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グラナダ GRANADA アウグスティン・ララ (Augstin Lala) 三大テノールによる 有名なナンバーの紹介

3大テノール プラシド・ドミンゴ フォセ・カレーラス ルチアーノ・パヴァロッティによるグラナダ

久しぶりにオペラ記事です。皆さんオペラは堅苦しいと思うかもしれませんが全然違いますよ。むしろ情熱的な歌や、歌劇が中心の世界なので感情をあらわにするようなポップよりひょっとしたらポップかもしれませんよ。
アラブ首長国連邦にいた頃に大分ヨーロッパ圏は制覇したのですが、唯一行っていない国がスペインです。
だから絶対行きたいと思ってスペイン語も勉強しました。そんな情熱の国スペインへの思いを今回はララ作曲のグラナダの歌と重ねてみます。
この「グラナダ」という曲、テノール用ポピュラーナンバーとして有名で、特にドミンゴやカレーラスなどスペイン系歌手の十八番ですが、生まれはスペインではないのです。メキシコの作曲家アウグスティン・ララ(Augstin Lala 1900-1969)32歳の時の作品で、未だ見ぬグラナダの地に想いを馳せた内容となっています。
しかしもうスペインへ行ってもあまり闘牛が動物愛護団体やらなんやらの抗議であまり見れませんからね。とても残念ですが、それにしても魅力の尽きないグラナダ。そして美しいスペインの女性。皆さんもどうぞご一緒に歌いましょう。

歌詞と訳文はhttp://homepage3.nifty.com/parola/parola/008.html「La Parola」様のブログからの引用です

歌詞
Granada, tierra soñada por mi,
mi cantar se vuelve gitano
cuando es para ti;
mi cantar hecho de fantasia,
mi cantar, fior de melancolia
que yo te vengo a dar.

Granada, tierra ensangrentada
en tardes de toros;
mujer que conserva el embrujo
de los ojos moros;
te sueño rebelde y gitana
cubierta de flores,
y beso tu boca de grana,
jugosa manzana
que me habla de amores,

Granada, manola cantada
en coplas preciosas;
no tengo otra cosa que darte
que un ramo de rosas,
de rosas de suave fragancia
que le dieran el marco
a la Virgen Morena.

¡Granada, tu tierra está llena
de lindas mujeres, de sangre y de sol!!


グラナダよ、夢に描く大地よ、
我はジプシーの如く変容す、
汝に歌を歌わんとするならば。
いざ歌わん、幻想織りなす歌を、
いざ歌わん、憂愁の花の歌を、
それ、汝に捧げん。

グラナダよ、血の溢るる大地よ、
灼熱の日差し、トロ(闘牛)の午後よ。
不思議を秘めたる女よ、
それ、モロ(ムーア人)の瞳よ。
夢に見るは異教のジプシーよ、
それ、花に囲まれたる女よ。
いざ接吻せん、汝、深紅の唇に、
滴る林檎の果汁のごとく、
あふるる愛を我にささやく唇に。

グラナダよ、小粋な娘よ、
汝、数多の歌に謳われるものよ。
我、汝に捧ぐるは唯(ただ)、
一束の薔薇のみなり。
されどその薔薇、柔らかく、芳しく、
まこと汝を飾るにもふさわしきもの、
それ、「褐色の聖母」の額に。

グラナダよ、汝、満ち溢るる大地よ、
麗しき美女に、そして鮮血と太陽に!
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尾形光琳 紅白梅図屏風についての考察

この間新聞に面白い記事が載っていたのでちょっと書いて見ました。

CGによる「紅白梅図屏風」の復元想定図(中井泉・東京理科大教授提供)
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江戸時代中期の画家、尾形光琳の代表作で、技法などが論議を呼んできた国宝「紅白梅図屏風」に関する研究会が、16日、作品を所蔵する静岡県熱海市のMOA美術館で開かれ、中央の流水部分は、銀箔を硫化させて表現したとする科学調査結果が発表された。
結晶の並び方を分析するエックス線回折法などで、10月に中井泉・東京理科大教授が調査し、流水部分から銀箔、硫黄などが検出された。銀箔の上に、何らかの素材でマスキングする形で文様風の流水を描き、地の部分は、硫黄粉をまき、黒く硫化させたと推測されるという。文様風の部分が茶色く見えるのは硫化や酸化などのためで、本来は銀色だったはずと中井教授は推定している。
(2011年12月17日02時11分 読売新聞)


紅白梅図屏風と言ったら教科書にも乗ってるレベルですからたぶん知らない人はいないと思いますが、新聞によれば私たちの知るところの作品は本来の姿とは違うということの証明になるわけですね。
私たちが知るところの紅白梅は全体が黄金色に近い黄色を基調とした美しい屏風ですが、CGで再現された作品は川の流れを表した部分が銀粉と判明したことによりもっとはっきりと強調されて渦が表現されています。
私が習っていた芸術学の先生にお伺いしたときにはまだ金粉なのか銀粉なのかがよくわからないとの事でしたからこの研究は私にとっても非常にうれしいものです。
尾形光琳は1658年から1716年を生きた人で、彼の作風は後世に大きな影響を与えました。琳派と呼ばれるその後に絵画作風の根幹となったのが彼ですね。
八橋蒔絵硯箱(東京国立博物館)に見られる材料の使い方に非常に精通した人で、その発想もかなり奇抜です。中でも超有名な、もう知らなかったら恥ずかしいくらいの燕子花図屏風(根津美術館)ではどうしてかよくわかりませんが型紙を使用しているのですよね。型紙は要するに年賀はがきとかで使う文字の部分が切り抜かれていて上からスポンジとかでぽんぽん色をつけると文字がきれいに写るようなもの。
紅白梅図屏風は彼が宝永6月に帰京した後の作品だと考えられていますが、確かに光琳にしては落ち着いた作品だと感じていました。それが300年ほど前は結構派手だったのでやっぱりそうだよなと納得するところがありますね
現在の紅白梅図屏風
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燕子花図屏風
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映画『ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝』 感想とレビュー 中国が舞台になった 女優の魅力に迫る

イテケゥ・ト。シ・キ・逾テ・ネ
この間たまたま家に帰ってテレビをつけてみたらハムナプトラ3をやっていましてラッキーと思ってみてしまいました。私3が出たこと実は知らなかったのですよ。2までしか観ていなくて続きやらないのかなと思ってたらやってた。
1999年の映画『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』、2001年の映画『ハムナプトラ2/黄金のピラミッド』の続編ですが、今回は舞台をエジプトから中国に変更。ミイラはミイラでも中国ののろわれた皇帝です。
まあ話の筋は微妙ですかね。途中でイエティが出てきて一緒に戦ったりのなんでもありになってしまいましたが、それでも娯楽映画としては十分面白かったですよ。
ストーリー展開よりは私が注目したのは紫媛(ツイ・ユアン)、皇帝から不死の秘宝を探すように言いつかった呪術師ですね。中国系マレーシア人で女優のミシェール・ヨーですが、その演技力が映画のなかで一番上手かったのではないでしょうか。物凄く強い、これは精神的にも肉体的にもですが、女性を演じていて感心しました。剣で直接皇帝との因縁の殺し合いをするときの立ち回りは迫力がありましたね。きっと随分練習されたのでしょう。
四十台後半とはみえない美しい方で、今回のヒロイン、イザベラ・リョン演じる林(リン)より存在感はありました。
イザベラ・リョン、私ははじめてこの映画で知ったのですが非常に美しい女優さんです。
まだ23歳ですって。撮影時なんて20なるかならないかくらいではないですか。びっくりですね。
もう実業家との間に子供がいるらしいですが、なんだよ世の中金ですか。

それにしてもハムナプトラって一体どういう意味なのでしょうね。英語だと映画のタイトルThe Mummyなんですよ。そのままじゃないの。他の言語でミイラって意味なのでしょうかね。エジプト語とか?
まあハムナプトラは1作目2作目がとても面白かったために今回のストーリー展開は残念ですが、次回作に期待と言うところでしょうか。

冬の写真 街中のイルミネーション

私写真もできること自分で忘れていましたよ、ヨホホホホ。
今回は冬の写真ですね。偏屈文化人はもちろん彼女とかいませんからちょっぴり人肌が寂しくなりますね。
ところでクリスマスってなんの日だか皆さん知っての上ではしゃいでます?
なんだか待ち行くアベックを観察していますと虚しくなってきますよ。いいですかクリスマスは交尾の日ではありませんからね。イエスキリストの一回目の誕生日ですよ。しかの馬小屋の飼葉桶のなかで生まれたのですよ。ここで大事なのはイエスが人間の底辺の存在として生まれてきたということなのです。一応私ミッション系の学校出てますので。
それと、クリスマスツリーの天辺に輝く星はイエスが生まれる前に天文学者たちにイエス降誕を知らせたベツレヘムの星です。キリスト教では五芒星、ユダヤ教六芒星であらわされますね。
まあそんなことはともかくイルミネーションは綺麗ですね。
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駒澤大学吹奏楽部 第48回 定期演奏会 渋谷公会堂  感想とレビュー 

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先達て、12月18日に吹奏楽部の定期演奏会に行ってきました。
駒澤大学といえば駅伝、野球、そして吹奏楽部が有名ですね。スポーツのできない偏屈文化人にとって先2つはあまり興味がないので応援も行きませんが、吹奏楽部は友人もいることですので行ってきましたよ。
曲目は
Ⅰ部
指揮、暮林直樹
後甲板にて K,j,アルフォード
イギリス民謡組曲 R,v,ウィリアムズ
指揮、秋山鴻市
シンフォニックバンドのためのパッサカリア 兼田敏
シンフォニア・ノビリッシマ R,ジェイガー
Ⅱ部
指揮、上埜孝
シンフォニア・フェスティーバ A,ラニング
サクソフォン協奏曲 A,グラズノフ
客演奏者 池上政人
「タンホイザー」序曲 R,ワーグナー

駒沢の吹奏楽といったらマーチングが有名ですし、金賞も受賞している全国一位の称号があるほどです。
ところが今回は意趣を変えて全曲クラシック仕立てになっています。そのせいで友人はチケットが売れなくて困っているといっていましたが、私はどのレベルのクラシックを聞かせていただけるのかしらと足を運んだわけですね。
流石に学生でありながら2000円近く取るだけのことはありました。とても上手かった。技術的なミスはまずありませんでしたね。緊張もなくどの曲もプロが演奏しているのと相違ありませんでした。
それでいて席が自由ですから最初は割と後ろのほうにいて全体を眺めて楽しんでいたのですが、休憩の時間に前に移動して心行くまで身を音楽の流れに任せていました。本当に気持ちがよかった。
指揮者も三人も出てくるし、Ⅱ部ではたった一曲、サクソフォン協奏曲のためだけに池上政人さんを招いて特別に演奏してもらうなど客を飽きさせない工夫が随所にみられ、というか豪華すぎという感じでクラシックなのにとても楽しかったです。
ただ指揮者の上埜孝さんは大分御老体で足が悪く、歩くのが大儀そうでしたから出て行ったり入ってきたりするのがお辛そうでしたね。
友人から聞いた話では、アンコールでは4年の先輩がこれでおしまいということなので先輩に対してドッキリをやろうということになり譜面のうえに紙を貼ってみれなくしてやろうとのことだったそうなのですが、なんと逆ドッキリで後輩たちの譜面にはAVが貼られていたそうです。
私は随分間近で見ていましたがやけにリラックスしているなと思ったらそいういことだったのですね。
どの曲も好きですが、今回は大好きなシンフォニア・ノビリッシマだけ乗せておきましょうかね。
R,ジェイガーが婚約者の為に作った不朽の名作


真っ赤なウソ 養老孟司  要約と意見 感想とレビュー   

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第一章 私と宗教の関係
養老氏は中学高校とカトリックの学校に通ったそうだ。そこでさまざまな国からきた教師に大きな影響を受けたと感じた。そしてその教師、神父たちが一生懸命に学生を指導することに対して学んだことは、キリスト教の無償の行為であった。
してその無償の行為、当時の校長のグスタフ神父がよく言われたことは、「いいことは人に知られないようにしなさい」ということだ。実は私も中高とプロテスタント系の学校である。そして、無償の行為や隣人愛についてよく学んだ。私がキリスト教から仏教大学へと改宗した所以はまた後に氏の宗教論とともに説明する。
そして氏が主張しているのは、文部科学省が、教職に就くためにボランティア経験を何年以上必要としようとか検討していたのに対し、それはボランティアではなく、社会奉仕とか別の言葉にしていただきたいということだ。
氏の宗教に対しての関係は続く。氏が東大の教職をしているときに感じたそうだが、学生が質的に変わってきたという。「尊師」を本気で信じている学生が、尊師が水槽の中に一時間いるからそれを見届けて証人になってくれと持ちかけてきたそうだ。医学部の学生にとって、脳に五分も酸素が送られなければ、回復不能のダメージを受けるということを知っての上で尊師は特別だと思っているらしい。
そこで氏は、こうした学生が自分とは育ってきた過程と、全然違う過程を踏んできたんだなということに気づく。そうすると、これは学校の教育の問題ではなく、基本的に社会の問題であるという。
東大の医学部といえば偏差値からも異常な社会で、その異常な集団から異常な学生が出てくるのはある意味当たり前だ、とも言っている。しかし、後に北里大学でもやはり変だと感じた。「バカの壁」がバカ売れしたことに関しても、こんな本がうれるのは社会が変だと感じている。

第二章 科学の結論がお経だった
氏の仏教徒の関係である。氏が「唯脳論」という本を出したときのことである。その後中村先生の仏教の解説本を読んだときに、阿含経の解説が、自分が思っていることと同じで驚いたそうだ。そして氏は仏教の「諸行無常」という考え方が自分の考え方に当てはまるとし、「西欧近代的自我」に対して懸念を抱いている。明治までの名実共に変わる私が、一生ひとつの名変わってしまったことを例に挙げ、変わらない私が作られてしまったとしている。そこから、変わらないはずの私がなぜ死ぬのか、ということになり無理な延命治療が続く。ここが諸行無常だと、死は当然の変化になる。
しかし変わらない私はどこから生まれてきたか、これはキリスト教と西洋科学の対でかんがえられる。キリスト教の「霊魂の不滅」これが同じ自分が続くということにつながる。
してこの不変の自分が何を生むのか。個人心理である。しかし、氏は個人心理はないという。あるのは社会心理のみ。個人心理が仮にあるとしてそれは個人だけに特有の独特のものであると定義するなら、定義によって他人は理解できないことになると。そして他人に理解できるのだから、独創もなければ知的所有権もない。たんに知的先取権だとしている。
氏は、社会が諸行無常と霊魂の不滅のどちらを信じるかで大いに変容するといっている。



第三章 「全知全能」と「藪の中」
絶対神について。科学とは客観性を追及する学問である。そしてその客観性によってこの世の出来事を理解できる。なぜなら、神がすべてをしっているからという。芥川龍之介の「藪の中」はだれも真実はわからないという内容を書いている。しかし、それは一神教の世界では鼻から議論にならない。NHKの「公平・客観・中立」というモットーは既に我々の考え方、社会の考え方が公式的にキリスト教的一元論的な世界だということをしめしている。
「自我」「公平・客観・中立」「科学性の問題」などを例にして、氏は今現在多くの人々が「客観的な世界がある」と思っているとしている。一神教的傾向がここまで非常に強く入り込んできていると感じている。
予断だが、ここら辺に私の一神教への無理を感じる。不変や絶対そんなものがあると信じている人々の中にいて感じたことだ。彼らは自分の神こそ絶対としているので、他を認めない。ここのところはもっともっと論じたいがあまりに莫大な量になるため割愛する。


第四章 マスメディアが言葉を軽くした
大正時代までは「公平・客観・中立」は建前であって、真相は「藪の中」、こういう二重構造があったと指摘している。この二重構造はアメリカにも見られる。大量破壊兵器の問題である。氏はいったい何を持って大量なのかと鋭いメスを入れている。氏の指摘は続く。言葉が軽くなってきたという。徹底的に量を増やした、これがマスメディアだと。なぜこのような現象が起きたのか、変わらない私の台頭と絡んでくる。変わるものが、私はかわらないとややこしくしたせいで、今度は「言葉は変わる」ように見せかけるため、言葉を増やして軽くしたのだと。
こうした勘違いからきた変容は約束という言葉さえも死語にしてしまったと氏は言っている。
私も言葉には非常に興味がありとても大切にしているが、言葉の軽さには驚愕する。特にむやみやたらと略したり、若者言葉などには耳も当てられない。丸子教授の「最後は言葉が武器だ」というのには大いに共感が沸き、私も受け売りで使わせてもらっているが、このままいくと、大量破壊兵器が最後の武器になりそうでなんとしたことか。

第五章 真っ赤なウソ
今の世は言葉を組織的に抹殺しようとしている世の中だという。要は何でもありの世界だ。
日本の社会において、伝統的な思想、これが仏教の思想だという。時代がかわっても、場所が変わっても変わらない、「不変」かつ「普遍」これが真理である。宗教はこうした意味で社会に中の根本的な役割のため機能する必要があると氏はいう。
また、おもしろいことを断言している。言葉はコミュニケーションの道具ではないと。これには私もびっくりしたが、なるほど、言葉にはまったく動きがたいものを含んでいる。そしてこの不変性の基盤の上にたっている社会で、言葉を変えてしまう、暮らしにくくなったとしている。
「倫理」という言葉がはやっている。氏が倫理委員会の委員長をやらされたとき、教官倫理マニュアルというものが入ってきて憤怒したそうだ。氏曰く「倫理とは個人のものである」と。それがマニュアルとは、規則と同じ、ルールと同じ。「倫理」とはそういうものではないと考える。
最近よくはやる「ハリーポッター」や「千と千尋の神隠し」。これは真っ赤なウソだから売れる。お芝居や劇はウソでリアリティーがあるから売れるのだという。そして宗教とは、「ウソから出た真実」だと考えている。うそを神という一箇に凝縮する、これが一神教で、ウソを一箇所に集中すると、残りはきわめて見事にリアリティーに変わる。
これが「より真であり、善であり、美である」ことと同じだけ。それだけだ。
その点で、宗教のニーズはとても高く、別にウソから出たまことは悪いことではないとしている。問題は我々がそこから本当の真実を知ることができるかにある。


第六章 死ぬことと、本気で生きること
変わらない私が死ぬのはおかしいという状態が延命治療や、アメリカの脳みそを凍結保蔵にいたる。しかし、氏は今日も明日も私は私だが、中身はどう変わるかわからない、という留保を持たなければならないといっている。
また、畳の上で死ねない現状や、年寄りが年寄りらしく生きるのが難しいということを例に挙げ、思い切って生きられない時代だと明言している。
「自分は思い切って生きてきたのだから、お前らも思い切って生きたらどうだ」そういえるくらい前向きな気分が戦後最も欠けているのではないか、考えてほしい。
それから、今の社会はまじめすぎる。不真面目になれというより「はずせ」ということ。上手にはずすには、自分の場合も他人の場合も徹底的に本音をたたいていないとできない。こういうことがやりにくい社会になっている。だから本気で生きられず、その結果本気で死ねないと氏は眉を曇らす。

第七章 人間の欲望には限りがない
他の人を自分の思い通りにしたい、これが「人間の欲」である。そういう権力欲の一番高じたのが自然破壊だという。ビル・ゲイツでさえ未だに稼いでいる。欲にブレーキが利かない状態にある。
それから権力に関連して、イラクでのアメリカ兵によるイラク人捕虜虐待の例を挙げ、何故この様な事が起こるのか解説してある。それは兵士には自分が権力者であるということを自覚していないために為せることだ。
幼児虐待や貧富の差、運動部の先輩などの例から、「他人を思いやる心を持たなければならないよ」ということをきちんと説くのは坊さんの仕事であると言っている。
脳科学者として面白い見解がある。人間は急に脳が肥大化したせいで、血管に負担がかかり卒中を起こすのだと。なるほど面白い。そこから余命の宣告も絡めて、いつ死ぬのか誰にもわからないし諸行無常だと説く。
また何でも作り出してきた人間は、最終的に遺伝子操作によって神を作るという。遺伝子操作で作られるひとは我々が考えたり感じたりするものをすべて享受でき、さらにプラスアルファがつく神になる。そうすると我々は用済みになる。これが理想の世界になるのだろうかと。
なんだかこれを聞いていると私はニーチェのいう超人を思い出す。我々を超える存在、超人。いったいそんなものが出てきた暁にはどうなるものか。
そしてその理想的な世界を考えるためにはまず学問の極端なところまで持っていかなければならない。そうすれば対極も見えてきて、その中心が「普遍」かつ「不変」であるという。

『太平記』 古典籍研究 研究課題 解題をつくる

たまには私が研究したものでも載せてみましょう。

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『『太平記』』最大の謎の人物「児島高徳」(備前ノ國兒嶋備後三郎高徳)、その人物について今回はほんの少し勉強してみた。
「児島高徳」は、『太平記』のなかでもしばしば現れるが、実在したかどうかは未だ不明な点が多いという。さらには『太平記』作者の一人であるとされる小島法師自身なのではないか等諸説ある人物である。
 本来ならば「白桜十字詩」(『天莫空勾践 時非無范蠡』〔読み下し文〕天、勾践を空しくすること莫、時に范蠡無きにしも非。〔解釈〕「天は、古代中国の越王である勾践を助けたように、決してあなたを見捨てはしません。いずれ范蠡のような忠臣が現れるでしょう」)でも調べるべきだが、今回は時間がなかったので、彼が口にしたほかの言葉について吟味してみた。

 巻之四で後醍醐天皇が隠岐へと移送されるくだりで、「児島高徳」が一族に天皇奪還を試みようと勇気付ける場面の言葉である。
〔本文①〕主上笠置ニ御座有シ時、御方ニ參ジテ揚義兵シガ、事未成(ラザル)先ニ、笠置モ被落、楠モ自害シタリト聞ヘシカバ、力ヲ失テ默止ケルガ、主上隱岐國ヘ被遷サセ給ト聞テ、無貳一族共ヲ集メテ評定シケルハ、「志士仁人(ハ)無求生以(テ)害仁、有殺身為仁。」トイヘリ。サレバ昔衛ノ懿公ガ北狄ノ為ニ被殺テ有シヲ見テ、其臣ニ弘演ト云シ者、是ヲ見ルニ不忍、自腹ヲ掻切テ、懿公ガ肝ヲ己ガ胸ノ中ニ収メ、先君ノ恩ヲ死後ニ報テ失タリキ。「見義不為無勇。」イザヤ臨幸ノ路次ニ參リ會、君ヲ奪取奉テ大軍ヲ起シ、縱ヒ尸ヲ戰場ニ曝ス共、名ヲ子孫ニ傳ヘン。」ト申ケレバ、心アル一族共皆此義ニ同ズ。〔古活字板『太平記』卷四〕
 「志士・仁人は、生を求めて以つて仁を害すること無し。身を殺して仁をなすことありといへり。さらば昔、衛の懿公が北狄のために殺されてありしを見て、その臣に弘演といひしもの、これを見るに忍びず、みずから腹を掻き切つて、懿公が肝をおのれが胸の中に収め、先君の恩を死後に報ひて失せたりき。
〔解釈①〕志ある人、仁を体した人は、命を惜しんで仁徳を害したりしない。むしろ自分の身を犠牲にしても仁道をなしとげることがある。『論語』「衛霊公」第十五の九に見えることば。「殺身成仁(みをころしてじんをなす)」と単簡に表現することばでもある。
〔英訳文〕
Confucius said, “A person with high aspirations and a benevolent person never deviate from benevolence for their life. They would rather kill themselves to accomplish benevolence.”

〔本文②〕「見義不為無勇」
 義を見てせざるは勇無し。いざや臨幸の路次に参り会ひ、君を奪ひ取りたてまつりて、大軍を御こし、たとひ尸を戦場に曝すとも名を子孫に伝へん」
〔解釈②〕人としてなさねばならぬ正しいことを知りながら、これをなそうとしないのは、真に勇気がないものだ。→人としての道理を曲げてまで、やるべき事をしないのは本当の勇気がないからだ、ということ。また、正しいと知っていながらしないのは、勇気がない証拠である、ということ。『論語』為政・二の二十四にみえることば。
〔英訳文〕It is coward not to do at the time to do right.

 ここで高徳は、『論語』から孔子のことば「志士仁人の殺身成仁」と「義を見てせざるは勇なきなり」、さらには『貞観政要』に基づく「衛の忠臣の故事」を例に挙げている。
 。

 いくつかの本を読んでみると、実はこの箇所は巻之四の半分にもあたいする勾践主従の挿話への前振りにしか過ぎないという。しかし、実際にこうして読んでみるだけでも作者の知識教養力、さらには読者側にもそれに匹敵するものを求めていることがわかる。
たまたま私は『論語』の義を見てせざるは勇無きなりという有名なことばを知っていたから何とか興味が湧いたが、ここまで知的なレベルの高い本だと読むのにも疲れてしまうのではないだろうか。
 さて「義を見てせざるは勇なきなり」は孔子の言葉で、『論語』・為政に以下のようにある。
「其の鬼に非ずして之を祭るは諂うなり。義を見て為さざるは勇無きなり(自分の祖先ではない霊を祭るのは諂うことである。人としてなすべきものだと知りながら、それをしないことは勇気が無いからだ)」
「義」は儒教の五常(義・仁・礼・智・信)の一つで、筋道の通った正しい行いのこと。
ここで儒教の思想が現れてくる。それをもう少し見ていきたい。
 『論語』は、言わば奈良時代、平安時代から続く公家社会必須の教養である。私が参考にさせていただいた市沢哲編『『太平記』を読む』〔吉川弘文館刊〕では、ここで高徳からこのことばが出てくるのは対しておかしいとも思えないが、何故ここで出てくるか等について詳しく自説を展開している。それを要約すると、宋学的な思想を取り入れたかったからということになると思うが、なかなか読み物として面白かった。

 授業中にも言及された『太平記』が作られた背景、他に何故軍記物語なのにも拘わらず「太平」という名が冠されているのか、様々な疑問の答えになる部分のエッセンスがここに見え隠れするのではないだろうか。
 巻之一一「建武中興成就」までに見られる物語の進展、これが「義を見てせざるは勇なきなり」で顕著化された、儒教の新流派、宋学である、と著者は語っている。また巻之四で挿入される桁外れに長い来歴譚はこの物語の構想と思想を表出すものとして重要であるといっている。
 何分、時間が無かったので十分な考察検討が出来なかったにせよ、たまたま拾い上げた部分から、有名な漢籍『論語』のことばが出てきたり、そこからにじみ出てくるような作者の思想が感じられた。このことばの端々に見られる知識教養だが、きちんと意図があってのことだと理解できただけでも十分実りがあったと感じる。


ダイイング・アイ 東野圭吾 感想とレビュー 目というものについて考える

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私も免許を持った人間なので気をつけたいと思いますが、交通事故はやはり悲惨なものだなと強く再認識させられる作品です。
ピアノのレッスンのあとの帰り道でひかれた美菜絵。その犯人を巡り被害者と加害者が複雑怪奇に入り組んでくるとても恐ろしい作品でした。この作品では人間お業の深さ、偽り、虚構やいとしい人へ対する思い、しかもそれが捻じ曲がった思いなのですから怖いです。
私はこの作品を読んでいて最後まで読んでもまったく人間の希望の光というものが見えませんでした。だから悪いというわけではなくて、むしろこうした作品を書ける東野さんがすごいなとおもうばかりです。
最後くらいハッピーかそこまでいかなくとも一縷の光を見せてくれると期待していた地平を見事に崩されましたからとても新鮮でした。
一旦記憶を失ってしまった主人公の雨村が整理して次第に記憶を取り戻していく過程、これが今回の読者の推理と一致していくわけですが、なかなか晴れないこのもやもや感がまたなんともいえないのですね。
雨村の前に現れた謎の美女。この人物を巡るくだりではとても夜にはよめませんね。女や人形の関係は考えるだけでぞっとします。
しかし、私も日ごろからおもうところですが、目の力は偉大ですね。例えば「眼は口ほどにものを言う」ということばにもあるように、眼だけで相手を把握することさえできます。また人間が会話などをするときに一番気にしているのは眼なんですって。そう考えると、これは私の持論ですが、アニメの顔の何割をも占める大きな眼の描き方に納得できますね。
つまりそれだけ眼を意識しているので、眼のインパクトが強い、だから大きく描かれるようになる。そして私たちも眼には強いインパクトを受けているので大きな眼をしたアニメをみてもさほど変には感じないということです。
またそうすると眼の大きな人にこの上ない魅力を感じることも納得できます。
また眼は眼力というようになにかを発することができるのだと私は感じます。視線を感じるというのはやはり眼から強烈な気のようなものが出ているからではないでしょう。
しかし同時にまた眼はものを引き込む力をももっていると感じます。今回のダイイイングアイではその引き込む眼の力が描かれていて、そちらのほうも読んでいて怖いのですが、もしかしたらそんなこともあるのかもしれないと感じてしまいます。
まして生きている状態での眼の力がこれだけ強いとしたら、ダイイイングアイ、死の直前になって全ての力を解放した眼の力は人を操れるのかもしれません。

映画『マンマ・ミーア(Mamma Mia!)』  感想とレビュー 最高の恋愛とは



ミュージカルが大好きな偏屈文化人。続いての記事もミュージカル関連でマンマ・ミーア。
これはもともとミュージカルからきましたが、映画もすばらしいのです。
劇中の曲は全て、世界的に有名なスウェーデン出身のポップ音楽グループABBAの曲を用いています。私はこの映画を三年前に映画館に足を運んで(もちろん一人で)観ましたがそのときの感動がどうしても忘れられなかったのでDVD借りてこの間見直しました。
やはりしびれますね。これはどちらかというとドリームガールズのように歌手が歌を歌っているわけではないので歌はそこまで上手くはないです。もちろん名役者が揃っていますから練習の大分しているでしょうし、十分に上手なのですが。
舞台はギリシャ・エーゲ海の架空の島カロカイリにあるホテル。
映画は主人公であるソフィーの「I have a dream」の静かな調べから始まります。
ホテルのオーナーであるドナ・シェリダンと娘のソフィーは、ソフィーの結婚式で大童。力仕事の出来る男たちはソフィーの婚約者であるスカイと共に集まります。ここでは「Gimme!Gimme!Gimme!」と共にあつまりいよいよ映画が始まるなと興奮してきますね。
結婚式の為に次第に舟にのってやってくる客や友人たち。そんななか、ソフィーは友人2人にある秘密の作戦を打ち明けます。
ソフィーには父がいませんでした。ところがある日見つけた母の日記に、父親候補になる男性が三人いるということを発見したのです。
ドナの日記には「何月何日・・・(どっとどっとどっと)」とあり昔はこうやって表現したのよと興奮する三人の娘達。「Honey Honey」で興奮する娘たちの姿はとても水水しくかわいらしいです。そうして冒頭でソフィーが出した三通の手紙はそれぞれの父親候補に送られたものだということが判明します。
もちろん手紙は母のドナ名義で送られていますからそれとは知らずに面白おかしくあつまる三人の男達。
ソフィーの父親候補その1、アメリカ人の建築家のサムを演じるはピアース・ブロスナン。かの007で有名な俳優ですね。
ソフィーの父親候補その2、イギリス人の銀行家のハリーを演じるはコリン・ファース。実は物語が進むにつれて自分がゲイであるということを発見するというすばらしき面白き人。
ソフィーの父親候補その3、スウェーデン人の水兵で旅する作詞家、ビルはステラン・スカルスガルド。なんと身長193もある大男。デッドマンズチェストのビル・ターナー役の人です。
サムとハリーはあともう少しというところで港に着くのですが時既に遅し。カロカイリへの船は翌日までないといいます。しかしそこに偶然とまっていたビルの帆船。相手が誰とも知らずに三人は行き先が同じだ一緒に行こうということになるのです。
一方島では準備をしている女たちの「Waterloo」やお金に苦しむドナの「Money Money Money」でテンションがあがります。
島に到着した三人の男。ソフィーに案内されますがばれてはまずいと三人を物置に閉じ込めます。しかしその後偶然やってきたドナが三人を発見。なんてこったの意をもつ名曲「Mamma mia」を歌います。心みだして泣くドナに彼女の親友のロージー役者はジュリー・ウォルターズ(ハリーポッター、モリー・ウィーズリーで有名)とターニャ役者はクリスティーン・バランスキーはやさしく慰めます。歌は「Chiquitita」。
元気が出てきたドナは三人で「Dancing Queen」。ここから一気にテンションを高めて畳み掛けます。何百人の使用人たちと歌い終わったときには海へダイブ。
一方ソフィーとスカイは二人で「Lay All Your Love」を歌います。それにしてもここでのソフィー、アマンダ・ミシェル・サイフリッドの艶かしさが半端ではない。恋してしまいそうになります。
ホテルではその後も興奮は止まず、「Super Trouper」「Gimme!Gimme!Gimme!」「Voulez-Vous」と続きます。三曲目ではそれぞれ勘違いした父親三人が別々にソフィーに明日は私がバージンロードを一緒に歩こうといいます。混乱したソフィーは倒れてしまいます。
翌日になりドナの「SOS」、ターニャと女たちの「Does your mother know?」。式も近まりドナの「The winner takes it all」、式では「I Do I Do I Do」。料理の場面では「Take a chance on me」ときて映画は終幕を迎えます。最後はまたソフィの「I have a dream」。
楽しく、乗れて、そして涙し、ABBAの名曲とともに喜怒哀楽の全てを2時間の中に圧縮した内容の本当に濃い作品です。
それになんといってもやはりドナ役のメリル・ストリープの演技には度肝を抜かれます。このころちょうど「プラダを着た悪魔」を見ましたが、同じ人間が演技しているとは思えない表現のしかた。女優の鏡です。
クレジットでは衣装を着た出演者たちが「Mamma Mia!」「Waterloo」「Thank you for the music」を歌い舞台は幕を下ろします。

映画『ドリームガールズ』 感想とレビュー まるでショーを見ているような映画

更新がなかなか出来なくてすみませんでした。試験があって・・・
この間なにか面白い映画はないかなと思ってたまたま手にしたのがこの映画でした。
とてもすばらしかったので記事にしておきます。
黒人のレコード・レーベル、モータウンの伝説的な黒人女性グループスプリームスのメンバー、ダイアナ・ロス、メアリー・ウィルソン、フローレンス・バラードがモデルで、メアリーの自伝「Dreamgirl: My Life As a Supreme」を基にしてつくられた作品です。
これを元にされたミュージカルがヒットしたためこの映画版が作られたということですね。
その製作過程からみてもこの夢を実現するまでの道のりがいかに大変か、またその分見ることによって元気をもらえるということにつながるのですね。
舞台は1960年代のアメリカ一の車の町デトロイト。歌手を目指しているディーナ・エフィ・ローレルの三人からなる「ドリーメッツ」がオーディションを受けるところから映画は始まります。
もともとミュージカルにもなっていますから展開もはやくてまったく飽きがない。台詞の半分くらいは歌なのではないかと思うくらい音楽のなかから生まれた映画のように構成されていますからとってもファンタスティックです。
黒人音楽の魂を揺さぶるような深くしみじみとした曲には非常に魅了されます。
エフィ・ホワイ役のジェニファー・ハドソンは映画の批評で「主演ビヨンセを食った」と称されるほどの歌唱力のすばらしさで、本当にいい曲を聴くことができます。エフィは途中でメンバーからはずされてしまう不運な役なのですが、力強い歌声と表現の深さ、ビブラートの美しさは映画のなかではあのビヨンセを超えていると感じられるほど洗練されていました。
主人公ディーナ・ジョーンズはビヨンセ・ノウルズ。かの歌姫ビヨンセだと最初気づけなかったのですよ。メイクのせいか歌うまと思いながら見ていたのですが、なんとビヨンセだったのかと後で知ったのです。彼女はドリームガールズの成功により一気に歌の世界の頂点に立ちます。ジェイミー・フォックス演じるカーティス・テイラー・ジュニアと共に夢を追っていたはずの彼女はあるとき彼との方向性が違うことを気づき始めるのです。次第に夫婦としてのなかもわるくなり、カーティスもその独善性がたたり孤立していきます。ここに最初に不運になってその後じょじょに光見えてくるエフィとの対比がみられ複雑な構成さが、単にミュージカル映画という枠組みだけでは終わらせない深さをはらんでいます。
エディ・マーフィが演じるジェームス“サンダー”アーリー。彼はドリームガールズが売れる前にすでにトップスターにとして出てきます。女性癖の悪い彼はライブ直前にバックコーラスを失い、そこでドリームガールズが抜擢されるというかたちで出会います。
しかしトップスターによくあるスランプに彼は打ち勝つことができませんでした。ドリームガールズが一躍有名になるとサンダーは次第に落ちぶれていき、終には薬に手を出すまでに。結局女癖も悪いままで最後は事務所を首に。アルコールと薬のせいでその後まもなくして死んでしまいます。おもしろいなと感じたのがエディ・マーフィは実際に女癖がわるいそうなんですね。ただ、コメディアンとしてやってきた彼がこんなにも一生懸命歌っているのを見るとそれはそれですごく心打たれますよ。
他に名優ダニー・グローヴァーは出演していて彼の演技はやはり奥が深いですね。
ジェイミー・フォックス、ビヨンセ・ノウルズ 、エディ・マーフィ、ダニー・グローヴァー 、ジェニファー・ハドソン 、アニカ・ノニ・ローズ などからなる黒人の一流役者が勢ぞろいしている点もこの映画のおおきな魅力です。
ミュージカル仕立てですが、ミュージカルで味わえない映画のよさが上手く折り合わされた最高の映画です。さあ、皆さんもごらんになってはいかがですか。ドリームガールズはいつもあなたのそばにいるのですから。



運転の依頼は来年以降でお願いいたします

閲覧者4000人突破ありがとうございます。
ようやく念願の運転免許が取れました。学園祭やら試験やら柵がいっぱいで4ヶ月もかかってしまったという恥ずかしいお話ですね。
ただ、今日はちょっと機嫌が悪いですよ。
偶然府中試験場でであってしまった高校の時の知り合い、私はあまりその人のことを気にしていなかったので声もかけなかったのですが、ツイッターで見事に「こんな偶然いらない」という内容を書かれていたので、私もいらんわと思ったわけであります。
ネットは誰でも閲覧可能なのです。ことばには気をつけましょうね。

未だ自分の家の車での練習が済んでいないので、知人の方には少々お待ちを頂いて、荷物の依頼、ドライブ等は来年までお待ちください。

無事故運転を常に心がけ、譲り合いの精神で運転していきたいとここに記します。


それからこれから学科試験を受ける方にアドバイスですが、半分以上の人が落ちていました。合格者のほうが若干少ないという事態、私は本当にびっくりしてしまいました。だって一回試験受けるのに2100円かかるのですよ。しかも府中試験場は本当にアクセスがひどいのです。年末は一人一日一回しか受けられないそうなのでその点にも注意したほうがよいでしょう。

                                        偏屈文化人

ウィーン・フィルハーモニー 管弦楽団創立150周年記念コンサート 感想とレビュー 1992年 現在のコンサートと比較してみる


回覧者3000人突破おめでとうございます。そしてありがとうございます。
もちろんどうしてこんなに回覧者が増えたか理由はわかっております。要はジャッキーエヴァンコちゃんの記事でヒットしているわけです。もちろん私は彼女がデビューしたてのころからのファンですからそれはそれで嬉しいのですが、まあもしよかったら、そして少し時間の余裕のある方は他の記事等も御覧になっていただけると幸せです。それからどうぞ拍手のボタンを押してください。

前回からウィーンフィルのニューイヤーコンサートを紹介してきましたので、今回は創立150周年記念のコンサートについての記事です。
1992年3月22日、ウィーン・ムジークフェラインザールにて
指揮、リッカルド・ムーティ

曲目
シューベルト:交響曲第7番ロ短調「未完成」 D,759
 Ⅰallegro moderato
 Ⅱandante con moto
マーラー:リュッケルトの詩による5つの歌
 ⅠIch atmet einen linden duft (私は快い香りを吸い込んだ)
 ⅡLiebst du um schönheit (美しさを愛するなら)
 ⅢBlick mir nicht in die lieder! (私の歌を見つめないで)
 ⅣUm mitternacht (真夜中に)
 ⅤIch bin der welt abhanden gekommen (私はこの世に忘れられた)
ベートーヴェン:序曲「コラリオン」 Op,62
メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調 「イタリア」 Op,90
 第一楽章
 第二楽章
 第三楽章
 第四楽章 
ラヴェル:「ボレロ」

ソリスト―クリスタ・ルードヴィヒ(メゾ・ソプラノ)

指揮者はなんとあのムーティが務めます。彼は1941年生まれのイタリア人の指揮者で、現代では代表的巨匠として著名ですが、1992年当時は51歳ですから、それでこのような大ステージに立てるということが彼の才能をあらわにしています。
情熱の指揮者と呼ばれる彼、容姿も美しく専属カメラマンがついて写真集も出されています。そんな彼のかっこいい時代の映像と共に映像資料は「ボレロ」です。

ソリストのクリスタ・ルードヴィヒはリュッケルトの詩による5つの歌にてその歌声を披露してくれますが、1928生まれですから当時でも64歳ということになります。現在ではもう83かな。しかしライザにしても布施さんにしても彼女にしても全く年齢によるマイナス要素はありません。むしろその年の甲により表現力が増強されている感じ。クリスタもマイクなしでよくこんなに(オーケストラの中から)声がでたものだなと感心いたしました。
それにしても彼女の歌声はとても美しく、暖かいのですね。そしてその歌声はもちろん性格からもきていると思います。彼女はリュッケルトの詩による5つの歌で出番は終わりですが、最後に花束をもらったときにそこから一輪の花を抜き出して、ムーティに渡して去っていくのですね。これがなんとも小粋で洒落てるではありませんか。そんなすばらしい歌手です。

シューベルトの第7シンフォニーは美しい響きが心に染み渡るようでした。ここでムーティは観客のこころを鷲摑みにしてしまうのですね。
そして上に書いたリュッケルトの詩による5つの歌。コラリオンは男性的な曲で、そこからはムーティの強い信念と意志を感じ取ることが出来ます。そしてイタリアときて、最後はボレロです。
ボレロは終止曲のテンポが一様で、小太鼓が一定のリズムを最後まで刻みます。この曲においてなんと169回も同じ形を繰り返すという途方もなさ。旋律と和声も一様なのにも拘わらず、執拗なリズムにも飽きずにこの曲に心魅了されるのは反復ごとの楽器の組み合わせの工夫にあると感じます。
遥か彼方から聞こえてくるような小太鼓のリズムが次第に近づいてきて、さらに様々な楽器が絡み合い、まるで音が万華鏡のように多彩な模様を織成して響き渡るのがこの曲の魅力ですね。音の魔術師といわれたラヴェル、その最高の曲をムーティによる指揮でお聞きください。

ライザ・ミネリ セックス・アンド・ザ・シティでの活躍



以前紹介した、女優で歌手のライザ・ミネリ。彼女が一体現在どのような活動を行っているのか、その活躍ぶりをごらん頂きましょう。
映画「セックス・アンド・ザ・シティー2」の劇中でロックンロールナンバーを歌っているライザ、当時64歳(1946年生まれ)とはとても思えないすばらしいパフォーマンスをしてくれます。
劇中では自分の役を演じるという特別出演で、わざわざ歌まで歌ってくれます。そして彼女が歌うはロック。かなり激しいダンスと共にその若さが今もおとろえてなんかないぞといわんばかりの表現力。しびれます。
これはゲイのキャラクター、スタンフォード・ブラッチ( ウィリー・ガーソン)の結婚式のシーンです。

何故いまになってライザミネリなのか、その意味付けをすることは簡単です。
ミランダ(シンシア・ニクソン)の迷言『ゲイパワーの物理法則がライザ・ミネリを生んだ!』ということばからその脚本を窺うこともできます。彼女は1967年に彼女の母親のジュディ・ガーランドのショー前座歌手をしていたピーター・アレンと結婚します。しかし結婚生活は5年で終止符を打ちます。離婚原因はピーターがゲイであったということが今でも広く言われています。実際ピーターは1992年にエイズの合併症で亡くなっています。
こうしたことからゲイと浅からぬ因縁というか関係を持つライザを起用しようと監督であるマイケル・パトリック・キングが考えたのかも知れません。

ただ、そのような意味づけをしなくともこの映像資料を見れば、彼女がいかにすばらしいアーティストであるかわかりますね。
未だ衰えない歌唱力、ダンス、表現力等、一度アルコール依存症などにかかってからの彼女の復活はまさに不死鳥の如しなわけです。
私が大好きな布施さんも今年63歳ですが、衰えを見せません。
「継続は力なり」とはよく言いますが、その反対も真なりではないでしょうか。「力は継続なり」
愛読するゲーテにもありますが「真の天才とは才能を持続させられる者である」ということではないでしょうか。
つまりは一発屋に終わらず。強く強く人の心に熱いものを寄与する才能をもった人間に私もなりたい。ライザは本当に人生の先輩であり、我々が目指すべき目標なのです。

ルパン三世 血の刻印~永遠のmermaid~ 金曜ロードショー 感想とレビュー 新しい声優と物語内容

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ルパン三世テレビアニメから40周年おめでとうこざいます!
今回は声優陣を大幅に一新するということで注目も集まっていました。私も古くからのルパン三世ファンで、かなり期待していました。
さて、声優にはルパン、次元は変わらず(次元はテレビアニメ放送時から変わってないのですからすごいですよね)、注目すべきは石川五右衛門=浪川大輔
峰不二子=沢城みゆき
銭形警部=山寺宏一
と豪華な声優さんが集まりました。
浪川さんは、私が大好きな「ロードオブザリング」のフロドや「スターウォーズ」のアナキンなど美青年の役を多くつとめてきた方ですね。五右衛門といえばかなりの男前。銭形にも劣らない男らしさ、もの静ななかにも熱く秘めた武士の心をもつという非常に難しい役。しかし私は今日見て感動しましたね。まったく違和感を感じませんでした。
不二子ちゃんには沢城さん。おねがいマイメロディ-小暮駆 君に届け-矢野あやね デュラララ!!-セルティ・ストゥルルソンなど若くしてかなりの実力をもったかたですね。今までの不二子ちゃんとは印象が変わりましたが、オールドファンの私でもこれはこれでいいと思いました。より不二子ちゃんが乙女チックになった感じがしましたが、色っぽい場面では以前と変わらない妖艶な表現がすばらしいと思いました。
銭形警部には山寺宏一さん。もう言うことなし。私のなかで好きな声優さん一位じゃないかな。そのくらい好きです。彼の声は本当に国宝級のものですよ。七色の声と歌われたりしていますが、なんといっても彼の表現力の深さは他の声優さんと比べても郡を抜いています。銭形のあの深く低い男前な声を見事に再現してましたね。しかし上手すぎる。例えば新世紀エヴァンゲリオンの加持リョウジ、ツティッチなどと聞き比べてみても入れ知恵がなければ同一人物とは思えませよね。
やはり人はことばによって生かされていると感じます。そしてそのことばを表現するものは文字もそうですが、声というもの。今日はこの声の力、それは言霊信仰にも結びつくものだと感じますが、そんなことを考えさせられました。

ラストはラブスコールで終わるという乙なことを。
40周年にしてもう一度原点回帰というべきでしょうか。コアな部分をついてきましたね。
ただ一つ、ストーリーがちょっと微妙だったかなと言わざる負えません。途中までの展開は面白かったのですが、最後がちょっとルパンぽくなかった、というか他のアニメになっちゃったという感じがしました。
日本の殆どの地域で知られている有名な伝説、八百比丘尼の物語を根幹としてそこにいたろうとする冒険譚はいくつもあります。ただ、やはりその神話性を強く描いてしまったのではという感じがしました。
例えば冒険の展開、悪役等は「天空の城ラピュタ」を彷彿させました。特に悪役である氷室、これも八百比丘尼の子孫にあたるのだと自ら言ったさまは大佐と大差ない?でもあんな怪物になってしまうのはちょっとね・・・

今回の名セリフは次元とルパンの何のためにこんな泥棒やっているのかという根本的な問いに対して二人で見つけた答えではないでしょうか、「より旨い酒を飲むため」。こんなかっこいい泥棒がいますかね。
その後の会話で次元もらしくないとルパンへ言っていますが、今回のテーマは自分見つめるということではなかったでしょうか。ヒロインの美沙にしても自分が一体何者であるのか、ルパンにしても自分のおじいさんとの対話、ルーツ探し、動機付け等、もう一度自分を見つめるという行為を行っています。
最後の展開を除けば深く興味深い映画でした。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ラデツキー行進曲による比較

前回の続きのような感じです。
わたしのある友人が指揮者なんてだれがやっても同じだろ発言をしてしまったので仕方なく急遽この記事を作りました。
同じじゃないですよ。例えばある外国の本があるとする。これを日本語訳したときの訳者の違いに匹敵します。
あるいはある演劇である役をする。役者が違うくらい変わります。
それでもって今回はニューイヤーコンサートならばなんといってもラデツキー行進曲というわけ。
ニューイヤーコンサートの最大の目玉は美しく青きドナウとこのラデツキー行進曲ではないでしょうか。指揮者もその力の全てを解放して指揮します。

ラデツキー行進曲
オーケストラの演奏にあわせて観客が拍手でもって呼応するというこのコンサートにおいて最も重要な曲で、1848年にオーストリア、ラデツキー元帥がイタリアロンバルディア地方の戦いで勝利を収めたのに対し、ヨハン・シュトラウス1世が作曲した行進曲です。この曲の軽快なリズムが戦争に勝利した市民の喜び、高揚した気分を反映しており、それでいて整然とした強弱の美しいリズムの対比が持ち味にもなります。



カルロスクライバー
観客をあまり気にせずに演奏しているようですね。完全に本人はのっちゃってますから指揮棒を見てください、まるで生きているように柔軟に動くでしょ。もう途中からタクト使ってないしタップ踏んでるしで指揮者じゃなくなっちゃってます。強弱を強くつけることよりも市民たちの喜びなどを表現しようとしているのか、滑らかな演奏が特徴ですね。


小澤 征爾
吾らが小澤ですね。この人の演奏は作曲者の意思よりも、自分がその曲とどう対面してどう受け取ったのかということを臆することなくだす人ですね。メリハリをかなりつけているのがわかります。そしてどちらかというと自分の立場は観客に近い感じ。拍手の仕方の指導まで観客に見せてますね。静かなときはパクパクやるんだよと、そして軽快なロボットダンス?を披露してくれます。
クライバーと比べると、湧き上がってくる興奮を表現しているような感じがします。どちらかというと静かな曲にしておいて次第に喜びが込みあがってくるようですね。


フランツ・ウェルザー・メスト
これは今年のものですね。新しいものなので比較に適しているかと思いあげました。
観客に対するアプローチは小澤さんに似ていますが、メスト氏はどちらかというと指揮者より。
タクトはあまり使わずに手で滑らかに表現します。非常に冷静な判断をしながら指揮をしています。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤーコンサート 1992 感想とレビュー

さあもうすぐ新年ですね。私は相変わらず文化的活動に余念はありませんぞ。
ということで時期も時期、今回紹介するのはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による「ニューイヤーコンサート」です。
いつもと同様また図書館から古い映像資料を引き出して見ました。今回は1992年のコンサートです。
この1992年という年は非常に私ともゆかりがありなんとも形容しがたい運命のような感覚のする年なわけですが、それはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団にもいえたことです。この年ウィーン・フィルは150周年を迎えました。150周年を記念したコンサートもありもちろんそれも見てきましたので次回はそれについて。
今回はそんな記念すべき年である1992年のニューイヤーコンサートです。

指揮 カルロス・クライバー
曲目
1、歌劇<ウィンザーの陽気な女房たち>序曲  オットー・ニコライ
2、都会と田舎 作品322 ポルカ・マズルカ  ヨハン・シュトラウス2世
3、オーストリアの村つばめ 作品164(ワルツ)  ヨーゼフ・シュトラウス
4、鍛冶屋のポルカ 作品269(フランス風ポルカ)  ヨーゼフ・シュトラウス
5、観光列車 作品269(シュネルポルカ)  ヨハン・シュトラウス2世
6、オペレッタ<ジプシー男爵>序曲  〝
7、千夜一夜 作品346(ワルツ)  〝
8、新ピッツィカート・ポルカ 作品449  ″
9、ペルシャ行進曲 作品289  〝
10、トリッチ・トラッチ・ポルカ 作品214  〝
11、天体の音楽 作品235  ヨーゼフ・シュトラウス
12、雷鳴と稲妻 作品324(シュネルポルカ)  ヨハン・シュトラウス
アンコール
13、ジョッキーポルカ 作品278(シュネルポルカ)  ヨーゼフ・シュトラウス
14、美しく青きドナウ 作品314(ワルツ)  ヨハン・シュトラウス2世
15、ラデツキー行進曲 作品228  ヨハン・シュトラウス


というわけでクラシックをあまり知らないよという方でも十分に有名な曲がありますね。鍛冶屋のポルカなんて小学校の音楽の教科書にのってますしね、他にもアンコールの三曲なんてしらない人はいませんね。もし題名を知らなくてもメロディーを流しさえすれば一度は聞いたことがあるはずです。
それにしてもヨハンシュトラウス家のプログラムによるニューイヤーコンサート、すばらしいですね。ここには常に音楽を愛するウィーンの市民の気質が現れてると思いませんか。私は今年のニューイヤーコンサートもとても気になるのですが(指揮者だれかな)。

さて、指揮者の紹介をと、まあ有名な方ですからそんなにしなくてもいいかな。
なんでも資料によるとクライバー氏、このコンサートの為に旧東ベルリンの国立図書館からマイクロフィルムを取り寄せて熱心に研究した後、リハーサルを4回(約10時間)行うという非常に几帳面で熱烈なかた。
作曲者の意志通りに演奏する指揮者として有名ですが、その力の入れようは他の追随を許さぬほど。
しかしそんなクライバーの要求するものに対してきちんとこたえているウィーン・フィルのメンバーの実力にも驚かされます。
ワルツやポルカではクライバーは全身を駆使してその真髄を引き出さんとする、5番の観光列車ではクレイバー自らが汽笛を鳴らします。

14番の美しく青きドナウ
「ワルツ王シュトラウス」の傑作というばかりではなく、ウィンナーワルツを代表する名曲で、予定のプログラムではなく「アンコール」として演奏されるのが慣習のようです。オーストリアの第二の国歌とも称され、毎年指揮者の挨拶が伴われるのが慣習です。
今回はクライバーが「die wiener philharmoniker und ich wunschen lhnen(ウィーンフィルと私から皆様に)」と述べると楽員たちが元気よく「prosit neujahr(新年おめでとう)」と呼応します。


ペルシャ行進曲 作品289 


ジャッキー・エヴァンコ その歌唱力

Nessun Dorma

ジャッキーエヴァンコを語る上で欠かせないのがなんといってもやはりこの「Nessun Dorma」でしょう。
以前から私の大好きな曲なのでルチアーノパヴァロッティの記事とうでも触れていますが、もともとこの曲は男性のしかもテノールのうたなんですよね。
それを次第に女性も歌うようになって(特にサラ・ブライトマンが歌ったのが皮切りになったのではないでしょうか)、今日に至るわけであります。
これは米国で2011年6月6日に放送されたものです。ここでみて取れるジャッキーの歌唱力とはいかほどのものか。
先ずこの高音の魅力には語ることばさえありません。遠くまですき渡った春の日の早朝のような歌声に思わず聞きほれてしまいます。それでいて全くひび割れない、本当に天使・妖精のような歌声なのは間違いありません。
さて、二回目にNessun Dormaと低くなる部分。メゾソプラノの彼女が出せるには十分な低さであると思います。
その表情や仕草、特に服をちょっと掴んでしまう等まだあどけなさが残るのですが、またそこがかわいらしいですよね。しかしそんなかわいさとは裏腹にフィナーレでは壮大に決めてくれます。
やはりこの歳でこの体では肺がまだ十分大きくなっていないでしょうからそれを鑑みてもすばらしい。最後の「勝利するのだ」というフレーズを今までの歌手たちとは少し変えて、なんと四回も(これは呼吸の問題で三回目でフィナーレを終わらせることができないからと判断したからなのでしょうか)。しかし単にアレンジだったとしても彼女らしさがでて非常に乙なものであると思います。
ていうか後ろのコーラスはいつからそこにいたんだ。


今回はもう一つ例を挙げて見ましょう。
歌うは「Time To Say Goodbye 」。しかもなんとこの歌の歌手であるSarah Brightman も登場!
こんな豪華なことがあっていいのでしょうか。それでいてただ豪華絢爛というわけではない。そのコントラストも非常に興味深いものがあります。一方は世界で最高の歌声をもつといわれる歌姫、そして一方は天使の歌声と称されデビューしたて。
ところがこの二人が力を合わせて共に歌ったとき、これは思わず笑みがこぼれてしまいます。
こんなに芸術性が高まる瞬間はそうあるものではありません。手を取り合って、サラはジャッキーに、ジャッキーはサラに合わせようと一生懸命歌っているのがなんとも美しいではありませんか。これぞまさしく最高芸術なのだと感じます。



ジャッキー・エヴァンコ  本日の顔

いよいよ今年も終となり、師走になりました。気温もぐっと下がって震災から早くも9ヶ月ほどになったのかと感傷に浸っております。
さて、しみじみした話はここまでで、本日は読売新聞夕刊にジャッキーエヴァンコの記事があったのでそれを紹介したいと思います。



「天使の歌声」ジャッキー・エヴァンコ
神様の存在 感じながら
米国で「天使の歌声」と話題を呼んでいる11歳の歌手、ジャッキー・エヴァンコが、日本デビューした。来年1月13日には、東京・渋谷のBUNKAMURAオーチャードホールで初のソロ公演を行う(清川仁)
今年10月、米国の人気プロデューサー、デイヴィッド・フォスターのイベントで初来日した。小さな体から、大人びてどこまでも伸びてゆくような声を、観客は奇跡のように感じたようだ。「前で見ていた女性の人が、眼を閉じて手を合わせて聞いてくれていた」と、ジャッキーは振り返る。
デイヴィットがプロデュースし、全米2位に輝いた新作「ドリーム・ウィズ・ミー」(ソニー)にも、スーザン・ボイルと共演した「祈り」など主への祈りがテーマの曲が少なくない。だが、「どんな曲でも神様の存在を感じながら歌っているんです」という。
幼少期から歌うことがすきだった。7歳のときに映画「オペラ座の怪人」を見て以来、オペラ風の歌い方をまねするようになった。ここ数年で歌声が見違えるほど変化したと家族から指摘されるという。「成長とともに自然に変わったんだと思う。ボーカルトレーニングは嫌いで、ほとんどやっていないのだから」と照れ笑いする。
表題曲は、愛で世界を照らすようなファンタジーを描いた歌。ジャッキーが夢を感じることばとして月、雲などのキーワードを出し、そのイメージからデイヴィッドらが詞や曲をつけた。楽曲製作にはより積極的に関わりたいと考えており、次作に向けた歌詞の構想もあるという。
「歌詞は当たり前のように書き続けてきた。幼くて表現できなかったアイデアも、今なら大人っぽい表現でかけると思う」と意欲を語る。
1月11日にオーチャードホールで行われる「ミュージカル・ミーツ・シンフォニー」(チケットは完売)にもゲスト出演する。同13日の公演のチケット問い合わせは、キョードー東京(0570・064・708へ。)


というわけで、私は13日彼女の初日本公演のチケットが取れたので行ってきます。
今からとても楽しみです。一体どんな曲を歌ってくれるのでしょうか。CDから多くうたってもらえると嬉しいですね。
チケット8800円は高かったな。



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Author:幽玄

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