男が女を愛するとき WHEN A MAN LOVES A WOMAN 感想とレビュー 本当の愛とは

MICHAEL BOLTON 

監督イス・マンドーキ。主演メグ・ライアン、アンディ・ガルシア
映画より音楽のほうが有名になってしまいましたが、映画も観ておきたいところです。
テーマは本物の愛を勝ち取ること。全米で深刻な社会問題となっているアルコール中毒の増加を背景にした多重構想の映画です。なにか面白い恋の形やラブロマンスを描くのかなと思ったら大間違い。
はっきりいってかなり重い作品です。アルコール中毒になってしまった妻のメグ・ライアンをパイロットであり誠実な夫のアンディ・ガルシアが支えていくという話なのですが、これがどうしても上手くいかないのです。
誠実であるがゆえに一所懸命妻を支えようとする夫。家事もこなし、子育ても全部一人で抱え込み妻の苦労を軽減しようとします。しかし妻はそうして頑張ってくれる夫がどうしても自分を馬鹿にしたように思えて仕方がないと打ち明けるのです。頭ではわかっていてもそういう感情が何故か出てくる。
どうしてアルコール中毒になるのかその原因は未だよくわかっていないとか。原因が何にあるのかわからずに奮闘する夫婦はぼろぼろになります。
夫が出席した、アルコール中毒者を家族に持つ会合では、どうしても悲劇のヒーロー、ヒロインを演じて傷をなめあっているだけではないかと夫はなかなかなじめません。しかしこの会合、もちろん実際にもあるのでしょうから、アメリカのアルコール中毒の問題はかなり大きいものです。
なにより怖いのが家族に対する暴力です。刃物も恐ろしいし、拳だって十分に恐ろしい。しかもアメリカは銃社会ですから、なにかあったら本当にそれが終わりになってしまうのです。
お酒の力というものは本当に恐ろしいもので、人間を変えてしまうのです。自分だけ変わるのならまだしも回りの人間にまでその影響は及びますから、このような会合も出来るわけですね。
また禁断症状と戦うために施設に入る場面がありますが、これもその恐ろしさを際立たせています。
原因がわからなく誰でもなるとはいえ、普通の社会適合者もいるのですが、やはりその大半は人間的にすさんだ人です。所謂あらくれもののような人々が周りには沢山いるわけです。施設に入っているものとしてはみんな仲良く安心できる場所なのでしょうが、夫からみたら妻があらくれものたちと一緒に楽しそうにしているのですから心配でたまりません。もし嫉妬心の強い人間ならそれだけでおかしくなりそうです。
言葉で書くのは簡単ですが、本当の信頼を得て、愛につながるというのは感動的です。
ほとんどの人が本当の愛を勝ち得る前に挫折しますが、このような愛をこの先長い人生で勝ち得たいものです。

映画『コーラス(Les Choristes)』 感想とレビュー 悪童を手懐けるには音楽の力


2004年フランス映画。監督のクリストフ・バラティエ。
ある日老指揮者モランジュの元に何十年ぶりに友人が訪れ、過去の話に花を咲かせます。
戦後間もない頃「Fond De L'Étang(池の底)」という孤児や問題児を集めた寄宿舎での話しで、音楽教師マチューの日記から過去を回想するという話。
この映画教師が音楽の力で生徒たちをよい方向へ導いてハッピーエンドと簡単なものではないのです。もっとその悪という概念の根が深く、広く人間性をも描いている点で重厚感が出ています。
一口に悪童といっても様々な種類があります。中でも最も私の苦手とするところは途中で出てきた、低知能の乱暴な生徒ですね。前の学校で教師をナイフでさしてしまったというのですから、これはどうしたものか。まだ自分をコントロールできていない生徒を前にしたとき、教師を目指している私はどうしたらよいのか。小さいし、弱いので戦うことなど出来ません。このことを考えると恐怖を感じます。
ただ、もっと恐ろしいのがこの学校の校長先生ですね。執拗なまでの刑罰の仕方。これは異常です。いくら自分の保身のためとしても、生徒をここまでなぶりつけるというのは恐ろしいものです。教師陣には徹底して「やられたらやりかえせ」の精神を叩き込み、罰としての牢獄に入れることは完全に人権を無視しています。これでは生徒はより悪い方向に進むほかないと感じます。
顔は天使のようだが、一番頭の切れる悪童として描かれるモランジュ。この悪の部分を全面的に出している点では異なるのですが、私はここに「ベニスに死す」のタージオ青年に通じるものがあると感じました。タージオが圧倒的な美を誇っているのに対し、このモランジュも「天使の歌声」をもっています。外見もかなりすばらしいですし。
この美とそこにあわられる悪、この黄金比が共通しているのだと感じます。
またこのマチューといううだつのあがらない教師ですが、まさしく「坊ちゃん」そのものです。坊ちゃんは結局生徒や教師に反感を抱いてそのまま最後は帰ってしまうのですが、このマチューは何とか踏ん張る。音楽の力を信じてなかなか一つにならない生徒たちをまとめながら合唱をするというのが感動的ですね。
フィナーレ間際で最も盛り上がる部分でこのままハッピーエンドかなと思いきや、そこをあえて突き崩して(期待の地平を切り崩す)完全なハッピーに終わらせないというのも、ご都合主義で終わらせなくてよいと思います。
現実はそんなに簡単ではないのです。まして池の底とまで呼ばれた寄宿舎ですから、そんな簡単に終わってしまっては面白くありません。最後にマチューは寄宿舎を出なければならないのですが、一番ちっちゃかった生徒が追いかけてきて、そのまま一緒にどかこにいってしまう場面は余韻が残されていてすばらしいものがありました。

映画『アメリカン・プレジデント(The American President)』 感想とレビュー ちょっと変わった恋愛のかたち


監督ロブ・ライナー。1995年のアメリカ映画。
こんな恋愛ありえないでしょと思うような不思議なかたちの恋愛を描いた映画です。
マイケル・ダグラス演じるアンドリュー・シェファード大統領とアネット・ベニング
演じるシドニー・エレン・ウェイドの恋愛を美しく描いた作品。普通大統領が任期中に恋愛することなんて先ずありえません。歴史上はいたそうですが、現在それをやったらどんな非難を浴びるかわかったものではありません。日本でやったら先ず退陣は決定でしょう。
そんななか、環境破壊を抗議する集会知り合った二人を好意的に見て描いたこの作品は、ありえないと思いながらもみ終わった後には爽快感に溢れる映画となっています。
内容は簡単で、この二人の恋愛を社会全体が邪魔するというもの、それに打ち勝ってハッピーエンドなのですが、途中から出てくる次期大統領選の対立候補であるラムソン上院議員という最大の敵を作ることによって上手くまとめられています。
このラムソン上院議員、政策や目標は殆どそっちのけでシドニーのことを語ってアンドリューを攻撃し続けるというやつ。観ていて本当に腹立たしいのですから笑ってしまいます。
これに責任を受けてシドニーはしばらく大統領の前からすがたを消そうとするのですが、最後の大統領の名演説を聞いて引き返してくるという話ですね。
内容はいたって簡単なのですが、ラブロマンスとしてみるとこれはこれで面白い。ふと気がつくと大統領と弁護士の恋愛を見守っている自分がいるのです。また、恋愛をなかなかよしと思わないのは側近も然りで、今まで見方だった人間からの冷たい目線は、大統領頑張れと応援したくなります。しかし次第に大統領との信頼を取り戻し、恋愛を援助してくれるようになったときは本当に力強い味方になるのです。
この映画を観ると最近のマスコミってどうなのかなとも思いますね。特に芸能人や政界の人間のスキャンダルばかりを乗せているような週刊誌。そこまで人の隠しておきたい部分をみんなに見せて楽しいのですかね。楽しいのでしょうけれども、あれを読むだけでもなんだか人間性が俗悪になるような気がしていたたまれません。
この映画はそういうマスメディアに対しても一言物申すように作られています。

『ゴッドファーザー(The Godfather)Part1』 名画鑑賞 感想とレビュー ファミリーの絆を観る


ゴッドファーザーはアメリカの作家、マリオ・プーゾが、1969年に発表した小説を原作とした、コルレオーネファミリーを三世代にわたって書き上げた大作です。
ゴッドファーザーという映画をよく耳にしますがどういうものなのか、実際に見たことがなかったので一回じっくり見てみようと思い、観ました。先ずPart1~3まであり、その一つ一つが三時間ほどというとてつもない大作なのです。だからなかなか時間がなくて手を出せなかったということもありますが。
ただやはり映画界にこれだけ名が残っているということを理解することは簡単でした。本当に見ごたえがある映画です。つまらないという感覚とはどういうものだったのか忘れられるほど魅了されました。これだけ長いのにも関わらず全く飽きというものを感じられない。常に一定以上の緊張感が張り詰めていて、見終わると急に疲れを感じるほどです。それだけ力がある映画ということでしょうね。
Part1はゴッドファーザーであるマーロン・ブランド演じるドン・ヴィト・コルレオーネの物語だと感じます。もちろんあの有名なヴィト・コルレオーネが襲撃され崩れ去る場面の後は息子たちが頑張るのですが、それでもやはり父の為に頑張っているのですからヴィト・コルレオーネが主人公でしょうね。
ドン・ヴィト・コルレオーネを父として、長男のサンティノ・“ソニー”・コルレオーネ、次男のフレデリコ・“フレド”・コルレオーネ、三男のマイケル・“マイク”・コルレオーネ。末娘のコンスタンツァ・“コニー”・コルレオーネ・リッジ、家臣のトム・ヘイゲン、マイケルのガールフレンドのケイ・アダムス・コルレオーネが主な人物です。
ヴィト・コルレオーネが襲われ倒れると、その父のためにと息子たちが一生懸命頑張るのですが、この父はまさしくゴッドファーザーであって、なににつけても偉大だったのです。他のマフィアのボスにも一目置かれる存在だったのですが、その偉大さゆえに、彼が倒れてからというもの、息子達の苦労が一段と大きくなったのです。
まさしく三人の息子のいい部分だけをとって集めたような父に対し、及ばない部分の多い兄弟なのですが、それが協力すればこの大いなる時代の変化にもなんとかなったかも知れないものを、ソニーの独断専行によってファミリーはばらばらになってしまいます。
後に三男のマイケルが行動を起こすことによって何とかなるのですが、それまでのファミリー損害はとてつもないものです。
マフィア映画ですので非常に暴力的。しかも突発的なものも少しはありますが、そのほとんどが裏世界の蜘蛛の糸を渡るような緊迫した駆け引きの中で行われるため、本当の人間の怖さというものを感じられます。一体誰が誰の命令を聞き入れているのか、ともすれば部下にも裏切られかねないという人間の心理戦を描いたもので、一瞬たりとも気が抜けません。
もちろん映画はコルレオーネファミリー主体で描かれますから、コルレオーネ家に頑張ってもらいたいのですが、これを客観的に観たら非常に恐ろしい。死と隣り合わせの世界とはまさにこのこと、しかもその隣り合わせは一生続くのですからもしかしたら死んだほうが楽かも知れません。
偉大な父を亡くしたファミリーはその後どうなるのかPart2に続く。

映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(Once Upon a Time in America)』 感想とレビュー 一人の人生を重厚に描く


1984年製作のアメリカ・イタリア合作のギャング映画。
セルジオ・レオーネ監督・脚本作品。
時は禁酒法時代。1930年代を舞台とした映画でニューヨークのユダヤ人ゲットーで育った二人のギャングの生涯を描いています。回想型の映画で、現在、青年期、少年期の三部がそれぞれ織成していく様は心を強くひきつけられます。
初め青年期の話から始まるのですが、ぱっと、すぐに現在に変わってしまいます。急にロバートデニーロが老人になるのですからびっくりしますよ。しかしその移り変わり方がこの映画の魅力の一つです。多く見られるほかの回想型の映画よりうんと上手い切り替えなのです。
メインの話は少年が現在に至るまでの悪事を描いていくということですが、一つ忘れていけないのが、どうして現在になってデニーロ演じるヌードルスの元に手紙が届いたのかということです。この映画も80年代に見られるほかの映画同様非常に深くまで描かれた作品のため一回で理解しきることが難しいのです。逆を言えばそれだけ見ごたえがあり、二回三回と見ると新しい発見ができるすばらしい映画なのですね。
このどうして今になってヌードルスの元に手紙が届いたかと言う事を一つ念頭においてみていくと、あれもしかしてこの人が送ったのかなとか、それともこいつかと思い馳せられるように出来ています。
ギャング映画ということで、アメリカの裏道を渡り歩くギャングの姿を描いていますが、少年時代からの筋金入りの悪餓鬼振りには驚かされます。人のものは平気で盗む、盗んだもので商売はする、その金で性欲を満たすとやりたい放題なのですが、あるときその街をいままで取り仕切ってきたギャングと対決することになるのです。
青年期はひどいもので平気で殺し合いしますから、随分暴力的な映画だと思いましたが、それと平行して、ヌードルスの少年期からの恋心が描かれるのです。暴力と恋愛を平行して描くことは非常に難しく、大抵の映画は失敗しますが、これはなんとか持ちこたえました。ただ、その恋愛もヌードルスの運命なのか、その人間のサガなのか、暴力的な行為によって終幕を迎えてしまうのです。
大切にしようと思っても傷つけてしまうというような人間、状態、これをもどかしく感じるほどに上手く表現できていました。
ギャング映画でありながら、ラブロマンスを取り入れたり、誰が手紙を送ったのかというミステリー的な要素のある、とても重厚な映画なのです。一人の男の人生を三部に分けて描くこともしかり、内容の重さもしかり、様々なものが重なり合って、しかも一本の筋があるという面白い映画です。
また少年期と青年期は別の人物が演じているのですが、よく似た人物を起用していて、本当にそのまま年をとったとしか思えません。青年期と現在においても特殊メイクなのか、よく老けています。本当にすごい技術。
全てが終わった後の最後の場面は余韻を残すようで、世代、時代の変化を表したようで、デニーロの演技が空虚感を醸し出します。

『レオン 完全版』 感想とレビュー デビュー当時のナタリー・ポートマン迫真の演技


1994年製作のフランス・アメリカ合作映画。リュック・ベッソン監督によるアクション映画。
今となってはすばらしい名優、名監督になってしまった人々が一生懸命作り上げた「レオン」完全版を見ました。
過去に通常のレオンをみてとても感動しましたが、完全版はまた違った一面を見せてくれます。
110分の(劇場版)に対し133分の(完全版)と約22分の追加があるわけですが、劇場版よりもレオンとマチルダの人間関係がより深く描かれています。劇場版よりも主体的になったマチルダをレオンが始めは戸惑いつつも、年をとった兄、片思いをしている相手へのような態度でぎこちなく指導していきます。もちろん殺しのための知識、技術はプロですから非常に冷徹に教えられるのですが、それ以外のことになるとなかなか判断が出来なかったりと、そのギャップが見所になります。
また、レオンの過去についての言及もなされ、どうして現在の生活に至ったのかを知ることが出来ます。最近ではトヨタのCMでドラえもんを演じるというとんでもないことになっているジャン・レノの演技力は特筆すべきものです。なにより、そういう過去を背負った人間だと思えるのです。日本で言えば高校生ぐらいの年代からずっと裏の世界を生き抜いてきたという様子が伝わってきます。
この映画ジャンルとしてはアクション映画なのですが、どうしてもそれではちぐはぐだなと感じます。というのも、レオンとマチルダの関係は、完全版においてより親密に、複雑に描かれているからです。ただラブロマンスとするのもおかしいのですが、そこには中年の殺し屋と復讐を誓う少女の友情や、師弟関係や、恋心、同情心、信頼など様々な感情があります。
少女というのは現在の日本においてもやはりおませなもので、いつもびっくりするような大人びた行動をとることがあります。それに対し、レオンは最初の殺人から心を置いてきぼりにしてしまったのか、人間関係が殆どなかったため精神の発達はあまりありません。一見すると中年のレオンが頼りがいのある殺し屋としてリードするかと思いきや、しばしばマチルダの行動がレオンをも引っ張っていくという構図が面白いですね。
このエンディングはハッピーかバッドかという議論が起こりそうですが、私もどちらともいえない状態ですね。ゲイリー・オールドマン演じるノーマン・スタンフィールドという男を道連れにするのですからバッドではあります。そのまま生き抜くことができれば、レオンとマチルダはどこか田舎に越して幸せに人生を歩んだでしょう。しかし、なにか浄化されるような感覚があるのもまた事実です。このカタルシスを無視してバッドだと言い切る自信はありません。
感動的な終わりのある、泣ける映画です。

監督リュック・ベッソン
ジャン・レノ レオン
ナタリー・ポートマン マチルダ
ゲイリー・オールドマン ノーマン・スタンフィールド

歪笑小説 東野圭吾 感想とレビュー 出版業界の裏事情が満載

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先ず帯にあるキャッチコピー「だから作家になんて、なるもんじゃない!」ということば。初めは何を言っているのかよくわからなかったのですが、小説を読み終えてから再び見ると納得ができました。歪笑とかいてわいしょう。その名の通り歪んだ笑いです。この本のすばらしいところは初めから笑いを持ってこないというところだと感じました。
初めのうちの笑いはどちらかというと爽やかなもの。例えば伝説の編集長と呼ばれる獅子取という男の起こす行動が面白いというものであります。とにかく人がプライドや恥の感情に抑えられて出来ないようなことを簡単にしてみせる。仕事のためなら土下座なんて朝飯前、むしろ得意技とさえ部下に思われているような無茶苦茶な男が笑いを誘うわけです。
他にネーミングセンスがすばらしいですね。初めのうちは作家の只野六郎という人物や、俳優の木林拓成、女優の松崎羅々子、直本賞、等々愉快なもじりがあっさりした笑いを運んできてくれます。
一つ一つの話はそれだけで完結するようにも出来ていて、一種短編のように読むことも出来るのですが、全てが絶妙につながっていて、最初の断片的なショートストーリーが見事に融合していく感覚は軽い興奮を感じました。
一番味があってよかったなと感じたのが『ミステリ特集』というタイトルがついた編。内容はミステリ特集を組むために二人の作家がミステリを書く部分に焦点を当てたお話なのですが、二人ともミステリには初の試みで、「日本ミステリ作家協会」の出版する「ミステリ小説の書き方」というものに奔走させられるというものです。何が面白いかというと最後の最後に脚注として、、「日本ミステリ作家協会」や「ミステリ小説の書き方」は実在の日本推理作家協会とは無関係ですと断った上で、日本推理作家協会編著の「ミステリーの書き方」(幻冬舎)は、ミステリ作家志望の方が読めば本当に為になる本ですと書かれていることであります。
後半になるにつれてその笑いというものが見事に歪んできます。苦笑いというものに質を変えてくるのです。
編集者から見た出版業界の話や、小説家から見た業界の話ですから最後のページにはそれまでに物語中に出てきた作品が本の紹介として出されています。好評発売中とも書いてありますが、是非東野さんには冗談半分でいいですから書いていただきたいと思います。とっても魅力的な本が集まっていますよ。
『撃鉄のポエム-高層マンションのペントハウスばかりが狙われる狙撃事件が発生。一匹狼の刑事・郷島巌雄はマフィアに接触し、世界的犯罪組織が裏にいることを突き止める。米軍の基地から戦闘ヘリを盗み出した郷島は、単身で秘密組織に乗り込む。第十二回小説灸英新人賞受賞作。』
このようにして、狼の一人旅、銃弾と薔薇に聞いてくれ、虚無僧探偵ゾフィー、煉瓦街諜報戦術キムコ、魔境隠密力士土俵入り、深海魚の皮膚呼吸、殺意の蛸足配線、まったり殺して、こってり殺して、御破算家族、納涼茶番劇、腰振り爺さん一本釣り、ぷりぷり婆さん・痛快厚化粧、怪盗泥棒仮面、筆の道、の作品があります。
なかなか出版業界のことを面白おかしく吐露した作品というのは少ない気がします。読んでいてとても新鮮でしたし、苦々しい濃い笑いが後からやってくるという体験も出来ました。
小説が苦手という人にも自信をもって勧められる本です。

映画『マスク2』 感想とレビュー 映画マスク2に見る宗教観

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マスクシリーズってほんとうに面白いですよね。特に一作目、女優キャメロン・ディアスが最も輝いていたころの作品は恋に落ちそうになりました。初めて見たときは、キャメロンたちのその後かなとか、ちょっとは話がかぶってくるのかなと思っていましたが、違ったのであまり面白く感じていなかったように思います。しかし、今見てみると非常に楽しく愉快。
宗教には強い私ですが(イスラム文化圏に4年強滞在、中高6年間ミッション系スクールにて勉学、大学にて仏教を勉強)、これは新鮮、北欧神話からアイデアを受けているようです。
北欧神話は主神をオーディンとする神話ですね。オーディンと聞くと様々なRPGに出てきますね。最近やったFFの零式では軍神としてオーディンを召喚できましたよ。このマスク2にもオーディンが出てきます。ちなみにこのオーディン、主に戦争と死の神としての描かれ方をしますが、他に詩人であったり、知識への貪欲なまでの探求でも知られています。またこの知識への探求は魔術を会得する際に、片目を代償にしているということでも表現されています。なので映画マスクのオーディンも片目がないのですね。
ちなみにFFで召喚されるオーディンの愛馬スレイプニールは本来足が8本あります。FFでは6本となっています。
息子として登場するロキ。悪戯好きの神様ですが、映画では親子の関係ですが、本来は義兄弟。
確かに一作目の続編としてはあまり面白くはないと感じます。それはアメリカでの評価がとてもひどかったことからも窺える通りなのですが、しかし一本の映画としてみるとそこまでひどくはありません。主人公のティム・アヴリーをめぐる犬と息子の三角関係が根本には存在していて、途中までのその奪い合いの過程が大変悲惨なわけですけれど思いは極めて純粋であるという構図が実に愛らしいですね。単なるラブロマンスやコメディ映画に終わらせるのではなく、一貫して家族の絆を描いていると感じられます。それはオーディンとロキの関係にも見られます。なんだかどうしても仲良くなれないお互い不器用な親子ですが、最後には仲直りできるということで、神様がぎくしゃくしながら仲良くなっているすがたもまた面白いですけどね。
マスクという言葉を調べてみるといろいろ面白いことがわかるのですが、そもそもどうしてこんなものが必要になったのか。宗教的な儀式においてその神や精霊になりきるために被るというのが一番強い意味らしいですね。そうするとこの映画の根底にあるのはマスクを被ることによって自分ではない自分に生まれ変わる、或いは神がかるということですよね。
1、2共にマスクによって人生を大きく変えられた二人の男の運命を描いているわけです。そう考えると、このマスク非常に欲しくなりますよね。例えば物凄くかわいい彼女を作って、仕事では大成功。人生右肩上がり。しかし、はたと気がつくと、それは本当に自分が得ているものなのだろうかという疑問に駆られるわけです。この彼女も仕事も全部自分ではない自分のものではないか。そうして最後にはマスクをはずして前を向いていこうという落ちになるわけですが、やはりそのきっかけを作るのにはなんとしてもマスクが欲しいです。
たとえ自分を偽ってでも欲しいものってありますものね。

短編映画『少年の橋』 感想とレビュー 父親殺しの話系

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制作国:フランス 制作年:2008年
たった15分ほどしかない短い映画なのですが、タッチが非常に優しくて御伽噺を絵本で見ているような感覚がします。TVか何かで得た知識なのですが、あの粘土を使ってアニメーションを作るってこの上ない大変な作業らしいですね。1分とるのに何日もかかるとか。私も長大な作品を作りますからある程度の根気や忍耐というものは持ち合わせていますが、流石にここまでは・・・。
ストーリーは回りを全て絶壁で囲まれた崖の上に暮らしている父と子の物語。地上に降りるための橋は何故か壊れています。しかし、ある日下にある町から花火があがり、町に降りてみたいと思った少年が実際に行ってみるというだけの話です。
おそらく言及されてはいませんが、このような辺鄙な場所に移り住み、陸との唯一のつながりである橋を壊したのは父ではないかなと感じます。どこか仙人のような感じがしていてそれでいて獰猛ななにかをかくしているような不思議な人物です。子供が下方に見える町の光などに目をとられたときには急いで目を覆い家に連れ戻すという行為をした父。町でなにか生きていけないような事情があったのかもしれません。
しかし、どうしても町に行きたい子供はある日ふとした事故で父を死なせてしまいます。こんなほのぼのした映画で急に人が死ぬのですから驚きました。寝耳に水の状態でしたからえっと戸惑いましたが、そこから少年の冒険が始まるのですね。
そうして結局は町に辿り着く少年。しかし町を一瞥するや否や急に踵を返して家に戻ろうとします。橋は崩れてしまったのでもう帰ることが出来ません。そうして終わってしまう映画ですが、何故あんなにも憧れた町をちらっと見ただけで興味がさめてしまったのでしょうか。
芥川龍之介の小説で確か芋粥という小説がありました。内容は芋粥が当時(平安という設定)非常に高価なものだったため下級役人の主人公がそれを飽きるほど食べてみたいと思う小説なのですが、その夢が実現したとたんに何の興味もなくなって結局一口も食べないというお話。この少年にも一種そのような感情が見てとれるのではと思いました。
また、町をみて幻滅した少年。家に帰ろうとします。もしここで帰れた、或いはどこか他の場所にまた新しい家を建てるとすれば、少年が父になり、そしてまた子供ができるというように、輪廻感のようなものも見ることができます。
たった15分の映画でしたが、そこに含まれるメッセージはとても強いものだと感じました。

映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』 感想とレビュー メリル・ストリープの演技がはんぱない件

タイトルのみ現代風?にしてみました。今話題のマーガレット・サッチャー鉄の女の涙を見てきましたよ。
英語で書くと『The IRON LADY』ですから日本語的な発想で考えてしまうと、アイロン掛けでもする女性の話かななんとことになりかねないですが・・・。
監督はマンマ・ミーアから引き続きフィリダ・ロイドということで、彼女の魅力を最大限に引き出せるようなすばらしい映画になっています。
強硬な性格と政治方針から「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャーの半生を描いた作品としていますが、その点おいて少し述べておきたいと思います。私はどちらかというと、回想録のような感じがしました。というのも映画の約半分が現在のマーガレット・サッチャー、つまり認知症に苦しんでいる老女として描かれているのです。そして娘がやってきたり、なくなったはずの夫の幻想を見る中でかつての自分を回想していくという構成なのですね。
私はてっきり若い頃から順々に話が展開して現在にまで至るか、或いは最初に現在があって過去の回想があってそして現在まで持ってくるという形を、コマーシャルなどから想像していたのでその点において少し残念でした。というのも、基本は現在の老女の映画で、事あるごとに昔を思い出していくというかたちですから、過去の話がぶつ切りでつながっているような流れがないからなのです。ぱっぱっとスライドショーで過去のことを見せられていくようで、そこをつなげてほしかったなというのが私の願いです。
構成については少し残念でしたが、話題になっている通りにメリル・ストリープの演技は最高以外の何者でもありませんでした。サッチャー首相本人が活躍していた頃を私は知りませんので、本物がどのようであったかを詳しく知ることができませんが、それでもメリルの演技はまったくメリル・ストリープということを忘れさせられるほどの迫真さがありました。
またなりきるとかまねるという次元を通り越した、何か超越したものが感じられ、演じているという感覚が消えてしまいます。まるで、メリル・ストリープという面をもったサッチャー首相がそのまま映像化しているような、それ自体が既に完成しているような感じでした。
そして特筆すべきはなんといってもその演技の幅です。もちろん特殊メイクの技術が格段に上がってきているのがわかります。しかしそれ以前に、おそらく特殊メイクなしでも80代のおばあちゃんだなと感じるようなメリルの演技には驚かされます。例えば年をとると何気なく口から声が漏れてきてしまうことってありますね、まさしくその通りなのです。からだの動かし方、動作一つ一つが年代に合わせて変化している。その緻密さはまさしく第84回アカデミー賞で主演女優賞を受賞するだけの価値があるものです。
TVでもよく放送されているように、その演技への追及は外見、動作のみにとどまらず、喋り方にまで及びます。メリル自身は数日間ホテルに籠って彼女の映像を研究したといっていました。下に上げた映像資料は首相に任命された後の演説で、セリフがかぶる部分がありますからよく比較してみてください。
この映画をみて考えることは、一人の女性が一生を通して賭けてきたもの、その結果がどのように彼女自身にかえってきたのかということです。強い意志、政策は時に痛みを伴いました。労働組合を押しつぶすかのような圧制を敷いたこともあり、人間が抱えるには余りに大きすぎる問題を抱えました。特に有名なのは1982年のフォークランド紛争、まさかこの時代に戦争が起こるとは誰も考えていなかった時分にサッチャー首相がとった選択は、まさしく時代を変える、変革するという彼女の人生の象徴であるようにも感じられます。
そんなサッチャー首相ですからもちろん命も狙われ、側近の議員を早いうちに爆破テロで亡くしていますし、本人も夫デニスと共にグランドホテルにて爆破テロにあうという壮絶な日々を送っていたのですね。
一つの党から一つの国を変え、時代を変え、世界を変えたまさしく生きとし生きる最高の女性像である一人の女性と、数々の役を演じ、ハリウッドの宝物のような名女優が織成す最高のヒューマンドラマが出来たのです。
劇場に足を運ぶことをお勧めします。

やはり似ています。本物のサッチャー首相と映画の一部分、予告編




映画『ラフマニノフ ある愛の調べ』 感想とレビュー ラフマニノフという男の一生



稀に見る芸術のための映画ですね。昨年はこの芸術のための芸術としてルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』が最も優れているとして記事も書きました。今回はどちらかというと美術よりというよりかは音楽よりです。
映画はピアニストにして作曲家セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフの半生を綴った伝記物語。もちろん映画の最後にも芸術のために脚色し、必ずしも史実通りではないとしています。
1873年から1943年という激動の時代を生きた彼を描いた静かな映画ですが、非常に感動的でした。五六十代で世界を回ってツワーをしているところから映画は始まりますが、これは過去を回想していくタイプの構成になっていまして、若い頃、20代、40代とおよそ3つの時間の層が展開していくのです。
こういうとどうも簡単になってしまってラフマニノフに対して非常に失礼だと感じるのですが、彼もまた人一倍苦労多い人生だったのです。夏目漱石しかり、石川啄木しかり、どうしてこう偉大な人間には苦労が多く付きまとうのでしょうか。ラフマニノフも映画でも史実でも、大きな挫折をしています。結局それが原因となって前途有望だった才気溢れる少年から一転、神経衰弱で作曲ができなくなってしまいます。この映画はもちろんラフマニノフの半生を語る映画としての側面もありますが、同時にそのラフマニノフの精神的な面を描いた深いものにもなっていると感じます。過去の出来事を一つ一つ見ることによって、かれの精神面がどのように変化してきたのか、また様々な出来事がどのように作用してきたのか、それを見ている私たちでもわかるようになっているわけです。
最後の最後まで神経質で頑固で、娘や妻に当たり散らしますが、意識が朦朧とするなか町で見かけた彼が生涯愛し続けた花にめぐりあい、カタルシスに至るという感動で締めくくられるわけです。
またこの映画は彼にまつわる三人の女性の視点からも見て取れます。初めて恋をした年上で金持ちで高飛車な女性。二人目は教師と生徒という禁断の愛、情熱的な革命家の女性。そして三人目は後の妻となる従妹。全てを知った上でそれでもなお彼を支え続けるというある愛を描いた物語です。
十月革命が成就しボリシェヴィキが政権を掌握したロシア、世界史でも勉強したこの上ない時代の過渡期に巻き込まれた芸術家がひどい神経病に悩まされながらも生き抜くという映画はそれだけで私に生きる力を与えてくれます。特にエフゲニー・ツィガノフの演技は迫真です。そこまで話題にならなかったせいでしょうか、WIKIにもないのですが、その演技力はすばらしいものです。もちろん本物のラフマニノフの映像を見たことがないのでなんとも言いがたいのですが、それでもラフマニノフの表情が生き生きと伝わってきました。


何故彼が天才なのか、この14分を聞いただけで感動できるからだと思います。

映画『あなたになら言える秘密のこと (The Secret Life of Words)』 感想とレビュー 人間性の復活

2005年制作のスペイン映画。スペインで制作されたが、全編英語。
あらすじ、イギリスのとある街にある工場で働くハンナは、働き者ではあるが誰とも口を利かず、孤独な毎日を送っていた。彼女の過去は誰も知らない。時々どこかに電話をかけるが、相手が出ても何も話さずに切ってしまう。全く休まないハンナを見た上司は、彼女に無理にでも休暇を取るように勧め、ハンナはある港町にやって来る。しかし休暇など欲しくなかった彼女はとりたててすることもない。
そんな時に入った中華料理屋で、至急看護婦が欲しいと携帯で話す男を見かけ、ハンナは自分は看護婦だと告げる。ある油田掘削所で火事が起こり、重傷を負った男性を看護する人が必要だという。ハンナはすぐにヘリコプターで採掘所に向かう。
患者のジョゼフは重度の火傷を負っており、更に火事のせいで一時的に目が見えなくなっていた。ジョゼフは彼を殺そうとした男を助けて重傷を負ったとハンナは聞かされる。
ハンナは黙々とジョゼフを看護する。ジョゼフは時には強引に、時には冗談を交えて何とかハンナ自身のことを聞き出そうとする。そんなジョゼフや、採掘所で働く心優しいコックのサイモンに、徐々にハンナは心を開いていく。

第一印象は物凄く静かな映画だなと感じたことです。音楽や盛り上がる場面は殆どなく、ただ只管にハンナとジョゼフの会話だけで映画が進んでいくという感じですね。最初ハンナはちょっと精神的な病気なのかなと判断できます。一度使った石鹸はすぐに捨てるという潔癖ぶりなどが描かれています。このままこの女性がジョゼフやサイモンと一緒にいることによって心が開けてハッピーエンドになるのかなとも思ったのですが違いました。
先ず彼女がただの精神病だとかそういく簡単なことではなかったということが後に発覚し、その場面では思わずフィクションだとわかっていながらも目を覆いなきたくなりました。映画の終盤あたりまではずっとジョゼフのハンナにだけなら言えることを語っていくのですね。幼い頃の暴力的だった父の話、そして今回の爆発の事件の話。人は誰でも負うものがあります。50歩100歩という言葉もありますが、しかしやはり重いものは重いわけで、ジョゼフは今回の事件で自分のせいで友人を自殺に追い込んでしまったということから抜け出せません。最初は感情を殆ど面に出さず、無視していたハンナですが、彼が打ち明けてくれる秘密が大きくなるにつれ彼女も次第に歩み寄っていきます。そして最後には彼女自身がジョゼフに対して、今までカウンセラー一人にしか言わなかったことを言い始めるのです。
彼女は戦争中に大親友と共に自国の軍に囚われ長いこと性的な暴力を受けていたのです。そしてそこで行われた悲惨なことが彼女を苦しめていたわけです。食料が足りなくなれば、囚われている女性たちを殺したり、或いは少しでも兵士に抵抗したものには半殺しにしながらゆっくりと殺して見せしめにしたりと。ハンナの友人であった女性もそんな見せしめを受け、速く殺してあげたほうが楽になれるという状態をむざむざと放って置かれたのです。
戦争、特に戦場で戦う兵士よりも惨たらしい女性の捕虜。その出来事をバックとしたこの映画はどうしても明るく終えたり、感激したというものにはなりません。ただただ、ドキュメンタリー調でこんなにも重いもの、もう現代人が絶対に負えないものを負った人間がやっと人を少しでも信じられ恋をするということがどんなに観ているものにとっての救いとなるか、そういうことを感じました。しかし、簡単にハッピーエンドにはならなくて、捕虜になった時分の事件で受けた衝撃が大きかったか、彼女の中に出来てしまったもう一つの人格のようなもの、漠然とした不安のようなものが、結婚して子供が出来た後もちらと現れるとして幕を閉じています。
完全な救いがないこの世界で私たちはどうやって生きていけばよいのでしょうか。
サラ・ポーリー演じるハンナとティム・ロビンス演じるジョゼフ、この二人の人間模様を描いた悲しい映画を観てみては。


映画『スプラッシュ』(Splash) 感想とレビュー おとぎ話の人魚姫との恋

先日観た映画、『スプラッシュ』(Splash)の感想です。1984年のアメリカ映画。監督はロン・ハワード。
あらすじは、現代のニューヨークを舞台に、青年と人魚の恋を描くファンタジー・ラブストーリーです。
泳げない少年アランはある日、ケープ・コッドで溺れかかった所を人魚の少女に助けられます。しかし、人魚は海に戻ってしまい、このことは幻覚だったのではないかと思うアラン。舞台はその20年後、ニューヨークで兄のフレディと共に青果会社を切り盛りする青年に成長したアランは助けられた人魚に再会します。
1984年ということで少し古い映画なのですが、なんとあのトム・ハンクスがアラン・バウアーを演じているのです。この当時の彼がどの程度の人気だったのかはわかりませんが、そんなに売れていたとは思いません。現在では大御所になってしまっていますが、まだ若々しい彼の演技がとても魅力的でした。
この映画はウォルト・ディズニー・カンパニーの映画部門での第1作目だということで私が感じたことは映画『魔法にかけられて』の前身のようなものかなということです。
女を愛せない愛せないといっていたアランが突然町でであったマディソンという女性に惹かれていく。それはかつて幼い頃に自分を救ってくれた人魚の面影があったからなのですね。つまらない日常にぱっと現れた非日常の空気。人魚は月が満ちたら帰らなくてはならないらしく、あと数日しかいられないといいます。せっかく出会えたすばらしい女性にこんなこと言われたら困り果てますよね。この時点では彼女の正体はわからないのですが、それにしてもTVに対する反応だったり、食事の仕方だったりと人間離れしている部分には、アランも動揺を隠しきれません。他にも様々な映画やドラマで異世界からきた人が、地上の文化に触れたときに起こす反応とよく似ていますが、そんなもの本当に見た人はいないわけですから本物が出てきたら面白いですね。
一応ファンタジー・ラブとなっていますが、私はそれに付加してコメディとしてもいいと思います。特に彼女のことを人魚だと知っていて、学会で発表するために正体をバラそうとする博士の執拗な追跡には思わず笑ってしまいます。金髪で長い髪、青いドレスの後姿を追って水をぶちまける。しかし相手は後姿のみよく似た他人ということで何度もぼこぼこの返り討ちになるわけですが、彼も学会で馬鹿にされないように必死で、その憤怒の形相がなんとも形容しがたい。非常に切羽詰った感じが出ている演技で、博士が出てくるたびにまたくるのかと構えてしまいます。
ただ、マディソンが捕まって人魚だということがばれてしまうと今度は敵が変わって、あの博士が急に愛らしいキャラクターに変身するのです。映画のなかでも「お前はもっと嫌なやつだと思っていた」というアランの言葉に「最初はみんながそう思うんだ」と答えていて、それが彼との最後の会話になるのですが、最後まで面白い。
肝心のアランとマディソンですが、もちろん人間と人魚なので恋は成り立たないかと思われます。マディソンは一人その悩みを抱え込んでずっと苦しい思いをするのです。それに対しアランは婚約を申し込み苦渋に満ちた顔をするアンディに対し激怒。男というものはどうしてもこうなってしまうのです。私も経験がありますが、やはり女性が抱えるものは男が考えている以上に重いことがありますね。しかしアンディは最後に決心をするわけです。最後まで揺らぐ二人ですが、研究員たちに追い詰められ海に飛ぶ込む二人は最後には幸せになれたのです。



春の晴れた日には花の写真を君に贈る

たまにはちょっと詩的にいきましょうか。先日気持ちが良いほどに晴れていた日がありまして、太陽燦燦だなと感じながら写真をとりました。我が家では現在母が丹念に育てた植物が一生懸命咲いています。私の部屋にも梅の一枝を花瓶にさしておいてありますが、そうするとぱっと空気が変わるのですね。古くから京都では桜より香り高い梅のほうが好しとされてきました。本当に香水のように机上を美しく彩ってくれています。
とくにビオラが美しく撮れました。
デイジー
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ヒヤシンス
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ビオラ
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プリムラ
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ガーベラ
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グリー CM スターウォーズ・コレクションがやばい件

最近TVを見ていてどうしても笑わずにはいられないCMがあります。ただ私がスターウォーズの大ファンだということもありますが、CMの出来のよさがなんともたまらないです。スターウォーズを使用したCMは今までいくつかありましたが、郡を抜いてその質がよいのがこのグリーのCMですね。上手くCGを使用していて全く違和感がない。
マスターウィンドウをボビーオロゴンが演じる評議会シリーズ。マスターオロゴンが評議会のメンバーなんて先が思いやられますね。しかし上手く黒人を起用しているところが乙であります。ボビーの提案に対してウィンドウの弟子であるデパ・ビラバとメンバーのイース・コスが互いに見合う場面は、2万人を擁するジェダイの最高のメンバー12人の評議員をもってしても驚きを隠せないというコミカルな展開になっています。2篇ではマスターヨーダのあの目が本編とは全く正反対の、ボビーを見下したような目になってしまっています。
グリーGREE CM スターウォーズ ヨーダ ボビーオロゴン 15s×2


デススターシリーズではあのデーブスペクターが皇国軍の提督の一人を演じるということで、どれもこれも人をおちょくった感じの軽いデーブの演技にベイダー興が制裁を加えます。「このデーブスターの駄洒落の破壊力も・・・」というのは本当に面白い。まさかここに駄洒落を持ってきたかという最初に見たときの衝撃は忘れられません。2篇では敵である同盟軍すら誘ってゲームをやろうと提案するデーブ。しかし何を勘違いしたかベイダーを完全におちょくってしまったが為に制裁と・・・。3篇ではまさかのターキン総督ことグランド・モフ・ウィルハフ・ターキンが思わず顔をしかめるという危険な状況にあるにも拘らず突き進むデーブ。結末は言うまでもなく・・・。
「スター・ウォーズ コレクション」TVCM デス・スター篇-1

「スター・ウォーズ コレクション」TVCM デス・スター篇-2

「スター・ウォーズ コレクション」TVCM デス・スター篇-3


日本が大好きでジェダイの発想も日本の武士からアイデアを得たジョージルーカス。そんな日本びいきな彼だからこそこのCMを作ることが出来たのでしょう。例えばチューバッカというウーキーのクリーチャーは他でもない日本語の大馬鹿を中馬鹿にしたものですよね。それに現在CGによりエピソード2から3までの間のクローン戦争を描いた作品に登場するアソーカというパダワンは「ああそうか」からとったものでしょう。

国際基督教大学和太鼓部2012年春公演 七転八倒  感想とレビュー 太鼓の音に心酔する

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『国際基督教大学和太鼓部2012年春公演 七転八倒東日本大震災における子どもたちの学習機会のために』に昨日行ってきました。というのもかのICUに私の友人がいて和太鼓をやっていて、きてくれというので是非行かむということでした。
もう一人文学士の友人と二人で行ったのですが、二人して唸ってしまいましたね。クラシック音楽などをよく聞くのですが、和太鼓は初体験ですからその調べに打ちのめされてしまったのです。
学生のサークルで一般1800円ですからかなり取るほうです。それだけ自身があるのだろうかと高を括って行ったら返り討ちにあいました。なんといっても先ず太鼓の迫力。音楽やコンサートに適しているはずの公会堂のホールが太鼓の音に反応して振動するほどの力でした。当然私はひ弱な文化人ですからその圧倒的な太鼓の力に圧迫されて途中で倒れてしまうかと思いました。あまりに力強い演奏は意識を肉体から切り離してより純度の高い部分での心の共鳴を果たせるのだと感じました。

1、三宅
2、風祭
3、光野
4、川の流れ
5、阿修羅
休憩
6、Untitled
7、己に添う
8、青猪
9、ひかり
10、神鳴
11、謳歌
アンコール てんてこ舞い

風祭などお祭りを表現したような明るい曲はとにかくメンバーが何人も出てきて楽しく演奏し、知らず知らず自分の口元が緩んでしまいます。やはり音楽とは人類が生み出した最も感情が表れるところですから、演奏者のメンバーが楽しんでいればそれが太鼓の音を通して観客にも伝わってくるわけであります。また、打楽器という人類初の楽器と原理は同じものですからその感情の伝わり方も実にストレートなわけです。
対して三宅や光野といった静かな曲調では演奏者の緊張がこちらにも伝わってきて息をするのも難しくなるくらいの張り詰めた空気があたりに広がりました。強くたたかれる太鼓の音色、その余韻、静寂、これが言いようのない感覚へと誘い緊張の世界に閉じ込められてしまうわけですね。
休憩がなければ演奏者だけでなく観客までもが倒れてしまうと思えるほど、原点に戻った音楽の力は強いのだと感じました。
またどうして生きることやいのちをテーマにした演奏会なのにタイトルが七転八倒なのかと友人と話していたのですけれど、理由には彼らの受けた衝撃がやはりあったのです。震災の後チャリティー活動を続けた太鼓部は、被災地で自分たちの無力さをあまりにも目の当たりにしてしまったのです。そして簡単に七転び八起きができないと感じてしまったからこそ、今はまだ七転八倒なのだと決心したわけなのでしょう。

今回のコンサートの詳細
http://subsite.icu.ac.jp/org/icuwadaiko/12Project/Home.html

日東駒専展 DESING FESTA GALLERY HARAJUKU  展覧会の様子

今回はタイムリーな記事ということで、『日東駒専展』についてです。日本大学、東海大学、駒澤大学、専修大学各美術サークルが集い一堂に展示をするという試みは今回が初めてだったそうで、結果の如何が来年に影響するという試金石のようなものです。
かく言う私も芸術家の一人として絵を三点ほど出させていただきました。いずれも過去作で申し訳ありませんが、やはり重要な局面において奇を衒ったものをするよりも良い作品を出そうと考えました。
出展作品、F10『コスモス』連作・F10『Fiore』
今回の展示を行っている『DESING FESTA GALLERY HARAJUKU』はまさしく若者の町原宿にふさわしい芸術のための建物で、かなり大きな展示場となっています。他にも上智大学美術研究会や文星芸大デジタル映像&アニメーション専攻、ひとこと×飴タクロウさん田原 夏紀 『色彩事展』などいくつもの展示や個展が楽しめる、しかも無料ということで是非お勧めします。

日東駒専展 DESING FESTA GALLERY HARAJUKU
http://www.designfestagallery.com/form_jp/gallery/exhibitors/detail.php?id=Y000019046 
会期 2012年03月12日(月) ~ 2012年03月14日(水)
場所 http://www.designfestagallery.com/re/access/index_jp.html

『DESING FESTA GALLERY HARAJUKU』のGALLERY WESTの外観です。赤い鉄格子は芸術への激しい爆発か、或いはか弱き芸術への庇護の守りか
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展示の様子
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松庵小学校60周年記念 展示会のために フラワーデザイン

態々この展示会のために一生懸命作っていた母の作品です。
押し花による。元々フラワーデザインで食べていたプロだったのでなんだか楽しそうに作っていましたが、私も構図はこうしたほうがいいのではないかとかちょくちょく関わりました。
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押し花による。花かご、バスケットをイメージしたもので、下に書かれている筆記体の英語は学名です。おしゃれでしょ。
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ちょうど時期がひな祭りに近かったので、お内裏様とお雛様を折り紙で折って春を表現しています。買ったときには咲いていなかった梅の花も、温かい校舎の中で展示中に立派に咲いて梅の香りを届けました。
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松庵小学校60周年記念 展示会

別に私が出た小学校というわけではないのですが、母親が遥か昔のそうですね歴史で行ったら中世あたりでしょうか、に卒業したということでなんだか張り切っていましたので展示会を見に行きました。
小学生の作品、中学生(卒業生)の作品、また近隣の住人の三部構成となっていました。普段から芸術というものに深く親しみ、自分自身も製作を一生懸命行ってきているわけですが、小学生の作品というのは美学の美の字も対してわからない筈なのに物凄いものを作るのですね。まさしく感情を表現したということにふさわしい力強さ。大人になるにつれ変な知識で埋め尽くされた論理尽くめの作品よりよっぽど美しいのです。新たな発見がありました。
タイトルが『ただの箱』とあり、特にこうしようああしようという意図がないのにも関わらずこの器を作り上げてしまうという恐ろしさ。末恐ろし。こんなものを日展にばんと置いて御覧なさい、一瞬で空気が変わりますよ。
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それとは対照的に今度は理知的な感覚を感じます。薬品なのか焼いたときに出来たこげなのかはわかりませんが、器の淵のこげ茶がなんとも味が在りますね。
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やはり中学生になってくると少し集団真理のようなものが働くのでしょうか、全体的にまとまっていて美しく、丁寧に作りこまれているのですが、小学生の自由な作風を目の当たりにした後だと少々整いすぎていて力が感じられないかなとも思います。もちろんとっても上手いんですけどね。
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大人が作ったものもなかなか面白いですよ。私も近隣の方に違いはありませんから出展してもよかったのですけれどもね。
木のお皿、ハンドメイドの小物、押し花による屏風、イラスト、その他沢山のすばらしい作品がありました。
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オール駒2012にて

去る2月の2日と3日に駒沢大学美術部だけで行う『オール駒2012』に行ってきました。会場は『池袋ORENGE GALLERY』で、池袋の駅を出た目の前にあるとてもすばらしい場所でした。ちょうど大学の試験と重なり、私は作品の出展を断念、あまり大規模な展示会を開けないという状態で記事にするか悩みましたが、それでもすばらしい作品がいくつかあったので紹介したいと思います。

この記事をどうしても書こうと思わせたのはやはりこの作品です。『赤ずきん、または狼』ということで、これから食べられてしまうのか、それとも食べようとしたこちらが逆に食べられてしまうのかという深い深い命題に突き当たったわけです。
作品の精緻さは郡を抜いており、量より質という主義を完璧に貫いた作品です。質感の出し方は美術部一の技量の持ち主で、ベッドや服は生地で作られたように感じられます。ただ、作ったのは男性の方なのですがポーズがわからなくなった時に時分で鏡に向かってポーズをとってみたとの事でしたからそれを想像するのはあまりよろしいことではありません。
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今回立体班では童話、御伽噺をモチーフにして見ようとの事だったので、これもそれに習い『長靴を履いた猫』からのワンシーンです。猫のほうも非常によく作られていてそちらを乗せてもよかったのですが、こちらのほうが迫力があるかなと思い決めました。現在ちょうどディズニー映画でやっていますね。どんな話か知らないのですが、観てみたいですね。
作者本人は岩がよくないといっていましたが、私は岩の表現が非常に上手だなと感じました。
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油絵が得意な友人の作品です。人物という難しいものをはじめて描いたということもあってバランスでは少し無理が生じています。しかし、それでも色彩も美しいしこれからの成長を期待できるものであります。赤をもっと強くするか、緑をもっと暗めにすると明暗がはっきりしてよかったかも知れません。
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切絵からも一点。かなりの大作です。切絵ということで、極端に言えば白黒二色しか使えないわけで絵画を表現しようとしたその労苦がすでにすばらしい。これは有名な絵画、サンドロ・ボッティチェリによる『プリマベーラ』でしょうね。彩色の美しい絵画をたった二色で表現する。そしてなんと言ってもこの細かさは異常です。特に背景の草木は見ているだけで頭が痛くなりますね。真に素晴らしい。
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Glee Handbell Choir 第40回定期演奏会 明治学院ハンドベルクワイヤ 感想とレビュー

かなり遅くなりましたが去る1月27日金曜日にハンドベルクアイヤの演奏を聴きに行ってきました。会場はなかのZEROホールで、明治学院では毎年必ず行っている定期演奏会です。明治学院で有名なものといえば先ず最初に出てくるのがハンドベルクアイヤなわけで、様々な場所に訪れては演奏をするという非常に積極的に活動している部活です。これを目当てに入ってくる生徒も多いと聞きますね。
さて、旧友も何人かこの部の卒業生ですから聴きに行ったわけですが、私はこれだけの質を持っていながら無料で鑑賞できるということにいつでも驚いています。お金取ったらいいじゃないですか、本当にそういいたくなるくらいの水準なのですけれどもね。
当日は物凄い寒波が日本を襲っていた時分でどうしようもなく寒かったのですがそれでも無料ですから聴きに行った価値は十分ありました。ロングコートを着ていったら知人からは相当お老けになったようで、とかどこの牧師の方ですかとか冗談が飛びましたね。
しかしハンドベルの響きというのは実に不思議な音色で澄み渡った湖で朝靄の調べを聞いているような感覚といいましょうか、物凄く心が洗われて昇華されていくような心持がしますね。それでいて包み込んでくれるような暖かさも持ち合わせたもので、宗教と密接に結びついたのにも理解できます。
あと一つ言いたいことが、折角の定期演奏会なのですからもう少しきちんと宣伝をしてもらいたいということです。せめて学校のホームページできちんと宣伝するか、或いはこの定期演奏会用のホームページを作るかしないといけません。ネットを調べても情報が出てこないというのは如何なものかと思いますよ。

プログラム
中学
1,Tritsch-Tratch Polka             com;J,Strauss
 (トリッチ トラッチ ポルカ)
2,Glorious Things of Thee Are Spoken    com;F,J,Haydn
 (さかえにみちたる神の都は)
3,Hangarian Dance No,1 g minor           com;I,Brahms
 (ハンガリア舞曲 第1番 ト短調)
4,Waltz from "Swan Lake″          com;P,I,Tchaikovsky arr;K,Inagaki
 (ワルツ ~バレエ組曲「白鳥の湖」より~)
5,Beauty and the Beast                 com;A,Menken
 (ディズニー映画 「美女と野獣」)
6,Search With All Your Heart(Solace)         com;K,L,Buckwalter
 (サーチ ウィズ オール ユア ハート 「ソレイス」)
7,Pomp And Circumstance com;E,Elgar
 (威風堂々)

高校
1,from [Messiah] "And The Glory of the Lord″   com;G,F,Handel
 (オラトリオ 「メサイア」より “このようにして主の栄光が現わされると”)
2,Rhapsody in Blue                     com;G,Gershwin
 (ラプソディー イン ブルー)
3,In the Mood                       com;J,Garland
 (イン ザ ムード)
4,Nocturne Op9-2                     com;F,Chopin
 (ノクターン 作品9-2)
5,March of the Dwarfs                  com;E,Grieg
 (小人の行進)
6,もののけ姫                         com;久石 譲
7,from [Aida] "Finale and Grand March″       com;G,Verdi
 (歌劇「アイーダ」より“凱旋行進曲”)


今年は中学生も上手で驚きました。高校生は高校生のプライドがありますから落ち着いて聴ける質でしたね。
ただ、音楽は楽しむことが重要ですから、演奏者たちの楽しさや喜びが伝わってきた非常に良い演奏でした。

大体このような感じで楽しめます


映画『スリーメン&リトルレディ Three Men and a Little Lady』 感想とレビュー 複雑な家族関係もこれで終わり

今回は映画『スリーメン&ベビー』(THREE MEN AND A BABY)の続編の『スリーメン&リトルレディ』についての記事です。
おさらいとしてスリーメン&ベビーでは、ニューヨークで優雅に独身生活を謳歌していたピーター、ジャック、漫画家のマイケル達がある日マンションの前捨てられた赤ん坊をめぐり右往左往。優雅な独身生活から一転、子育てにてんやわんやと悪戦苦闘する羽目になるコメディ映画でした。
『スリーメン&リトルレディ』はその五年後を描いた作品で、未だに彼ら三人とシルヴィア、そして大きくなったメアリーの奇妙な生活が続いている中、ついにシルヴィアが演出家であり恋人のエドワードと婚約します。とこらがこのエドワードという男がなんとも憎たらしい男で、絵に描いたようなエリート主義者で、端からメアリーのことなど眼中になし。ただ欲しいものはシルヴィアだけという嫌な男で、これに対しメアリーを奪われてしまうことに必死になってあわて始めるピーター、マイケル、ジャックの三人。
ロマンス&コメディということで観ていると愉快になれる映画ですが、ただ単に小さなネタに笑うというのだけではなくて、エドワードを憎めるように感情移入を誘ってくるところが見所ですね。また建築家ピーターことトム・セレックの格好のいい事ときたらこの上なく、当時40台半ばでありながらその役柄の深みはすごいものであります。中年のおじさまに夢中になるというのはこの頃からあったのかもしれません。ただ、やはり特筆すべきはかわいいかわいいメアリーでしょう。三人のお父さんにそれぞれ違ったことを教わりながら、結局はそれが悪影響になって最後にママの結婚式にいたずらを一緒にやってしまうのですが、よく三人の悪い部分だけ抽出した悪い子になりました。
映画も中盤でイギリスに渡り、展開が少し早まりますがこのコメディ映画の見所はフィオナ・ショウ演じる(ハリーポッターシリーズではペチュニアおばさんを演じました)ロマックスという女学校の校長先生ですね。元々かなりの天然な人物らしいのですが、エドワードの吹聴によってピーターが自分に恋していると勘違いした辺りから面白くなってきます。
流石に数々の賞を後に受賞する彼女ですから、その演技は筋金入りでその断片をここでも観れるわけですが、本当にこんな人いたらずっと笑い転げますよ。事あるごとにピーターに突っかかっては突き放され、それを自分に好都合なように解釈する。そんなにまでして私を愛しているのねとか、ただ誘いを断っただけなのに奥手なのねと興奮したりその行動全てが小さなネタになっているわけです。
結婚という人生での大きなイベントをめぐってのストーリー、映画は数多く製作されていますが、そのなかでも面白さで言ったらこの映画は郡を抜いています。ラブロマンスを前面に出してこない映画だけに簡単にお涙頂戴というわけにはいきませんから、それでも見る人間をひきつけるだけのすばらしい映画だと感じます。

エンディングからAlways Thinking of You by Donna Delory


映画『ボディガード 』 感想とレビュー 人が人を守るということ

先日亡くなられたホイットニー・ヒューストンには心から冥福をお祈り致します。
ということで先日観たのはケヴィン・コスナーとホイットニー・ヒューストンが共演した名作中の名作『ボディガード』です。
ホイットニーは映画初出演だったらしいですが、まったくそんな感じはせず、演技もかなり上手いと感じました。映画のカテゴライズとしては少し不思議ですがロマンティック・サスペンス映画ということで、全体を暗く危険なものが覆っていました。ずっと緊張が続くのですね。こんな映画は初めて観ましたが、例えるならばずっとナイフを向けられているような感覚に陥ります。もちろんそれは不気味な音楽がところどころに緩やかな不安を掻き立てるように流れてくるのが原因ですが、そんなナスペンス感たっぷりな中にラブロマンスを見事に融合させたところには見事の一言に尽きます。
ホイットニー・ヒューストンというと、ボディガードで歌った「オールウェイズ・ラヴ・ユー」が有名ですが、これ映画中には彼女が歌うシーンはないのですね。観てびっくりしました。PVがよく流れていたのであれはてっきり映画のワンシーンを切り取ったものだと勘違いしていたのですが違ったようで、しかし彼女の歌声にはただただ感銘を受けるばかりです。特に私が好きなのはあの高音のビブラートと声量。曲の最後で一旦静まったあとにドンとドラムの音が響き渡った後のAnd I Will Always Love You~~というところは誰でも感動を隠しきれないほどの破壊力を持っています。
結局叶ったか叶わなかったかわからない二人の恋ですが、飛行機から降りて元ボディガードのフランク・ファーマーのもとに駆け寄ったあとの余韻を残した終わりの後にこの曲が流れてくるわけですから、思わず息が詰まってしまいます。
レイチェル・マロンという役に徹したホイットニーでしたが、こういう熱狂なファンというものはどこにでもいて、例えばジョンレノンもその熱狂的なファンにより命を落としてしまいました。この映画を観て一つ考えさせられたことは全てを持っている人間は、何もしていなくてもそれだけで妬まれ、疎まれ、憎まれるということですね。私も人のことが言えなくて、やはり隣の芝は青く見えるのですから嫉妬という気持ちが非常に強く芽生えることがあります。こうなるともう負の連鎖が始まりどうして私にはないものがあの人にはあるのだろう、どうして、何で、何故、と自問自答でどんどん悪い方向に向かってしまうものですよね。ようは心の持ちようなのですが、そう簡単にいくものではない。そんな感情が起こした悲劇が多少この作品にも垣間見れ、トップに立つ人間も大変だなと感じるのであります。
心から執着を流すには、川とそこに落ちてくる落ち葉を想像して、その落ち葉に今考えていることを片っ端から乗っけて流してしまうイメージをするといいそうですよ、テレビでやってました。

フランク・ファーマー/ケヴィン・コスナー   レイチェル・マロン/ホイットニー・ヒューストン


映画『きみに読む物語』 感想とレビュー 真実の愛はここにある

しばらく映画の記事を書きたいと思います。
今回紹介するのは2004年に製作された『きみに読む物語』です。あらすじは、アメリカ南部シーブルックを舞台にした、青年ノアと少女アリーのひと夏の出来事を認知症の老婆に老人が語っていくというスタイルです。
原題がThe Notebookということで、老人は元々詩を書いていたようなのですが、大きな本を片手にずっと若い二人の恋を語っていくわけです。ところどころ回想が終わり老人同士の話になるのですが、次第に内容からするともしかしたらこの老人の過去を語っているのではないかなと思えてきます。老婆は事あるごとに老人に言います。「そんなの不公平だわ」「ノアがかわいそうじゃない」「それでどうなったの」、初めはあまり感情も出さずに見ず知らずの老人に対して不安を感じていましたが、感情移入が進むと徐々に話し出すようになります。
ノアが田舎町の貧乏な少年なのに対し、アリーはお金持ちでこの田舎には避暑に訪れているだけ。なんとも不釣合いな二人が何度も何度も喧嘩しながら愛を確かめ合っていくのはハラハラドキドキします。かつては私もあんなに若く、こんなにもぼろぼろになるように人を愛したのかなとも考えてしまいますね。
しかし幸せ絶頂の二人には幾多もの試練が満ちていて、結末までのなんともどかしいことか。この恋愛に対し強く反対していたアリーの母アンはどうしても好きになれない人物ですが、最後にどんでん返し。どうしてアンが娘に対しこんなにも厳しく辛くあたってきたのか、その理由がわかるときには母、娘のあまりにもつよい愛情が垣間見れるでしょう。母は娘に同じ過ちを繰り返して欲しくないが為の行動に、それが正しい正しくないというのは簡単に言い切れる問題ではありませんがやはりこのように動いてしまうのが親心なのかなとも思います。
そんな親と子の物語が終わったところで、本題は恋人の話ですからそちらに移行するわけですが、最後まで読み終わると同時に認知症の老婆が「それは私たちの話ね」と切り出して、科学的に説明の出来ない記憶が一時的に戻るという現象が起こります。そして熱い抱擁を交わす二人でしたが、すぐに「あなたは誰、なんで私の部屋にいるの」とまたパニックを引き起こしてしまいます。若い頃の話が終わってやっとハッピーエンドになるのかと思っていた時分ですからぐっとこみ上げてくるものがあります。何故一筋縄で幸せになれないのか、なんとも無常だと打ちひしがれます。
老人も心臓の発作で倒れ、何とか一命を取り留めますが、最後の最後で老婆のところを訪ね「このまま二人で一緒に死ねるのかしらね」というアリーの問いに「私たちは何度も二人で乗り越えてきたじゃないか、私たちの愛なら何でも乗り越えられるよ」といい幕を閉じていくのが言うに耐えません。
もちろん悲しいことは悲しいのですが、一生涯をかけて人を愛するという行為、これが科学的に説明できないような現象まで引き起こし共に旅立つというのはこの上なく感動的であります。本来なら恋人と見るべきものなのでしょうが、生憎いませんので一人で見ましたが、こんなに人を愛せるものかと感慨深いものがありました。
何度も何度も、失敗してもくじけそうになってもそれでもきみに物語を読み続けた老人。愛とはなんなのか深く教えられました。
こんなにいい映画は珍しく、皆さんにも観ていただきたい。


ノア・カルフーン/ライアン・ゴズリング アリー・ハミルトン/レイチェル・マクアダムス


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