者を出迎えてくれます。歩きで疲れてきた心身を癒してくれます。フラワーデザイナーである母に見せたところいけばなはよくわからんといっていました。
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宸殿(しんでん)は寝殿造りで前庭には古式正しく右近の梅、左近の橘が配されていました。他に部屋の襖は狩野山楽筆の「牡丹図」「紅白梅図」渡辺始興筆の「野兎図」など桃山時代、江戸時代の文化の最を集めています。
右近の橘 これは右京左京の見方と同じで、宸殿からみて右ということ。
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左近の梅
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狩野山楽筆「紅白梅図」
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幽玄な庭園、さまざまな草木が一年を通して多様な表情を見せるため、一年いても飽きない。
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京都逍遥 ~4~ 愛宕念仏寺 千二百羅漢像

嵐山コース、化野(あだしの)念仏寺よりさらに北へと向かいますともうのこるは愛宕(おたぎ)山のみです。途中の嵯峨鳥居本の道は化野念仏寺で引き返してしまう人が多いためあまり注目されませんが、ここは特に嵯峨嵐山の美しい町並みが現代に残っている貴重な道で、景観保存のため、伝統的建造物群保存地域に指定されています。現代から数百年タイムスリップしてしまったかのように、藁葺き屋根や町家風の民家が立ち並んでいます。保存館は無料で見学ができ、そこで案内をしてくれたおばあさんが非常に親近感の湧く人物でした。その保存館自体が随分前に作られたもので、窓ガラスは一枚一枚職人さんが作ったものだそうで、気泡がありました。今度の地震で割れなくて良かったですねとたずねると、ここら辺は地盤が固いから何とかなりましたと仰ってました。
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途中の民家にとても面白いものを発見しました。これは恐らく私の調べたところですと屋根の最上部に位置する拝本掛瓦(おがみほんかけがわら)だと思うのですが、詳しくはわかりません。これを集めるのが趣味なのでしょう。これは一部のようでもっとあるようです。一個くらいほしいですね。
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愛宕念仏寺
称徳天皇の開基により山城愛宕群に愛宕寺として建立。平安朝の初め鴨川の洪水により堂宇が流出したため、天台宗の僧、阿闍梨伝燈大法師千観内供(あじゃりでんとうだいほっしせんかんないぐ)によって再興された。この千観は生涯仏名を唱えて絶えることがなかったため念仏という名前が加わった。大正十一年に保存とあたご山との信仰的関係から現在の地へ移築。平成三年に「千二百羅漢落慶法要」を厳修し、千二百人の参拝者によって羅漢が彫られました。
ともかく圧倒的であります。最初はあまりに怖すぎてぎょっとしたのですが、よくよくみてみるとどれもこれもとてもかわいらしい羅漢であることがわかりました。皆それぞれまったく異なったもので、その表情はありとあらゆるものが揃っていました。また老若男女が作ったため、形もそれぞれ全く異なり、芸術的にもかなりすばらしいものです。中には達磨のようなものもあればモアイ島からやってきたものであろうと思うようなものもあり、当初の恐怖はどこかに吹き飛びただただおもしろおかしい様子でした。
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鐘に鈴がついている不思議なものがありました。ごーんという低い音とともにしゃらしゃらという高い音がなります。これはその鐘がある建築物の上にある鳳凰の像です。
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京都逍遥 ~3~ 嵐山東公園-百人一首歌碑

去年一年間研究をしていた百人一首に思わず出会ってしまいました。先ずは小倉百人一首の由来ともなった小倉です。
藤原定家が編纂したとして有名な百人一首ですが、これは実は創作ではなくて依頼なのです。
というのは定家の『明月記』文暦2年五月二十七日に入道から、入道の山荘である小倉山荘に飾る色紙を作って欲しいという依頼があったと書かれているからです。この入道というのは蓮生のことであり、定家との関係は、定家の子の為家の妻の父という関係です。定家にとっては息子の嫁の父ですから、その蓮生の頼みを聞いて一生懸命作ったというわけです。それでこの蓮生は一応出家していましたから小倉山に山荘を作ってそこに住もうとしていたわけです。定家もここにしばらく滞在して小倉山荘百人一首の編纂をしたといわれています。
この百人一首、最近ブームが起きているようで、2006年には嵐山に新しく体感型アミューズメント施設「時雨殿」が出来ました。任天堂とのコラボでゲーム感覚で百人一首が楽しめるそうです。今回私はいけなかったのが非常に残念です。
それに少し遅れて平成19年にはこの歌碑が出来たということです。大きな岩石に一首の歌を刻んであるもので、それが公園にぽつぽつと並んでいます。一つの歌碑を作るのが約300万との説明がなされていましたので、合計で三億円にも及ぶ大事業です。
今回私が訪れた嵐山東公園では続後撰集2、千載集14、金葉集 5の歌合計21基がありました。
他に・長神の杜、新古今集14 詞花集 5、・野々宮広場、後撰集 7、・立石町広場、新勅撰集 4、・亀山公園 、古今集 24、拾遺集 11
後拾遺集 14とあります。
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(089) 玉の緒よ絶なば絶えねながらへば 忍ぶることのよわりもぞする
式子内親王 新古今 巻第十一 恋一 一〇三四
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(087) むらさめの露もまだひぬまきの葉に 霧立のぼる秋の夕暮
寂蓮法師 新古今 巻第五 秋下 四九一
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(084) ながらへばまたこの頃やしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき
藤原清輔朝臣 新古今 巻第十八 雑下 一八四三
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(079) 秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出づる月の影のさやけさ
左京大夫顕輔 新古今 巻第四 秋上 四一三
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(057) 巡りあひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな
紫式部 新古今 巻第十六 恋六 一四九九
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(054) 忘れじの行末までは難ければ 今日をかぎりの命ともがな
儀同三司母 新古今 巻第十三 恋三 一一四九
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(046) 由良のとをわたる舟人かぢをたえ 行く方も知らぬ恋の道かな
曽禰好忠 新古今 巻第十一 恋一 一〇七一
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(027) みかの原わきて流るる泉川  いつみきとてか恋しかるらむ
中納言兼輔 新古今 巻第十一 恋一 九九六
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(019) 難波潟みじかき芦のふしの間も あはでこの世を過ぐしてよとや
伊 勢 新古今 巻第十一 恋一 一〇四九
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(006) かささぎのわたせる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞふけにける
中納言家持 新古今 巻第六 冬 六二〇
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(004) 田子の浦にうちいでて見れば白妙の 富士の高嶺に雪はふりつつ
山部赤人 新古今 巻第六 冬 六七五
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(002) 春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山
持統天皇 新古今 巻第三 夏 一七五
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京都逍遥 ~2~ 嵯峨の竹林-祇王寺

天竜寺の魅力に満足してからは嵐山コースに従い竹林を通り抜けます。こんなところを通ると何かに化かされているような、ぬらりひょんの孫なんかを思い出してしまいます。あるいは森見氏の竹林と美女、竹林の静けさに包まれながらも少し面白おかしいような感情もします。
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竹が切られて束になって山積みされていました。この模様が実に面白い。何かのモチーフになりそうです。
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竹林を抜けると竜馬一行が出迎えてくれます。百数十年前、ここら辺を竜馬一行も歩いたのかと思うと時の流れ、感慨深いものを感じます。
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祇王寺
法然上人の門弟・良鎮が建てた往生院が尼寺として残ったもの。現在は大覚寺の塔頭(たっちゅう)。平清盛の寵愛を失った祇王が、妹・母とともに出家し、晩年を過ごした地として『平家物語』に描かれている。草庵の控えの間にある吉野窓(虹の窓)は風雅。
非常にきれいな苔とカエデ。どこかの山頂からあたりを見渡しているような広々とした感覚に陥るとともに、また大きな世界を抽出して圧縮したようなお弁当箱に隙間なくおかずを詰め込んでいくような雰囲気も感じます。
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全体的に統一された静かな心安らぐ庭ですが、ところどころ色鮮やかな花が咲いており、静寂だけの一辺倒なものではなくなっています。このしみじみとした空間のなかにぱっと彩りを加えるアクセントが絶妙。
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今回のベストショット。庭園を縦に貫くように流れ落ちる水は、山々から流れ出てくるひとすじの川のようなものでしょうか。苔の豊かなこの庭全体が水の象徴であるかのように感じられます。
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京都逍遥 ~1~ 天竜寺

今年の春に京都に行ってきました。春休み中に書こうと思っていたのですが、日々の雑務に追われ二ヶ月ほど先延ばししてしまったことに大変反省しております。やはり何事も時期、タイミングが重要です。その好機を逃さないようにしなければなりませんね。
ということで京都散策の記事をいくつかに分けて書こうと思います。先ずは天竜寺から。
天竜寺は臨済宗天竜寺派の大本山、京都五山の第一位。1339(暦応2)年、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために亀山殿を禅寺に改めたそうです。夢窓国師作の曹源池(そうげんち)庭園は、砂と松、岩石を組み渓谷を見事に表現。法堂(ほっとう)の天上、雲龍図は傑作。
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庭園に入る前からこのあまりに偉大な自然を表現した小さな庭を眺めることが出来ます。日本のコンパクト文化、これの象徴とも言うべき小さなものですが、非常に美しく雄大であります。一番大きな岩石でさえ人間の二倍の大きさほどはありません。しかしそれでもこの庭を目の前にすると自分が石ころ一つの大きさよりもはるかに小さなものになった心持がしてしまいます。
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庭園への入場料を払って先ず最初に目にするのは広大な枯池(かれいけ)。大海原に出てしまったかのような感覚に陥ります。ここからただでさえ広い庭を無限の宇宙のような存在に置き換える試みが始まるのです。
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こちらは水を用いた池。鯉が悠々と泳いでいる様を見ると時の流れはずっと遅くなり、東京ではどうしてあんなに急いでいるのだろうかということをふと疑問に思わされます。そんなに急いで一体どこにいくというのでしょうか。人間が人として生きるため、今の日本に重要なことは時間を忘れ、ただ自分と見詰め合うことではないでしょうか。大きな存在と対峙したときに感じることは人間のいっぽけさであります。
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庭園のいたるところには普段見たこともないような種類の草木や花があり、これを一つ一つみて楽しむことも出来ます。それらには雰囲気を崩さないように最善の注意を払って作られた木製の看板があります。
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いよいよ庭園の奥にくると苔と松の世界に取り込まれます。観光客で賑わっていた本殿からほんのわずかしか離れていないはずなのに、そこはどこか遠くの山の中に入ってしまったように静寂に包み込まれます。まだ春も初めのころでしたのでそんなに青々としているわけではありませんが、それでも苔は美しくあたり一面に敷き並んでいました。
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菜根譚 シリーズ2 現代の処世術

シリーズ1から大分時間がたってしまいました。菜根譚から学ぶ現代の処世術、少し参考にしてみては。
・思い込みを捨てなければ物はみえない
矜高倨傲(きょうこうきょごう)は客気(かくき)にあらざるなし。客気を降伏し得下して、後に正気伸ぶ。情欲意識は、尽く妄心に属す。妄心を消殺し得尽くして、後に真心現る
矜高倨傲とはのぼせあがって他人を見下し、俺が俺がで何でも出来ると思い込んでいる状態。情欲意識とはとらわれた先入観、思い込みのこと。こうした思い上がりを捨てて、自分にできることと、できないことをはっきり見定めることが、謙虚さに裏打ちされた本当の自信の出発点になる。

・過ちを犯さず、怨みを受けぬが功績
世に処しては必ずしも功を儌(もとめ)ざれ。過ちなきはすなわちこれ功なり。人に与えて徳に感ずることを求めざれ。怨みなきはすなわちこれ徳なり。
社会生活においては、無理に功績をあげようと努めることはない。失敗を犯さなければ、それが立派な功績ではないか。
対人関係においては、強いて恩を施して感謝されようと思うな。人から怨みを受けずにすめば、それが人に感謝されることなのだ。

・憂勤はこれ美徳なれども、甚だ苦しめば以って性に適い上を怡(よろこ)ばしむることなし。淡白はこれ高風なれども、甚だ枯るればもって人を済(すく)い物を利することなし。
世の中の苦労を一身に引き受けたような深刻な表情、反論のしようのない筋の通った言葉、非の打ち所がない生活態度、、、、なるほどまことに立派だが、お相手していてなんとも息が詰まる。そうかと思えば、何事にもこだわらずに無関心、何を考えているのか、つかみどころのないような人もいる。使命感に燃えて頑張るのも結構、ものごとにとらわれず悠々と生きるのも結構だが、なにごとにも程がある。あまりに度が過ぎてしまうと、その理想も生かされぬまま終わってしまうだろう。

・窮地では出発点を、頂上では退き時を思え
事窮まりて勢い縮まるの人は、まさにその初心を原(たず)ぬべし。功成り行い満つるの士は、その末路を観ることを要す。
人生は山登りに似ている。行く手がふさがって、にっちもさっちもいかなくなったときは、潔く引き返して出発点に戻るのが勇気というものだ。むきになって前進し続けようとしたり、うろうろ迷い続けたりしていたら遭難すること間違いない。
首尾よく頂上を極めて目的を達したと思ったら、そこで下山にかかるべきだ。ここまでこれたのだからと欲を出して、そのままつぎの峰に挑むならば、時間と体力を使い果たして、とんでもない窮地に陥ってしまうだろう。

巻子(かんす)状 部立別 百人一首 サークルフェスティバル展示の様子

今年最初の大きな作品です。去年一年間研究してきた百人一首をなんとか形に残せないものかと苦心して、春休みを丸々使い作品にしました。製作日数は約一月半、費用は約3万ほどでしょうか。前回の『幽玄の都』でさすがに私も限界を感じ、今回はその反省を活かし自分の無理のない範囲で製作しました。
巻物状の和紙を使用しています。そこに部立別に分けた百人一首を書いていきました。
部立とは和歌集の章立てのようなものだと考えてください。一首でさえ季節や時間の流れを感じさせる和歌、これを春夏秋冬、恋では初めの秘する気持ちから恋の終わりまで、その他と言ったように時間軸を設け、そこに振るい分けていくことで和歌集全体で時間を感じれられるよう作られたものです。部立は最初の勅撰和歌集、「新古今和歌集」に従っています。
また、絵は光琳歌留多にしたがってします。江戸の天才絵師尾形光琳、琳派の祖です。彼が江戸時代に残した作品に、百人一首の歌留多を金箔で丁寧に仕上げ、そこに絵を描いたすばらしい作品があります。もちろんこんなもので歌留多取りなんかできません。復刻版が京都大石天狗屋から126,000円の値段で出ています。お求めの際はどうぞ。http://www.tengudo.jp/mainpage/korin.html

これを私が、この歌は春の歌だろう、これは恋の終わりのほうだな、と選集して並び替え、さらに絵を添えて書いたものが今回の作品です。和紙で、巻物ですから最初から最後まで全てが本番。ミスをすれば全部やり直しということになりかねません。ですから常に緊張しながら作りました。そうするとどんなに一日頑張っても10首かければいいほうでした。
和紙もこのサイズがあるわけではありません。巻物の軸、巻物を最後にとめるための紐、とめ具、全て自分で作りました。全てで6巻。1巻約18首の歌が描かれています。絵はアクリル絵の具ではなく、顔彩と呼ばれるもので、岩などを原料にした古来からの絵の具を使用しています。数百年前には尾形先生も使用したことでしょう。光琳歌留多ととてもよく似た色彩を出せたのがなによりです。
展示時では隣が書道部の展示でしたので、あっちで出展してこいと部員たちに言われました。或いは国文学科の展示場かと思ったとも言われました。

全体の様子。
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巻物、中ほどの様子。
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椿一輪、花瓶も私の陶芸作品
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桜咲き、芽吹くは希望のつぼみか 善福寺にて 桜の写真

4月8日の写真です。場所は善福寺。井の頭にも行こうと思ったのですが、誰かに会うのもいやだし、それ以前に東京都中の人々が集まり宴会をしている中にどうして入れようかと思い断念しました。
桜を写真に収めるのは散る前か散り始めが一番です。散っているときれいにも思えますが、その頃は既に満開ではないので写真には不向きなのですね。
全体としては8分咲きでしたが、たった1、2日で様子が随分変わってしまう桜を撮るのは本当に大変なことです。
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善福寺池 景観 人でごったがえしています。
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椿がとても美しく咲いていました。
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鯉がものすごい数でした。小さい子供が泣き出すほどの勢いで、大人たちもえさをやりながらなんだか怖いねと口にもらしていました。
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鴨が何故か静止。均等に配置している様はとても異様でした。何しているのでしょうね、実にシュールです。
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春の写真にことよせて

庭に咲いている花々の写真をお贈りします。
最近とても春らしい暖かさになりましたね。特に先週は夏も間近かと思わせるほどの暑さでした。今年は特に寒い冬が長く暗く厳しい一年となりました。そんな冬を乗り越えて美しく咲き誇る花にことよせて、新しい一年としたいですね。環境が変わって心身ともに疲れやすくなる時期です。気を保つためにも日の光を浴びましょう。
キンセンカ(金盞花、学名:Calendula officinalis)キク科の植物。別名はカレンデュラ、ポットマリーゴールド。
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ムスカリ、ユリ科(分類体系によりヒアシンス科)ムスカリ属 (Muscari)の植物の総称。
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パンジー(学名:Viola X wittrockiana、シノニム:Viola tricolor hortensis)はスミレ科スミレ属の園芸植物の1種。
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アリッサム
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チューリップ
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一挙に一気読み 『とある魔術の禁書目録(インデックス)』鎌池和馬著 感想とレビュー 大きな世界に飲み込まれる

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最近本の記事が少なかったのは読んでいなかったわけではないのです。知人に是非と進められ、一気に『とある魔術の禁書目録』を22巻読み上げました。一冊一冊丁寧に感想を書いてもいいのですが、それでは膨大な量になってしまうため、この22巻を一つとみて論じてみたいと思います。
何よりも衝撃的だったのが1巻です。よはりこれは22巻の中で最も優れている作品であると同時に、22巻の全ての要素を抽出凝縮したものだと感じるからです。元々この1巻から続編をだすようなかたちでしたので、1巻はそういう点でも原点であります。
魔術と科学の比較。これは新しいですね。現在では科学が優勢になっていますし、非科学的だという批判はまるで科学が万能であるということが根底にあります。しかしその絶対的な科学というのは本当に完全なものであるのだろうか、科学は万能か、科学的であれば全て正しいのか、という問いと揺さぶりをかけるのがこのテクストなわけです。
近未来的な感じがするのは作中の学園都市の影響です。何度も説明されているように23十年は現在より発展した科学の技術を有しているというエスパー要請都市。これと対立になるのがイギリス、ロシア、ローマ正教の魔術組織です。作中ではあくまでもフィクションだということでキリスト教という言葉は一切出てこないで十字教となっていますし、凄教、正教、凄教、成教などと区分されています。
フィクションなのだからハチャメチャなのかというと、そうでもなくてきちんと科学的な説明や、魔術に関する詳細な解説があります。その点においてミッション系の学校で6年間キリスト教を勉強した私も安心して読むことが出来ました。著者である鎌池さんのよく取材してあるのがわかります。中には北欧神話を題材にしたものも登場し、これは私に新しい興味を与えてくれました。

やはり私個人としては最初のインパクトが大きかったため、その後の作品は少し物足りなさを感じます。物足りなさというと少し違いますが、1巻がそれだけで完成されていて美しかったので、それを引きずるような感覚がどうしても出てきてしまっていて偏りを感じました。2巻では巫女姿の少女・「吸血殺し」こと姫神秋沙を助けるために元ローマ正教の錬金術師・アウレオルス=イザードと戦い、3巻では御坂美琴のクローンである御坂妹を助けるために学園都市最強の超能力者・一方通行(アクセラレータ)と戦う。どちらも1巻を科学サイド、魔術サイドで上手にまとめてあったためとても面白く読みました。一つ私がむずむずするのがワンピースやドラゴンボールに見られるような逆転の嵐です。戦闘を描くということは非常に難しいことであるし、リアルに戦闘を書こうと思ったら、どんなに詳細に書いたとしても数ページが限界でしょう。そのために、一対一というような言わば決闘を長く引き伸ばすため、より魅力的に見せるために逆転が起こるわけです。ですが少しくどいようにも感じました。一回の高校生である主人公の上条当麻がもう死んでもいいくらい滅茶苦茶に吹き飛ばされているのに、まだ立ち上がるのかということであります。
4巻5巻は少し中だるみの感じがします。作者も何とかこの世界を広げようと頑張った結果だと思います。まだそれが十分に広がりきらなかったのかとも思いますが、4巻では少し無理を感じました。各地で集めたお守りが偶然このような大きな魔術を展開させるというのは歯がゆさがあります。5巻にしても話の筋がぶれてしまっていると感じます。あっちへいったりこっちへ行ったりと、別にそれはまったく悪いことでも何でもなく、またそういう作風の作品も多くありますが、1巻からの流れを汲んでいるとどうしてもその流れを崩されるような感じがしました。6、7、8も共にこの作品の世界観をどのように広げていこうかという外堀を埋める作業に結果としてなったのではないかなと感じます。風斬氷華と魔術師・シェリー=クロムウェル、ローマ正教のシスター・オルソラ=アクィナスとそれを追うアニェーゼ=サンクティス、白井黒子や結標淡希、これら後に重要な役割を果たす人物が登場してくるのです。
ここでおそらくもう少し広い世界を見てみよう、1巻のような壮大さ、冒険の楽しさといったものに立ち返ろうとする感情が出てきたのではないでしょうか。外堀はもう大分埋めた。それをどのようにまとめるか、ここに視点が移ったのだと感じました。それが9、10巻の学園都市は大規模な体育祭・大覇星祭の物語だと思います。後にも登場するローマ正教のシスター・リドヴィア=ロレンツェッティと、運び屋オリアナ=トムソンを敵として魔術が科学をのっとろうという大きな動き、これに私は1巻にみた大きな世界を感じました。2から8までがこの世界に登場する重要な人物に視点を置いて見られた小さく深い世界、これを束ねようとしたのがこの9、10巻です。要は視点がマクロからミクロ、そしてマクロへ戻ってきたということになります。少しぐだぐだ感があったのをきゅっと引き締めるための作品だったのです。そこでより広い世界が見えてきたのだと思います。これを作者の鎌池さんはローマ正教編、神の右席編として描こうと思ったのではないでしょうか。

9、10でマクロの世界を描いた後は、やはり一度ミクロに立ち返ってから理詰めをし、再びマクロへという流れになります。11巻でみられるキオッジアを舞台としたローマ正教「アドリア海の女王」、司教ビアージオ=ブゾーニ及びアニェーゼ部隊との戦闘。
12、13巻では三人称小説としてはそのほとんどが上条当麻を主人公としていたのに対し、新しい試みかアクセラレータをも中心とした物語へ変わっていきます。「猟犬部隊」の木原数多との戦闘ですが、ここで大きく主人公が2人になって当初は当惑しました。一体これからどのように展開するのだろうかという期待と、うまくまとめられるのだろうかという不安ですね。そうして本編を支えるような役割を果たすSS1巻。最初SSって何だろうと思ったのですがよく考えればサイドストーリーの頭文字でした。
このSS1、今までの流れからして本編にしても良いのになとも思ったのですが、もうすでにこれからどうするかを決めた鎌池さんにとってはやはりサイドストーリーであるわけです。大きなくくりとしてローマ正教編だということがありますから、14、16巻で「神の右席」左方のテッラ、後方のアックアとの対決はスケールの大きさを感じます。
15巻とSS2では主に科学サイドの話です。特に15巻は暗部組織「ブロック」「スクール」「グループ」「アイテム」「メンバー」という5つの組織の死闘が繰りひらげられるのですが、どうして急に魔術から科学へと巻によっての流れが正反対になりますから不思議だと感じていました。最後まで読むと、魔術と科学とをサンドイッチ状にしたかったのだということがわかります。また15巻はその後も重要な役割を果たします。神の右席編、それから新約でもその影響を及ぼします。このことがやはり科学の闇を語る上において鎌池さんの思うところ大なのかなと感じます。
全編において戦闘は常に一つのテーマとして現れてきましたが、3巻でのアクセラレータの時はその戦闘もかなり凄惨なものとなりました。しかしほとんどの場合は拳で解決するという暴力であって非暴力的な側面が強かったのに対し、ローマ正教編は組織という概念が非常に強く現れて、結果として集団による戦闘、最後には死という明確なものをもって終わりを告げるという暴力的な側面も強くなりました。そしてそれが描かれるのはやはり魔術ではなく科学サイドなのです。
15巻では中学生、高校生が人殺しを平気で行います。1巻にみた作風とは大きく変容してしまっています。その点で、数年に及ぶ製作期間の中で、作品に対しての作者の向き合い方が、よしあし問わずに変化していったと考えたいと思います。
SS2は最も異色な作品ではないでしょうか。様々な意味でまとめだと感じます。先ずここまでの大きな世界観を作り上げると、かのガンダムのように愛好家、ファンがオマージュどころではなく、さらにその作品に付随するものを作るということがあります。これを私はガンダム的作品発展という名称を今付けてみることにしますが、漫画や番外編、ゲーム、アニメとそれぞれがこの世界観を基にして別の方向に伸びてきた時期でした。これを原作者である鎌池さんがまとめとするために書いたのではないでしょうか。また、自身の作品で困っていたことが作中の時間の進行が異様に遅いということですね。これを少し整理するために一年という流れをこの作品に取り込んで、歴史的な視点を描いたわけです。つまりこのSS2を歴史の年表のようなものと考えると本編は明治維新時の時代小説を読んでいるというような感じになるのではないでしょうか。

いよいよ世界規模になったとある魔術の禁書目録。第三次世界大戦ということで科学と魔術が全面対決します。
17、18と二つの巻を又掛けてイギリスで第二王女キャーリサと騎士派によるクーデターを描きます。これがフィアンマの行う大戦への大きな一歩となってしまうわけで、物語においても非常に重要な転換点となります。一国家のクーデターを描いたとても大きな物語ですからやはり作るのは難しいと思います。しかし流れもよく上手くまとまっていると思います。
しかしここで私が思うことは、重みが感じられないということなのです。これは現代小説のありとあらゆるものにも当てはまることだと思いますが、重厚間がない。一国の転覆、女王や三人の姫、それから最大主教など世界のトップに君臨するものの会話がどうにも軽薄な感じがします。これはもう少し鎌池さんに修行してもらいたい点であると進言させてください。
またやはり日本語しか喋れない上条に対して女王以下全員が日本語に合わせるかという問題です。インデックスに訳をしてもらうないりしないと不自然さが余ります。実際に日本語を話せる人間が外国人にどれだけいるかといったらそういないでしょう。ましてイギリスの女王が日本語がぺらぺらでしかも行動も軽率というのはやはり如何なものか。
19巻は戻って科学サイド。都市の機密「ドラゴン」をさがし15巻と似たような展開になります。ここで最後の主役の登場になります。「アイテム」の下っ端であった浜面仕上です。SS1でも重要な役割を果たしていましたし、15巻でも出てきましたが、ここで主人公にしたかったのには当然理由があったからだと思います。一貫して科学の闇を追い続けるのですが、作者はこれをどのように解放しようと考えているのでしょうか。
20から22は最大のフィナーレ。1巻からの全てを受けた結果成り立つというとても長上な作品です。「神の右席」最後の一人、右方のフィアンマとの対決を、上条当麻、アクセラレータ、浜面仕上三人の視点から描くことによってよりこの戦争というものを多角的に見ます。ここには、作者の根底にある、私たちが現在見ているもの、当たり前と思っているものは本当なのかと揺さぶりをかけようとしている意思を感じます。実際に世界規模での戦争があるわけではありませんが、例えばシリアなんかでは今でも戦争を行っているわけです。そうでなくても原発問題。地上派で流れているニュースとインターネットの情報は全く正反対ですね。このように私たちの常識は本当に間違っていないのかという問い、揺さぶりを再びかけているのです。本当の正義とはなんなのか。もし上条にとって正義であっても他人にとったら正義でないかもしれない。この間助けた人間が他の人間を殺してしまったりなんて極端な例を挙げてみれば絶対的な正義というものはありえないのです。作者も言っている通りに、上条は相対的であるからこそ力を発揮できる。相手が魔術や超能力を使うから対処、対応できるわけで、一人ではなんにもできない、つまり絶対的ではないよということなのです。
フィアンマやそれ以前に出てきた多くの魔術師、能力者はその相対的なものに不安を感じ絶対的なものを手に入れようと必死になりました。それを尽く上条が右手で打ち消すことによって相対的な世の中に戻すのです。

最後に、この上なく広大で魅力に満ち溢れた世界を構成してくださった鎌池さんと、これを進めてくれた友人とに感謝します。ただ、いくらなんでもローラ・スチュアートの喋り方はないでしょ。

ヴラダン・コチ 震災被災地支援コンサート ~震災から1年 プラハより希望の調べ~ 最高のチェロ体験

去る3月27日に武蔵野公会堂にてヴラダン・コチさんのチェロの演奏を聴いてきました。
被災地のためのコンサートということで、この収益金はコチさんを被災地へと送り出すためのものだそうです。
武蔵野公会堂は小さいホールですし、このコンサートも規模の小さいものです。しかし、席も自由席ということでかぶりつきに座ることが出来ました。コチさんはプラハのチェリスト。いい中年のおじさんなはずなのに何故か髪がとてもさらされしていて、登場のたびに美しいブロンドの髪が風になびいていました。かなり背の高いかたです。かぶりつきからだとまるで見上げるようになりました。

出演者
チェロ ヴラダン・コチ
ヴァイオリン ルツィエ・コチ
ピアノ 有吉英奈
女性合唱(指揮、古橋富士雄) レガーロ東京
プログラム
J,S,バッハ 無伴奏チェロ組曲ト長調 プレリュード
昼の部
秋ー相聞
どこかで春が~春~
夏は来ぬ~夏~
村祭り~秋~
冬景色~冬~
夜の部
揺舞
南部牛追唄
箱根八里
てぃんさぐぬ花&谷茶前節
赤とんぼ
ゴーシュ弾く
休憩
J,S,バッハ G線上のアリア
A,ドヴォルザーク ピアノ三重奏「ドゥムキー」1~6楽章
女声合唱とチェロ、ヴァイオリンのための「つぶてソング」抜粋

私個人としてはコチさんのチェロだけでもよかったのですが、時間の配分で半分ほどを合唱の方々持っていかれたのが少し残念です。合唱もとてもすばらしかったのですが、チェロをもう少し聞かせてくれという思いがありました。
バッハのプレリュードはいきなり目の前で演奏が行われるのですから非常に感動しました。すぐ近く、34メートルの離れていないところであの低音の魅力が体の隅々まで駆け巡ります。
コチさんの息遣いまで聞こえてきて、まるで隣で弾いているような感じ。これはこれでその後行ったフルオーケストラの迫力とは違ったものが味わえました。フルオケがマクロの世界だとしてダイナミックさや迫力を楽しむのだとしたら、今回の演奏はミクロの世界。非常に繊細で演奏者の意識を共有できるような世界なのです。
最初予定していたドヴォルザークのパッサカリアをやめ、その代わりに一部だったドゥムキーを全楽章演奏することになりました。後半は娘さんのバイオリニスト、ルツィエさんも登場。真っ白な肌のとても美しい方で、はっと息を呑んでしまいました。
最後は合唱のメンバーも出てきて観客と皆で「故郷」です。これは数日後のオーケストラの日でも最後にフルオーケストラによる故郷を歌いとても気持ちよかったのですが、どこでもこうして故郷を歌わされるというのはなんだかなとも思います。
今頃コチ親子は被災地での公演を行っていることでしょう。チェロの音色が少しでも被災した方々の心を癒せたらと思います。
これと同じですね。チェロを演奏しているのがコチさんです。


オーケストラの日 2012 感想とレビュー 音楽に癒されて

http://www.orchestra.or.jp/orchestraday2012/
3月31日は何の日でしょうか?そんな質問から始まったオーケストラの日2012。
答えは耳に一番、耳にいい日だということで毎年この日に必ず行うとのことです。
この日は一日中上野の東京文化会館で祭典を行っていて、主に子供のために行われているようですが、夜のコンサートは趣が変わり大人の雰囲気に。様々なオーケストラからメンバーが集まるおそらく東京で最も大きな音楽の祭典は、楽器体験や指揮体験、様々な見世物が私たちの心を躍らせます。
NHK交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、群馬交響楽団、新日本フィルハーモニー、東京交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、東京都交響楽団、東京ニューシティ管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉、読売日本交響楽団、という13オーケストラからの大編成。最大編成時には111人によるまさしくフルオーケストラと呼べる大人数で迫力満載の音楽体験ができるのです。
曲目
第一部
4オーケストラによる夢のリレーコンサート
ヴィヴァルディ、ヴァイオリン協奏曲集、作品8から「四季」
「春」
大谷康子&東京交響楽団メンバー
「夏」
石田泰尚&神奈川フィルハーモニー管弦楽団メンバー
「秋」
山本友重&東京都交響楽団メンバー
「冬」
木野雅之&日本フィルハーモニー交響楽団メンバー
休憩
第二部
オーケストラの日祝祭管弦楽団による渾身の演奏
指揮、梅田俊明
コンマス、豊島泰嗣
ピアノ、館野泉
ジョン・ウィリアムズ 映画「スター・ウォーズ」メインタイトル
吉松隆 大河ドラマ「平清盛」テーマ音楽
ビゼー 「アルルの女」からメヌエット&ファランドール
ヨハン・シュトラウス ポルカ「狩り」
マスカーニ 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
ホルスト 組曲「惑星」作品32から「木星」

先ず曲目を見てもわかると思うのですが、豪華絢爛という言葉を具現化したようです。第一部は4つのオケが順繰りに春夏秋冬を演奏します。大谷さん、石田さん、山本さん、木野さんともに音楽界では有名な方ばかり。まるで腕を競うように四人による激しく、かつ繊細な死闘が繰り広げられます。皆さんそれぞれ非常に個性的で、石田さんは「夏をどのように演奏されるのですか」という問いに男は黙ってといった感じで夏らしく夏らしくと答えていました。木野さんはとても太った方で皆驚いたのですが、司会の質問に技術的な問題を詳しく解説しながらも最後に「僕は暑いのは苦手ですから」との答えに会場は爆笑でした。とても上手かったです。
第二部は第一部とは打って変わって100人を超えるという莫大なオーケストラ。これでもかこれでもかという具合に詰め込んだ結果ですね。これは東京文化会館ぐらいの世界級の大ホールでないと先ず実現できません。
いきなりスター・ウォーズのメインテーマ。私にとってスターウォーズはからだの一部のようなものですから、バーンババババーンと演奏が始まった瞬間に涙が溢れてしまいました。このメインテーマは今で言うエピソードⅣにあたるわけなのですが、あの頭上を通過していくスターデストロイヤーがレイア姫を乗せたタンティブⅣを追いかけていく時の音楽ですね。私は脳裏に映画を思い浮かべながらずっと興奮しぱなっしでした。
平清盛のテーマは館野さんのピアノ伴奏つき。彼は脳梗塞で倒れてから右半身がマヒして左手だけで弾くピアニストとして有名です。でも館野さん、たったこの一曲だけで退場。えええと思いました。実際本人も、「いかんせん短すぎる、僕はもっとひきたいのにな」とこぼしていました。もっと館野さんにピアノを弾かせてあげてください。私からのお願いです。
そして最後は地球の何倍もあるという木星。「皆さん木星の大きさは地球の何倍かわかりますか」という自問自答したのち「とまったく検討の付かないところで演奏です」と司会者はなかなかの笑いのスキルを持った方でした。
木星ジュピターには快楽の神という意味があり、この演奏はその快楽に身をゆだねるというレベルの演奏でした。普通こんなにおおきなオーケストラだとまとまるのが難しいのです。いくら各オケの先鋭が揃っているとはいえ、人数が集まれば演奏にはずれが生じ、成功することは難しい。しかし梅田さんはやってくれました。指揮者も演奏者も気が気じゃないほどの努力をしたのではないでしょうか。是非来年も行きたいコンサートです。


舟を編む 三浦しをん/著 感想とレビュー 言葉の海に揺られながら

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今ものすごい評判を読んでいる本、それが三浦さんの書いた『舟を編む』です。とても感動した。この一言に尽きます。
私は文学部、国文学科というところで勉強をしている身ですが、まさしく国語を好きな人全員に読んで欲しい必読の書でした。辞書編纂という大事業、これを何年も何十年もかけて行うという果てしない作業を描いた一大ストーリーです。
三浦しをんさんの本はこれが始めてなのですが、非常に言葉を大切にしているなとつくづく感じました。同じ言葉を愛するものとして自分の不甲斐なさを改めて認識させられます。きれいな言葉を宝石を紡ぎだすように連ねていくしをんさん、これは誰でも出来るわけではありません。強い努力が見られ、洗練された感じがします。
ストーリーもスケールが大きいもので作品を読み終えると、そこまで厚いものではないのですが重厚感を感じました。
少し話しの展開が似ているなと思ったのが、暦を作る物語・冲方丁の『天地明察』、ロケット作りの池井土潤の『下町ロケット』です。あるチームがある目的の為に様々な困難を乗り越えて到達するという点でこれらは非常に似通ったものがあります。
どうしてこのような一つのことに拘るというストーリーが最近流行りなのか。ここに現代人の望みが反映されていると私は感じます。いつもいつも忙しい、ストレス社会だなんだかんだ。でもそんなことは置いといて自分の好きなことに熱中しようではないか。こう語りかけてくるような感じがしてならないのです。皆それぞれ人生をかけた大変な仕事です。途中で頓挫するものも多くあるでしょう。それでもやるんだ、こういう気持ちが今必要になってきているのではないでしょうか。
それは辞書編纂部の面々からも多く教えられることです。言葉は海。これは本当に理解できる感覚です。一つの言葉は水と同じなのですね。やっとその言葉のすがたを捕らえたと思ったら、次の瞬間には他の意味や使われ方が生じて別のものに変化している。人が人として生き、言葉を使うかぎり決して終わりのないことなのですが、それでも言葉を求めてしまう。
最近思うのが言葉がとても低俗なものになってしまったことです。とにかく表現の幅がぐんと狭まったように感じます。それはマスメディアがもつ責任も十分あると思うのですが、それ以外でもネット社会が生んだ弊害なのでしょうか。電車に乗っていれば、マジヤバイ、チョーヤバイの連発。これが日本語なのかと耳を覆いたくなるのは私だけでしょうか。
翻訳家の戸田さんも言っています、せっかくいい日本語があるのにその表現は難しいから使うなと言われるそうです。この本を読むとそういう言葉に対する認識ががらっと変わるのではないでしょうか。辞書編纂ということはほとんどの人間にとってなんの興味もないことでしょう。けれども言葉を愛する気持ち、大切にする気持ち、これはこの本を読んだ方ならわかるはずです。
三浦さんはいわゆる文学のための本ではありません。もっと多くに開かれた本なのです。これは本を普段読まないような方にこそ読んで欲しい本なのです。その点において非常に専門的なことを取り扱っていながら大衆性があるという普通相反するものを内包したすばらしいものです。
皆さんも言葉の海へ出向しましょう。

表装にも注意を払っておいてください。これがかの『大渡海』なわけです。

『カサブランカ(Casablanca)』名画鑑賞 感想とレビュー 歴史に翻弄された男と女

1942年製作のアメリカ映画。
ハンフリー・ボガート(リック・ブレイン)
イングリッド・バーグマン(イルザ・ラント)
名画鑑賞ということで兼ねてより観たかったカサブランカ。
カサブランカとはスペイン語でカサ=家、ブランカ=白、という意味で直訳すると白い家です。地中海に面したモロッコの大都市カサブランカの町は真っ白な家々のイメージがあります。これは家の壁に石灰を塗っているためです。もともと石灰岸の産地でもあるらしく、材料としてはこと欠かさなかったのです。太陽の光がとても強い地域ですから当然暑さが尋常ではないわけで、それを照り返すために白を塗って町全体を冷たくしようとしたのです。外は熱くても家に入るとひんやり感じるそうです。
そんな美しい町カサブランカも歴史に翻弄された町でした。この映画は第二次世界大戦ドイツの侵略を受けてアメリカに亡命しようとする人々が集まる町だったのです。
そういった経緯から反ドイツの場面が多く描かれています。戦時中のアメリカ映画というのか大きな影響力をもっていたらしく、これは一種のプロパガンダという見方も広くされています。
確かに少しドイツに対する描き方が露骨だとも感じました。時代だからといえばそれで済んでしまいますが、この映画には政治的な面も大きいので歴史をわかっていないと何を言いたいのかわからないかも知れません。
この時代の過渡期にあって翻弄された男女ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンが美しくも切ない恋をします。男女の関係で愛し合っているのに離れなければならないという構図はよく見かけます。例えば、親だったり、病気だったり、第三者の介入だったり。しかしこの映画はその二人を引き離すのが大きな歴史の流れなのですから、スケールがとてもでかい。これに何とかは向かおうとした二人の強さ、これを感じ感動しました。
ボガードの男らしさといったらとても今の男にはまねできない程たくましいのです。最後の英断は男のなかの男でした。その点において歴史の流れに負けつつも勝っているのではないでしょうか。

劇中で流れる「アズ・タイム・ゴーズ・バイ(As Time Goes By)」はとても印象的です。有名なのでもしかしたら聞いたことのある曲かも知れません。これは1931年にハーマン・フップフェルド(Herman Hupfeld)が、ブロードウェイ・ミュージカル『エブリバディズ・ウェルカム 』("Everybody's Welcome")のために作詞・作曲した曲です。劇中ではかつて流行した曲だということで二人のテーマソングになっているのです。



As Time Goes By
You must remember this
A kiss is still a kiss
A sigh is just a sigh
The fundamental things apply
As time goes by

And when two lovers woo
They still say: "I love you"
On that you can rely
No matter what the future brings
As time goes by

Moonlight and love songs - never out of date
Hearts full of passion - jealousy and hate
Woman needs man - and man must have his mate
That no one can deny

It's still the same old story
A fight for love and glory
A case of do or die
The world will always welcome lovers
As time goes by

覚えておきなさい
昔も今もキスはキス
ため息はため息にすぎない
基本的なことは変らない
時代が変っても

恋人同士、いちゃついては
あいも変わらず、愛してると言い
あんたもそれを頼りにできる
時代が変わり
未来が何をもたらそうとも

古ぼけることのない月光とラブソング
胸にあふれる情念―嫉妬と憎しみ
女は男を必要とし、男には女房がないといけない
こればかりは誰も否定できない

あいも変らぬ古いお話
愛と栄光のための戦い
行動さもなくば死という問題
世界はいつだって恋人たちを歓迎するだろう
時代が変っても

映画『ワン・モア・タイム(原題Chances Are)』 感想とレビュー 元祖よみがえり?


1989年にアメリカで製作されたロマンティック・コメディ映画。
ルイ・ジェフリーズという男が結婚を目前として、恋コリンヌの前で交通事故にあって死んでしまうという衝撃的な場面から始まります。
ラブコメディということで、少し古い映画ではありますがとても面白い。天国の場面が一番面白かったと思います。
かなり適当な天使たちが死者たちを列に並ばせて色々な手続きを行うのですが、もう一度人間界に戻りたい人は手続きを踏めば戻れるシステムなんですね。それでこのルイは今すぐ自分のからだに戻りたいのだけれども、そんなこと出来ないので仕方なく今生まれてくる赤ん坊の中に飛び込むわけです。
ここでおっちょこちょいの天使が生前の記憶を消す注射をし忘れてしまったことから、物語は面白く展開するわけです。
死という人間にとって絶対に避けられない重いテーマ、これを面白おかしく描くというのはなかなかできません。これは誰が見ても楽しめるような毒のない映画です。
精神上のルイが若かりし時のロバート・ダウニー・ジュニア演じるアレックス・フィンチになります。その点で、今シャーロックホームズやアイアンマンで有名になった彼の貴重な演技を見られると思います。若いころの彼はとってもハンサムで笑顔がすごくチャーミングなんです。にっと両頬を上げて笑う笑い方は無邪気な子供のそれと同じですね。
このアレックスが精神上の妻コリンヌと精神上の娘ミランダと二人の間で揺れ動きます。
はやく元妻のコリンヌと分かり合って結ばれろよと思うのですが、様々な問題があって思うように進まない。このもどかしさがロマンティック映画の醍醐味であります。
最後の最後にそうなるのかとちょっと予想を外れる結末がまっているのですが、その点も観客に対するご都合主義で終わらない深い映画になっています。
私個人としては少しルイがかわいそうな気がしますが。まあ生き返っただけでも本望なのでしょうか。
ミランダ役のメアリー・スチュアート・マスターソン、この女優さんがとってもかわいくて、私はそれだけで満足なんです。このメアリーに似た子が知り合いにいて、いつの間にかその人と重ね合わせてみていたのですが、もしこの映画のような展開があったらなとひしひしと感じます。
よみがえりとはまたかなり懸け離れたものですが、精神のみが生き残って再び地上に戻ってくるという発想では同じだと思います。よみがいえりが悲しいお涙頂戴の映画になっているのに対し、こちらは全体を通してとても明るい映画です。
コメディとしての要素が強いようにも思われますが、妻と娘との二重の恋を上手くまとめている点でラブロマンスとしても見ごたえがあります。それにしてもこのコリンヌという妻、夫がなくなってから20年間ずっと夫を愛し続けるというとても誠実な女性です。私も願わくばこのような女性に出会いたい。

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