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ライザ・ミネリ コンサート  感想とレビュー ダンスと歌の融合 類まれなる歌唱力



本当はこっちをみていただきたいのですが、埋め込みができないのでリンクで失礼。http://youtu.be/moOamKxW844
この間見たあるものまね番組で今陽子さんがライザミネリのものまねをやっていてとてもすばらしかったです。
それを機に、ライザミネリについて深く知りたいと思い、今日はライザのコンサート映像「ライザ・イン・コンサート」を見ました。
さて、ライザといえば女優としても成功していて、母に女優のジュディ・ガーランドをもち、その卓越した演技力は有名。
特に彼女の代表作ともいえる映画「キャバレー」は今尚賞賛され続けています。
また、彼女は洒落た女優としての顔のほかに、磨きぬかれたダンサー、圧倒的なまでの表現力をもつ歌手として、多岐にわたる活動を続けてきました。
今回私が見た「ライザ・イン・コンサート」はそんな彼女のあらゆる面を見ることができる最高のショーでした。
何につけてもすごいの一言。深海のように深く静かでいて力強い歌声、歌が上手いだけでない、お茶目な彼女は歌っている時でさえ女優でもあり、また最高のダンサーでもある。時としてやさしく包み込むような、台詞をささやくように、そして最後は彼女の爆発的な歌唱力で締めくくる。私はこれほどのエンターティナーと出会えたことを感謝しました。
曲目
what a lovely day
hou long has this been going on?
it's a miracle
my ship
tha man i love
some people
come in from tha rain
arther in tha afternoon
new york medley
i guess lord musut be in nyu york city
take me back to manhatan
new york city rhythm
forty second street
lullaby of broadway
on broadway
every street's a boulevard in old new york
there from new york new york
city light
cabaret
but the world gows round

本当は全部の曲にコメントがあるのですが、割愛して特筆すべきものをいくつか。
it's a miracleはすばらしいの一言。この人のどこからこんな声がでるのか理解できないほど、ミラクルなまでの声量と表現力には驚かされます。
some peopleはちょっぴり悪い女の子の役。男性が歌っているようなかっこよさ、切れのよさが目立ちました。
city lightでは衣装が変わって真っ赤なレオタード。歌もいいのですが、ここではダンサーの本領発揮というような感じ。これだけでも十分なショーです。
cabaretは私が最も惚れた曲です。


What good is sittin' alone in your room
Come hear the music play,
Life is a cabaret old chum
Come to the cabaret.
Put down that knittin', the book and the broom
Time for a holiday,
Life is a cabaret old chum
Come to the cabaret.
Come taste the wine, come hear that band
Come blow your horn, start celebratin'
Right this way, your table's waitin'
No use permittin' some prophet of doom
Wipe every smile away,
Life is a cabaret old chum
So come to the cabaret!

I used to have this girl friend known as Elsie
With whom I shared four sordid rooms in Chelsea
She wasn't what you'd call a blushing flower
As a matter of fact she rented by the hour
The day she died the neighbors came to sneaker
Well, that's what comes of too much pills and licqueur
But when I saw her laid down like a queen
She was the happiest corpse I'd ever seen
I think of Elsie to this very day,
I remember how she turned to me and said:

"What good is sittin' alone in your room
Come hear the music play,
Life is a cabaret old chum
Come to the cabaret"
And as for me, ha!
And as for me,
I made my up back in Chelsea
When I goooooooooooooooo,
I'm going like Elsie,

Start by admitting from cradle to tomb
There isn't that long a stay
Life is a Cabaret, old chum
It's only a Cabaret old chum
And I love a Cabaret!
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人魚姫 清川あさみさんの美しい絵 こころをおとぎばなしの世界に旅立たせる

閲覧者2000人突破!皆さんどうもありがとう。
今回はとっておき。写真もたくさんアップしちゃうぞ。

私本が大好きで本屋も大好きです。
この間本屋で何を買うあてもなくぶらぶらしていたら衝撃的な出会いをしてしまいました。
ちらっと眼に入った表紙があまりにも美しいかったので驚いてもう一度よくみたらなんとあの人魚姫。私が絵本を買うなんて考えてもいなかったのですが、ついつい衝動買い。
絵本を読む年でも柄でもなくなってしまった私ですが、これほど本に恋をしたのは久方振りです。

絵、清川あさみ
訳、金原端人
写真、鈴木理策

内容はいまさら書く必要はないと思いますが、こうしてきちんと読んでみると意外なことがいくつかありました。訳は新訳ですが、金原さんという方はあの「バーティミアス」を訳した人なんですよ。皆さん「バーティミアス」知ってますか。本は非常にすばらしいのだけれど、内容がハリーポッターと少々かぶり、時期も重なってしまったことからあまり光を見ることはなかったのかもしれません。
ともかく、訳による解釈の違いはないでしょう。名訳だと思います。原文知りませんが。
人魚姫、実は六人姉妹の末っ子だったのですね。まあ話の内容はおなじみですが、魔女へ会いにいく場面、これが結構怖い。
魔女へ会いに行く道程、海草のような蛇がたくさんあたりに生えていて、これが人魚姫を捕まえようとしてくる。そして良く見るとこの蛇たちの腕には様々なものが握られているのです。溺れてきた人間の白い骸骨、陸の動物の骨、舟のオールや木箱、絞め殺した幼い人魚を抱きしめているものもあったとか・・・
そして魔女に声を取られる場面。これは魔術でもなんでもない、人魚の舌を切り取ってしまっているのです。また王子と結婚できなかったら心が砕けて海の泡となってしまう、歩けても歩く度にナイフで突き刺されるような痛みが走る、等々のリスクを侵し王子に会いに行きます。
記憶では王子と結婚したいだけの恋のお話と思っていたのですが、他にも実に深い内容があります。
人魚とそのおばあさんの会話でそれは明かされていますが、人魚は大体寿命が300年。しかし永遠の魂がない。人間は寿命こそ短いものの、体が尽きても魂が残りまた生まれることができる。この不死の魂が欲しかったというわけです。

さて、無事王子と会ってその美しさに惚れた王子が人魚姫を自分の奴隷のようにそばにおきます。扱いこそいいものの、厳密に言えば王子の私物ですね。ところが王子は自分が難破したときに救ってくれたのは眼を覚ましたときに修道院の前でみた美しい女性だと考えています。ある日王子が隣国へ行くことになりました。その国の姫との婚約のためです。王子は人魚に言います。「美しい王女に会わなくてはならなくなったんだ。親がふたりともうるさくて。だけど、いくら二人が望んだところで結婚はしない。だって愛することができないのだから。隣の国の王女があの修道院にいた娘のはずがない。きみそっくりの娘のはずがないんだ。もうどうしても結婚しろというなら君を選ぶ。表情豊かな眼をした、口のきけない海の拾い子をね」
しかし、会ってみるとその王女は修道院で修行をして帰ってきたばかりのあの娘だったのです。そうするとすぐに結婚をし、人魚姫には振り向きもしませんでした。
姉たちが人魚姫を心配して、王子の血を浴びれば生きることができるように魔女に頼みました。しかし、彼女は海に身を投げ泡となります。
人魚姫はこの後空の娘たちと共に天上に昇り、三百年間良いことを行えば不死の魂を得られて人間の幸せを味わうことができるようになるために修行をします。


どうしてそこまでして、しかも王子に省みられなかったのにまだ人間になろうとするのか、あまりに悲しすぎます。
そして感情をもっと深い域へと誘うのがこの絵。
正確には絵ではないですね。布、糸、ビーズをふんだんに駆使してつくられた息を呑むようなもの。
帯にはV6の岡田准一さんが「心がえぐられうほど、この本に恋をしました」とあります。
私もこんなに深く、静にあつく感じることができたのは久しぶりです。



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スタンド・バイ・ミー  名画鑑賞 感想とレビュー 少年時代の友情とは



さて今日も映画を観ちゃいました。
私にとって読書も映画鑑賞も美術鑑賞も音楽鑑賞もみな同じ行為。作文も絵を描くことも歌を歌うこともみな同じ行為だと考えています。で、今回はスタンド・バイ・ミー。
有名ですよね。でも観たことがなかったのでみましたよ。
1986年製作で、85分と映画にしては短めです。その分無駄がなく、ずっと緊張というかはらはらしていました。
映画は少年の物語。いまや人気作家となったゴーディーが、旧友のクリスの死を知って1959年の過去を回想するという映画です。

主人公のゴーディーは、人望溢れすばらしい野球選手だった兄の死を受け、内気な性格になっていました。というのも、兄にばかり期待をいていた両親がその兄の死を受け入れられず兄の影をずっと追っているようで、ゴーディーには今まで異常に殆ど無関心。
ゴーディーの親友クリスは、家柄が悪いながらも少年たちをまとめるリーダーの存在をなす子で、この子自体はとてもやんちゃですが頭もよく切れのある子です。
テディは戦争によって精神を病んでしまった父を持つ子で、兵士を夢見、また父をこよなく愛しています。ところが父親譲りか、感情は激しく、激情家のタイプ。ほかの少年によく喧嘩をふっかけ、その異常さは彼の後の不運を予感させます。
最後はバーン。こんなキャラクラスに一人入るよという感じの、グズでノロマのぽっちゃり系。結局この子が最も平々凡々であり私たちに近い存在かも知れません。

ある日バーンが自分の家のしたで地図を誤って捨てられてしまったために在りかがわからなくなってしまった貯金箱を探していると、上で年上の悪童たちが線路の近くで死体をみたという話をしています。ところがその悪童たちは車を盗んだときに見つけたので警察に通報できないでいるとのこと。
この話を少年たちが集まっている秘密基地に持っていくとよし死体探しのたびに出よう、となるわけです。
さて、悪童たちは車があるからいいものの、死体があったという場所は少年たちの住む町、オレゴン州、キャッスルロックから20マイル(約30キロ)はなれた場所。少年たちは線路の上をずっと歩いて行きます。
途中で川まで30メートルはあるという高く、柵もない橋を渡る場面で、真ん中ほどに差し掛かった時分に運悪機関車が迫ってきます。この場面はこちらまで緊張してしまいましたよ。どうやって撮ったかわかりませんが本当に引かれかかっているように見えました。
他にも沼を通ったときに全身ヒルだらけになり、下着の中までヒルが引っ付いていた場面には私も驚愕のあまり失神しそうに。
そんな大冒険をしてやっとたどり着いたときに、ちょうど悪童のエースというクリスの兄が子分の死体についての話を聞き車で駆けつけます。
さて死体を発見すれば新聞にものるしテレビにも出られると両者譲らずエースは終にナイフを取り出し少年たちに襲い掛かってきます。少年たちの運命やいかに。この後は皆さんがごらんになっていただいたほうがいいと思います。

単なる12歳の少年の冒険の回想かとおもえど、さにあらず。しかし、12歳の少年たちが普通に映画のなかでタバコ吸っているのですよ。これどう撮ったのだろう。それはともかく、私はこのような少年時代を送らなかったので少し興味やあこがれも湧きました。テディの言葉ですが、少年時代は二度と戻らないといっています。確かに、私たちがどんなに過去に戻りたいと願ったところでそうすることはできません。激しいノスタルジーを感じました。
それから私が感じたのは、少年が苦難を乗り越えて友情を深め成長してゆくという過程の他に重要なメッセージが隠されているのではということです。というのも、ゴーディの親は兄に偏りすぎていたために親子としての関係が成り立っていない。ここからゴーディの性格にも影響が及び、ものを書くのが好きだったのに書かなくなってしまいます。そんなゴーディに才能をつぶしてしまう親ならば、俺が親になってやりたいというクリス。
家柄がわるくきっとろくな親でない親をもったクリスの言葉は私たちの胸にも深く響きます。しかし、クリスも実は悲しい体験をしているのです。給食代を盗んだという容疑。確かに彼は給食代を盗みました。しかし、その後教師にきちんと返しているのです。ところがその教師が、悪徳感情から時分のスカート代にしてしまう。当然周囲は教師の言うことは信じるし、悪がきのクリスなどあいてにしないのですからクリスは泣き寝入り。
ここから、親と子の問題。教師の問題。特に大人のあり方へ対する痛烈な批判が感じられました。今でも大人は悪い人間ばかり。私も子供があいてならと高を括って自分の有利にするとうことはあり得る事です。やんちゃな少年は実はそのほうが純粋で善に近く、大人こそが悪ではないか、そんな問いかけが聞こえてきたように感じました。

余談、悪童のエースはなんと24でおなじみジャックバウアー役のキーファー・サザーランドの若かりしころ。

ゲーテ格言集 新潮文庫 高橋健二編訳

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私、国語を勉強しているものでありこれはよく考えるところなのですが、言葉というものは本当に力がありますね。
いま合理化が叫ばれ、より効率的、能率的にという社会。しかし一方それがもたらしたものは一体何だったのか。
例えば年間3万人を越す自殺者、ストレス社会、鬱病患者の増加、いじめ、などなど枚挙に暇がありません。
こんな時分に心の支えとなってくれるのが広い意味での芸術ではないでしょうか?
今回は心に響く、言葉の芸術を紹介しようと思います。

略歴、ゲーテ(1749~1832)はドイツ、フランクフルトに生まれ、法律を学び弁護士を開業。「若きウェルテルの悩み」を処女作として、詩集、戯曲、小説など活動は多岐に渡った。他に最大の名著「ファウスト」がある。

二百年も以前の人間の言葉がどうして今の私たちの心に響き、浸透していくのでしょうか。今回はその謎と魅力に迫って行きたいと思います。
さて、ゲーテは彼自身非常に芸術に対し造詣が深く、鋭いまなざしを持ってこれを彼なりに解釈しています。以前書いた芸術と若さを題材とした「ベニスに死す」の根幹に流れるような思想がここでも窺えます。
「印象を極めて新鮮に力強く受け入れ、これを味わうということは、青年のうらやむべく幸福です。批判的認識が増すにつれ、次第に、あの濁らぬ喜びの泉は涸れます。全ての人間はアダムです。というのは、だれでも一度は温かい感情の天国から追放されるからです。」
またこんな言葉もあります。これは芸術をやる人間にとっての心構えのようなものでしょうか。
「君の胸から出たものでなければ、人の胸を胸にひきつけることは決してできない。」
「美は、隠れた自然の法の現れである。自然の法則は、美によって現れなかったら、永久に隠れたままでいるだろう。」
「かの一は、永遠に一であろう。多に分かれても、一。永遠に唯一のもの。一の中に多をみいだせ。多を一のように感ぜよ。そうすれば、芸術の初めを終わりが得られる。」
「よいものを享受するのが、喜びであれば、よりよいものを感ずるのは、より大きい喜びである。そして芸術においては、最善のものに至って、初めて満足がある。」
「芸術も人生と同じく、深く入りこめば入るこむほど、広くなるものである。」
「完成するためには、能力のほかに何よりも機会が必要である。」

これは芸術に限らずにいえることですが、
「若いよい頭脳が、他の人々によって既に認められた真理を認めると、それによって独創性を失うもののように思うなら、それは凡そ誤りの最も愚劣なものである。」
考えること大ですね。ここに、若い人間が真理を学ぶことの重要性、それは若い人々に対してもそうであるし、また老人にたいしても若い人間は心理を認めることが必要であり、それが間違っていると考えてはならぬという厳しい言葉に感じられます。
またゲーテは人(ひと)そのものについても非常に真であることを言い当てていると感じます。
「全ての階級を通じて、一段と気高い人はだれか。どんな長所を持っていても、常に心の平衡を失わぬ人。」
「人が議論を認めない場合も、忍耐を失うな。」
「慰めは、無意味なことばだ。絶望し得ないものは生きてはならない。」
「自負しすぎない者は、自分で思っている以上の人間である。」
「人が実際の値打ち以上に思い上がること、実際の値打ち以下に自分を評価すること、共に大きな誤りである。」
「始終自分を他の者と同列に置こうとばかりしなかったら、人々は互いにもっとよく知り合うだろう。」
「すぐれたものを認めないことこそ、即ち野蛮だ。」
「私はこう勧めたい。何も無理強いをせぬことだ。何もできない日や時には、後になって楽しめないようなものを作ろうとするより、ぶらぶらして過ごしたり、寝て過ごす方がいい、と。」
なるほど、心が激しく揺り動かされ、気の休まらぬ今必要なことはなにかということを教えてもらえます。

なんだか最近おじさんのタレントがもてているではないですか。そんな老練の美徳とでもいうものは何だろうか、ゲーテが教えてくれます。ここでは、さらに体験の重要性をも言及しています。いくら年をとっても経験、体験がなければいけない。やはり人間は習慣の生き物ですから、自ずから一生懸命に何かに向かって生きることが肝心かと思います。
「体験したことをだれしも尊ぶことを知っている。年をとって思索し、沈思する人は特にそうである。これだけは誰からも奪い取られないということを、彼は確信と心やすからさをもって感じている。」
「歴史を書くのは、過去を脱却する一つの方法である。」
「三千年の歴史から学ぶことを知らぬものは、知ることもなく、闇の中にいよ、その日その日を生きるとも。」

次はこの二つの言葉。ここにひとの内面を教養することの大切さが示されています。
「内面のものを熱望する者はすでに偉大で富んでいる。」
「有為な人間は、すぐに外面から内面へ向かって自己を教養する。」 
多様な世界、多様な社会によって価値観がめまぐるしく変わっているなか、真の幸福とはなにかがよくわからなくなってきています。ゲーテの言葉を借りて幸福はなんだったのかを考えてみたいと思います。
幸福について
「偉大なもの、美しいものを、進んで喜んで崇めることは、私の天性である。そしてこの素質を、非常にすぐれたものに接することによって、日々刻々養い育てて行くのは、あらゆる感情の中でこの上なく幸福なものである。」
「孤独はよいものです。自分自身と平和のうちに生き、何かすべきしっかりしたことがあれば。」
「もちろん世の中に出ながら、孤独で通そうというのは、常軌を逸した行為だと思われる。」


最後に古典といわれるものがどうして古典たらしめるか。何回にも渡りそれについて言及してきた私ですが、この言葉を借りれば言い当て妙でした。
「古典的なものを私は健全なものと呼び、ロマン的なものを病的とよぶ。この意味でニーベルンゲンはホメロスと同様、古典的である。なぜなら、両者とも健全で、力があるから。新しいものの大部分は、新しいからロマン的なのではなく、弱弱しく病的で、実際むしばまれているから、ロマン的なのだ。古いものは古いから古典的なのではなく、強く生き生きとして、快活で、健康だから古典的なのである。そういう性質に従って、古典的なものとロマン的なものとを区別すれば、事は容易に明らかになるだろう。」


ゲーテ先生からの課題
「何人(なんぴと)も他の者と等しくあるな。だが、みな最高のものに等しくあれ。どうしたら、それができるか。みなめいめい自己の内部で完成されてあれ」

フラワーアレンジメント2  紫を基調とした作品 

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今回も吾が母君のフラワーアレンジメントの作品を紹介します。
今回使用されている花の種類は、アリストロメリア、トルコギキョウ、ユリ、アベリアが主です。
なんでも、母君の母校が60周年記念だとかで式典を行うらしいのです。そこで式典の際に彩るためのフラワーアレンジメントを数人の卒業生が担当して製作しているのです。
今回はよく卒業式などで出てくるような大きなものではなくて、合計で12個の中作品で鮮やかに飾るそうで、時間がない時間がないと大童でつくっていました。
この作品は紫を基調としたものですが、式典では黄色、赤、青等等様々な色を基調としたものがずらっと並ぶようです。
是非母君以外の人がつくってみたものも観てみたいのですが、私は都合が合わなくていけません。
しかし、普段は見れないようなやる気に充ちた肝っ玉母さんを見るのは久しぶりです。なんでも自分の好きなこと得意なことを楽しんで行っているときは人間自信にあふれるものですね。
季節も秋となり、都心ではなかなか秋の花を見ることはできませんが、公園などでふと立ち止まり秋の花に心寄せ愛でるのもいいものですね。

追記、カダフィ大佐が終に捕まりましたね。彼に花は・・・似合いませんね。

ベニスに死す  名画鑑賞 感想とレビュー 芸術を行う人間には是非見てほしい最高の映画 美・芸術とは



前回の記事でローマについてその魅力などを語ったので、今度はイタリアはベニスの関連です。
先日たまたまラジオを聴いていたら、映画を紹介をするコーナーがありました。猿の惑星ジェネシスなどの紹介もされていましたが、そのなかで一つ私の心を引いたのがこのベニスに死すという映画でした。
この映画自体は1971年製作ですから40年も前の作品になるわけですが、カンヌ映画祭の25周年を記念して現在公開中なわけです。ラジオでも紹介されていましたが、ニュープリントという技術をしようしたらしく物凄くきれいに写るのだそうです。
原作はトーマス・マン。「フェリクス・フルルの告白」製作に行き詰まり、ユーゴスラビアのブリオーニ島を経てベネツィアに滞在したときのことがモデルとなっているそうです。
映画は雄大な自然、ゆっくりと流れる川を船で移動しているところから始まります。
この壮大さが作品全体を統一しています。3時間弱に及ぶ長編映画ですが、台詞は殆どなく、全ては音楽と映像によって構成されています。数少ない台詞ではその少なさからも注目をしますが、その内容もまたすばらしい。殆どの台詞は主人公のアシェンバッハとその友人で音楽家のアルフレッドとの美についての論争のみ。
その中でも最も印象に残ったのは砂時計の話です。内容は以下の通り。人生は砂時計のようである。砂が流れているときはそうでもないと感じていても、砂がなくなり始めたと思ったときにはもうすでに殆ど無い。人生も同じで、まだ続くと思っていても、なくなるのに気が付くのはおしまいのとき。死は急に訪れる。
なるほど深い、そして実に芸術的でロマンチックな考え方捕らえ方だと感じました。私も芸術の方面が色濃い人間ですからまったく同感であるわけです。
映画の内容はというと、水の都ベネツィアを舞台に初老の作家が美しい少年に心を奪われ、死へと導かれていくというもの。抽象的に説明するならば、若さへの老いの妄念をかくも美しく残酷に描いた文芸作品というところ。
ずっと静かな流れで進んできて、ホテルで初めて少年に出会う場面がなんとも形容しがたい。水兵服を着て、ひろやかな襟に素敵なネクタイを締めた、とても魅力的な、絵のようにかわいらしい、少女のような美少年がふわっと現れる。ここにはまさに息を呑むという言葉がふさわしい。
映画はこの少年に惹かれてしまった神経質な芸術家アシェンバッハがただ只管少年を見ているというもの。ただこの二人には最後まで会話がなく、写し方もまたとてもいじらしいものです。ずっと関係ないところからあたりを写して、一分くらい映像が移り変わった頃にやっと少年が出てくる、こうしたとり方にはいじらしくも感じられ、その間次は何が写るのかという緊張と期待の間で心がもやもやするのですね。まさにアシェンバッハの視点により描かれた作品でしょう。
今でさえ映画界では伝説視されているこの映画ですが、その製作裏にもまた伝説にならしめる理由もありそうです。例えば監督のルキノ・ビスコンティがちょうど60半ばに差しかかり、主人公のアシェンバッハと同様老いと死の予感、若さへの憧憬があったという点。監督自ら美少年を何ヶ月も探してやっと少年を見つけ出した点。同性愛に対するまなざしが当時かなり厳しく、理解されていなかったということにも拘わらずこの作品を見事描きあげた点など枚挙に暇がありません。
美のついての論争でアシェンバッハはアルフレッドに言い負かされます。「美は創れない。芸術家は必要ない。努力とは関係ないのだ。美は自然に生まれるものである」こういわれてしまうのですね。
もちろん私にも異論はあります。しかしこの作品においてはこれが真なのですね。納得せざるを得ないのです。
真っ白な肌、真っ青な眼、真っ赤な唇、何も知らなければ可憐な少女としかみれないこの少年を一体何が創らしめるのか。芸術家ではありませんね、自然なのです。
非常に静かな、まるでクラシックをずっと聴いているような映画です。しかしそこにはアシェンバッハを静に死へと誘う様々なものが現れては気づかれないうちに消えていく。何かを隠しているようなそぶりを見せるホテルの支配人、駅では死にかけた乞食に対する周囲の反応。おしろいを塗った道化師の存在、その笑い方、次第にベニスから消えていく人々、消毒される町のあちこち。
最後はアシェンバッハの死をもってして終焉となるわけですがここはこの上なく美しい。耽美的な死です。誰もいなくなったビーチで少年が海へ出て行きます。夕日に染まり、影しか観えないなかでそれはまるで女神をみているような感覚に襲われます。その美の結晶を掴まんと手を差し伸べるアシェンバッハですが、持病の心臓病により掴みかけて終には力つきる。
エキセントリックなまでの唯美を求める圧倒的性(サガ)、私はこの映画を見たことを一生誇りにするでしょう。
最後に一つ詩を紹介します。
美しきもの眼に見し人は、既に死の手に囚われし(アウグスト・フォン・プラーチン「トリスタン」より一節)

ローマの休日  名画鑑賞 感想とレビュー ローマをオードリーとともに旅しよう

前回の記事においてオードリー・ヘップバーンについて語ったのでさらにその延長において。
先達てローマの休日を一度みてみようと思い観ました。



この映画はもう製作から50年経っていますので違法にはならないわけですね。他のものに対しては言及しませんよ、偏屈だから。
私実は10年ほど前にローマ行ってるのですよ。もちろんオードリー・ヘップバーンが大好きでローマの休日に登場した場所いってみたいという父に連れられてですが。
そのときの記事はまた別の機会にしますね。なにせ10年前はフィルムですから写真を乗っけるのコピー機でダウンロードしてからパソコンに移すという面倒をしなくてはならなくて億劫なのですもの、しかも写真自体引っ張ってくるのが大変。
さて、先ず注目するは「ティファニーで朝食を」で出てきたヘップバーンとは大違い。あれだけ意地らしく愛嬌のある女優から一転、今度は身分というものにとらわれて、でもそこからなんとか抜け出したいという王女様の役を見事に演じきっています。
もちろんのことながらここでも彼女がチャーミングなのは言うまでもありません。冒頭から彼女のユーモラスな演技が観ているものの心を引き寄せます。
製作者側から明確に否定はされているのですが、やはりこの作品のモデル、あるいはそこまで行かなくともインスピレーションを与えたのは、イギリスの女王エリザベス2世の妹マーガレット王女の逸話だと感じます。
この恋は成就しなかったのですが、王女と民間人との恋があったと聞きます。
まあそれはさておき、ヘップバーン演じるアン王女。ヨーロッパ各国を表敬訪問中で、最後に訪れたのがここローマというところから話は始まります。王女の来訪に対して城では長々と貴族が並び、その一人ひとりと挨拶、握手を交わしてゆく。そんな中痺れを切らしたアン王女、足が痛くなったか痒くなったか、たったまま方靴を脱いでしまいます。ところがスカートの中であらぬ方へと靴が転がりなかなか足が入らない。こんなチャーミングな王女様、しかしあまりの多忙なスケジュールのため終にはヒステリーを起こしてしまいます。
精神安定剤を注入されたアン王女、しかし薬が効き始める前に城から抜け出してしまいます。抜け出したはいいが薬が効き始めうつらうつら。そんなところで出会ったのが新聞記者ジョー・ブラッドレー。彼女が王女とは露知らず、なんだかんだ言っても自分のアパートで介抱することに。
翌日彼女が王女であることに気が付いたブラッドレーは一大スクープをものにせんとして友人のカメラマンであるアーヴィングと共に彼女をローマの町に連れて行きます。ブラッドレーはもちろん職業を隠し、アン王女も自分の身分は明かさない。
最初この事実を知らなかった友人のアーヴィングは事実を口にしそうになって何度もはらはらさせてくれます。しかし、ブラッドレーの見事なまでの妨害にあい何とか状況を掴むのです。
さて、「ローマの休日」と聞いて思い浮かべることはやはり永遠の都ローマの名所の数々でしょう。詳しくはローマを旅したときの記事に書きたいと思いますがここでも一応。
先ず彼女が散髪にやってきたのがトレヴィの泉の前の美容院。ここで彼女はロングヘアーから一気にショートカットへと様変わりします。もう60年近く前の映画ですからね、なんとも斬新な髪型でしょう。彼女が髪をざっくりいっているなか、ブラッドレーはトレヴィの泉でぶらぶらしているわけです。このトレヴィの泉は非常にきれいな噴水で後ろ向きに硬貨を投げ入れると、その数に応じて願いが叶うとか。私も一枚入れてきましたので、いつかはなんらかのかたちでもう一度ローマに行くことになるのでしょう。
有名なスペイン広場でのシーンもいいですね。後ろの時計台がなんとも印象的。もし時間があるのなら時計台に注目していてください。流石に映画の撮影でも時計台の時間は変えることができませんよね。ちょっとアングルが変わっただけと思ったら後ろの時計の時間がかなり変わっているってことがあるのです。そこから推測するにこの数分のシーンだけに何時間も費やしたのがわかります。
コロッセオは言うまでも無いかもしれませんが、ここもアン王女を楽しませるために訪れます。今度詳しく内側の写真と共に紹介しますね。皆さん内側はあまり知らないでしょう。
祈りの壁、ここは私も行ったことは無いのですが、何でも世界大戦中に爆弾が投下されたとき、子供を抱えた父親がこの壁で神様に祈りをささげたら奇跡的にそこだけ落ちてこなかったというところらしいです。今ではみんなの願いが絵馬のようにかけられています。
皆さんも知っている真実の口。このころ新人の女優でしたので、そうしたらよいかと考えた末、オードリーには本番で手をちぎられたように見せたそうです。本当にびっくりしたオードリー、1テイクOKだったらしいですよ。
もともとこれはマンホールとして使われていたとか。実際行ってみると通りの横のちょっと入ったところにこれがあるというだけなんですよ。大したものではなかったでしたよ。もちろん観光客はみんな手を入れてはちぎられたりちぎられなかったりして遊んでいるのですがね。父はちぎられていました。
最後は船上でのアン王女の立ち回りですかね。アン王女を取り返さんとして潜入した親衛隊の連中と一悶着やるのですが、なんとアン王女がその親衛隊を敵に回しギターで頭をボカン。そこを写真に収めたかったアーヴィングはアン王女に「もう一回」と要求。それに答えてアン王女ももう一度ボカンとやるわけです。余談ですが、映画パプリカにもこのシーンを真似たのがあったり、様々な場面で使用されている広く知られているシーンです。
こんな楽しいデートをしているうちにアン王女とブラッドレーの心は惹かれあっていきます。しかし最後は悲しい別れ。二人ともあっさりとした別れをし、最後、記者としてアン王女の会見を訪れ、そこで映画は終わります。
名作ローマの休日、モノクロだからなどといわずに見ることをお勧めします。きっと皆さんもローマに行きたくなりますよ。

映画『ティファニーで朝食を』 名画鑑賞 感想とレビュー オードリーの小悪魔要素に魅了され


これはあまりにも有名なシーン、ホリー演じるオードリー・ヘップバーンがムーンリバーを歌うところです。さてこのムーンリバー、一体どんな曲かといいますと、これ小説ではでてこないのですね、まあなんていったって映画を作る年にできた曲なんで仕方ないですが。
ちょっこら借用して、「ムーン・リバー」("Moon River")は、1961年に作詞ジョニー・マーサー・作曲ヘンリー・マンシーニによって作られた曲。とあります。物凄い大ヒットを記録して現在でもよく使われているので、聞いたことあるって人は沢山いると思います。
しかし映画版のティファニーで朝食をも作品として最高ですね。大抵小説を忠実に表現しないで製作された映画は失敗します。私の経験論ですが。ところがこの作品は非常に珍しい、小説も映画も両方すばらしいという奇跡てきな状態を生み出しました。
ここにティファニーで朝食をが今でも名作として残っている理由があるとも感じますね。
それにしてもオードリー・ヘップバーンの演技が上手すぎやしませんか。50年前の映画ですよ、こんなの本当に恋しちゃいそうになりますよね。特に歌を終わってからのハーイと声をかける部分。これはまるで歌の続きを聞いているようにやさしく投げかけられてきますよね、たまらん。
映画版は小説と違って主人公のポール・バージャクにジョージ・ペパードというイケメン俳優を使用して、全体をホリーとポールの恋の物語に書き換えていますね。
オードリーの魅力が最大限に発揮された作品だと感じますね。彼女の演技力はぴかいちなわけで、歌にしても台詞にしても、本当にそのままのホリーゴライトリーになりきっています。むしろ小説がこのホリーをモデルとしたのではないかと考えてしまうくらい。
映画はティファニーで朝食をというタイトルを意識してか、タクシーでニューヨーク五番街にあるティファニーについたホリーはショーウィンドーを観ながらパンを食べます。これが私の父のなにかを刺激したようで、父は若いことにニューヨークに研修に出向いたときに、なにがしたいといって、ティファニーにくることしか念頭になかったようで、ティファニーでキーホルダーを買ったそうです。
当時はまだ父は若く、俺には100ドルのキーホルダーしかまだ買えなかったとこの間話してくれました。
映画では、ホリーとポールはティファニーで、お菓子のおまけについてきた安い指輪に6ドルで名前を彫ってもらうシーンがあります。手紳士な店員が「ティファニーには理解があります」という場面が印象的ですが、本当に指輪をもっていったら彫ってくれるのでしょうかね。たぶんこの映画のおかげでそういうお客が当時増えたのではないかと想像しますが、そのときも理解はあったのでしょうか。
映画を観ていて感じることは、50年前に撮られたものなのに、建物が殆ど変わっていないということですね。私車にはかなり知識があるので、そこは物凄く興味をもってこんなに車は変わるものかと感じていたのですが、建物は今のマンハッタンとそう変わらない。この当時既に何十回建ての高層ビルが立ち並んでいたのには流石に驚きを隠せませんでした。
父が行ったのは今から三、四十年前ですが、やはり建物はあまり変わらないと言っています。実は父が2ヶ月ほど研修に行っていた場所というのはなんとあのツインタワー、世界貿易センタービルだったのです。なので10年前のあのテロで父は海外の友人の何人かを失っているのですね。そう考えるとなんだか深いものがあります。
話がそれましたが、日本人役として出てくるユニオシ氏、ミッキー・ルーニーという小柄なアメリカ人が演じていますが、これは日本人への冒涜でしょうか、私にはもうジョークにしか思えなくてとても面白かったですね。
口を開けばホリーに対して警察を呼んでやる、訴えてやるとぶつぶつうるさい。終いには本当に呼んでしまったわけですが、この映画、単に恋愛物語というだけにとどまらず、結構ファニーな面もあるのです。
この映画は50年前のものなのにもかかわらず、なんとカラーなんです。何でも後から色を付け加えたとか。そんな技術があるのかいとびっくりしますが、白黒はちょっとという人でも見れるので是非お勧めいたします。


Moon river, wider than a mile
I'm crossing you in style some day
Old dream maker, you heart breaker
Wherever you're going
I'm going your way

Two drifters, off to see the world
There's such a lot of world to see
We're after the same rainbow's end
Waiting round the bend
My huckleberry friend
Moon river and me


ムーン・リバー、1マイルよりもっと広い河。
いつか私は胸をはって、あなたを渡ってみせるわ。
私に夢を与えて来たのはあなた、
それを破って来たのもあなた。
あなたが何処に流れて行こうとも、私はついて行くわ。

二人は岸を離れ、世界を見るために漂う漂流者。
見るべき世界はたくさんあるわ。
二人は同じ”虹の端っこ”を追いかけているの。
それは、あのカ-ブを曲がったあたりで待っているかもしれないわ。
幼馴染みの冒険仲間、ムーン・リバーと私。

小説『ティファニーで朝食を』 トルーマン・カポーティ 感想とレビュー 自由奔放な女性にはご注意を

今回はティファニーで朝食をについて、村上春樹訳カポーティの小説と、映画の両方の視点から観ていきたいと思います。
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先ず小説について。
私が読んだのは新潮夏の100冊に選ばれていた村上春樹訳のティファニーで朝食をです。村上春樹の訳ですので、普通に現代小説を読んでいるかのごとくスラスラと読めました。この点において村上春樹は小説だけに限らず、翻訳者として十分に腕があると感じます。もちろん私はカポーティの小説を原文で読んだことはありませんので原本がどのような雰囲気であるのかは完全には理解できませんが、春樹さんの訳を通じることによって今から半世紀ほど前のアメリカ、マンハッタンを旅してきたような心持になれます。
ページは文庫本で170ほどですから中編か小編のあたりでしょう。
物語は主人公の作家ポール・バージャクと酒屋の主人ジョー・ベルの会話から始まります。話は何年も前に姿を消した女優のホリー・ゴライトリーのこと。なんと何年も行方が知れなかった彼女がアフリカでたまたま撮影された写真に写っていて、これはもしかしたら彼女なのではないかという場面から始まります。
そして次第に主人公の回想へと移行するわけです。当時のアパートがどのようなシステムなのか私には推し量れない部分がありますが、このアパートの構造がまた重要になってくるのですね。下からホリー、主人公、ユニオシという順に住んでいるのですが、このホリーが何度も鍵を忘れてしまうのでそのたびに主人公やユニオシにベルを鳴らしてあけてもらうということをします。
このユニオシ氏という人物、映画ではずいぶんひどく描かれていましたが、彼は日本人という設定ですからねなんだか馬鹿にされたような感じがいたしますがそれはさておき。
ホリーはニューヨークの新米女優、自分のアパートでしょっちゅうセレブや業界人を招いてはドンちゃん騒ぎのパティーをし、外にでてもパーティー三昧という有様。もちろん彼女は絶世の美女ですから、そうしたお金持ちの人間が何人も言い寄ってくるわけです。しかし彼女はそれらを悉くスラリとかわし続ける。本当に天真爛漫という言葉が合うような人なんですね。しかしそんな彼女もなにかを隠しているような部分があり、これが男性の心をくすぐる。まるで遊女のような外交をしながらそれでいてどこか誠実、清廉としていて、気ままな女性なのです。そんな彼女に当時駆け出しの小説家であった主人公は恋をします。
階下に住んでいるのになかなか心を開いてくれない彼女、一時は親密になったかと思っても次に会うと他人行儀のようによそよそしかったり。しまいにはホリーの夫であるという人物までも登場し、それを何とか和解のもとに故郷に返すのですが、今度は社交パーティーで出会ったホセというお金持ちと結婚するといいはじめる。
しかし、彼女が毎週訪問していた監獄にいる人物がマフィアのボスであることが検挙され、ホリーは麻薬の密売に手を貸したとして逮捕されてしまいます。これに家名が穢れるのを恐れたホセは結婚しようとしていたホリーに対し、置手紙だけのこして逃げてしまいます。しかしホリーはもうここにいてもどうしようもないといってそのままブラジルへと飛び立ってしまうのでした。
春樹自身が言っているように、この主人公やホリーはやはり映画での配役と一緒だと考えて読んではいけないとわたしも思います。先ず主人公とホリーとの恋は一方的なものであって、それから主人公はもっとあまりいけていない人物と考えるのが適当でしょう。
ちょっと億手でオタク気質な主人公がまったく何もにも支配されない自由な女性ホリーとの出会いによって次第に変わってゆく心情、これが小説の表現できる最高の部分だと感じました。
しかしこの本をあんまり感情移入しすぎて読むとどうしてもホリーという女性を手に入れたくなるものなんですね。しかしホリーは誰にも束縛されない自由奔放な女性。そしてたぶん無理に我が物にしようものならホリーはそのとたんに魅力を失ってしまうでしょう。
こんなに心が動かされる小説を久しぶりに読みました。
ところでティファニーは宝石店ですし朝食を食べるところなどありません。だから結局タイトルのようなシーンはないのですね。そこは私もびっくりしましたが、これはホリーが小説のなかでちゃんと言及しているのでそんなとこもきにして読んだら面白いかも知れません。
作者はいずれこの本はティファニーで飾られるようになるといっていたそうですが、現実にはどうなったのでしょうかね。
新訳で読みやすくなっていますので皆さんも読むといいと思います。

『下町ロケット』 池井戸潤 直木賞受賞  感想とレビュー 一つのことを貫きとおすこととは

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今読み終えました。圧倒的な爽快感に完膚無きほどに叩きのめされました。
どんな小説なのかと思って読み始めたら、その面白さにはまって一日で読んでしまいましたよ。
主人公は佃航平という男。物語冒頭、彼が責任を持ったロケットの発射の場面から始まります。ところがなんとそのロケットに異常が発生。このままでは墜落、民家への激突も避けられないというところで、安全装置により撃破、海の藻屑となります。
小説の本筋はその後7年経って、彼が家を継いで佃製作所という町工場の社長をしているところから始まります。
ところがいきなりこの町工場の弱点でもある著作権などの法的な盲点を突いてくる輩がいます。悪徳な手法で利益のためならどんな手段も選ばないナカシマ工業とやらが、特許侵害だと訴えてくる。
やっとこさ解決策を見出せたかと思うと今度は、大手企業の帝国重工が開発を進めていた水素エンジンが、実はその完成の3ヶ月前に特許を佃製作所が取得していたということで、特許を強引に奪おうとしてきたりとてんやわんやの大騒ぎ。
読んでいるとだんだんと佃社長の心情が伺い知れてなんとも腹立たしい場面が続出。社長も腹を立てれば、私も腹を立てると乱立するのは腹ばかしなのですが、小説は他の立場からも描かれます。
もちろんナカシマ工業の人間から描かれた場面では、なんだいこんなやつと思いながら読むわけですが、帝国重工の財前部長の立場から描かれる部分は次第と応援したくなってきます。実は財前部長は家が町工場だったという過去をもち、終いには佃社長の味方にまで。ただその部下の富山という男が狡猾で嫌なやつで、上司である財前のポストを狙うとともに、水原役員に取り入ろうとして佃製作所から何とか特許を奪えないかと試行錯誤してくる。
そんな折、社内では未だ研究者としての夢を完全に捨てきれない佃社長の経営方針に対して、若手の社員たちが反旗を翻す。
さて、この大荒れに荒れまくった波を佃製作所は超えていけるのか、佃社長の夢は叶うのか、どうかその部分は皆さんが本を手にとって読んでみてください。
最初はなにかファンタジーかなにかかなと思ったんですよ。だって下町でロケットが飛ぶわけ無いでしょ。まあ蓋を開けてみればなるほどそういうことかと言う事で、興奮しながら、たまには憤りながら楽しく読ませていただきました。
アメトークなんかでも取り上げられてきてなんだか現在町工場ブームのような感じがいたします。しかし、この本を読むことによってまた、そしてさらに町工場への理解が深まり、応援の念が強まりました。
日本の町工場って本当に洒落にならないくらいの技術を持っているんですよ。それこそ今回の小説のように大企業が研究費をいくらも費やさないとできないこともやってのける技術や熱意があるんですね。
今日本は経済もさながら、震災の影響などで暗いじゃないですか、しかしだからこそこうした人の心に希望を灯すような明るい物語が必要だと感じますね。
今読み終えて、心にあったなんだかもやもやして重くて暗いものがスッと消えてゆくような、まるで秋晴れの清清しい空のような、そんな心持がいたします。
夢を持ちそれに只管に向かって行く、そんな頑固で男丸出しの姿勢がなんとも痛快、偏屈な私が持たなければいけないものだなと思いました。これは、現代小説では最高のレベルですよ。読むことをお勧めいたします。

フラワーアレンジメント  圧縮と解放のバランス ピンクと紫の静物

いつも私の作品ばかり紹介しているので今回はちょっと趣を変えて、吾が母君の作品を紹介いたしましょう。
母はいまは専業主婦をやっていますがかつてはフラワーデザイナーでした。
たまに何かの機会があると作るのですが、今回はちょっとした友人へのプレゼントということで作ったようです。
花はいいですね、生活にも華があると一段と心安らかになります。
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スターウォーズ  かなりコアな人の楽しみ

前回に引き続き面白い動画をご紹介。
今回は私の専門の専門、スターウォーズから。
よくいろいろな場面を集めて再編集したものってあるのですが、これは私が見たなかでかなりレベルの高いもの。見ていてとても楽しい。しかも私の大好きなキャラクターのドゥークー伯爵がなんとあのメイスとこうも戦うとは。
EP2EP3を熟知していないと楽しめないものですが、ファンの方にはわかりますね。
皆様方もこのような動画を知っていたら是非教えてください。


ハリーポッター マニアの楽しみ

いつもなんだか生真面目な記事ばかりなので今回は少し息抜き、ファニーなものを持ってきました。
皆さんあのイカサマペテン師にしてナルシストの魔法使いギルデロイ・ロックハートを覚えていますでしょうか。
二巻の秘密の部屋で登場する闇の魔術に対する防衛術の教授ですね。
今回はあのシーンのおもしろいコラージュを見つけたので紹介します。ファンの人にはたまらない面白さなのですがわかりますかね。それにしてもここまでスネイプ教授は彼が嫌いだったのか。
学校の中で、しかも生徒の目前でこの魔法は・・・

>※結構マニアな人でないと楽しめないかも
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