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絵本『この手のひらほどの倖せ』 布施明 感想とレビュー 兄弟愛とは

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暫く振りの布施さんの記事です。今回は音楽ではなくて、本の紹介です。元々布施さんは歌詞も作るし、コンサートで行う一人ミュージカルは自分で脚本から作っています。そんな布施さんが書いた童話、絵本を今回は紹介したいと思います。
竹林龍二という昭和生まれの人間の半世紀、それを本人による一人称回想型の文体で綴られたものです。初めは布施さんのコンサートの中で朗読されていたものが、反響が大きかったために書籍化され、終いには映画化とまで発展しました。
布施さんもあとがきでヒール(悪役)は作らなかった、と言っているようにこの本は二人の幼い兄弟のヒューマンドラマなのですね。
昭和30年から40年代にかけてでしょうか、母が死に、父は東京へ出稼ぎに行って帰ってこない、幼い兄弟は祖父の下に静かに暮らしていました、しかし祖父は亡くなってしまいます。施設に預けられる兄弟ですが、お兄ちゃんはおじいちゃんは生きているんだといって弟を連れ出して会いに行きます。なんの用意もない小さな二人ですから途中でお腹がすいてどうしようもありません。たまたま木になっていた柿を取ろうとして石を投げたら、その家のおじさんが怒って出てきました。しかし、きちんと事情を説明するとおじさんはあれは渋柿だといって、甘い柿をとってきてくれて、もう片方の手にはばあさんに作らせた大きな大きな倖むすびをくれました。
田舎の夕焼けの鮮烈な印象が涙を誘う悲しくも暖かい物語です。誰も身寄りがいなくなってしまった小さな小さな兄弟が、それでもなんとか必死に厳しい世の中を生きていこうとする姿には胸を打たれます。悪役はいません。でもあえて言うとすれば彼らの運命、世の中が悪役なのかもしれません。夕焼けに染まる広い空のなかで、片手には柿をもう一方の手にはおむすびを。小さいはずなのに大きく見えるお兄ちゃんの背中にはそれでも背負うものが大きすぎたのです。薄倖なお兄さんの人生は一体だれがきめたのでしょうか。どうして最後に倖になれなかったのでしょうか。
特に大きな震災で家族を失った方が多いと思います。そんななか少しでも前に進む勇気、明日へ向かう希望、力を与えてくれるやさしい絵本です。

こちらは映画の方http://dreamonefilms.com/tenohira/
まだ観ていないのですが、キャストも充実していますし大切な方と観たいですね。

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仮面の告白 三島由紀夫  感想とレビュー なぜ我々はこの告白を聞くのか

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未だ三島先生の本は金閣寺とこの本しか読んでいないのですが、やはり戦後の文豪といえるのはなかなか三島先生以外にはいないのかなと感じます。
先ずなんど読んでも驚かされる心理描写は他にはない斬新で深いもので、おそらく今の作家がどう頑張っても辿り着けるような位置にはありません。自分について常に深く深く、一人称視点、二人称視点、三人称視点で詳しく細かく表現された心理描写、これが金閣寺にしても仮面の告白にしても本を紐解く上でとても重要なのです。それはまるで今のミステリーのようにその「私」の思ったこと感じたことが展開されていき、そして物語が動くというものなのです。この感覚はやはり他に類を見ないですね。
仮面の告白で追い求めるものには「美」という強い感情があります。初めにページをめくるとドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟(未だ一冊目の途中、長すぎる)より美について言及されている部分が1ページ載っています。
もともと虚弱体質な「私」は初め家の中での美術に対しての感情を強めていきます。骨董品や、剥製といったものに生の美を感じたのです。最後には画集に載っていた絵に対してのejaculatioで悪習を身に付けます。
次第に学校にも行けるようになった「私」は健康というものに美を感じます。学校の体育の授業で陽に焼けて浅黒くなった肌、全く死というものを感じさせない健康的な美しい鍛えられたからだ、近江のからだへその美の焦点は当てられていきます。もちろん「私」は男です。そうすると単に同性愛、ホモとも考えられますが、そう簡単な問題ではないのです。それに「私」は後に女性もきちんと愛します。愛や恋という感情ではないと「私」も言っている通りに生に対するあまりにも強い願望が、強くならなければという義務感が、近江を通して嫉妬を招いた結果なのです。
そしてそれは教師、若く男らしい教師が教壇で授業をしている姿に対しても芽生え、或いは最後には片思いの、落第生の友人にまで至るのですが、結局は内なる「私」との対面にはっと覚醒してしまうのです。
第3章、4章にかけて「私」は世間一般でいう正常な恋をします。友人の家に何度か遊びに行っていると聞こえてくるのはピアノの音。この展開からして私は武者小路実篤の友情のように物語が進むのかとも期待しましたが、期待の地平は裏切られました。園子という少女と次第に親しくなる「私」は戦争で疎開した先で、終に園子との距離を縮めます。親密な関係に「私」自身も女性を愛すことが出来るのかと大分安心してきた時分に、園子との接吻によって気づかされてしまうのです。やはり自分は女を愛すことが出来ないということに。そのことを何とか園子に気づかれまいとする「私」ですが、今までの振る舞いもあって結婚話にまで発展します。うやむやにしているうちに年は過ぎ、園子は他の男性と結婚しますが偶然出会ってしまった「私」は再び園子への感情を吐露します。しかし今回は変わった形で。
話し相手を何度かして、次第に彼女はこの行為に意味があるのかと疑問を抱き始めます。それで終わってしまっては困るので、何とかごまかす「私」でしたが、やはりはっと感じたときに舞踏会で園子と一緒に躍ったときに、彼の告白はそっと終わるのです。

由紀さおり 魅力の再発見 古典への回帰 海外で評価される理由

今回は何故かアメリカで大ヒットした由紀さおりさんについての記事です。由紀さんといえば姉の安田祥子さんと共に童謡を歌ってきたことが印象的です。かつて私も小さいころに母に連れられて二人のコンサートを聴きに行ったことがあります。まだ幼かったとはいえ二人の歌う「赤とんぼ」や「トルコ行進曲」は大好きで今でも記憶に残っています。
そんな由紀さんが、アメリカやヨーロッパを中心として活躍中のピンクマルティーニとのコラボレーションを果たしたのが今回のことの発端です。ピンクマルティーニはトーマス・ローダーデールを中心とした40年代から60年代にかけてのジャズ、映画音楽、ミュージカルのナンバーなどをレパートリーとするオーケストラグループ。
今回のテーマはタイトルと同じく1969年ということですね。現代社会の授業でもよく出てくる年代ではないでしょうか、そんな時代の過渡期にヒットした名曲を散りばめながら構成されたCDは世界中でヒットしました。
NHKの番組SONGSでも由紀さんの回を設けていたのを観たのですが、本人も「何でヒットしたかよくわからない」と口にしていましたね。私としてはやれグループだの、アイドルか歌手かよくわからないような生半可な人間が歌うだの、それ機会による合成が入っていたりだの、なんだかなぁと思っていた時分でしたから本当の歌、所謂歌謡というものが再評価されたことを非常に喜ばしく思っています。

由紀さおり&ピンク・マルティーニ / 1969
1. ブルー・ライト・ヨコハマ
2. 真夜中のボサ・ノバ
3. さらば夏の日
4. パフ
5. いいじゃないの幸せならば
6. 夕月
7. 夜明けのスキャット
8. マシュ・ケ・ナダ
9. イズ・ザット・オール・ゼア・イズ?
10. 私もあなたと泣いていい?
11. わすれたいのに
12. 季節の足音(ボーナス・トラック)

安田祥子、由紀さおり時代の名曲


真夜中のボサ・ノバ ティモシーニシモトとのデュエット


夜明けのスキャット


日展 感想とレビュー 工芸美術に触れ合う  

日展の紹介も含めて自分の思ったところを人に見てもらおうと思って書いていたのですが、どうしても絞りきることが出来ずに2つに分けて書くことにしました。本当は彫刻も多少嗜みますし、書道も作品を制作している最中なので紹介したいのですが、霧がないので私の専門でもある工芸美術を取り上げます。
なんといっても工芸美術は立体ですからね。今まで2次元であった美が3次元になる。作品には触れちゃいけませんが、自分で作るなり了解を得るなりすれば触ることだって出来るのです。そうするとぐっと美術というものが身近に感じられますね。絵はよくわからないという方でもわかりやすいと思いますよ。
重ねて日展のホームページを載せておきます。日展

奥田小由女 「蘇れ生命(いのち)」。先ずはこれです。天使あるいは母そのものといっつてもいいでしょう。やさしい微笑をした女性が子供を掲げているその姿は無駄という言葉の介在を一切許しません。母と子としてみるとその髪はつながり、まさしく命をつなげるという象徴になるわけです。髪とはこの上なく重要な意味を持っていますね。イスラームでは髪を男性にみせることさえ躊躇われますし、そもそも神から授かった知識をつかさどる頭を守るものとしても重要です。私は神と髪の発音が日本語で一緒なのはそれなりの意味があると思っています。古来より言の葉、音を非常に大事にしてきた日本語では音が同じということだけで特別な意味を持ちます。もしかしたら日本でも髪と神は同じくらい重要なものとみなされていたのかも。
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大塩正義 「揺らぎの湖映II」。陶芸ですね。かたちがなんとも気持ちがいいではありませんか。曲がりすぎてもいなくてなだらかで、女性のような優しい丸みを帯びていますよね。色もいい。湖といっているのですから群青とも深緑ともいいがたい、それでいて明るい色味がたまりません。淵にかけてのグラデーションが地から水への境目となっているわけですね。器一枚で自然を映し出す。これが日本の芸術なのですね。
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大樋年朗 「飴釉金龍壺「足跡・MY WAY」」。これを観たときなんて力強い作品なのかと思いましたね。色もいたって簡単。こげ茶の丸みを帯びた壷に金の龍が描かれているだけ。でも何故か惹かれてしまいますね。例えばこの壷に松や千両、菊といった日本の植物を生けて見ましょう。龍がそこへ向かっていく姿がなんとも勇ましい。その場の雰囲気を変えてしまえるだけの力が篭った壷なのでしょうね。
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川本敦久 「風のすがた」。布ですよ。染めただけでこんなに美しいものになってしまうのですね。風のすがたとありますが、雲をイメージさせられますね。地平線がほのかに明るくなってきている、朝日でしょうか、それとも夕暮れか。これは絵ではかけない美しさを染めるという行為で見事に美しさを閉じ込めたという感じがいたしますね。これが壁にかかっていればそこはもう立派な地平線まで望める窓になるわけで、風を感じることもできるのですね。
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服部峻昇 「螺鈿飾箱 日月文」。国宝が出てきたのかと思いましたよ。ただでさえ美しい螺鈿。これを計算されつくした美しさにそってはめていく。日輪ですかね、万物の象徴太陽が表れ、金粉のなんと美しいことか。波立つ螺鈿の模様に合わせて箱の表面も波立っています。かなり複雑なかたちをしていますが本当にどうやってつくったのでしょうか。実に教えてもらいたい。側面もきれいですね。宇宙を表現しているのかな。
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宮田亮平 「シュプリンゲン「翔」」。東京芸術大学学長がお出ましということで、宮田先生の得意なイルカ、シュプリンゲンシリーズでしょう。昨日ラジオで宮田先生が出演されていて、「みんなが芸術家になる必要はないけれど、芸術を愛でる気持ち、これが大事なんです」と仰ってました。真にその通りだと思います。私は少し強硬な人間なので美しさのわからない人間は罪だといわせていただきましょう。しかし流石は芸大学長。その技量たるや衰えを見せません。イルカが群れを成して波に乗っている表現をこのようなかたちに出来る力、これがすばらしい。これ横から見ても何層にも重なった波が見えてきれいなんですけれどもね。
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向山伊保江 「廻・こしゆくもの」。最初観たときはなんだろうと思いましたが輪廻を表現したものですね。工芸の伝統的な技術七宝。その技術は宝石を作り出すものと称されるほどの美しさを持ちます。七宝によりつくられた輪廻転生の世界。もしもこんなに美しい輪廻ならば解脱をしなくてもよくなってしまいますね。色の配置が無造作で、それが人生の山あり谷ありを表現しているのでしょうか。
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日展はその作品の圧倒的な数とは反対に入場料はかなり安いので皆さんもどうぞ足を運んでみてください。どれもこれも新しいものですから古い知識に縛られることもなく自由に美と対面できるいい機会だと思います。

第43回日展 失われない日本美術の結晶  感想とレビュー

新国立博物館でモダンアートアメリカンと同時期に開催されていたのでもちろんこちらにもお邪魔させていただきました。こちらのほうが見たかった言えばそうです。ただ、一つ思うことが作品が多すぎて入りきってない感が出てしまう点がなんとも。それから膨大な、なんていっても新国立博物館の1階から3階までの全てを使用しての展示ですから、一日では回りきれない。
作品と作品との間も殆どなくせっかくのひとつひとつ優れたものが打つ消しあってしまっているようなごちゃごちゃ加減が・・・。
しかし作品そのものは本当にいいものばかりで、行く度に新しいアイデアを頂いています。
主な作品は日展のサイトで観ることができます。是非お勧めします。日展

先ずはこの方からでしょう。やりますな鈴木会長。年齢に反比例する彼の作風は今をもってしてもまだ上昇するのでしょうか。「朝の霧」という色彩の非常に耽美で静かな絵から始まる日展はここからその叡智が窺えます。
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福田千惠 「今日、そして明日」。今回の日展のパンフレットの表紙にも選ばれた秀作。歌手の小林幸子さんをモデルとしたと聞きましたが、凛として美しい表情、立たずまいは本人のそれを超えているかもわかりません。黄色い光とのバランスがきれいに取れている静かな美を求めた作品だと感じました。
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川﨑鈴彦 「潮騒」。大先生ですが、まさに日本画と呼べるような古典的な描き方をしていますね。それでいてどこかモダンな。髭の生えた魚は鯉でしょうか、先生の茶目っ気たっぷりなかわいらしい絵です。かわいらしさと、日本の美。これを見事に合わせた技量は神業に近いでしょう。
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西洋画
小灘一紀 「花鏡(木花之佐久夜毘売)」古事記に出てくるコノハナノサクヤビメですね。花の神ですが、どことなく西洋風な感じもします。レースの質感といい、構図、あたりの暗さ、雰囲気どれをとっつても完全な美。この絵をみていると自分が描いているものがなんなのかよくわからなくなってきますが、しかしこれを目の前にしたら誰でも息を呑みます。
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池田良則 「陽だまり」。私はこれを誰かが隣でやっているモダンアートアメリカンから引っ張ってきたのかと勘違いしましたよ。西洋画ということで画材、技法はかなり似ていますが、ここまでモチーフを似通ったものにするとは確信犯でしょうか。おじいさんがかもし出す哀愁はキャンバスを越えて漂ってきます。
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小野大輔 「チョーク絵のある静物」。写真ですか、と開口一番に言いたくなります。だってチョーク使ってないでしょ。絵の具だもの。わけがわかりませんね。どうしてチョークで書いたように見えるのかな。
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永田英右 「悲しみよ滞まれ」。これは私のかなりの一押しです。なんといってもこの写実の技量のすばらしさは郡を抜いています。タイトルにもありますが、一貫として悲しみが支配する世界。老人がマンドリンを持ち考えることは何なのか。悲しみよ滞まれですからね、作者の意思なのか老人の意思なのか。やっぱりこの絵だけ周りの空気が全然違ったのですよ。悲しいのだけれど重くない。どちらかというと大聖堂に入ったときの荘厳な雰囲気に似ていました。
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福井欧夏 「月の雫」。絵を飾ってあった場所がいまいち気に入りませんでした。こんなにも美しい絵が隅っこに追いやられていてびっくりしたのですが、妖精が地上へ降りてきてしまったような感じ。生きているのか死んでいるのか。寝ているのか、ないているのか。全体に悲しいイメージがありますが、それは非常に壊れやすくもろいものに対するときの心情でしょうか。レースの質感、今にも触れそうな世界なのに手がとどかない。心をかき乱してしまうのですがそれは常にこちらからの一方通行。儚さの結晶とでも言えばよいのでしょうか。
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吉田伊佐 「雄流」。こうしてみると自分が写実主義がすきなのだなと感じますね。殊に自然を写実する。この行為自体が私は高尚なものだと感じます。自然とは何かを考えてみるとそれだけで小説がいくつも書けそうですが、この絵を見ていると白滝のサーという音が聞こえてきますね。周りは水によって冷まされた少し肌寒い温度でしょうか。
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モダン・アート,アメリカン 展 感想とレビュー 近代絵画に心よせて

ずっと書こうと思っていたのですがなんだかんだで延びてしまいました。昨年の11月に国立新美術館で開催されたモダンアートアメリカンに行ってきました。
写実主義、印象派、シュールレアリスム、これらが一通り台頭した後の世界ですからそれぞれのよい点を受け継がれ、また芸術家たちにより新たな作意が見られる展示でした。モダンといっても100年ほど前の絵ですが、今みても全くその斬新さは衰えません。それどころかもっとみたい、絵を描きたい、という衝動を引き起こすほどの力を現在でも内在していました。
ダンカン・フィリップスによるフィリップスコレクション、その真髄が日本で見られるということは非常にありがたいことですね。こういうものはやはり足を運んで実物をみるということに意味がありますね。

芸術には然程詳しくない友人がちょっと勉強してみたいといって一人で足を運んでみたそうなのですが、その友人がとにかくほめていたのがエドワード・ヒックスの平和な王国。61×81とそんなに大きなものではありませんが、すごい躍動感があって3Dを見ているみたいだったといっていました。私は動物の愛らしい表情がなんともたまりません。
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私が特に好きなのは第4章として自然と抽象にあった作品群。私の作風も少なからず影響を受けているジョージア・オキーフによる葉のかたち。なにがすばらしいって言葉では表現し辛いのですが、色といい質感といいまさに最上の状態です。こんなものを実際に緑と白と赤のはっぱを持ってきて写真でとったってなんにも面白くはないのです。それをオキーフが目で見て感じて描くことによってこんなにも美しい抽象の世界へと昇華できるということがすばらしいのです。
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オーガスタス・ヴィンセント・タックの熱望。これは圧巻の一言。ブースを抜けて違う部屋に入ろうとするとはっと空気が変わるのがわかるようなすばらしい作品です。188×341とかなり大きな作品で、これが移動の途中から視界に入ってきて速く観たいと足が駆られてしまうのです。寒色の青をこんなにもふんだんに使っているのにまったく冷たい感じがしない。本当に日の光を浴びているような暖かさを感じますね。またこの模様のかたちも自然と不自然の合間をかいくぐったようで見ていてあきません。どうやってつくった模様なのだろうか、絵の具を乗せて自然に発生させたのか、自分で決めた線なのか、しばらく絵の前から動けませんでした。
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モダンアート・アメリカンというのですからアメリカです。アメリカといえば都市。100年前は高度経済の代表となったニューヨークですよ。ジョン・スローンの冬の6時。エドワード・ブルースのパワー。ニューヨークの摩天楼に雨上がりでしょうか、雲間から溢れる光が燦燦と照らしている。あるいは黄昏も過ぎて家に帰ろうとする人々を哀愁をもったやさしさで表現する。いつまでも観ていたいような、まるで自分がそこに立っている人々と同じ世界の人間のような錯覚すら覚えます。
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7章では記憶とアイデンティテーとして、グランマ・モーゼフのフージック・フォールズの冬がやはりすばらしい。どこかでみたことがあるのですがよく思い出せない。昔使っていたカレンダーかな。日本では見られない違った雪景色ですね。まるで童話の一場面のような趣にこれからどのようなストーリーが展開するのだろうと心弾みます。冬は寒いはずなのに何故か観ていると心が温かくなってしまうそんな絵ですね。
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個人的に最もすきなのが10章の抽象表現主義。サム・フランシスのブルー。マーク・ロコスの無題。ヘレン・フランケンサーラーのキャニオン。かたちと呼べるものはもうありません。しかしこの中に何を描かんとしたのか、またこれを観て私たちの感じるところはなんなのだろうか。探求が探求を呼びます。キャニオンはグランドキャニオンのことでしょう。父がアメリカに2年住んでいたことがあって家族で遊びに行ったときにはラスベガスを通ってグランドキャニオンにもいきましたよ。確かにあの自然のあまりに強い力を目の当たりにしてしまうと何かを感じないということは無理。ましてやそれが繊細な画家の心にどう響いたのか。写実的に表現してもしょうがなかったのでしょうね、たった2色を用いて表されたそれは非常に簡単なものにみえますが、それ故いくらでも解釈がうまれるし考えれば考えるほど奥深いものです。
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花の香りを  写真でみる花の香り 静物

母親がフラワーデザイナーということもあり、日ごろから植物と接する機会の多い私ですが、写真という媒体を通してもその美しさが失われないというのは真にすばらしいこと。まるでその香りが漂ってきそうな感覚です。
カーネーション
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スターチス
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バラ
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ガーベラ
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春の訪れ 写真で観る春 晴天やかも

たまには写真も載せましょうね。
まだまだ寒い日が続いていますが、たまに暖かい日も訪れますね。
少し町へ出てみれば美しい日常の光景が広がっています。
先日とった写真、あまりに空がきれいでした。前日が曇りだったのであっと思ってシャッターを。飛行機雲がなんともいえないでしょう。
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もう鴨も見ることができるのですね。この日は比較的暖かかったと思いましたがそれでも水は冷たいでしょう。鳥は人間よりもずっと強い生き物なのですね。
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偶然とれたなんとも面白い写真。二羽の鴨が頭を水中に突っ込んでいる中で、烏が空を見上げている。シュールだ・・・
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遙かなるサンタルチア Santa Lucia Luntana 聞き比べ 比較研究 有名なナンバーの紹介

サンタルチアといえばもう一曲どうしても紹介しなけらばならないものがあります。遥かなるサンタルチア。サンタルチアが民謡としての位置づけなのに対し、こちらはカンツォーネとして知られています。
E.A.マリオが1919年に作詞・作曲したもので、ナポリのサンタ・ルチア海の情景を歌ったもの。岸を離れ、船出する舟人の思いを歌った歌です。私の中ではこちらのほうが聞きなれているのですがね。
いろいろ調べたのですがあまり資料がない。そんなに広く知られていないのですかね。
Three Tenors 2001 - Santa Lucia Luntano三大テノールによる

ホセカレーラスによる、フルで聞きたいかたにはこちらがお勧め。


Partono 'e bastimente pe' terre assaje luntane...
Cántano a buordo: só' Napulitane!
Cantano pe' tramente 'o golfo giá scumpare,
e 'a luna, 'a miez'ô mare, nu poco 'e Napule lle fa vedé...

Santa Lucia! Luntano 'a te,
quanta malincunia! Se gira 'o munno sano,
se va a cercá furtuna... ma, quanno sponta 'a luna,
luntano 'a Napule nun se pò stá!

Santa Lucia, tu tiene sulo nu poco 'e mare...
ma, cchiù luntana staje, cchiù bella pare...
E' 'o canto d''e Ssirene ca tesse ancora 'e rrezze!
Core nun vò' ricchezze: si è nato a Napule, ce vò' murí!

遠い国へと 出て行く船の 上で歌う ナポリの娘
港を出れば 月の光に 船の上から 遠くナポリが見える
サンタ・ルチア 別れゆく寂しさ 運をさがしに はるばる来たが
月の光に 今は見える悲しさ

ギターの調べの 悲しいその音 膝に落ちる ひとしずく
歌を聞けねば 心くだけて 一人寂しく 唯ナポリを想う

サンタ・ルチア恋し シレンの歌う 歌も心 慰めず
ナポリで死ねば 何も望まぬ 幸も宝も はやナポリに帰ろう

サンタルチア  Santa Lucia  有名なナンバーの紹介


盲目の歌手アンドレア・ボチェッリによるサンタルチア
先日の笑ってこらえてではナポリが取材されました。なんとあのサンタルチアの発生の地ということで、現地支局員が口ずさんでいました。もっとこのことについて取り上げてもよかったともおもいましたが、番組上仕方ないでしょう。
サンタ・ルチアとは、3世紀後半から4世紀初頭のイタリアにおける実在の人物だそうで、熱心なクリスチャンだったそうです。裕福な家の生まれですが、母親に異教者との婚約を決められそれに断固として反対したとか。また母親の持病を祈りの力によって治したという伝説も残っています。
ところが時はキリスト教迫害のころ。拷問の中で目をくりぬかれたと伝えられる彼女は最後には短剣によってその命を絶たれたとか。現在に至るまでに「聖ルーシー(Saint Lucy)」として盲目である守護神として崇められ、目の手術を行うときなどに無事を祈りささげられることもあるようです。またその名は「Lux(光・ルクス)」に由来することから、暗闇を照らす光の守護神としても位置づけられています。
これをアンドレア・ボチェッリが歌うとは実に感慨深いですね。歌自体はナポリの美しい自然がぱっとイメージできるような爽快なものですね。
Santa Lucia versi di T.Cottrau 聖ルチア(サンタルチア) T.Cottrau作詞
musica di A.Longo  A.Longo作曲 1848年作品

Sul mare luccica, l'astro d'argento Placida e` l'onda prospero il vento
Venite all'agile barchetta mia Santa Lucia! Santa Lucia!
Con questo zeffiro cosi` soave, Oh, comm'e` bello star sulla nave!
Su passeggeri, venite via Santa Lucia! Santa Lucia!
In' fra le tende bandir la cena, In una sera cosi' serena.
Chi non dimanda, chi non desia; Santa Lucia! Santa Lucia!
Mare si' placido, vento si' caro, Scordar fa i triboli al marinaro.
E va gridando con allegria: Santa Lucia! Santa Lucia!
O bella Napoli, o suol beato, Ove sorridere volle il Creato,
Tu sei l'impero dell'armonia, Santa Lucia! Santa Lucia!
Or che tardate? bella e` la sera; Spira un'auretta fresca e leggiera;
Venite all'agile barchetta mia; Santa Lucia! Santa Lucia!

輝く海の上に銀の星があり 波は穏やかで、風は順風に吹く
私の小舟よ、軽快に行こう 聖ルチアへ!聖ルチアへ!
こんなに柔らかい西風と一緒に  ああなんて美しい、船の上にあるものは
乗り人よ、あちらへ行こう 聖ルチアへ!聖ルチアへ!
テントの間に食事の用意を  夕方には小雨が降るから
誰も頼まず誰も望まないが 聖ルチアへ!聖ルチアへ!
海はとても穏やかで、風はとても優しく その前には海の辛さも忘れてしまう
喜びとともに大きな声で唱えて行こう 聖ルチアへ!聖ルチアへ!
ああ美しいナポリ、幸せな土地 そこでは創造主が望み微笑む
そなた(ナポリ)は調和の帝国だ  聖ルチアへ!聖ルチアへ!
おぉ、何を待ち望むのか?夕暮れの乙女よ 涼しく軽いそよ風が舞う中で
私の小舟よ、軽快に行こう  聖ルチアへ!聖ルチアへ!

多文化共生~イスラムへの眼差し~ レポート報告

折あって私の過去の経験、アラブにいた体験を生かすことができるレポートの課題があったので、その研究をここに公にします。
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現在最も情勢が目まぐるしく展開し、世界の注目を集めているのが中東である。俗に「アラブの春」とよばれる強権体制が民衆蜂起により次々と倒される衝撃の政変、チュニジア政変からやく一年が経とうとしている。
しかし、1月19日の読売新聞「アラブ春 なお 途上」という記事には現地の人々の声が掲載されていた。「自由は得た・・・職はない」という言葉である。もともと失業率が高まり、社会への不満から起きた側面もあるこの政変、職が得られると考えて蜂起したその後に得られるものは少なかった。彼らの目には今いったい何が映るのだろうか。
こうした現在大変緊迫した情勢の下にある国もあれば、また一方で最近有名になっているアラブ首長国連邦のように豊かな国もある。現在世界で一番高いビル、「ブルジュ・ハリーファ」はそのドバイを象徴する繁栄の証である。それと私は1998年から2002年に掛けてアラブ首長国連邦の首都であるアブダビに滞在していたことがある。よって机上では得られない生活に密着したイスラムの文化を知っている。この三点においてイスラム文化、イスラム教を信じるムスリムとの共存の道を模索していこうと考えそれをここに記そうと思う。
さて、法務省発行、主要国のムスリム比率により算出されたムスリム数、在留帰国人登録者数、政府統計2008年より抜粋すると、当時およそ10万人のムスリムが滞在しているということになる(というのはこれはイスラム教を主宗教としている国の人数にその国のムスリム比を掛けたという計算のしかただからである)。昨今の地震の影響がどうでるかは未だわからないが、予想としては今後もムスリムの数は増えていくとされている。
また上で述べた通り政変があった国では現在治安が悪く他国への亡命も少なからずある。これは対岸の火事ではなく、ヨーロッパからはては日本まで影響する問題なのである。イスラーム教徒の人々と共存することがどういうことなのか、またそこで起こる問題とは、その問題に対する解決策はあるのか、主にこの三点から見ていきたい。


先ずイスラム文化への正しい理解。これがなんといっても最も重要なことである。正しい理解の上にしか多文化共生は有り得ない。
イスラム教というとやはり想像してしまうのが現在の政変である。またカダフィ、フセイン、と独裁政治の臭いもしそうだ。ともすればこれは全世界的に特にアメリカへの同時多発テロが考えられる。ビンラディンを首謀者とするアルカイーダによる自爆テロは今なお世界に与えた傷は癒しきれない。
しかしこれはイスラム文化とは私の口からはとてもいえない。私が4年強住んでいたことから学んだことは全く違う事柄である。殊に日本人が主に描いているテロ、聖戦「ジハード」という言葉への恐怖がある。これは全くの勘違いでジハードとはイスラム教の教えを守るための戦いという意味で決して自爆テロやその他危険な行為を示しはしない。それにイスラム教徒は聖典コーランを自分の命よりも大切に扱いその教えを敬虔に守るが、ここで自殺は御法度である。つまりイスラム教徒の人々は自爆テロをする人々をイスラム教徒とは認めていないのである。
では正しいムスリムとはどういう人達なのか。六信五行といって生活の根幹となる信仰の箇条と行為は有名である。信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼この五行は本当に生に密着したものである。例えば石油産出国で比較的豊かな国では中流家庭でも日本人が見たら大豪邸、コック、メイド、運転手がつくのは当たり前という有様である。私の家にも運転手とメイドさんがいた。彼らはインド人からの出稼ぎであったがムスリムだったためイスラム教の教えに従わなければならない。アラブ首長国連邦は中東でもかなり開けた国で外人も多いことから宗教的な拘束は強くない。運転手の方は一日五回の礼拝は仕事の間はしなくてもよいということになっていて、また会社のほうでも礼拝をしなければならないときはしてもよいと両者の歩み寄りが見られた。
ところがこれが聖地メッカを抱えたサウジアラビアや比較的厳しいクウェートだと話が少し違ってくる。先ずサウジアラビアは観光では入国すら出来ない。仕事あるいは信者の巡礼のほかはビザが下りないからである。また入れたとして、入国の際には自分の信じる宗教を書く部分があり、これを無宗教などと書いてしまうと彼らにとっては神をも恐れないなにをするかわからない危険な人物とみなされ入国を拒否されてしまう。クウェートでは酒を持ち込んだために牢獄に入れられてしまったという日本人の事例もある。
こうした文化の違いが異文化と共存したときにそういう問題を引き起こすか考えてみたい。アラブの女性というと全身真っ黒いアバヤと呼ばれる衣服をまとっているイメージがある。まったくその通りで、町を歩くとムスリムの女性のほとんどが真っ黒である。しかしこれはコーランの解釈次第で多少変わり、敬虔なムスリムの多いサウジアラビアでは目のみ出す、或いは顔全体隠してしまうということが一般的である。一方アラブ首長国はというと顔全体を隠す人は殆どおらず目のみ出すという人も少ない。している人は大体高齢の方である。顔は出しているというのが一般的であった。
今回この多文化共生による問題点はこの女性のつけるスカーフについて取り上げたい。近年非常に話題にされている問題であり、これはすぐに日本でも起こることである。事はフランスとトルコ、ドイツにて起きた。この三カ国以外にも例はあるが問題となっているのはこの国々である。何が問題かというとこの国でムスリムの女性が着けるスカーフを公的な場所においてしようすることを法律により禁止したのである。整理すると以下の通りである
政府が「イスラームの宗教シンボル」であるスカーフを公共の場で着用することを禁止した。(トルコでは男性の顎鬚も)
理由、政教分離。ムスリム移民への不満の爆発。9・11テロ後のイスラムへの不安とステレオタイプな偏見。自文化中心主義による無理解。殊にフランスのフェミニズムはムスリムの女性は男性の抑圧の下にスカーフを付けさせられている。それを法律によって禁止することはそうした抑圧からの解放になり彼女たちに自由を与えるという勘違い。等々。
着用の自由を求めるムスリムの人々。
理由、コーランに書いてある(ただし厳密な規定はない。アッラーは男性を無意味に魅惑しないように性的部分を隠すようにと書いてある。しかし広く髪は性的な部分として考えられている)。着用は個人の自由で強制はされていない。女性の権利は虐げられていない。旦那や父以外に顔や髪を見せることは大変羞恥なことである。等々。
残念ながらこの問題に対してフランス、トルコ、ドイツでは未だ決着がついていない。それよりむしろムスリムに対する偏見は強まるばかりで、フランスの地下鉄ではスカーフを着けた女性に対して「お前はイスラム原理主義者だ、違うというならスカーフをはずせ」と強引に引っ張ったり、つばを吐きかけたりする心無い事例が起きている。また本来イスラム教国家であるトルコの事例はより複雑である。国民のほとんどがムスリムなのに対し政府は一貫して政教分離、世俗主義を主張している。正確な理解の上での行動なのでそう簡単にこうすればよいと意見がだせるような問題ではないが、2003年から任期についたエルドアン首相はイスラーム主義者で、その夫人が公式の場にスカーフをつけて出席したことが一時期大問題となった。国内ではスカーフを認めるべきという派閥と認めないとする派閥が今なお大論争を繰り広げている。エルドアン首相は2004年米国訪問の際「スカーフの問題は政府と諸機関において共通の問題である。トルコにはスカーフの問題がある。われわれは社会との合意のうえ、この問題を解決していきたい」と発言している。トルコでこの問題が解決するのは私が生きているうちには終わらないかも知れない。
さて、この問題が日本で起きた際に日本ではどのような共存、つまり解決が出来るのか考えてみたい。
スカーフが日本で問題になったとする。例えば学校でスカーフを着けるなと禁止される。学校は政教分離なのでしかたないという。それでは登校できないので卒業できない。おそらく裁判になれば信仰の自由、個人の人権のほうが重んじられ学校側に配慮を促すよう指示がでるだろう。これはエホバの証人の信者であった生徒が剣道の授業を拒否した際の例にそって考えた場合である。他にも靖国問題を抱えた日本が政教分離を厳しくしてしまうとそのまま靖国にかえってくるのでできないとか。
こういうことであれば私が考えていたムスリムの女子学生が宗教上の理由で水泳を拒否しても他の授業との代替で卒業可能となるのである。しかし実際問題法律の上では問題がなくとも個人的なレベル、つまり学生の偏見は取り除けないのではと心配するところがある。例えば韓国の伝統衣装チマチョゴリを着ているだけで軽蔑、迫害されたという事例は多くある。スカーフを着けることが認められたり、授業の代替が認められても生徒同士の理解が得られないのではと考えてしまう。大学にもなると外国からの留学生も多く、特に我が大学などはインドからのオレンジの袈裟をきた生徒もいることだからスカーフを巻いた女性がいてもさほど注目を集めるわけでもないし、理解もできる。問題は理解できない子供のころに心無いことがあったときの傷がマイノリティーであるムスリムの人々にどう影響するのかということである。
教師を志望しているものとして、教育機関だけで多文化理解、共生を教え込めといわれてもなかなか厳しい現実があるように思える。もちろん教育機関においての異文化への理解、特に宗教への理解を促すと同時に社会全体が異文化、異宗教への理解、共生に努めなければならないのである。


こうしていくつかの文献を読んで、また書いてみて感じることはやはり多文化共生に最も重要なことは異文化、宗教への正しい理解だということである。またこれがこの上なく難しいことが様々な問題が起きるきっかけとなっていることも事実である。私が住んでいたアラブ首長国連邦では石油関係で日本からくる人間も少なくなかったので日本人学校もありそこに通った。ところが日本人学校といってもアラブ人が通ってはいけないということはなかったので日本にいたことがあって子供を是非日本人学校で学ばせたいという人々もいて、私にも何人かアラブの友人がいた。小学生であったので宗教という枠組みを超えて接することができた。また自分たちが本来はマイノリティーであったのでマジョリテx-の信じる宗教への理解もある程度できたと感じる。問題はやはりむこうから日本にムスリムの子がやってきた場合である。幸いなことに日本では社会的、法律上は何とか乗り越えられそうな希望は見えてきた。ただし私が心配しているのはやはり個人のレベルでの問題である。日本の宗教観はこれまた他の国にはない独特の形状をしていて、言わばさめた目で見てはいないかと感じる。熱心に信仰することがないので、イスラム教のように敬虔な人々をみると抵抗が出来るとおもうのだ。これは考えてみれば宗教だけにとどまらない。実に平凡な言い方になってしまうが村意識が強いのである。自分たちと違う。排除しなければならないものだ、としていじめがおきる。朝鮮人への問題が起こる。アイヌ人への迫害。ムスリムの人々に影響がないとは言えない。どうしたらよいか。下に書いた本を読んでも明確な答えは出てこなかった。そう簡単に解決はできないものであるが、なんとかその方法を求めるとすればやはりそれは理解から始まるのではないだろうか。


参考
読売新聞1月19日、アラブ春 なお 途上
法務省発行、主要国のムスリム比率により算出されたムスリム数、在留帰国人登録者数、政府統計2008年
多文化共生キーワー事典、明石書店
アラブ人、バーシム・ムッサラーム著、日本放送出版協会
アジア読本・アラブ、大塚和夫著、河出書房新社
アラブの人びと、前川雅子、サイマル出版会
中東パースペクティブ、板垣雄三編、第三書館
神の法VS人の法―スカーフ論争からみる西欧とイスラームの断層、内藤正典・坂口正二郎著、日本評論社
イスラーム主義とはなにか、大塚和夫著、岩波新書

太平記 解題

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以前の課題で太平記に用いられている古典籍の研究をして、さらにその興味を引き立てられたのでこの文献をこのような形で再び研究してみたいと思う。授業と重なる点もあるが、同時に新しい発見もあった。調べれば調べるほど奥深く面白い資料である。
①作品名〔漢字表記と平仮名表記・【別名】〕
太平記(たいへいき)【別名】天下太平記
②【製本数量】〔卷軸・冊本・折本〕
40巻
③【成立年代・書写年代】
太平記の成立は一言では表しきれず大変難解なことである。『日本古典文学大辞典』〔岩波書店刊〕にでている文をまとめながら記す。
現存する『太平記』の諸本の中で「古態本」と呼ばれるテクストがまとめられたのは、応安から永和(1365~1379)の頃と考えられる。細川頼之の官領職就任、南北朝動乱の物語を収束させた年が貞治六年(1367)であり、頼之が幕府内の内紛によって失脚し入道して四国に入ったのが康暦元年(1379)であることは重ね合わせて考える必要がある。
古先印元を開山として等持寺が創建された暦応元年(1338)から玄恵の寂した観応元年(1350)までの間に、恵鎮の手許であるところまで完成をみた言わば『原太平記』が、等持寺に隣接する足利直義の三条坊門高倉邸に恵鎮自身によって持参され、それを玄恵が読んで直義の検閲を受けた結果、高名書きを中心とする「書入切出」しの改訂作業がすむまでの間門外不出とされ、その後ある時期に改訂作業が中断されたが、近代になって再び書き継がれたとする。
直義の監督下で改訂作業が足利幕府内での最大の権力抗争であった観応の擾乱の近くまで行われ、
貞和五年(1349)八月の高師直による直義追い落としのための尊氏第包囲事件前後の政治情勢によって改訂作業は中絶し、貞治六年(1367)十一月の細川頼之の執事就任前後から作業が再開されたのではないか。
小嶋法師は玄恵の周囲にいた『太平記』作者の一人、或いは『太平記』編纂工房の中心的な人物で、語りにおいて秀でた人物であろう。
④【著者・編者・ふりがな】
小嶋法師(こじまほうし)諸説あり。詳しくは成立年代のところに記した。
『洞院公定公記』応安年間(1374)五月三日条。
『具注暦』の余白に「伝聞、去廿八九日之間、小嶋法師円寂云々、是近日翫天下/太平記作者也、凡雖為卑賤之器、有名匠聞、可謂無念」と書かれている。この点においては小嶋法師が太平記の著者であるとわかる。
⑤【識語】〔本末・巻末〕
「古今の変化を採つて、安危の所由を察るに」と書き出す序で、作者は「国歌興亡の由来を考えてみると、天の徳を体得した君主と地の道を手本とする良臣とがあって、はじめて国家は平和である。君主が徳を欠き、巨下が道を違えたときは滅亡につながる。前代の聖人の教えを我々は戒めとすべきである」と、その歴史認識の方法を開陳している。
⑥【所蔵・【諸本】〔複製〕】
流布本以外の『太平記』は多数存在する。その中で特に旧態を保っているのが島津家本・北条家本・西源院本・南都本である。太平記京大大惣本(京都大学附属図書館所蔵谷村文庫)は貴重資料である。他に、永和(書写)本〔原本は高乗勲氏所、〕、玄玖本〔前田育徳会尊経閣文庫蔵〕、梵舜本〔前田育徳会尊経閣文庫蔵〕
⑦【翻字資料】
ヘレン・クレイグ・マッカラ〈Taiheiki a Chronicle of Medieval Japan〉
⑧【国語資料】〔【研究】・【文体】など〕
中世において太平記読みと呼ばれる物語僧によって広く語り継がれる。室町時代にはこれに影響を受け多数の軍記物語が書かれる。
また武士にとってはいわば聖典のようなもので、必要不可欠なものとなった。
太平記は研究が盛んな資料であると同時に未だ謎が多いものである。影印、翻刻、注釈と非常に多数の本が出ている。これを研究対象とした文献も多数ある。
またその影響力も非常に強く、特に戦後小説やドラマでこれを描くもの、これに影響されたものが多数確認される。

百人一首目録作り パート3 感想

感想
さて、自然と景物についての百人一首の研究を行ってきたわけだが、総歌が160首という数であることに先ず驚いた。私は200を簡単に超えているものだと考えていたからである。160という数字は単に一首あたりに平均1・6の割合で何かしらの景物が読み込まれているということである。ところが3部の景物を読み込まない歌の数を見てみるとその数は20を越す。つまりここで景物を読み込んでいる歌は約80首である。それを細かく区分すると約140首となるので、景物が読み込まれている歌には平均で約2つちかいものが読み込まれているということになる。
つまりここで言いたいことは、景物を読み込んだ歌には景物が2つほど読み込まれていること。景物を読み込まない歌との格差が大きいことである。

では第1部、植物を見てみよう。植物では約30首の歌を数えることができた。100首あるなかで30首もの歌に植物が読み込まれていることは、どう考えても日本人がそれだけ植物に気を配っていたということにほかならない。現在の東京ではとても自然の状態の植物を見ることは非常に困難になってきている。やはりこれは大きな問題ではないか。確かに植物がなくても生活すること出来る。虫もいなくなって生活はよりしやすくなるかもしれない。しかし、これは一方的な排除であり、人間もまた自然であるのだからその心はすさんでいくばかりではないだろうか。
これを見るだけでも昔の日本人が植物を大切にし、また植物に意味を与えて共存していたということが窺える。
ここで注目すべきはやはり春の代表的な景物桜、秋の代表紅葉であろう。30首の中において桜は7首、紅葉は5首とこの二つの景物だけで約4割になる。ここから見て取れることは改めてではあるが、日本人がいかに季節に心やり、それを愛でていたかということである。これほど季節、特に春と秋に関心していた日本人のなかで春秋優劣の考えが起きることは想像に難くない。
また桜が読み込まれる歌の傾向を見てみると桜はやはりそのすぐに散ってしまうという儚さと共に恋愛の心を託したものが多い。まさしく生命の芽吹きを感じると同様に恋も芽吹くのである。しかしその恋心は桜のようにもろく散ってしまう、こういうわけである。
紅葉はどうか。秋、紅葉と考えると連想されるのはこれもまた儚さである。ただ桜の儚さとは内容を異にするのではないか。どちらかというと静かに散っていく、生命のしぼみ、終わり、こうした感情ではないだろうか。紅葉を読み込んだ歌の傾向は、やはり俗世とは離れて厭世しているような人々の歌が多い。

動物をみてみよう。動物が読み込まれた歌は10首しかなかった。もっとあるかと思っていたが、意外と少なかったようだ。ただ、どの歌を見ても動物以外の景物とセットで読み込まれている点に気がつく。一体これはどういうことだろうか。鹿を読み込んだ2首をみてみたい。
猿丸大夫の (005) おく山に紅葉ふみわけなく鹿の 声きく時ぞ秋はかなしき
皇太后宮大夫俊成の (083) 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
共に鹿は山とセットである。特に猿丸大夫の歌はこの上なく彼の感情が伝わってくる。深い山のイメージがぱっと頭に浮かんでくる。そして紅葉が絨毯のように敷き詰められた上にいる鹿がこちらを向いて啼いているではないか。ここまでくればあえてかなしいということばを使わなくても秋のかなしいイメージが十分に伝わってくるが、あえてかなしきと歌を締めくくっている。
ここで私が感じることは動物はあまり重要なことばとして考えられてはいないのでないかということである。つまり動物は動物としての意味ではなく、イメージとしての意味であるということ。鹿ならば、悲しいというイメージを重ねて読んでいるのではないか。ものとして読み込んでいるのではないかということである。

さて3部の景物を読み込まない歌は最初にも少し触れたが、どうして景物が読み込まれていない歌がこんなにあるのだろうか。授業では景物は心情を表す際に、形容詞では表しきれない深いものをこれに託すことによっての意思疎通をはかるものとして学んだ。ではこの景物を読み込まない歌の傾向を見てみよう。その半数以上が恋の歌であることがわかる。
恋という心情はさてどうして人に伝えたらよいものか。ただでさえ日本語は形容詞が少ないといわれるのに形容詞程度で表しきることは出来まい。何か景物に託そうか。桜が恋の感情に似ているかもしれない。しかしそれではまだ表現しきれない。
内裏歌合の2首がここに入っているのでそれをみてみよう。
平 兼盛 (040) しのぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで
壬生忠見 (041) 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか
なるほどどちらも恋を歌ったこの上なく優れた歌である。景物もなしにその心情は自分のそれであるかのごとくひしひしと伝わってくる。何故か。私はここに状況ということばを用いて説明したいと思う。景物というイメージを使って意識を共有するのではなくて、こういう状態、状況だよということを歌って共感しようとしているのではないだろうか。恋といってもそれは千差万別、十人十色であるわけだからこうだといいきったところで共感が得られるとは限らない。しかしそれを状況にして歌えば、その状況をどう読み感じるかは個人の問題となる。
恋という非常にやっかいなものを歌うのには景物を読み込まないほうが歌いやすかったのではないだろうか。それが景物を読み込まない歌に恋の歌が多い理由なのだと考えた。

4部天象。やらねばよかったと思う。これが最も多かったからだ。60首近くの歌が見られるが、その理由は何だろうか。性質としては植物や動物と近いものではないかとも感じる。ただ生きていない、それこそ人間の力の及ばない自然である。これに人の心を託すという行為はどういう意味を帯びてくるのだろうか。
天象の中でも2トップは月と風である。文化人類学的に考えても、人間が急に暗闇の中に入ったとき天を仰ぎ見るのは星の光を見出して自分の位置を確かめようとする無意識の知恵なのだという。まして今から約1000年前には科学は殆ど発達していないのだから星を見るということは生活と非常に密接に絡み合った生きる知恵だったわけである。そこで月というものは日常生活のなかで今が何日かを知るのに必要不可欠なものであった。毎日みる月に心が寄るのは必然のこととも思える。そのため月を読み込んだ歌に傾向は殆ど見ることが出来ずそれぞれの歌人が思い思いのことを歌っているのである。
風に敏感な民族は日本人が一番だとされている。風を表すことばも非常に多い。作物を育てるという点においても風を読むということはとても大切なことだろう。100首のなかに風が読み込まれたうたが10首もあるということはそれだけ重要度の高いものだということである。
他の天象は雲、露、霜、霧、霞、雪、等々水に関連するものが多い。やはり生命の源である水が姿を変えて人間に影響を及ぼすものには大きな力があるから読み込まれるのは当然のことであろう。しかし、ここで肝心の水がそのまま読み込まれた歌が一首しかないということが気にかかる。
在原業平朝臣 (017) 千早ぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは
現在少女漫画でちはやふるというものが大ヒットしているらしく、他に落語にも知ったかぶりをするちはやふるという話もある。とても有名で人口に膾炙された歌である。
私はこのレポートの作業を行うに当たって景物ごとに色分けをしてマーカーで塗っていたのだが、そのなかでも最もマーカーの色が鮮やかなのがこの歌であった。つまり、竜田川、からくれなゐ、水、ということばである。ほかの景物、天象等を多く読み込んだ歌にも共通することであるが、必然イメージがしやすいのである。秋の竜田川に敷き詰めて流れていく紅葉の赤の鮮やかさが目を閉じると浮かんでくる。ここから歌枕、景物、天象等を入れれば入れるだけ歌の彩りが感じられやすくなるということがわかった。しかし、水を直接読み込んだ歌がこれしかないのはどういうわけなのか結局わからずじまいである。衣食住に関係するものを隠す習慣のある日本において水はあまりにもイメージが強烈だったのだろうか。

歌枕を読み込んだ歌は約40首。ホームページから引用させていただいた資料からも見て取れるように、半数以上が京都、大和の土地を読み込んだものである。当然、当時の政治の中心は京都周辺であったので納得がいく。ただそれ以外の土地は京都からかなり離れたところが多く、歌人が必ずしも京都周辺のみを歌っていたわけではないことがわかる。その歌人が直接現地まで行って歌を読んだのか、伝聞による知識で読んだのか、それともそちらの地方の出身の歌人なのかは一人ひとり調べなければならないのでそこまでは出来ないが、読み込まれる土地にはそれなりの理由があるのではないかという考えもできる。もちろん京都以外にも都市はあったのだろうから、読み込まれた土地の周辺にはそれなりの大きさの都市があったとも考えられる。

百人一首目録作り パート2

第四部「天象」

1 (007) 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
安倍仲麿 古今 巻第九 羇旅 四〇六

2 (021) 今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな
素性法師 古今 巻第十四 恋四 六九一

3 (023) 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
大江千里 古今 巻第四 秋上 一九三

4 (030) 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかりうきものはなし
壬生忠岑 古今 巻第十三 恋三 六二五

5 (031) 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里にふれる白雪
坂上是則 古今 巻第六 冬 三三二

6 (036) 夏の夜はまだよひながら明けぬるを 雲のいづこに月やどるらむ
清原深養父 古今 巻第三 夏 一六六

7 (057) 巡りあひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな
紫式部 新古今 巻第十六 恋六 一四九九

8 (059) やすらはで寝なましものを小夜更けて 傾くまでの月を見しかな
赤染衛門 後拾遺 巻第十二 恋二 六八〇

9 (068) 心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな
三条院 後拾遺 巻第十五 雑一 八六〇

10 (079) 秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出づる月の影のさやけさ
左京大夫顕輔 新古今 巻第四 秋上 四一三

11 (081) ほととぎす鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞのこれる
後徳大寺左大臣 千載 巻第三 夏 一六一

12 (086) なげけとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな
西行法師 千載 巻第十五 恋五 九二九


1 (012) 天津風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ
僧正遍昭 古今 巻第十七 雑上 八七二

2 (022) 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ
文屋康秀 古今 巻第五 秋下 二四九

3 (032) 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬもみぢなりけり
春道列樹 古今 巻第五 秋下 三〇三

4 (037) 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
文屋朝康 後撰 巻第六 秋中 三〇八

5 (048) 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ 砕けてものを思ふころかな
源 重之 詞花 巻第七 恋上 二一一

6 (058) 有馬山猪名のささ原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
大弐三位 後拾遺 巻第十二 恋二 七〇九

7 (071) 夕されば門田の稲葉おとづれて 芦のまろやに秋風ぞ吹く
大納言経信 金葉 巻第三 秋 一八三

8 (074) うかりける人を初瀬の山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを
源俊頼朝臣 千載 巻第十二 恋二 七〇八

9 (079) 秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出づる月の影のさやけさ
左京大夫顕輔 新古今 巻第四 秋上 四一三

10 (098) 風そよぐならの小川の夕暮は みそぎぞ夏のしるしなりける
従二位家隆 新勅撰 巻第三 夏 一九二




1 (004) 田子の浦にうちいでて見れば白妙の 富士の高嶺に雪はふりつつ
山部赤人 新古今 巻第六 冬 六七五

2 (015) 君がため春の野に出でて若菜つむ 我が衣手に雪はふりつつ
光孝天皇 古今 巻第一 春上 二一

3 (096) 花さそふあらしの庭の雪ならで ふりゆくものは我が身なりけり
入道前太政大臣 新勅撰 巻第十六 雑一 一〇五二


1 (001) 秋の田のかりほの庵のとまをあらみ 我がころも手は露にぬれつつ
天智天皇 後撰 巻第六 秋中 三〇二

2 (037) 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
文屋朝康 後撰 巻第六 秋中 三〇八

3 (075) 契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋も去ぬめり
藤原基俊 千載 第十六 雑上 一〇二六

4 (087) むらさめの露もまだひぬまきの葉に 霧立のぼる秋の夕暮
寂蓮法師 新古今 巻第五 秋下 四九一


1 (006) かささぎのわたせる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞふけにける
中納言家持 新古今 巻第六 冬 六二〇

2 (029) 心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花
凡河内躬恒 古今 巻第五 秋下 二七七

3 (091) きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む
後京極摂政前太政大臣 新古今 巻第五 秋下 五一八


1 (064) 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木
権中納言定頼 千載 巻第六 冬 四一九

2 (087) むらさめの露もまだひぬまきの葉に 霧立のぼる秋の夕暮
寂蓮法師 新古今 巻第五 秋下 四九一


1 (073) 高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山の霞たたずもあらなむ
権中納言匡房 後拾遺 巻第一 春上 一二〇


1 (009) 花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに
小野小町 古今 巻第二 春下 一一三

2 (087) むらさめの露もまだひぬまきの葉に 霧立のぼる秋の夕暮
寂蓮法師 新古今 巻第五 秋下 四九一


1 (022) 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ
文屋康秀 古今 巻第五 秋下 二四九

2 (069) あらし吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川のにしきなりけり
能因法師 後拾遺 第五 秋下 三六六

3 (096) 花さそふあらしの庭の雪ならで ふりゆくものは我が身なりけり
入道前太政大臣 新勅撰 巻第十六 雑一 一〇五二


1 (012) 天津風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ
僧正遍昭 古今 巻第十七 雑上 八七二

2 (036) 夏の夜はまだよひながら明けぬるを 雲のいづこに月やどるらむ
清原深養父 古今 巻第三 夏 一六六

3 (057) 巡りあひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな
紫式部 新古今 巻第十六 恋六 一四九九

4 (076) わたの原漕ぎ出でて見れば久かたの 雲ゐにまがふ沖つ白波
法性寺入道前関白太政大臣 詞花 巻第十 雑下 三八二

5 (079) 秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出づる月の影のさやけさ
左京大夫顕輔 新古今 巻第四 秋上 四一三


1 (013) つくばねの峰よりおつるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる
陽成院 後撰 第十一 恋三 七七六

2 (077) 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ
崇徳院 詞花 巻第七 恋上 二二九

3 (098) 風そよぐならの小川の夕暮は みそぎぞ夏のしるしなりける
従二位家隆 新勅撰 巻第三 夏 一九二


1 (055) 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞えけれ
大納言公任 拾遺 巻第八 雑上 四四九

2 (077) 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ
崇徳院 詞花 巻第七 恋上 二二九


1 (017) 千早ぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは
在原業平朝臣 古今 巻第五 秋下 二九四


1 (018) 住の江の岸による波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ
藤原敏行朝臣 古今 巻第十二 恋二 五五九

2 (042) 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは
清原元輔 後拾遺 巻第十四 恋四 七七〇

3 (048) 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ 砕けてものを思ふころかな
源 重之 詞花 巻第七 恋上 二一一

4 (072) 音にきく高師の浜のあだ波は かけじや袖の濡れもこそすれ
祐子内親王家紀伊 金葉 巻第八 恋下 四六九

5 (076) わたの原漕ぎ出でて見れば久かたの 雲ゐにまがふ沖つ白波
法性寺入道前関白太政大臣 詞花 巻第十 雑下 三八二


1 (048) 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ 砕けてものを思ふころかな
源 重之 詞花 巻第七 恋上 二一一

2 (077) 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ
崇徳院 詞花 巻第七 恋上 二二九

3 (092) わが袖は潮干にみえぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間もなし
二条院讃岐 千載 巻第十二 恋二 七六〇


1 (049) 御垣守衛士のたく火の夜はもえ 昼は消えつつものをこそ思へ
大中臣能宣朝臣 詞花 巻第七 恋上 二二五


第五部「歌枕」
天の香具山 大和国(奈良県)橿原市
1 (002) 春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山
持統天皇 新古今 巻第三 夏 一七五

田子の浦 駿府国(静岡県)富士郡の海岸
1 (004) 田子の浦にうちいでて見れば白妙の 富士の高嶺に雪はふりつつ
山部赤人 新古今 巻第六 冬 六七五

三笠山 大和国
1 (007) 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
安倍仲麿 古今 巻第九 羇旅 四〇六

うぢ山 宇治市
1 (008) 我が庵は都のたつみしかぞすむ 世を宇治山と人はいふなり
喜撰法師 古今 巻第十八 雑下 九八三

2 (064) 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木
権中納言定頼 千載 巻第六 冬 四一九

逢坂の関 近江国(滋賀県)と山城国(京都府)の境にある関
1 (010) これやこの往くもかへるも別れては 知るも知らぬも逢坂の関
蝉 丸 後撰 巻第十五 雑一 一〇八九

2 (025) 名にしおはば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな
三条右大臣 後撰 巻第十一 恋三 七〇〇

3 (062) 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ
清少納言 後拾遺 巻第十六 雑二 九三九

わたの原
1 (011) わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人にはつげよあまのつり舟
参議 篁 古今 巻第九 羇旅 四〇七


筑波峰 陸奥国(茨城県)にある筑波山
1 (013) つくばねの峰よりおつるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる
陽成院 後撰 第十一 恋三 七七六

陸奥 東北地方
1 (014) 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにしわれならなくに
河原左大臣 古今 巻第十四 恋四 七二四

因幡 因幡国(鳥取県)の山
1 (016) 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとしきかば今かへり来む
中納言行平 古今 巻第八 離別 三六五

竜田川 大和国(奈良県)竜田山のほとりを流れる
1 (017) 千早ぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは
在原業平朝臣 古今 巻第五 秋下 二九四

2 (069) あらし吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川のにしきなりけり
能因法師 後拾遺 第五 秋下 三六六

住之江 摂津国(大阪府)住吉の浦
1 (018) 住の江の岸による波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ
藤原敏行朝臣 古今 巻第十二 恋二 五五九

難波潟 難波の海、今の大阪湾の入り江
1 (019) 難波潟みじかき芦のふしの間も あはでこの世を過ぐしてよとや
伊 勢 新古今 巻第十一 恋一 一〇四九

1 (088) 難波江の芦のかりねの一夜ゆゑ 身をつくしてや恋ひわたるべき
皇嘉門院別当 千載 巻第十三 恋三 八〇七

難波
1 (020) わびぬれば今はた同じ難波なる 身をつくしても逢はむとぞ思ふ
元良親王 後撰 第十三 恋五 九六一
 
手向山 山城から大和へ出る途中のなら山の峠
1 (024) このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉のにしき神のまにまに
菅 家 古今 巻第九 羇旅 四二〇

小倉山 京都市右京区嵯峨にある山
1 (026) 小倉山峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ
貞信公 拾遺 巻第十七 雑秋 一一二八

みかの原 瓶原、山城国相楽郡
1 (027) みかの原わきて流るる泉川  いつみきとてか恋しかるらむ
中納言兼輔 新古今 巻第十一 恋一 九九六

吉野の里 大和国(奈良県)吉野郡の吉野
1 (031) 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里にふれる白雪
坂上是則 古今 巻第六 冬 三三二

1 (094) みよし野の山の秋風小夜ふけて ふるさと寒く衣うつなり
参議雅経 新古今 巻第五 秋下 四八三

高砂 播磨山(兵庫県)加古郡高砂
1 (034) 誰をかも知る人にせむ高砂の 松もむかしの友ならなくに
藤原興風 古今 巻第十七 雑上 九〇九

末の松山 宮城県多賀城市にあったとされる
1 (042) 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは
清原元輔 後拾遺 巻第十四 恋四 七七〇

由良の戸 由良海峡 
1 (046) 由良のとをわたる舟人かぢをたえ 行く方も知らぬ恋の道かな
曽禰好忠 新古今 巻第十一 恋一 一〇七一

伊吹 滋賀県北東部、伊吹山
1 (051) かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを
藤原実方朝臣 後拾遺 巻第十一 恋一 六一二

有馬山 摂津国有馬郡
1 (058) 有馬山猪名のささ原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
大弐三位 後拾遺 巻第十二 恋二 七〇九
猪名 摂津国河辺郡
1 (058) 有馬山猪名のささ原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
大弐三位 後拾遺 巻第十二 恋二 七〇九

大江山 丹波国桑田郡(京都府)にある山
1 (060) 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立
小式部内侍 金葉 巻第九 雑上 五五〇

いく野 丹波国天田郡(福知山市)生野
1 (060) 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立
小式部内侍 金葉 巻第九 雑上 五五〇

ならの都
1 (061) いにしへの奈良の都の八重桜 今日九重に匂ひぬるかな
伊勢大輔 詞花 巻第一 春 二九

三室の山 大和国生駒郡(奈良県)神南備山とも
1 (069) あらし吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川のにしきなりけり
能因法師 後拾遺 第五 秋下 三六六

高師浜 大和国大鳥郡、今の堺市浜寺から高石市に至る海浜
1 (072) 音にきく高師の浜のあだ波は かけじや袖の濡れもこそすれ
祐子内親王家紀伊 金葉 巻第八 恋下 四六九

初瀬 大和国磯城郡(奈良県)
1 (074) うかりける人を初瀬の山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを
源俊頼朝臣 千載 巻第十二 恋二 七〇八

淡路島 明石海峡を隔てて、須磨の西南約二里に位置する
1 (078) 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に 幾夜ねざめぬ須磨の関守
源兼昌 金葉 巻第四 冬 二七〇

雄島 松島群島の一島
1 (090) 見せばやな雄島のあまの袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変らず
殷富門院大輔 千載 巻第十四 恋四 八八六

わが立つ杣 比叡山のこと
1 (095) おほけなくうき世の民におほふかな わが立つ杣に墨染の袖
前大僧正慈円 千載 巻第十七 雑中 一一三七

松帆の浦 淡路国津名郡(兵庫県)
1 (097) 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
権中納言定家 新勅撰 巻第十三 恋三 八四九

楢の小川 京都市加賀茂神社近くを流れる御手洗川
1 (098) 風そよぐならの小川の夕暮は みそぎぞ夏のしるしなりける
従二位家隆 新勅撰 巻第三 夏 一九二
総歌160 資料http://contest2.thinkquest.jp/tqj2003/60413/index2.htmlより引用


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百人一首目録作り パート1

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現在漫画「ちはやふる」などで再び脚光を浴びている百人一首。今回はそれを私なりに目録を作り分別してみました。
この目録作りなんの意味があるのと感じるかも知れませんが、辞書などを引いてみて目次がなかったらびっくりですよね。百人一首でも同じで、桜の花を歌った歌はいくつあるかな、どこにあるかなという具合に利用できるわけです。
長いので2つに分けます

第一部 「植物」
花(桜)
1 (009) 花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに
小野小町 古今 巻第二 春下 一一三

2 (033) 久かたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
紀 友則 古今 巻第二 春下 八四

3 (035) 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞむかしの香ににほひける
紀 貫之 古今 巻第一 春上 四二

4 (061) いにしへの奈良の都の八重桜 今日九重に匂ひぬるかな
伊勢大輔 詞花 巻第一 春 二九

5 (066) もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし
前大僧正行尊 金葉 巻第九 雑上 五一二

6 (073) 高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山の霞たたずもあらなむ
権中納言匡房 後拾遺 巻第一 春上 一二〇

7 (096) 花さそふあらしの庭の雪ならで ふりゆくものは我が身なりけり
入道前太政大臣 新勅撰 巻第十六 雑一 一〇五二


1 (071) 夕されば門田の稲葉おとづれて 芦のまろやに秋風ぞ吹く
大納言経信 金葉 巻第三 秋 一八三

若菜
1 (015) 君がため春の野に出でて若菜つむ 我が衣手に雪はふりつつ
光孝天皇 古今 巻第一 春上 二一


1 (029) 心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花
凡河内躬恒 古今 巻第五 秋下 二七七

紅葉
1 (005) おく山に紅葉ふみわけなく鹿の 声きく時ぞ秋はかなしき
猿丸大夫 古今 巻第四 秋上 二一五

2 (024) このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉のにしき神のまにまに
菅 家 古今 巻第九 羇旅 四二〇

3 (026) 小倉山峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ
貞信公 拾遺 巻第十七 雑秋 一一二八

4 (032) 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬもみぢなりけり
春道列樹 古今 巻第五 秋下 三〇三

5 (069) あらし吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川のにしきなりけり
能因法師 後拾遺 第五 秋下 三六六


1 (019) 難波潟みじかき芦のふしの間も あはでこの世を過ぐしてよとや
伊 勢 新古今 巻第十一 恋一 一〇四九

2 (088) 難波江の芦のかりねの一夜ゆゑ 身をつくしてや恋ひわたるべき
皇嘉門院別当 千載 巻第十三 恋三 八〇七

忍草
1 (100) 百敷や古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり
順徳院 続後撰 巻第十八 雑下  一二〇五

さねかずら
1 (025) 名にしおはば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな
三条右大臣 後撰 巻第十一 恋三 七〇〇


1 (016) 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとしきかば今かへり来む
中納言行平 古今 巻第八 離別 三六五

2 (034) 誰をかも知る人にせむ高砂の 松もむかしの友ならなくに
藤原興風 古今 巻第十七 雑上 九〇九


1 (051) かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを
藤原実方朝臣 後拾遺 巻第十一 恋一 六一二

2 (075) 契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋も去ぬめり
藤原基俊 千載 第十六 雑上 一〇二六


1 (098) 風そよぐならの小川の夕暮は みそぎぞ夏のしるしなりける
従二位家隆 新勅撰 巻第三 夏 一九二


1 (058) 有馬山猪名のささ原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
大弐三位 後拾遺 巻第十二 恋二 七〇九

草木
1 (022) 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ
文屋康秀 古今 巻第五 秋下 二四九

2 (028) 山里は冬ぞさびしさまさりける 人めも草もかれぬと思へば
源宗于朝臣 古今 巻第六 冬 三一五

3 (039) 浅茅生のをののしの原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき
参議 等 後撰 巻第九 恋一 五七七

4 (047) 八重むぐらしげれる宿のさびしきに 人こそ見えね秋はきにけり
恵慶法師 拾遺 巻第三 秋 一四〇

5 (087) むらさめの露もまだひぬまきの葉に 霧立のぼる秋の夕暮
寂蓮法師 新古今 巻第五 秋下 四九一




第二部「動物」
鹿
1 (005) おく山に紅葉ふみわけなく鹿の 声きく時ぞ秋はかなしき
猿丸大夫 古今 巻第四 秋上 二一五

2 (083) 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
皇太后宮大夫俊成 千載 巻第十七 雑中 一一五一

時鳥
1 (081) ほととぎす鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞのこれる
後徳大寺左大臣 千載 巻第三 夏 一六一

2 (062) 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ
清少納言 後拾遺 巻第十六 雑二 九三九

かささぎ
1 (006) かささぎのわたせる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞふけにける
中納言家持 新古今 巻第六 冬 六二〇

千鳥
1 (078) 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に 幾夜ねざめぬ須磨の関守
源兼昌 金葉 巻第四 冬 二七〇

山鳥
1 (003) あしひきの山どりの尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかもねむ
柿本人麻呂 拾遺 巻第十三 恋三 七七八

きりぎりす
1 (091) きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む
後京極摂政前太政大臣 新古今 巻第五 秋下 五一八





第三部「景物を読み込まない歌」
1 (038) 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな
右 近 拾遺 巻第十四 恋四 八七〇

2 (040) しのぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで
平 兼盛 拾遺 巻第十一 恋一 六二二

3 (041) 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか
壬生忠見 拾遺 巻第十一 恋一 六二一

4 (043) 逢ひ見ての後の心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり
権中納言敦忠 拾遺 巻第十二 恋二 七一〇

5 (044) 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし
中納言朝忠 拾遺 巻第十一 恋一 六七八

6 (045) あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな
権徳公 拾遺 巻第十五 恋五 九五〇

7 (050) 君がため惜しからざりし命さへ ながくもがなと思ひけるかな
藤原義孝 後拾遺 巻第十二 恋二 六六九

8 (052) 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしきあさぼらけかな
藤原道信朝臣 後拾遺 巻第十二 恋二 六七二

9 (053) 歎きつつひとりぬる夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
右大将道綱母 拾遺 巻第十四 恋四 九一二

10 (054) 忘れじの行末までは難ければ 今日をかぎりの命ともがな
儀同三司母 新古今 巻第十三 恋三 一一四九

11 (056) あらざらむこの世のほかの思ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな
和泉式部 後拾遺 巻第十三 恋三 七六三

12 (063) 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで言ふよしもがな
左京大夫道雅 後拾遺 巻第十三 恋三 七五〇

13 (065) 恨みわびほさぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
相 模 後拾遺 巻第十四 恋四 八一五

14 (067) 春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそ惜しけれ
周防内侍 千載 巻第十六 雑上 九六四

15 (070) 寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづこもおなじ秋の夕暮
良暹法師 後拾遺 巻第四 秋上 三三三

16 (080) ながからむ心も知らず黒髪の 乱れて今朝はものをこそ思へ
待賢門院堀川 千載 巻第十三 恋三 八〇二

17 (082) 思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり
道因法師 千載 巻第十三 恋三 八一八

18  (084) ながらへばまたこの頃やしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき
藤原清輔朝臣 新古今 巻第十八 雑下 一八四三

19 (085) 夜もすがらもの思ふ頃は明けやらで ねやのひまさへつれなかりけり
俊恵法師 千載 巻第十二 恋二 七六六

20 (089) 玉の緒よ絶なば絶えねながらへば 忍ぶることのよわりもぞする
式子内親王 新古今 巻第十一 恋一 一〇三四

21 (090) 見せばやな雄島のあまの袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変らず
殷富門院大輔 千載 巻第十四 恋四 八八六

22 (099) 人も惜し人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は
後鳥羽院 続後撰 巻第十七 雑中 一二〇二

菜根譚より  前集37項

漢詩をひとつ取り上げそれを現代詩や俳句短歌にしてごらんなさいという課題があったのでそれに対する私なりの回答です。私は常々詩の深さに感嘆しておりますが、何故かというと私が大好きなのは散文なのですが、これには表しきれない部分を上手く表現できているのが詩だからなのです。ただ、自分で作ってみるとその難しさはなんとしたことか。散文では言葉が軽くなりすぎる、かといって省略しても伝わらない、詩で奥深さを求めようとしてもなかなか表現できない。言葉とは本当に難しい、またその分面白いものです。言葉がいつか私にも恩恵をくださることを。


(原文)寧守渾噩、而黜聡明、留些正気還天地。寧謝紛華、而甘澹泊、遺個清名在乾坤。

(書き下し文)むしろ渾噩(こんがく)をまもりて、聡明を黜(しりぞ)け、些(さ)の正気を留めて天地に還せ。むしろ紛(ふん)華(か)を謝して、澹(たん)泊(ぱく)に甘んじ、個の清名を遺して乾坤(けんこん)にあれ。

(和訳)利口ぶるのはやめて、無骨な率直さを守り、自分の本心を見極めて、天地と一体となって生きよう。華美な暮らしには背を向けて、さっぱりとした境涯に安住し、そのすがすがしい一生を長く天地にとどめよう。

(短歌)
徐(おもぶる)に 
乾坤(けんこん)にして
在り渡る
爽々(さわさわ)と暮(す)ぎ
い辿る安堵

菜根譚の中からかなりさっぱりとした詩を取り上げてみた。まさしく生きる手本となるようなことばであり、私はこのような自分の心のままに生きていくことができたらと日々切望し努力している。
もともと和歌が好きで基礎国文学でも一年を通して和歌を勉強してきた。現代詩にしてもよかったが、今回はもう少し格調高く古語体で和歌を読んで見た。ただ残念なことにそう簡単に上手い歌が読めるものではなくなんだか自分で読んでいてもいまいちかなと感じてしまう。
3句切れで上の句のほうがまだましだが、下の句と内容もかぶり、下の句は声に出して読んだときの音があまりよくない。
また原文ではその清々しく穏やかな風が吹いてくるような感覚がありとても奥深い表現となっている。イメージがぱっと浮かんでくる感覚があるが、それも再現できなかったことが残念である。

菜根譚 処世術のすゝめ

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以前も紹介した菜根譚、今回はレポートとしてきちんと向き合うことができたのでその研究成果を公にしたいとおもいます。

今回このような形でこの作品に向き合うことが出来たことを嬉しく思う。普段から愛読書として枕元において読んでいたので、改めて向き合ってこの「菜根譚」を語りたいと思う。
さて、中国というとやはり想像するのは長い戦乱、政乱、後期に授業でも扱われた「哀江頭」からもその凄まじさは見て取れる。
そのような乱世において生き延びるためにはどうしたらよいか。その答えは処世訓の中でも最高傑作と名高い、明末に記された「菜根譚」から学ぶことができる。では早速その処世術を洪(こう)自誠(じせい)
先生から学ぼうではないか。
先ず菜根譚とはどういう作品であるのか、大雑把に説明すると2つの側面がある。1、社会の中にいながらにして処世をする術、2、俗世から離れ人生を楽しむ術この二つに限ると感じる。
今回はこの作品における処世術を学びたいと思う。いくつかの詩を解析してみよう。便宜上書き下し文とする。

道徳に棲(せい)守(しゅ)するは、一時に寂寞たり。権勢に依阿(いあ)するは、万古に清涼たり。達人は物外の物を観、身後の身を思う。むしろ一時の寂寞を受くるも、万古の凄涼を取ることなかれ。

ここで洪自誠は柔軟な頭の持ちようを説明している。道徳だ道徳だと騒ぎ立て信念を決して曲げなければ孤立してしまう。かといってこうもりのように日和見主義で権力に媚び諂っていてもまた結局は孤立しよう。人生の達人は目先のことにとらわれずに、その場においてはあまりよい判断とは言えなくとも永遠の孤独者にはなるなといっている。

勢利紛(せいりふん)華(か)は、近づかざるものを潔しとなす。これに近づきてしかも染まざるものをもっとも潔しとなす。智械機(ちかいき)巧(こう)は、知らざるものを高しとなす。これを知りてしかも用いざるものをもっとも高しとなす。

ここでも考え方の軟らかさを必要としている。世の中の汚いものを決してみようとせず自分だけは清廉潔白の士であろうとする人間に対しての警告ではないか。確かに権力やら富やら世の中を生き抜くための手練手管は知らないに越したことはない。しかしこれをまったく無しにして生きていくということは実際困難である。洪先生はこれを知りながらも利用しない。これが賢い人間であると解いている。



間(かん)時(じ)に喫緊(きつきん)の心思(しんし)あるを要し、忙処に悠間(ゆうかん)の趣味あるを要す。

憂勤はこれ美徳なれども、太(はなは)だ苦しめば以って性に適い情を怡(よろこ)ばしむることなし。澹(たん)白(ぱく)はこれ高風なれども、太だ枯るればもって人を済い物を利することなし。

処世をするための心の持ちようを表した2つの詩。これは言い換えるならば主観と客観を常に自分の中にもっていよということではなかろうか。つまりは広い視野である。暇なときでも忙しいときのことを考え用意する。忙しいときでも暇なときのことを考え自分の行動を考える。
また、これをしないとどうなるかというのが2つ目の詩。この上ない努力家は立派だけれども、あんまり行き過ぎると目も当てられない。仙人のように悠々自適なのは結構だが、枯れた草木のようで生きる力が感じられない。人生を楽しむとはこれすなわち仕事と自分の時間の両立ではないか。

念頭濃やかなるはみずから待つこと厚く、人を待つこともまた厚く、処々みな濃やかなり。念頭淡きは、みずから待つこと薄く、人を待つこともまた薄く、事々みな淡し。

偏信(へんしん)して奸(かん)の欺くところとなることなかれ。自任して気の使うところなることなかれ。己の長をもって人の短を形(あら)わすことなかれ。己の拙によりて人の能を忌むことなかれ

こんどは対人への処世術である。人に期待しすぎるとその分相手への負担も多くなり、また期待が外れたときの不満も大きくなる。かといって全く人のことを意識しないでいては人と交わることの楽しさはわからない。結局人間は社会の中で生きているのだから全くの孤高はよろしくない。持ちつ持たれつというよりも、独立しながら不足な部分を他人とカバーし合えばちょうどよい。
その際の気をつけておくものが次の4つである。他人の意見を簡単に鵜呑みにするな、自分の自身に任せて大役を引き受けた結果自分を見失うな、自分のよい点と比べて他人を低く見るな、自分にないからといって他人の才能をうらやむな。こうした心持でいればトラブルに巻き込まれることもそうなかろう。その中で仕事もしつつ心は自由に生きようではないか。


よく俗を脱すればすなわちこれ奇、作意に奇を尚ぶは、奇とならずして異となる。汚に合せざればすなわちこれ清、俗を絶ちて清を求むるは、清ならずして激となる。

ここでは処世処世といって独りよがりにならないための詩をひとつ読んでおきたい。
俗から離れることができればそれでもうすでに非凡である。あえて非凡になろうとするものはただの変人に他ならない。世間の汚れに染まらなければ既に清廉である。世間から離れて清潔になろうとするものは偏屈な人間である。
この「菜根譚」において一貫して言われてきたのは俗世から離れるとは、俗世にいながらその汚れに染まらないことである。山の中にこもって人間との交わりをやめてしまう。これでは結局俗世からは離れられていないということである。なぜならその人を都会に連れ戻せば俗世に染まってしまうのだから。

動を好むは雲電風(うんでんふう)灯(とう)、寂(せき)を嗜むは死(し)灰(かい)高木(こうぼく)。すべからく定雲(ていうん)止水(しすい)の中に、鳶飛び魚躍るの気象あるべし。

これを最後として、私がこの作品のなかで最も好きな詩を、それにこの作品の真髄を表しているこの詩を読んでおきたい。いつも落ち着きのない人は稲妻か風に吹かれるともし火のようである。かといって静寂を愛しすぎれば灰か枯れ木のように生命のちからがなくなる。雄大でいて動かない雲間を飛ぶ鳶のように、静寂の水面に躍る魚のように静と動、これがちょうどよく一つにまとまった状態こそ処世の境地といえよう。
洪先生はまさしく東洋の考え方に基づいている。いわば陰陽説のごとく陰と陽の絶妙なバランスこれを人生においては、こころの静と動に置き換えて説明してくれているのである。どこかに線を引き分別するのではなく、要はバランスなのだよとその黄金の比率を我々に教えてくれた。
約500年経った現在においてもこの作品の言っていることが色褪せ衰えないのはなぜか。やはりここに書かれていることが真の事実だからであろう。社会の形こそ変われど人間の本質的な部分はそう変わらない。生き方の本質を突いた作品だからこそ現在でも非常に有効な行動となるのである。私は洪先生のいう寂を嗜む人間である。確かにこれでは人間として寂しいかもしれない。なにごともバランス。過ぎたるは尚及ばざるが如しともいうのでもう少し動を好む必要がありそうだ。

『天城こえ』 松本清張 への試論 テクスト分析から

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あまり社会では知られていませんが、隠れた名作です。アンチ伊豆の踊子作品として研究されています。松本清張はまあ今で言ったら東野さんのような感じですかね。

・このテクストも一人称回想型のテクストであるが、語られている出来事は30数年も前のことである。構造は語り手を複数設定した多元的な構成、つまり私の語り・田島刑事の語り・私と田島刑事との対決になっていて、特に直接対決がポイントとなっている。
・女性表象では詳しく分析することによって、読者は語り手自身でさえが気づいていないことを読み取ることができる。なぜなら表象は主体の意識を無視するからである。ハナの交合では「土工が女に」となっている。母親の場合は「母親が父でない男性と」というように主語がおかれている。ハナの場合は美化と土工殺しの正当性を、母の場合は一見母を恨んでいるように読めるが、母の描写の多さ、家出のきっかけ、帰宅後の号泣などから母への屈折した愛情が読める。
・ハナと母との相違は「自分の女が奪われる」という発言や美しかったハナが交合後に突然豹変し含み笑いをした点などから生々しい性的な表情は二人に共通していると考えられ、相違しつつ一致している。これらのことから私は母への反発から家を飛び出したが、他国という未知の恐怖の中で妖艶な女性と出会い、家に連れ帰され、母への愛情を再確認するという物語ということができる。
・このテクストは抑圧された記憶を蘇らせていく物語といっていい。というのも初めは土工殺害が記憶を抑圧していることだと考えられるが、本当の理由は私が憧れ知らず知らず母と重ねていたハナが土工に犯されること、母の性交が抑圧の原因である。
・抑圧された記憶がいつ呼び起こされたか、衝撃という言葉が二回本文に出てくるがそこがポイントとなる。一回目は調書読後の衝撃で、二回目は田島刑事との直接対決後の衝撃である。特に田島刑事の呼称のめまぐるしい変化は私がこの上なく動揺していることの現れである。つまり田島刑事により完全に抑圧されていた記憶が呼び起こされたわけだが、犯行の動機が自分の女を奪われたこと、それは人間の持つ性的欲望のすさまじさを感じてしまったからだということを思い出したのである。
・結論として三十数年前の土工殺害という行為を反省する物語ではなく、衝撃的な記憶を呼び起こされ、それを見つめることによって自分が支配されてしまうという私が苦しめられる物語を描いたテクストである。

『伊豆の踊子』川端康成 への試論 テクスト分析から

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私がこの本とであったのは高校2年ごろでしたでしょうか、当時はテクストのての字も知らぬ若輩でしたが、やはり恋物語として読んでいましたね。ところがテクスト分析をしてみると必ずしも恋をかいたものだとは限らないということがわかってきます。

・このテクストは一人称回想体であるが、本文にある「今度の流行性感冒」から語られている過去の出来事は大正7~8年の頃と推定される。この物語はそのまま読んでしまうと孤児根性から脱却する青年の成長物語・踊り子との淡く切ない恋物語となってしまうが詳しく読み込んでいくと違うことがわかる。
・一人称小説であるが、物語内容よりもどのように過去を再現するかが重要となる。なぜなら語り手のフィルターがかかってしまうからである。
・物語の定型であるが、雨のイメージ、そこから男女のであいというよくあるパターンになっている。ところが私と踊子との関係をよく見ていくと踊子からの淡い異性への思いは見られるが、私はその気持ちを受け止めていない。むしろ身体の部分に注目した表現や踊子の今夜が汚されるのではないかという文、名前を知っても踊子という呼称が変わらない点から私は踊子に対しエロスの視線を持っていることがわかる。私と踊子は相手に寄せる感情が全く異なったもので非対称であり、初めは恋愛物語のようであるがその定型を裏切る、期待の地平を切り崩すテクストである。
・No9 孤児根性からの脱却、救済の物語として読めなくはないが、私について細かく分析すると私の実情が読めてくる。道中少し険しい近い山越えの間道か楽な本街道かを決める場面があるが、赤ん坊を産んで間もなく具合の優れない人間がいるのに対し、全く考慮していない点から私の空気の読めない人間性、そしてそれを反省しないということがわかる。
・NO4 私が栄吉に対してお金を放り投げる場面では、私の散財癖が見て取れる。これは先ず私と旅芸人の旅の性質の違いが一つ理由として挙げられる。生活するための仕事として旅をする芸人達に対し、私は観光・癒しが目的であるため余っているお金を男にやることはなんともないことなのである。しかし、「尋常な行為」をしていると考えている私だが、頭上から金を投げられた男にとっては差別を受けているという自意識が芽生えるはずであり、それに対し私は無自覚である。
・赤ん坊の四十九日に一緒にお参りすると約束していた私であったが物語の最後にこの約束を破る。私の理由は旅費がもうないことと学校の都合ということであるが、旅費については旅芸人一行と同じ木賃宿に泊まればその分浮くので差し迫った問題とは考えられないし、男には学校の都合といっておいて、実は金銭的な事情だと説明していることなどを考えると信憑性は低い。またお参りのための服装なのに私を送りに来た栄吉の服を「私を送るための礼装らしい」と思い込んでいることは私の独善的な性格をさらに強調されている部分である。
・テクストの空白については私の心的機構から読み込むことが出来る。私は自らの独善性には悩みで手一杯のため気づいておらず、そのため後悔や反省はない。それどころか本文最後に甘い快さとあり、他に踊子が子供だとわかり拭われたように澄むという表現などから癒しを感じていると判断できる。
・なぜ78年も前の出来事を語るのかという理由については、語っている現時点で、実は孤児根性から脱却しきれていなかったために、過去の旅の思い出に酔いしれたいという願望があるからである。

『号泣する準備はできていた』 江國 香織 への試論 テクスト分析から

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テクスト分析を行っているのでその研究成果、大したものではありませんが、ここに乗せておきます。先ずは江國さんの号泣する準備はできていたから。
以前感想として同じ本に対して記事を書いていますが、これは感想とはまったくことなるもので私自身こんなに違ったものになるとはおもいませんでした。

一見話が飛んだりして煩雑なテクストであるが、実は隆志となつきの話が交互に描かれている。また他に固有名がなつきと文乃と隆志しか出てこないことも特徴的である。これらのことからテクストが意図的に構成されていることがわかる。文乃に対して「ちゃんと考えなよ」と説教する堅実な妹に軽い反発を持っているが、これは他の男と一緒になり出奔した母を自分の心のままに生きた美しい人として憧れていることから理由がわかる。さらに「一切の策を弄さずに愛し合いたかった」という部分からも見られるように文乃は反ロマンチックラブイデオロギーである。
しかし、なつきにとって厳格な母である妹のようにはなるまいとする文乃だが、彼女自身と隆志の関係は出奔した母親の生き方とは少し異なる。文乃は隆志との体を重ねること、貪るような性的快楽の追求を彼に求めているが、テクストの初めに「~なの」とあるように隆志は文乃に対して甘えている。文乃はそれに対し仕方なく息子を甘やかすような母を演じている。これを擬似的な母子関係と見て取ると、このテクストは母をめぐる物語、娘をめぐる物語として読める。

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