あの頃の誰か 東野圭吾 感想とレビュー 短編ミステリ バブルに帰りたいひとのミステリー

img_1501908_61514035_0.jpg
えーようやくのことで東野圭吾デビューを果たしました。今まで読もう読もうと思いながらもなかなか読めなかったので、東野さんと短編集から入門です。
シャレードがいっぱい
ここではまさに時代背景がバブル真っ盛り。ある資産家の遺産を巡って兄弟、姉妹、親戚の人間やらの欲望が渦巻き渦巻き。しかし事態が変わったのはその資産家に隠し子がいたということ。主人公は資産家の親戚にあたる男の彼女で、そろそろその男にも飽きてきたし、お金もそんなにもっていなさそうだから分かれようとした矢先にその男が何者かによって殺されます。
思わぬごたごたに巻き込まれる主人公、しかしこの謎解きは自分がやらなければならないと感じたときに八方塞だったのが次第にもやが薄れていくように。非常に短い推理小説ではありますが、時代背景なども違和感無くとても面白い作品です。

レイコと玲子
雨のなか一人の少女が傘をさしています。そしてある男が近くの公衆電話に来たときに、その少女は男をナイフで刺し殺しました。こんな恐ろしい情景描写から始まるミステリー。
一方で記憶喪失の少女を発見した主人公加津子は昨夜の殺害事件と少女との関係を調べ始めます。短編ですからスラスラと謎が解けていく、この爽快感はたまったものではありません。少女がレイコという名がわかり、自宅もわかり、その隣の人間との関係もわかり、そしてどうして記憶喪失になったのかが解き明かされます。実は記憶喪失ではなく多重人格だったということ。これが大事なのですね。
そして凶暴なほうのレイコはまったく無関係な人間たちの思惑によって男性の殺害をさせられたという不幸な事件だったのです。
全てが終わりやっと平穏が訪れたと思われた時分、主人公加津子とその婚約者との会話がなんとも奇妙な終わり方をします。元の人格の玲子が出ているように思えるけれども実はレイコが玲子の真似をしているだけだったらどうするというもの・・・

再生魔術の女
ある子供が出来ない夫婦に、不幸にして生まれてきてしまった子供たちを斡旋するという職業の女がこの小説の進展を決定します。対するは根岸という男。赤ん坊をもらったあとでの二人の会話で構成されます。
実はこの根岸という男以前に当時付き合っていた女を殺めていたのです。そしてこの再生魔術の女こそ当時殺された女の姉だったのです。老婆の語りはとても静かながら恐怖を与える口調で淡々と語り継がれていきます。そしてさっきやった子供は、妹が殺されたときに残っていた精液を採取して冷凍しておいて、自分が生んだものだと告白します。
あまりにおそろしくなった根岸はその後自殺してしまいますが、実際はそこらへんの女子高校生が生んでしまった男の子だったとか。

さよなら「お父さん」
ある飛行機の墜落事故で助かったのはわずかな人数。主人公の男は、飛行機に乗っていた妻と子供が事故に巻き込まれました。二人ともなんとか機体からは運び出されたものの、妻は意識を取り戻すことなく死んでしまいます。そして意識を取り戻した娘、しかしその娘の喋り方は亡き妻そっくりでした。そして妻の精神が娘の体に移ってしまったことを知った二人、しかし誰も信じてくれまいと秘密にして生きていくことを決意します。
この作品は私の一番のお気に入りです。なくなった妻が娘の姿で実は生きている。娘は死んでしまったが、その分も生きていかなければと二人はが頑張ります。次第に大きくなっていく娘(妻)、小説は一気に何十年も先にまで飛び、いよいよ娘の結婚式。男はあいての男性を二回なぐります。一つは娘の分で、もう一つは他の人の分だといって。

名探偵退場
これは一見シャーロックホームズとワトソンのようだった名探偵のその引退後の話です。なにもすることがなくなって暇になった命探偵ワイクは自分が今まで解決してきた難事件を書籍化しようとします。
物語はそこから、かつて解いた最大級の難問と瓜二つの事件が舞い込んできます。何十年ぶりの大仕事に勢いづく二人。しかしこれからいよいよ名推理を披露というところで心臓発作で倒れてしまいます。起きたときには助手のマッシュが、ワイク様は屋敷に赴く前に車の中で倒れられたといってすべては夢の中での出来事だといいます。
次第に現実だったのかよくわからなくなったワイク、以前解決したと思っていた事件も本当にその推理があっていたかどうか自身を失います。結局は全て芝居だったという話。以前解決した遺族の人々が書籍化されて個人情報が流出するのを恐れたためにマッシュと手を組んで行ったことだったのです。

眠りたい死にたくない
これはあまり面白いとは思いませんでしたが、ある男がデートに誘われたはいいものの睡眠薬を飲まされ、気づいたときには犯人に仕立て上げられていたというもの。はっと目覚めたときにはもうどうしようもない状態だが、ここでなんとか逃げださにと犯人に仕立て上げられた後に殺される。しかし薬も飲まされているしねむい、でも死にたくないというもの。

二十年目に約束
主人公亜沙子はその夫である清水と結婚するものの、その結婚の条件は子供を作らないことというもの。しかし、海外への転勤で、海外生活も一年というころに終にノイローゼになって亜沙子は自殺を図ります。
清水はこれを機に一度日本に帰り子供のことについて話そうと切り出します。どうして清水が子供を作りたがらないのか、夫をつけて謎が解けていくというミステリー小説です。
謎は20年前の約束が全ての原因だということがわかります。20年前悲惨な事件があり、ある少女が殺害されました。その少女とその日遊ぶ約束をしていた清水ともう一人の友人は、雨が降ったためその子への連絡は相手がするだろうと高をくくってしまいました。しかし結局連絡をしなかった二人。少女はそのあと通りがかった犯人により殺害されます。殺害された少女の親をみて育った二人は、自分たちに罰として子供を作らないようにと約束していたのでした。

どれもショートとして簡潔にまとまっていてよいものだと思います。誰もが言うことですが本当に東野さんの小説は流れるように読めますね。これも一日そこらで簡単に読めてしまいました。最近ではミステリーがブームとなっていますが、これは明らかに東野さんの影響が大でしょう。もう少しかれの作品を楽しんでみたいと思います。

歌劇 魔笛 杉並公会堂2011年 感想とレビュー 女王の変容


23日には歌劇「魔笛」を見に行ってきました。モーツァルトが大好きだという人々があつまったモーツァルト・シンフォニック・アンサンブルによる公演です。89年に発足して毎年一回の公演を重ねてきたアマチュアの集団ですが、完成度は非常に高く、杉並公会堂大ホールで行われたのですが殆ど満席でした。
なんだか申し訳ないのですが、今回も知人の方から2000円のチケットを無料でもらってしまいました。棚から牡丹餅ですね。

私勘違いしてオペラだとばかりおもっていたのですが、パンフレットをもらって「ドイツ語による上演、演奏会形式」、ってオペラじゃないじゃん。オペラだったらイタリア語ですしそちらのほうは大分勉強したのでと思っていたので度肝を抜かれたような、しかし劇が始まるとすぐにそのすばらしさに魅了されてしまいました。
演奏会形式ですので、オーケストラがど真ん中にあるのです。そしてその前で役者たちが現れて歌を歌うという形式。全2幕で休憩を挟んで約3時間の劇でした。もちろん出演者全員日本人ですからよくこれだけの量の歌をしかもドイツ語で覚えられたものだなと感心いたしました。

あらすじ
山の中で、タミーノ王子が大蛇に襲われているところから劇は始まります。タミーノが大蛇においつめられあわやというところで助けてくれた三人の女性は、夜の女王に仕える侍女でした。侍女達はお使えしている夜の女王にタミーノ王子のことをはなします。夜の女王は自分の娘パミーナ姫が、邪悪な魔法使いザラストロに捕らえられていることを彼に教え、無事に連れ帰ったら婚約を条件に救出してくるように頼みます。女王の命により三人の侍女は、タミーノ王子に魔法の笛を与え、彼のお供をする鳥刺しのパパゲーノには、魔法の鈴を与えて送り出します。
 ザラストロの神殿に到着したタミーノ王子。復讐の念にかられザナストロを打ち破りたいと願う彼の前に一人の高僧が現れます。その高僧は彼に対し真実は違うということを告げて去ります。後にタミーノはザラストロが邪悪な魔法使いではなく、高僧であることを知ります。ザナストロは他の高僧と共に話し合いをして彼を自分たちの仲間に加えるかどうかを話し合います。そしてタミーノは、パミーナ姫と結ばれるために、ザラストロの試練を受けることを決意します。先ず始めに沈黙の試練。決して誰とも話してはいけないという試練の最中にタミーノにであったパミーナ。パミーナ姫は、愛するタミーノ王子が、口をきいてくれないことを嘆き自殺をはかりますが、三人の童子が現れ彼の変わらぬ愛を告げられ、共に火と水の試練に挑むこととなります。
一方、恋に憧れるパパゲーノは、魔法の鈴のおかげで難を逃れ、パパゲーナと言う可愛い恋人を得ることができました。
ザラストロへの復讐に燃える夜の女王は、三人の侍女を従え、ザラストロの宮殿に乗り込もうとするが、電鳴と共に地獄に落ち、世界は平和で満たされます。

今回の動画は、夜の女王がいつまでたってもザナストロを倒さないタミーナの様子をみるのと同時にパミーナのもとにあらわれ、ザナストロの殺害を命じる場面です。夜の女王は、かつて太陽の世界の支配者だった夫がその死に際に、支配者のしるしである日輪を自分にではなくザナストロに譲ったころを納得できないでいました。
この歌劇が今尚愛され、また研究の題材として多く取り上げられるには理由があります。それは第一幕と第二幕とで、悪役が善役に、善役が悪役へと立場が入れ替わってしまうという点です。
夜の女王は、第一幕でタミーノ王子に対して非常に神秘的かつ荘厳な口調でパミーナを救うようにと歌を歌いますが、後半でザナストロの殺害を命じるときは上に上げた動画のよう。
対してどんな悪役かと思っていたザナストロも偉大で寛大な高僧です。

今回の公演は、解題として「命がけの試練を乗り越えたのは誰か?」としてモーツァルト・シンフォニック・アンサンブルなりの解釈をして表現されていました。
頭でっかちなことはさておいて、オーケストラによる音楽だけでさえ心洗われるというのに、マイクなしでのあの声量、歌唱力、どれをとってもとてもアマチュアとは考えられないものでした。

百人一首 一覧表

vzcg-512.jpg
今年の夏から私は小倉百人一首について調査研究をおこなっています。後々その研究を少し紹介できればよいとおもっていますが、先ずは百人一首の一覧表をアップしたいと思います。
ネット上を探していてもなかなかきちんとしたものがありません。特には研究に欠かせない作者名、出典歌集名、巻、部立、歌番号などです。
地道に打ったものをあげておきますのでどうぞ皆さんの研究等に役立てていただければと思います。


(001) 秋の田のかりほの庵のとまをあらみ 我がころも手は露にぬれつつ
天智天皇 後撰 巻第六 秋中 三〇二

(002) 春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山
持統天皇 新古今 巻第三 夏 一七五

(003) あしひきの山どりの尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかもねむ
柿本人麻呂 拾遺 巻第十三 恋三 七七八

(004) 田子の浦にうちいでて見れば白妙の 富士の高嶺に雪はふりつつ
山部赤人 新古今 巻第六 冬 六七五

(005) おく山に紅葉ふみわけなく鹿の 声きく時ぞ秋はかなしき
猿丸大夫 古今 巻第四 秋上 二一五

(006) かささぎのわたせる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞふけにける
中納言家持 新古今 巻第六 冬 六二〇

(007) 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
安倍仲麿 古今 巻第九 羇旅 四〇六

(008) 我が庵は都のたつみしかぞすむ 世を宇治山と人はいふなり
喜撰法師 古今 巻第十八 雑下 九八三

(009) 花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに
小野小町 古今 巻第二 春下 一一三

(010) これやこの往くもかへるも別れては 知るも知らぬも逢坂の関
蝉 丸 後撰 巻第十五 雑一 一〇八九

(011) わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人にはつげよあまのつり舟
参議 篁 古今 巻第九 羇旅 四〇七

(012) 天津風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ
僧正遍昭 古今 巻第十七 雑上 八七二

(013) つくばねの峰よりおつるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる
陽成院 後撰 第十一 恋三 七七六

(014) 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにしわれならなくに
河原左大臣 古今 巻第十四 恋四 七二四

(015) 君がため春の野に出でて若菜つむ 我が衣手に雪はふりつつ
光孝天皇 古今 巻第一 春上 二一

(016) 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとしきかば今かへり来む
中納言行平 古今 巻第八 離別 三六五

(017) 千早ぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは
在原業平朝臣 古今 巻第五 秋下 二九四

(018) 住の江の岸による波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ
藤原敏行朝臣 古今 巻第十二 恋二 五五九

(019) 難波潟みじかき芦のふしの間も あはでこの世を過ぐしてよとや
伊 勢 新古今 巻第十一 恋一 一〇四九

(020) わびぬれば今はた同じ難波なる 身をつくしても逢はむとぞ思ふ
元良親王 後撰 第十三 恋五 九六一

(021) 今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな
素性法師 古今 巻第十四 恋四 六九一

(022) 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ
文屋康秀 古今 巻第五 秋下 二四九

(023) 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
大江千里 古今 巻第四 秋上 一九三

(024) このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉のにしき神のまにまに
菅 家 古今 巻第九 羇旅 四二〇

(025) 名にしおはば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな
三条右大臣 後撰 巻第十一 恋三 七〇〇

(026) 小倉山峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ
貞信公 拾遺 巻第十七 雑秋 一一二八

(027) みかの原わきて流るる泉川  いつみきとてか恋しかるらむ
中納言兼輔 新古今 巻第十一 恋一 九九六

(028) 山里は冬ぞさびしさまさりける 人めも草もかれぬと思へば
源宗于朝臣 古今 巻第六 冬 三一五

(029) 心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花
凡河内躬恒 古今 巻第五 秋下 二七七

(030) 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかりうきものはなし
壬生忠岑 古今 巻第十三 恋三 六二五

(031) 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里にふれる白雪
坂上是則 古今 巻第六 冬 三三二

(032) 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬもみぢなりけり
春道列樹 古今 巻第五 秋下 三〇三

(033) 久かたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
紀 友則 古今 巻第二 春下 八四

(034) 誰をかも知る人にせむ高砂の 松もむかしの友ならなくに
藤原興風 古今 巻第十七 雑上 九〇九

(035) 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞむかしの香ににほひける
紀 貫之 古今 巻第一 春上 四二

(036) 夏の夜はまだよひながら明けぬるを 雲のいづこに月やどるらむ
清原深養父 古今 巻第三 夏 一六六

(037) 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
文屋朝康 後撰 巻第六 秋中 三〇八

(038) 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな
右 近 拾遺 巻第十四 恋四 八七〇

(039) 浅茅生のをののしの原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき
参議 等 後撰 巻第九 恋一 五七七

(040) しのぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで
平 兼盛 拾遺 巻第十一 恋一 六二二

(041) 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか
壬生忠見 拾遺 巻第十一 恋一 六二一

(042) 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは
清原元輔 後拾遺 巻第十四 恋四 七七〇

(043) 逢ひ見ての後の心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり
権中納言敦忠 拾遺 巻第十二 恋二 七一〇

(044) 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし
中納言朝忠 拾遺 巻第十一 恋一 六七八

(045) あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな
権徳公 拾遺 巻第十五 恋五 九五〇

(046) 由良のとをわたる舟人かぢをたえ 行く方も知らぬ恋の道かな
曽禰好忠 新古今 巻第十一 恋一 一〇七一

(047) 八重むぐらしげれる宿のさびしきに 人こそ見えね秋はきにけり
恵慶法師 拾遺 巻第三 秋 一四〇

(048) 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ 砕けてものを思ふころかな
源 重之 詞花 巻第七 恋上 二一一

(049) 御垣守衛士のたく火の夜はもえ 昼は消えつつものをこそ思へ
大中臣能宣朝臣 詞花 巻第七 恋上 二二五

(050) 君がため惜しからざりし命さへ ながくもがなと思ひけるかな
藤原義孝 後拾遺 巻第十二 恋二 六六九

(051) かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを
藤原実方朝臣 後拾遺 巻第十一 恋一 六一二

(052) 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしきあさぼらけかな
藤原道信朝臣 後拾遺 巻第十二 恋二 六七二

(053) 歎きつつひとりぬる夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
右大将道綱母 拾遺 巻第十四 恋四 九一二

(054) 忘れじの行末までは難ければ 今日をかぎりの命ともがな
儀同三司母 新古今 巻第十三 恋三 一一四九

(055) 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞えけれ
大納言公任 拾遺 巻第八 雑上 四四九

(056) あらざらむこの世のほかの思ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな
和泉式部 後拾遺 巻第十三 恋三 七六三

(057) 巡りあひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな
紫式部 新古今 巻第十六 恋六 一四九九

(058) 有馬山猪名のささ原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
大弐三位 後拾遺 巻第十二 恋二 七〇九

(059) やすらはで寝なましものを小夜更けて 傾くまでの月を見しかな
赤染衛門 後拾遺 巻第十二 恋二 六八〇

(060) 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立
小式部内侍 金葉 巻第九 雑上 五五〇

(061) いにしへの奈良の都の八重桜 今日九重に匂ひぬるかな
伊勢大輔 詞花 巻第一 春 二九

(062) 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ
清少納言 後拾遺 巻第十六 雑二 九三九

(063) 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで言ふよしもがな
左京大夫道雅 後拾遺 巻第十三 恋三 七五〇

(064) 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木
権中納言定頼 千載 巻第六 冬 四一九

(065) 恨みわびほさぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
相 模 後拾遺 巻第十四 恋四 八一五

(066) もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし
前大僧正行尊 金葉 巻第九 雑上 五一二

(067) 春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそ惜しけれ
周防内侍 千載 巻第十六 雑上 九六四

(068) 心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな
三条院 後拾遺 巻第十五 雑一 八六〇

(069) あらし吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川のにしきなりけり
能因法師 後拾遺 第五 秋下 三六六

(070) 寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづこもおなじ秋の夕暮
良暹法師 後拾遺 巻第四 秋上 三三三

(071) 夕されば門田の稲葉おとづれて 芦のまろやに秋風ぞ吹く
大納言経信 金葉 巻第三 秋 一八三

(072) 音にきく高師の浜のあだ波は かけじや袖の濡れもこそすれ
祐子内親王家紀伊 金葉 巻第八 恋下 四六九

(073) 高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山の霞たたずもあらなむ
権中納言匡房 後拾遺 巻第一 春上 一二〇

(074) うかりける人を初瀬の山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを
源俊頼朝臣 千載 巻第十二 恋二 七〇八

(075) 契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋も去ぬめり
藤原基俊 千載 第十六 雑上 一〇二六

(076) わたの原漕ぎ出でて見れば久かたの 雲ゐにまがふ沖つ白波
法性寺入道前関白太政大臣 詞花 巻第十 雑下 三八二

(077) 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ
崇徳院 詞花 巻第七 恋上 二二九

(078) 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に 幾夜ねざめぬ須磨の関守
源兼昌 金葉 巻第四 冬 二七〇

(079) 秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出づる月の影のさやけさ
左京大夫顕輔 新古今 巻第四 秋上 四一三

(080) ながからむ心も知らず黒髪の 乱れて今朝はものをこそ思へ
待賢門院堀川 千載 巻第十三 恋三 八〇二

(081) ほととぎす鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞのこれる
後徳大寺左大臣 千載 巻第三 夏 一六一

(082) 思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり
道因法師 千載 巻第十三 恋三 八一八

(083) 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
皇太后宮大夫俊成 千載 巻第十七 雑中 一一五一

(084) ながらへばまたこの頃やしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき
藤原清輔朝臣 新古今 巻第十八 雑下 一八四三

(085) 夜もすがらもの思ふ頃は明けやらで ねやのひまさへつれなかりけり
俊恵法師 千載 巻第十二 恋二 七六六

(086) なげけとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな
西行法師 千載 巻第十五 恋五 九二九

(087) むらさめの露もまだひぬまきの葉に 霧立のぼる秋の夕暮
寂蓮法師 新古今 巻第五 秋下 四九一

(088) 難波江の芦のかりねの一夜ゆゑ 身をつくしてや恋ひわたるべき
皇嘉門院別当 千載 巻第十三 恋三 八〇七

(089) 玉の緒よ絶なば絶えねながらへば 忍ぶることのよわりもぞする
式子内親王 新古今 巻第十一 恋一 一〇三四

(090) 見せばやな雄島のあまの袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変らず
殷富門院大輔 千載 巻第十四 恋四 八八六

(091) きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む
後京極摂政前太政大臣 新古今 巻第五 秋下 五一八

(092) わが袖は潮干にみえぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間もなし
二条院讃岐 千載 巻第十二 恋二 七六〇

(093) 世の中は常にもがもな渚こぐ あまの小舟の綱手かなしも
鎌倉右大臣 新勅撰 巻第八 羇旅 五二五

(094) みよし野の山の秋風小夜ふけて ふるさと寒く衣うつなり
参議雅経 新古今 巻第五 秋下 四八三

(095) おほけなくうき世の民におほふかな わが立つ杣に墨染の袖
前大僧正慈円 千載 巻第十七 雑中 一一三七

(096) 花さそふあらしの庭の雪ならで ふりゆくものは我が身なりけり
入道前太政大臣 新勅撰 巻第十六 雑一 一〇五二

(097) 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
権中納言定家 新勅撰 巻第十三 恋三 八四九

(098) 風そよぐならの小川の夕暮は みそぎぞ夏のしるしなりける
従二位家隆 新勅撰 巻第三 夏 一九二

(099) 人も惜し人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は
後鳥羽院 続後撰 巻第十七 雑中 一二〇二

(100) 百敷や古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり
順徳院 続後撰 巻第十八 雑下  一二〇五

駒澤大学管弦楽団 第34回 定期演奏会 2011年感想とレビュー

RIMG0501_convert_20111119213731.jpg
今日は雨も激しく風まで吹いてきてすばらしい相乗効果でしたね。おかげさまでスニーカーが明日履けなくなりました。
天気こそ雨ですが、私は心の洗濯をしてきてしまいました。今回は管弦楽団の感想です。
友人の友人が楽団員でチケットがあまっているということで、なんと無料で入場することができました。やはり人の輪は広く持つものですね。まあ買ったとしても300円なのですが。
曲目は
シューベルト「ロザムンデ序曲」
ドリーヴ「コッペリア組曲」
チャイコフスキー「交響曲第5番」
アンコールとして「くるみ割り人形」

特筆すべきはチャイコフスキーの交響曲第5番ですね。四十分以上あったのではいでしょうか。ともかく迫力がありましたね。席は自由席でしかも昭和女子大学の記念講堂ですからかなり広い。それに対して人間はかなり少ないという状態でしたので、これはラッキーと思いど真ん中前列。
こんな良い席でオーケストラを楽しんだのは初めてではないでしょうか。
交響曲第5番は四楽章からなる大作。音楽をやっている人には結構有名ではないでしょうか。明暗をはっきり分けて何度も繰り返される第一楽章「運命の動機」。ホルンとクラリネットの静かな旋律から次第に激しくなっていく第二楽章。なんだか取り留めの無い不安な気持ちをさそうような第三楽章。そしてフィナーレは第一楽章の「運命の動機」を弦楽器、金管楽器で盛大に飾る第四楽章。
これに至ってはアマということを感じさせないようなすばらしい演奏でした。音楽が体中の水分を震わせるような気持ちよさ、心までしみこんでくる豊かなメロディー、これで300円でいいのかしらという具合。
ただ、やはりアマはアマ。残念だったのがミスが目立ったこと。特に一曲目のシューベルト「ロザムンデ序曲」は一年生も多かったせいか不協和音だらけ。これはちょっとまずかったです。
まあ全体としては満足しました。次回も行きたいと思います。

『グーグーだって猫である』 映画 感想とレビュー いのちについて教えられること

小泉今日子/細野晴臣
「グッド グッド good good」



先日、アラブ首長国連邦での友人のお兄さんが亡くなられました。
医療ミスにより一年以上植物人間の状態だったそうです。
まだまだ未来ある若者の死に私も動揺を隠せません。
他にも私の世界が広くなったからかどうかわかりませんが、生と死について考えさせられることが多くなりました。

今回は生と死について多く共感をもてた感動の映画『グーグーだって猫である』を紹介します。
もともとは大島弓子さんという有名漫画家の漫画です。
私が見たのはこの間放送されていた映画版です。
小泉今日子演じる小島麻子という女性漫画家が主人公。上野樹里演じるナオミ、加瀬亮演じる沢村青自、その他森三中など個性なキャラクターがわんさか出てくるコメディー映画。

正直なことを言いますとね、私上野樹里さんが好きなんですよ。彼女ってとっても魅力的ではないですか。個性的で感情、表現豊か、それでいてどこか利口で器用。彼女は歌も歌うし演技もするし芸術もするとなんでもあり。特にのだめは最高でしたね。まさしくのだめそのものでした。ただ江はどうかといわれるとちょっとむむむという感じ。それは仕方ない、大河はまだ早すぎたのかもしれません。霧が無いのでこのくらいでやめます。

この映画何が面白いって、撮影場所が家の近所なのですよ。めちゃくちゃ地元ネタ満載ですよ。梅津和夫とかちょこちょこでてきて「グワシ」って消えてったり。とにかく私にとっては地元でもありファンでもありでとても親近感が湧く特別な映画なのです。
それにしても森三中が面白い。小島麻子のアシスタント役として出てくるのですがこの三人の会話がとても面白い。さらにのだめをもっとひどくしたような上野樹里が絡んできてとんでもないことに。

映画は小島麻子の飼い猫の死から始まります。これで仕事が手に付かなくなった小島麻子は、しばらく作品を作ることが出来なくなります。
だけれどもどうしても猫を忘れられない彼女は新しくアメリカンショートヘアのグーグーという猫を飼います。ここから彼女の復活へと一旦話が明るくなります。ただその後の台詞にもあるように、どうしても死の概念から抜け出せない。あるいは死の影を自身の作品の中で追い続けていたのです。
ある日突然倒れる小島麻子。なんと子宮頸癌だったことがわかります。難しい手術ゆえにみなが絶望の淵に立たされます。そしていよいよ手術、何とか手術は成功。しかし薬の副作用もありしばらくは相当な欝状態に陥ってしまいます。
そんななか夢で見たものは死神。その死神があなたが今最も会いたい人を呼んできていますといって紹介された先には、若くしてなくなった愛猫のサバが人間になって夜の薄暗いカフェでポツンと。
サバとの会話によって次第に生気を取り戻していく小島麻子。またナオミと沢村青自の恋の行方も気になります。一見上手くいっていたかのように思えた二人。しかし沢村は女子高校生との浮気をしてそれをたまたまナオミは発見してしまいます。
最後には回復する小島と共に、ナオミもまた沢村から離れ一人で旅に出ます。

人間の生と死のイメージを両立させて描かれた至極の映画です。そのイメージとさらに両立しているのが小さな笑い。
人生はこんなにも暗く苦しいものだけれども、小さな幸せがあるじゃないか。
また、闇の中からの回復、昇華といった美しい人間の生をこれでもかというまでに私たちの心に伝えてくれます。それはグーグー然りサバ然り小島麻子でもあるわけです。
とても大切な人と見ることをお勧めします

ゴヤ展  感想とレビュー 女性性とはなにか 彼が見た世界

いやー長らく自分の作品で忙しかったのでなかなかいけなかった美術館めぐり。今日は有名人にもあえたし(意外とミーハーな文化人でした)、なんかいいことが沢山。
皆さんも一度は見たことがある「着衣のマハ」。これがなんと日本に40年ぶりに来ているということで圧巻でしたよ。
ゴヤ展、彼の生きた時代はみな油絵と版画をやるのが常なんですね。なので今回も作品の半分以上は版画でした。
ただやはり眼を見張るのは「着衣のマハ」。この作品よく引き合いに出されるのが「裸のマハ」という作品で、それはそれは大変な研究がずっとなされてきたのでここではちょっとしか紹介できませんが、なるほど非常に面白い。
私の感想は、これこそまさに妖艶ということばそのものだと思いました。化粧をしてこちらを不敵な笑みで見つめるその眼は男性の心をわしづかみにして離しません。友人と一緒に行ったのですが、私ともどもなかなか離れることができませんでしたね。
それともう一つ感じられるのは、真っ裸なマハよりもこうして透けてみえそうな白い布を着ているほうが実は逆にエロチックなのではないかということですね。そういうことってありますよね。みえそうでみえない方が興奮するみたいなの。まあそんなのと同じかもしれませんが。
ゴヤは作品を多く残してくれたため、今回の展示はかなり規模が大きいものなのにも関わらず、全て彼の作品であったということが驚きです。
副題として「光と影」とありますが、それは彼が単に版画をやったからというだけに留まりません。ゴヤは1746-1828を生きていますので世界史を勉強したことがある方はお分かりいただけるでしょう。スペイン独立戦争のまっただなかを生き抜いた人物なのです。
我々は想像だもつきませんが、やはり戦争を経験した人間はずっと深いものをもっている感じがします。日本の老人も然りです。そんなゴヤが戦争を経験してみてしまった惨劇、これは後に版画の作品集としても出されますがとにかく悲惨なのです。その数点が今回の展示会でも見ることが出来ます。
また40代での聴力を失ったことも彼の大きな出来事の一つだと思います。
様々な苦難を乗り越え、それでもなお気さくで小粋、あるいはちょっと偏屈だったゴヤの生涯を通してみられるようなすばらしい展示になっていますので、皆様もこの機会逃してはなりませんぞ。来年の1月29日までだそうです。
b6273986.jpg

http://www.salvastyle.com/menu_romantic/goya_majab.htmlからの引文
着衣のマハ
「近代絵画の創始者フランシスコ・デ・ゴヤが手がけた数多くの作品の中でも最も有名な作品のひとつ『着衣のマハ』。本作は画家が≪マハ≫(※マハとは特定の人物を示す固有の氏名ではなくスペイン語で<小粋な女>を意味する単語)を描いた作品で、『裸のマハ』を制作した翌年以降(1800-1803年頃?)に手がけられたと推測されている。本作と『裸のマハ』は画家の重要なパトロンのひとりで、権力を手にしてから皇太子や民衆を始め様々な方面から非難を浴びせられた宰相ゴドイが所有しており、その為、一般的にはこの2作品は宰相ゴドイが制作を依頼したものだとする説が採用されている。『裸のマハ』と同様の姿勢・構図で描かれる本作であるが、『裸のマハ』との最も顕著な差異は、マハは当時スペイン国内の貴婦人が愛用し流行していた異国情緒に溢れたトルコ風の衣服に身を包み、化粧も整えている点である。これらの描写はゴヤ特有のやや大ぶりな筆触によって繊細ながら表情豊かに表現されているほか、色彩においても黒色、金色、緑色、紅色、茶色、白色などを用いた独特の配色によってトルコ風の衣服の雰囲気や質感を見事に表現している。本作のモデルについては古くからアルバ公爵夫人マリア・デル・ピラール・カイェタナとする説が唱えられているが、画家が残したアルバ公爵夫人の素描や肖像画の顔と比較し、あまりに異なる点があるため否定的な意見を述べる研究者も少なくなく、現在では宰相ゴドイの愛人ペピータとする説なども有力視されている。なお本作と『裸のマハ』は宰相ゴドイの手からカサ・アルマセン・デ・クリスターレス、王立サン・フェルナンド美術アカデミーを経てマドリッドのプラド美術館へと移された。」

裸のマハ
「近代絵画の創始者フランシスコ・デ・ゴヤ屈指の代表作『裸のマハ』。本作は画家が≪マハ≫(※マハとは特定の人物を示す固有の氏名ではなくスペイン語で<小粋な女>を意味する単語)を描いた作品で、バロック絵画の巨匠ディエゴ・ベラスケスの『鏡のヴィーナス』と共に厳格なカトリック国家で、神話画を含む如何なる作品であれ裸体表現に極めて厳しかったフェリペ4世統治下のスペインにおいて制作された非常に希少な裸婦像作品であるが、ゴヤは本作を描いた為に、制作から15年近く経過した1815年に異端審問所に召還されている。本作のモデルについては古くから論争が絶えず、諸説唱えられているが、現在ではゴヤと深い関係にあったとも推測されるアルバ公爵夫人マリア・デル・ピラール・カイェタナとする説(画家自身が異端審問所に召還された際に証言したため)、画家の重要なパトロンのひとり宰相ゴドイの愛人ペピータとする説(作品制作の依頼主と推測されるため)、ゴヤの友人で神父バビが寵愛していた女性とする説(ゴヤの孫マリアーノが証言しているため)などが有力視されている。本作において最も注目すべき点は、その類稀な官能性にある。ベラスケスの『鏡のヴィーナス』が理想化された裸体表現の美とするならば、本作は自然主義的な観点による豊潤で濃密な裸婦表現の美と位置付けられ、特に横たわるマハの丸みを帯びた女性的肉体の曲線美や、単純ながら心地よい緩やかなリズムを刻む画面(の対角線上)への配置などはゴヤの洗練された美への探究心と創造力を感じさせる。また挑発的に観る者と視線を交わらせる独特の表情や、赤みを帯びた頬、そして計算された光源によって柔らかく輝きを帯びた肢体の描写などは、本作がスペイン絵画屈指の裸婦作品としての存在感を十二分に示す最も顕著な要因のひとつである。」

上野駅から

本日は、ゴヤ展を見に行ってきました。
それでもって上野についたわけですがなんとびっくり、福島並びに東北を応援するイベントをやっていまして、
津川雅彦さんをはじめ
黒柳徹子さん
奥田瑛二さん
西田敏行さん
西岡徳馬さん
本田博太郎さん
笹野高史さん
村田雄浩さん
相島一之さん
田中章さん
という豪華絢爛なメンバーが一同に集まり福島産新米、リンゴ、野菜、果物等のPRをしていたというわけです。
ステージでのイベント後は諸々に散らばって販売を実際におこなっていました。
津川さんが予想以上にもじゃもじゃになっていたのに驚きましたが、非常にやさしい方で熱心に応援をしていました。途中あるお客さんが津川さんにこれをといって折鶴を渡していました。それをありがとうと答える津川さんにはとても形容しがたい包容力がありました。

RIMG0487_convert_20111117003239.jpg

黒柳さんはテレビで見るよりもずっとお茶目でかわいらしい方でした。いや本当にかわいくてびっくりしましたね。あの頭の中にあれだけの知識教養、並びに飴玉まで入っていると考えるとなんとも驚愕しますね。
RIMG0477_convert_20111117003402.jpg

RIMG0481_convert_20111117003327.jpg

RIMG0460_convert_20111117003450.jpg

My Favorite Things - Julie Andrews 私のお気に入り サウンドオブミュージックから なつかしのナンバーを


さて、今回私が紹介致します音楽は「そうだ京都にいこう」でおなじみMy Favorite Things です。
若い人にはわからないかも知れませんが、これは不朽の名作映画『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)の中で歌われた楽曲で、それから有名になりました。
『サウンド・オブ・ミュージック』は父が大好きで、オーストリアのザルツブルクへ旅行に行ったときには映画でしようされた場所をめぐっていました。いずれその記事も書きたいと思います。
映画の中では嵐が近づいて怖がる子供たちを相手に、マリアがそんなときは自分のお気に入りを思い出すといいわよと歌ってくれます。リチャード・ロジャースによるとても精緻で美しい詩、韻を踏んだ軽やかなリズムには心弾みますね。

詩:Richard Rodgers (リチャード・ロジャース)
曲:Oscar Hammerstein II(オスカー・ハマースタイン2世)
Raindrops on roses and whiskers on kittens;
Bright copper kettles and warm woolen mittens;
Brown paper packages tied up with strings;
These are a few of my favorite things.

Cream-colored ponies and crisp apple strudels;
Doorbells and sleigh bells and schnitzel with noodles;
Wild geese that fly with the moon on their wings;
These are a few of my favorite things.

Girls in white dresses with blue satin sashes;
Snowflakes that stay on my nose and eyelashes;
Silver-white winters that melt into springs;
These are a few of my favorite things.

When the dog bites,
When the bee stings,
When I'm feeling sad,
I simply remember my favorite things,
And then I don't feel so bad.

バラにかかった雨のしずくと子猫ちゃんのひげ。

ピカピカの銅のやかんに、ほかほかの毛糸の手袋。
ひもで結んだ茶色の小包、これが私のお気に入り。

クリーム色の子馬とサクサクのりんごパイ
玄関の呼び鈴とそりの鈴
そしてヌードル添えの仔牛のカツレツ

翼に月の光をうけて飛ぶガンの群れ
これが私のお気に入り

青いサテンのリボンをつけた白いドレスの女の子
鼻とまゆげに積もる雪のひとひら
春に解けてゆく冬の銀世界
これが私のお気に入り

犬がガブリ。蜂がチクリ。悲しい時、
私はひたすらに
お気に入りを思い出す。・・・するともう、大丈夫なの

コスモス2  アクリル絵画 連作

立体の大作が終わり、金銭、心身共に消耗しつくしてしまいました(消耗、の正しい読みはしょうこうです。しょうもうと読まれ始めたのは明治あたりから。単純に誤用が広まり定着してしまったらしいです)。
今は本を読んだり、画を描いたりして静に生活しています。
性懲りもなく、というか悦に入ったのでまた宇宙の絵を描いてしまいました。
この絵は前回かいたコスモスの対になればと思って描きました。
写真をやると出てくるアイデアですが、あと二枚ほど描いて合計で4つからなる連作(複数の作品で一つの作品とする)にしてみようかなとも思います。
8号、キャンバス、アクリル絵の具
RIMG0437_convert_20111115201343.jpg

感想などどうぞ。明日はゴヤ展に行ってきます。

私のお気に入り 文房具編

文房具って本当に美しいと思いませんか?いや、もちろんなかには美しくないものが沢山ありますよ。しかし、機能と共に外見をも重視する思考、これがなんともいえませんね。
今回は私が魅了された文房具などを少し紹介しましょう。
金の受け皿はお会計のときに使うものですかね。綺麗だったので買ってしまいました。
万年筆はウォーターマークから。買えば何万もするでしょう。深い緑と金、最高の色の組み合わせでしょ。
レターナイフはずっと欲しかったのを先日買いました。現品限りだったのですが安くはしてもらえませんでしたね。もち手の部分の模様が魅力的でしょ。
懐中時計は古典的なものを。これはいつも持ち歩いて使用しているものなのです。アナログにはアナログのよさがありますね。
RIMG0436_convert_20111115201320.jpg

あらし シェイクスピア 感想とレビュー 

624328.jpg
私が読んでいるのは新潮文庫版ですので、夏の夜の夢はあらしと共に収録されています。
あらし、今度は場所変わり無人島。十数年前、弟の策略により失脚したミラノ公、プロスペローは海に流され、まだ乳飲み子だった娘ミランダと共に無人島に漂流します。
プロスペローはこの無人島で十数年修行をし、森羅万象を操る強力な魔力を手に入れます。そして空気中に住む妖精エーリアルをはじめとする様々な妖精をも手名づけます。
ある日、かつての自分を策略で陥れた弟アントーニオと共謀を計ったナポリ王アロンゾー、その弟セバスチャンが乗った舟が近海を通ります。ここぞと待ち呆けたプロスペロー、復讐をすべく妖精たちを巧みに操り船を難破(実は舟は無事で隠しておく)、王や弟を海に放り投げ無人島へ誘います。
様々な魔法によってちりちりばらばらにした王や、弟を苦しめるプロスペロー。しかしその復讐は和解への復讐。決して命は取らずに上手いことばらばらになったものたちを自分のいる岩場へと誘います。
そんななか娘ミランダは、ナポリ王の息子ファーディナンドと恋に落ちます。プロスペローは試練を貸しその愛を真と見極め、二人の婚約を認めます。
最後には全員が集まり、いよいよプロスペローとの和解となるわけです。

この作品、シェイクスピアの最後の作品となるわけで、やはり最高傑作との評価が未だ止みません。
私自身、100ページほどの短編にもかかわらず、これだけ深い作品であることに感銘を受けました。この作品喜劇、浪漫劇、あるいは夢幻劇といわれるものですが、確かに珍しい。結局和解をしたとしても弟のアントーニオやセバスチャン、キャリバンという怪物の心は改心してません。最後まで毒付いています。
劇の最後ではプロスペローが一人出てきて、このときには魔力を自ら失った後の生身の人間としてですが、生身の人間として観客に対し自分への魔法を解いてほしいと願います。つまり私たち観客がプロスペロー含めこの作品を作りなしていた魔法をかけていたというのです。
魔法という超自然を描きながらも、やはり人間界のごたごたに対応していくプロスペロー。あふれ出すヒューマニティーへの鋭い視点。しかし、どんなに魔力を身に付けても、改心させることのできないものもいた。ここに著者自身、シャイクスピアが最後に何を見て、何を伝えたかったのか、その真髄が隠されていると感じるわけです。
これまで、「ヴェニスの商人」「マクベス」「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「ジュリアスシーザー」「オセロー」「お気に召すまま」「リア王」等々様々なシェイクスピア作品を読んできました。その最後としてこのあらしを読むとなんとも形容しがたい感慨があります。
かつての日本の歌集、例えば新古今和歌集は歌をもって季節を表しました。そしてその歌を集めることによって、つまり歌集全体で一年の流れをも作り出しました。
シェイクスピアの作品も同じで、喜劇があり、悲劇があり、そして最後にまた喜劇に戻るというおおきな流れ、つまり作品全てを通して得られる全体の流れがあるのです。つまりこれが人生なのだとも感じます。壮大でした。

夏の夜の夢 シェイクスピア  感想とレビュー 夢だけど夢じゃなかった

624328.jpg
先達て私の友人で主に演劇のほうに広い人がいるのですが、その友人が主演を務めた「ネームズ」という劇がなかなか面白かった。しかし、私は結構満足していたものの後日その友人と話をしてみると 、酷い出来だったとか。
演じる自分たちも自分たちだが、脚本もまたむちゃくちゃだったそう。なるほど向上心の強い方にとってはあのレベルでもまだ足りないかと感じました。その友人今度はシェイクスピアの夏の夜の夢をやるというので、ここのところシェイクスピアを愛読していたのでいい機会だと思い読んでみました。

舞台はアテネ、シーシアス王とヒポリタという女性が結婚を控えるところから劇は始まります。そこに家来でもあるイジアス老人がやってきてぶつぶつ。
なんでもこのイジアスの娘、ハーミアは婚約者であるデメトリアスとの恋を破棄し、ライサンダーという男を愛してしまったのです。それを父イジアスと婚約者デメトリアスが王に何とかしてくれと相談する。
ここにもう一人、ハーミアの友人のヘレナという女性。これはデメトリアスに恋をしているのです。だんだんややこしくなってきましたね。
なんだか人間関係がごちゃごちゃしているということで、ライサンダーとハーミアは二人駆け落ちをします。森の向こうの親戚の家に逃れようという算段です。ところがこの二人、妖精の支配する森の中で迷子になってしまいます。そしてハーミアを追いかけてきたデメトリアス、さらにそれを追いかけたヘレナ。この四人が森の中に入ります。
一方森の中、妖精の王オーベロンと王妃タイターニアはある人間の美しい少女を巡って夫婦喧嘩の最中。そんななか、恋が一方通行になっているヘレナとデメトリアスを見つけ、デメトリアスに恋の魔法をかけてヘレナを愛させれば万事片が付くと考え、部下のパックというあわてんぼの妖精に仕事を任せます。
ところがどっこいこのパック、魔法をかける相手を間違えてしまいます。惚れ薬を疲れ果てて寝ていたライサンダーにかけてしまいます。この魔法、起きて初めて見た相手に恋をしてしまうという薬で、運の悪いことに寝ている二人のもとに迷ってきたヘレナが姿を現します。
起きたライサンダー、ヘレナに恋し、ハーミア→ライサンダー→ヘレナ→デメトリアス→ハーミアという全てが一方通行の恋になってしまいます。
さてここから一体どう展開するのか、後は皆さんが本を読んで楽しんだほうがよろしいでしょう。

この作品は四大悲劇以前の作品の中で最もすばらしいとされる喜劇、あるいは浪漫劇です。その世界観は超自然と人間界が上手く折り重なり出来上がった舞台で、どこまでが我々の世界でどこからが違う世界か、などと読んでいる私たちを楽しませてくれます。
ここでは人間の心情が恋によって様々、劇的に描かれています。そこからは恋人のために父に反抗する少女の姿があったり、あるいは妖精の王と王妃が痴話喧嘩をしているという面白みもあります。それにしてもこの妖精の王と王妃は随分人間くさいですね。
しかし、結局は万事上手く収まりめでたしめでたしとなるのです。
舞台の最後では宴が終わり静になった後、あわてんぼのパックが出てきて観客の皆様に対し、もしこの劇がおきに召さないようならば、ちょっとした夏の夜の夢であると思ってほしい旨を伝えます。
一体どこまでが現実で、どこからが夢なのか。
夢から覚めても、まだ夢のような、そんな不思議な感覚におそわれる非常に読者、観客の心をひきつける作品となっています。
シェイクスピア文学の研究では、この喜劇の後にどうして四大悲劇がかかれるようになったのかということで何冊も本が出るようですが、それは専門家に任せるとして、ここは一先ずあの暑かった夏の夜へ戻ってみませんか。

「旅」展、頂上対決

今回の美術部の展示は先輩があまり大作を出展しなかったこともあり、若い人間にも光が届く展示会となりました。
私は図らずも都市対決となったりとついていない年だったかも知れません。
ただ、半年をかけた大作ここでまけるわけには行きません。
アンケートの質問に最もすばらしかった作品の名前を挙げてくださいというものがあり、票は私の「幽玄の都」と、同期の友人の作品「わだつみの城」に絞られました。
中途までほぼ同じ票を獲得していた両者でしたが、終にはわだつみの城への票が勝り、私はコンペティションに敗北を喫しました。

敵ながら天晴れ。今回は彼に負けてしまいましたが、何が悪い、何が良い、等に縛られずこれからもお互い切磋琢磨しより向上、前回よりも良い作品をという意気込みで頑張りたいと思います。
わだつみは感じで書くと海神。竜神とも書く例もあります。
霊験あらたかな神の力、ならば次回は私も神の力を借りてみようぞ。

友人の作品、「わだつみの城」
RIMG0279_convert_20111109000424.jpg
私の作品、「幽玄の都」
RIMG0410_convert_20111109000455.jpg

「旅」展  展覧会の模様 駒沢大学オータムフェスティバル

この間発表した「幽玄の都」、これの初期の目標は実はこのオータムフェスティバルに出すための作品だったわけであります。
今回はそのオータムフェスティバルから私の所属している美術部の展示会を紹介したいと思います。
今回の美術部の展示会は「旅」がテーマ。
RIMG0411_convert_20111109000252.jpg

こちらは切り絵の得意な方の作品。特にエッフェル塔の細部は圧巻。
RIMG0281_convert_20111109000357.jpg

渋谷と新宿の町を合体理想化したもの。全てが紙で出来ており、そこが私の作品と大きく違う点。ただ置いているだけなので毎回完成が違うようになり、そこに面白さがある。図らずも都市対決となってしまった。
RIMG0331_convert_20111109000520.jpg

小さなお菓子作りが得意な先輩の作品。大きさを比較するものがあるとよいのだが、とても小さい。
RIMG0399_convert_20111109000608.jpg

立体を作る先輩の作品。恐ろしい外見と、チャーミングな面を上手く組み合わせている。とてもロマンチックな作品。
RIMG0407_convert_20111109000542.jpg

フィナーレは「アルジャーノンに花束を」。水彩画、とても美しく評価の高かった作品。まるで宝石を散りばめたような色彩の美しさに、思わず師事したくなった。
RIMG0285_convert_20111109000331.jpg

東京ラーメンショー

先達ては東京ラーメンショーなるものが駒沢公園で行われていたので、ちょっこら見学してきました。
しかし、なんたる人の数や。人々が押し合い圧し合いの大乱闘。
押しなべて、人。敷きなべて、人。という状態。さすがのムスカ大佐も人がごみのように感じられたに違いありません。

なんでも800円のチケットを買って、さらにそれをもってまた各々のラーメン屋台の行列に並ばなければならないとか。
チケットにも並び、さらにまた並ぶ。しかも一杯800円。なんだか歩が合わないような気がしたので、私は見学するだけにしておきました。
私が行った時間帯も悪かったのかも知れません。ただ、そんなに並ばなくて済んだという友人も、まあまあという評価。地元のおいしいラーメンやに行ったほうが早いかもしれませんね。
RIMG0308_convert_20111108234638.jpg

これは今CMが流れているハイブリッドの麺だとか。そのイベントが行われている様子です。ダンスはすごかったですよ。
RIMG0324_convert_20111108234701.jpg

秋の写真 駒沢公園にて 自然を身体で感じる

気が付けば霜月。熱い熱いといっていた夏がついさっきまで続いていたと思っていたらもう既に冬に入ろうとしているではありませんか。
今回は秋も真っ盛り、いよいよ冬かということで、次第に紅葉が深まる木々を駒沢公園からお届けします。
RIMG0291_convert_20111108233646.jpg

RIMG0299_convert_20111108233717.jpg

愛よその日まで  布施明とささきいさお 名歌手聞きくらべ

今回もいつもながら時代を超越した曲の紹介を。
これも30年前の曲ですから私生まれてませんね。
この「愛よその日まで」、皆さんご存知「宇宙戦艦ヤマト」の劇場版オリジナル作品「ヤマトよ永遠に」の挿入歌なんです。
物語の終盤に、古代と雪が英雄の丘で再会する場面で流れてくる。こんなにも感動を喚起させるものはない。
歌うのは私が大好きな布施明さん。なんとこの曲は彼が作曲もしているのです。
しかし彼はなんといっても「愛」が似合う男。穏やかな始まりから次第に情熱的な歌に変わってくる。最後は見事にヤマトのもつ愛について、「あなたは誰かを愛してますか」と問いかけながら終わっていく、本当にすばらしい曲だと思います。
なにせ今聞いたってすばらしいのですからね。
今回は映画で使われた布施明バージョンと、ヤマトといえばささきいさお、彼のバージョンと両方をお聞きください。またここに両人の良さの違いが現れてきて聞き応えがあるのです。





歌:布施 明
作詞:阿久 悠 作曲:布施 明 編曲:宮川 泰

もしも今から百年が過ぎ
ぼくらによく似た子供たちが
微笑みと歌とを忘れない時
人はみな愛せるかもしれない
その頃には緑が地にしたたり
やわらかな陽ざしが花を咲かせる
その日まで その日まで その日まで
愛よ 枯れるな 傷つくな

もしも今から百年が過ぎ
ぼくらが夢みた時になれば
美しい裸に何もまとわず
人はみな愛せるかもしれない
その頃にはきらめく星が戻り
心にはやさしい歌が芽ばえる
その日まで その日まで その日まで
愛よ しぼむな こわれるな

あなたは誰かを愛してますか
それは近くにいる人ですか

あなたは誰かを愛してますか
それは近くにいる人ですか

幽玄の都 続記

世界の車窓から、今回は町に入ってその風景を楽しみたいと思います。

こちらはフランス、パリからエッフェル塔
RIMG0265_convert_20111104231349.jpg

アラブ首長国連邦はドバイ、ブルジュ・ハリーファを
RIMG0267_convert_20111104231422.jpg

RIMG0268_convert_20111104231512.jpg
RIMG0262_convert_20111104231301.jpg
RIMG0261_convert_20111104231238.jpg
RIMG0260_convert_20111104231217.jpg

幽玄の都

大変長らくお待たせ致しました。今までやるやるといってきてなかなか出来なかった。これではどっかの答弁で「やるやるといっていてやらない。やるやる詐欺ではないですか」と野次が飛んできそうですが、「私は自分のことを客観的に見ることが出来るのです。あなたとは違うのです」ということで、やっと作品が出来上がりました。
あまりの嬉しさ、感動に表示するのに時間がかかるのを承知でたくさん写真を貼りますので、観ていってください。そして感想などどうぞ。「まあ。賛否両論あると思いますが」「もうノーサイドで行きましょう」

簡単に言うと私、この半年間ずっとちまちまだらだら町を作っていました。最初の完成像とは大分違った形にはなったものの、一応完成と言う事でここでピリオドを打ちました。
大きさは1×1,5メートル。材料は木と粘土など。
考えるのが恐ろしいので詳しくはわかりませんが、もしかしたら制作費が10万を超えている可能性が・・・

5日6日と駒澤大学8号館1階8-152にて展示しています。私と知人で暇だよという方はどうぞ来てください。

今回は全体像を中心に見ていきます。

RIMG0259_convert_20111104231147.jpg
後ろ
RIMG0272_convert_20111105000203.jpg

RIMG0275_convert_20111105000224.jpg
全体像
RIMG0205_convert_20111104231121.jpg

2011 ヘボン祭 様々な出し物の様子   

11月3日に私の母校である明治学院東村山に行ってきました。
私自身作品を大学に搬入した足で行ったので、昨日は本当に疲れました。
しかし、やはり原点回帰というか、母校に帰ってみるということはいいものですね。中にいたときは外に出たい。はやく卒業したいと感じていたものが懐かしくなる。
私は偏屈ですので、同い年の連中よりかはやはり先生たちと話しているほうが随分楽しい。先日は高校時代にお世話になった先生方と心行くまでお話ができて非常に嬉しかったです。
一旦生徒と教師という関係、枠組みから抜けてしまうともう大分自由になる。そんなに気をおかずに楽しく対話ができることがとても喜ばしい。腹を割って「私たちは教師の眼から見たらどんなだったか」なども話を聞くと興味深いことがたくさん。
私も国語教師志望なのでやはり国語の先生からは貴重なお話がたくさん聞けませした。
今回はそんな楽しい文化祭の様子をちらりとお見せしましょう。

科学の先生。ケーナ奏者でもあり、喫茶店まで経営するという多趣味で素敵なおじ様。私に随分よくしてくれました。
RIMG0229_convert_20111104225844.jpg

美術部の展示模様。
私の3つしたの代が9人も入ったとかで稀に見る大展示になりました。2つしたの代が3人しかいなかったので、先輩としては一安心。みんなすっかり大人になって、ちゃんと先輩として後輩の指導にあたっていました。感激。
RIMG0235_convert_20111104230107.jpg

RIMG0243_convert_20111104230202.jpg

RIMG0241_convert_20111104230139.jpg

RIMG0250_convert_20111104230225.jpg

菜根譚 シリーズ1 処世譚から学ぶ 現代に必要な知恵

saikondan.jpg

この菜根譚(さいこんたん)は明の時代、洪自誠(こうじせい)により書かれました。菜根とは菜っ葉や大根のような粗食という意味で、宋代の学者、汪信民の「常に菜根を咬み得れば、百事なすべし」の言葉が引かれており、この題もそこからとられたものだといわれています。
「菜根譚は前集222条、後集135条からなる中国明代末期のものであり、主として前集は人の交わりを説き、後集では自然と閑居の楽しみを説いた書物である」とあります。
作者の洪自誠は宮仕えの苦心、組織への深いまなざし等、相当社会人として苦労したろうことが窺えます。しかし、彼はその中で上手く生きていく方法、つまりは処世術を説くと同時に、心は既に俗世を離れ、精神の世界への昇華も果たした人物だと考えます。

今回は中国古典百言百話というシリーズの中から彼が説いたものの中で私の心に残ったものをどんどん紹介していきたいと思います。この本では一つの短文に対し、編者が解説と感想を述べています。このブログのような感じですね。それをそのまま書いてもいいですが、無益だと感じるので題と訓読文、それから現代語をつけておおくりいたします。
皆さんはそれを読んでこころに思ったことをそれぞれ大切にしていただければと感じます。


・志は明らかに示せ、才能は深く秘めよ
君子の心事は、天青く日白く、人をして知らざらしむべからず。君子の才華は、玉包まれ玉蔵れ、人をして知りやるからしむべからず。
みずからの信条にやましいことがなければ、事にあたって裏も表もなく「私はこう思う」とはっきり言えるはずだ。あの人の言うことに嘘はないという信用は、こうして形つくられる。


・一肌脱ぐ心意気、一点の純真さだけは
友に交わるにはすべからく三分の侠気を帯ぶべし。人となるには一点の素心を在するを要す。
報いられることを期待せずに「あの人のためならやったげたい」という侠気にめざめたとき、私たちは友とするに足りる人と出会ったのだ。そして、この気持ちは相手にも通じ、その精神の最も美しい部分を呼び覚まし、お互いの心のきずなが結ばれて、まことの友人関係が生まれるのである。


・うぬぼれは功績を台無しにする
世を蓋うの功労も、一個の矜(きょう)の字に当たり得ず。天に渡る罪過も、一個の悔の字に当たり得ず。
天下に鳴り響くほどの功績を立てても、それを鼻にかければ何の値打ちもなくなってしまう。天の神の怒りを買うほどの罪を犯しても、心からそれを反省すれば、罪は残らず消えてしまう。

・手柄は譲り、失敗のドロはかぶれ
完名美節は、よろしく独り任ずべからず。辱行汚名は、よろしく全く推すべからず。
功績や名声は独り占めにするものではない。他人にもいくらか花をもたせることによって羨望や嫉妬の害を受けないようにすべきだ。失敗や汚名をすべて他人にかぶせてはならぬ。自分もいくらかはその責めを負うことによって謙遜の心を養い、人格を磨くべきである。

・完璧主義は自分を苦しめ、周囲を殺す
もし業は必ず満を求め、功は必ず盈(えい)を求むれば、内変を生ぜざれば必ず外憂を招かん。
完璧主義者への警告である。ものごとや人間を評価するとき、プラス焦点で見るか、マイナス焦点で見るかによって判断は大きく変わってくる。プラス焦点は対象の優れた点をまず評価し、欠落や弱点については「これはこうしておけばもっとよかったのに」と残された課題として指摘する見方を言う。これに対しマイナス焦点とは、欠陥や弱点をとことんつついて、たとえすぐれた面があろうとも帳消しにしてしまう見方だ。


・動と静、心のコントロールで充実した人生を
動を好むは雲電風灯、寂を嗜むは死灰稿木。すべからく定雲止水の中に、鳶飛び魚躍るの気象あるべし。
むやみに動き回ってばかりいては、雲間の稲妻か風に吹かれる灯火のように、落ち着きというものがまるでなくなる。といって、静寂ばかりを愛していては、冷え切った灰か枯れ木のように、生気が失われてしまう。動かぬ雲の間を鳶が舞い、静かな水の中に魚が躍るように、静と動とがひとつに解け合った境地こそ望ましいものだ。

リア王 シェイクスピア 感想とレビュー 老人が最後に見たものとは

61likCgYdpL.jpg
まあ有名ですよね。ですが、これをきちんと読んだ人はいますかと聞けば十中八九いいえと答えるでしょう。私はそこで読んだことがありますといえる人間が、なにかその上の段階、新しい世界が見えてくるのではないかと信じて熱心に古典を愛読しています。
やはり、この作品を読んでいて感じることは、遺産相続とはなんと大変なものかということですね。
これを読んでひとつ教訓にすべきことは、遺産は死ぬまで子供たちにあげないこと。そしてだれだれにはなにをあげようという話もしないことですな。
このリア王、父の財産めあてで馴れ馴れしくしていた長女ゴネリル、次女リーガンに財産を半分ずつあげてしまいます。三女コーディリアはというと、財産分配のときに特に父リアに対しごまを擦らなかったので、それに癇癪を起こしたリアが何もやらず国外追放としてしまいました。
しかし、このコーディリアは父を本当に愛しており、そのため特別に取り入る必要もなかったからの行動であり、それを父リアは見抜けなかったわけです。
財産をもらってしまえば後はもうどうでもいい。次第に長女ゴネリル、次女リーガンの態度が変わってきます。
この物語はリア王一家ともう一つグロスター伯爵の一家の悲劇が絡み合っているのです。グロスター伯爵には息子のエドガーと庶子であるエドマンドがいました。ところがこのエドマンドが曲者で、策略により伯爵の実の息子であるエドガーを落としいれ家から追放させてしまいます。
そして、伯爵の称号を欲しいが為にゴネリルやリーガンにも取り入り、リア王を支持する育ての親グロスター伯爵を陥れ、目を抜いてしまいます。

悲惨としかいいようがない状態、しかしそのまま終わっては問屋が許さない。コーディリアを救い妻としたフランスの王が軍を挙げてリア王奪還と、リアの反対勢力をつぶしにきます。陥れられたエドガーも乞食の振りをしながら眼を抜かれた父の姿をみて何とかリア王と共にフランス軍のもとに向かいます。

ところが結局コーディリアとリア王は捕らえられ、グロスター伯爵も死に絶えます。最後はエドガーがその正体をばらし、エドマンドの悪業を暴露するわけですが、次第に精神をおかしくしたゴネリルは妹リーガンを毒殺の後自殺。軍に攻められ後がなくなったエドマンドはコーディリアを部下に殺させてしまいました。

ほとんどの人物が死に絶えて終わるという四大悲劇の中でも最もむごい作品です。
それにしても暗い作品。その暗さには人間が本来もっているものの汚い部分が濃縮されたような感じがします。ここには太宰文学にもつながるなにかがあると思います。
一体何を信じたらよいのか。私も中学ではいじめにあい、高校でも何人もの友人と思っていた人間に裏切られました。こうした作品を読んでいても何が真で何が真でないのか。信じれるもの信じられないもの、だんだん区別ができなくなってきます。
この漠然とした不安が私をも苦しめるのです。芥川さん。

追記。友人が何読んでいるのと聞いてきたので表紙を見せたところリア充に見えたといってきました。
しかし、この顔はリア充ではないですよね。

きらきらひかる 江國香織  感想とレビュー 性について考える 同性愛をしったかぶるな

200308-19.jpg

夏に読んで、号泣する準備はできていたの記事の後に書こうとしていながら、なんだかんだで時間が過ぎてしまいました。
しかし、34ヶ月経ても心に残るものは残るので、今回はそれについて書きます。
今年の新潮文庫の100冊、限定スペシャルカバーの一冊としてこの本とは書店で出合いました。長く美術をやってきましたが、このような不思議な紙はとても珍しかったです。一見普通の白の紙かと思えるのですが、光の加減によってきらきらひかる。題名そのままなのですね。
内容はアル中で精神を病んでいる笑子とその夫睦月。睦月はホモで、男性の恋人もいて、しかし笑子とのセックスはなしという奇想天外な夫婦。
小説はこの二人の夫婦が10日前に結婚したという語りから始まります。
中途では様々な問題がこの夫婦を襲います。睦月の恋人の男性を家に招いたことによる変な三角関係。職場の人間関係。それからなんといっても大変なのが両方の両親です。
睦月の両親は息子のことを理解したうえで結婚してくれた笑子に対し負い目を負いながらも、精神病であることに動揺を隠せません。笑子の両親は、自分の娘の婚約者がホモで正常な人間ではないということが信じられません。特に父親は、睦月に男性の恋人がいることを理解できずにてんやわんや。
こんなにたくさんの問題を抱え込んだ二人がどうやってそれを乗り越えていくのか、ここが見所となるわけです。
作品の中で描かれている例えば、誠実さ、友情、恋愛など、江國さんなりの鋭い視点で観られたこれらに対するまなざしには我々も共感される部分があると同時に、人生の指針、なにかを私たちに教えてくれるものだとも感じれます。
生、性と愛について、なるほどこうした見方、捉え方もあるものだと感じれるちょっぴり変わった恋愛小説です。

あとがきにありますが、このタイトルは入沢康夫さんの詩から。
   キラキラヒカル
キラキラヒカルサイフヲダシテキ
ラキラヒカルサカナヲカツタキラ
キラヒカルオンアモカツタキラキ
ラヒカルサカナヲカツテキラキラ
ヒカルオナベニイレタキラキラヒ
カルオンナガモツタキラキラヒカ
ルオナベノサカナキラキラヒカル
オツリノオカネキラキラヒカルオ
ンナトフタリキラキラヒカルサカ
ナヲモツテキラキラヒカルオカネ
ヲモツテキラキラヒカルヨミチヲ
カエルキラキラヒカルホシゾラダ
ツタキラキラヒカルナミダヲダシ
テキラキラヒカルオンナハナイタ

最初はなんだこの読みにくい詩はと感じましたが、よくよくごらんあれ。先頭の文字だけを、あるいは最後の文字だけを読んでみるとそこにもメッセージが。
よくこんなすばらしいものが作れるものだと感心しますね。
この小説も、こうした言葉の芸術や、あるいはセザンヌの自画像などの芸術作品を交えて美しい恋愛物語になっているわけです。
今となっては、この小説自体が小さな芸術作品のように見えてきます。

マイウェイ 2 聞き比べ 比較研究

And now, the end is near;
And so I face the final curtain.
My friend, I'll say it clear,
I'll [state] my case, of which I'm certain.

I've lived a life that's full.
I've traveled each and ev'ry highway;
And more, much more than this,
I did it my way.

Regrets, I've had a few;
But then again, too few to mention.
I did what I had to do
And saw it through without exemption.

I planned each charted course;
Each careful step along the byway,
But more, much more than this,
I did it my way.

Yes, there were times, I'm sure you knew
When I bit off more than I could chew.
But through it all, when there was doubt,
I [ate it up] and spit it out.
I faced it all and I stood tall;
And did it my way.

I've loved, I've laughed and cried.
I've had my fill; my share of losing.
And now, as tears subside,
I find it all so amusing.

To think I did all that;
And may I say - not in a shy way,
"Oh no, oh no not me,
I did it my way".

For what is a man, what has he got?
If not himself, then he has naught.
To say the things he truly feels;
And not the words of one who kneels.
The record shows I took the blows -
And did it my way!

こっちがフランクシナトラ


こっちがエルビスプレスリー


こっちが加山雄三

マイウェイ 布施明 聞き比べ 比較研究 雄大な歌声、その世界

先日のものまねの番組で、3年ぶりになんとあのものまね芸人岩ちゃんこと岩本 恭省さんが出演されていて、やはりここは十八番の布施明だったわけです。
恭省さん、奥様の手術の失敗により大変な介護生活を送っているとのこと。昔は今の青木さん以上に人気があったのですが、そんな人が3年もテレビに出られなかった。それほど大変な苦労をされたのでしょう。
そんな彼が選んだ曲は、布施明さんの代表的な曲でマイウェイ。
この曲は、故フランク・シナトラやエルビス・プレスリーなどが歌い、そして布施さんがそれを日本語にして歌ったことで大ヒットしました。
恭省さんが歌ったのも非常によかった。なんといってもこの逆境からの意地というようなものをみせていただいた気がして本当に感無量。涙も流してしまいました。残念ながらそのときの映像がアップされていないので見せられませなんだ。


いま船出が 近づくこの時に ふとたたずみ 私は振り返る
  遠く旅して 歩いた若い日よ すべて心の決めたままに
愛と涙と ほほえみに溢れ いま思えば 楽しい思い出を
  君に告げよう 迷わずに行くことを 君の心の決めたままに
私には愛する歌があるから 信じたこの道を 私は行くだけ
  すべては心の決めたままに
愛と涙と ほほえみに溢れ いま思えば 楽しい思い出を
  君に告げよう 迷わずに行くことを 君の心の決めたままに
私には愛する歌があるから 信じたこの道を 私は行くだけ
  すべては心の決めたままに


他にも様々なバージョンがありますのでいろいろ楽しめますよ。

昭和はすばらしい歌手がみな他の歌手の歌をよくうたったのですね。そこにはいまはないなにかがあると感じませんか。いい曲はいいのです。それをいいひとが歌うともっとよくなるのです。




これを上手いことやると布施さんと美空さんのドュエットが聞ける?

el gran calavera  感想とレビュー 本当の家族愛とは

El_gran_calavera-543244038-large.jpg
私大学ではスペイン語を勉強しています。そこでスペイン人の女性の先生が(とっても明るくて気さくな方)、スペイン語の映画を観てみようということで「el gran calavera」という映画を観ました。
かなり古い映画で1949年、メキシコで撮られたものです。役者が今生きているとしたら、少なくとも80以上は超えていますね。
このel gran calavera、どういう意味かと申しますと、偉大なる酒のみとでも訳しましょうか。
あらすじは、妻をなくして失意にくれている社長が主人公。悲しみを紛らわすために酒を飲み続け廃人同然に。一緒に住んでいる社長のお兄さん夫婦、息子、娘、執事、これらは全部酔っ払った社長に上手く言い寄ってお金をもらうというとんでもない有様。
そこでこの社長のお金目当てで娘に言い寄ってきた男との婚約のパーティーで終に社長衆人環視のなかで大暴れ。パーティーに出席していたもう一人の社長の兄弟で医者がある作戦をたてます。
破産したということにして、貧乏な生活をし、彼に正気に戻ってもらおうということ。早速貧乏な住民が住む地区で生活を始めます。
酔いから覚めておきた社長は、家族から「破産をして貧乏になってしまった。あなたは一年間ほど寝たきりだったのよ」といわれ滅入ってしまいます。自殺を決行した矢先、近所の青年に救われ、事情を説明したところ今日がパーティーのあった次の日であることを知ります。正気に戻った彼は、今度はなんでも金で解決しようとする家族に対し、自分の会社の社員までを動員して本当に破産してしまったかのようにだまします。
お金がなくても、自分の命を救い、さらに娘に恋をした青年に彼や娘を惹かれていきます。
家族の絆も次第に本当のものとなり、貧しいながらも幸せな日々を送り始めました。
ところが、家にいた使用人からそんな騙しあいごっこをやっていることを聞いた娘のかつてのフィアンセが、全てを理解した上で、貧乏になってしまった家族を助けようと偽善をしてまた言い寄ってきました。
貧しい青年は、この家族がもともと金持ちであったことを知り激怒。娘も、かつてのフィアンセを愛してはいないけれどももう恥をかきたくないと終に結婚することになりました。
最後の結婚式の場面で、神父が「この結婚に異議のあるものは申し立てよ」という言葉に終に切れた社長の父親が反対すると明言。ちょうど貧乏な青年も思いなおして、式場の前から宣伝用のスピーカーを通して娘への愛を語ります。娘は青年の下にかけよりめでたしめでたしというもの。

コメディー映画となっていて、台詞や動作がとても面白い。60年経っても面白いものは面白いのだから大したものだと感じました。
しかし、コメディー仕立てとなっているなかで、家族の絆や、お金の問題など深いところも描かれていたと思います。こうした歪みをなおすのが貧乏になるという方法。とてもユニークな発想だけれど、しかし突き詰めると実はそれは真なりなのではないかという気がいたします。
日本も、今は経済が不況ですが豊かな国であることは間違いない。しかし精神的に豊かかと聞かれればほとんどの人がNOと答えるでしょう。反対に、戦後なにもなく貧しく、他国を追いつけ追い越せで頑張っていた時代。まさに「三丁目の夕日」の時代ですよ、このころの日本が今と比べてどうだったのか、語らずともわかりましょう。
60年も前という考え方はありえない。むしろ60年の間に我々がなくしてしまったものをもう一度喚起させてくれるような深くてそれでいて面白く楽しい映画でした。

トップガン  名画鑑賞 感想とレビュー 映像と音楽の見事なコラボレーションに酔いしれる


今回は名作といわれる中の名作、トップガンを紹介しましょう。
この映画は86年にアメリカで最もヒットしました。いままでにない斬新な構成、すなわち音楽と映像の完全一致を見事はたしたのが、この映画というわけです。そのため、映画ファン、音楽ファン共に支持され伝説とよばれるまでの作品になったということなのです。
最初から興奮する場面。トップガンといったらこの曲が頭に浮かぶほど有名な「デンジャーゾーン」。ケニーロギンスによる曲で、彼は他に「真昼のゲーム」という曲も提供しています。
上にあげたこの動画ですが、PVではない。これが映画の最初の映像なのですね。いきなりこれから始まるのだからたまったものではありません。原子力空母エンタープライズの艦上から飛び立つ迫力のシーンは戦闘機マニアの方が見たら卒倒ものです。
さて、このトップガンという言葉、これはなにかと申しますと、世界最高のパイロットを育成するエリート学校及び、その訓練生の別名なのですね。
それにしても映像とロックが見事に溶け合った快感というものは最高ですね。しかし、この映像一体どうやって手に入れたのかという疑問が湧いたのですが、これなんとアメリカ海軍の全面的な協力により為し得たことなのです。海軍がずいぶんオープンな国なのだなと感心しますが。
主役のパイロット、マーベリックにはヤングアダルトスターから一気に人気スターへと転進したトムクルーズ。彼が恋に落ちる女性教官チャーリーにはケリーマクギリス。

手に汗握るドッグファイトでは、台詞にもあるようにまさに「殺るか、殺られるか」。ここに男のロマンや、はかなく散ってゆく命などが描かれています。反面、音楽との絶妙なコラボレーションによってロックを聴きにきたような感覚にも陥り、両手に花の状態。
映画終盤でマーベリックはパートナーを事故で亡くします。そこで完全に落ち込んでしまったマーベリック。しかし、それを励ませたのは直属の上司でもなくチャーリーでした。この女性の強さというものに、深く心を打たれました。
男はロマンや夢を追っていかなければならないものです。しかし実は意外と男はもろく弱い。もし失敗して駄目になったとき、やはりこの女性の強さ、温かさというものが必要になるのだと思います。
マーベリックは上司の励ましではあまり元気を取り戻しませんでしたが、私には、マーベリックの父を知っている上官の温かさというものも非常に大事なものだったとおもいます。「自分で判断するのがパイロットだ」厳しいようで、優しくもある。まるで父のような包括力を持った上官は、上司の鏡だと思います。部下が落ち込んでいたらそっと手を差し出す。ここから学ぶことは多いと思います。

アメリカ海軍がこの映画に対して何故ここまで協力的だったのか、一つには国威発場の機会でもあったからでしょう。こうした論述はいくらでも尽きませんが、しかし、そういった思想を無しにしてただ、戦闘機の無機質なものであるがゆえの美、これを存分に我々に教えてくれる映画だとかんじます。
F-14がマッハ2の世界で織成すミュージカルを皆さんも堪能してみてはいかが。

プロフィール

幽玄

Author:幽玄

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

アクセスランキング
[ジャンルランキング]
小説・文学
333位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
17位
アクセスランキングを見る>>
フリーエリア